マルスの遺言

マルスの遺言

世界は何でつながっているの?



しかし希望を失うには早すぎるし、何の結果も出てはいない。
未来に向けて、いや、今現在我々は、愛が世界をつなぎ、救う事だって出来るのだと信じなければならない。希望?いや、そんな大変なことではなく、ごく当たり前にその可能性を信じていたい。

では世界は「愛」ではなくて何でつながっている?

考えてみると、世界は今「資本主義」つまり「経済」でつながっている。
良くも、悪くもだ。

アメリカがイラクに侵攻したのも「民主主義」をたてまえとした”資本主義”のため。これはもちろん悪い例になるだろう。
中国が、民主主義までは受け入れていないが(共産国だが)「民主化」して今発展しているのは、資本主義国との共存のせい。(はっきり言ってしまうと、資本主義化したせい)これは良い例になると思う、今のところは。

今や「民主主義」と「資本主義」が同義語となってしまっているのは以上のような事実によることもあると思う。

以前このHPで「資本主義」の悪を書いた。しかし、民主主義が元々悪いものではなかったことと同じように資本主義も良い面はあることに今更ながら気が付いた。(皆さんは始めからそう思っているのだろうが)

この間のNHKだったかテレビで「我々日本人は、幼い頃から競争は悪であると教えられてきた。なのに社会に出ると世の中競走が溢れかえっている。(もちろん資本主義のせいで)だから、社会に出て急に競走を肯定しろといっても無理なのだ。そこでニート(働かない、働けない)と言われている連中が出てくるのはいたしかたない」と語った評論家がいた。

まさにそうだろう。今言われている「ゆとり教育」などというものはその典型であるが、昔から日本では競争しない、争わないが正しいとされてきたことは、聖徳太子の「和」(調和)の心を持ち出さなくても言わずと知れたことだろう。(それも上から押し付けられたものだったのだろうが)しかし現実は逆なのである。現実には社会では厳しい競争を要求される。

過去、経済の唯一の希望だったアダム・スミスの「神の見えざる手」(放って置いても経済は上手くいく)という概念は、アメリカの大恐慌と共に20世紀の内に完全に消滅してしまっている。「神の見えざる手はない」というのが近代の経済界での常識となっていると思う。
ただ競争あるのみの世界に「神の見えざる手」がなくなってしまった今、何の救いが資本主義にあろうか?

事実として資本主義は、働かない人(資本、家系など持って始めから恵まれている人)を自動的に金持ちにする。一方で働いても働いても貧しいどころか、今日の食料にもこと欠く人々がいる。それは悪だ。
その働かず大金持ちである一部の人間が抱え込んでいる世界中の富を、等しく分配しようとまでは言わないが、抱え込んで意地になって離さない分を、せめて他の働き者たち、あるいは貧しいけれども稼ぐすべがない人たちに、チャンスを与えるべく分配してやれたら、もっと世界中のみんなが潤うのではないかと思う。その考えは変わらない。そしてそういった人たちが財産を守ろう、もっと増やそうと欲を出すところに悪が生まれる。

しかし、実際今の世の中をつないでいるのは、良く考えると、良くも悪くも「資本主義」しかないのだ。「経済」がお互い憎しみ合いながらも、お互い妬みながらも、お互いとお互いをつなぐ最後の頼みの綱になっているのだ。

良くも悪くも、幸いにも不幸にも、現実にそうなっている。

北朝鮮の問題にしてもしかり。世の中の全てをかろうじてつないでいるのは経済だ。世界は今宗教でも政治でもなく、経済が主役だ。
いい例が、あの「サミット」であると思う。始めは世界経済のことを取り決める集まりだった。それがいつの間にか政治的なことまで取り決める集まりになった。経済なしでは世界の取り決めは出来ない。経済に始まり、経済に終わる。
これは別の言い方をすれば、私の「得になる」ことに始まり、あなたの「得になる」ことで終わるといった意味と同じことだ。

皮肉なことに、今世界の安定を”かろうじて”保っているのは人に競争を強要する「資本主義経済」なのだ。

笑い話だが、これぞ「神の見えざる手」なのかもね。









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