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久留米のある筑後地方では歩くことを「さるく」と言います(→→→こちらです)。駅間さるき、本日分はもう少し。日没までに駅に辿り着けるでしょうか。日没まであとわずかですね。このお店。創業天保2年(1831)といいながら、結構新しい建物ですね。シャッターが閉まっていたので何を売っているのかわかりませんでした。この交差点を左折すれば、西鉄中島駅も近くなります。ちょっと道が細いようですが、どうやら商店街のようです。ちょっと変わった建物ですが、中島青果市場です。このような施設があるとは。この中島という土地は古くから商業の集積地だったのでしょうか?こちらの建物は、中島漁業協同組合です。こちらの神社は八剣神社(→→→こちらです)です。毎年7月の第4土曜日に行われる中島祇園祭り(→→→こちらです)はなかなか有名なお祭りのようです。西鉄中島駅に到着しました。【つづく】人気ブログランキングへ駅間さるき 西鉄天神大牟田線(塩塚~西鉄中島) (その4) 八剣神社
2018年01月31日
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久留米のある筑後地方では歩くことを「さるく」と言います(→→→こちらです)。駅間さるき、日が暮れるまでには目的地に着きたい!!!こちらの建物は、柳川市役所大和庁舎です。違憲だとか言われ続けていても、自衛官の募集は地方自治体の大切な仕事ですね。、大牟田、みやま、柳川あたり選出の衆議院議員です。アスタラビスタ(→→→こちらです)という魔法の呪文のような名前のスーパーマーケットです。福岡・佐賀のこのあたりで時々みかけます。ちなみに「アスタラビスタ」とはスペイン語で「また会いましょう」と言う意味だそうです。この大きなお地蔵様がありました。なかなか立派な地蔵菩薩で柳川市の文化財のようです。「文政11年(1829)8月9日、大風雨と高潮で柳川領内は大きな被害を受け、使者は200余人を数えました柳川藩では福厳寺で死者の供養と大施餓鬼(おおせがき)を行っています。中島の庄屋荒牧氏は、民衆救護の悲願をかけた大地蔵菩薩を建立しました。天草の石工が造った尊像(そんぞう)を乗せた船が有明海を渡るとき、大風雨に遭(あ)い多くの舟は難破(なんぱ)しましたが、この船だけ無事に中島に着いたので、迎えに出た人たちは、その霊験(れいげん)に驚いたといいます。」いよいよ中島の文字が見えてきました。【つづく】人気ブログランキングへ駅間さるき 西鉄天神大牟田線(塩塚~西鉄中島) (その3) アスタラビスタ
2018年01月30日
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久留米のある筑後地方では歩くことを「さるく」と言います(→→→こちらです)。駅間さるき、まだまだ歩き続けています。園芸ハウス用ビニールを洗ってくれる会社があるのですね。柳川高等学校(→→→こちらです)の広告です。卒業生にはあの有名な松岡修造さんもおられます。駅間さるきの途中で、飲み物を買ったり、ちょっと涼んだり、温まったりできる、オアシスのような存在です。何の変哲もないこの橋。史跡「間垣橋」(→→→こちらです)だそうです。歴史的に有名な橋なんでしょうか。「天正の頃この橋の北は塩塚城主、塩塚石見守鎮貞の領地で、南は鷹尾城主田尻鑑種の領地であった。境に垣があって、領地を分けていたので、間垣橋と言う。 天正9年(1581)5月27日、龍造寺隆信は柳河城主蒲池鎮並を佐賀与賀神社にて謀殺。翌28日、鎮並の弟蒲池統安の守る柳河城を攻め落とし、同年6月1日蒲池・塩塚氏と親族であるが、龍造寺に内応し、塩塚城を攻め落とした。この時、田尻軍はこの橋を渡っていったであろう。 翌6月2日蒲池統春の守る佐留垣城も落ちた。佐留垣城はこの橋のかかっている川の北側にあり、蒲池領であった。橋が高いので、現在は高橋と呼んでいる。 」沢山の鳥が電線に止まっていました。大和中学校たそうです。♪赤い夕陽が校舎を染めて~モーターボート競走の利益を還元して建てた施設ですね。(詳しくは→→→こちらです)B&Gってボーイズ・アンド。ガールズだと思っていましたが、本当は青い海(ブルー・シー)と緑の大地(グリーン・ランド)の意味だったんですね。【つづく】人気ブログランキングへ駅間さるき 西鉄天神大牟田線(塩塚~西鉄中島) (その2) 間垣橋
2018年01月29日
