マルスの遺言

マルスの遺言

皇太子の「詩」


ドロシー・ロー ノルト (著)より

「子ども」

『批判ばかりされた 子どもは
 非難することを おぼえる

 殴られて大きくなった 子どもは
 力にたよることを おぼえる

 笑いものにされた 子どもは
 ものを言わずにいることを おぼえる

 皮肉にさらされた 子どもは
 鈍い良心の もちぬしとなる

 しかし,激励をうけた 子どもは
 自信を おぼえる

 寛容にであった 子どもは
 忍耐を おぼえる

 賞賛をうけた 子どもは
 評価することを おぼえる

 フェアプレーを経験した 子どもは
 公正を おぼえる

 友情を知る 子どもは
 親切を おぼえる

 安心を経験した 子どもは
 信頼を おぼえる

 可愛がられ 抱きしめられた 子どもは
 世界中の愛情を 感じとることを おぼえる』



私もこの詩は、好きな詩のひとつだった。
部分的に覚えていて、ニュースで皇太子の会見を見たときには、改めてこの詩の良さに感嘆した。

興味のない方もいると思う。特に皇室のことに興味がないというより、皇太子自身に興味がないという方は多いと思う。

しかしこういった皇太子の発言は、たとえ皇族であっても普通の人間であるということを我々に訴えかけている。それは皇族全体ではなく、皇太子に限ってのことかもしれないが。

皇太子は雅子様を皇室に迎えるときに「全力でお守りする」と言い切った。
男なら誰でも覚えはあると思うが、男女間の関係で、はじめに言い切ってしまった約束は必ず守らなければならなくなる。想像するに、皇太子もこのギリギリの約束を守らなければならない状況に立たされているのだろう。きっと・・・。

そうならば、私としては皇太子の行動や発言に、ものすごく人間味・共感を覚えずにはいられない。私は結婚はしていないが男女間における信頼関係についてはこのような経験がないわけではない。彼は、見えない敵と戦わざるを得ない状況に置かれている。
そういう時は、無理にでもこぶしを振り回さなければならない。もちろん、皇太子なりのやり方でだが。

この詩は決して、雅子様の考える”教育姿勢”に対する皇太子なりの擁護の言葉としてわざわざ読み上げられたものではないと思う。もちろんそういった意味合いもあるだろうが、私が考えるには別の意味合いが含まれていると思う。

それは、皇太子自身の今まで育ってきた皇室という環境に対する意見であり、今、雅子様が置かれている不健全な?(ご病気になられるほどの)皇室内の環境に対してのささやかな抵抗なのではないかと思う。

多分、そこには「愛」が不足していると言いたいのではないだろうか?

皇太子も雅子様も、愛情の酸欠状態なのではないだろうか。

皇太子は、雅子様のため、そしてあいこ様のため、そして何より自分自身のために、声にならない声で叫んでいるように思えてならない。
この詩の意味するところが、無垢な少年として育った皇太子の、心からの悲痛な叫びに、私には聞こえてならない。





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