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11月の初め、10年前に四国で出会ったお遍路さんに会う機会がありました。牛さんは区切り歩きで東京から京都を目指して中山道を歩いています。岐阜入りして<犬山>あたりまで来るそぅで、犬山は我が家から車で1時間、お会いすることになりました。ラインで歩きの状況を確認しながらお迎えに行きます。犬山(鵜沼宿)の手前にある太田宿には木曽川を渡る<太田の渡し>がありました。その川岸の公園で待ちましょう。~かつて太田の渡しがあった~寄り道のお勧めは<国宝・犬山城>入場時間に間に合うように会えるといいのですが・・・あっ、太田橋を渡って牛さんがやってきました~お互いに面影はありますが・・・道ですれ違っても気がつかないでしょう(∩´∀`)∩あの頃のままと思い込んでいますが、10年は経過しています。「わ~お久しぶりです。」徳島で知り合った時がつい昨日のことのようです。あの時は<新型インフルエンザ上陸><忌野清志郎さんの訃報>と、世の中は大騒ぎでした。牛さんとは徳島から高知へ入るトンネルの中で知り合いました。鈍足の私を追い越す時に「お会いした方ですよね?」と声を掛けてきたのが牛さんです。「いいえ、違いますよ」・・・内心(新手のナンパか?)その日の宿は<徳増>みんなが集まる食堂、美味しい魚を食べて飲んで話して、22時まで楽しい夕食でした。ここで高知のMさんやアメリカさん、父親と小学生の息子さん・・・徳島で利用した宿ではこんな交流の機会がなかったので楽しかったです。その時の様子は・・・ カテゴリの中の <歩き遍路88> 高知(修行)21年 春遍路 ひたすら室戸岬 2010.6.30高知(修行)21年 春遍路 あ~室戸岬 2010.7.7 ・・・にあります。~入口すぐの梁・手斧跡が美しい~それから10年間、納め札を交換し合った牛さんとは賀状を交換しています。さて、車で犬山城へ。話は尽きずかなり饒舌になっていました。~左・伊吹山~ところが、お城は外壁の修復中でネットカバーがされて、曇り空、折角の姿も景色もがっかりです。「こんな時に訪れたのも、いい機会です」と、お優しい方です。西には今から目指す岐阜市内、その向こうに関ケ原が見え、左手の山は<伊吹山>です。(この春訪れた時のお城の写真があったので加えておきますね)~木曽川を見下ろす~お茶でも、と門前通りに出ましたが、もぅ日が暮れだして店は片付けだしています。残念。ファミレスで一休みです。お遍路をしている間は沢山の方によくしていただきました。こまった時に車に乗せていただいたり、駄菓子や小銭のお接待を受けたり、女だから心配して声を掛けてくれたり同行してもらったり・・・徳島では、3回も会ってくれたベンツさん(もぅ会えないと思うと寂しいです)高知では、自宅でお昼ご飯をお接待してくれたMさん愛媛では、仙龍寺になかなか到着しない私をず~っと境内で待っていてくれたTご夫妻香川では、私の到着時間に合わせて集合し、夕食に誘ってくれたお遍路さん方、名前も知らない方々、一度きり同行した方々・・・有りがたかった。その気持ちを直接返せないので普段の生活の中で返していこうと思っています^^牛さんと四国を歩いた時の思い出や中山道の情報交換と話は尽きませんが、つるべ落とし、もぅ真っ暗です。犬山で有名な<田楽屋>を牛さんに紹介して送り、家路を急ぎました。再会を約束して。お互いの健康を祈って。
December 5, 2019
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一年前、ご近所のおばさんに「お遍路を体験したい。入口のお寺でいいから一緒に行って~」と頼まれていました。亡き義母のお友達で80余歳の元気なおばさんです。春、トラピクスの日帰りバスツアーの広告が入ったので申し込みました。日帰りの超お得ツアーで6.500円。1.2.3番寺を参ります。事前に(何回か)説明したのに、前日まで新幹線で行って歩くと思い込んでいたようで・・・大丈夫かな。~金泉寺の庭で~当日、名古屋駅前を8時出発。観光バス2台は満員です。私が歩きへんろを始めたのは10年前、当初はバスツアーのつもりでしたが日程が合わなくて、それなら初回だけは「歩いてみよう」と始めてみたら歩くのが楽しくて、結局一周しました。一度はバスツアーをしてみたかったので私も興味津々です。4月14日、生憎の雨模様です。山桜や八重桜が咲いていますが、桜シーズンは済んだので人出は少ないですね。徳島まではバスで4時間。運転手は2人、お兄ちゃん添乗員、京都のPAから大先達さんも乗車してきました。そこでは某店のお弁当が積み込まれ、お寺に着く前には腹ごしらえも万端です。(いい仕事してますよ~美味)このツアーには昼弁当と鯖寿司4切れの軽い夕食も付いています。1番寺に着いたのは11時。山門の右手に売店と駐車場があり、団体客はその奥の建物に入ります。和室に並べた物品の販売場は80人が次々と買い求めて所狭しです。私は<歩き遍路地図 11版>を買いました。~霊山寺~その後は山門から入場。即、桜と搭を背景に記念写真です。あ~これ、話に聞いてました(*_*) バスに乗車する時にお買い上げする流れです。わたしはスルーでしたが、おばさんは仕上がりも見ずに購入してました(*'▽')本堂では庵主さまからの優しいゆっくりとした講話を全員で聴きました。そしてお参りの作法を先達さんから習い、本堂大師堂とお参りします。歩き遍路をしていた時に団体さんの般若心経に圧倒されたものです。今、わたしはみんなと一緒にお経を詠んでいます。~長命寺~バスであっという間に2番寺、印象的だった杉にまた会うことが出来ました。10年前、バスツアーの男性に「俺も歩いてまわりたいなぁ。頑張れよ」と声を掛けてもらいました。バスでは大通りを選んで進むので歩きルートとは全く印象が違いますね。あの家並みの辺りに歩きルートがあるはず、この小道から入っていくんだと車窓から見下ろします。3番寺ではとうとう雨が降りだし、テントの下でお経を詠みました。ギクシャクしていた参加者も段々要領が解って団体行動がスムーズになってきましたよ。それでも中には「何回おんなじこと言うの~」「カセットに吹き込んで再生しよ~」などという人もチラホラ。~金泉寺~第1回目のバスツアーはここまで。帰りはサツマイモスイーツが並ぶお土産屋に寄って徳島を離れました。先達さんはまた京都で降りていきました。1号車と2号車の先達さんは正反対のタイプで、先達さんで随分とツアーの雰囲気が左右されるのが判りました。(私たちは家庭的でした)ところで同行したおばさんはお遍路体験がすっかり気に入って、2回目からもひとりで参加するそうです。供養したいお子さんがいるそうで、結願したいと意欲満々です。
May 1, 2019
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その年の話はその年の内に♪納めておきたかったのに、年越ししてしまいました。1年かけて歩いた知多四国の最終回です。12月22日(土)あいにくの冷たい雨でした。一年間18回に分けて催された名鉄ウォーキング<歩いてまいる知多四国>の最終回の日。クリスマスマまぢかの週末、降り続くこの雨に迷いましたが、小雨になったので向かいます。<太田川>駅で降りると5番・地蔵寺まで臨時シャトルバスに乗ります(¥500)最終便なのでスタートの締め切り時間まで参加者をまちます。この日は約2800人だったそうで、いつもよりは少ないですね。神社の前で下車、すでに仮設納経所は片付けモードです。地蔵寺は5番ですが、87番88番が近いので名鉄の都合で?最終のルートに入っています。地蔵寺は戦国時代に村の地頭が勧進した地蔵堂が起源で、境内には水子地蔵、立弘法様がお祀りされています。~5番 地蔵寺~次は87番と行きたいところですが、道順では88番が近いので大人の都合で2km先の円通寺へ向かいます。~88番 円通寺~素朴なお寺さんです。本堂の造りは風情がありますが、かなり古く納経は隣の建物で受け付けています。しもの病に効果のある<烏枢沙魔明王>信仰があるのでお札を購入、我が家のトイレに祀っています(〃艸〃)6.7km先の結願寺を目指します。伊勢海岸自動車道、名古屋高速とくぐる。知多半島の先端の景色とは随分違い、車が多いですね~さすが日本一の車県、交通死亡事故数も日本一とか・・・相変わらず雨はしとしと降ったり止んだりして底冷えする年の瀬ですが、傘はささずに済みました。途中に休憩する公園もあるのですが、みんな腰をおろすことも無く先を急ぎます。途中に赤い小さなパン屋<ブーランジェリークラックマン>がありました。少しづつだけど素敵なパンが色々とならび、お客が次々と来るのが納得です^^♪食べ歩きをしてお腹を満たしました。~87番 長寿寺~とうとう結願寺です。広い駐車場には土産売りがテントを張り、沢山の僧侶様がゴールを出迎えてくださり、賑やかな山門です。一人ひとりに知多霊場会から箱入りお線香のお接待を受けました。長寿寺は古戦場に建つお寺で、禅宗寺院の荘厳な佇まいです。すぐ横を新幹線が走り、JR大高駅が近いし寺領が広いのでこちらを満願寺にしたのでしょうか。歩いて巡拝のコースはさらにここから2.3km歩いて名鉄<鳴海駅>がゴール、名鉄の都合ですね(*`艸´)JR大高駅から帰る人が結構いるけれど、私たちは鳴海駅まで歩きました。毎回参加すると散華シールがいただけるのです。台紙に張って集めていた夫は全部そろえ、最後には特別散華がもらえたと喜んでいました。色の違う特別散華は5枚くらいに1枚混ざっているのですが、最終回で初めてもらえました。(なんとも~確率悪すぎな夫です、笑)わたしは以前同行したお遍路おば様と「また必ず会おうね」と約束したので、都合が合うときは名鉄ウォーキングに参加してきました。でも、とうとうこの日も会えずに終わってしまいました。あ~、納め札の交換をしておくべきだった・・・悔やんでおります。<歩き巡拝 知多四国めぐり> 5・88・87番寺最後になりましたが、知多四国を歩くうえで私が利用したのは ・半田中央印刷株式会社の<知多四国めぐり>のエリアマップ(1.200円)・名古屋鉄道が主催の沿線ウオーキングで参加者に配布するコース地図そしてGoogleです。<歩いて巡拝知多四国> 18回コース 5・88・87番寺また、今年も募集の広告を目にします。H30年は知多四国霊場開創120年だったので、1年で全てまわるために年明け早々から、暑い初夏、そしてクリスマスまぢかまでと強行な巡拝でしたが、普段は余裕のあるウォーキングです。知多半島なら歳を重ねても歩けそぅだ~なんて思うオバはんです。おしまい。
February 10, 2019
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さすがに12月、空気が冴えて北風が身に沁みます。半島の先端を歩いた時は家からスタート地点までに2時間かかることもありましたが、半島の付け根だと1時間足らずでスタートです。名鉄<朝倉>駅からすぐの80番に向います。~80番・栖光院~小山に建つ栖光院には樹齢800年の大クスがそびえ、裏山を背景に仁王門・本堂・観音堂・秋葉堂と続いています。ただ今本堂は建て替え中、門の手前に仮設納経場があります。山の地盤が緩いのか・・・階段や歩道が歪んでいます。知多半島の付け根の地域は開発されて住宅地が広がり、里山は随分減ってきました。この写真は本堂の釜場の煙により白壁に映し出されたお大師様のお姿と言われています。昭和40年代までは茶釜を利用していましたが、平成27年老朽化のために解体されました。~説明文より~浮き上がった影は本当に弘法大師にみえてくるから不思議ですね。~大師堂~81番・龍蔵寺は車の多い155号線の道沿いの家並みの中にあります。あまりに民家の間すぎて入口がわかりにくく行き過ぎてしまいました。かわいいお寺の境内でそそくさしてしまい、写真を撮るのをすっかり忘れていました。(88ヶ寺で初めてです・・・泣)冬でなければ戻りますが、何しろ寒くてたまらず、仕方ないと受け入れて進みます。3.4km先の82番を目指します。ちょうど新舞子のマラソン大会が開催されていて賑わっていました。~82番・福音寺~観福寺は裏手から本堂に向かったが、山門と本堂をつなぐ参道は他には見ない整然とした植え込みがあります。本堂は開放的で広く堂内にくつろぎのベンチがあるのは珍しく、腰をおろしてお茶でも飲みたかったけれど、何しろ寒いので先を急ぐことにしました。食事には困らない所だが昼時なのでどこも混んでいて、83番手前の川沿いにあったスパゲッティのお店でランチにする。~愛知名物 あんかけスパ~弥勒寺は木の生い茂る小山の上に建っているが、周りは開発されて高いマンションが建ち、そのミスマッチな眺めが印象的。バスの団体遍路さんが熱心にお経をあげていました。夕方には結願なのでしょう。その声は力強く、唱え終わると足早に次のお寺に向かっていきました。~83番・弥勒寺 山門の新旧の仁王像~弥勒寺には御宝搭があり(売店?と思いました~)お搭様を3周まわりながら祈願すると願い事が叶うという。~84番・玄猷寺~山門から本堂、大師堂、お庭もトイレもすべてが真新しい玄猷寺。ここでライダーの男性が話しかけてきました。さっき83番寺の坂を大きなエンジン音で上がってきた愛知の方です。四国もバイクでまわり始め野宿をしながら20番まで進んだそうだ。私が歩いて結願したと知ると興味深そうに話しに耳を傾けてくれました。~玄猷寺の三門~もう結願するので、風の中を気持ちよさそうに走って行かれたが、その姿は巡礼しているとはとても思えない。外見で決めてはいけないね、たぶん同い年位でしょう、黒ずくめのオシャレなおじさんでした。~畑田交差点を右へ入る~この日の気温は10度以下、もう14時を過ぎたので陽が傾きだしました。年末のこんな寒い日に外を歩いている人は、いないですねぇ・・・~85番・清水寺~集落の道に入っていくと道と敷地の区切りがなく、そのままお堂という小さな清水寺が見えてきます。~86番・観音寺~さて、丘の上にある、この日最後のお寺です。人気のない静かな境内から見下ろす景色は、風のおかげで?空気がすんで見晴らし良好です。~先は知多半島~裏手から大型スーパーの横を通り、249号線を超える高い大きな歩道橋を渡って<聚楽園>駅に向かいます。次回は最後、年内中に結願できそうです。~向こうに名港トリトン~12月9日 9:00発 15:30着 12km 晴れだけど、風が強すぎ~ 寒い中、オバはん、よく頑張った♪がんばった。
December 28, 2018
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名鉄本線中部国際空港行きはスーツケースの乗客で朝から混んでいます。<太田川>で常滑線の各駅列車に乗り換えて<西ノ口>で降りて歩き始めます。常滑の58~65番寺は5月26日の名鉄歩いて巡拝(まいる)知多四国7回目で歩いているのでその後から続けます。11月25日、師走はもぅすぐというのに暖かくて助かりますが、陽は益々短くなっているので気を引き締めていきましょう(*`艸´)~66番・中之坊寺~大野城址の小山を上がり池の横のもっこりした木立の中に中ノ坊寺。朝からけっこう参拝者がいます。夫婦・母娘・若い2人・・・歩きの男性がいたので挨拶をしたら先を急いでいるようでスルーされました(苦笑);;~67番・三光院~ゴルフ練習場を通り過ぎて1キロほど歩くと、家並みの中に三光院。近所のおばぁさんが嫁いだ娘さんとお参りにきていました。ほほえましいですね。~大師堂~線路に戻って大野駅を超えて歩く事300m、宝蔵寺は火伏せと雷除けの霊場です。お寺といっても風情は様々、車の多い車道からヒョイと入った所にあります。草むらから黒猫、我が物顔でお水を飲んでいます。~68番宝蔵寺・本堂~再度向きを戻して線路を超えて300m、69番慈光寺。お寺の南側に陽がさんさんと照る、とても広い駐車場が印象的です。お寺の入り口にはお地蔵さんの祠が線路を背にして三つ。~69番・慈光寺の本堂~東に600m、この坂を登ると左手に神社、右手に70番寺があります。境内には手前に大師堂、納経所とありますが、是非!さらに奥の本堂に足を運んでいただきたい。この日の歩きの中で、地蔵寺はよく記憶しています。大師堂で車で巡礼している親子4人に会いました。みんなで詠む般若心経は耳に心地よく、男子2人は間違えることなくスラスラと詠みあげて感心しました。たいていの方はここで次のお寺に向いますが、地蔵尊を祀る本堂は更に奥、坂を下るので大師堂からは見えないのです。~70番・地蔵寺 本堂~江戸中期の享保年間、常滑の久米に目の見えない女が居ました。名をお竹、この寺に七日七晩参篭すると満願の日に夢にお告げがありました。「我は竹林中の古井戸だが、我を助け出して我を信仰すれば盲眼必ず開かん」お竹さんは早速、地蔵尊を古井戸から捜し出し洗い清めると夜明けとともに目が開き、輝く光を見たと伝わる。 ~案内板より~~地蔵堂~誰もいないお堂にご詠歌が流れます。知多でご詠歌が流れていたお寺はここともう一つ。お堂の背後には眼病によい水かけ地蔵もあり、左手には無数の水子地蔵が並んでいました。その横の階段で一休み、居心地の良い地蔵寺です。1.4km歩いて71番、めがね弘法身代大師、色々な弘法大師がいて面白いですね。入った正面が納経所というめずらしい形で、納経印をいただいていない身としては、なんだか気後れします。~71番・大智院~半島の付け根になると山里は少なくなり郊外という感じになってきました。この日はコンビニに寄らなかったので、255号沿いの中華料理<利興>に入りました。昼時で店内は満席。陽が当たる奥の大広間に通されると、お客は老いた母と嫁いだ娘、そして私。母子の心温まる会話を子守歌の様に聞ききながら待つこと1時間、娘さんは「うるさくてスミマセンね」と言いましたが、私は田舎の母を想いながら、素敵な時間を過ごせたと思っています。~72番・慈雲寺~4.7km歩いて慈雲寺、広い山を背景にして山門からは岡田の町が見下ろせます。せんべい販売所<おかき茶屋>を左手に折れて、2km先の佐布里には五つの寺がまとまってあります。~77番・浄蓮寺~安気していたのでしょう、何故か?ここで迷ってしまいました。手前にある如意輪寺を目指したはずが、実際は一番奥の浄蓮寺だったようでその次は手前に並んでいるのに、向こうへと歩いて、うろうろしてしまいました。Googleの位置情報が受信できないことがあり、勘違いをして進む事が何度かありました(* ´艸`)~左は73番・正法寺 正面に75番・誕生堂~五つのお寺は静かな里山に立て続いてあります。浄蓮寺は77番が喜寿ということから長寿箸や中風箸がならんでいます。正法院と誕生堂は同じ敷地の中にあり、階段をあがったところにあるお堂が誕生堂。本四国霊場75番善通寺はお大師さんの生誕地、それに由来して75番を誕生堂にしたそうだ。~76番・如意寺から74番・密厳寺を見る~お隣の密蔵寺は住居の様な佇まい、その向かいにある如意輪寺の本尊・地蔵菩薩は雨乞いの本尊。誕生堂と如意輪寺のは納経所は見当たらないのでどちらかのお寺でついてもらうのでしょう。~78番・福正寺~この日はあと2つ3つ回る予定なので、住宅街の坂をスタスタ下ります。交通量の多い町中に入り、イトーヨーカドーがある大きな交差点からすぐの福正寺までやってきました。~79番・妙楽寺~最後は<古見>駅手前の妙楽寺。もぅすぐ5時、薄暗くなってきたのでこの日は十三寺でお終いです。お寺の間の距離が短いとはいえ、怒涛の歩きでした。┐(´∀`)┌ヤレヤレ、お疲れ様。
