マルスの遺言

マルスの遺言

日常で苦を感じないための方法



瞑想は一箇所に座して目を閉じ、雑念、雑音を振り払い、己の奥深くに集中する。

実生活でもそうなのだ。

誰かにああいわれた、こうされた、こんなことがあった、あんなことを忘れない、忘れたくない、許せない。これらのいろんな取るに足らないちっぽけな雑念や騒音を断ち切って己の信じるものに集中する。己自信の修練に集中する。己自身の今いる場所にどっかりと腰をすえて居座る。

しかし、それらのちっぽけな雑念、雑音は、関われば関わるほど大きくなってしまう。
まとわりついて蛇のように絡み付いて離れなくなってしまう。気が付いたときは己を滅ぼすまずい状況に立たされているかもしれない。それもアッという間に。気づかないうちに悪の落とし穴にはまってしまっている。

同じように瞑想していると遠くの小さな音でもかなり敏感に大きく聞き取れる時がある。その音に不安を感じて、一度感じたら不安が大きくとめどなく膨らんで行ってしまうことがある。
不安が一番の敵だ。それに惑わされないこと。

実際の瞑想とそれの実生活での実践は、いずれも簡単そうで難しい。

実生活で精神がついていかないなら先ずは外見から。
瞑想のときのように背筋を伸ばし、特別な空間に身をおく。つまり、これから瞑想に入りますという状態に常に自分を持っていく。
清らかな高い次元に持っていく。

高い意識で生活すること。それには目標が必要だ。

こうなりたいああなりたい。目標がいかに大切なものか。
人は無目標の人はほとんどいない。ただ、良い目標を持ち、自分自身のルールから外れないこと。それが大切だ。

己自信の心のルールは、人を高い次元に置いておくのにちょうど良い便利な道具である。

今まで止めたいと感じていた自分自身の良くない行いをしないように自分でルールを決めよう。
瞑想の実践は自分を律することから始まる。目を閉じて身動きを取れなくして自分自身を拘束することから始まる。
自分自身の行動を規制しよう。

そうして向上心を持つこと。学ぶ姿勢が大切だ。
自分は何でも知っていて何でもできると驕(おご)れば、逆に罰を受けるだろう。
小さなことからこつこつと学ぶ、つまり感謝することが大切だ。

学ぶ事とは小さなことに感激し、感動し、感謝することだ。

このようにして瞑想の実生活での実践は成る。



しかし考えてみると、たとえ一人ではできたとしても、意外と二人でやるにはなかなか難しいものなのかもしれない。


*注:ここに書いてあることは江原氏の本を読む以前のことです。


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