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イン ワンダーランド -4
扉をあけるといつもドスンと落ちるカンジがある。私はいつも飛び込むように扉に向かっていた。今回のダイアの世界も同じだった。世界が明るく開けてくる。衝撃はほとんどなかった。
目を開けるとそこには右目のチェシャがすぐ近くに見えた。
え?
私はびっくりした。そう、右目のチェシャは私を抱きかかえていてくれていた。右目のチェシャが言う。
「僕らの『アリス』ようこそダイアの世界へ」
そう言ったチェシャはピンクのナース服を着ていた。ナースキャップからピンクの猫耳が見えている。私はなぜいつもチェシャはこうかわいいカッコをしているのか疑問だった。私はつい聞いてしまった。
「ねえ、どうしていつもチェシャはかわいいカッコをしているの?」
右目のチェシャはゆっくり私を地面に降ろしながら話してくれた。
「僕らは自分で服を決められないんだ。僕らの服は『アリス』が心の奥底で僕らに着せたい服を着ているんだ。『アリス』がどこかで癒されたいって思っているからこういう服になっているのかも」
私は右目のチェシャの言葉を聞いて恥ずかしくなった。私がどこかでチェシャにこういうカッコをさせたがっている。確かにそうかも知れない。チェシャにセーラー服を着せたり、卒業式に来た袴を着せてみたいって思っているかも。なんだかそう思っていると恥ずかしくて耳がどんどん真っ赤になっていく。心臓の音がやけにうるさくなった。私は羽織っていたマントのフードを被った。なんだかフードは白くてファーがついていて気持ちよかった。
そうだ。このフードは左目のチェシャなんだ。私は自分をごまかすために右目のチェシャに聞いた。
「ねえ、右目のチェシャ。このダイアの世界はどういう世界なの?」
周りを見ると遠くに街が見える。風船やアドバルーンが見える。お祭りをしているみたい。
右目のチェシャがこたえてくれた。
「僕らの『アリス』このダイアの世界は商いの街なんだ。みんな仕事が好きで、バザーをしたり商売が盛んな街なんだ。本当ならば」
右の目チェシャはそう言ってすこし寂しい表情をした。多分、今までのクラブ、ハート、スペードの世界と一緒でこの世界も歪に変わっているはずなんだ。
後一つ。
この世界を開放したら私が開くべき扉は全て開いたことになる。それが、この『アリス』の名を受け継ぐこと。そして、全ての伝説を受け継いでしまったら私はどこにもいけなくなる。
一体どういうことなんだろう。
多分、この質問にはチェシャは答えてくれない。私はそう思った。多分だけれど、チェシャは何かのルールに縛られている。いや、それはこの『ワンダーランド』の全てがそうなのかも知れない。私はその見えないルールの上を歩いて壊しているって感じていた。あの声が忘れられない。
「この世界は崩れてはまた作られる定め。壊れるその時は毎回違う。でも、それは何かのきっかけが必要なことでもある。今回は僕らの『アリス』が来たことがそのきっかけ。間違わないで。誰が来ても壊れることは、崩れることは決まっていた。だって、この世界はそういう運命なんだから」
そう、私はこの世界を救ってそして壊して、崩していく。考えても仕方がない。私には進むことしか出来ないんだから。
「さあ、行きましょう。あの街へ」
私はそう言って歩き出した。右目のチェシャが私の手を取る。ドキッとした。右目のチェシャは膝をついて話して来た。
「僕らの『アリス』必要になったら呼んで欲しい。それまでアリスの影の中にいるから」
右目のチェシャはそう言って、私の手の甲にキスをしてぐにゃりと曲がって影に消えていった。私は一人じゃない。手の甲に残ったその感触がそう思わせてくれた。私は目の前に広がる街に向かって走り出した。
着いた街はまるで祭りの最中に人が消えたかのようだった。通りに面した店はガラス越しに何の店なのかはわかるが全て閉じられていた。パン屋も服屋も時計屋も。私はその異様な景色を見ていた。どの店も開いていない。そんな中、一つだけ開いている店があった。
そこは帽子屋だった。
「誰か居ますか?」
