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多摩川の流れです。羽村と言えば、玉川上水(→→→こちら)の取水口である羽村取水堰があります。これが、取水堰です。この玉川水神社は、玉川上水及び羽村取水堰の工事に当たった玉川庄右衛門・清右衛門兄弟が水神を祀って創建した神社です。説明板には、次のように書かれていました。玉川水神社は、玉川上水築造に尽力した玉川庄右衛門・玉川清右衛門が承応年間(1652-1654)に創建、幕府が管理していといいます。大正10年水道拡張工事に際して取入口西側から現在の水道庁舎西側に移転したといいます。(春の羽村散歩のコース)【つづく】人気ブログランキング春の羽村散歩(その8) 玉川水神社
2024年05月31日
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羽村の町を訪れたのは4月7日。その頃は「はむら花都水のまつり」というイベントが開催されていて、チューリップ畑と多摩川沿いの堤防のさくら並木がメイン会場で、その近くにはこのよように模擬店が出店されていました。こちらが堤防沿いに桜が植樹された、この桜づつみ公園は「さくらまつり会場」となっていました。開花後のソメイヨシノの花弁の色は白に近く淡紅色です。ところが、散る間際になると、花弁や雄しべ、雌しべの基部(花の中心部)が赤くなってきます。「さくらつづみ植樹記念碑」がありました。この場所は多摩川の下流に見えたのは、江戸時代に町民の飲料水を確保するために築かれた羽村取水堰です。そして多摩川にたたずむカワウたちも、桜づつみ公園に咲く桜を眺めているんでしょうか?羽村市福島県人会から寄贈されたしだれ桜「三春の滝桜」も植樹されています。こちらが「三春の滝桜」だそうです。何十年、何百年先かわかりませんが、大切に育てて本家を越える桜の銘木になって欲しいですね。(春の羽村散歩のコース)【つづく】人気ブログランキング春の羽村散歩(その7) はむら花と水のまつり2024
2024年05月30日
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多摩川の堤防に着きました。堤防のそばには大きな杉の木が二本立っていました。羽村市教育委員会が設置した説明板がありました。大正土手 ・一本杉 多摩川べりのこの一帯は、根搦前 といい、羽村市唯一の水田地帯です。 明治末期、二回にわたる洪水で田畑が水没したことから、東京市(当時)が、大正2年(# 1913)に本格的な護岸工事に着手、同12年に一本杉前護岸工事 を完成させ、この地域の水防態勢が整備されました。 大正時代につくられたということで、「大正土手」と呼ばれていますが、平成6年(1994)に新たに改修工事が行われ、桜並木が一新されました。またこの土手は、市民の散歩コースとしても親しまれています。 大正時代の工事以前から土手上に孤立していた大杉には「一本杉」の名があり、対岸の丸山から狐火が飛んだなどの言い伝えが残されています。平成7年3月羽村市教育委員会と記されています。一本杉といいながら二本あるのはちょっと不思議”ですね。この説明板の横に建てられていた石碑です。文字がはっきりと詠めませんでしたが、おそらく大正土手が東京市によって建設されたことを伝える内容が記されているようでした。また大きな切株があり、その横に一本杉に関する説明板も羽村市により設置されていました。この説明板には、初代一本杉大正時代の護岸工事以前から、土手上のこの場所に一本だけ独立していた大杉で、「一本杉」という名があり、対岸の丸山から狐火が飛んだなどの言い伝えが残されるなど、古くから地域のシンボル的な存在として親しまれてきました。一本杉は、これまでの度重なる落雷などが原因で、樹齢170年(推定)の生涯を平成25年9月19日に終えました。樹高は約25メートル、幹回り3.05メートルあり、樹木(幹)の一部は郷土博物館で保存されております。※写真は、昭和60年頃の一本杉を写したものです。羽村市と記されていました。、(春の羽村散歩のコース)【つづく】人気ブログランキング春の羽村散歩(その6) 多摩川の大正土手と一本杉
2024年05月29日
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羽村市は多摩川の河岸段丘の上に広がっている町のようで、多摩川に降りていくための坂道が、この坂道には「雨乞街道」という名称がありました。説明板には、真夏の日でりが続くと田ノ上地区の人たちは裸で、この街道を通り、丸山下にある渕へ行き、木製の龍頭をしずめて、雨ごいをしたといわれています。水の乏しい台地の上にある地区では、干ばつの被害を受けやすく雨乞いは大切な行事だったんでしょうね。この坂道の下には、水田が広がっていました。羽村市内唯一の水田地帯である根がらみ水田ですが、休耕期間を利用して、このようにチューリップが栽培されていて、人々の目を楽しませてくれています。野生のチューリップは、十字軍によってもたらされたとされ、その後、トルコで品種改良が重ねられて園芸種が、十六世紀にオランダ商人によって紹介されるようになったそうです。チューリップの名前の由来は、通訳が「形がチュリバンに似ている花」と説明したことから、その後チューリップになったとされています。ちなみに、チュリバンとはペルシア語でターバンを意味するそうです。チューリップ畑を見下ろせる展望台も設置されていましたが、営業時間は午前10時から午後5時までだそうで、訪れた時は営業開始前の時間でした。東京都内でも、東京都足立区鹿浜にある都市農業公園や立川市にある国営昭和記念公園でもチューリップが楽しめるそうですが、ここ羽村市のチューリップ畑は、関東最大級の約35万球ものチューリップが咲き誇るそうです。こちらのチューリップはこれから咲くようですね。ミニチュア水車の展示も行われているようでした。できれば水車を回して発電でもしていると、再生可能エネルギーと地球温暖化対策について子供たちに教えることができたんでしょうけどね。(春の羽村散歩のコース)【つづく】人気ブログランキング春の羽村散歩(その5) チューリップ畑
2024年05月28日
