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トリップ -5
徐々に私たちにも慣れがあったのかも知れない。そう、0.002mgのトリップを繰り返していた。片岡がたまに綾瀬にちょっかいを出している。
「なぁ、今度合コン開いてくれよ。いいだろ」
片岡を見ていると何があってこの「エンジェルミスト」にいるのが良く解らなかった。
私は、片岡については怖かったので少しだけ調べたことがある。片岡は子供の時から野球少年だった。弟と二人で甲子園にも出て、プロ球団から指名もあったらしい。だが、その時期に交通事故にあい、肩を壊したそうだ。
それまでは、学校でもスター選手として優遇されていた。けれど、その事故から周囲が片岡に対する接し方が変わったらしい。家族の中でも弟が優遇されるようになって、どこにも居場所がなくなったらしい。どこにもいられない。
それは、まだ片岡が過去の栄光にしがみついているからなのかも知れない。けれど、不思議な事にここ「エンジェルミスト」のサークルの中では一度も「野球」の事を口にしなかった。
ま、誰も「野球」なんかにはそんなに興味がないからかも知れない。いや、誰も「昔の片岡」を知らないところだからこそ居心地がいいのかも知れない。
「ってか、片岡むかつく。あんた、自分の顔みて言ってみたら?片岡って坊主だし、ゴリラみたいな顔してるんだよ。ウホってカンジ。って、今思った。このエンジェルミストで十分でしょ。あんたがエレクトするのなら。まだ足りないなら、0.003mgで試して見たら?そんな根性があるのならね」
綾瀬はそういった。確かに、もう限界ギリギリだろう。心臓停止から3分。脳に何らかの障害が残ってもおかしくないレベルだ。
だが、片岡は焦ってもいなかった。
「じゃ、0.003mgを使ったらコンパしてくれよ。それでいいか?」
そういって片岡は私の方を見た。ま、当人がやると言うのならば止めることはないのかも知れない。いや、私は止めるべきであったのかも知れない。この「エンジェルミスト」を管理しているのは私だ。多くの人からの依頼で投与してきている。だが、このメンバー以外は0.001mgまでだ。
ここにいる4人だけが違うステージにまで上がっている。ある意味酸欠状態の中毒なのかもしれない。いや、体が徐々にこの無酸素状態に慣れてきているのかも知れない。渋っている私に片岡はさらに言ってきた。
「俺はスポーツ選手だったんだ。お前ら知らないだろうけれど。肺活量も全然違うんだよ。3分ぐらい潜水できるくらいの肺活量があるんだ。だから大丈夫さ」
片岡は得体の知れない自信に満ちていた。だからこそ私は怖かった。何の裏づけもない自信。そんな私に綾瀬は言ってきた。
「いいじゃん、別にしたいって言っているんだから。それに、私も知りたい。0.003mgの世界を」
無邪気にそういう綾瀬を見て思った。ただ単なる興味から綾瀬はそういっている。私も確かに知りたいといえば知りたい。だが、心のどこかでそんな興味本位で、投与していいものなのかを考えていた。綾瀬が私の耳元で囁いた。
「いいじゃん、片岡なんだし」
綾瀬がそう囁いた。私はその吐息に、いや綾瀬の匂いに負けたのかも知れない。何かが私の中で壊れたのかも知れない。そして、いつものように「エンジェルミスト」を取り分けて片岡に投与した。そう0.003mgを。
ビデオを用意して、時間を計り始めた。トリップ経過から3分経過。0.002mgの時はここから無意識で何かを話し始める。だが、片岡に何も変化は訪れない。一瞬、心臓が動いていないのかと思って、胸に手を当てて調べて見た。動いている。呼吸も普通だ。だが、意識が戻ってこない。
「片岡、片岡」
私は怖くなって片岡を揺さぶってみた。変化はない。閉じられたまぶたを開けて目にライトを当てる。瞳孔の変化もない。
「変わって」
綾瀬はそういって、片岡にビンタした。片岡のほおは赤くなった。だが、変化はなかった。諦めかけていた時、片岡が叫びだした。
「俺が一体なにしたっていうんだ」
時計を見る。もう10分経過している。片岡の体が震え始めた。覚醒する前触れだ。だが、覚醒しているはずの片岡が呆けている。
「片岡、片岡」
私は片岡に話しかけた。
「あぁ、あぁ」
返事は有る。だが、まるで夢の中でうつろな状態。いや、睡眠薬を飲みすぎて健忘を起こしている状態に近い。多分、まだ意識がはっきりしていないはずだ。0.002mgの時と同じだ。後少しで戻ってくる。
「何を見たの?」
綾瀬が片岡に話しかけた。
「光につつまれて、そして、気持ちよくて、
みんなが笑っていた。そう、まるで母親に抱き上げられている。子供の気分。なのに、なのに、、、、」
