NO3 ゆうの 25年間の記録

kosumosu4


私が、退院したのは ゆうの手術の次の日でした。
(ゆうの手術は、成功したようでしたが・・・)

自宅に帰り、5歳の長男 けいが 余程寂しかったのか 私から片時も離れず、抱っこして攻撃にあってた時、(無理もないか~生まれて初めて、私と離れたんだからね~) 何も分からない長男が

「ママー!赤ちゃん見てきたよー あのね あのね 鼻に線が繋がってね、手にも線があったしね、箱に入ってたよ。」

って、そこまで話したときに、母が

「はい!ママは寝てないといけないから、けいはこっちにおいで」
と、けいの言葉をさえぎりました。

私は、(あ~死んでなかったんだ~~良かったな~~)と、単純に長男の言葉に 助けられた思いがしました。

だが・・・私の近くにある電話が鳴る度に 今まで余り電話に出なかった母が 「リーン、リーン」と鳴ると、まるで忍者の様に さっと、受話器を取りに飛んで来ます。

(本当に目にも止まらぬ速さで、びっくりしたのなんのって( ゚Д゚)ヒョエーでしたよ)

病院からの電話を私に 取らせまいと、必死まめたん だと言うことは何となく 分かっていましたから、私も 電話が鳴っても知らん顔をする事にしました。


自宅に帰っても、胸を10日程冷やし続けていたら、やっと張らなくなって来ました。
(しもやけにならなくて、良かっただす~(・∀・)ニカ!)

家族は、2日に一回は 久留米に行っていましたが、私はまだ連れて行ってもらえずにいました。

家族が、久留米に行く度に 

「ね~~顔見たいから 写真撮って来てよ~~~ね~~お願いだから~~」

と 頼んでいても、なんだかんだと言って 撮っても来てくれません。

そんな時は、長男のけいに聞くのが一番!

「ね~~ぇ けい 赤ちゃん可愛かった~」

「うん、可愛かったよ。」

「そう~赤ちゃん まだ線が付いていたのかな~~」

「うん、あのね 赤ちゃんがね 一人でどっかに 行かない様にしてるんだって!」

「へ~そうなんだ~どっかにね~~」

と、情報を長男から 聞きだしながら 私の頭はふる活動・・・

そんなこんなで、1ヶ月が経ち・・・不安が苛立ちに変わった頃 家族に

「も~私元気になったから、久留米に行きた~い~写真も撮って来てくれないし~わたしが、産みましたとよ!」

と、我慢の限界に達した時に、そ~っと写真を見せてくれました。

「ゲッ!可愛い~~~じゃん!私にそっくりやね(どこが)~~可愛い~可愛い~~」

と、本当にとっても嬉しくて すっごくはしゃいでいましたら・・・

「ちょっと、話があるから・・・こっち来て・・・」

その声のトーンの低さに 一瞬でまるでちびまるこ状態!T_T;

家族 いわく、頭にコブがあった事、顔面麻痺の事、左耳小耳症、手術の事、危ないと言う事、生きても3年ぐらいだろうという事、・・・を、その時に初めて聞かされました。

私は、何故かその時に心が ほっとしました。

だって、やっと自分が生んだ子供の事を知ったから・・・
もっと、もっと、悪い事を考えた時もあったしね。

ゆうの事を全部聞かされて、私は言いました。

「何かあるだろうと 思ってはいたよ。だって私が入院してる時、はさみとか果物ナイフとか持って帰ったでしょ・・・その時から・・・ううん 産んだ時から感じていたよ。そりゃー出来たら 元気な子が欲しかったけどね、今まで自分なりに考えてね、私たちだから・・・神様が ここだったら きっと ゆうの様な子供を育ててくれるかなって 命を授かったのかもね・・・うん、きっと そうだよ、そう思うよ」

(自分で言葉を口にしながら、自分にも言い聞かせていた気がします・・・それにしても、妹の役者振りには 参ったな~妹が一番上手だったな~はさみ事件が無かったら うっかり騙されるとこだったしね~いや~感心 感心!イヨッ千両役者!)


ゆうの事を聞かされた翌日、待ちに待った初対面の時がやって来ました。

病院に着いて、新生児センターに行って・・・たくさんの赤ちゃんが ズラーっと並べられて居て、ガラス越しにゆうを探していたら・・・

「アッ・・・あれだ! あの子だ! あれが ゆうだ!」

私は、遠くにいる我が子を 直ぐに見つけました・・・不思議な感覚でした・・・

その時に、ピンクの可愛い服を着た看護師さんが、ニコッと笑顔で 私が見ていた ゆうが寝ている小さなベットをコロコロ転がしながら 目の前に連れて来てくれました。

感動の初対面です・・・ゆう・・・

まだ 鼻にはチューブが入っていました。

涙が たくさん 流れてきました。

その様子を見ていらした 婦長さんが直ぐに迎えに来られ 中へと 案内されました。

初めて、この手に抱けるのです。

やっと、会えましたね ゆう・・・わたしが ママよ・・・

そーっと、大事に腕に抱き上げました。

顔面麻痺で 片目をカッと見開き口が 曲がった顔を見て 涙を流していると、婦長さんが 無言で優しく私の背中を撫でて下さいました。

その時、私は決心しました。

「この子は 決して好きで こんな病気で生まれて来たんじゃない!6時間もの長い手術に 一人で耐え 生きている! たとえ 寝たきりの重度障害児になっても、この子が生きている限り、私は 泣かない!決して泣かない!この子と一緒に生きる!」

そう心に強く決心し 覚悟をしました。


                    明日につづく



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