マルスの遺言

マルスの遺言

仏陀に言いたいもう一つの「苦」



仏教は科学的と言わずとも論理的に人間の「苦」を分析した。

四苦八苦は単純だが複雑な全てである。

しかし、その賢明な仏陀も言わなかった「苦」があると思う。

それは人間が作り出す「不条理」だ。

仏陀の言う四苦八苦は根源的だし、現代には当てはまらないわけでも決してないが、感覚が少しずれている所がある。

それはよく寺へ行って説教される気分に良く似ている。

「いまさら」という気分と「うっとおしいな」という気分である。

その「うっとおしいな」と言うのが感覚のズレだと思う。

まず、元気でぴちぴちしている若い人たちに「病気」や「老い」「無常」についてとうとうと語っても普通は白けるばかりである。まじめに聞く人の方が若さが足りないような気がするくらいだ。

その感覚のズレと同じように、時代が移り変わっていく中で「飢え」やペストやマラリアのような「病い」について警告されてももう現代では現実の物としては遠いのだ。それは世界のどこかでまだその根源的な「苦」で苦しんでいる人たちのこととして受け止めることはできるが、自分の事としての共感はしにくい。

人による理不尽な被害というものは根源的でもあるが現代的だとも思う。

現代人のほとんどは人間関係や、契約ごと、またはそれの争いごとに頭を悩ませている。

昔の人の悩みからすると現代人の悩みはより複雑に、妙奇きてれつに、理解不能になってきている。

現代のストレスのほとんどはそこから来ている。

よく当たり前のように、「(病気が)ストレス(から来てる)ですね」と言われるからには、病気の原因も人間関係、あるいは人と企業などのグループ、グループ対グループ、地域と地域、地位と地位、全ては人と人同士の感情のいざこざから来ている。

まさに今生きている全ての現代人は、この人による理不尽な思いをカセとして成長するために生まれてきているようなものだ。(江原氏風に言うと)

人が人を殺し、批判し、あざ笑い、傷つけ合い、騙し、足を引っ張り合い、病気にしたり、怪我をさせたり、大損をさせたり、家を焼いたり、心中を強要したり、契約を迫ったり。。。

この世で真におぞましきは、人による理不尽なことではないか?

昔はそのような行為を鬼の仕業とか悪魔の仕業といったものだ。そういった表現は決して彼らが非現実的なものを信じていたからではない。そう言うしかなかったからだ。

現代で悪魔の仕業という言葉を当てはめるとしたらいったいいくつ挙げる事ができるだろう。現代はルールや監視する近所の目が無くなった変りにそのおぞましき行為に満ち溢れている。こんな時代が今まであったのだろうか???


仏陀の四苦八苦の中にこの 人による理不尽 という「苦」をもうひとつ付け加えておきたい。



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