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そして、「玉川神社」(→→→こちら)に到着しました。寿永年間(1182年-1185年)に領主の畠山重忠一族が信濃国一宮の諏訪大社より分霊を勧請したことが起源と伝えられている神社です。その経緯より「おすわさま」と呼ばれて紹運来福の神様として、地域住民の崇敬を集めているそうです。この神社の春祭りを八雲祭、または天王祭といって、従来七月の暑い盛りに行われていたものが、 最近では四月第二日曜日に行われているそうで、MoMo太郎が訪れた4月7日(日)は、次の4月17日のお祭りに向けて、氏子の皆さんが準備に忙しくしているところでした。お祭りでは、神輿渡御と山車巡行が行われているそうで、山車も洗車してお祭り準備をしていました。ちなみに羽村市では、毎年4月の第二土曜日と第二日曜日に「羽村春祭り(八雲神社春季例大祭)」が開催されていて、市内6社(五ノ神社:ごのかみしゃ/玉川神社/阿蘇神社/神明神社/松本神社)の神社の山車や神輿が市内を練り歩き、また、八雲神社の神輿が勇ましく川を渡るところが見ものだとか。また、「西多摩小学校発足の地」という説明板もありました。明治10年(1877年)春、境内に羽村で最初の小学校ここ玉川神社の境内に校舎を新築し「羽村学舎」と称したそうで、明治22年(1889) 羽村・五ノ神村・川崎村が合併して西多摩村となり「西多摩尋常高等小学校」と 称し, その12年後に 現 羽村一中の所在地に校舎を新築, 移転。したそうです。昭和6年(1931)「西多摩国民学校」, 昭和22年(1947)「西多摩小学校」と校名を変更。昭和31年(1956)町制施行により羽村町が誕生。(1991年に 羽村市) 「羽村小学校」と校名変更。翌年 現在地(羽加美4-2)に移転し, 「羽村西小学校」となる。あったのは、この説明板だけで、石碑などは見つけられませんでした。このような住宅街の中を通って、多摩川の方に向かいます。この道は、水上公園通りという洒落た名前がついていました。(春の羽村散歩のコース)【つづく】人気ブログランキング春の羽村散歩(その4) 玉川神社
2024年05月27日
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新奥多摩街道の交差点にあった銅像です。「なかよし」という名称がついていました。しかし、年齢が4~5歳の子供がモデルとすれば、この様子、ちょっとマセ過ぎていませんか。道沿いに護国神社がありました。郷土の出身者で戦役で亡くなった人々の英霊を祀る護国神社、各地にありますね。境内にあった石碑です。こちらは「平和之礎」と刻まれた石碑で護国神社にふさわしく、西南戦争、日清戦争・日露戦争、そして太平洋戦争の戦没者を慰霊顕彰したものでした。こちらの「戦役記念碑」も日清戦争・日露戦争に従軍された兵士の顕彰のようですね。「希典書」とあったので、乃木希典将軍が揮毫したのでしょうか。こちらの石碑は「下田君伊左衛門之碑」とありました。碑文を正確には理解できませんでしたが、戦争で活躍した人ではなく、郷土の発展に尽くされた下田伊左衛門という方の顕彰碑のようです。さらに肖像画のレリーフが着いたこの石碑は「井上新吉君碑」とありました。この方もこの地域の発展に尽力された方なんでしょうね。また、道路沿いに立つこの銅像を目印に新奥多摩街道の方に向かいました。(春の羽村散歩のコース)【つづく】人気ブログランキング春の羽村散歩(その3) 護国神社
2024年05月26日
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ちょっと歴史がありそうなアパートを発見。屋根の上にあるこの飾り、避雷針?でもリンゴの形とは、設計した人の意図が気になりますね。住宅街の中にあるこの公園。介山公園とありました。この公園は小説「大菩薩峠」の作者・中里介山(→→→こちら)が建設した「大菩薩峠記念館」の跡地に造られた公園だそうです。このような石碑も建立されていました。石碑の横にあった碑文です。中里介山はこの羽村市の出身だったそうですね。MoMo太郎も「大菩薩峠」読みました。主人公は机竜之助という剣士だっんですが、話が進むうちに、いつのまにか新選組やら幕府の旗本とか、その他の人物が出てきて、なんだかよくわからなくて、最後は蒸気船を建造して南の島へ行くようになっていて、結局、作者の中里介山が亡くなったので未完のまま終わったような・・・だったと思います。文庫本にして20巻くらいの大長編小説でした。(春の羽村散歩のコース)【つづく】人気ブログランキング春の羽村散歩(その2) 中里介山の出身地でした
2024年05月25日
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2024年4月7日(日)新宿発の特別快速ホリデー快速おくたま3号に乗って、JR青梅線の羽村駅までやって来ました。こちらは羽村駅の西口です。JR東日本が開催する「駅からハイキング」のイベントに参加するため、初めて、羽村市を訪れました。その西口から少し西に向かって歩き、羽村市観光案内所で、駅からハイキング「春爛漫のはむら~関東最大級のチューリップ畑を訪ねて~」のコース地図ももらつて出発です。今では住宅街の中の狭い道ですが、実は歴史的な道で、鎌倉街道(→→→こちら)という道だったそうです。鎌倉街道は、鎌倉と各地とを結ぶ道路の総称。特に鎌倉時代に鎌倉政庁が置かれた鎌倉と各地とを結んでいた古道を指すそうで、多摩地区の鎌倉街道は青梅市新町から羽村駅西側を通り、羽村東小学校を経て遠江坂を下り。多摩川を渡っていたと考えられています。こちらの道は旧青梅街道になるそうです。新宿から青梅に向かう、青梅街道は、瑞穂町から青梅市に入り、羽村市は通っていません。しかし、かっては福生から、羽村小作台に向かう、青梅街道があったんですね。旧青梅街道と旧鎌倉街道の交差点にあった石碑と説明板です。石碑に刻まれた文字は、薄くなってよく読めませんでしたが、この説明板によると青梅街道の井戸明治18(1885)年島田善助翁の努力によって彫られた井戸がありました。そのころは、青梅街道や新田街道の辻󠄀で付近は畑ばかりでした。道を行き来する人々や畑で働く人たちの飲み水のために、この井戸は大変役立っていたのです。明治27(1953)年、青梅鉄道が開通し、近くの羽村駅7付近にも人家が建ち始めました。井戸は西多摩村(現羽村市)に寄付され、この付近の発展に大きな貢献をしたことから昭和28(1953)年、善助翁の不滅の善行を永く記念する碑が建てられました。平成31年3月 羽村市教育委員会とありました。ということはつい最近まで、この井戸と石碑は余り人に顧みられることもなかったんですかね。(春の羽村散歩のコース)【つづく】人気ブログランキング春の羽村散歩(その1) 鎌倉街道を歩く
2024年05月24日
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休日の朝、なんとなく朝ご飯を作るのも面倒に思うと、吉野家に行って朝食を食べることがあります。ということで、この日は吉野家の焼魚定食(530円税込み)を食べました。焼き魚とありますが、確かに皮に焦げ目はあるが、焼いているというより、レンジで加熱して出しているみたいですね。それと魚は鮭なのか、それとも鱒なのかよくわかりません。でも「魚」であることは間違いないですね。しかし、まあまあ美味しいので食べて損はしないです。人気ブログランキングへ孤独のグルメ 吉野家の朝定食
