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2014年11月24日
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Wild Dogs by Tommy Bolin

スーツケースと手首が手錠でつながれているみたいだ
どこへ行くにもこいつを引きずっているのさ
こぶしで叩いてみてもどうにもならない
俺の家はどの方角なんだろう
家に帰りたい
家路につきたい

Hey, ポーター!
手錠の鎖をブチ切って、

俺の水にウィスキーをついでくれないか
時に気が沈むこともあるけれど
落ち込んでいてもダメだ
俺の家はどの方角なんだろう
家に帰りたい

幻みたいな旅路を進む
恋するチャンスも無ければ
人生の道標も無い
ただ野良犬の遠吠えが夜に響くだけ
でも、それが好きさ

Hey, ポーター、

この旅のお供にはもううんざりなんだよ
金が必要になることもあるけれど、
いつも恋しく思っているのは我が家
そこが俺の向かうべきところ
俺の家はどの方角なんだろう

野良犬の遠吠えが聞こえる


https://www.youtube.com/watch?v=BUKbJw9TMXU

******************************************************

大変なお久しぶりぶり、です。
頭にはいくらでもネタのストックがあっても、体力がついていかないのが残念です。
今もひどいゼンソクの症状に苛まれていて、すぐに息があがってしまうので苦しくてなりません。
だーりんにSOSを出して、皿洗いも買い物も全部頼んでしまっています。猫息子が、心配そうに私の傍らに寄り添っていてくれます。この子は、猫の姿こそしていますが、まさに神様からの贈り物のような存在です。振り返るに、彼とは一緒に色んな苦難を乗り越えて来たものです。彼がいたからこそ、頑張れたと言っても過言ではありません。
発作が起きてひどく咳き込んだりすると“人生の店じまい”という言葉が頭をよぎります。
大したことも成せていないままですが、それはそれ、と割り切れていて、あまり‘生’に執着する気がありません。なんとなくの感覚的ながら、自分の魂は結構歳を取っているような気がします。キース・ムーンが生前、「俺は生まれ変わりを信じているから、死ぬのは怖くない。」と言っていたのを思い出しますが、あちらの世界が安寧の場であるのなら、もう生まれ変わってこなくてもいいやと思ってしまいます。でも、修行のためにまたコッチに送り込まれるのかも知れません。そうしたら今度は、もっと自己中で、情に流されない人生を送りたいものです。自分の自己犠牲の上に他の誰かの幸せが成り立つなんてこと、あってはイカンのです。一番大切にすべき、愛すべき存在は「自分」であるべきです。そして、自分を幸せに出来るのは、自分だけなのです。

なんか、妙な書き出しになってしまいました。。。

さて、今年も何人かの偉大なるミュージシャンがこの世を去られました。
一番衝撃的だったのは、ジョニー・ウィンターの急逝です。
ツアー先のスイスのホテルで、遺体で発見されたそうですが、自然死であったとのこと、まさに、やるべきことをやり通して来たるべき時が来ての昇天だったのではと思われます。彼がジャニス・ジョプリンと恋仲であったとは、死後知ったことでしたが、ジャニスがドラッグ・オーバードースという亡くなり方をするのを目の当たりにしたがゆえに、しばらく第一線を退き、療養と更生に専念していたんじゃないかということは、想像に難くありません。その後は、召されるその日まで、与えられたギターの才能、ギタリストとしての宿命、人々が自分に求めるところに従って、精進を以て年月を重ね、スーパーギタリストとしての天寿を全うされたのでしょう。‘11年の震災直後、原発トラブルの危険を抱える日本へまで、わざわざ足を運んで初来日公演を果たし、その後も重ねて来日して下さいました。中々出来ることではないと思います。信念をもって一度‘覚悟’を決めた者には、恐れるものなどほとんど無いのかも知れません。
今より30年以上前、NYのボトムラインに、彼の弟のエドガー・ウィンターを観に行った際、見かけたジョニー・ウィンターの神々しさは、鮮明に心に焼き付いたまま、今でも忘れられません。少年のような細身の裸身に革のベスト、パンツ、ブーツ、むき出しの二の腕に鮮やかな刺青、テキサスの出身を誇るようにテンガロンハットを被り、グラス片手に笑みを浮かべて、客席からステージ裏へとゆっくり優雅に歩く“白髪の君”の放つオーラは、明らかに我々凡人と格が違うというか、とにかく只者では無いことが、一見して明らかなほどのインパクトが有りました。思わず、手を合わせたくなるほど、うっとり見とれてしまうような素敵な光景・・とでも言いましょうか。
晩年は、「もうとにかく生きていて、ギターを構えてくれているだけで有難い存在」であったような彼の死は、音楽業界において大変な喪失なのでしょうが、多くの人びとが、その死を悲しむ気持ちよりも、彼に対する感謝の想いが勝っているという実感こそが、彼の偉業と功績を物語っているのだと思います。
天上の彼は今、革のアウトフィットを脱ぎ、白い天使の衣に身を包んでいるのでしょうか?それはそれで、とても似合ってそうです。