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やっぱり、先週は九州も寒かったんですね。九州にも雪が降っていました。こちらは佐賀県佐賀市久保田町から見た天山(標高1046.2m)です。佐賀県には天山スキー場もありますから、やっぱり普段からここには雪が積もるのですかね。こちらは、大分自動車にある湯布院パーキングエリアから見える由布岳(標高1583.3m)です。由布岳の頂上はもちろんパーキングエリア内にも雪は積もっていたんですね。パーキングエリア内は雪が片づけてありました。しっかり融雪剤も置いてありました。この融雪剤「Made in China」の中国製なんですね。周辺の山々にも雪は残っていました。夕陽に映えた残雪もまた味わいがありますね。今夜(1月27日)は寒々とした空に半月が出ていました。人気ブログランキング九州にも雪
2018年01月28日
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久留米のある筑後地方では歩くことを「さるく」と言います(→→→こちらです)。駅間さるき、楽しみながら歩いています。塩塚駅です。西日に照らされて朱色がかっていました。塩塚駅の構内踏切です。一面二線式の島型ホームです。住宅街の道を歩きます。前を歩くのは仲良し二人組の高齢女性です。突然細くなる水路です。国道208号線に出ました。まだ前にはさっきの仲良し二人組の高齢女性が歩いています。呉服店がありました。【つづく】人気ブログランキングへ駅間さるき 西鉄天神大牟田線(塩塚~西鉄中島) (その1) 呉服店
2018年01月27日
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福岡の銘菓、如水堂の「筑紫もち」(つくしもち)です。包みを開くと、親指大の餅に、きな粉をまぶした餅菓子が黒蜜と一緒に入っていました。黒蜜を餅にかけていただきます。でもこれって、山梨の信玄餅に似ていますね。調べてみると、筑紫もちの販売は 昭和52年から、対して信玄餅は昭和43年から。歴史が長いのは信玄餅のようですね。人気ブログランキングへ孤独のグルメ 筑紫もち
2018年01月26日
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久留米のある筑後地方では歩くことを「さるく」と言います(→→→こちらです)。駅間さるき ひたすら歩くのみ。水門が水鏡に映っています。自動車学校(→→→こちらです)です。ところで、自動車学校と教習所って違いがあるんですかね?水田が広がっています。また、大きな袋が置いてありました。道端には黒いパイプが置いてありました。この暗渠排水(→→→こちらです)に使う材料のようです。踏切がありました。単線区間が続きます。塩塚(しおつか)駅に到着です。【つづく】人気ブログランキングへ駅間さるき 西鉄天神大牟田線(徳益~塩塚) (その2) 暗渠排水
2018年01月25日
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久留米のある筑後地方では歩くことを「さるく」と言います(→→→こちらです)。駅間さるき、秋の日はつるべ落としといいますが夕陽に変わってきました。徳益駅、無人駅のようです。駅舎の建物がありません。甘木行の各駅停車が停まっていました。単線が続きますね。立派な石碑です。また水路です。向こう側の橋は国道443号線です。有明漬(→→→こちらです)だそうです。農地の片隅にまた、大きな袋のなにか置いてありした。大豆もそろそろ収穫の時期でしょうか?【つづく】人気ブログランキングへ駅間さるき 西鉄天神大牟田線(徳益~塩塚) (その1) 有明漬
2018年01月24日
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高良大社に参詣した理由は、やはり、人事を尽くしても最後は神頼みというということで、今年一年つつがなく仕事できるように、お祓いを受けるということです。初穂料の相場も示されていました。一番安いコースで。この日は高良大社の鏡開きの日だったようで、ぜんざいが振る舞われているようでした。料金は、お志で、先ほど中一枚を出したので、ここは控えめに。このお餅をいいだきました。鏡餅を割ったものでやや大振りでしたね。高良大社からの臨む久留米市街地です。やはり、お参りすれば清々しい気持ちになりますね。今年一年いいことがあるといいですね。【了】人気ブログランキング筑後国一の宮高良大社に参詣(その2)
2018年01月23日