2024年05月23日
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聖徳記念絵画館前庭の西側にある石碑と松の木です。石碑には「御鷹の松」(→→→こちら)と記されていました。近くに説明板がありました。江戸幕府三代将軍徳川家光が鷹狩りの途中、後に国立競技場の敷地となった境妙寺で休息していたところ、江戸城より愛鷹「遊女」が飛来し、境内前庭の松に止まったとそうです。家光はこれを大いに喜び、この松を「遊女の松」と名付けたそうですが、後世の人たちは、「御鷹の松」、また地名から「霞の松」と称するようになったそうです。そして、2021年の東京オリンピック・パラリンピックのメイン会場となった国立競技場です。国立競技場の外周エリアに設置されたこの変なオブジェを、みなさん覚えていますか?東京五輪・パラリンピックの開閉会式で使われた聖火台です。そう言えば、聖火台はもう一基ありましたね。これは開閉会式で使われた聖火台ですが、もう一基、競技期間中、東京臨海部夢の大橋有明側に設置された聖火台。そちらは江東区有明にあるシンボルプロムナード公園(石と光の広場横)に再設置されているそうです。駅からハイキング「忠犬ハチ公生誕100年!渋谷~原宿・明治神宮までハチ公に思いを馳せるお散歩コース」では、この後、鳩森八幡神社、北参道、明治神宮を経て原宿駅まで歩くのですが、珍しく同行していた配偶者の方が「飽きた」というので、こちらの最寄りの信濃町駅から帰ることにしました。(渋谷からお散歩のコース)【了】人気ブログランキング渋谷からお散歩(その14) 御鷹の松と聖火台
2024年05月22日
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明治神宮外苑のイチョウ並木を歩いて行くとドームが特徴的な荘厳な建物が見えてきます。聖徳7記念絵画館(→→→こちら)です。明治天皇のご生涯に起きた出来事を題材にした絵画が展示されています。聖徳記念絵画館の前に飾られている一角獣(ユニコーン)です。一角獣は王族を象徴する紋章として王冠などに使われていたそうです。現在のイギリス王家の大紋章には、ユニコーン(一角獣)とレパード(獅子)が描かれています。そういうことを踏まえて、ここにも一角獣がおかれているのでしょうか。この建物は、平成23年(2011年)、「直線的意匠と先駆的技術を採用した、わが国初期の美術館建築」と評価され、明治神宮宝物館と共に国の重要文化財に指定されたそうです。維持管理は宗教法人明治神宮の予算で賄われており、他からの援助は一切受けていませんが、入場するためには施設維持協力金500円が必要です。(渋谷からお散歩のコース)【つづく】人気ブログランキング渋谷からお散歩(その13) 聖徳記念絵画館
2024年05月21日
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青山墓地から北上して青山通りにやって来ました。流行の最先端をいく、オシャレな青山通りですね。今流行りの電気自動車(EV)のための充電スタンドがありました。最初の40分間は無料ですが、それ以降は20分につき1000円と書いてありました。ちなみにEV車に充電できる電力量は、「電力(電圧×電流)×時間」で決まります。たとえば、200Vの電圧で15Aの電流を流せる充電設備の場合、充電の電力は「3kW」、1時間で「3kWh」を充電することができます。この場合、松たか子さんがCMに出ていた日産の「サクラ」の場合はバッテリー容量が20kWhなので、少なくとも6時間は必要ということになりますから、この値段はちょっとお高いかなと思いましたが、この「スリーポインテッド・スター」のエンブレムの車に乗っている人ならそうたでもないかもと思いました。しかし、この充電スタンドは「EV Quick」とあるので、定格出力が約50kWの急速充電施設なのでしょうから、その場合は、急速充電で一気に電力を供給することでバッテリーは熱を持ちやすくなって劣化しやすくなります。そこで利用時間は最長で30分と定められているそうなので、無料の時間内だけ充電すると、料金は実質発生しないことになると思います。ようやく明治神宮外苑にやってきました。明治神宮外苑といえば、やっぱりこのイチョウ並木ですね。(渋谷からお散歩のコース)【つづく】人気ブログランキング渋谷からお散歩(その12) 青山通り
2024年05月20日
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5月18日は「国際博物館の日(→→→こちら)」(International Museum Day: IMD)ということで、博物館が社会に果たす役割を広く知っていただき、博物館に親しんでもらうための活動の取り組みとして、無料で公開している博物館がいくつかありました。その中で、豊島区目白にあるこの「切手の博物館(→→→こちら)」に行ってきました。入口にある館名板です。小鳥は多分、メジロがモチーフなのでは?切手を扱う博物館ですから、入口にあったのは、漫画家の楳図かずおさんのトレードカラーである赤と白のボーダーにまことちゃんの手のポーズ、投函口の下にはまことちゃんの目(と思われます)というデザインのポストがありました。中の展示物の撮影はできなかったのですが、展示室は小さくて、色々なテーマに沿った切手が展示されているだけです。それでも学芸員さんがいる博物館法(→→→こちら)で登録された博物館です。そのほかは、外国の切手などを売っているミュージアムショップ、切手に関する書籍を閲覧できる図書室(開架図書は閲覧無料ですが、閉架図書は1日1,000円の利用料金がかかります)。それから3階のスペースでは切手や絵ハガキなどのフリーマーケットが開催されていました。はっきり言って、普段の入場料200円を払って見に来るのはかなりの切手愛好家なんでしょうね。ちなみに毎月23日(ふみの日)は無料です。人気ブログランキング切手の博物館
2024年05月19日
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昨日、5月17日は暑かったですね。東京は3日連続夏日 になったそうです。ということで、お昼に、今年初めての冷やし中華を頂きました。日高屋の黒酢しょうゆ冷やし麺です。スタミナもつけておかねばと思い、セットで餃子も頼みました。これだけ食べて、黒酢しょうゆ冷やし麺と餃子のセットで890円(税込み)でした。これからは冷やし中華が食べたくなる季節ですね。ところで、MoMo太郎が学生時代、関西で過ごしていた頃、冷やし中華とは呼ばすに冷麺と呼んでいたような記憶が・・・。それとも岩手県で働いていた時に食べていた冷麺と記憶がゴッチャになっているのかな。人気ブログランキングへ孤独のグルメ 今年の初の冷やし中華