片岡はぼそぼそと話し始める。普段話さないことも、この時は誘導されるがままに話してしまう。ただ、感情的になるため質問は考えないといけない。だが、綾瀬はおろおろしている私と遠くから見ているあたるとは違って楽しそうに質問をしていた。
「ねぇ、なんでエンジェルミスト試したかったの?」
楽しそうに綾瀬は質問をしている。うつろな片岡はぼそぼそと話し始めた。
「誰も、俺を知らないところにいきたい。哀れむやつ。そして、去っていくやつ。もうたくさんだ。逃げたかった医者もどこか哀れんで診やがる。だから、ここは居心地がいい。
そして、安らげる。だからだ」
私は横で不安になった。これは0.002mgの時とは違って確実に意識はないのではと。だとしたら、使う時は気をつけないと。けれど、好奇心もある。私は気がついたら綾瀬を見ていた。その綾瀬の顔は怖いくらいキレイに見えた。私は綾瀬の事をもっとしりたい。このエンジェルミスト0.003mgを使えば知れるかも。
私は不思議とそんな変な感覚、衝動に襲われていた。目の前で片岡がこんな状態なのに。落ち着くために首を大きく振った。そして、時計を見る。もうすでに15分が経過している。そろそろ片岡の目がはっきりしてくる。
そう、それまでの目はどうみても焦点があっていなかった。
「うっ、ぐぇ」
片岡に変化が起きた。呼吸が荒い。
「うぅ、気持ち悪い」
そういって、片岡は横になった。だが、横になりながら、片岡は話し出した。
「今までは光を見ていただけ。でも今回は光の中までいけた。光の中そこには、願う世界がそこにあった。そう、夢の続きが確かにそこにはあった。ああ、あの場所に戻りたい」
恍惚な表情を浮かべながら片岡は確かに何かを見ていた。
「それだけ?おぼえているの?」
綾瀬は聞いた。おそらく、片岡が話したことに意識があるのかを、いや、話したことを覚えているのを知りたかったのだろう。だが、片岡は覚醒の時を覚えていなかった。いや、覚醒の時に見たものは別なものだった。
「覚醒の時。みんなが遠くになっていった。そう、徐々に自分が世界からフェードアウトしていく感じがあった。そして、あいつがいた。あいつが笑っていた。あいつも、あいつも」
そういって、片岡は震えだした。あたるがどこからか毛布を持ってきて、片岡にかけていた。そして、あたるが話し出した。
「り、陸、0.003mgを試したいんだ。い、いいかな?」
あたるはなかなか自己主張をしない。いや、この中だと自分から話しかけることも少ない。そんな自分を変えたがっているのは知っている。私は悩んだ。でも、この片岡をみていると、トリップでは今までとは違うらしい。だが、片岡の苦しみ方を見ていると不安だ。
「大丈夫だよ。じ、自分で決めたんだ。やらせて」
あたるはそういって、注射器を取り出した。注射器を煮沸して用意を始めた。私は今までこんな積極的なあたるを知らない。私は変わりたがっているあたるにやめておけばいいのに首を立てにふってしまったんだ。
そして、0.003mgを注入。私はこの時止めるべきだった。誰かこの時に私を止めてくれればと願った。いや、その予兆はどこかにあったのかも知れない。耳を澄ませば聞こえてくる。ひたひたと何かがやってくるのが。いや違う。何かが私を呼んでいるんだ。そうだ、現実が私を連れ戻しに着たんだ。いつだって現実はそうやってやってくる。まるで全てを解っているかのようにさげすむように私を迎えに来るんだ。いつだって。
~現実 「宙からあなたに」~
ピコーン。
機械音で目が覚める。どうやら、私は眠っていたようだ。そして、けだるさが残る。
普通に眠るだけじゃ何かが物足りない。いや、これが普通なんだ。私はそう思う事にした。睡眠薬も使わない。安定剤も使わない。
私は私でいたいから。だから私は一切のその手の薬を使わないと決めた。健忘が怖いわけじゃない。あの時みたいに「エンジェルミスト」に魅せられて精錬したりもしない。もう、戻らないと決めたんだから。
ピコーン。機械音。
パソコンでは新着メールをこの機械音で知らしてくれている。
件名は「宙からあなたに」であった。
「あなたも飛んでみたいと思いませんか?陸からの呪縛から抜け、宙(そら)に」
そう。あのサイトの管理人から送られてきたメールだ。
内容は
「あなたはメンバーに認められました。会費として五万円を下記口座にお振込み下さい。
振り込みが確認されましたら、エンジェルミスト十回分の0.01mgを送付致します。口座に振り込み後はこのメールに送付先を記載して、返信下さい」
であった。
振込先は企業になっている。
『カ』エンジェルミスト研究所』
そんな会社があるのかは知らない。そして、これだけだと相手が片岡かどうかもわからない。私は五万円という金額を見ながら榊さんはこの金額を払って「エンジェルミスト」を手に入れたのが解った。
そしてもう一つ。普通なら気にならない
「0.01mg」
これは偶然なのだろうか?それとも、故意にこの量なのだろうか?
