NO27 ゆうの 25年間の記録



平成15年の春・・・暖かな日差しの中 作業所 Pの 開所式と入所式が行われました。

9人のお友達とご父兄の方々と 指導者の方3名との初顔合わせでしたが、それぞれの個性のあるお友達ばかりの中に入って ゆうもとても嬉しそうでした。

(私の代わりに、式には母が 行ってくれました。(∩.∩) )

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その作業所では、

・ 畑班 (畑を耕したり、土ふるいをしたり 苗を植えたり・・・色々)

・ 苗班 (畑に植える、花や 野菜の 苗を育てたりします。)

・ 生活班(みんなの作業着を洗ったり、作業室などの掃除をしたり、週1回は    買い物に行って、カレーを作ったりしています。)

午後からは、それぞれの 能力に合わせて、手芸や洋陶芸の焼き物、パソコンの名刺作りなどの仕事を しています。

ゆうは、畑班が多く その作業が ぴったりと 合っていたようでした。

1年間は、割と元気良く お休みも少なく 通っていました。

2年目になると、お友達も増えて15人になり 指導の先生も、4人になりました。

代表のN先生は、ゆうの 父親代わりのように 接して頂き 本当に毎日が
感謝の気持ちで 一杯になりました。

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ゆうの状態が・・・平成16年の夏頃から また悪くなって来ていましたが、精神科の薬を飲んでも、治まらなかったので・・・

「頭痛がしたら、精神科に行きなさい!」

と 言われてから、その後1回も行って無かったのですが・・・他に 行くところが無く、聖マリアの脳外科の部長先生に何年か振りに、お会い致しまた。

先生は、久し振りにゆうの顔を見られて・・・

「ゆう君、久し振りやね~~もう、来んかと 思っとたよ~~それに、お母さんも若うなってから~~」(ギャーウレピ~~~!(^▽^) )


そこで、以前来た時に 言われた言葉を伝えて・・・

「私達の方が、見捨てられたかと 思ってとても 辛かったです・・・」
と訴えました。

「精神的に、脳圧は 上がらないからね・・・そうだったんだ、うんうん」って

「これからは、私が診るから 安心して来なさいよ」と・・・


「あの~H先生は、 定年があるんですか?」と聞くと

「僕は、定年は無いから な~も 心配せんで、よか!よか!」って


何と言っても、生まれた時に 聖マリアに脳外科が出来て、その時からの24年間の お付き合いだったから・・・

(その先生が、いらっしゃらなかったら とっくに病院を代わっていましたしね・・・うんうん!(^-^) )


何年か行かなかった 間に、先生達が 殆ど代わってありましたが、インターンで来られて居た時の女医のN先生や、S先生がいらっしゃって、とても心
強く 安心しました。(∩.∩)


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それから、毎月 ゆうが一人で 聖マリアに行き 部長先生から
生まれて初めて・・・自分の病気の説明を受けて、帰って来ていました。

そして・・・少しは、医学が進歩したのか・・・ゆうの 脊椎が脳幹を圧迫している状態を 何とか出来ないものかと・・・

脳外科全員による 話し合いがされました。

一人の先生は、毎月海外に 勉強をしに行ってあったので、ゆうの 病状を外国の先生に診て頂いたり、色々と検討がされました。


ゆうの、症例は国内でも、数が少なく・・・口からの手術の症例もありましたが・・・成功したことが 無く・・・部長先生も我が子の様に ゆうを思っていらっしゃいましたので・・・

「ゆう・・・ごめんね・・・父ちゃんが、何とか手術ば してやりたかったけど・・・

今の状態で 手術ばしたら、頭を開けたとたんに 頚椎が動いて 危なかけ

ん~~やっぱり 扱われんったい・・・父ちゃんも、頭が痛かと たい!」

と・・・本当に 辛そうに話されたそうです。


それから・・・ゆうが

「頚椎が動いたら 僕は死ぬんですか?」って聞くと

「う~~ん。 そういう自体もあるから・・・首には、気を付けとかな~ね・・・

でも 万が一 死ぬ時は 一瞬だから 苦しくは無いからね・・・」って!