December 21, 2018
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内海の駅から古道を6km歩いて野間の集落にやって来ました。野間にはお寺が多く、海水浴場も近いので知多半島では観光客が多く訪れます。子供が小さい時によく来た野間、潮干狩りや海水浴で泊まった安宿は今はもぅありません。~56番・瑞境寺~順不同ですが、近いお寺からお参りしましょう。木立の中に56番、その向こうに52番と続きます。この坂を上がると瑞境寺、村はずれのお寺さんという感じです。~52番・蜜蔵寺~お隣は鮮やかな赤い門の密蔵寺、盗難除けのお札があります。この角度いいでしょう^^知多八十八寺には、大師像のないお寺が多いのですよ。~53番・安養院~安養寺は野間大坊の向かい側、細い道を入った所にあります。咳(せき)地蔵さんがおります。~50番・大御堂寺~愛知では野間大坊(のまたいぼう)で通じますが、広い敷地の中には大御堂寺(おおみどうじ)と野間大坊(のまだいぼう)が建っています。鶴林寺大御堂寺の本尊は阿弥陀如来で、建立されたのは680年頃と言われており、750年頃に行基によって発展し、空海も訪れて祈ったという大変歴史ある真言宗のお寺です。 鐘楼堂の梵鐘には建長2年(1250年)の銘があり、源頼朝が寄進した大門も残されています。 ~51番・野間大坊の四国八十八寺のお砂踏み~鐘楼堂の梵鐘には建長2年(1250年)の銘があり、平家追討、奥州征伐を終えた源頼朝が寄進した大門も残されています。頼朝と義経の父・義朝のお墓があります。同じ敷地には、豊臣秀吉公に敗れてこの地で自害した織田信長の三男・織田信孝の墓もあります。野間大坊の本尊は延命地蔵。入口から境内の中まで四国八十八寺の寺名を書いた赤い印の道には八十八寺のお砂が敷かれてあります。本堂の中では護摩焚きが盛んにされていました。早昼飯からひたすら歩いてきましたが、敷地内のお休み処<まどか>でお抹茶をいただき靴に風をいれました。~木太刀塚~1159年、平治の乱に敗れて逃げ落ちた義朝は、家臣の野間の長田忠致父子の許に身を寄せましたが、忠致は平家からの恩賞目当てで入浴中の義朝を謀殺しました。この時、義朝は「我れに木太刀の一本なりともあれば」と無念を叫んだと言われています。これにちなんで義朝のお墓には幅約3センチ、長さ約40センチの木太刀が沢山供えられています。木太刀は500円、祈願事を書いて供えることができます。義朝公の御首を洗ったとされる<血の池>は境内を出たところの小さな池です。長い年月、守られてきた様子が伝わり、独特の雰囲気があります。それはこの卒塔婆の様な木板のせいです。木板には何やら文字が書いてあるのですが意味が解りません。~名鉄知多線~野間駅の向こうの丘に55番・法山寺と源義朝終焉の地<湯殿跡>があります。雲が広がりなんだか薄暗くなり、トポトポと歩いていると寂しくなってきました。~源義朝像~湯殿跡は法山寺の境内の山にあり本堂を更に100m進むと木立の中にあります。まだ4時前なのに薄暗いお風呂跡・・・歴史好きなのかな?自転車の学生がやってきました。ホッと一安心です。雨が降るわけでもなく気だるい雲が広がり陽がかくれて時間の感覚がなくなります。お寺は後ひとつ。2キロ先の57寺までまっすぐ進み、知多奥田駅に着くとキリがいいのです。~57番・法恩寺~岡崎市のバイク遍路さんも法恩寺で区切り、お互いにお疲れさまと言い合ったのが、この日初めての会話らしい会話です。知多歩きは、四国歩きに比べて遍路同士や地元の人との交流が少ないですね・・・日本福祉大学の生徒が使う抜け道を通って知多奥田駅に着いた時は、すっかり暗くなっていました。
December 7, 2018
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~終点駅からスタート~静かな内海駅の朝、半島をめぐる海っ子バスが待機してますが、今回は乗りません。前回は陽が落ちないでぇ~と、内海駅まで焦って戻ってきたので、さあトントン歩いて行きましょう。駅の近くにある持宝寺、地蔵さまと池の間の小道から入り、88段の階段を上がります。子宝祈願のお寺です。~47番・持宝寺~知多のお寺は、短い距離の中にいくつもあるので番号順には進まないことがよくあります。前回は暗くなるので山寺に向かうのを止めたので、そのお寺に向います。真っ直ぐ一本の坂道は四国の神峯寺を思い出します。坂の入口で98歳の長寿さんと一緒になりました。この春、95歳の奥さんを亡くした長寿さん、天気の良い日は電動三輪車で44番寺と46番寺をお参りしています。長寿「あんた~足が悪いのか?そんなんでは2.3kmしか歩けんぞ。この間の男は時速6kmだったぞ~」桃 心のつぶやき(おいおい。じぃさんは電動でしょ~)バックミラーを見ては私との距離を確認して運転する長寿さん、耳がよくてお話上手、沢山お話しました。~44番 大宝寺~木蓮が咲くというお寺には、休憩所「茶蓮路」がありますが、ピッシリと締まっていました。いつも開いてるわけでなく、長寿さんも入ったことが無いそうで・・・次の46番寺は自宅の近くなので、お茶を飲んでいくようにと誘ってくれるが、それは辞退して(^^;;大きなお宅の前を通過して、近道があるからついておいでと誘導してくれる。なんだか~「46番は済んでます」と言うに言えず・・・2回目のお参りをして、ここでお別れしました。この先は食事処が無いので、内海のモスバーガーで早昼を食べ、山の中の古道を歩いていきます。この道は、野間と内海をつなぐ古道として地元がウォーキングコースとしています。森永乳業の看板を入り山に向かって進みます。バーベキューの<知多牛工房>を過ぎるとセメント道は2本に分かれ、Googleでは左は行き止まりなので右へ進みます。ところが道を間違えましたぁ~右手下にみかんの木が見えた辺りで気が付くべきでした。そこからの道幅は更に狭くなり、1m幅のコンクリの道は今思えば山肌を固めた壁の角を歩いていたのでしょう。もう道とは呼べず、草や枝をかき分けて無理やり進んでいました。電波は届かない、後から確認すると、私はS35年頃まで砂山があった今場の近くを歩いていたようです。~ご機嫌に歩いていたのに~あぁぁ~~こんな道、名鉄ウォーキングで3000人も通れるわけないじゃない!間違ってる!引き返そうか・・・でも、もうてっぺんのはず。~やっと抜け出て振り返ったところ~泣なんとか、古道に出れました。右が古道、左が私が間違えて這い出てきた道なき道です。枯葉と草にまみれて美人台無しです(´;ω;`)ウッ…~内海峠~ほどなく峠、眼下の海岸道路を車が走る、まさかすぐ頭上にこんな古道が通り峠があるなんで思いもしないでしょう。ほんのちょっぴり、穏やかな伊勢湾が見えました。さて、峠を下ります。近くにある宿につながる道なので、登りより広い道になりました。小野浦集落に出て北に向かって進みます。内海駅から歩いて3.5km、48番寺が見えてきました。~48番・良参寺~<お助け大師>と呼ばれ、目が見えるようになった、不治の皮膚病が治ったという実話があります。すぐ近くの<食と健康の館>で小休止して、また古道を歩きます。今度は小山と言う感じ、この辺りは遍路印が多くて四国を思い出す道です。~チョット薄暗いですが~迷うことも無い歩きやすい山道、1.5km歩いて49番寺です。~49番・吉祥寺~<細目の毘沙門さん>と呼ばれる像が安置されています。「かうぼう」の古い石柱を左に曲がり、竹の生える小さい丘の細い道を越えると、野間かうぼうはもぅすぐです。・・・続・・・
November 30, 2018
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独りで歩くのはいつも日曜日、お天気続きでありがたいです。やっと知多半島の先端、師崎港まで来ました。ここからは西側海岸沿いを北上します。(11/11)名鉄線河和行を<富貴>で乗り換えて<内海>行に乗り替えます。短いトンネルをいくつかくぐり抜けると、なんだか山の旅みたいな気分になります。 半島の先端、師崎港の細い路地はまるで迷路の様です。~36番・遍照寺~遍照寺の本尊は弁財天、知多四国ではここだけです。左手に伊勢湾、かすかに見える山並みは三重県伊勢方面です。36~39番寺は二つの島にありますが、すでに一人でまわっている、番外寺も名鉄ウォーキングで打っているのでこのまま湾岸道路を豊浜まで歩きますね。随分早いのですが、お店のある豊浜港でお昼にしましょう。ここには地元で有名な<まるは食堂本店>があるのですぅ~楽しみにしていたのにすでに行列(´;ω;`)…表通りの蕎麦屋で一休みとします。行楽日和、バイクや車で沢山の人が知多入りしていて、このお店も行列で三休みほどしてしまいました。歩きだしたばかりなのにねぇ(〃艸〃)~40番・影向寺~ほどなく、影向寺。本堂は立川流建造物で、正面上部の親子龍・両側の獅子・獏等は信州下諏訪の名工・立木音二郎種清の咋(150年前)・・・立て看板よりさて、ここからはR247を<山海>に向かって、41・42.43番寺へと歩く道と、お寺の裏に見える山を抜けて無人の畑道を43番寺に向かう近道があります。(*`艸´) 裏山を登ります。四国と違い遍路目印はないので、Googleで検索して入口を捜しました。車一台がやっと通れるセメント道を登りますが、車が通った気配はなし、歩く人もいるのかどうか・・・この先はどうなっているのか、チョット不安。ところが登りきるとこの景色です。視界が一気に広がり、ここは北海道?と思う位、キャベツ畑が美しい。右手を見ると<河和>のひと際目立つ白いホテルが見え、左手にはこれから向かう岩屋寺への道が続いています。こんな景色が見れるなんて思いませんでした。丘の様な小さな山の2つ3つ向こうへ2~3キロ歩くと<間草>の集落が見えてきます。この道で会ったのはサイクリングの夫婦と畑仕事のおじさん、だけ。~43番・岩屋寺~山あいのお寺さん、五色の旗が目に鮮やかな本堂は大きく立派な搭もあります。ちなみに、名鉄ウォーキングのコースでは海岸道路コースでを歩き<山海>から坂を登り41.42と打ち、43番・奥の院と打って南知多道路をくぐり向こう側の28番を打って、ゴールは<つくだ煮街道>の駐車場。裏山の山頂には弘法大師像があります。搭の横の階段から入り山道を上がる、羅漢さんがお迎えしてくれます。道は幾つもに分かれていますが、四国八十八寺の番号が刻まれたお地蔵さんが並んだ小道を歩く事にしました。頂上の大師像をまわる様に山道が作られています。ぐる~ぐる~ぐる~真っ直ぐ向かう近道もありますよ。チョットした平地に大きな弘法大師像が立っています。あまりお目かけしない、今風のお顔ですね。来た道を下ります。登った時は気が付かなかったけれど、先の台風の影響で大木が倒れて搭の屋根に覆いかかっていました。瓦が何枚か壊れて、ギリギリのところで大被害を免れたという感じですが、まだ直しの手は入らずに放置されていました。坂を1.5km下って、厄払弘法大師の天龍寺。山海海岸に向ってさらに1km歩いて西方寺。道路を挟んだ向こう側は海岸、夏には海水浴客でにぎわいます。門から入ると下って境内、この感じは・・・愛媛の西林寺に似ています。内海駅まではR247海岸道路を歩きます。もう陽が傾いてきたので、41番からは上り坂を4km歩いて山寺の44番へ行く道もあるのですが、あたしの足では陽が暮れています。水平線の上30度くらいに太陽なので、あと2時間ほどで真っ暗です@@急いで町まで行かないとこの街灯のない路肩を歩くのは危険です。焦る~~45番・泉蔵寺正面~内海の町まで来ました。この右カーブの上に泉蔵寺があり、裏口の坂から入りました。山肌に張り付く様な境内は木に覆われてすでに薄暗く、写真は光を調節しています。正門側の階段を下りて内海駅に向かいます。~46番・如意輪寺~まだ明るいので、途中の如意輪寺に寄りましょう。民家に囲まれて建つので地元の人のお参りが多いようで、本堂までスロープがありました。さあさあ、陽が沈むのが速いか、オバはんが速いか、駅まで競争です。次回も内海駅からですが、訳あって如意輪寺は再度参拝することになるのです、そのお話はまた次回に。師崎~内海 15k
November 22, 2018
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前回は28番寺まで歩いたので今回(11/3)は29番寺からです。ちょうど名鉄主催の<歩いて巡拝知多四国>15回コースが催されるので、チャッカリ参加しました。ところが・・・番外・浄土寺から29番までの逆打ちコース。名鉄ウォーキングは3000人以上が参加するため、交通上の都合や地域の都合でまれに逆打ちになることがあります。コースも順番にまわらず、あっちこっちの地域にとんでいます。~29番・正法寺~・・・と言うわけで逆歩きをしたのですが、混乱してしまうので、写真は順番通りに29番からUPして進めていきます。正法寺はかわった造りのお寺さんで、赤いレンガの塀に囲まれ多宝塔の様に見えるのが本堂です。6Mを越す厄除け観音堂がお迎えしてくれます。本郷の集落を抜けて7号線に向います。半島の先に近づくにつれてキャベツ畑を見かけるようになりました。この辺りの土は耕作しにくそうで小石がゴロゴロ混ざっています。道すがら地層がわかる場所がありましたが、硬い岩盤が何層にも重なってとても根菜や樹木は根が張れないですよね。この台地をここまで耕して、ご苦労だったことでしょう。大井西の交差点を左に折れて大井港に向かうと30~34番寺がまとまってあります。♪おとなりへ~ ♪おとなりへ~ と言う感じです。~30番 医王寺~弘法大師が知多上陸で護摩修法営んだ地です。大勢が集まって一帯は人の波、ご住職や先達さん達が通りに立って誘導してくれています。~31番・利生院~お向かいは朱塗りの門が鮮やかな利正院、通称<赤門寺>狭い境内に小さなろうそく立てと線香立て、肩が触れ合って線香は立てる隙間もないほどで、お寺さんもビックリしているでしょう。~32番・宝乗院~その又向かい、30番寺の横には宝乗院。金毘羅大権現、恵比寿明神、大黒天も祀られて寺名通り祠が並んでめでたい感じです。~33番・北室院~北側の車道を渡ると仁王門が目を引く北室院。ここからすぐの海上に建つ<上陸大師>の御朱印はここ33番でいただけます。順番通りに進むとお寺の後に上陸大師をまわるので、先に御朱印をいただくのを忘れませんように。そのお隣は34番・利正院。門塀の前で、お昼を広げるおば様たち、微笑ましかったので一枚。大井港に出たらここを左手に入ると、海上の双子石に建つ弘法大師像があります。昭和59年1150御遠忌を記念して建てられました。~上陸大師~814年41歳の時に知多半島の東岸を南下し大井の聖崎へ上陸、医王寺と山を越えた山海の岩屋寺で護摩業をされ、野間に出て陸路西岸を北上した・・・と、伝わる。岸壁の参拝所からは像が真近に、聖崎公園に上がれば眼下に拝見できます。~35番・成願寺~1kmほど歩いて片名地区の成願寺、災難除けの修行大師を祀りお札もあります。この日は10km歩いてゴールです。ゴールは<鯛祭り広場>お店のお接待で全員が小袋入りのお煎餅をいただきました。店の駐車場にはシャトルバスが何台も待機しており、全員がスタートの内海駅まで運んでいただきました(* ´艸`)ちなみに~往復バス料金は1.200円、お疲れ様でしたm(__)m次回は師崎の36番寺からです。
November 20, 2018
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西国三十三観音寺参りを初めて6年、車でまわり続けてやっと三十三寺目の満願寺、谷汲山華厳寺を訪れることが出来ました。長谷寺から始めた頃は亡き義母も一緒でした。西国のお寺は京都・奈良・大阪を中心に四方に拡がっているので、四国の様にグルリとまわることが出来ません。熊野、和歌山、姫路、丹後方面は我が家からは遠いので、1泊してのお参りが5回ありました。この辺りでは「たにぐみさん」と呼ばれて、誰でも行ったことがある(アッ^^;これは言い過ぎ)有名な親しみのあるお寺さんです。三十三寺の中では我が家から一番近いお寺なのに訪れるのは初めてで、ワク♪ワクです。山合いに向ってドンドン進むと、田畑の広がる山里にあります。あいにくの小雨で人出はまばら、参道口の左右にある広い駐車場はガラガラです(300~400円)参道は1km近くあり、レンガ風の広い綺麗な道が仁王門までまっすくに伸びています。結願を味わいながらゆっくりと歩く、決してお店を覗きながらタラタラと歩いてはいませんよ(*`艸´)岐阜の山里と言うことで、ただ今最盛期の柿、きのこや里芋などの野菜、竹細工、掛け軸や仏具品、ういろう、お団子・・・食べ物さんがズラ~ッと並んでいます。桜祭りや紅葉祭りにはこの参道に人があふれるので、すごい人出ですよね。仁王門まで来ました。両側に古いお店があります。右手はお宿<立花屋>、ちなみに谷汲山にはもぅ1件、新しい宿もあります。左は<富岡屋>大口大領の末裔の食事処です。~富岡屋の立て看板より~大口大領と谷汲山華厳寺の由来798年奥州・黒川郷富岡(福島県会津高田町)の役人大口大領が京都で十一面観音像を作らせ、郷里奥州にへ観音像を持ち帰る途中、谷汲のふもとで像が急に動かなくなり大領はこの地こそ結縁の地と考え既にここで修行中の法然上人とともに寺を建てて観音像を安置した。この時近くの谷間から仏前に供える灯明の油が湧きだしたという。それから約100年後に醍醐天皇がこの話を伝え聞き、谷汲山の山号を贈るとともに華厳寺の扁額を下賜された。かつては名前を書いた木札を釘で打っていたそうですが、幾つも打ち付けてりますね。味がありますね~(でも、柱を傷つけるから駄目ですよ)冬は雪の多いこの地域、湿気も多いでしょう。石像や石垣には苔が多く、杉苔に覆われた石像もあり時の流れを感じます。本堂の柱も天井も煙で黒ずんで、薄暗い堂内は昭和、大正、明治、もっと、江戸時代までさかのぼった感じです。額などはもぅ何が描いてあるのかわからないほど黒ずんでいて、漆黒の世界です。本尊開帳をされていて、中まであがって拝見することが出来ました(無料)七五三の時期なので祈祷をされる親子さんがいて、堂内をお経の声が響いて、わたしまでありがたい気分です。戒壇巡りもしました(100円)短いのですが、中は真っ暗です。右壁を手で探りながらソロリソロリ~大きな数珠玉に触れたら、そのすぐ上に<カギ>があります。わたしは玉の次にカギがあると思って行き過ぎてしまい、次の方に教えてもらってもどって触りました。子供には手が届かないんじゃないかな?本堂両脇の柱には<精進落としの鯉>がいますから、触ってくるのを忘れませんように。オスメスなのか、<あ・うん>なのか、よく見ると左右の鯉の太さが違いますよ。本堂からはほんのり色づいたモミジ、見ごろは1週間後の11月中旬でしょう。納経は本堂・観音堂<過去>、満願堂<現在>、おいずる堂<未来>の三種をいただけます。ご詠歌も<過去><現在><未来>と三首あります。本堂の北側にまわると背面からもご本尊を拝めます。「苔の水地蔵尊」は、お札を頂き(20円)水を付けて痛むところに張り付けて願掛けをします。その後は並んで横に建つ、笈摺堂 (おいづるどう)子安観音堂と拝して、満願堂に向います。本堂からは左裏手の位置になり、階段を三十三段上った先に建つ堂です。~最後の階段、あと少し~沢山の石狸がニコニコとお迎えしてくれます。本尊は十一面観音菩薩。周囲には「満願」の文字の刻まれた狸の石造が並び、ニコニコとお迎えしてくれます。そして巡礼者はここで納め札を納めます。雨足が強くなってきました。満願堂の右手に奥の院に上がっていく山道がありますが、この日は止めておきました。広い道なりに進むと砂防を兼ねた緑ヶ池に通じていて、その奥に妙法ヶ滝があります。いつ頃石を積み上げたのでしょう。6畳ほどの広さで周りをぐるりと石垣で囲ってあるので薄暗く、その石垣の高い所から水が落ちてくる仕組みのようですが、この日はまったく水は流れていませんでした・・・もぅ、戻りましょう。~何の天ぷら?~雨で参道を行く人はほとんどいません。山門前のお宿で<満願定食>を頂きました。暖房の付いた部屋で、きのこ釜飯が炊き上がるのを待つこと20分、その間に小皿にのった美味しいものが運ばれてきます。珍しかったのは、梅干しの天ぷら((´∀`*)) ピンポン玉位の甘く柔らかい梅をカラリと揚げてあり、これデザートですかね~次回訪れるときは、奥の院から妙法ヶ岳に登り横蔵寺まで歩きたいと思います。*明日からは(11/10)紅葉祭りが始まります。晴天の下、モミジがきれいでしょうね。