私はおそるおそる帽子屋に入った。だって、アリスに出てくる帽子屋って狂っているイメージがある。そこに居たのは黒い帽子を被った男性だった。その帽子の人は話して来た。
「誰かいるかだって?そりゃ誰かはいるだろう。この世界には誰かはいっぱいいるんだから。そんなことが聞きたくてここにやって来たのかい、お嬢ちゃん」
ステッキで帽子を少しあげてくる。会話が出来る人なのか解らないけれど私は質問をした。
「いえ、私はこのダイアの世界について知りたいです。どうしてみんな店を閉じているんですか?」
帽子の人はあくびをしながら応えてきた。
「店を閉じているかだって?そりゃ閉じたいからだろう。そして、私は閉じる必要も感じないからこのままだ。だって、誰もこないんだから閉じていようが開けていようが関係ない。そんなことが聞きたくてここにやって来たのかい、お嬢ちゃん」
私はなんだかはぐらかされているように感じた。私は言い返した。
「誰もこないって、私が来ているじゃない」
すぐに帽子の人はこう言って来た。
「では、お嬢ちゃんは帽子を買いたいのかい?お金はもっているんだろうね。ホントにそんなことが聞きたくてここにやって来たのかい、お嬢ちゃん」
私はポケットを探した。でも、金貨も銀貨も何もなかった。私が黙っていると帽子の人がいってきた。
「お嬢ちゃんはお金を持っていないだろう。そりゃそうだ。このダイアの世界は今誰も働きたくないって店に閉じこもっている。お金なんて流れていないんだよ。みんな閉じられた店の中でくすぶっているだけさ。お金の数え方もそのうちみんなわすれちまうわな」
そう帽子の人は言って豪快に笑っている。さらにこう言って来た。
「で、何が聞きたくてここにやって来たのかい、お嬢ちゃん」
どうやら私は何かを聞くためにここにいるらしい。でも、一体何をこの帽子の人は答えてくれるんだろう。解らない。私は帽子の人にこう質問した。
「私は何をあなたに聞けばいいんですか?」
帽子の人は帽子を深くかぶりなおした。そして話し出した。
「お嬢ちゃん。何を聞けばいいのかもわからずにここに来たのかい?一体学校で何を学んできたんだ。『黄泉方』とか『火気方』とかは学んできたのかい?」
帽子の人はそばにあった紙に『黄泉方』と『火気方』と書いていた。私は首をよこに振った。
帽子の人がさらに話し出す。
「では、『多死斬』とか『悲喜斬』とかはどうだ。『火刑斬』とか『悪離斬』とかはどうだ」
さらに紙に書いて、ステッキを振り回していた。私はまた首を横に振った。
帽子の人はため息をついた。そして話して来た。
「ホントにお嬢ちゃんは何も知らないんだね。じゃあ、自分の名前くらいはわかるかい?」
帽子の人がそう言ってきたので私は「アリス」と伝えた。その瞬間帽子の人がステッキを落とした。
そして、話して来た。
「なんだあの『アリス』がここにやってきたんだ。なら仕方がない。この店を出て通りをまっすぐに歩いていくといい。そこに大きな塔がある。その一番上の部屋に言ってみな」
帽子の人はそう言ってくれた。私はお礼にその人に名前をつけた。「ムーン」と。
帽子の人はこういった。
「月は関係ないんだよ。狂気にはね。でも、せっかくだからこの名前を貰っておくよ」
私はそう言って言われたとおり塔に向かっていった。その途中どの店も固く閉じられていた。
まるで自分以外の世界を遮断しているかのように。私は遮断された世界を歩いて塔についた。
この塔私はあの「赤の女王」がいるのではとビクビクしていた。けれど、ダイアの世界で待っていたのは私の予想とは違っていた。
高くそびえる塔を私は見つめていた。入り口に一人の女性が立っている。身長はどれくらいだろう。結構背の高い女性だ。すらっとした目鼻の整った美人がそこに立っていた。彼女も塔を眺めていた。私はこのダイアの世界で出会った二人目の人だった。紫のドレスを着たその女性はなんだか少し寂しげだった。
「こんにちは」
私は話しかけた。またあの帽子屋のムーンみたいな人だったらどうしよう。私はそう思っていた。すらっとした彼女は笑顔で話しかけてきた。
「あら、こんな所に人がいるなんて珍しいわね。私は*****よ。あなたは?」