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筑後国一の宮とされる「高良大社」に参詣してきました。急な石段も今はこちらのスロープカーで登れます。料金はお志で結構です。とはいえ、足腰鍛錬のためこの石段を上がってきました。高良大社は、別名「高良玉垂宮」とも呼ばれています。仁徳天皇55年または78年鎮座、履中天皇元年創建と伝えられ、古代から筑紫の国魂と仰がれてきました。社殿は国の重要文化財に指定されており、神社建築としては九州最大の大きさだそうです。扁額は、「高良玉垂宮」と記されていました。【つづく】人気ブログランキング筑後国一の宮高良大社に参詣(その1)
2018年01月22日
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久留米のある筑後地方では歩くことを「さるく」と言います(→→→こちらです)。駅間さるき、足も疲れてきたかな?塩塚川には大きな堰がありました。対岸には大きなお寺。由緒のありそうなお地蔵様です。また、この水路沿いの道を進んでいきます。道の両側が水路になってました。稲刈りの終わった水田の上に置かれています。水路です。まだ水は多そうです。水路に降りて行く階段です。徳益(とくます)駅に着きました。【つづく】人気ブログランキングへ駅間さるき 西鉄天神大牟田線(柳川~徳益) (その2) 水路が多いです
2018年01月21日
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久留米のある筑後地方では歩くことを「さるく」と言います(→→→こちらです)。駅間さるき、今日はもう少し頑張ります。西鉄柳川駅 (→→→こちらです)というのが正式名称のようです。水郷柳川観光の玄関口なので、観光案内所がありました。なかなかシックな装飾が施された駅ですね。特急列車も停まる大きな駅ですね。駅の東口にはホテルもあるので宿泊はOKですね。この西鉄柳川駅を後にして、進みます。駅前は土地区画整理が出来ていて、すっきりとした街並みになっています。有明沿岸道路高架橋に出ました。大きなショッピングモールの「ゆめモール」(→→→こちらです)がありました。色々なお店があり、沢山の車が来て、賑わっていますね。【つづく】人気ブログランキングへ駅間さるき 西鉄天神大牟田線(柳川~徳益) (その1) 西鉄柳川
2018年01月20日
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今日の気分は肉を食べたいという気分だったので、チキンステーキを食べました。人気ブログランキングへ孤独のグルメ チキンステーキ
2018年01月19日
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久留米のある筑後地方では歩くことを「さるく」と言います(→→→こちらです)。駅間さるき、まだまだ歩けそうです。この交差点を左折します。駅前の通りです。北原白秋のふるさとだそうです。西鉄柳川駅が見えてきました。【つづく】人気ブログランキングへ駅間さるき 西鉄天神大牟田線(矢加部~柳川) (その3) 水郷柳川
2018年01月18日
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久留米のある筑後地方では歩くことを「さるく」と言います(→→→こちらです)。駅間さるき、柳川市内の賑やかなところにさしかかります。うなぎ屋さんです。柳川ではうなぎのせいろ蒸しが名物です。なかなかシブイ店構えでした。こちらのうどん屋さん。久留米にも支店があって美味しいと評判です。いつも混んでいて入ったことはありません。この時間帯は空いているようですね。「立花うどん」だけに、立花宗茂と誾千代が大河ドラマになることを運動しています。というか柳川市全体で運動しています。市民のみなさんちゃんと受信料を払っているのでしょうね。川下り乗船場ののほりが見えてきました。この船で下るようです。公園の池のボートみたいで、ちょっと風情がない舟ですね。目的地の大牟田まではまだ18キロメートルあります。【つづく】人気ブログランキングへ駅間さるき 西鉄天神大牟田線(矢加部~柳川) (その2) うどん屋さん
2018年01月17日