November 9, 2018
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前回の続き<河和駅>から歩き始め、河和の交差点を右に折れ海岸線から離れて、H10mの丘を越えて歩いて行きます。民家も無くなり静かな道はチョットした森林浴気分です。27番寺は河和駅から3.5km、集落が見えてきたら九条の交差点を右折、南知多道をくぐるとすぐ左手にあります。入口が見落としやすいので、旗を目印に石柱の門から細い坂を上がると山肌にあります。~27番・誓海寺と禅林堂~山門には梵鐘があり、知多では珍しく撞くことができました((´∀`*))ここから階段を上がって本堂、安産や良縁にご利益があります。また階段を上がって大師堂と禅林堂。足の不自由な人のために、大師堂と本堂から紐(仏教用語でなんて言うのでしょう?)を延々と張って山門まで伸ばしてくれてあります。~切山トンネル~来た道を戻り久条の交差点を今度は南へ折れて知多道と並行して歩きます。<つくだに街道>店が見えたら左に折れ<切山トンネル>の手前で知多道の下をくぐって左へ曲がり、28番寺です。~28番・永寿寺~静かな集落の中に佇むかわいいお寺さんで、前の通りも味があります。海岸線を離れてから食堂やコンビニが無かったので、念の為に握ったおにぎり1個と駄菓子を境内で食べました。~大師堂~Googleで捜すと、ここから2kmほどの丘にいちご専門のスイーツ店があるので目指します。少々遠回りなのですが、ワク♪ワクと田んぼ道を歩きます。ところがビニールハウスはほかりっぱなし、お店の前には<定休日>の看板・・・ど~も倒産したようで、他にも途方に暮れている車が停まっていました。なんだかなぁ~四国でも空ブル事が度々ありました。欲をだすと空ブル気がします(´;ω;`)海岸線に戻り半島の先端、師崎港を目指します。この日はGPSを常に使っていたので、携帯のバッテリーが残りわずかになっていました。師崎行きのバスが来たので乗ります。29番からは11月3日開催の名鉄知多巡礼のコースになっているのでジャンプして、ここからは日間賀島と篠島のお寺を周ることにしました。師崎港と日間賀島と篠島は三角形の位置関係で、どの間も10分足らずで渡れます。日間賀島には37番寺。島には静かな東港と宿が並び観光客が降り立つ西港があって、お寺は東港からすぐの所にあります。民家の様なお寺で、相変わらず寂し気です。参拝者に合わせて30分ほどすると次の船がきて、西港にまわって篠島に渡ります。そんな時間配分の高速船を利用すると時間に無駄が無くて便利ですが、のんびりと島を散策するのもいいですよ。~37番・大光寺~ちなみに・・・日間賀島はゆで蛸、篠島は釜揚げしらす丼でしょうか (*`艸´)ウシシシ両島とも何回か来ていますが、篠島の乗船場が新築されていて驚きました。~篠島の港はいいですよ~島には38番正法禅寺、番外・西法寺、39番・医徳院があります。港に沿って歩きながら眺めるびっしり並んだ漁船はいい景色、作業場からは蒸しあがったシラスの匂いがプンプンしてきて、お腹を刺激します。迷路のような細い道を歩くと島の暮らしが伝わります。民家の間に38番寺、その裏の急な細い階段を登って番外寺、そして園を併設している39番寺、小さな島の小さなお寺さんです。船着き場のポスター停泊する漁船の写真を撮ったのが最後で携帯の電源が落ちました・・・島の風景を撮りたかったので残念」です。バスで河和駅に戻るとしますか~次回は明日、師崎港中心に並ぶお寺を、名鉄の<歩いて巡拝・知多四国>に参加して歩きます(^O^)
November 2, 2018
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朝晩冷えてきました。晴れた週末は出来るだけ知多を歩いて、今年中には結願したいと思っています。12月下旬に名鉄ウォーキングの知多詣りが結願するので、それに間に合えばいいのですが・・・この日は10月8日、日中はまだまだ日差しが強くて最高気温は29℃でした。半田駅周辺の19番20番21番、青山駅で電車に乗って富貴駅で下車して26番を目指します。22番~25番寺は以前に名鉄のワーキングに参加したときに済ませています・・・大人の都合ってやつですね^^;~番外・海蔵寺~JR乙川駅から北へ1kmあまり、海蔵寺です。本堂の左手、搭の向こうにチラッと見える屋根が大師堂で、中には古い大絵馬が飾ってありました。お堂の前の大きな木には筆柿がびっしりと枝が折れんばかりになっていました。1km足らず歩いて18番光照寺。清水の次郎長が半田の亀崎で敵と戦う前に願をかけたお地蔵さまが境内に移されているそぅで・・・どのお地蔵さまかわかりません。~18番・光照寺~半田の中心に向かって歩きます。半田は江戸時代から酒や酢造りが盛んで、この河を利用して船で江戸へ運び大きく発展しました。運搬手段が鉄道に替わると航路で運ぶことはなくなり、工場も海辺から内陸に移ります。ミツカンや盛田酒造はこの地から栄え、今も当時を思わせる景色があります。静かな河で老人がシジミ?獲りをしていました。その川沿いを進み、工場と家が並ぶ昔からの細い道に入り裏から回り込り込む、ここまで1.5km、19番・光照院です。18番(光照寺)19番(光照院)似た名前のお寺です。~19番・光照院~20番龍台寺は名鉄線の踏切を渡って西へ1km足らず、立て続けに打っていきますよ。そう言えば道すがら、高さ3m程の高野槙の生垣が延々え~んと続く立派なお宅があったのです。北側なのでわかりませんでしたが、美術館か庭園?と思ったのですが、後で名士の方のお宅と知りました。~20番 龍台寺~ここからは交通量の多い247号線の歩道を南に進みます。チェーン店が並んで食べ物には困りません、お昼はうどんにしました。車道沿いを2km進んで21番常楽寺です。~21番・常楽寺~立派な山門に行き届いた広い境内、本堂の屋根瓦も立派です。印象的だったのは手水舎にかかった真っ白なタオル、こんな上等な手拭きは初めてで、柔らかくてホッコリしました。(オバはん目線だなぁ~)居心地の良い大師堂には右手からお地蔵様・毘沙門天・聖観世音菩薩・弘法大師が祀られています。~手前が内海線、向こうは河和線~ほど近い<青山>駅から名鉄電車に乗って<富貴>駅まで移動します。~知多四国霊場開創210年~歩いて巡拝(まいる)知多四国 第6回 22~25番寺22~25番寺は、5月に済ませているのでジャンプです。河和線は富貴駅から内海線に分かれます。線路を左手に眺めながら、田んぼの中を気持ちよく歩きます。刈り入れをする横から藁を燃やしているので煙が流れて霞の中を進むようです。ゴホッ(´;ω;`) いい道ですよ。富貴から河和口まで、春にも歩いたお気に入りの道、番外・葦航寺(いこうじ)にもう一度寄っていきましょう。やっぱり、ここの裏側から入る道はわかりにくいですね~番外・時志観音(影現寺)へはR246道から外れて静かな道を進みます。誰にも会いません。名鉄は、お寺や神社があるので海岸線を離れて丘を回り込むようにカーブして終点駅へ線路を敷いたのですね。この坂長いのかな~と少々不安・・・この位、四国ではへっちゃらなのにねぇ。お寺は丁度藪の手入れの作業中、直ぐに裏手から入れました。丘の上からの景色はそれは素晴らしく、スッコ~ン‼という感じで開放感満点です。大半の方はR247道から坂道を上がって広い駐車場に停めるか、この階段を登ることになります。知多には階段のあるお寺が少ないので、足の悪い人には悩ましい階段の様です。でも、この眺めを見たら上がってきて良かったなぁ~と思えますよ。海ばかりに目が向いてお寺の写真をすっかり撮り忘れました。~26番・弥勒寺~番外・時志観音(影現寺)から終点河和駅までは2kmほど、駅の手前に26番弥勒寺です。次回からは鉄道がないので、半島を周るバスを利用して師崎を目指して歩きます。
October 25, 2018
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~七本木池~前回は12番寺、54番寺まで歩いてJR<亀崎>駅であがりとしたので、この日はここから独り歩きスタートです。地図は<歩き巡礼知多四国めぐり>を参考にします。名鉄電車の<歩いて巡拝知多四国>は名鉄駅を中心にコースを決めているので、知多半島を一筆書きの様に歩いているわけではありません。ですから、ひとりで歩いていると歩行距離は長くなり、名鉄巡礼の参加者はすでに三分の二は歩き終えているのに、オバはんはまだ序の口です。名鉄の企画はほとんどが土曜日なので、仕事のある身ではなかなか参加できません。独りで気ままにあるきましょう。知多半島を横断する46号線は「車が多くて危険」と地図にあるので、住宅街を抜けて、のんびりとした道を選んで進む事にしました。Googleを見ながら住宅街をポコポコ歩いていると、牛舎が見えてきていつの間にか畑道になっていました。彼岸花が綺麗です。田舎を思い出します。クラブ活動に行く中学生が自転車で追い抜いていきます。どうも近道みたいですよ。方向音痴になりそうなので、46号線に合流しました。5km歩いて小川にかかる橋を渡って13番・安楽寺。本堂と対面する大きな水子地蔵があります。~安楽寺大師堂~安楽寺から14番寺を過ぎるまでは小川をはさんで車道とは別に歩道があります。ほんの1kmほどですが、なんだかかわいい牧歌的な小道で、気持ちいいですねぇ~「ぜんぶ青い」この日はよく晴れて、最高気温は29℃。自慢じゃないけれど(〃艸〃) 25℃以下が歩く目安、四国遍路でも29℃の道なんて歩いたことがない。暑くてなんだか、ボ~ッとしてきました。~14番・興昌寺~0.5km歩いてお隣さん。門前には<半蔵行者堂>があります。写真の左手、ミラーの向こうです。知多四国開創の開山の一人、岡田半蔵を祀ってあります。半蔵は付近の橋住村の農家に生まれたが、妻子を亡くし行者になる。家屋敷畑を売却して開創の資金にした。今も、<半蔵屋敷><半蔵田>などの地名が残っている。無人駅の名鉄線<坂部>を超えて、少し坂を登ると15番・洞雲寺です。徳川家康の生母、於大の墓所があります。隣に見える小高い山は坂部城跡です。~ステンレスの笠の線香立て~徳川ゆかりのお寺のためか、見たことない斬新なデザインの線香立てと大師堂にビックリです。灰の上に網を乗せてありますね^^お寺さんの几帳面さが伝わります。新築したお堂の重厚な扉を恐る恐る開けると、中は冷気が流れて神聖な雰囲気です。なんと~冷房がついていました。涼しくて居心地満点です。いままで四国や西国といくつもの大師堂を訪ねたけれど、冷房付きは初めてです。~坂部城跡~尾張誌には「坂部村にあり、其跡東西40間(約73m)南北50間(約90m)英比(あぐい)の城ともいふ。」とある。家康生母・於大の方は1547年、城主の久松俊勝のもとに再嫁し俊勝が岡崎城代として移るまで15年間在城した。その間、熱海や駿府で人質の身であった家康に手紙や衣服を贈り続けた。桶狭間の戦いを控えた1560年この地で母子は再会をはたした。少し登ってみましたが、城跡は広場になっていて訪れる人も少ないのか草が生え、たちまち蚊の大群に襲われました。チエッ。区切りの良い所で、残すはあと二寺です。住宅街を向けて2km歩くと17番観音寺。道順の都合で17番を先に参ることになるが、裏手の細い道から入るかたちになります。木が茂る狭い境内です。一段上がった隣には神社があって、丁度、虫切り祭りをやっていて近所の人がたくさん子供を連れて来ていました。浄土宗に属する観音寺の前身は、西にあった樫木田村の<観音堂>で知多四国霊場が開かれた1824年以前に現在の高岡村に移されたようだ。S23年に観音堂から観音寺に替わった。そのためか境内はとても小さくお堂には住人はいないようだ。正面の階段を下るが、こちらからお参りしたら印象も大分ちがっただろう。0.5km歩いて16番平泉寺。この日は秋分の日だったので、お寺はお墓参りの人が多く、どのお寺の境内も賑やかだった。名鉄河和線沿いに南向きに歩いて大型スーパーを過ぎたら<植大>駅。普通しか停まらない無人駅です。この日は金山駅で名鉄線からJR線に乗り換えるのに失敗して、スタートが予定より1時間以上遅れてしまいました。出鼻をくじかれた上にこの暑さ、11kmで結構バテました。帰ります。
September 30, 2018
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JR<緒川駅>で降りて、前回の続きから歩きます。 ~どっち?~6月3日(日曜日)朝から「熱中症に気を付けるように」と盛んに言ってましたが、家事を済ませて電車に揺られ・・・スタートは9時になっていました。青い空がまぶしいですよ。~右だった、坂の先に9番寺~1キロ歩いて9番寺、清楚な境内で大師像がお出迎えしてくれます。常時護摩木の受付をしているので、願掛けてきました。~9番 浄土宗 明徳寺~お次は1.6km歩いて10番寺。この辺りは池が多くてなんだか香川に似ています。池の横を通って進むと間違えそうなお寺さん、その隣のお寺が10番寺です。知多八十八寺は四国と違って道路に目立つ表示が少ないので、この白い幟と黄色い看板が目印です。~10番 曹洞宗 観音寺~観音寺は檀家さんを持たず古くから庄屋さんが管理してきましたが、今は隣の常照寺が管理しています。集落の中にたたずむかわいいお寺さんという感じで、お大師さんは本堂の中に祀られています。~渥美半島が見える~お次は11番 曹洞宗 安徳寺、2km先です。境内は広場の様な平地で、ちょうど法事中だったので写真を撮り忘れてしまいました。頼りない撞木が壊れないように、優しく梵鐘を撞いてお寺を後にしました。~12番 曹洞宗 福住寺~12番寺は1.8km先、迷路のような小道を進んでいると、おもしろくなってきます。7~12番寺はJR線や新道(366号線)と平行に走る旧道沿いに並んでいるので、新道を歩いては旧道に戻るの繰り返しです。~休日ですが、お参りは少なめでしょうか~12番寺の後は海に進み番外寺と54番寺に向います。急に54番?と思われるでしょう。54番は野間地区ではなく、半島の反対側の半田市亀崎にあります。かつては野間の「竜松院」であったが、明治維新で廃院したので海潮院に移ったそうだ。正確に順打ちしたい方には泣き所でしょうか^^;; オバはんは気にしないで進みますね。~番外 東光寺~番外寺までは2.5km。歩き地図の赤線通りに進めばよいものを、広い車道を渡りそこなってしまいGoogleマップを見なが亀崎小学校の裏側の坂を登ることになってしまいました。真上の太陽は容赦なく照り付けます。暑かったなぁ~丘の上にある小さな境内には参拝者が並び、納経所には係りの方がいて、この日の一番の賑わいはこの東光寺さんでした。~亀崎の古い町並~坂を下り海に向かって0.8km歩きます。亀崎は密集した⺠家が建ち並ぶ中を抜ける「セコ道」と呼ばれる狭い路地と海へと向かう坂道が織りなす⾵景が特徴です。54番寺は神前神社の隣にあります。神前(かみさき)神社の祭礼「亀崎潮干祭」は国指定重要文化財、ユネスコ無形文化遺産で毎年5月3.4日に開催されます。5輌の山車を干潮の海浜に曳き下ろす勇壮華麗なお祭りで、初めて見た今年の写真があったので載せておきます。神前神社も海潮寺も車道を渡ると直ぐ海です。~54番 曹洞宗 海潮寺~大正時代、愛知県の加藤さんがお大師さんをお参りした時に見えない目が突然見えるようになり、お礼の開眼の杖が大師堂に奉納されています。ちょっとわかりにくいですが、千羽鶴の右側です。~そば切り・無双~潮干祭りの日は通りいっぱいに露店が並び、あふれる人でごった返していましたが、この日は静かな町並みです。お蕎麦屋さんがやっていたので遅いお昼にしました。暑いし、切りの良い所だし、暑いし、歩き納めてJR武豊線<亀崎駅>から帰ります。おまけ・・・亀崎駅は1886(明治19)年築の⽇本最古の現役駅舎といわれる⽊造駅舎が残っています。
June 15, 2018