私はこの「0.01mg」の数字が怖かった。夢の中で見ていた続きを思い出した。そう、 あたるが0.003mgを使用した後の事を。もう戻れないのかも知れない。記憶は楽しかった時のまででループさせたい。でも、それは大きな力が最後まで思い出させようとしている。
奥深くに沈めた、私ですら覚えていない記憶でさえも。まるでそれが贖罪であるかのように私を連れ去っていくんだ。より深く、よりもっと深く私に何かを刻み込んでいくんだ。罪という意識とともに。
~回想 あたる~
あたるがトリップをするために準備をしている。横ではまだ、片岡は毛布に包まっている。ただ、片岡の顔はどこか遠くをみているままだ、。そう、恍惚としているんだ。
一体0.003mgには何があると言うんだ。試してみたい。いや、綾瀬のことがもうちょっと知りたい。こういう形でないと聞く勇気すら持てない。不思議なものだ。私はそう思いながら、注射器を取り出した。0.003mgを入れる。
「あたる。ホントにいいんだな」
私はそう言った。あたるが自己を主張する。今までそんな事をを見たことがない。このサークル、エンジェルミストでも私以外とはめったに話したがらない。あたるは人との接し方が上手くない。いや、それは仕方ないことなのかも知れない。だから不安だった。もしかしたら、言葉にしていないだけで私に不満があったのでは。それとも、このサークルにも不満があるのでは。あたるの気持ちが知りたい。私はどこかにその思いがあった。気がついたら、あたるに注射していた。あたるはひょっとしたら私の事をうらんでいるのではないのか?私はたまにそう思う事があった。理由はわからない。けれどそう思ってしまうんだ。あたるの目が何かを伝えようとしている。ここ最近特にそれを感じるからだ。けれど、どうやって聞いたらいいんだ。
ここには、綾瀬もいる。片岡も震えているが聞いているだろう。うかつには質問できない。聞きたいと思っていても、考えないといけないんだ。私は時計を見ていた。十分が過ぎた。
「あたる?」
震え始めた。覚醒の時なのだろう。私は話しかけようとしたその時、あたるは叫びながら立ち上がった。
「やめろ!!」
手を払いのけて暴れ始める。片岡があたるを抑えた。
「おい、どうしたっていうんだ」
片岡が叫ぶ。綾瀬は冷静だ。いや、ビデオを回している。そして、綾瀬が優しく話しかけた。
「だれに何されたの?」
綾瀬のその声は優しかった。その優しさを私はどこかで知っているのかも知れないと思った。また、私はあたるよりも綾瀬を見てしまっていた。違う。私はそう自分に言い聞かせてあたるを見た。あたるは暴れている。
片岡も、綾瀬もこんなあたるは見たことがないはずだ。私以外にはいつも気を使って、いやおびえてからに閉じこもっているから。でも、一体あたるは何を思い出しているんだ。あたるはゆっくりと話し出した。
「母さんが、母さんが殺されそうなんだ。借金を作って出て行ったんじゃないんだ。母さんは殺されそうになって、逃げていったんだ。僕をおいて」
一体何のこと言ってるんだ。私が知っているあたるの過去は違っているのだろうか。私は自分があたるにどう思われているのかなんてふっとんだ。
「あたるのかあさんは誰に殺されそうになったんだ?」
私はそう聞いた。あたるから返ってきた言葉は私を納得させるものだった。
「僕の本当の父さん。母さんが再婚をしたのを知って、お金を要求しにきたんだ。はじめは相手にしなかったけれど、再婚をつぶすといわれて、仕方なく。でも、額が大きくなりすぎて、母さんは出て行ったんだ。母さんは自分が出て行く事で、僕を救ってくれたんだ。でも、誰もそうは思ってくれなかったっ、、、僕は母さんを守れなかった」
確かに不思議ではあった。あたるの母親がどうして蒸発をしたのか。私は一人であたるの過去の秘密を理解していた。そろそろ片岡が覚醒した時間に近づいてきている。だが、あたるの痙攣は止まらない。目の焦点も合ってこない。あたるは痙攣をしだして吐き出した。
「これ、やばくない?」
綾瀬がそう言い出した。あたるの顔色がどんどん蒼白になっていく。
「これ、救急車呼んだほうがいいんじゃなのか?」
片岡はそういい出した。確かにあきらかにあたるの様子はおかしい。私たちは救急車を呼ぶことに決めた。そのことで学校にこのトリップサークル「エンジェルミスト」が発覚してしまった。そう、このときに解散をしておけばよかったのだ。今となってはどうしようもないことだが。助けて欲しい。
誰か、この時の私を止めて欲しい。
私は何かに救いを求めた。受け止めてくれたのは、ひたひたとやってきた現実だけだった。
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