2024年05月18日
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青山墓地にやって来ました。今回参加している駅からハイキングのタイトルが「忠犬ハチ公生誕100年!渋谷~原宿・明治神宮までハチ公に思いをはせるお散歩コース」です。青山墓地がコースに入っているのは、やっぱり、ここにハチ公に関係したものがあるからです。ということで、この東三通りに入っていくと、この道を奥へ奥へと歩いていくと、忠犬ハチ公の碑(→→→こちら)がありました。その隣にあるのは、もちろんハチ公の飼い主だった、上野英三郎博士(→→→こちら)のお墓です。実は、上野博士とその妻だった八重子さんと上野博士は、家族の反対もある中で結ばれたこともあり、入籍できなかったため、一緒のお墓に入ることはできなかったそうです。しかし、2016年に関係者の努力が実り。合祀されることになったそうです。その結果、上野博士と八重子さん、そしてハチ公の家族が揃って同じ場所に眠ることができたそうです(→→→こちら)。(渋谷からお散歩のコース)【つづく】人気ブログランキング渋谷からお散歩(その11) 忠犬ハチ公の碑
2024年05月17日
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白根記念渋谷区郷土博物館・文学館の近くにあるこの立派な門のお屋敷は、常盤松御用邸(→→→こちら)で、今は常陸宮家のお住まいとして使用されています。六本木通りと首都高速3号渋谷線を渡ります。そしてこの通りも渡ります。この通りの名前は、高樹町通り、骨董通り(→→→こちら)という別名もあります。おそらく「高樹町通り」というのが古くからある名称でしたが、沿道に骨董品店が多かったことから、1980年代頃から「骨董通り」が自然発生的に使われるようになったと思われます。もしくは古美術鑑定家・中島誠之助が使い出したものが広まったという説もあるそうです。そして、ドアの前で写真を撮っているおじさんがいるこのお店は、ジャズの生演奏が楽しめる「ブルーノート東京」(→→→こちら)です。こちらの建物は、根津美術館(→→→こちら)です。根津美術館の前をさらに乃木坂方面へ歩いてゆけば、谷を越える橋になっていました。橋の上から見えたのは、六本木ヒルズ森タワー(→→→こちら)ですね。橋は外苑西通りの上を越えています。(渋谷からお散歩のコース)【つづく】人気ブログランキング渋谷からお散歩(その10) 南青山です
2024年05月16日
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さて、この白根記念渋谷区郷土博物館・文学館(→→→こちら)の中に入ってみました。入口で係のお姉さんから「60歳以上ですか? 60歳以上なら無料になります」と言われたので、MoMo太郎は持っていた運転免許証を見せて、無料で入場することができました。しかし、同行の配偶者様は、実はオーバー還暦にもかかわらず「いえ、違います」と言って入場料100円を払って入場されていました。中の展示物、撮影してもいいものがあって、これは1964年の東京オリンピックの時の聖火ランナーが持っていたトーチだそうです。台の下に写真撮影可のマークがありますよ。こちらは1924年(大正13年)から1933年(昭和8年)の間にかけて建設された同潤会アパート(→→→こちら)で代官山に建てられたアパートの中を再現したものだそうです。こちらは縄文式土器の製作を体験できるコーナーです。MoMo太郎が作ってみた縄文式土器の模様です。ひも状の縄を粘土の上で押しつけながら転がすと縄目の模様がつきました。その他、渋谷にゆかりのある文学者に関する展示もあり、60歳以上無料の白根記念渋谷区郷土博物館・文学館、また行って色々勉強したい施設でした。(渋谷からお散歩のコース)【つづく】人気ブログランキング渋谷からお散歩(その9) 白根記念渋谷区郷土博物館・文学館(60歳以上無料でした)
2024年05月15日
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こちらが、白根記念渋谷区郷土博物館・文学館になりますが、その前に建物の回りの敷地にも珍しいものがあったので紹介します。まず、こちらの樹木です。幹の樹皮が白いのがちょっと変わっています。白松(はくしょう)という樹木で、松の仲間として分類された中国原産の植物で「しろまつ」とも呼ばれているそうです。この松は、大正の末ごろ、中国北京から持ち帰ったもので、内田治氏のご好意により昭和53年(1978)1月、区に寄贈されまということです。また、板碑というのも置かれているのですが、博物館に保管している三基の板碑と説明文にありましたが、MoMo太郎が確認できたのは、この一基だけです。残りの板碑は博物館の建物の中にあるのでしょうか。いずれにしても渋谷区内で発掘されたものだそうです。また建物の脇の植え込みの陰に置かれている石像群。説明板によると、五輪塔、傘屋の碑、聖観音、そして阿弥陀一尊図像板碑とありますが、ここに見えるのは、五輪塔、傘屋の碑、聖観音です。右が五輪塔です。五輪塔は、中世以降につくられた墓で、これはもと神宮前1丁目(旧竹下町)にあったものだそうです。左にあるのが、傘屋の碑です。もと千駄ヶ谷にあったといわれ、江戸時代に土地の傘問屋の仲間がつくったものと思われます。金王八幡宮から寄贈されました。こちらの2体の聖観音は、もと恵比寿橋から明治通りにでる左角にあったもので、言い伝えによるとある大名の奥方がこのあたりで急死し、その供養のために建てられたものといわれています。戦後、しばらく、ごみの中に埋まっていたのを、齋茂一氏が保管され、齋巌氏から区に寄贈されたそうです。また、博物館の正面左側の一角にも3基の石碑があります。両端のものが庚申塔です。右端の庚申塔は根元が折れて上部は後ろの植え込みに立てかけられています。真ん中の板碑は、阿弥陀一尊図像板碑になります。庚申塔(→→→こちら)は江戸時代に盛んであった民間信仰の庚申講に関連するもので、60日ごとに集まって念仏を唱えて、徹夜する集まりの庚申講を3年18回続けた記念に建立されることが多いものです。左側の角柱型の庚申塔は、かつて桜丘町29番にお住まいだった個人の方から寄贈いただいたそうで、右側のものはかって道玄坂1丁目(旧大和町)にあったものです。玉川通りが建設される際、処分されそうになったものを五島慶太氏(→→→こちら)が引き取り保管していたものを、息子の五島昇氏(→→→こちら)によって渋谷区に寄贈されたものです。また下の説明板にある「松崎慊堂(まつざきこうどう)宅地跡」とあるのは、この白根記念渋谷区郷土博物館・文学館は昭和50年(1975年)に渋谷区議会議員の故白根全忠より寄贈された宅地、邸宅をもとに整備されたものですが、その前は江戸後期の有名な儒学者であった松崎慊堂(→→→こちら)の宅地だった場所だったということです。(渋谷からお散歩のコース)【つづく】人気ブログランキング渋谷からお散歩(その8) 白根記念渋谷区郷土博物館・文学館にある石像