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久留米のある筑後地方では歩くことを「さるく」と言います(→→→こちらです)。駅間さるき、まだ快調ですね。西鉄矢加部駅です。無人駅で一面一線のホームしかありませんが、眺めはいいですよ。遠くに有明沿岸道路の高架橋が見えました。駅を後にして、高架橋沿いに歩いていきます。沖端(おきはた)川にかかる西鉄の鉄橋です。河底が見えています。干潮と満潮の影響です。西鉄の列車が通り過ぎていきます。柳川市の観光施設の案内板です。川下りとか楽しそうですね。【つづく】人気ブログランキングへ駅間さるき 西鉄天神大牟田線(矢加部~柳川) (その1) 沖端川
2018年01月16日
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久留米のある筑後地方では歩くことを「さるく」と言います(→→→こちらです)。駅間さるき、柳川市内を歩いてます。この道は国道208号線です。この道に沿ってしばらく歩きます。大牟田まで19kmです。ここから高架になっていますが、行くのは脇道の方です。柳川市のクリークに架かる西鉄の鉄橋です。むこうに駅のプラットホームが見えてきました。西鉄も高架になっています。先ほどの208号線の高架橋です。しかしガードレールで車は通行止めになっています。振り返ってみると向こう側に有明沿岸道の高架橋がありますが、この道も通行止めになっています。矢加部駅はこの階段を登ります。矢加部駅に到着しました。【つづく】人気ブログランキングへ駅間さるき 西鉄天神大牟田線(蒲池~矢加部) (その3) 高架です
2018年01月15日
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久留米のある筑後地方では歩くことを「さるく」と言います(→→→こちらです)。駅間さるき、たまには幹線道路を歩きます。JA柳川の支所だと思います。柳川市場? 農協の卸売市場でしょうか。うどん屋さんです。ここも「筑後うどん」が売り物なんでしょうね。有明沿岸道路との交差点にやってきました。有明沿岸道路の高架橋です。大牟田~大川まで延びている有明沿岸道路です。いずれ佐賀県の白石市までつながるそうです。この道が無料というのは有り難いですね。県道23号線、通称「柳川県道」です。地元民は「ヤナケン」と呼びます。国道208号線との交差点に着きました。交差点には「紳士服のフタタ」(→→→こちらです)がありました。久留米はこのフタタの創業の地です。【つづく】人気ブログランキングへ駅間さるき 西鉄天神大牟田線(蒲池~矢加部) (その2) 有明沿岸道路
2018年01月14日
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久留米のある筑後地方では歩くことを「さるく」と言います(→→→こちらです)。駅間さるき、まだまだ歩きます。蒲池駅駅舎です。蒲池(かまち)と読みます。元々は「鹿待」(しかまち)と平安時代の『和名抄(わみょうしょう)』には表記されていたそうです。鎌倉時代には「蒲池」(かまち)と呼ぶようになったそうです。蒲池とは、蒲(がま)のいっぱい生えた池のあるところという意味でしょうかね。駅員さんは昼間はいないようですね。蒲池から柳川方面に向かっては単線になるようです。蒲池駅で列車は対向待ちとなるようです。立派な建物がありました。大牟田柳川信用金庫(→→→こちらです)だそうです。福岡県道23号久留米柳川線(柳川県道、通称「やなけん」)を柳川市街に向かって進みます。金納(かんのう)という地名です。水田の中を歩くのに飽きたので、柳川県道沿いを歩きます。【つづく】人気ブログランキングへ 駅間さるき 西鉄天神大牟田線(蒲池~矢加部) (その1) 蒲池駅
2018年01月13日
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セブンイレブンのアイスクリーム、ワッフルコーン桔梗信玄餅味(税込246円)をいただきました。風味豊かでコクのあるきな粉の味かするアイスでした。人気ブログランキングへ孤独のグルメ ワッフルコーン桔梗信玄餅味
2018年01月12日