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名鉄ウォーキング主催 <歩いて巡拝(まいる)知多四国 第7回>今回も参加できたので58~65番寺を歩いてきました。先日の第6回は知多半島の右・知多湾側を歩き、今回はその正反対側・伊勢湾側を歩きます。5月26日(土)11km 難易度★常滑駅で降りて、さて~歩くぞ!と思ったらバスチケットの販売です。今回のコースは南北に分かれてお寺が集まっているので、南のスタート地点<札月>まで名鉄の臨時バスに乗って移動だそぅで~す^^;バスは次々とやってきて、揺られること15分、さて!出発です。おっとっと。500m歩いて、即、番外・曹源寺です。これが凄い行列で道まで人があふれていて、出鼻をくじかれて不平を言う人もいます。電車から降りた人の波をそのままかぶったかたちですね。~番外・曹源寺~100m歩いて来応寺、お隣さんという感じですねぇ ( ´艸`)~58番 来応寺~小さなお寺ですが、ぽっくり地蔵やほほえみ童子と可愛い像がお出迎え、境内ではぽっくり地蔵を模したお守りを販売していました。300m歩いて59番・玉泉寺 ((´∀`));;人の波は次々と押し寄せてこの辺り一帯が人ひと人の行列です。納経のさばき方によっても左右されますね。今日は8ヶ寺、番外も加えて9ヶ所をまわるので気ぜわしい歩きになりそうですが、まぁ焦らずに行きましょう。~59番・玉泉寺 本堂~玉泉寺の大師堂横では、沸きたての麦茶とえびせんべいのお接待をいただきましたm(__)mTVの影響で今日も4000人程の参加者でしょう、息子さんと娘さん?2人で黙々とお接待をしてました。横をすり抜けてお寺の裏へまわると気持ちのいい風景が広がり、気ままに歩きます。この日は(5/26)28℃の予想気温でしたが、薄曇りだったので意外と歩きやすかったですね。直ぐの所に海上の中部国際空港がありますが、空が青くないので写真はいまいちです。この日、混んだ境内で隣になった年季の入るお杖を持ったkさんに声をかけてみました。西尾市の70歳くらいのおば様は、もぅ何回もツアーで四国巡礼をされていて6月にも88+20ヶ寺参りに出るそうで・・・度々歩きが一緒になり、四国の話に華が咲いて楽しく歩けました。~60番・安楽寺~1.6km歩いて 60番・安楽寺。緑の中に建て直した本堂がピカピカしています。この南側の広い駐車場の木陰でお昼ご飯にするとよいでしょう。アタシはスルーしましたが、今回はいい場所が少なくて休憩しそこなってしまいました。~本堂~こちらのお堂は飾り物が綺麗で、珍しく天井絵がありました。ひとりで歩いていたら大師堂も開いていないことがあるので、こんな機会はありがたいですね。~大師堂~また丘陵地を2.5km進むと、こんもりと木が生い茂る中に高讃寺、仁王様がいる山門があります。薄暗くて姿がはっきりしませんが知多四国で山門のあるお寺はそうありません。~62番・洞雲寺~心細くなるような薄暗い100m程の参道で、夏は「蚊に襲われるのよ~」と、お杖さん。山の中?と思えるほど奥深くて一人では尻込みしそうな感じです。このお寺辺りがコースの真ん中でしょうか。~大師堂~1.6km歩いて洞雲寺、どうも裏口から入ったようで、まず大師堂を参拝。階段を降りて本堂へ向かいますが、高い所から見下ろす本堂の雰囲気が規模は違うけど延暦山根本中堂を見下ろす階段からの景色と似ています。~洞雲寺 本堂~きっと紅葉の時も綺麗な境内でしょう。御僧侶たちが、本堂の中に上がってご本尊や仏像を拝観していかれるように声掛けをしてくれます。ここには半分猫、半分お大師さんの姿をした「寧護大師(ねこだいし)」がH22年に奉納されていますよ。「あなたがどれだけ人生に絶望しても 人生はあなたに絶望しない」本堂にかいてあったお言葉、思わず( ..)φメモメモしてきました。~常滑のシンボル、登り窯の煙突~常滑市の中心街に向かって歩いて行きます。便器やタイルで有名なイナックス博物館はパス、各寺の納経時間がかかりすぎて先を急がなくっちゃ~~63番・大善寺~「あの屋根は・・・なに?」近づくと段々その正体が解ってきました。崩れかけた瓦屋根にシートを掛けて、それが劣化してまたシートを掛けて、また、また・・・シートがミルフィーユ状態になっています。20年程前の修復募金をお願いする大きな看板があるが、それも劣化して、修復予定の期日から10年も過ぎています。無人のこのお寺の先行きが心配。檀家さんが冷たい麦茶のお接待をしてくださり、多めのお賽銭を入れたのが微々たるせめてもの気持ちです。見覚えのある景色や町並み、名鉄の常滑ウォーキングで以前歩いたコースですね。昭和の家並みや路地が残る懐かしい匂いのする常滑です。~64番・宝全寺 大師堂~細い路地を2km進んで、昔からの商店街の中に仲良く瓦屋根を並べてちょこんと建つ宝全寺。門前のお茶屋さんがいれたてのお煎茶をお接待しています。小さい男の子がお盆のお茶をみんなに勧めており、その可愛い姿につられて詰め放題のお茶をお土産に買いました。(2000円なり~)~65番・相持院~0.9m歩いて相持院。知多半島隋一の立派な梵鐘で、鐘の音が陶器の街に響きます。鐘撞き好きのあたしも、撞かせていただきま~す。さてさてゴールの常滑駅まではあと1.3km、焼き物散歩道を通り抜けてピッチを上げます。この辺りは昭和のなつかしき風景が残っているので、唐沢寿明や佐々木蔵之介が出演した<20世紀少年>のロケ地になった場所なんですよ。もうすぐ平成とさよならですが、昭和は更に遠くなり、この街並みも維持するのはむつかしいでしょう。ゴール受付は9:30~15:00、わたしは15:05でしたが間に合わない人がまだ結構います。今日の様なコースでは、いつもの厳守時間は無理でしょう~ねぇ、名鉄さん(* ´艸`)駅で唯一の喫茶店で、やっと落ち着いて休憩です。夫婦で回していてウエイターのお父さんが、朝から延々と続いた注文にボヤいてました。でも、もうかりましたねぇ~^^
May 30, 2018
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春と秋を中心に名古屋鉄道主催の知多四国八十八寺を巡拝するウォーキングに参加してみました。~知多四国霊場開創210年~歩いて巡拝(まいる)知多四国 第6回 22~25番寺5月5日 (土) 10.5km 難易度★ ~22番 大日寺~よく晴れた暑い日です。名鉄知多豊明駅に9時下車。駅前に待機したスタッフさんから地図をもらい、「いってらっしゃ~い」の声を背中にスタートです。さすが名鉄ウォーキング、電車が到着する度にあふれんばかりの人が降りてきます。今日も二・三千人が参加しているでしょう。住民や運転手に迷惑がかからないようにコースを考えてあるので、多少遠回りもありますが、この人数が大移動しても、今までに大きなトラブルや事故を見たことはありません。一駅分戻るように1.4km歩いて22番寺。和尚様や檀家の方が待ち受けるように歓迎してくださいます。~23番 蓮華寺~向きを戻して南に向かって500m歩いて23番寺。ご住職とそのご家族がお迎えして下さり、沸かした麦茶のお接待もあり、アットホーム的なお寺です。近代的な鉄筋コンクリート建てで、本堂は2階にあります。大師堂の前にはお経を書いた和紙を張り合わせて作ったお遍路さん、この様な物は初めて見ました。交通量の多い道を歩くと、なんだか一休みしたくなります。地図ではまちの駅<味の倉たけとよ>での休息を進めていますが、好みの喫茶店があったので優雅に?モーニングにしました。~スッキリ、水だしコーヒー~近所にあったら常連になりたいアットホームな古民家カフェです。知多ではあまり目にしない丁石、街並みの中で見落としてしまいそうです。~24番 徳正寺~R247道から家並みに入ります、1.5km歩いて24番寺。武豊は味噌・たまりの蔵が並び、昔からの風景が残っています。狭い道を進むとこの日のために蔵を開けていたり試食販売する蔵があります。味噌の匂いが漂う中を抜けるように歩きます。~知多にもあった! 遍路シール~25番までは2.3km、富貴駅の線路を超えたらすぐです。そのあとの1ヶ寺は番外寺で、ここから3km、ゴールの駅までは更に1.5kmあります。25番まで約5km、ここからゴールまでが約5km。残り1ヶ寺は番外なので25番であがりにして、目の前の富貴駅から帰る人たちがホームに並んでいます。~名鉄河和線~あ~、私は最後まで行きますよっ。赤い電車が映えますね、中井精也さん気分ですが、個性のある写真は撮れませんねぇ・・・~25番 円観寺~草や花があふれんばかりの円観寺、山の小さなお寺さんという感じです。ここからの道は車道を避けて田んぼの中の舗装道路、車も通らず気持ち良く歩いて、たいそう気に入りました。3.3km歩いて番外・葦航寺(いこうじ)、知多四国開創者の一人、武田安兵衛を祀るお寺です。檀家さんでしょうか。年配の方々が大師堂の中に座ってお経を詠んでいます。熱心に絶え間なく・・・かなりしんどいでしょう。あまり見たことがない大師堂の姿、心に響きました。お堂の<かえる股>をよく見ると、人々が何やら話しているようです。開創者の三人でしょうか、安兵衛さんと檀家さん達でしょうか^^1.5km歩いてゴール、河和口駅前で和尚様がひとり一人を出迎えてくれました。10.5km 4.5時間時間かかりました。
May 23, 2018
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~準備万端の棚田の苗~愛知にも八十八寺巡礼があります。知ったのは四国を歩きだしてから、いつか知多四国も歩いて見たいと思っていました。時間がたっぷりあったGW、好天に誘われて歩き始めました。規模はだいぶ小さいのですが知多半島をぐるりと一周、なんだか四国に似ていますね。~1番 曹源寺~5月1日、強い日差しですがポチポチ行きましょう。名鉄豊明線<前後駅>で下車、駅前ロータリーで方向がわからずにあたふたしましたが、1キロ歩いて1番寺です。どこでも最初のお寺さんはリッパですねぇ。こちらで巡礼用具を買うことが出来ます。<歩き巡拝知多四国めぐり¥1200>を買いました。う~ん^^; 歩く道だけを中心に描いてあるのでシンプルでわかり易い様な、いや、わかりにくい・・・2番寺までは3.4キロ、工場や作業場が建つ丘陵地の道をまっすぐ進みます。工場は動いているのか?人気のない乾いた道をまっすぐ歩いていると、自分はどこに向かっているんだろう、なんて思います。なにか癒しがないかな~と目に留まったのが、この威勢よく伸びた野ばらです。道の脇にあった石碑。力づよい。東海道新幹線の高架をくぐって・・・~2番 極楽寺~山の小さなお寺さん、って感じで誰もいません。知多のお寺の本堂前にはろうそくや線香立て、お札入れの銀ピカの箱がありません。大師堂にはあります。大丈夫^^こちらの大師堂はお供えの飾り物が多く暖かみのあるお堂でした。道端の丁石やお地蔵様は少ないですね。~3番 普源寺~ 3番寺までは400m、お隣さんですね(笑) 整然としたお寺です。丁度帰宅されたご住職から挨拶をいただきました。嬉しいですね。4番寺までは1.8km、大通りに出たので賑やかです。~4番 延命寺~普段から地元の人が集ってくるのでしょうね。藤だなの下には大きな机と幾つもの椅子が並び、小さい子供が遊ぶ車も置いてあり、なんだかゆっくりしたくなるお寺さんです。JRを超えて、右手が今から進む知多半島へ向かう武豊線、左が東海道本線です。次は6番寺、3.5km歩きます。5番寺は88番寺の方が近いので、歩きでも車でも結願前でのお参りが推奨され、4番の次は6番ととんでます。~6番 常福寺~丘陵地に拡がる<あいち健康の森>の脇を登ると地元に馴染んだ6番寺があります。庭がよく手入れされて休憩所やトイレが行き届いて安らぐお庭です。ここでお昼ご飯を食べているととても元気のよいオバサンが声をかけてくれました。本日会話した唯一の方、オバサンズの話は長めです。隣町に住んでいるので空き時間があれば絶えず車でまわっているそうだ。車のお接待を丁重にお断りして、また知多で会おうね~と言って別れました。お参りを済ませてから山門を通過して、道の駅方面に向かいます。これで健康の森をぐるりと回ったような感じです。今度は丘陵を下って、7番寺は3.4キロ。気温は28℃ですが、乾いた風が吹くのでトコトコ歩けます。線路に向かって戻るように歩いて行くと民家が見えてきました。~7番 極楽寺~保育園の手前を右に曲がるのですが、看板や遍路シールがないので細い生活道に迷ってしまいました。こんな時にGoogleマップがあると便利ですね。8番伝宗寺まで1キロ。こちらは境内を一度出て隣に並んで大師堂がある作りです。知多四国は真言宗でないお寺が多いので、このような形になっているのでしょうか・・・この時期、知多四国は6時~18時まで納経が出来ます。納経所に誰もいない事が多く、インターホンでお呼びしたり、留守の納経所に100円を置いて、自分で朱印を押すということも珍しくありませんから、納経時間が長くても大丈夫なんですね。17時を過ぎました。近くのJR緒川駅で一日目終了です。1番寺~8番寺 15キロ
May 15, 2018
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かも道は加茂地区の一宿寺(H50m)から太龍寺(H450m)までの古いへんろ道で、約5キロ2時間くらいかかります。真念さんが書かれた四国遍路指南の中にもあります。是より太龍寺まで一里半 是ハちかミちなり大師御行脚のすぢハ 加茂村そのほど二里 旧跡も有 大井村なか川舟わたし わかすぎ村 家四五件有道筋には古い丁石が建ち、四国で最も古いへんろ道です。かも道を知ったのは太龍寺を打ち終えて、すでに1巡目の歩きが愛媛に入ったころでした。へんろ道を手入れしたり復活させたりと、沢山の方のご尽力で幾つもの道があるんですねぇ。ありがたいです。予定では<さかもと>から歩いて鶴林寺に登り大井に降りて那賀川沿いを下り、宿<碧>まで歩いて2日目は早めに終える。翌日は<かも道>を登り太龍寺を打って、いわや道平等寺道を歩いて道の駅まで降りてバスで徳島駅まで戻るつもりでした。明日には台風が来ます。(平成29年10月末日の事、半年前の話です(笑)予定変更、かも道を下る事にしました。残念ながら視界不良、夢の中を歩いているようです。~にじり石・少しずつ太龍寺に移動している、と伝わる(^^;;~麓からは山は雲でまったく見えないのでしょう。宿<碧>の御かみさんから現在地確認の電話が入りました。とても心配してくださり、4時にかも道入口までお迎えに来てくださるそうで、恐縮、でも助かります。かも道は麓から青の道・白の道・赤の道と呼ばれたりもします。青は竹林の色、白は石灰岩の色、赤は原生林の道で紅葉の時季は綺麗でしょう。・・・あたしが歩いたのは10月末だったけど、赤の印象が無い。紅葉してたかな。うっ?してなかったよな。石灰岩の欠片が散らばる所は短い区間ですが、ここははっきりわかりました。麓側は竹が生い茂り、先週の台風のせいか随分と倒れていましたが、春から夏は鮮やかな青竹がきれいで爽やかに歩けるでしょう。尾根の道はなだらかで歩きやすいですね。まぁ~こんな日ですから誰にも会いませんが、麓から、かも道・いわや道・平等寺道と歩いてぐるりと元に戻ったら、いい登山道です。石灰岩の欠片が濡れて、足をとられます。本当に残念、下界は何も見えません。霧の女体山を歩いた時を思い出します。~弘法大師像・ここから空海が鶴林寺へ飛んで行った(^^;; と伝わる~ブログを読んだり写真を見たりして最古の道を想像してたけど、やっぱり歩いて見るのがいいですね。思っていたよりも綺麗で歩きやすい道です。最近まわりの人から、へんろ道について聞かれるけど、荒れて危険、寂しい山道と思っている人が多くて~根拠もなく^^;;「まず、少しでもいいから歩いてみてください」と魅力的に話すのですが、なかなか行動に移すのは難しいですね。麓まであとわずか、登り口が急な岩場で、しいて言えばここが難所でした。視界が開けて一宿寺です。御かみさんが傘をさして階段口で待っていてくれました。もぅ4時半、30分以上待っていてくれたのです。車で那賀川を渡ります。向こうに見える校舎が以前台風などの大雨で冠水被害の出た中学校です。<碧>は向こうの山側なのでルートとしては少しずれますが、離れとして建つ宿は新しく、部屋数は少ないのですが各部屋がバストイレ付で木調の広い部屋です。利用する方は宿に電話して行程の相談をしてみたらどうでしょう。わたしはひと月前に予約しましたが、観光シーズンの予約は取りにくいみたい。3つの1人部屋はおばさんお遍路3人組が押さえていましたが、台風でキャンセルしたそうです。雨足がかなり強くなって風も出てきました。御かみさんは夕飯のあいだ中、ずっと横にいてくれました。最終日の3日目、台風が来る前に四国を離れるようにと駅まで送っていただき、お陰様で交通機関が止まる前に家に帰ることが出来ました。
March 22, 2018
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この冬は長く厳しい寒さでした。それは季節外れに立て続けにやってきた台風も影響している気がする・・・な~んて、こじつけ(〃艸〃)ムフ今週からはグッと暖かくなって、芽吹き蕾はほころび、春本番ですね。春の遍路道も心がウキウキして素敵です。なのに、昨秋の遍路道のお話、今年度中には仕上げますm(__)mさてと。雨が絶え間なく降りますが、この位なら舎心嶽にもよれそぅです。初めて歩いた時は鶴林寺・太龍寺・大根峠と3回のアップダウンにへとへと~階段差のあるこの坂に閉口したのに、今回は気にもなりません。へこたれている時、上から聞こえてくる鐘の音はあとどの位なのか見当がつくし、励まされているようで好きです。参拝者がいないのかな・・・雨で音が響かないのかな・・・静かな遍路道です。先週の台風で落とされた杉の葉、重なり合って綺麗。ふわりとして足に優しいですね。視界が明るくなり車道に出ました。このすぐ左手に<かも道>が見えます。今回はこの道を下ります。太龍寺山門でこの日初めての歩き遍路さんに会いました。車道を下って平等寺まで行くのでしょう、急ぎ足です。太龍寺は「西の高野」と呼ばれH618mの太龍寺山の山頂近くにあります。雨雲が次々と杉の木立の間を流れる様子に霊気を感じます。台風は明日最も接近するので、お寺さん方が忙しく養生を始めました。扉を閉めたり板張りしたり、もぅ線香立ても片付けています。先週の台風の時はロープ―ウェイが止まりましたが、この日は風が無いのでまだ動いていますが、もう今から参拝に上がって来る人はいないでしょう。こちらのロープウエイは平成4年に開通し西日本で一番長く、101人乗り。それまでは駐車場から30分かけて坂を登る難所のお寺でしたが、誰でも参拝できるようになりました。ただ山門は逆側となるので、是非足を伸ばしてもらいたいです。初めての時は山門から入り本堂大師堂と参拝して、御朱印を頂いてそのまま山門を出て車道を下りてしまいました。ロープウエイに通じるこの階段を下らず、その先に舎心嶽があることも知りませんでした。ロープウエイ乗り場から大師像が見えるはずなのですが・・・う~ん。あの木のあたりかな?大師像は乗り場から1キロ足らず、ゆるやかな道(車が通れる程の広さ)を登ります。ロープ―ウェイが開業した頃に道も整備され、八十八ヶ寺のご本尊像が建立されたのでしょうか?拝見しながら歩いて大窪寺を迎えたら、背中を向けたお大師さんに到着です。ブロンズ製の<求聞持修行大師像>が東向きに座っています。岩に座して、山々を、その先の海を見つめる姿を幾つもの写真で目にしていたら、勝手に思い込んでいました。73番・出釈迦寺奥の院の<捨身ヶ嶽>の様に険しい岩道を這いあがってたどり着く・・・思い込み~(((*´ε` *)すぐそこのお大師さん、鎖はほんの5mもありませんが、岩は雨で滑りそうです。残念だけど諦めました。さっき階段で転んだし。霧の捨心ヶ嶽に比べたら、「大丈夫だね~そだねぇ~」の感じですが、今回は初四国のお遍路を体験したいという初心者さんも同行してるので、無茶は止めておきます。この先には<道の駅わじき>まで通じる、いわや道・平等寺道がありますが今回は止めておきます。来た道を戻り納経所でかも道の地図をいただき、登ってきた遍路道のすぐ右手のかも道へ入っていきます。とっても楽しみです。
March 13, 2018
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お正月に<さかもと>から葉書が届きました。今頃お雛様が沢山飾られているでしょうね。~棚野口は山の右手から~2017年10月28日(土)歩き遍路2日目の話です。この年は季節外れの台風に翻弄されました。10月の第3,4週とふたつ、土日にやってきました。朝から雨、明日には台風が四国に最も接近する予報です。当初の予定では2日目は<さかもと>から歩いて 広瀬橋を渡り右折、棚野からの歩き道を登って鶴林寺を打って、その日は下って宿<碧>まで歩き、3日目は<かも道>を登って太龍寺を打ってロープ―ウェイで下るつもりでした。台風が通過するまで連泊する人、このまま宿から市内へ戻る人、一気に平等寺まで歩く人。生名口まで送ってもらうお遍路さんがいたので、私もさかもとの車に乗せていただきました。運営している方々はさりげなくやさしく、チームワークのがいいですね。20~30人が運営に関わっているそうです。<横瀬橋>を渡って、棚野口から鶴林寺へ登ります。8:00昨日滝であったお遍路さん、彼は逆打ちだったのですが、下りの最後が急坂で転んだと言っていました。そうか・・・入口は慎重に登ります。小雨は絶え間なく降るけど、風は全くありません。何も見えないけれど、しっとりと静かで、それはまたそれでいい気分です。初めて歩いた時は5月の連休、良い天気の中を金子やに泊まった沢山の遍路さんとお寺を目指しましたが、今回は秋、台風が向かってきています。雨が無かったら歩きやすいよい道です。1時間ほどで、懐かしい鶴林寺の門が見えてきました。まるで墨絵です。幽玄的ですね。苔がたっぷりと水を含んで生き生きとしています。春に歩いた時は全く気が付きませんでした。人気がない静かな境内、納経所のおばさん達も退屈そうです^^10年前、お寺と同じ名前だった義母に、ここでお守りを買ったのを思い出しました。階段のわずかな段差に足をとられて滑って転びました~気を付けていたつもりが・・・慎重に、先を急ぎましょう^^;;このくらいの雨なら太龍寺から<かも道>を下れそうです。水を得て白いカニがあちらこちらをピョンピョン歩いています。1巡目には見なかったカニです。H500m程のお寺から大井地区に下ってきました。以前は小学校跡のトイレを借りましたが、遍路道からスムーズにそちらへ入れるように工夫されて表示がでてました。大井の東屋で宿で頂いたお昼を食べます。雲が次々と流れ、川の水がひすい色をしています。以前は気が付かなかったけど、どうしてこんな色をしてるのかなぁ?那賀川を渡り太龍寺をに向かいます。舎心ヶ嶽まで行きたいのですが・・・11:00