2024年05月14日
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國學院大學から次の目的地である白根記念渋谷区郷土博物館・文学館(→→→こちら)に向かって歩いて行くと、丁度、その博物館の前に目立たない石碑がありました。渋谷区教育委員会の設置した説明板を要約すると、「もとこのあたりにあった皇室の御料乳牛場の構内に常盤松と呼ばれた樹齢約400年、枝ぶりのみごとな松がありました。この松は、源義朝の側室・常磐御前が植えたという説と、世田谷城主・吉良頼康の側室・常盤が植えたという説の二説があるのですが「常盤松」(→→→こちら)と呼ばれていたそうです。御料地になる以前に、その土地が島津家の持地だったことがあり、そのときに島津藩士によって石碑が建てられたということです」こちらがそのその石碑になります。碑文は、古代文字の1つ、篆書(てんしょ)で書いてあるようで、國學院大學の先生に頼んで解読してもらわないといけないです。インターネットで検索すると、これを解読したサイトがありました(→→→こちら)ので、知りたい方は、そちらを見て下さい。(渋谷からお散歩のコース)【つづく】人気ブログランキング渋谷からお散歩(その7) 常磐松の碑
2024年05月13日
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金王八幡宮の大鳥居前のT字路の少し上の右手に入る道で、この八幡通りから常磐松小学校正門へ通じる道をむかし「桜横町」と呼んばれていたサクラの並木道だったそうです。その道端にこんな石碑が道端にありました。「さくら横ちょう歌碑」作者の加藤周一(→→→こちら)は、当時の東京市渋谷区金王町出身の文筆家で、この通りの先にある常磐松小学校の卒業生だそうです。福永武彦、中村真一郎と親しく、共著である「一九四六 文学的考察」が文壇デビューのきっかけとなった方です。「さくら横ちょう」は、加藤周一が創作した新定型詩のひとつで、彼が実際に暮らしていたこの界隈を詠んだもの。のちに中田喜直と別宮貞雄が曲を付けたことで有名となったそうです。今ではサクラの並木道の面影はありませんが、その道を。遠くにそびえるあの高層ビルに向かって歩きます。「國學院大學(→→→こちら)」の渋谷キャンパスになるそうです。ちなみに敢えて旧字体で表記するのが、大学の方針みたいですね。國學院大學については良く存じ上げないのですが、神社本庁の神職の資格が取れる神職課程がある大学で、また有名なスポーツ選手なども出身者にいるということだけは知っています。こちらの建物は、学術メディアセンターという建物で中に國學院大學博物館があります。入館料は無料で、大学の収集した考古学や神道に関する資料を観覧できるようです。時間があるときにじっくり訪れたいところです。道路を挟んだ反対側にもキャンパスがあり、歴史ある大学らしい雰囲気が漂います。学術メディアセンターの横には胸像と石碑が建てられていました。きっと、偉い先生の物だと思い撮影しました。説明板によると、瀧川政次郎(→→→こちら)博士という方の胸像と顕彰碑のようです。この方は、日本法制史の大家で、研究領域は中国の法制史や政治史、社会経済史、芸能・風俗史などにおよび、遊女の歴史といった戦前はタブーとされた研究にも積極的に取り組んで、100冊を超える編著書を世に送り出している。法実務にも深くかかわり、東京裁判の特別弁護人を務めらられたそうです。「胸像は生前に親交のあった國松幹平(大次郎)の寄贈である。」と説明板に記されています。こちらは顕彰碑になっています。「建立は後継者小林宏(國學院大學名誉教授)、門下の法制史家金指正三、福岡市の石材店店主国松大次郎・良康父子であり、設計は石像美術研究の大家川勝政太郎である」と説明板に記されています。(渋谷からお散歩のコース)【つづく】人気ブログランキング渋谷からお散歩(その6) 國學院大學
2024年05月12日
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坂道の突き当りに鳥居があり、ここが金王(こんのう)八幡宮(→→→こちら)です。鳥居の横にあったこの金王八幡宮の説明です。寛治6年(1092年)創建されたとされる神社で、源義家が後三年の役(1083年-1087年)で勝利したことを八幡神に感謝してこの地に勧請しました。このあたりの領主であった河崎重家は、禁裏の賊を退治したことにより堀河天皇より渋谷の姓を賜り、当八幡宮を中心に館を構え居城とし、渋谷氏は代々当八幡宮を氏族の鎮守と崇めました。これが渋谷の発祥ともいわれています。八幡宮の表参道に回って参拝することにしました。さて、この八幡宮の名称の「金王」とは重家には子がなく夫婦で当八幡宮に祈願を続けていると、金剛夜叉明王が妻の胎内に宿る霊夢をみて立派な男子を授かりました。そこで、その子に明王の上下二文字を戴き「金王丸」と名付けたそうです。この金王丸は17歳の時、源義朝に従って保元の乱(1156年)で大功を立て、その名を轟かせました。しかし、源義朝は平治の乱(1159年)に敗れ、尾張国野間の長田忠宗に殺されました。金王丸は、京に上り常磐御前にこのことを報じたのち渋谷で剃髪し、土佐坊昌俊と称して義朝の御霊を弔と伝わっています。吾妻鏡では、土佐坊昌俊と名前を変えた金王丸は、源頼朝の挙兵に協力し、その後、源頼朝は源義経に謀反の疑い抱き、土佐坊昌俊(金王丸)に義経討伐を命じました。そこで、昌俊は断ることもできず、文治元年(1185年)10月、百騎ばかりを率いて京都に上り、同月23日夜義経の館に討ち入りました。しかし、昌俊は、はじめから義経を討つ考えはなく、捕らえられて勇将らしい立派な最期を遂げたそうです。そういった金王丸の名声により、当八幡宮を金王八幡宮と称するようになったそうです。この短い石段を登って行くと、こちらの神門は、3代将軍徳川家光の将軍決定の御礼として、乳母の春日局と守役青山忠俊が造営された伝わっています。こちらの社殿も同様に春日局と青山忠俊が造営したもので、江戸時代初期の建築様式を今に伝えています。守役の青山忠俊はこのあたりに下屋敷を持っており(これが今の青山の地名の由来)、この金王八幡宮を氏神として信仰していた。そして、将軍相続を危ぶまれた徳川家光のため熱心に祈願したそうです。しかし、青山忠俊は、しばしば家光に諫言を繰り返したため、老中を免職の上、上総大多喜藩(2万石)に減転封され、さらにはそれも取り上げられて相模今泉で蟄居となった。しかし、息子の青山宗俊は家光から許され浜松藩藩主の大名に復帰したそうです。ところで、こういう神社やお寺に参拝した時、お賽銭を出さない人がいますが、お賽銭は神社やお寺の掃除をしてくれる人へのお礼なので、別にその神様や仏様を信仰していなくても、出した方がいいですね。(MoMo太郎の配偶者のように自称クリスチャンであってもお賽銭は出した方がいいですよ)。扁額も立派な金文字ですね。社殿を飾る彫刻も豪華です。こちらは神楽殿です。八幡宮を出てしばらく南に行くとこちらにも大きな鳥居がありました。(渋谷からお散歩のコース)【つづく】人気ブログランキング渋谷からお散歩(その5) 金王八幡宮