ゆうが、帰ってから その事を話しましたが・・・

「ゆう・・・良かったね! ゆうは、死ぬ時は苦しみながら死なないんだった

ら・・・な~も、 怖くないしね・・・安楽死と一緒だよ、人間誰でも一度は必ず

死ぬからね・・・あのね~人間には3つの苦しみがあってね・・・一つは歳をとること・・・

二つ目は、病気・・・例えば末期の癌患者さんとか・・

三つ目は死ぬこと・・・

なんだけどね・・・母さんも・・・癌は怖くないけど 苦しみながらは死にたくないしね・・・

みんな、生きる権利はあるけどね、母さんは死ぬ権利もあると思うんだよ・・・

外国のように、日本もね安楽死が 認められたら 本当に良いんだけどね~まあ・・・

母さんは、ゆうが 素直な心と 感謝の気持ちを忘れなかったらね ずーっと長生きすると思うよ・・・絶対ね!」と

何だか ワケワカメな話をして いましたっけ・・・(+。+)あちゃ-だね。

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去年は・・・殆ど、病院には、ゆうが一人で行っていましたが・・・

11月には 毎日 起きれずに 夕方まで寝ているといった状態が続きましたので、体力回復と 頭痛の軽減の為に 1ヶ月ほど、脳外科に入院しました。


長男も、初めて ゆうの状態を知って 兄弟がとても仲良くなりました。


私は、まだ 精神科には 通っていますが、薬も段々と 少なくなって来ています。

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ゆうも、今年になり・・・

何かが、吹っ切れたように 作業所に楽しく行ける様に 成って来ました。

作業所のN先生と、 聖マリアのH先生の 二人の父親に見守られながら

毎日を、楽しく生きています。(良いな~良いな~~☆⌒( *^-゚)bネッ!)

作業所には、今年の春にまた お友達も増え 指導の先生も増え 賑やかに成る事でしょう。

作業所では、ゆうが 休みの日は、 みんなの様子が落ち着かず・・・自閉症の子がパニックになったり、 とにかく 大変な状態だそうです。

ゆうに、どんな力が あるのかは分かりませんが・・・みなさんから

具合が悪い時も、きつい時も 寝てても良いから 来てくれ~~~と

言われて、ゆうも 「普通の子に成りたい!」と・・・鎧を着ないで、そのままの 自分を受け入れて もらっている P作業所を 終の棲家として、いずれは、N先生の手助けが出来る事を 目標に、頑張っています。

いつか・・・N先生から

「一人の子供も、救えなかったら、全員を救う事は出来ませんから・・・どうぞ安心して 居て下さい。」

との、暖かいお言葉に 感謝をしながら・・・とても、感動致しました。

ゆうは、この 作業所でN先生や 仲間に会うために 生まれて来たのだと 今は心から そう思っています。

ここに、辿り着くまでには 長すぎる苦労や 苦しみが余りにも多く 一緒に死ぬ事も考えて、思い詰めて居た事が・・・やっと 今 報われたようです。

もちろん、これから先・・・また 色々な事もあるでしょうが、何も恐れずに前をしっかりと、見据えて 家族で助け合いながら、強く生きて参ります。

この日記が、障害児を持つ親御さんや、心の病に苦しむ方たちの励みに少しでも お役に立てれば この上ない幸せで、ございます。

生きて、生きて、 生きて、いつか 必ず来る希望の光を 一緒に見ようではありませんか!

また、明日からも ゆうの事、 作業所の事、 家族の事 など・・・
書いてまいります。

いろんな方からの、応援のお言葉や 暖かい励ましのお言葉を 本当にありがとうございました。感謝!申し上げます。



25年の記録・・・終わり



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