February 18, 2018
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慈眼寺付近には滝がいくつかあって、歩きの道中を楽しませてくれます。車道を2.5キロ下ると灌頂ヶ滝(かんじょうがだき)があります。穴禅定はH700m 慈眼寺は550m 滝は350mです。滝の落差は70mで徳島有数の滝です。~名もなき滝~下りながら見下ろした滝よりも見上げる滝姿は迫力がありますね。がんじょうとは冷水を頭から頂くという意味だそうで、昔、弘法大師が滝に打たれて修行をしたと伝わっています。急な階段を登ると風によって水しぶきが飛んできます。水量は多くないですね。晴れた日の8時~10時位に水しぶきの間に虹が見えるそぅで、<旭の滝>とも呼ばれています。今朝は見えただろうなぁ・・・残念。9時に坂本を発つたので滝を先にしようか迷ったのですが、まずは穴禅定が目的だったので午後になってしまいました。もぅ2時です。~多分あの辺りに~下に見える車道でその高さが伝わりますか。滝を後にして車道をさらに下りT字路に突き当たったら左に進みます。木製の巨大モニュメントを過ぎたら坂本に戻る杉谷方面の道に入ります。杉谷橋のすぐの所に女滝が、小川沿いを少し入ると男滝があります。地図をもらった時に「滝周りで歩くなら寄って見て^^」と勧めてくれました。チョコッと寄り道をして、可愛い滝に癒されました。数件の民家の前を過ぎて人気のない山道を登るとミカン畑、色が映えて綺麗ですね。後ろから若いお遍路さん。本日初めてのお遍路さんです。バーンアウトした彼は1番からと88番からと2コースでまわり始め、その時の都合で順打ちをしたり逆打ちをしているとか。なんか・・・そうか、そんなまわり方もあるんだ。都会の若者らしいというか。今は再起して自分のペースで働き始めたそうで、吹っ切れたお顔付きでした。<さかもと>が満室で徳島市内の宿にしたので、バスに間に合うようにと急ぎ足で行きました。さかもとで荷物を預かってもらえナップサックを借りたこと、地図をいただいたこと、とても助かったと言ってました。道は途中で来た時の道と合流します。坂本が見えてきました。学校を改修した部屋は広く、部屋ごとに柑橘類の名前がつけてありました。この日、女はわたしだけでしたが女風呂を用意していただき、広々とありがたく湯船につかりました。わたしは早く横になりましたが、男性陣は「どうせ明日は雨だから~」と遅くまで飲んで情報交換をしていました。夜には雨が降り出し、天気予報通りに台風が向かってきています。かも道どうしょう・・・明日の朝に考えよう。
February 7, 2018
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天とふや鶴の奥山おくたえて 願ふ功力に法ぞ通はむ慈眼寺は20番鶴林寺の奥の院。別格3番。標高550mの山岳霊場です。坂本から登ってくるときは見えなかったお寺が岩壁を背にして見えてきました。朝9時にバスを降りて慈眼寺まで登り、穴禅定を体験して麓に降りて、鶴林寺へと登り麓の宿に泊まる・・・地図の上だけで予定を立てたオバはん。先達さんに相談してみると、とても無茶な(^^;;と、アドバイスをいただきました。自分の歩力と述べキロ数をトンチンカンしてました。(〃▽〃)穴禅定は本堂から15分程の坂を登り、穴自体は40分程ですが前後の説明に各10分。15x2+40+10x2 スムーズにいったとしても1時間30分はかかります。バスの団体さんがいようものなら、かなりの待ち時間となります。先達さんは2.3時間待ったことがあるそうで、8時間もかかったとか、消防の人に助けてもらった、なんて話もあって、時間の都合であきらめる方も多いようです。ということで、1日目は慈眼寺で穴禅定をして<さかもと>に泊まる予定に変更しまたえ(〃´∪`〃)ゞ台風接近の影響でしょう、境内はひっそりとしています。まずはと梵鐘をついていると納経所の方から「穴へいかんかね?」と声をかけられました。後から来たカップルにも声をかけています^^余談ですが、この二人は全く穴禅定を知らずに入ったので、穴から出てきた時の二人の顔は忘れられません(〃艸〃)穴禅定に来た女性と同行する人を集めていたのですね。これで5人、一人千円となりました。「さあさぁ、お参りは後でいいから」と、早々に堂内で専用の上白衣に着替えて荷物を木製ロッカーに預けます。携帯電話・カメラ・眼鏡も置いていくようにと勧められますが、携帯はポケットへ。先達のおば様と15分程手堅い坂を登って行場の洞窟に行きます。あれ?おば様はさっき庭の草取りをしていた方ではないですか~穴禅定の仕事がない時はお寺の雑務をし、先達をするのはおば様ともぅひとりいて忙繁期は2人でまわしているとか。パンフレットにのっている白衣姿の先達さんは若き頃のおば様と思われます。穴に入る前にお参りをして説明を受けます。1本づつろうそくを渡され(2時間はもつでしょう)中に入る順番を決めます。祈祷にきた女性の徳島さん、初心者さん、私、若い女性、若い男性の順になりました。中に入ったら伝言ゲームの様に先達さんの言ったことを次の人に伝えます。<これはかなり重要です>赤茶けた鉄の階段を上がり洞窟に入りましょう。先達さんが入口の時計をチェックしました。穴禅定は約2憶5千年前にできた細長い鍾乳洞で、標高は700m位です。頭ひとつ分の幅しかない隙間もあり、体をくねらせてすり抜けて進みます。「ろうそくは右に持ち替えて、頭はそのままで~先に左肩左足・・・」「右を下にして~横向きで這って進んで~」中はろうそくの火だけです。わたし達は5人ですが、団体さんが続いたら先達さんの声は届きませんし、伝言が正確に伝わるかどうか・・・おば様は30人の先導をしたこともあるとか、難儀だったでしょう。境内には穴を通過できるかをチェックできる石柱があります。アタシはなんとか通れましたが、あの方は本当に通れたのかなぁ・・・太った方、背がとても高い方、体の硬い方、腰や膝に痛みのある方、閉所恐怖症の方・・・とても神秘的な行場ですが、誰でもお大師さまのところまで行けるとは限りません。距離にしたら100Mほど。途中に2ヶ所、鍾乳石の造形を見上げることのできる空間があって、先達さんがライトを当てて説明してくれます。「岩壁に阿弥陀如来、不動明王・・・」そのように見えてくるから不思議です。「ここはお大師さまが封じ込めた龍が頭上にいます。頭、牙、手足、尾。そしてほら貝」う~ん。確かに。一番奥には座禅修行のお大師さまが祀られています。そういえば、ここにも時計がありました。全員で般若心経を唱え、一人ずつ願い事を伝えると先達さんが献火して祈祷してくれます。徳島さんは家族や友人のお祈りを10程読み上げてもらい熱心にお祈りしていました。後ほど納経所でろうそく代を支払います。(1本100円)鍾乳洞の隙間を折り返し戻ります。先頭だった徳島さんは緊張のあまりか伝言が上手く伝えられずテンパッテしまったので、帰路は違う人が先頭に替わりました。帰りは冷静に進めました。一か所、道が上下になっている場所があり、行きは上を歩いて、帰りは下を這って通りました。この様な道だから一度に1グループしか入れないのですね。すれ違うことは出来ないし、中で混乱してしまうでしょう。ず~っと昔からこの形。不思議な空間です。携帯を持ち込みましたが、撮る余裕がなく、何より尊とすぎてレンズを向けれませんでした。洞窟から出て、時計をチェック。45分かかりました。「5人なのに時間がかかったねぇ~」とおば様に言われてしまいました。( ´艸`)アリャリャ入口には次に行場に入る夫婦が待っていました。お昼ご飯にしようとしたところへ私たち5人、そしてまた、おば様はお昼をとれずに穴へ入っていきました。中はこまめにほうきで掃除がされていますが、足元には蝋が垂れ白衣もズボンも水滴で多少は汚れます。支度を整え、御朱印を頂き、慈眼寺のお菓子もいただきました。貴重な体験が出来て満ち足りた気分で坂道を下り、灌頂ヶ瀧へ向かいます。
January 28, 2018
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四国を歩きはじめた10年前、情報源は図書館の本だけでした。それも結構古い本(;'∀')携帯は電話とメール機能だけ、あの頃の不便さが懐かしくもあるこの頃です。室戸岬辺りからPCで検索するようになり、歩き遍路さんのブログからいろいろな道やお寺の事、その楽しい様子を知りました。今回は徳島県、通過した後で知った<番外霊場の慈眼寺>と<かも道>を歩きました。季節外れの10月の台風、ひとつやろ~と思ったら、懲りずにまた来たふたつ目の台風、10月27.28日の事です。~徳島駅前~名古屋~愛媛間を結ぶ夜行バスで名古屋駅を13:00に出発、徳島駅には5:10到着、まだ夜明け前で真っ暗です。駅前のすき家で朝ご飯、1時間ほど時間をつぶしていると朝日が駅前を照らし始めます。そぅそぅ、徳島だ、懐かしい~ロータリーの5番乗り場で勝浦線・黄壁上行(きわだと読むそうで・・・漢字は難しい)7:10発のバスに乗ります。どんどん山間を走り勝浦川に沿って走ると見覚えのある景色に心が弾みます。あの辺りは星の岩やかな~、あっ、金子やさん、鶴林寺に入る山道だ・・・女へんろが4人、鶴林寺を目指して登って行きます。~床屋の向かいの坂を登り、フェンスの上の道を歩く~市内から乗ってきた県立高校の生徒さんが降りるとバスは急に空いてしまいした。勝浦線は本数が少なく、終点が違うので時刻表のチェックは必須です。1時間ほど揺られてバスが狭い急坂をうなり声を上げて登り始めると<さかもと>はすぐです。八幡神宮前で降りて坂を下ると閉校した小学校を活用した農村体験宿泊施設<ふれあいの里さかもと>です。前回鶴林寺を目指した時はへんろ道入口の<金子や>さんに泊まりました。その頃から噂は聞いていたので、いつか<さかもと>に泊まりたいと思っていました。受付で荷物を預かってもらえ、慈眼寺への道の手作り地図をくださいました。この地図がとってもありがたい。八十八札所でないと、歩く人は少なく民家もなく遍路シールもないですね。静かな木立の中を歩きます。空気が美味しくて森林浴気分です。前回の台風で落ちた杉の葉の緑と黄色、枯葉の茶色とミックスしてとてもきれい。民家がポツン、その後は慈眼寺まで家はありません。ブログで目にした黄壁の小さい集落を見下ろす、向こうには連なる山々、空は真っ青です。翌日に台風がくるなんて信じられないお天気です。かつてはこの上まで民家や畑があったのでしょう。手放されて・・・いづれ草木に覆われます。細い道がくねくね曲がって、でも、さかもとやさんが要所に看板を立ててくれてあるので間違うことはありません。いったん農道にでますが誰にも会いません。また地道に入ります。途中に小屋がありました。中を覗いてみると・・・最近手が入っていないのかおへんろさんのゴミがたまり、締め切りのせいでかび臭かった・・・日が暮れると真っ暗な慈眼寺への道、ここは風雨をしのげ泊まることもできるので心強いですね。~木立の中の遍路小屋~ しばらく行くと石畳の坂となり、大きな岩が見えてきて、この下を通過すると目の前に滝があります。慈眼寺の周りには大小の滝が結構あって楽しませてくれます。○○四十八滝の様に、黄壁四十八滝と整備して売りだしてもいいかも。でも、ここまで見に来るかな?採算とれるかな?うーん。~岩の向こうに滝~そういえば、この滝の辺りでサル達に遠巻きに囲まれたのです。滝で休憩するお遍路さんの食べ物を狙っているのか?縄張り意識か?けん制しながら足早に車道へ出ました。ここから右に登って慈眼寺。左に下って浄蓮の滝。歩く事を楽しんで坂を登ります。慈眼寺まであと1.3kmです。
January 20, 2018
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こんな目立たないブログに目を留めてそしてコメントをくれるなんてとてもうれしかったのです。いちRさんの気持ちに応えたくて高知を歩いた時の記事を振り返り、記憶をたどります。~黒潮町 熊井ずい道 高知さんと藻城さん~高知(修行)H22年秋遍路 37番岩本寺~高知(修行)H22年秋遍路 38番金剛福寺7件に書き留めてあります。カテゴリの中の<歩き遍路88>のカテゴリを開いてみてください。(もぅ見られたかな?)私は区切りで春と秋に一人で歩いたオバサンです。藻城さんと知り合ったのは2010年、もぅ7年経つなんて驚きました。1日目 10.10 晴れ 影野駅~37番岩本寺2日目 10.11 晴れ 37番岩本寺~民宿<たかはま>3日目 10.12 晴れ 民宿<たかはま>~民宿<久百々>4日目 10.13 晴れ 民宿<久百々>~38番金剛福寺影野駅で降りた私が岩本寺の宿坊に着いたのは夕方でした。大広間には団体遍路さん、歩き遍路も沢山いて夕食は始まっていました。藻城さんは年上のうえに、すでに25回も回られていたので話の輪の中心でした。出遅れて席に着いたわたしは耳をダンボにして聞いていました。 ~焼却所~翌朝、次々に歩き遍路は宿を発ちましたが私は偶然、藻城さん・神奈川さんと前後して歩きました。日記の中では藻城さんは京都さんSさんは神奈川さんと呼んでいます。どちらも健脚で、いつの間にかわたしとの間は開いていくのですが分かれ道や要所で2人は待っていてくれました。市野瀬遍路道の下りは夜中の雨で足元が危うく前を京都さん、わたし、後ろを神奈川さん、とフォローしてくれました。彼岸花の写真は神奈川さん、左の影が藻城さんです。 先を行く2人ですが、度々喫煙のために休憩をとるので結局追いついて、追い越し、また追い越されて・・・その繰り返しです( ´艸`)市野瀬をこえてきたところの椅子で一服、佐賀温泉の遍路小屋で一服・・・「煙草を1本吸う時間を一服というんだよ。一服吸うのは15分くらいだ」なんて言ってました。~高280M~この日は食事処が少なくて、[うどん!うどん!]とみんなで「庄寿庵」目指して歩きました。白衣姿が何人も並んで美味しくいただきましたっけ。2日目の宿はわたしは「たかはま」2人は少し先の「日の出」でした。3日目は何故か道中は一緒にならず、わたしの宿入りも夕闇迫る頃のラストでした。<久百々>の玄関先には椅子に座ってビールを飲む男性陣。朝早く発ち、3時か4時位の早めに切り上げて一番風呂に入るのが好きな藻城さん。夕焼けに染まる海を見ながらご機嫌でしたよ。 ~佐賀温泉~<久百々>はお気に入りのお宿とかで、設備の不十分だったお宿に尽力された話を聞きました。他に33番寺門前にある<高知屋>さんのPRもしていました。「久百々や高知屋に泊まってよ。宣伝することで協力してるんだ。」と言っていました。その夜は22時まで飲んでいて(普通歩き遍路は20時頃には布団に入ります)その時の写真は久百々のブログ内の写真館2010.11.10にあります。(日付けが違うような・・・?)写真の中に額入りの観音様?の絵が見えます。確か・・・藻城さんが描かれたものです。 ~鍵掛~4日目女将さんはみんなに軽食セットをお接待してくれます。おにぎり、バナナ、お菓子、乳酸飲料・・・「おかぁさんのはお接待じゃない。お節介や~」と嬉しそうに何度も言ってましたよ。藻城さん、別宿に泊まった神奈川さん、私、この日はそれぞれのペースで足摺を目指します。窪津港を過ぎると右手に急坂の歩き遍路道があります。保存協会の赤点線の道です。「眺めがいいからこっちをあるいたほうがいい」と勧められましたが、見ただけで意気消沈、車道を進みました。この後、てくてくと岬を目指し38番寺にやっと着くと門前で神奈川さんが出迎えてくださりました。藻城さんが私が歩き終えるかと気にしていてくれたそうで藻城さんは宿へ向かいましたが神奈川さんが見届けるために待っていてくれたのです。わたしはここで区切り終えて、バスで高知に戻りました。 どんな小さな事でも・・・と思い出してみましたが、この位で参考になりかどうか・・・ごめんなさい。この後も神奈川さんと南光坊まで同行したそうなので神奈川さんなら色々と知っていると思います。藻城さんの賀状の中に神奈川県のSさんの便りがあるはずです。是非お四国を歩いてみてください。どの道でもどの宿でも、藻城さんの好きな四国を感じることができますよ。白い靴を自慢していた藻城さん。白装束がお年を感じさせない程、オシャレさんです。
September 10, 2017
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義母の新盆を滞りなく行え送り火を済ませました。春に仕上がった八十八ヶ寺のお軸を床に飾ることが出来ました。歩き遍路でお軸を背負っている人は珍しく行く先々で「盗まれないように気をつけなさい」と言われました。リュックと軸のひもを絡ませて影を見て軸が背中にあるか確認してトイレには同伴してかなり神経をつかいました。雨に濡れないようにリュックと軸の上からビニール袋をかぶせて洗濯ばさみでとめたりしてず~っと一緒に歩いてきたお軸。「80歳までは丈夫でいてね。それまでに廻り終えるから」冗談交じりの声掛けを繰り返して歩いてきました。秋には高野山へ参ることもできました。「もぅこれで完成だね」といった義母。今年に入ると横になることが増えました。これは・・・表装を急がないと。彼岸前に近所の表具屋に注文すると1ヶ月はかかるという。間に合うだろうか。好みの柄を選んで作ったお軸が出来上がったのは義母が入院する3日前。床の中の母に見せると「立派なのが出来たねぇ~」と言ってくれました。母の亡骸が戻ってきた時も床に飾って迎えこのお盆にも飾りました。家族の世話を頼むと快く(当初は怪訝に)四国へ行かせてくれた義母は80歳を目前にして旅立ちました。
August 15, 2016