2024年05月11日
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明治通りにやってきました。この歩道橋を渡ります。ここに来たのは3月24日(日)でしたが、明治通り沿いの桜並木はすでに開花していました。歩道橋の上から見る桜並木はきれいでした。この桜はヨウコウ(→→→こちら)だそうです。ヨウコウは、陽光桜とも呼ばれ、アマギヨシノとカンヒザクラを交配して作られた園芸品種で、ソメイヨシノよりも数日から1週間程度早く見頃を迎えるそうです。花は大きく一重で美しいピンク色、枝はソメイヨシノのように横に広がるというよりも、上に伸びるのが特徴です。品種登録されたのが1981年と歴史の浅い品種ですが、病虫害に強いため街路樹に使われることも多くなっているそうです。明治通り渡って、緩やかな坂道を登って、次の目的地、金王(こんのう)八幡宮に向かいます。(渋谷からお散歩のコース)【つづく】人気ブログランキング渋谷からお散歩(その4) 明治通りの桜並木
2024年05月10日
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渋谷駅の新南口から明治通りの方へ向かって歩くと、川沿いに開けた場所がありました。向こうに見えるのは、令和元年(2019年)に完成した47階建ての渋谷スクランブルスクエア(→→→こちら)がよく見えました。そして、ちょっと変わった赤いオブジェが目立つこの道は渋谷リバーストリート(→→→こちら)です。渋谷リバーストリートは、東急東横線渋谷駅〜代官山駅の地下化に伴い、渋谷川沿いの高架が撤去され、「鉄道の記憶」をテーマに整備された遊歩道のことです。こちらの赤いオブジェは、株式会社KISS TOKYOと、一般財団法人渋谷区観光協会、東急株式会社が共同で2020年12月に設置したベンチです。「鉄道の記憶」をテーマにしているということは、この日本の平行線は、かっての東急東横線の線路をイメージしているんでしょうね。黒澤明監督の映画「どですかでん」(→→→こちら)に出てくる六ちゃんなら喜んで、「どですかでん」と言いながら電車の運転手になりきって走るでしょうね。ちなみにこの映画の原作は山本周五郎の「季節のない街」(→→→こちら)です。渋谷リバーストリートというだけのことは、あって遊歩道の横には渋谷川(→→→こちら)が流れています。渋谷川は渋谷駅南方から天現寺橋までの2.4kmを流れる二級河川のことですか、その上流は代々木八幡宮や新宿御苑などから渋谷駅に向かって流れてくるいくつかの支川があり、下流は赤羽橋、芝公園の横を通って東京湾につながります。そんな都市の中の河川で、かっては「どぶ川」のようなものでしたが、現在では下水処理を行って再生水を利用してそこそこのきれいな水が流れる川になっています。、東横線の高架があった頃は、なんとなく薄暗いイメージでしたが、すっきりとして良くなったですね。その渋谷川を渡るこの橋。八幡橋を渡って明治通りに向かいます。【付録】映画「どですかでん」の映像です。黒澤明監督、初のカラー映画でした。(渋谷からお散歩のコース)【つづく】人気ブログランキング渋谷からお散歩(その3) 渋谷リバーストリート
2024年05月09日
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こちらの建物に入っていくのが今回のルートです。入口に誘導係の駅員さんが立っていました。2023年11月に竣工したこの建物は、渋谷駅の南西2.6haに広がる地域を再開発してできた複合施設です。「SHIBUYAタワー」と「SAKURAタワー」と中心にオフィス・商業施設・ホテル・住宅などが立ち並ぶそうです。それらの建物を歩行者通路のネットワークにより結んで、渋谷駅周辺の回遊性が向上しているようです。とは言っても、店舗は順次開業していくらしいです。歩行者用通路から渋谷駅の方を撮影しました。渋谷駅周辺、色んな高層ビルができているみたいです。また、線路を跨ぐ通路がありましたが、これが新南改札になるところですね。ビルの中にあるこの広場は、渋谷の新しいランドマーク「しぶS」がある、桜丘のセンターステージ。「にぎわいSTAGE」というそうです。本物の木ではなく、人工物の林があるのが都会的なのかな?この広場から見えた高層ビルです。本当に渋谷にも高いビルが色々あるんですね。この通りも「Shibuya Sakura Stage」によって整備されたみたいですね。こちらも渋谷駅の新南口の改札口がありました。子の改札口は埼京線専用で、山手線に乗るのにはちょっと不便らしいです。それで南改札ができるとこちらは閉鎖されるそうです。渋谷駅って段々迷路みたいになって。オジサンにはわかりにくいです。この階段を降りて、渋谷駅の東側に出てきました。(渋谷からお散歩のコース)註)駅からハイキングのコースは国立競技場から、鳩森八幡神社を、明治神宮を経由して原宿駅に出る物でしたが、筆者は都合により途中で信濃町駅から帰りました。【つづく】人気ブログランキング渋谷からお散歩(その2) Shibuya Sakura Stage
2024年05月08日
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ゴールデンウィークの最終日に上野アメ横に遊び行くと、こんな垂れ幕がありました。ABAB UENO(アブアブ上野)店が78年間の歴史(→→→こちら)を閉じるんですね。アブアブというと、MoMo太郎の印象では、高崎線、宇都宮線、常磐線、そして京成線沿線の中高生が、原宿や渋谷にはちょっと敷居が高く行きづらいが、上野アメ横ならという感じで、衣料品を買いに来るところというイメージでしたが、今はそういう郊外の町にもイオンなどのショッピングモールが充実し、わざわざ上野まで出てきて買い物しなくてもよくなったということですかね。人気ブログランキングさようならABAB
2024年05月07日
