マルスの遺言

マルスの遺言

「光」は仏教では「苦」の逆



無知と言わず「無明」としたところに意味があると思う。

明るい明るくない。
「明るくない」は知らない。逆に「私は○○に明るい」は良く知っていると言うこと。

昨日テレビでやっていたがスリランカの仏教では明るく照らすことで「苦」から逃れることができると考えられている、だったかそういったことを言っていた。

『スター・ウォーズ』でも明るいの逆で、悪の道を暗黒(ダーク)サイドと言う。

チベットの高僧ダライ・ラマも人間の一番最悪の罠は、孤立と言うダークサイドに陥ることだとか、またまたウル覚えで申し訳ないがこのようなことをいっていた。

前にも書いたが、全ては光と繋がっている。人間の行いは全て光を目指している。
マラソンランナーのナチュラルハイも、オリンピックのメダリストが見た演技中の光も、原子爆弾の核分裂も、LSDでの人為的ハイ状態も、新しい一日が始まる朝日の昇る空も、赤ん坊が生まれてくるときに見るだろう外界の光も、死ぬときに見るだろう光も、全て良くも悪くも光だ。

関係ないように思うが宇宙人のUFOと言われる乗り物は、巨大なクリスタルが発光してエネルギーとなり物体移動を可能にすると聞いたことがある。クリスタルのフリークエンシー(周波)が鍵(キー)になるように70年代では言われていたらしい。それも、クリスタルが生み出す周波のようにシャープで安定性があり、高速の「光の周波」が最も適している。
最近のテクノロジーで主役になっているのは光だ。当然次世代エネルギー源も光によって生み出されるだろう。原子力などというアナログな光ではなくて、もっとクリアーで研ぎ澄まされた光によって巨大で、地球人類全てに行き渡り平等に分け隔てなく与えられるような、奪い合う必要もなく、安全で人類を危険にさらす必要もない、そんな新しいエネルギー源が開発されるべきだ。

話しがそれたようだが、全ての悩める人たちはいずれ光の中へ出てこなければならない。「書を捨てよ町へ出よう」だ。悩み、苦しみ、一人考えるのも必要なこと、しかしそれを通り過ぎれば、誰しも光の中へ進むざるを得ない。明るい場所へと帰っていくのだ。明るい場所でこそ、人の真価が試される。明るい場所に出て、触れ合おう、語り合おう、傷つけ合おう、愛し合おう、喜びを分かち合おう、生き抜こう。

精神が疲れているときは身体をいたわってやれば精神も治癒されていくように、暗闇から出て明るい場所で生きれば、苦痛からも解き放たれる。

スリランカの苦から逃れるために光を当てると言う考えはそういった意味があると思う。


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