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初めて高野山を訪れた11/1(日)標高900mの高野町は紅葉真っ盛りでした。雨が降るたびに近づいてくる冬を感じます。紅く染まったお庭の夜間拝観から戻って早々にお風呂を済ませ雲水さんが敷してくれた布団に入るとすぐに寝入っていました。~一の橋~何時だろう。凄い雨音で目が覚めました。部屋と廊下の間は障子、廊下と外の間も障子一枚だけ、開けるとかなりの雨足。それに屋根が谷になっていて、四方から集まった雨水がすごいいきおいで流れ落ちてます。一階のトイレに行くと、宿坊の玄関と廊下の戸が開けっぱなし @@受付の部屋には一晩中雲水さんが待機していました。雨音が気になり、布団の中でゴロゴロ。外が白んできても雨は絶え間なく降り続いていました。~武田信玄・勝頼の墓~町石道を登った昨日が晴れただけで十分ラッキーだから、この日の雨はしかたありません。無量光院には約50名の某県民と約50名の大国の方が泊まっていましたが離れた大部屋に泊まっていたので交わる事もありませんでした。~極楽橋~朝のお勤めは6時から近代的な本堂は100人程の人でいっぱいです。大住職、若住職は外出中のため外国人の僧侶の法話を聞きました。日本語・英語・大国語が飛び交うお話でした^^~金剛峯寺~雨は上がりそうもないので、傘をさして奥の院に向かいます。平日でこの天気、町はしんみりとりとしています。町中を走るバスの一日乗車券もあるようですが雨を友にして歩きます。ポトポト・・・今年は1200年を記念したTV番組を何度も見ました。~山門横の虎口~奥の院は弘法大師さまが御入定されている聖地。正式には一の橋から参拝します。一の橋から御廟まで約2キロメートルの道のりには、約20万基を超える諸大名の墓石や、祈念碑、慰霊碑の数々が樹齢千年に及ぶ杉木立の中に立ち並んでいます。極楽橋から先は聖域中の聖域で、写真撮影は禁止燈籠堂 弘法大師御廟~防火対策~本堂裏から御廟にお参りでき、本堂の地下に入ると更に御廟の元に近づくこともできます。NHKの特集では極楽橋の先へは入らず神秘的に荘厳に番組が作られていました。爆笑問題のリードで進む某民放の番組は極楽橋を越え地下まで入り<全て>という位見せていました。初公開だったそうで・・・「すっごい感激」が、「わ~感激」くらいでした。~金剛峯寺~奥の院の雰囲気を重く暗く感じて苦手の人もいるようですがあたしは興味深く見させて頂きました。傘をたたんで、きた道を戻ります。昨夜拝観した金剛峯寺に寄って最後の御朱印を頂く。この山門は昔は皇族上流階級しか通れず普段は右の虎口を利用、僧侶は今もここを通るそうだ。バス・ケーブル・南海電車と連絡よく乗りついでドンドンと高野山からとおざかる。あっと言う間の高野山。
November 20, 2015
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町石道の最後の急坂を登りきると車道そしてド~ンと大門です。胸がいっぱいと言うよりは間に合った安堵感で満たされていました。大窪寺では霧の女体山に時間がかかり到着したのは5時すぎでした。団体さんご一行がお経を読み記念撮影をしている横をすり抜けて合掌その日は宿に泊まり 翌日納経したのでした。~車道から見える1丁石~今回は金堂の御朱印に間に合いました。金堂では本尊御開帳を終えるためのお勤めの準備中。10月1日(木)から11月1日(日)今日まで「金堂の御本尊特別開帳」として、昭和9年、弘法大師1100年御遠忌に合わせた金堂の再建とともに造られて以来、秘仏となっていた御本尊が開帳されていました。~大門 裏側~般若心経を詠んで納経所へ行き、また金堂に戻ると仏前はすでに行列です。隅に座って僧侶達の綺麗なお経の合唱を聞きます。。白衣姿もお遍路さんらしき姿も見かけませんが金堂は御開帳最終日と紅葉を楽しむ人でいっぱいです。 長いお経を聞いているとここにいることがありがたく泣けてきました。父と母の子であることに今の家族があることにただただ感謝。生まれてきたこと 生きていること 自分であることこの時があること ただただありがたい。~宿坊の夕飯~お経が終わり鐘の連打する音が響いて・・・扉がしまりました。観光客の間をぬって、無量光院へ。この日(11/1)の宿坊です。本堂は新築されて近代的ですが、宿坊は簡素です。広間にひとり、10畳はあるでしょう。四国の宿坊とは違ってTVは無く、部屋食なので他の方との交流もありません。~金剛峯寺~夕食後が長い・・・そうだ。金剛峯寺の夜間庭園特別拝観へ行ってみよう。拝観料300円で一巡出来ます。最初にくぐる門を正門といい、金剛峯寺の建物の中で一番古く、1593年に再建されて以来、今日まで建っています。 昼間の喧騒と打って変わって、人気がない廊下を進みます。大広間、持仏魔、梅の間、柳の間と続きライトUPした屏風などを見ていると思わず写真に納めたくなります。(撮影禁止)柳の間の前では屏風の雪の絵に胸が詰まる様でした。1595年に豊臣秀次(ひでつぐ 二代目関白)が自害したことから「秀次自刃(じじん)の間」ともいわれています。照明ザイナーが光を当てた庭園の場所は3ヶ所のみ。一巡しても誰にも会いません^^;;あ~、奥の扉の影で監視役の僧侶が何も言わずに立っていたのには飛び上がるほど驚きました。それでも微動だにしないお若い僧侶、「こんばんは」の一言位声をかけてくれたらいいのに・・・宿坊に帰る道で、とうとう雨が降り出しました。誰も居ない道。高野山の夜は早いのですね。もう床に入りますm(__)m
November 14, 2015
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町石道を7km程、1/3登ってきました。地道になってから、ず~っと林の中を歩いてきて、ふと視界が広がる所。展望台・二ツ鳥居から右手に集落が見下ろせます。~丹生都神社のある天野の里~町石道で心配なのはトイレと自販機。トイレは、自尊院、丹生都神社、ここから1km先の神田地蔵堂すぐ下、そしてスタートから16km地点の矢立茶屋。自販機は自尊院と丹生都神社、矢立茶屋。昼ごはんは昨日コンビニオニギリを買いました。夏なら水分確保重要ポイントですが、この時期はPボトル1本で充分。~二ツ鳥居~819年5月3日 弘法大師建立 当時は木像だったものを1649年補陀落院の御坊様が私財を以って石鳥居に建て替えた。この辺りからは標高5~600mが続き、緩やかな坂を登ったり下ったりでゆとりを持って歩けます。皆さんのブログにもあったように鳥居を過ぎると右手にゴルフ場が見え隠れしてきます。思っていたよりも長く歩道と並行して続くのですね^^~白蛇の岩と鳥居~道の途中にはいわれのある石が幾つかあります。展望台も所々。神田地蔵堂では沢山の人がお弁当をひろげていました。今日は町石道を歩く催しがありあたしがスタートする前に100人位が出発していたようです。前半は何人かに会っただけだが半ばからは大勢の人と追い越し追い越され休憩所も満員です。お遍路さんは三人見ました。杖をついて、大きなリュックを背負ってたのはアタシだけで登り切ったら陽のある内に帰るんでしょう。~矢立茶屋~17km地点で車道を渡ります。そこにあるのが唯一のお店、焼き餅で有名です。先ほどから歩道まで聞こえてきたエンジン音。高野山へ向かう車、下る車で大渋滞です。楽しみにしていた焼き餅はとっくに売り切れて次の商品を運ぶ車がいつ到着するかわからないとか・・・諦めて登りますか。だいぶ高い所を歩いていたんですね。残りは6km2時間程です。ここからはまた登り坂、さぁ、あとひと踏ん張りです。もう一度車道を横断車道の下手を並行して町石道がある様で渋滞の気配がビンビン伝わってきます。なんだか臭いと思ったら排ガスが歩道に下りてきてます><。~ザトウムシ~最後の急坂を上がったら突然目の前に大門と聞いています。荷物が重くて膝にきます・・・ヨレヨレと町石に手を付いたら「何かいる~@@」蜘蛛?後で調べたら<ととろ>の<真っ黒くろすけ>のモデルで害のないおとなしい、蜘蛛というよりダニに近い虫だそうで。4時に大門到着。高野山こんにちはっ。7時間かかりました。明るいうちに大門が見れてよかった。初体験は新鮮ですね。~のろのろ~歩こう会のゴール係りの人が「金堂の御開帳は今日まで。まだ拝見に間に合うよ」と教えてくれました。混乱の原因は紅葉と御開帳だったのだ。さっそく金堂へ向います。
November 9, 2015
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午前中ひと働きして早々に退社、列車に飛び乗ります。近鉄で予定どうりに乗り継げば、18時前には宿に着くはず。何もかも、お初と言うのは緊張します。近鉄で大阪に行くのも、先々の駅も初です。特に困ったのは<なんば>駅。一体いくつのなんば駅があるのですか・・・この春、お遍路の途中で水没したガラ系携帯電話。スマホも何とかこなせる様になり?電車乗り替えや地図アプリは本当に便利ですねぇ~妙寺駅に降りた時はどっぷりと真っ暗でしたが無事に<かつらぎ旅館>に到着。お客は3人、お遍路はアタシひとり。11/1 日曜日 晴れさて、町石道を登ります。ふもとの慈尊院から大門までは約20km6~8時間かかる、らしい・・・7時過ぎに発ち、九度山駅とは反対の方向から慈尊院に向かいます。4・5kmはあるでしょうか。朝日に向かってひとり、紀ノ川に沿ってポツポツと歩く。とても静か。慈尊院は空海の母君のお寺です。世界遺産である慈尊院は弘法大師(空海)が高野山開創の際に、年貢の徴収などの庶務を司る高野政所や宿泊所を置いた高野山の要所。弘法大師の母公が晩年移り住み、没後弥勒堂が建立されたことから、女人禁制の高野に対して「女人高野」と呼ばれ親しまれてきた。弥勒堂に安置されている弥勒菩薩坐像は国宝に指定されている。 山門をくぐると左手に弥勒堂暗くなる前に大門まで行ける様にお祈りします。こちらに参拝をする方が多いのに比べ本堂に回る人は少なく、線香立ては本日一人目。四国では一度も経験したことがなかったのにもう9時というのに初お線香です。鐘を撞いて神社への階段を上がります。多くのブログでこの階段の鳥居の右に1丁石があり、ここが入口とありました。私が境内でゆっくりしていた間にトレッキング姿の人達がここを入って行きました。さあ、あたしも行かなくちゃ。~新池~少し紅葉が始まり出していますね。舗装道の脇に柿畑が続いています。自尊院の標高は約100m 高野山大門は約800m166丁石辺りの展望台からは、紀ノ川に沿うように拡がる麓の町が見下ろせます。しばらくすると遊歩道のように地道となります。2km地点の雨引山分岐までは急な坂。リュックが重みがまだ出来上がってない足にきて、この先大丈夫か心配になる。雨引山分岐で400m上がってきました。陽の入らない薄暗く静かな地道が続きます。道幅は3m程、後半の狭い所でも1m。四国の様に遍路シールや札は無いけれど、分岐には新しい表札があるしほとんど一本道なので迷う事もありません。ただひたすら進めばいいのに~~いわれの石が所々に~開けた平らな六本杉(天野峠)に来ました。左は町石道、右は丹生都比売(にうつひめ)神社。神社への道は急坂を下り、また急坂を登って町石道に戻る。4km、1時間余分にかかります・・・神社にはトイレや売店もあるのですが(オバハンには重要ポイント^^;)寄り道は止めて、町石道を行きます。~古峠分岐~
November 7, 2015
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~番外霊場 2番 童学寺~もう一度焼山寺まで歩きたい、と思っていたので身も心も満足です。お天気にも恵まれて玉が峠も順調に歩けました。 ~仲良し~そしてもうひとつ、徳島で知り合った方々にお会いしたいと思っていました。誰も知らない四国で、初めて声を掛けてくれたベンツさん。歩き遍路が利用する大鶴旅館の紹介で泊った橋本旅館の御かぁさん。車遍路のブログを見つけて、コメントをするうちに仲良くなったブロ友のじゅんじゅんさん。じゅんさんは結願の後、安楽寺に泊まった時に会いに来てくれ、翌日は観光地めぐりのお接待をしてくれました。見ず知らずのオバハンにじゅんさんご夫婦は、一日中付き合ってくれました。世の中には驚くほど親切にしてくださる方が居るんですね。 大人になって「ほどほど」が身に付いてきた自分がいます。社交辞令のお誘いだったのかもしれないけれど、徳島にいくのだからと連絡を入れておきました。この日は思いのほか気温が上がり、歩くのは暑かろうとご夫婦は途中まで迎えに来てくれました。じゅんさんはわたしが童学寺や根治寺にも寄りたいといった話を覚えていて、連れて行ってくれました。 童学寺はじゅんさんのブログによく登場するお寺です。飛鳥時代のお寺。弘法大師が16歳の時に、こちらで学問に親しまれた。「いろは48文字」もこの寺で創作したと伝わり、この由緒から童学寺の名が付いた。 ~見事な白モクレンの大木~穏やかな景色の中にシンボルの白い山門が目を引きます。境内はモクレンや桜が咲いて牧歌的、その辺からわらべがヒョコンと出てきそうですよ。 その後 根治寺(こんじじ)にもまわってくれました。地図では随分入り組んだ道、思った以上に高くてパンチの効いた車道です。焼山寺の帰りに時間があったら歩いて寄ろうなんて甘い考えでした。三十六権現は八十八ヶ寺とは雰囲気が違いますね。急に太鼓を叩いたお勤めが始り、静かな境内に物々しい声が響き渡り迫力があります。 町並みを見下ろしながら・・・「さっちゃんはお元気ですか?」と尋ねると、「そうだ。 さっちゃんに会いに行こう!」と、フットワークの軽いじゅんさんです^^さっちゃんは絵の上手な90歳のブロガーです・・・と言ってもブログで拝見するだけのあたし。突然押しかけても、リアルさっちゃんは、どこの豚の骨とも知らぬオバハンを快く迎えてくれました。しばしみんなでお茶time。とてもお年を感じさせない、20才は若く見えるさっちゃん、お邪魔しましたm(__)mそして・・・じゅんさんは更に今夜の宿まで送ってくれました。じゅんさんの太っ腹、チャウチャウ^^; 心の広さに感謝です。ドライバーのご主人さまも、ありがとうございました。 二日目の宿は6年前に利用した橋本旅館。お遍路はあまり利用しない、ましてや、女客も珍しいので、御かぁさんは私を覚えていてくれました。この日は徳島マラソンだったので、前日の泊まり客でクタクタの御かぁさん、夕食は作れないよと言われていました。朝少し話しただけで山を下って行ったベンツさんにお願いしといたので、夕食を御同伴して頂きました。 ベンツさんも御かぁさんも変わっていないな~。でも、6年の歳月が流れています。どうぞ、皆さんお元気でお過ごしください。 ~和歌山へ~いつか、また徳島に。その時も会えたらいいなぁ~と思いながら、アタシも日々感謝して生きていきます。
April 22, 2015
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宿坊の朝は清々しくて凛としています。いままでのお寺は本堂でしたが、こちらのお勤めは宿坊2階の大広間。威厳あるお姿のご住職はやさしい語りかけで、<子供の頃に体験した清水の話>をなされました。聞く人の心もちで深くも浅くもなる、いいお話でした。 お勤めの後、あたし達は各自の部屋で朝飯、ご住職は納経所に御朱印を書きに行かれました。次々出発ちするのを見送り、しばらく納経所で人を待ちました。6年前に同行したベンツさんが会いに来てくれるのです。ベンツさんはスポースカーさんにバージョンUP、とても実年齢には見えないお洒落です。車のお接待をしてくださるつもりで、朝早くにここまで来てくれたのですが・・・平に辞謝m(__)mスポーツカーさんは、山を下って行きました。 さて、アタシも麓を目指しましょう。車道と並行する歩き道は、枯葉が足に優しくていい道です。ほどなく、杖杉庵(じょうさんあん)四国遍路の元祖といわれる衛門三郎の最期の地と伝わります。 歩き道に入り、左右内地区、小学校跡に出てしばらくまた車道を行く。ここを過ぎると峠に向かい当分なにもないから、数件ある売店で、飲食の準備をしたほうがいい。あたしは宿坊でオニギリを求めたが、注文は受けていずその代り菓子パンを販売していたので二つ買い求めていた。 そのまま車道を下ると鍋岩荘、寄居で鮎喰川に突き当たり広い車道を通って麓に下りる。左手に入るといよいよ峠道。きれいな道で、畑も手入れされ梅が満開だった。土手で老いた母と娘(おばさん)が土筆採りをしていた。 静かな道。だんだんと林道になり暗く湿気た道。焼山寺700m 左右内地区240m 玉ヶ峠455m 下ってまた登る。思っていたよりも林道が長くて歩きやすい。ベンチがあって清水が流れおちる横が峠への登り口のようだ。どんな坂道だろう・・・峠を前にしてあんパンの丸かじり。 かなり・・・ゴツゴツの岩道です。一部は道の様なそうでないような。昨日も晴れていたのに石が濡れている。幾つもの坂を歩いて・・・大丈夫。少しずつでも上がっている、峠のテッペンはきっと越せる、と自己暗示する。 足もと気を付けて~あの雛和田峠のブーメランみたいなツルツル石よりはいいかな?一体いつ頃だろう?、野ズラ積みの石垣がある。砂防ダムの役割をしていたんだろうか。 ~右手が歩き道~ 突然、ヒョコンと道に出た。山道の入り口から峠まで30分。入口まで歩いて来た林道がグルリと回って峠まで来れる様だ。この道を100m程進んでくるりと左へカーブすると峠。トイレもあり、一休みするにはいい場所です。 ~玉ヶ峠~ ここからはズ~ッとコンクリートの道を下ります。右手に鮎喰川見えます。こう見ると随分上がってきた来たんだなぁ。あの山の向こうの徳島市まで行くのか。ベンツさんが山を幾つも抜けてお寺まで来るには早朝に家を発たれたのだろう・・・申し訳ない。 春を感じながらいい気分です。山肌から爆発寸前の衣吹みたいなすごいエネルギーを感じます。もうすぐ<山が笑う>のですね、門前さん。この時は彼岸の頃なので、今頃はケラケラ、クスクス、ワッハッハ! でしょうね。 ~福原辺り 北海道さん夫婦~ 阿野でるるぶさんやご夫婦に追いつき・・・バテテいましたが、マイペースで歩かれていました。お先に、ご安全に。この日はもう一方、お会いする方がいたのです。
April 8, 2015
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へんろ返しを登り終えて、この日は焼山寺の宿坊に泊まりました。5時間で登ってこれたので、奥の院まで行けそぅです。本堂の左手、奥へ進むと宿坊があります。玄関先で ♪コロリンとした椎茸が干してありました。精進料理に使われるのでしょう、春の光を浴びて山の空気で乾かされ、美味しそうですよ。 ~ほっこり~一番乗りのようで、奥の院へ行きたいからと部屋に荷物を入れてもらいました。奥さまはチラリ、と時計を見上げて 「う~ん・・・まだ元気そうだから、行けそうね」どうも、3時が目安の時間の様です。 ~標高 938mの焼山寺山へ~ 太鼓判を押されて?さっそく奥の院のある焼山寺山頂を目指します。片道1.1km 往復2時間とありました。春だからまだ明るいけれど、冬だったら登れなかったでしょう。作業場風の建物の前を進み、働いていたオジサンに聞いて奥へ進みます。山のお寺なので、雪や水に対応できるように設備されています。建物には除雪車や道具が並び、山火事対策の雨水をためる貯水所もあります。それを過ぎると樹木で陽を遮られた静かな山道です。 ~道からの側面~ ♪ 焼山寺 奥の院 ♪弘法大師が開山した時、焼山寺山の台地に大蛇がいて、火を吐いて山を焼くなど村人を困らせていることを聞いて、水輪の印を結んで退治に出かけた。襲いかかる大蛇を虚空蔵菩薩の加護を得て退治、岩に閉じ込めたと伝わる。 ~正面~ 奥の院まで登る人は日にどの位居るのでしょう・・・誰にも会わない山道。木の名札は幾つも有るのですが、遍路札らしきものはありません。大きな岩のところまで来て案内板を見たけれど、一本道なので大丈夫です。 大蛇伝説が伝わる岩は、岩山と言った方がピンとくる位、とてつもなく大きな岩です。正面から見てもとてつもなく大きく、奥行きもとてつもなく大きい。どうにかして全体をカメラに収めて、実物の巨大さを伝えようと何枚も写真に撮りましたが・・・・・本当に大蛇が封じ込まれているかも~と思う位のパワーを感じますが、怖くはありません。 ~あぁん。全体が写せない~ この辺りで、半分位でしょうか。登る程に木が低くなって、陽が差し込んで明るくなりました。さぁ、あと少し。 途中で大きなサルノコシカケが有りましたよ。木の根元に5つ。大きなお尻のオバハンが十分座れる大きさです。むかし、サルノコシカケが癌に効くと言われて、桃畑のサルノコシカケが争奪戦になったことがあったけれど、その民間療法はどこへ行ったのだろう? 余談。~馬の背風~ 後半は道に段差があったり、細かったりと不安定になります。チョッと馬の背の箇所もあるが、春の陽気のせいか、風が無いせいか、谷が見えても、ここは「怖い」とは感じませんでした。アタシの尺度を目安にしたら、ほとんどの方が大丈夫。行けますよ~ ~奥の院~ 斜面をへばりつつ登って行くと、奥の院です。4時到着、45分かかりました。まだ新しい奥の院、逆光に浮かび上がります。両側に下界が見下ろせます。清々しい気分で思わず、大声で「あ~ わ~ や~」なんて奇声をあげてしまいました^^; さあ帰ろう。山は陽のある内に下山、が鉄則。タッタカタ~と下ります。5時前には宿坊に到着して一番風呂に入らせて頂きました。部屋数の割に小さい湯船でした。山の上では貴重なお水です。幾つかの宿坊にお世話になってきましたが、ここでは<お初>が沢山ありました。何と!! 相部屋は初体験。それから、ふすまで仕切った部屋と部屋食。一人で給仕をする宿坊も覚えが有りません。奥様は楚々と働かれ、利発で器用な方と感心します。 ~夕食~ 相部屋のお相手は、千葉から一人で来た70歳まじかのお話し大好きおばさん。<るるぶ>を頼りに歩いているので、オバハン心で<歩き遍路地図>を勧めたのですが・・・思いは伝わらず、お節介になりそうなので止めました。 22時までは、某地方TV局のスタッフの方々の宴会?で大騒ぎでしたが、夜は静かな山の中・・・無・・・おやすみなさい。翌日は<玉ヶ峠>を越えて、麓へ戻ります。