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暖をとる氏子若衆です。たき火だけではなく身体の芯から温まるために御神酒もいただいていました。本殿への参拝客も増えてきましたね。午後7時30分,いよいよ鬼夜の本祭が始まります。汐井かきと呼ばれるお清めの水を汲みにいきます。先導の松明を持つおじいさん、寒そうです。拝殿前の参道に並んだ参拝客のみなさんは脇によけて、汐井かきの一行を通します。松明が掲げられるといよいよ出発です。こちらは大松明を引っ張る氏子若衆も境内に集まってきました。掛け声は「オイサ~、エイサ~」です。汐井かき(玉垂宮の側を流れる広川の水を汲んできます)の一行が戻ってきました。この桶に水が入っています。続いて、広川で禊を済ませた氏子若衆が参道にやってきました。威勢の良い掛け声で興奮が抑えきれないといった様子です。手々振とい書いた提灯を持った人が先導役です。また赤い鉢巻の人は交通整理係りみたいで、前の組との間隔などを気にしながら隊列を止めたり進めたりしています。不覚にも、ここでMoMo太郎の持ってきたデジイチのバッテリー切れ!・・・。サブで持ってきていたいたコンデジでの撮影に切り替えました。午後9時、境内の灯りが一斉に消され、ちなみに露店の照明も消されます。そして、本殿の中で灯されていた御神火が運ばれて大松明に火が灯されます。そして、すべての大松明に火が灯されて、境内は明るくなりました。大松明の上で火がよく燃えるよう、竹を縛った縄をほどく氏子若衆、熱いでしょうね。こちらも火を加減している氏子若衆。スマホで撮影しているのはこの若衆の知り合いさんでしょうか。火の粉がふりかかる若衆、でもこの火の粉をかぶると今年一年の無病息災が叶うというのですから、火の粉を浴びるのも大切です。ちなみに離れて撮影するニワカ写真愛好家のMoMo太郎や観客の皆さんには灰が降りかかってきます。その上、段々雨も降り始めてきました。熱くて近寄れないのか。ガンバレ氏子若衆。やがてこの太鼓が打ち鳴らされると、大松明が移動し始めました。その様子をスマホで撮影するみなさん。インスタ映えしますよね。本殿の脇に向かって移動する大松明。ここで大松明が地面に落ちると不吉とされることから、みなさん慎重にかつ大胆にカリマタを使って大松明を移動させていきます。本殿の西側で大松明はいったん置かれて、そして、境内を回っていきます。最後まで見ていると午後11時までかかるとのこと、その上雨もいよいよ本降りになり、デジカメのバッテリー切れもあり、このあたりでMoMo太郎は引き上げました。来年は、予備バッテリーや三脚等、準備を整えて撮影に行こうと思いましたが、しかし、観客が広い境内に溢れ返っていて、なかなか祭りの全容を撮影するのは難しいこともわかりましたので、撮影ポイントを決めて撮影するしかないかもしれませんね。【了】人気ブログランキング鬼夜(その2)
2018年01月11日
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去る1月7日の夜、日本三大火祭りのひとつである大善寺の「鬼夜(おによ)」を見物に行ってきました。鬼夜とは、毎年1月7日の夜に大善寺玉垂宮で行われる鬼払い、つまり災難除けの祭事のことです(→→→くわしくはこちらです)こんな「のぼり」も飾られて雰囲気、盛り上げていますね。でも日本三大火祭りってあと何があるんでしょうか???「傘橋(からかさばし)」と呼ばれる、この赤い橋を渡って「鬼夜」が開催される大善寺玉垂宮(→→→こちらです)に向かいます。傘(からかさ)と呼ばれるのは、このように橋の真ん中にひとつだけ橋脚が建てられており、見た目が傘のようだからだそうです。川に入る階段のところに注連縄が置かれているのは、鬼夜の祭りが始まる時に「汐井かき」といって、この川からお清めの水を汲む神聖な場所であり、また奉りに参加する氏子若衆が禊をする場所という神聖なエリアという意味だそうです。こちらが玉垂宮の鳥居です。ややピンのボケた写真になってしまいました。鬼夜の神事が始まるのは、午後7時半なので、MoMo太郎が行った午後5時ごろでは、まだ参拝や見学の方はまばらでしたが、露店は営業開始していました。まずは、玉垂宮に参拝します。これもピンが甘い。玉垂宮の裏にある駐車場にも、もう車が一杯でした。こちらは、奉りに参加する氏子若衆のみなさんが松明の火をとったり暖まったりするためのたき火用の稲わらです。報道関係、それから写真愛好家のみなさんも脚立や三脚をスタンバイ完了ですね。こちらが鬼夜で燃やされる「大松明」です。全部で6本あります。全長13メートル、直径1メートル、重さは約1.2トンの大松明。後ろに結びつけられている太い縄は、尻引綱と呼ばれ松明を移動させる際に氏子が手にして引っ張るのに用いられます。大松明の芯は3本の孟宗竹で、その回りを真竹で包み縄で頑丈に巻かれています。松明上部は点火のために杉の枯葉を入れてあります。ちなみにこの大松明、下請け業者に作らせるのではなく、氏子のみなさんが自ら組み立てているそうです。また立てかけられている細い棒は、カリマタと呼ばれる3メートルほどの二叉の樫の棒で、この大松明を移動させる時に使います。