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2024年3月24日、JR東日本が主催する駅からハイキング「忠犬ハチ公生誕100年!渋谷~原宿・明治神宮までハチ公に思いをはせるお散歩コース」に参加するため山手線渋谷駅にやってきました。この駅名標をよく見ると、ベニヤ板で作られていて、ひょっとして仮設の駅名標。駅の構内も単管パイプで柵をつくってあったり、まだ渋谷駅は工事中みたいですね。さて渋谷といえば、ハチ公像(→→→こちら)ですね。MoMo太郎も携帯電話がない時代には、ハチ公の前で友達と待ち合わせしたものです。ちなみに、このハチ公が渋谷駅で待っていた飼い主は東京帝国大学農学部教授の上野英三郎博士(→→→こちら)です。この先生は日本の農業土木、農業工学の創始者であるということで、農業農村工学会のホームページでも上野英三郎博士とハチ公のことが紹介されています(→→→こちら)。こちらは渋谷駅西口にある「モヤイ像」(→→→こちら)。こちらも待ち合わせ場所としてよく利用していました。ちなみにチリ領イースター島にあるのは「モアイ」(→→→こちら)ですので間違わないようにしないと、言い間違えると待ち合わせ相手はイースター島で待つことになりますから。こちらが駅からハイキングの受付です。ここでコースマップをもらって出発です。かなり多くの人がこのイベントに参加しているようで、途中、ここでもらった地図を見ながら南青山を歩いていると、通りがかりの年配のご婦人から、「沢山の人がその地図を持って歩いているけど、何があったの」と尋ねられました。「駅からハイキングというイベントで、みなさん歩いているんですよ」と答えておきました。国道246号を渡る歩道橋を渡って、駅の南西側にある桜丘町の方へ進みます。渋谷駅西口のバス乗り場だったところも何か工事中のようですね。渋谷駅周辺の再開発はまだまだ続きそうですね。(渋谷からお散歩のコース)註)駅からハイキングのコースは国立競技場から、鳩森八幡神社を、明治神宮を経由して原宿駅に出る物でしたが、筆者は都合により途中で信濃町駅から帰りました。【つづく】人気ブログランキング渋谷からお散歩(その1) 渋谷駅は未完成かな
2024年05月06日
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ゴールデンウィークの陽気に誘われて、栃木県栃木市にある太平山神社(おおひらさんじんじゃ)(→→→こちら)に参拝してきました。大平山神社の駐車場から見えた関東平野です。関東平野の北縁にある太平山は、標高341メートルの低山でありながら、多分、山頂まで登れば、関東平野が一望できる山です。太平山神社は、平安時代、天長4年(827)、慈覚大師(円仁)により創建されたといわれ、武門をはじめ多くの人から信仰を集め、特に徳川将軍家の信仰が極めてあつかった神社です。瓊瓊杵命・天照皇大御神・豊受姫大神を祀っているそうですが、聖徳太子も祀られているんですね。社殿、拝殿も多く立ち並んでいて、沢山の神様が祀られているんでしょうね。こちらが、本殿です。本殿の前にある石を撫でてから皆さん参拝されるようです。この撫で石を撫でることにより災厄を祓い、霊験を得るという信仰があるそうです。霞んでいてわかりにくいですが、本殿の前から正面に、筑波山が望めました。人気ブログランキング北関東の旅、栃木県栃木市太平山神社
2024年05月05日
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「ハウンド・ドッグ(Hound Dog)」は、エルビス・プレスリー(Elvis Presley)が、1956年に「冷たくしないで (Don't Be Cruel)」のB面として発表した曲です。A面、B面ともにヒット曲となり。「ハウンド・ドッグ」は1956年8月18日に、ビルボードのポップ・チャートの1位を獲得。以後11週連続でその座に留まり、この年の年間ランキングで第1位となりました。しかし、この曲のオリジナルは、1953年にビッグ・ママ・ソーントン(Big Mama Thornton)が発表した曲で、ビルボードのR&Bチャートで7週連続1位となり、200万枚近くを売り上げた。ソーントンの最大のヒット曲だったそうです。ちなみに、「ハウンド・ドッグ」とは猟犬のことではなく、当時の黒人のスラングで安っぽいヒモ男の意味であり、ソーントンの歌詞では、You ain't nothing but a hound dogBeen snoopin' 'round my doorYou can wag your tailBut I ain't gon' feed you no moreあんたはただのヒモ男(ハウンド・ドッグ)よドアのあたりを嗅ぎまわっているばかりしっぽを振ってきたってエサはやらないわよとなっているますが、プレスリーは、ヒモ男のことを歌うわけにはいかないので、歌詞を変えて、You ain't nothin' but a hound dogCryin' all the timeWell, you ain't never caught no rabbitお前はただの猟犬いつも吠えまくっているでもウサギの一匹さえ捕まえたことがないよと歌っています。人気ブログランキングへ参考にMoMo太郎がDictationした歌詞を載せておきます。【Big Mama Thorntonの歌詞】You ain't nothing but a hound dogBeen snoopin' 'round my doorYou ain't nothing but a hound dogBeen snoopin' 'round my doorYou can wag your tailBut I ain't gon' feed you no moreTold me you were high classBut I could see through thatYeah, you told me you were high classBut I could see through thatAnd daddy, I knowYou ain't no real cool catYou ain't nothing but a hound dogBeen snoopin' 'round my doorYou ain't nothing but a hound dogBeen snoopin' 'round my doorYou can wag your tailBut I ain't gon' feed you no moreOh play it now, oh, shake it but don't breakOh, beauty, let her howlOh, it makes you feel so niceOh, get 'em, get 'em, get 'em, get 'em, get 'em, get 'emYour hound dogYou made me feel so blueYou made me weep and moanYou made me feel so blueHow