April 4, 2015
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柳水庵の正面側はひらけていて林道も有るので、ここまで車でくることが出来ます。某ブロ友さんは、藤井寺から 柳水庵まで歩いてきて、その日はお迎えの車で帰り、日を改めてここから焼山寺まで歩いたそうです。舗装の道を少し行って左に入ります。登って下って、そして、また登り道です。 3つ目の最後の庵は<浄蓮庵>柳水庵から2km程、標高745m 柳水庵との標高差は245m、ここから傾斜がきつくなります。この日は花曇りで風がないので、気温も上がってきました。服を脱いで白衣もリュックにひっかけました。つらい坂をコツコツ上がる・・・こんな坂も慌てずに登れる自信が一巡するうちに身に付いてきました。ふと気が付くと階段、見上げれば、あのお大師さんです。 ♪ 番外霊場 一宿山 浄蓮寺 ♪お大師さまがここを通過される時、木の根を枕に仮眠された。夢の中に阿弥陀如来が現れたので誓願込めて尊像を刻み、堂宇を建立し安置された。その時お手植えになった杉は、老大木となって、今も通過する遍路を感動させている。納経は12番、焼山寺。浄蓮庵の杉の下にある弘法大師の銅像は42段の石段と共に、大正15年(1926年)京都市の河地幾太郎が建てたもの。 ~向こうに見えるが焼山寺の駐車場~ 一本杉のお大師像の写真はよくUPされているけれど、実物は想像以上に大きくて、杉の木も太く高く・・・あぁ~これは絶対自分の目で見た方がいい。すごく、いい。階段を一歩一歩登り、正面にお大師像を見た時の感動。威圧感と言うよりは、広く抱きしめられている様な包容力があります。どなたの作でしょう。いい像ですねぇ~階段を登りきると、右手にベンチがあるので、しばしここに腰を下ろします。するとちょうど逆光で、お大師像がシルエットになって、なんともありがたい。歩いてきたからのご褒美。そんな風におもえます^^♪ ~左右内(さうち)~ 焼山寺への道は丁度いい具合に、庵が三か所にあるので、休憩しながら調子よく歩いてきました。浄蓮庵を過ぎると、またまた下り坂です。H745mからH400mまで下って、H700mのお寺へと登ります。う~ん、折角登ってきたのに・・・これが、キツイ原因で「へんろ返し」と呼ばれる所以ですね。山あいの小さな集落に下りてきました。空家もあるようです。この日のへんろ道で初めての民家だけど、誰にも会いませんでした。が、生活されています。 ~手入れされた畑に満開の梅~ ここまで10km 4時間かかりました。生活道路があるので、ここまでタクシーがお迎えに来てくれるようです。タクシー会社の電話番号を書いた目立つ看板が有りましたよ^^;;でもアタシは行けそうです。小さな谷川を渡って、いよいよ最後の登り坂です。 2kmほどで300m上がるので、手ごたえがあります。道もゴロついて足首に負担がきます。支えはお寺の鐘の音です。浄蓮庵を過ぎた辺りから、谷を渡ってこちらまで響いてきます。だんぜん、張り切るオバハンです。藤井寺を発った時は最後を歩いていたのですが、この坂で夫婦さん、るるぶさん、3人のアメリカさんに追いつきました。 視界が明るくなり道が広くなると、もうお寺さんの駐車場です。懐かしい~。一巡目の時は車のお接待を頂いて、千葉の老夫婦とこの立派な参道を登りました。麓では桜が満開だったのに、ここに着いたらヒョウが降りだして、暗く寒いお参りでした。あの時と同じく、何処の誰が御寄附したのかなぁ~、なんて石碑に刻まれた名前を見ながら石段を登ります。 お寺さんの建物は、すでにUPしているので私好みをパチリと納めます。山寺らしくて、いいですねぇ~カッコいいアメリカさん達は、地面に寝転んで天を目指す大杉やお寺の写真を興奮して撮りまくっています。 歩き初めの頃は梵鐘に目がいかなかったけれど、鶴林寺・太龍寺の山道を歩いた時、辛くて苦しくて堪らなかった時に聞こえてきた鐘の音が、忘れられなくて。それから必ず鐘を撞かせて頂いています。こちらの鐘を撞けると思うとワクワクします~♪重く深~い音色。幾つもの山や谷を越えて響いていく、つよい音、いい音色です。 藤井寺から5時間かかりました。この日の宿は、こちらの宿坊、一番乗りで、おじゃましま~す。
April 1, 2015
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ふもとの藤井寺から6.6kmの所にある柳水庵、標高は500mあります。歩きやすい道のりでしたが、下りになりました。見下ろす様に木々の間を覗き込むと下に幾つかの建物が見えます。ここが2つ目の庵です。急な坂を下るとまずは奥の院、お地蔵様の建物、お堂、そして以前は管理人が住んでいたという宿、便所・・・ここに宿泊が出来たのは十余年前とか、人の手が入らないと家はいたんでしまいますね・・・ ~奥の院~ 奥の院の岩壁からひたひたと水がしたたっています。そらは柳のようにも思えます。そうそう、ここで何か奇妙な音が絶え間なくしていました。カエルのような~でも、今までにこんなカエルの声は聞いたことがありません。きもかわいい声、長戸庵辺りの水大師でも話し声のようなこの音がしてました。まるで、映画<グレムリン>の中で、親グレムリンに水がかかり体から子グレムリンがボコボコ生まれてきた時の声。Q この音の正体が判る方、是非コメントをくださいm(__)mこの音は玉ゲ峠の水場でも聞きました。るるぶさんは、水琴窟と同じよ~と言っていたけど・・・うっ? ~ほのぼの~♪ 柳水庵 ♪お大師さまがこの地で休息されたが、近くに水が無いので、柳の枝を採って加持されると、清水が湧き出してきたので、一宇を建立し尊像を刻まれて安置されたと伝わる。恵水の霊地である。 ~柔らかい水~ ここはかなり広い敷地で、ベンチにかけのんびり春の空気を味わいながらお昼にしました。だれも居ない。奥の院から流れてくるチョロチョロの水の音、鳥の声、ただそれだけ。便所を借りてコンクリートの道を下ります。こちらが正面なのですね。少し下の広場には野宿の方用に小さなこぎれいな小屋がありました。電気や水道が備わっていて、ありがたいですね。 ~美郷村~ 車道から左手に入って、また山道です。右手に天空の村のように集落が見えます。丁数を刻んだ石仏が規則的にいくつも並んでいます。ふもとから100丁以上で始まった石仏ものこり半分になりましたよ。 ~半ばは過ぎたぞ~ 前半には見られなかった大きな岩がだんだんと現れて、足元にも小石が増えて足首に負担がきます。こんな所にも石仏が置かれていましたよ。この岩が崩れ落ちない様に、体を張って道を守ってくれているように思いました。 ~野仏は 苔むす岩に 宿を借り 遍路の人を 優しく迎え~ 酔凰作 さて次は三つ目の庵、あのお大師さんに会えるのです。
March 31, 2015
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~阿波川島駅~名古屋発の夜行バスは5年前と同じで、乗り心地がいまひとつ・・・徳島駅に降りたのは5時半でした。白衣を羽織って、袋からお杖をだせば気分上々。寝不足も肩こりも、もぅ気にならないから不思議。~お彼岸~特急で10番寺と11番寺の間にある阿波川島駅まで移動して、歩きはじめます。無人駅、降りたのはアタシだけ。寒の戻りでかなり冷える彼岸です。6年ぶりの藤井寺は山門に露店が並び、大勢の参拝者で朝から賑わっています。初めて来た時はお昼というのに境内は静まり返り、今回はだいぶ印象が違います。納経所も新しくなったのですね。こちらの宗派は我が家と同じだったのです、今回気が付きました。さて、本堂左手の階段から歩き道に入ります。どこかで、「11時までにはこの階段を上がる様に」 と耳にしたことがあります。健脚で4時間、普通で5時間、遅い人でも6時間とありました。今、9:30なので、いくらのんびりのアタシでも陽のある内にはたどり着き、欲張ったら奥の院にも行けそうです。~端山休憩所~ワタシの前を何人か登って行きました。オバサン、夫婦、アメリカ男性3人組・・・裏山の八十八ヶ寺の石仏が並んだ山道を登ります。ボチボチ行きますね。想い描いていたよりも幅のある手入れの行き届いた山道で、時折右手に麓の町が見下ろせます。い~い眺めです。阿波太郎と呼ばれる吉野川が流れ、その向こうに見えるのは8・9・10番寺辺りでしょうか。もっとクリアな景色だと良かったのに、春霞?スギ花粉?PM2.5?う~ん、残念です。焼山寺までは何もありません。まだ寒いのでPボトルは500mlを1本でしたが、夏はかなり準備が要るそうです。2.3ヶ所山水が飲めるようになっていますが、食料と水分の確保はしっかりと!!トイレは3ヶ所の番外霊場にあります~が、もちろんボットンタイプですよ。11番藤井寺から12番焼山寺までは13km。焼山寺の標高は700m。木々の間に稜線がうすく見えますか?1~10番寺は町中の舗装された道路を歩き、遍路シールも沢山、お店や自販機も不自由せずに来れますが、ここからは急に変ります。へんろころがしと言われる第一の難所。歩き遍路を続けるか否か、考えるところだとか・・・~まずは第一関門^^♪~♪ 番外霊場 長戸庵 ♪11番寺より3.2km地点 H440m弘法大師が焼山寺に登る時に、ここで休息された所と言われる。一息入れるのに「ちょうど塩」梅、良い所・・・なんて、駄じゃれみたい。大師を祀るお堂が、この地蔵の右、手前にある。蛇足、地蔵の右手には手作りの簡易トイレがあります。「男性は次の柳水庵を使うように。」とありました。笑;; 夏場はチョッと臭いがきついでしょうなぁ~女性には大問題のトイレです。ありがとうm(__)m~歩きやすい~こんな馬の背風の道もあるが、まだ葉が茂っていないので陽がとどき、いい気持ちで歩けます。この道はウォーキングコースになっているので、体力作りの地元の方が歩いています。この日アタシが会ったお遍路さんは順打ちが10人ほど、逆打ちが3・4人、地元の方が5・6人でした。~もうすぐ、柳水庵~一巡目で、ひょんなことからアタシはこの道を歩かなかったのです。四国を歩きながら、結願した時も、気になっていたへんろ返しのこの道。やり残した宿題、高野山の前にもう一度焼山寺に向かいます。・・・続・・・
March 27, 2015
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空が澄んで雲が高くなって、いつの間にか9月も半ば。随分と更新をさぼっていたけど、人様の所は訪問していました。<NHK はじめての四国遍路> お接待にポイントをあてていました。三坂峠を下りた所にある<坂本屋>も紹介されていました。ブロ友さんは、そこでボランティアをされています。アタシが坂本屋を通過した時は 休業中だったのでトイレを借りて、軒下の椅子で休憩をさせて頂きました。その時目の前で道路の拡張作業をしていましたが後で思うと、あれは坂本屋の基礎固め作業だったのでしょう。~たどたどっ。よれよれっ~門前さんのブログを見つけたのは、坂本屋を通過した後でした。その門前さんが、仙龍寺を目指して降りてきたアタシを撮ってくれたのがこの一枚です。四国を一回りして撮った写真の総数は1000枚を越えますが自分の写真は数枚しかありません。それも出来栄えが・・・カメラと腕がいいので綺麗に撮れて、お気に入りです。オバハンは気が付かずに下を向いている・・・だから、いいのです(笑)この後、門前さんとアタシは「初対面~」したのです。その時は番外さんも一緒だったのですが彼は足がとても速くて、お札の交換が出来ずじまいで「縁がなかったのだなぁ・・・」と思っていました。でも曼陀羅で再会した奈良さんを通じて、連絡がとれました。緊張してお便りを出してみると、三人で歩いたことを覚えていてくれました。「ご縁が有ったのだなぁ~」~遍路大使任命書~おへんろ交流サロンは、道の駅<長尾>の向かいにあります。まだまだ先のこと、と思いながら歩いてきたその建物は 思っていたより立派でした。「ここに寄って、証明書を頂くのを忘れない様に」住所氏名を受付で記入して、お茶を頂いたりお遍路関係の展示物を見ている間に証明書を発行してくれます。~結願証~88番 大窪寺 では 「結願証」が頂けます。こちらは・・・と思っていましたが、納経所で申し込んでいたのを見て今年しか! 今しかない! と思ったら、やはり^^欲しくなってしまいました。<1200年>がいいでしょ。この年になると名前入りの証書なんて縁がなくなります。この3点、オバハンのお宝です。
September 14, 2014
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台風11号は四国を抜けたようですね。美しい四国にもぅこれ以上吹かないで、降らないで、被害はどうぞ最小限に。明日は晴れ渡って、海が輝き、ジャン♪ジャンと蝉が鳴きますね。゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。最終区切り打ちの最終日、5月6日は徳島は快晴です。6番安楽寺の宿坊を7時に出発。今日はあるお方と3番寺で待ち合わせをしています。初区切りの6年前、あの時は、ベンツさんと高橋旅館のおかみさんにお世話になりました。徳島に戻った折は再会したいと思ってきましたが、ベンツさんに連絡が取れません。(通話拒否?あり得るなぁ~笑;;)~安楽寺・本堂~一泊目・国分寺の近くの宿で一緒になった愛媛さんは、50番から打ち初めて野宿か安宿に泊まりながらの通し打ち。この辺りは、安楽寺の宿坊を勧めたのですが・・・今どの辺りにいるのでしょう?電話をかけると、4番大日寺辺りの様です。88番を打った後、志度に戻り 線で徳島に移動して1番から打ち続けていました。5番地蔵寺で会えそうなので、銀杏の下で待つことにしました。6年前、ここでベンツさんに会ったことを思い出しながら・・・・1時間・・・おかしい。愛媛さんは歩き地図をリュックの中に入れて歩くので、道を間違えたのです。宿坊も予約をしたものの、拘束されるのがやはり嫌だからと、キャンセルしてしまったとか(笑)縁がありませんでした。先を行きます。~銀杏の下で~愛媛辺りを歩いている頃に写真をたくさんUPしているブログを見つけました。徳島在住のJさんで、ご夫婦で日帰りの車遍路していた方です。Jさんは、随分前に結願されていますが、今もブログを拝見しては、四国(徳島)の風を感じています。「徳島に戻ってきた時は、連絡してね~」の社交辞令に、ドキ♪ドキしながら連絡を入れると・・・ なんと @@ 前日に安楽寺まで会いに来てくれました。お四国がなせる事でしょうか。「明日、3番寺~1番寺まで一緒に歩かせてね」とお誘いされました。ふふっ^^色んな同行があるものですね。 長命寺へ向かうJさん 極楽寺で休憩しすぎましたが、約束の時間には間に合いました。Jさん、白装束で登場です。ほんの短い距離でもいいから、へんろ道を歩いてみたかったとか。車に乗っていたら、お寺の脇からへんろ道があるとは思わないでしょう、驚いていました。 ~再会~ 1番霊山寺に戻ってきました。あの日はツワーのお遍路さんでごった返していたのに、今日は平日のせいか空いていて、広い境内をゆっくり見回せます。本堂が改装されて白木がまぶしいですね。 ~霊山寺本堂~ この後、ご夫婦がお接待として(!?)ドライブに誘ってくださり、鳴門海峡を見に連れて行ってくれました。お昼ご飯までご馳走になって・・・いやはや。ブログで行き来しただけの初対面のアタシに、こんなにして頂いて、おろおろのオバハンです。 (アタシはいったい何をしてるんだろう・・・笑) 「こわ~っ」 徳島県立 <渦の道>450mの遊歩道になっていて、両側はフェンスになっているので、気持ちいい風が抜けていきます。でも、冬はどうなんだろうか、心配。四国新幹線を誘致しようと計画していたのに、今はこの形で再利用しているとか・・・ ~左右は通路~陸地から450メートル歩いた先には、大鳴門橋の橋桁空間いっぱいを利用した回遊式展望室があります。 渦上45メートルの高さから展望室のガラス床をのぞけば、渦潮や轟音とどろく激しい潮流を体感することができます。 ~幼潮くらい?~また、ここから見わたせる太平洋や瀬戸内海の雄大な景色は一見の価値あり!満潮干潮時間と、渦の大きさを大潮・中潮・小潮として表示しています。行った時は渦潮に恵まれなくて残念でしたが、アタシは十分満足ですよ、Jさん。 ~太平洋側~ 鳴門バス停で下して頂き、お別れです。別れ際に袋いっぱいのお土産を頂いてしまい、まるで浦島太郎です。気さくで優しいJ夫妻に重ね重ねお礼をして、四国を後にしました。お土産は気になったけど、家に着くまでは空けませんでしたよ。オバァになったら大変たいへん^^ なんてきれいな海と空でしょう。 四国のすべてに感謝します、ペコリ。
August 10, 2014