ジョニー・ウィンターは、ドラッグ依存症を乗り越え、己の進むべき正道を見出すに至りましたが、無類の才能を持ちながらも、残念なことにその手前で若き命を落としてしまう者が少なくないことも、哀しいかな、ミュージシャン稼業には付き物です。

「富墓林」なんて変な当て字にするから、短命だったんだよ!・・とは、当時、多くの人が思っていたことですが、25歳の若さで夭折したにも関わらず、こんにち尚、トミー・ボーリンは後輩プレイヤー達に影響を及ぼし、多くのプロ・ミュージシャンに愛され、語りつがれているスーパー・ギタリストです。スカイプでやり取りしているプロ・ドラマーの友人に、オフライン時、‘本日の一曲’としてYoutubeのWild DogsのURLをメッセ代わりに貼り付けておいたら、翌日、"What another shame he left so soon..."との返事が残されていました。
この曲の歌詞を見ても、ミュージシャンとして世界をツアーして歩くような成功者であっても、激しく盛り上がったステージの充実感とは裏腹に、その晩一人になってから、ふと陥るホームシックや孤独感との葛藤がうかがい知れます。
この曲は、ディープ・パープルの日本公演では、ラストに演奏されましたが、デイヴィッド・カヴァーデールの‘男前’なヴォーカルとユニゾンで高くハモるグレン・ヒューズのコーラスが印象的で、この時手を負傷していたトミー・ボーリンの存在は影が薄く感じられます。思えば、イギリス人のバンドの中に、彼一人がポツンと米国人であったというのも、改めて考えるに異彩であったのかな、と。日本人からすれば、英国人も米国人もひっくるめてガイジンさん、なんでしょうけどね。彼はアイオワ州のスー・シティという地方出身者ですが、スーとはアメリカ原住民の種族名ですから、その顔つきからしても、ひょっとしたらインディアンの血が入っていたのかも知れませんね。

今年になってから、だーりんと一緒にいたことの証を残しておきたいと、共著という形で曲作りを始めました。
だーりんの意見を聞きながら、曲を書き、歌詞をのせて、だーりんにドラムを打ち込んでもらいます。その新曲のお披露目が、彼の新しいバンドで近々ありますので、ちょっと宣伝をばー。
11/30(sun) 大久保HOTSHOT
open.11:00 start.11:30 charge.¥1500+drink

Peacock Waysted(くたびれてボロケたクジャク)というバンド名も、だーりんと近所のお寺で飼われている孔雀を見た時に思いつきました。どんなに年老いてみすぼらしくなっても、若者に負けじとボロボロの羽根を広げて自分を誇示するような、いつまでも負けん気の強い現役のクジャクで有り続けてほしい、という願いを込めています。
peacock





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最終更新日  2014年11月27日 06時06分13秒


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