☆たー☆のヒトリゴト

April 19, 2006
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カテゴリ: その他ね☆
振り返った時に俺は自分の人生を悲観的に見ている時が多い。

誰かのせいにして。。。その言い訳を生きて行く糧として歩んできた事が多かったような気がする


あれは9歳の時だった。。。
俺は心臓に痛みと違和感を訴えて父親に連れられて病院へ行った帰りだった。
医者に自律神経失調症だと診断された事をひどく恥ずかしい事だと延々しかられた。
言葉を上手に解釈出来なかったボクは両親の期待に添えられない事にひどく落ち込んだ記憶が残っている。
そしてあの病気は何が原因だったのかは未だにわからない。
あれから24年・・・時々痛みを覚える心臓は今も鼓動を続けている



今思うとあれが反抗期の始まりだったのかな。
太陽も帰り支度を済ませた夕闇迫る時刻。
行く当てもなく通行量の激しい国道を車とは反対側に向かって走る小さな自転車小僧
結局、祖母の家で捕まり・・・1泊して強制送還・・・
「ごめんなさい」の返事は無言だった。


13歳の時に始まった激しいいじめ。
あの時の傷は今もココロの奥底にあって・・・時々ひょっこり現れる厄介な記憶
好きな人や好きな事を考える「青春」と呼べる時間はあまりにも短かった。
この事が明るみに出ても何も対処してくれなかった身近な人たち・・・
「デリケートな問題だったからね」って今になってそんな事言わないで


人を好きになる素晴らしさを知ったのは16歳の時だった。

彼女の事を考えただけで胸が苦しくなるだなんて。。。
人を信じて生きて行っちゃいけないんだと信じていた歪んだボクの心を溶かした優しい心の温もり


それは18歳の秋だった。
俺が望んだ進学先への入学願書を提出する前日の夜の事だった。
勝手気ままに生きてきた父親が倒れた。

みんな大騒ぎで・・・
一命を取り留めたけど社会復帰までにはかなりの時間が必要だと診断。
つまりは収入が激減するという事。
俺はまだ、この先もチャンスがあるんだからと自分で自分を説得し父親が治るまで家を支えられるように就職をするからと笑顔で家族に話をした。
その日の夜に泣きながら入学願書を破り捨てた事は誰も知らない。


親友だと信じていたヤツが俺たち仲間全員の金をだまし取って裏切ったのは19歳の時
隠れていた所に踏み込んでヤツの胸ぐらを掴んだ時に怒りなんかより悲しかった。
泣けてくるほど悲しかった。
俺を止めに入った仲間がみんな悲しい目をしていた。


一旦は普通の企業へ就職したけれど音楽への道を諦めきれずにスタッフへの道に進み照明を選択したのが20歳の時。
ミュージシャンを目指してた自分にとって、そこは徹底されていたリアリズムの世界
ツライ毎日だったけれど充実もしていたような気がする。
毎日が新鮮だったのは間違いなかった。


社会復帰を何とかした父親。
医者から再三の注意を受けていた食事制限を守れずにいた。
医者から再三の注意を受けていた喫煙を守れずにいた。
部屋に食べ物がないと暴れ出し、俺がいない間に俺の部屋へ入りタバコやお金を持ち出す始末。
そんな父親にはうんざりしていた。


俺が20歳の11月
二度目の脳梗塞。
驚きはなかった。当然の報いだとそう感じていた。


今回はもう社会復帰は出来ないだろうと診断された。
俺は家業を手伝いつつ自分の仕事に出る毎日。
仕事柄、旅が多かったので段々と家業を手伝う事が出来なくなる。
当然収入も落ち込み、色んな事が重なって母親はノイローゼみたいになって、姉は怒りやすくなって、俺は現実から逃げて・・・
それでも、父親だから・・・病室で父親が俺に言った最後のコトバ「どちらさん?」・・・
息子の顔だけが記憶から無くなってしまってた。
もう、俺には父親はいないんだと思う事にしたのもこの時だった。
それがどんな十字架を背負う事になったとしても構わないと思った。
そしてこの結果・・・一家離散に。


同棲したのが21の時。
どうしても一人暮らしに慣れなくて誰かと一緒にいなくちゃダメだなぁと感じた。
結婚したのが23の時。
新しい生活、新しい家庭。全て望んだ物が手に入ったんだと思っていた。
離婚したのが27の時。
たった4年の生活。
あの時に正面切って言われたコトバはショックだった。
好きな人を幸せに出来ない人生なら、裏切られるなら、もう人を好きになってもキモチを前に出してはいけないんだとココロのどこかで思っていた。


今の会社に入ったのが24の時・・・だからもう9年も働いている。
同じ業界にはいるものの何度か転職を繰り返していたのに落ち着いたもので(笑)
甘い考えだった俺を1から根性叩き直してくれたんだよね。
厳しい人たちだったもんな・・・
今は天国へ旅立った先輩に感謝。



去年の夏
家族を苦しめた父親がソラへ旅立った。
俺は会う事を躊躇い続け、かたくなに面会を避けて来た。
結局最後だけは俺も病院へ行き家族全員で見送ったけれど悲しみはドコにも感じれなかった気がする。


苦しめるものから解放されたのかな?
そう思いたい1年だった気がする。
そして今になって父親と子供の愛くるしい姿ばかりが目に入ってくる。
失って気が付いた事。
ドコにでもあるような父親と息子の姿を俺はきっとドコかで求め続けていたのかもしれない。



生きている事は悲しみの海を泳ぐ事。
泳ぎ疲れても頑張って頑張って辿り着いた場所は幸せの砂浜。
ただ、俺がその幸せを噛み締める時間はそんなに長くない。
そしてまた悲しみの海を泳ぎ出す
遠い未来が見えないのは当たり前だね
近い未来の自分を俺は想像すらできないのだから
何もなかったように胸の中の悲しみや苦しみを誰にも見えないように部屋へ戻る時間
何もなかったように今夜も沈黙の時間を過ごして行く。
誰も見ていないのだからさらけ出せばいいのだけど・・・
心の中で言い出した言葉は何もなかったように自分の中でかき消され
その事について俺は何も言い出せない弱い生き物


だけど今だけは油断させて
今だけは綺麗事だけ並べさせて


生まれてきた事に感謝させて欲しい



俺はヒトリきりで生きてきた訳じゃない。



みんな、本当にありがとう。





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Last updated  April 20, 2006 02:02:58 AM
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