正面の建物が鬼堂と呼ばれる建物で、この中に鬼が奉られているそうです。鬼堂の前には舞台が置かれ、この舞台の上で「鉾面神事」と呼ばれる、赤と青の天狗面をつけた演者が相対しつつ魔を祓う儀式が大松明に火が灯された時に行われます。こちらの桟敷は有料で2,000円を神社に払えば、ここに座って鬼夜の祭りが観覧てきます。陽も沈み始める頃に人も集まってきました。鐘楼にはスクリーンが張られ、鬼堂前の舞台の上に設置されたプロジェクターから、祭りが始まるまで、鬼夜について解説された記録映画が上映されています。神社なのに、なぜ鐘楼があるのかというと、明治2年(1869)に廃仏毀釈令がだされるまで、この玉垂宮には大善寺というお寺が神宮寺として併設されていたためです。【つづく】人気ブログランキング鬼夜(その1)
2018年01月10日
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久留米のある筑後地方では歩くことを「さるく」と言います(→→→こちらです)。駅間さるき、色々な発見がありますね。石柱が立っていました。何と読むのでしょうか。なにやら歴史的なものを感じさせますね。水路と水門がありました。飛び出し坊やです。ちょっと広い道に出ました。なにかお店のようです。ひな人形や五月人形を扱うお店でしょうか。ホームが見えました。蒲池駅に到着です。【つづく】人気ブログランキングへ
2018年01月09日
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久留米のある筑後地方では歩くことを「さるく」と言います(→→→こちらです)。駅間さるき、秋の田園地帯を歩いています。踏切です。線路は真っ直ぐ続いています。水門がありました。かなり古い水門のようです。大鉄橋です。これは河川のようです。銀色の柵がまた使われていました。古い神社がありました。離れてみると、なにやら歴史のありそうな雰囲気の社でした。稲刈りをした後から稲孫(ひつじ)(→→→こちらです)が生えています。先ほどの神社を振り返ってみました。いかにも日本の農村という感じを受けました。【つづく】人気ブログランキングへ駅間さるき 西鉄天神大牟田線(八丁牟田~蒲池) (その2) 稲孫
2018年01月08日
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久留米のある筑後地方では歩くことを「さるく」と言います(→→→こちらです)。駅間さるき、今年も頑張ります。八丁牟田駅です。福岡のこのあたり、大牟田市、JR九州の西牟田駅など、牟田という地名がよく使われています。また名字にも、牟田口、中牟田などに使われています。「牟田(ムタ)」というのは、湿地や湿田を意味する古代語といわれていて、ほとんど九州で使われているようです。また有明海の干拓地にも牟田という地名が多くみられます。駅前には西鉄バスの停留所もありました。駅前にある駐車場です。料金は、24時間駐車しても最大500円だそうです。線路沿いのこの道をサルイていきます。しばらく歩くと、また大きな水路がありました。水路が多いですね。線路沿いに真っ直ぐ歩きます。小鉄橋です。トラクターに牽引されている機械に注目。稲藁をロールにしてくれるみたいです。【つづく】人気ブログランキングへ駅間さるき 西鉄天神大牟田線(八丁牟田~蒲池) (その1) 「牟田」の意味
2018年01月07日
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元日に訪れた東京スカイツリーからの眺望です。スカイツリーの影を撮影してみました。隅田川に架かる白髭橋です。こちらは桜橋。初詣の参拝者で賑わう浅草寺です。こちらは先ほどお詣りをすませた牛嶋神社です。スカイツリーのすぐそばにあるイチジク製薬です。あの浣腸薬はみなさんご存知でしょう。こちらはガラス床、ここから下まで見えますよ。東京スカイツリー、やっぱり一度は訪れてみるべき観光名所だと思いました。【了】人気ブログランキング東京スカイツリーからの眺め(その3)
2018年01月06日
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元日に東京スカイツリーに登ってきたので、その時の写真を紹介しています。こちらは、東京タワーです。雲に隠れてわかりにくいですが、うっすらと富士山が見えました。こちらは、奥秩父の山塊です。こちらは、赤城山ですよ(多分)。こちらは、日光連山の方ですが、よくわかりませんでした。そして、こちらは筑波山。【つづく】人気ブログランキング東京スカイツリーからの眺め(その2)
