マルスの遺言

マルスの遺言

映画「グッバイ・レーニン」のメッセージ!



わざわざガルシア・マルケスなぞ読まなくても現代の物語で十分ファンタジーは作れるのだということを証明した作品だと思う。

ファンタジーではないか?メルヘンでもない。何と言ったらいいのか。神話的な要素を含んだ大人のファンタジー。どこぞの作品みたいに暗くなく、夢があって、無邪気で、しかも現実の辛さ厳しさをきちんと描いてあって、自己満足の自慰的な作品ではなく、メリハリの利いたアイディアとドラマがちゃんとあって楽しめるエンターテーメントになっていて、人生について何かを考えるきっかけを与えてくれて、若々しい青臭さを忘れていない大人子供の普通の人の映画。

旧東ドイツの時期に息子が目の前で逮捕される姿を見て失神したバリバリの共産党員の母親が、そのまま昏睡状態に陥り、東西が統一された後に目を覚ます。当然、旧東ドイツが消えてしまったことを知ると、母の病状が急変しかねないと危惧した息子が、西側から流れ込んできた消費社会の形跡をなんとか退院した母親の目には触れさせないように隠し通そうと奮闘する。母の好きだったピクルスを東製の古いビンに詰めて出したり、共産主義体制が続いているかのように見せかけるためテレビニュースまで仕込んだり・・・。そしてラストは思わぬどんでん返しが。

彼が作ったテレビニュースは、まるでりっぱに共産主義体制が存続していて西の資本主義文明よりどれだけすばらしいものであるかを友人のリポーターがアピールし続ける。最後見て欲しいのだが、ドキュメント映像を編集して(これも複線がある。影像も編集次第で・・・という意味だろう)大嘘をこいている。それが実にユニークな社会風刺になっている。現実と虚構の逆転。

共産主義が勝利し、資本主義の矛盾があらわになる。もちろん(母が恐怖に負けたように)共産主義になど理想はない!だが、競争と消費に代表される資本主義社会も全てじゃない。このブログで言いたかった全てがこの映画のラストにほんの何秒かで集約されているかもしれない。

そう、『人は、国家や、資本主義であるか社会主義であるか、を選ぶのではなく、純粋に魂の安らぎ、平和を求めているだけなのだ』

なんか変だな?と、思うことが少なくなっていく世界であって欲しい。

映画の中では、その理想の国家の新しい首相?が、子供の頃憧れていた(今ではしがないただのタクシー運転手の)宇宙飛行士だっていう所がミソなのだが。この少年の純粋な思いがファンタジーなのだ。

魂を権力に操られないためにグッバイ・レーニン!といいながらも、魂を金や欲望に奪われないようにグッバイ・アメリカ!と叫んだかどうかは分からない。

いずれにしろ、政治的メッセージが主目的とは言えないが、このようなメッセージ性の強い映画を成功どころかまともな作品に完成させるのは難しい。貴重な一本だと思う。





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