マルスの遺言

マルスの遺言

マトリックスのようにスマートな仏教



いや、それ以前に「古臭い」「ダサい(東洋のもの)」ということがまず頭をよぎる。

「悟り」に至っては「植物人間」になるとまでは言わないが、自己の意識を完全に否定してしまう行為のように思ってしまいかねない。

昔のアニメに良く出てきた、脳が溶水に浸かっていて管だけがそこから伸びて生きている人間とか。生きていても意味の無い無感覚・無感動の世界のような。

違うだろうか?


しかしだ。

本来の仏教はそうではないと思う。そう思っているとしたら間違いだ。


まず「仏教」が説いているのは『中道』だ。

この世の全ての物は「バランス」で成り立っている。「禁欲」や「厳しい修行」を行えとは仏陀も言っていない。修行を始めた当時の彼自身も否定していることだ。逆に悪行三昧行えばいいということでももちろんない。

これは、インドネシアのモスリムが語ったことと同じだと思う。
普段の生活の中で「悟り」への道を実践することこそが一番大切であり、難しいことだと。

次に、仏教はその仕来たりや、使い古され一般で意味を取り違えられて伝えられている仏教用語によって古くなってしまっている。あるいは昔新しかったであろう代表的仏教精神である慈悲の心などをテーマにした歌や小説、映画が過去のことになってしまっているということもある。

黒澤の初期の脚本も本人が狙っていたのかどうかは別として異常に「仏教的」である。『ダルマ寺の外国人』とか『姿三四郎』の蓮の池のシーン、タイトルは忘れたが、確か木下恵介が監督したヤクザが立ち退きの嫌がらせに二階に住み込んだ家の夫婦がすばらしい純粋な心の持ち主で二人は次第に更生するという話の松竹作品など。


一番問題なのは、「脅し」によって人々を操作しようと意図した「偽りの説法」がまかり通っていることだ。

自分の権威や、地位を高めようとして、自然界のただひとつの「法」ではない人間界の「戒律」を説き、地獄に落ちるとまで言って「恐怖」で檀家の人々を支配しようとする。

こんなことを未だに行っている坊主がいることには本当に呆れ返る。
仏陀が知ったら間違いなく嘆くだろう。

このような行為は、われわれを侮辱している。
お前たちは仏陀が到達した真理などとおてい理解することはできない。その代りに、これをしちゃいけないあれをしちゃいけないと厳しく言い続け、監視していないとたちまち地獄行きの愚かな連中なのだということなのだ。

アメリカは「平和」の名のもとに「恐怖」によって市場経済を支配しようとしているが、

何者も、「恐怖」によって支配することはできない。

「恐怖」によって支配してはならない。それこそ自然界の「法」(真理)だ。


それから「悟り」とは、無感動・無感覚の世界ではなく、逆に「感動三昧」ということであり、生きていく術を示した科学であると思う。


このように、仏教は本来の意味から大きく反れ、誤解された形で広がっていると思う。

「仏教」は映画「マトリックス」のように刺激的でスタイリッシュなものなのだ。

やはり一番大切なのは、ただひとつの真理『法』を知ることだ。

今こそ皆がそれを望んでいるし、皆が理解できる時期に来たと思う。

「仏教」は一番新しい。

テロの恐怖に怯え、お互いがお互いに不信感の中で生きていかなければならない時代、今こそ、西洋の国々が、仏教の、自然界のただひとつの真理を知るべきときだろう。


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