普通の感じがした。少し安心をした。私は『アリス』と名乗った。すらっとした彼女は話して来た。
「アリスは何で今というこの場所にいると思う?」
いきなり不思議なことを聞かれた。
でも、帽子屋みたいに質問をしろと言われるよりはいいと思った。
私は「わからない」と答えた。すらっとした彼女は話して来た。
「私は自分がなんでここにいて、何をすべきなのかを見失っていたの。そんな時、この塔の一番上が光った気がしたの。でも、この塔には鍵がかかっていて入れない。だから私はこの場所に来たの。ねえ、私は何をしたらいいと思う?」
なんだか答えのない質問を受けたと思った。私は考えながら話し出した。
「何をしたいのかなんて、決めるのはあなた自身だと思うよ。あなたは何をしたいって思うの?」
私の言葉にすらっとした彼女はびくっとした表情になった。彼女はゆっくり話し出した。
「私は小説を、物語を書きたいって思っていたわ。でも、頭の中で思い描いても形にならずに消えていくの。思いはあるのに、形になってくれなくて。気がついたら周りの流れについていけなくなってしまった。だから、私はこのダイアの世界が苦手。みんな仕事に熱中している。私には何もない。だから私はダイアの世界から逃げ続けていたの。そしたら、この塔に何かが降り立って世界が、ダイアの世界が変わってしまったわ。でも、ダイアの世界は変わったけれど、私は変われなかった」
すらっとした彼女は悩んでいるのが解った。私は何かを伝えたいって思った。
口から自然と言葉が出た。
「仕事をするって楽しいことばかりじゃないの。辛いこともあるし、逃げ出したいって思うことだってあるの。でも、一瞬の楽しみや嬉しさのために歯をくいしばっているの。辛いことから逃げたって、いい事なんてない。いつか形を変えてやってくるだけ。しかも、逃げる前よりも強く高い壁となってね。でも、良く見たらその壁は少し横を見たら扉があったりもする。自分で視野を狭めているだけなのかもね。わからないけれど。私にも。でも、辛くて立ち止まっちゃったらどこにもいけないのも事実。だから私は歩いていくって、前に向かって進むって決めたの。明けない夜はないんだからね」
私はそう言った。自分にまるで言い聞かせるみたいに言った。すらっとした彼女は私に抱きついてきた。
そして、泣きながら何度も「ありがとう」って言っていた。すらっとした彼女は私よりも背が高かったから私は彼女の背中をポンっとたたいた。かるく、優しく。なぜだか私の中で彼女の名前が浮かんできた。
「アヤ」
私はそう呼んだ。すらっとした彼女は笑顔でこう言って来た。
「ありがとう。なんだか前に進める気がした。それに、新しい名前。うれしい。すごく元気になれた。私、これからダイアの世界でみんなに言ってくる。立ち止まっても何も変わらないって。またこの世界を前みたいに変えたいって」
すらっとした彼女、アヤはそういって走っていった。私は目の前にそびえる塔を見た。
木で出来た扉を押してみる。びくともしない。私は塔の周りをぐるっと回ってみた。
一つ、窓からロープが出ている。窓は3階から出ている。ジャンプをすれば届く距離にそのロープが垂れ下がっている。このロープしかこの塔には入れないのかも知れない。影がぐにゃって曲がった。右目のチェシャが出てきた。
「僕らの『アリス』大丈夫だよ。僕が受け止めるから」
そう言ってくれた。私は右目のチェシャが見守る中私はロープを掴んで上に上っていった。
少しずつ、少しずつ。窓に手がかかった時、下から音がした。扉が開いたのだ。扉から、ダイアのトランプの兵隊となぜかスペードのトランプの兵隊が出てきた。下で右目のチェシャが剣を抜いていた。私は窓からダイアのトランプの兵士。胸には「A」と書かれた兵士がそこにいた。まだ部屋にも入れて居ない。私が身につけていたフードがぐにゃりとまがった。左目のチェシャが現れて私を部屋の中に引き入れてくれた。変な音がした。私を引き入れてくれた左目のチェシャの右肩から血が出ていた。そのおくにはダイアのAの兵士が剣を構えていた。
「きゃあ」
私は叫んだ。私の着ていた白いワンピースがどんどん赤く染まっていく。左目のチェシャはこう言って来た。