2018年01月05日
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今年の元日、東京は快晴でしたので、東京スカイツリーに登ってみました。スカイツリーに登る前には、手荷物検査があります。危険物を持ち込もうとする輩が多いのでしょうかね。エレベーターホールの天井は組木細工の模様です。エレベーター内の天井にも和風を感じさせる装飾が施されていました。天望階(展望とは言わず、あえて天望というそうです)には、新年だったのでお正月の挨拶が掲げられていました。両国の方を撮影してみました。ガラス越しなのでコンデジのピントは甘いみたいですね。ズームして、白い建物が「江戸東京博物館」です。そして緑の屋根は「両国国技館」です。こちらは、東京ゲートブリッヂです。【つづく】人気ブログランキング東京スカイツリーからの眺め(その1)
2018年01月04日
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お正月といえば、欠かせない行事が初詣です。今年は、天気もよかったので、東京スカイツリーに行くついでに牛嶋神社(→→→こちらです)へ初詣に行きました。近くにある浅草寺なんかに比べると、地元の氏神様という感じの小さい神社と思っていましたが、信仰の厚い善男善女のみなさんが参拝にみえられていました。さて、牛嶋神社といえばこの鳥居、大きな鳥居の両脇に、小さな鳥居が付いている「三輪鳥居」(→→→こちらです)が珍しいですね。そして、この牛嶋神社、墨田区側の隅田公園内にあります。公園内には、ユリカモメがたくさんいました。業平橋の由来ともなった在原業平がモデルともいわれる、日本の古典「伊勢物語」の「九段 東下り」に「都鳥」として紹介されているユリカモメがこの辺りにいるのも当たり前ですね。伊勢物語東下りの一節です。なほゆきゆきて、武蔵の国と下つ総の国との中に、いと大きなる河あり。それをすみだ河といふ。その河のほとりにむれゐて、思ひやればかぎりなく遠くも来にけるかなと、わびあへるに、渡守、「はや舟に乗れ。日も暮れぬ。」といふに、乗りて渡らむとするに、皆人ものわびしくて、京に、思ふ人なきにしもあらず。さるをりしも、白き鳥の嘴と脚と赤き、しぎの大きさなる、水の上に遊びつつ魚を食ふ。京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず。渡しもりに問ひければ、「これなむ都鳥。」と言ふを聞きて、『名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと』とよめりければ、舟こぞりて泣きにけり。そして、いつもの鳥越神社にも初詣。こちらは1月2日にお参りにいったので、あまり人はいませんでした。境内にある柿の木の実をついばむムクドリがいました。人気ブログランキング初詣
2018年01月03日
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昔から、初夢は「一富士二鷹三茄子」の順に縁起が良いというそうなのですが、毎年、初夢をみたかどえかさえ記憶のないMoMo太郎としては、せめてブログの中でも富士山の初夢をみたことにしておきます。これは福岡から東京へ帰る途中に飛行機から撮影した富士山です。「一富士二鷹三茄子」とは、江戸時代からのことわざで、将軍徳川家康に縁の深い駿河の国(静岡県)の名物を、日本最高峰の富士山、富士に棲む名鳥の鷹、他国よりも早く産出するがも初茄子を並べたとされる説が有力だそうです。或いは、「富士」が「不死」に通じるので不老長寿を意味し、鷹は「高、貴」と通じるので出世を意味し、茄子は実がよくなるので子孫繁栄を意味するという説もあるそうです。 ちなみに、初夢は元旦の夜あるいは二日の夜に見る夢で、昔は節分の夜から立春の朝にかけてみる夢の事をいったそうですね。人気ブログランキング初夢はみましたか?
2018年01月02日
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あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。人気ブログランキング新年おめでとうございます
2018年01月01日
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