you made me weep and moanYou ain't looking for a womanAll you're lookin' is for a homeYou ain't nothing but a hound dogBeen snoopin' 'round my doorYou ain't nothing but a hound dogBeen snoopin' 'round my doorYou can wag your tailBut I ain't gon' feed you no moreAnd bow-wow to you too【Elvis Presleyの歌詞】You ain't nothin' but a hound dogJust cryin' all the timeYou ain't nothin' but a hound dogCryin' all the timeWell, you ain't never caught no rabbitAnd you ain't no friend of mineWell, they said you was high-classedWell, that was just a lieYeah they said you was high-classedWell, that was just a lieYeah, you ain't never caught no rabbitAnd you ain't no friend of mineYou ain't nothin' but a hound dogCryin' all the timeYou ain't nothin' but a hound dogCryin' all the timeWell, you ain't never caught no rabbitAnd you ain't no friend of mineWell they said you was high-classedWell, that was just a lieYeah, they said you was high-classedWell, that was just a lieWell, you ain't never caught no rabbitAnd you ain't no friend of mineWell they said you was high-classedWell, that was just a lieYou know they said you was high-classedWell, that was just a lieYeah, you ain't never caught no rabbitAnd you ain't no friend of mineYou ain't nothin' but a hound dogCryin' all the timeYou ain't nothin' but a hound dogCryin' all the timeWell, you ain't never caught no rabbitYou ain't no friend of mine
2024年05月04日
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現在まで23件の事件が、警察庁広域重要指定事件(→→→こちら)として指定されているそうです。その23件のうち、公訴時効成立により未解決事件となったが2件あります。そのうち一件は、「広域指定116号」の赤報隊事件(→→→こちら)です。この事件は、「朝日新聞阪神支局襲撃事件」とも呼ばれる事件で、「赤報隊」を名乗る犯人により1987年(昭和62年)5月3日に西宮市にあった朝日新聞阪神支局において小尻知博記者(享年29)が殺害され、犬飼兵衛記者(当時42歳)が重傷を負った事件です。もう一つは、「広域指定114号」のグリコ・森永事件(→→→こちら)です。この事件は当時西宮市に居住していた江崎グリコ社長江崎勝久を誘拐したのを皮切りに、江崎グリコに対して脅迫や放火を起こす。その後、丸大食品、森永製菓、ハウス食品、不二家、駿河屋など食品企業を次々と脅迫し、小売店で青酸入り菓子を置き、日本全国を不安に陥いれた事件です。いずれもこれらの事件は兵庫県警西宮警察署管内(→→→こちら)で発生しています。市民の安全を守るために、西宮警察署のみなさん頑張って下さい。※写真は東京都の警視庁です。人気ブログランキングがんばれ西宮警察署
2024年05月03日
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新宿西口にあるビル群です。モード学園コクーンタワー(→→→こちら)って目立ちますね。そして、今新宿駅西口は小田急百貨店本店や新宿ミロードなどを解体して大規模な再開発工事が進められています。かって小田急百貨店の入口があったあたりですが、目隠しの防護壁があり、どこから小田急や京王電鉄の駅に入っていいのかわかりませんでした。少し離れて全景を撮影してみると大型のタワークレーンが設置されていて、聞くところによると高さ260メートルの高層ビルを建築するそうです(→→→こちら)。西口から少し離れて青梅街道に架かる新都心歩道橋に上がってみました。西側には西口の高層ビル群が広がり、東画を見てみると、新宿大ガードとその奥には歌舞伎町のビル群が見えます。昭和の頃から見えるこつらの景色もまた変わっていくんでしょうか。新宿彷徨のシリーズここでいったん休みますが、まだまだ新宿周辺を彷徨(さまよ)った記録がありますので、これからも折に触れて書いていく予定にしています。人気ブログランキング新宿彷徨(その4) 変わりゆく新宿西口
2024年05月02日
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折角来たので、花園神社に参拝します。まず、こちらの手水舎で、手と口を浄めましょう。手を蛇口に近づけると自動で水が出てきますよ。昭和40年に鉄筋コンクリート造りで再建された拝殿。花園神社の他に雷電神社と大鳥神社の扁額もあります。倉稲魂命(花園神社)・日本武尊(大鳥神社)・受持神(雷電神社)の3柱の神を祀っているのですね。大鳥神社でもあるため、11月の酉の日には酉の市も開催されているそうです。合祀された雷電稲荷神社の石碑が残されていました。こちらは、奉納された赤い鳥居が並ぶ、境内社です。昭和3年(1928年)に創祀された威徳稲荷神社で、女性の参拝者に人気の高い神社です。人気ブログランキング新宿彷徨(その3) 花園神社に参拝
2024年05月01日
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