「僕らの『アリス』に怪我がなくてよかった。僕は大丈夫だから。アリスは不安にならないで。僕らは『アリス』を守るためにいるんだから」
左目のチェシャはそう言ってぐにゃりとまがって剣になった。刀身が赤く染まっていた。私は泣きそうな目をこらえて目の前にいるダイアのトランプの兵士『A』を見た。表情は読めない。ダイアのAが繰り出す剣を受け止めた。鈍い音がする。何回も、何回鈍く音がする。どんどん剣が重くなってくるのがわかる。左目のチェシャが今まで私に負荷をかけないようにしてくれていたんだ。私は今頃になって守られていたことが、助けてもらっていたことがわかった。
今度は私が強くなるから。私は剣を力いっぱい振り下ろした。まっすぐに。
ダイアのAの剣がはじけとんだ。そして、私はそのままダイアのAをまっぷたつに切り裂いた。前のスペードの世界で見ている。このトランプの兵隊はすぐに復活する。私は、この部屋の扉をあけてすぐに閉めた。閂をかけて、外に出られないようにした。螺旋階段が上に向かって聳え立っている。下にはまだ何対かトランプ兵がいた。けれど、吹き飛ばされていく。ものすごい勢いで突き進んできた。右目のチェシャが。また、いたるところ傷だらけになっていた。
右目のチェシャは私のところについてこう言った。
「遅くなりました。僕らの『アリス』」
私はその右目のチェシャの言葉に何も言えなかった。二人のチェシャが私を助けてくれている。
私は泣きそうだった。でも、まだ泣くには早い。そう、私は上にいかないといけない。この塔の上にいるはずだから。この世界を、ダイアの世界を変えた人物が。それに、私が強く気持ちをもっていないと二人のチェシャも不安になってしまう。私は泣けない。そう強く思った。
声がこだました。
「そうだね。そして刻むがいい。最後のこの世界にもアリスの刻印を」
どこからか声が聞こえた。私は前もこの声を聞いていた。
頂上に行けば解る。この世界の、いやこの『ワンダーランド』について。私は後ろからくるトランプの兵隊を右目のチェシャに任せて上を目指して駆け上がった。螺旋階段の奥にある部屋に居たのは子供だった。真っ黒な髪をした5歳くらいの男の子。手には黒い笛をもっていた。
漆黒の瞳は私を見つめてこう言って来た。
「『アリス』ようこそ、終わりの始まりの塔へ」
そう言って男の子は笛を吹きだした。頭に言葉がこだまする。左目のチェシャだ。
「どうして、こんなことに。ジャックの心だけが目の前にいるなんて」
笛の音色につられてズシン、ズシンと音が聞こえる。この上に何かがいるんだ。しかも、大きな何かが。男の子の後ろに上にあがる階段がある。階段からおりてきたのは真っ黒のよろいに真っ黒の剣を持った戦士だった。男の子が笛を吹くのをやめて私をみてきた。
「ねえ、『アリス』なんでそんなに頑張っているの?だって、『アリス』はこの世界を開放してしまったらどこにも行けない。存在することすら出来なくなってしまう。だったら何もしなくて今のこの、ダイアの世界の住人と同じように無気力に時間を過ごしてもいいんじゃないのかな?どうしてそんなに傷だらけになって、真っ赤に染まってまで頑張るの」
男の子はそう言ってきた。私は言われて気がついた。真っ白だった私のワンピースは真っ赤になっていた。でも、これは私の血じゃない。二人のチェシャが流した血だ。私は男の子に言った。
「私が一人なら頑張れなかったかもしれない。でも、私は一人じゃないから、私一人の思いじゃないから頑張れるの。例えその先に何がまっていようとね」
私の言葉に男の子はこう言って来た。
「人は悲しいものだよね。だって、誰もが死というゴールを目指している。その死というゴールに向かって頑張っていって、そして消えていく。今の『アリス』だってそうだ。消え行く運命なのに、どうして頑張れるの?」
男の子は更に言って来た。
「僕らはこの世界が造られて壊されていく。一体何回目の自分なのかも解らない。『アリス』が来るたびに私たちは壊れて、そして造られていく。それだったらいっそのこと、僕が僕でいる必要もないのかなって思うじゃない。『アリス』も『アリス』でいることに疲れたりしないのかな?」
私には解った。左目のチェシャが言った「ジャックの心だけ」の意味が。そして、この目の前にいる黒の戦士がジャックの体だけだってことが。ジャックは自分が自分でいることに疲れたんだろう。私はこう言った。
「私は『アリス』だから。だから『アリス』として今を精一杯生きるの。だって、今という時は二度とこないんだから」
男の子は笛を手にとって話して来た。
「決裂だね。僕は『ジャック』でいたいなんて思えない。だって、『ジャック』として生きている意味が見出せないんだから」
そう言って笛を吹き始めた。黒の戦士が動き出す。黒い大きな剣でなぎ払ってくる。この大きな剣は受け止められない。いや、傷ついている左目のチェシャで受け止めるなんて私には出来ない。私は後ろに下がった。意識を集中させる。左手に盾、右手に剣。両方とも真っ赤に染まっている。脈打っているその黒の戦士のスピードと強さを感じる。頭の中で左目のチェシャの声が聞こえた。
「僕らの『アリス』。僕は大丈夫だから。でも、あのジャックの、黒の戦士の攻撃は受け止めたら吹き飛ぶよ。受け止めて、受け流して」
私は左目のチェシャの言葉を噛み締めていた。黒い戦士が剣をついてきた。盾で一旦受け止める。
強い衝撃が走った。
壁に吹き飛ばされる。背中に衝撃が走った。でも、私のこんな痛み、二人のチェシャの痛みに比べたらまだまだ大丈夫だ。剣からも盾からもじわりと赤が広がっているのがわかる。振り下ろされる剣を私はかわすためにぐるりと前転をしてよけた。
呼吸を整える。
黒の戦士はゆっくりとこっちを向いて剣を構えてきた。上に振り上げている。一刀両断するつもりだ。私も剣と盾で構えた。黒の戦士の動きがとまる。一歩踏み込んだらこの一撃が入る距離だ。
間合いを取っている。
一体いつこの時間が動き出すのか、いや一瞬だったのかも知れない。いや、もっと数分たっていたかも知れない。
先に黒の戦士が動いた。
私は振り下ろされる黒い剣に向けて盾を水平にむけた。受け止めると盾ごと私が切り落とされてしまう。盾に剣があたった瞬間に私は盾を垂直にずらした。受け止めて、受け流す。左目のチェシャの言ってくれたことが出来た。黒の戦士の左脇に向けて私は力いっぱい剣を振り払った。
ガーンと鈍い音がした。
私はその時に気がついて後ろに下がった。男の子が笛を吹くのをやめた。笛を吹くのをやめると黒の戦士の動きも止まる。男の子が話し出してきた。
「気がついちゃったみたいだね。その戦士のからくりに」
私は男の子に向かって話した。
「ええ、この戦士の中身はがらんどう。つまり鎧だけなのね。あなたの本体はどこにあるの?」
力強く話した。額から汗が落ちる。疲れを感じられないように私は気丈に振舞っている。男の子が話して来た。
「ジャックはスペードの世界から動けない。動く時はキングのお茶会に呼ばれるときだけだ。しかも、キングの庭園にしか行けない。だから僕は心だけ飛び出したんだ。そして、『アリス』に会うためにね。でも、この黒の戦士のからくりがわかったところで何も変わらない。だって、このダイアの世界がどうして歪んだのかがわからない限りね」
男の子はそう言ってまた笛を吹こうとした。その瞬間、剣が飛んできて笛は二つに切られた。
「間に合ったね」
扉のところには右目のチェシャがいた。肩で息をしているのがわかる。私はいつも助けてもらっている。何回も「ありがとう」って伝えた。
「まだ、終わりじゃないよ」
右目のチェシャが言う。確かにそうだ。まだ、屋上がある。私は右目のチェシャと一緒に屋上に上がった。
屋上からはこのダイアの世界が一望出来た。けれど、誰もいない。そんなはずはない。この頂上に光が落ちてこのダイアの世界が変わったはずだ。私はダイアの世界での刻印の仕方がわからなくなった。空は黒く渦巻いている。まるで、スペードの世界で赤の女王をどこかに送り出した右目のチェシャの右目みたいに。
そう、私は空を見ていた。
その瞬間に私は空に吸い込まれてしまった。まるで、この感覚は扉を開けてどこかの世界に行く時みたいだった。
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