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あっ、暑すぎる・・・この温度を逆手にとって利用しようと久々にピザの生地を作りました。室内のクーラー設定温度は26℃、昼下がりにPCの前に座っていたら、ア~ッ @@ と言う間に発酵しました。夕方になってやっと家事開始、スーパーでは赤札張りまくり、しめ♪しめとトッピング材料を買い込みました。魚貝のピザと夏野菜ピザを今から作りま~す^^.。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。. 大窪寺から山あいの車道を下り、6km先のR2道に出る大影まで、自販機が無かったのは予想外でした。水分がわずかになると、途端に不安になりますね。随分下ってきました。10番切幡寺が近いのですね、道標が目に付きます。 自動車道をくぐると、左手の山に塔が見えてきました。6年前に訪れた時は雨が降っていました。あの333の階段を<ベンツさん>と一緒にヒ~コラヒ~ッと登ったのが、初難所でした。 今日は登り口から拝礼して先を行きます。この道を歩いたのがつい昨日の様でもあり、はるか昔の様にも思えます。3月末のあの日は、雨がしとしと降り続いて桜を濡らし、花冷えする陽気でした。この日は抜ける様に晴れ渡って、田んぼにはなみなみと水が張られて水鏡がきれいです。 ~切幡寺の大塔~ 不思議な気持ちで逆向きに歩きます。一度歩いた道でも、反対から歩くのは難しいですね~逆打ちさんが「遍路マークが見えないから大変」と言うのが解ります。あの頃とおなじようだけど、古い家屋が取り壊されて、少し町並みがきれいに思えます。 ~9番・法輪寺山門~ <小豆洗い大師>辺りの白壁の大きな家の前で、「お遍路さ~ん、寄ってって~」と声がかかりました。ビックリ^^6年前にあったかなぁ・・・白壁の穴から道行く人を見ていて、声を掛けては縁側に誘ってお接待をしてくれるのです。それが立派なモーニングセットなのです。アイス珈琲に、オニギリ3個とバナナにお菓子がお洒落なお皿にのってきます。お母さんが話し相手、お嫁さんがお茶の用意をして、孫と元気な犬が庭で遊んでいます。 ~安楽寺の夕食~こんなにして頂いて、恐縮です、ペコリ。名前の記したお札を手渡すと、おじぃさんが喜ぶと快く受け取って頂けました。大きな家の4世代同居の大家族、繁栄されるでしょう。 アタシの前には、宿で一緒だった<3度目さん>が寄られたようで、彼は人生の区切りに四国を歩いてきました。大学卒業前の20代、30代、40代では、某国に転勤となったので、移動前の休暇を利用して歩いているとか。今頃は、我が国と色々問題のある某国で働いているでしょう。 ~安楽寺玄関~さて、この日の宿は6番安楽寺。初歩きの時は出来たての白亜の宿坊、7番十楽寺に泊まりました。こちらも是非泊まりたかった宿坊です。建物は新築されて、以前の古く落ち着いた雰囲気はありませんが、広くて立派です。1200年番組の収録がされていました。利用者にはイングランドからの新婚旅行の若夫婦もいて、夜に行われる「くす供養」にも参加されていました。意味が解ったでしょうか・・・英語の解説文も通訳する職員もいないけれど、日本人は神秘とおもったかな? ~安楽寺多宝塔~くす供養は撮影禁止です。新築に伴って、供養する人工川もライトアップ効果も近代化したのでしょうが、僧侶の<古から樹木の葉に先祖の霊が宿る>と言う話は印象的でした。思わず、女体山の霧の中を歩いた時が蘇りました。あの時、葉っぱの神様に無事を祈りました。今までそんな風に「葉」を意識したことはなかったから不思議です。 4日目 H26年5月6日(火) 晴れ 出発 6:30 到着 17:00 歩行距離 26Km 宿 6番 安楽寺 宿坊
July 26, 2014
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宿、八十窪でお祝いのお豆飯を頂きながら、おかぁさんのお遍路話を聞いて満足^^山中の夜は静か、よく寝れました。~本堂と胎蔵ヶ峰~♪ 88番 医王山 大窪寺 ♪標高787mの女体山の麓にある結願の札所。行基が創建し、弘法大師が堂宇を整える。古くから女性の入山が許されたので「女人高野」と呼ばれる。仁王門をくぐって石段を登ると本堂に出る。その背後にはかつての修験地・胎蔵ヶ峰がそびえる。新しい山門以外は、1900年の火災後に再建された。 「ここが打留の水があふれて」 山頭火前日と打って変わって、5月6日は晴天。6:30本堂の背後の胎蔵ヶ峰もくっきり見えます。緑が洗われて爽やか、手水場が朝日で輝いています。朝の準備を黙々してお寺を清め、境内は初々しいです・・・もう、お参りに来ている人がいましたよ。境内には沢山の石碑や石仏があります。「ここど~こだ?」クイズ、今ならなんとか答えられるかも・・・?朝の鐘、倍は遠くまで響き渡りそぅです。なんとも感慨深い音、有りがたいです。 ~仁王門~本堂をお参りして、左手の大師堂に向かう道は藤や牡丹が満開です。車遍路さんはこの仁王門の下から登ってくるのですね。 ♪ 杖や装束はどうしましょう? ♪お大師さんは大窪寺を離れる時に、わが身の代わりとして杖を置いて行かれたそうで・・・金剛杖や菅笠、装束を奉納する人がいる様です。大師堂の脇にはお杖を納める<寶杖堂>があり、祈願成就を祈って春分の日と8月20日の護摩焚きで焚きあげられます。持ち帰って家宝にしてもよし、次回のお遍路に再同行してもよし。 死出の際に棺桶に入れてもらうと浄土に導かれるとか・・・お杖と装束は持ち帰り、納経帳は死出の時にお棺に入れてもらうつもりです。納経帳とお軸分の2枚のお影は母と姑に手渡してきたので、旅立ちの時にお棺に入れて見送る話になっています。。納経所で八十八番目の御朱印を頂きました。次の方が<結願証>を買い求めています。どうしようか・・・まぁいいか。と思い始めていたのに、係りの方が筆を入れているのを見ていたらアタシも欲しくなりました。さて、今夜の宿は六番安楽寺の宿坊です。そろそろ下りていきますか。 ~向こうは徳島~ <八十窪>に泊まったのは8人、女はアタシだけでした。ほとんどのお遍路さんは志度寺か長尾寺辺りから歩き始めて結願、バスに乗ってその日の内に麓に戻ります。一番寺まで戻る人は少ないのでしょう。同級生のオジサン4人組は夜遅くまでご機嫌に祝杯して、車で麓へ下って行きました。自転車さんは逆打ちでやはり麓へ。もぅ一人のオジサンも朝のバスで麓へ。アタシと3度目さんの二人が一番寺を目指します。 大窪寺から10番切幡寺までは18km、H400m程を下ります。7:303度目さんは昨日結願を済ませているので、先に下って行きました。静かな山あいの道、お遍路さんには誰も会いません。今までとは違う、う~ん。どう言ったらいいのか・・・楽な気持ちで歩きます。どんどん下って徳島へ、気持ちもカラリとしています。
July 19, 2014
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丸い月が見えます。大きな台風は高知沖に進路を変えたら、一気に北上していきました。右往左往させられて、自然の力にはかないません。○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*5月、女体山を越えて大窪寺に向かった時の後編です。やっと、です。~てっ!~女体山(776m)の山頂まできました。(4:30)木の元にあるのは<女体宮>です。誰ですか・・・赤い鉄棒のある公園? なんて言うのは。晴れていたら、眼下に絶景が見えるのですよ。屋島、瀬戸内海・・・歩いてきた道を想って感動するところ。先端に行きたいのですが、落ちるといけない。滑ってもう一歩がでない、一枚撮るのがやっとだったのです。あちこちのブログを見せて頂いて期待していましたが、霧もまた佳し、です。こんなに濃い霧の中を一人行くのは初めてです。岩場から繰り返し唱えて歩いていました。「御大師さん 山の神様 葉っぱの神様 ・・・ どうか通してください。」本人いたって、真剣です! とても神聖で尊く、緊張する場所だったのです。少し、尾根の様な道になりました。峠からお寺までは1130m、もぅ少し、山場は越えたし、明るいうちにお寺に行けます。 麓が見えてきました。何の花だろう、気が緩んで安らかな気持ちになってきます^^擬木の階段ということは、大窪寺はもぅすぐです。この辺りで奥の院に寄り忘れたと気が付きましたが、戻るのは止めました。<結願>の札が嬉しいですね。~二天門~ 「女体山から下りてきて眺める大窪寺は素晴らしい」葉が生い茂っているが、秋冬だともっといい眺めでしょう。アドバイスを参考に、このルートにして良かった。ありがとうございます。お寺に着いたのは5時半。もちろん納経には間に合いませんでした。ツワーのお遍路さんも一緒に到着~こちらはセーフみたいですね^^この後ご住職と記念撮影をしていました。 5月5日に結願、とはいきませんでしたが、明日また来ます。本堂の背後の岩山を見上げ、般若心経を唱えて宿へ入りました。3日目 H26年5月5日(月) 雲地のち雨のち霧 出発 6:00 到着 18:00 歩行距離 28Km 宿 <八十窪>
July 11, 2014
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「結願への道は意外と呆気なかった。」と言う人がいるけれど、アタシはとてもいい歩きが出来た。異空間に居る様な・・・音の無い、時間の無い空間。~遍路道中物故者 供養塔(14:10)~前山のおへんろ交流サロンから88番寺にはいくつかのルートがあります。R3車道、梅ヶ畑や前山ダムの手前から、来栖神社を通過して、女体山を越えていく山道、サロンの前を通過して、多和神社、太郎兵衛館、女体山を越える山道・・・~山蕗が濡れて~ 交流サロンは標高140m山頂は774m。標高差は630mほど、山頂まで6kmほど。交流サロンから5km程は車道を登ります。~ひっそりとした大多和(15:30)~家がポツンポツンとあります。お遍路さんにも、地元の人にも会いません。雨が上がって、静かです。~太郎兵衛館の看板前(15:55)~H490m 山頂まで709m 大窪寺まで2.1kmここから山道です。~女体山遍路道保全橋~四国のあちこちで見かけた宮崎さんの御尽力。橋の手前で、泣けてきました。~車道をショートカット~林道が見えますが、車は通りません。晴れそうだったのに、霧が出てきました。~門前さん、おかりしましたm(__)m~聞こえるのは鳥の声だけ。仏法僧の声。もう一つは何の鳥だろう。大丈夫かな。霧は更に濃くなって、鳥の声がすぐそこに聞こえだす。時々風が吹いて、葉の揺れる音がする。有るはずないのに、霧の流れる音が聞こえる。音はそれだけ。誰も居ない。(16:20)捨身ゲ岳に登った時のような霧の世界、今日はひとりです。~花散華~いよいよです。皆さんのブログで拝見した岩場。大変なのはここだけとありました。確かに、下から見上げるとすごい眺めでカメラどころではありません。岩が濡れていて杖を抱えて四つ這いになって登ります。霧が更に立ち込めて、頂上が近いのだろうか?山肌に当たった霧が下から上がってくる、今度は下に流れて通り過ぎていく。 ~足がブルブル。手もブレル。~頂上はこの上だけど、足元が危うくて、余分な動きは出来ません。ど~しても、無事に下らないと・・・(16:30)
July 9, 2014
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雨雲がこちらに移動してきて、ポツリポツリ降っています。静かな昼下がり。春、結願まで残り3ヶ寺で雨が降りだしました。雨の日は苦手です。★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜★~しっとりと、志度寺~志度からは87番寺近くを通過して88番寺へのコミュニティバスがあります。^^* どーしてもの時は・・・と邪心。志度に着く頃には本格的な雨になっていました。~大草履が印象的な仁王門~♪ 補陀洛山 志度寺 ♪ 藤原不比等が海女の妻の墓を作り「死度道場」としたのが名前のおこり。広い境内に沢山の堂宇が点在する名刹。重量感のある本堂、「無染庭」も見逃せない。運慶が奈良東大寺の習作にしたと伝わる金剛力士像は力強く、仁王門も像に見合う豪壮な造り。 ~ 喝っ! ~広い境内はぼんやりとしか覚えていないのに売店、休憩所を兼ねた広い納経所と雨はすぐ思い出します。バスは都合のいいのがありません。 ~87番奥の院・玉泉寺~86番から87番までは7km、R3号線の歩道をひたすら、ひたすら歩きます。傘にカッパ、雨の跳ね返りが靴とズボンに浸みてきました。視界も悪くて、<オレンジタウン>の看板は目に焼き付いているのですが・・・今日は黙々です。お遍路さん、みかけませんねぇ。 ~あの辺りにお寺~橋の手前を右折、長尾町に入りました。田園の写真を撮りたいのですが、雨足が強くなってカメラが故障しそうで、歩く以外もう何もしたくないのです。~「経憧(きょうどう)」と呼ばれ写経を埋納する~♪ 87番 補陀洛山 長尾寺 ♪「長尾のお観音さん」と呼ばれ、住民の憩いの場になっている。草鞋がかかる山門の正面には、高松藩主・松平頼重が建てた葵紋が入った丸瓦を使った本堂が建つ。本尊の聖観音像は頼重から讃岐の七観音のうち随一と称された。源義経の側室・静御前が剃髪した髪を埋めた五輪石塔の塚も残る。~仁王門をくぐると、大楠~雨は更に強い。もしかしたら・・・チラリと期待していたコミュニティバスは、参拝している間に、通過。さてと、腰を落ち着けて一心に向かいましょう。草餅が2個しかないので、地図にあるうどん屋で、と思ったら販売のみで食堂はやめたようです。う~ん、先をめざします。休めず食べずに歩いたから、中年女性にしたらかなり頑張ていたのですね。後で知りました。 ~ジオラマ~長尾寺から5km、右手に道の駅<長尾>左手に<お遍路交流サロン>があります。係りの女性に、地元のおじさん、ノルウェイ女遍路、男遍路、アタシ。休憩所に展示室、お遍路資料室かな?予想していたよりも立派な施設です。係りの人に南葛88ヶ寺の御朱印帳も見せて頂きました。お茶のお接待も頂きましたよ。親切な係りさんです。~特注?~「あのぅ~女体山のルートで行きたいのですが・・・」「雨は上がりそうだけど、お進めしないわ~。どぅしてみんな行きたがるのかしら・・・MGさんはすっかりはまっちゃってね~」苦笑する係りの方から、子供に話すように、アドバイスを頂きました。 遅くとも2時までに発てば暗くなる前にお寺に着けるでしょう。道の駅には食料が無いので、隣のレストランでメニューに無い、うどんを注文。予想外にかなり時間がかかったが、さあ行きます。大事に歩きます。
June 29, 2014
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朝から今にも降りだすような空、梅雨らしい気だるい週末です。歩きへんろ3日目の5月5日あの日も今日の様に朝から泣き出しそうな雲が流れてきました。陽の有るうちに女体山を越えたくて、ひたすら歩いた3日目の話です。★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜★夕飯を済ませて宿に戻ってから、ホテル自慢の露天風呂に入りました。高松の中心地、かわいい露天風呂は屋上にあります^0^22時過ぎなのに満員、子供連れもいます。周りのビルから見えない様に上手く壁を作り、夜空だけが切り取って見えます。それから洗濯・・・床についたのは零時を過ぎていました。~八栗寺への坂~ 一気に爆睡。と思ったら、3時頃から隣人が(多分男性)バタン @@; ゴンゴン @@; ドスン。壁にぶつかる音で朝まで熟睡出来ませんでした。ふぅ~いっそ起きよう、5時に起きて仕度をします。ホテル自慢のモーニングチケットは棒にして、誰も居ないカウンターに鍵を置いて発ちます。瓦町から始発に乗って、昨日の八栗駅に戻る。今にも泣きそうな空、町も静かです。寺へはケーブルカーが運行していますが、横の舗装道を登ります。こちらを選ぶと^^♪名物よもぎ餅が買えますよ。四国を歩いてきて、あちこちでプチ美味いもんを食べれたのも、ブロ友さんの御かげです。~眺め、悪し。残念~餅屋のおばちゃんが「この間TVに出たのよ~見てくれた?」と言いながらアツアツの草餅であんこを包んできな粉をまぶして・・・3つで200円也リュックに納めて登ります。屋島の坂に比べたらこちらは歩きやすい坂。~鳥居の向こうに山門が見える~「参道の両脇にはお店や遍路宿が点々とあり風情がある」とあり協力会の本8版には2つの旅館が記載されているが、とても営業中とは思えず、門前は時間が止まっています。ケーブルカーが出来て、この道を登る人は激減してしまいました。向こうの境内から山門を逆行してわざわざこちらまでは来ない、ですよね。 ♪ 85番 五剣山 八栗寺 ♪弘法大師が8つの焼き栗をこの地に埋めて唐留学の無事を祈願。帰国後に再び訪れた時栗の木が成長していたので八栗寺と名付けた。本堂は高松藩主・松平家の葵の紋が屋根に残る、江戸時代の堂々とした造り。大師堂は昭和初期に再建。 雲がかなり低くなってきました。鐘を突くと音がこもった感じです。「お軸を背負っていると、大窪寺の前辺りで盗まれるから気を付ける様に」と何度も聞きました。トイレに行く時も軸だけは中に持ち込みました。(苦笑;)他人のモノをくすねて、どんな気持ちなんでしょう。ご利益があるとは思いません。 下りは ケーブルカーで下りる。(ここで時間を稼がないと、大窪寺まで行けないかも・・・)いやいや~何でも体験です。早いせいかお客はひとりです。~多宝塔には大日如来が安置~とうとう雨が降りだしました。先を急ぎます。志度駅から長尾寺行きのコミュニティバスにのれるかも?な~んて邪心を持ちながら・・・てくてく、てくてく。
June 28, 2014
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5月の連休に歩いた四国のお話。88のお寺も残すところあと4ヶ寺になりました。明日(5/5)結願するにはこの日、出来るだけ先に進みたかったのです。★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜★~屋島から八栗寺~急な坂道を下りると壇ノ浦。その向こうに牟礼の町が広がり、五剣山(H366m)が見えます。八栗寺はその中腹にあります。屋島からの急坂で、つま先がひどく傷みます。~安徳天皇社~4時。 今から八栗寺を打つのは無理だな~急いでケーブルで登っていたら5時に間に合っていたかもしれません。。でもその坂も屋島の様な登り坂と思い込んでいたので、翌日に延ばして、ゆっくりと洲崎寺に寄る事にしました。・・・・・予定していた八栗寺を打たなかったので、翌日はハードな最終日になってしまうのでした。 ~ 洲崎寺 ~夕方のお散歩をしているおじぃさん方とすれ違います。「この辺りは歴史に残る源平合戦のゆかりの地だよ」天皇社の話をしてくれました。1183年 平宗盛は安徳天皇を奉じて屋島に来た。ここは壇ノ浦の入り江にのぞみ、後ろに険しい屋島の峰、東に八栗の山を控えて土地の利を得た所であったので、行宮を建て将士の陣営を作った。天皇社の辺りが行宮跡と言われている。~社の説明版より~~鐘の右に真念の墓~街中を歩いていると、源平合戦の史跡を見かけます。洲崎寺は思っていたより綺麗なお寺でした。塀沿いに歩いて裏手から南側正面へ。石庭の緑が鮮やかです。石が屋島や八栗山などの陸地を、苔が壇ノ浦や海を現しています。真念は江戸時代初期の僧で、八十八ヶ寺の巡礼20余度に及ぶその間の 巡拝案内記を作り、遍路みちを整備し「遍路の父」と仰がれる。お墓はS55年2月牟礼町塩屋の南三昧から移したものである。~高松市教育委員会~先日、真念さんの書かれた案内記を頂きました。訳が付いているからアタシにも解り、旧かな文字の味のある本で、今の路と重なるところ、面白く読んでいます。UPされているのお墓の写真を見て、道端に祀られていると思いましたが、立派に大切にされていました。もうすぐ5時です。控えめに鐘を突いて、お寺を後にします。八栗駅からの琴電は貸切状態、歩いてきた風景をぼんやり眺めながら瓦町へ戻ります。今夜の宿は駅前の安くて評判のいいホテル、そりゃ~夕飯はありません。シャワーをして横丁へ向かいます。知らない街中の繁華街でひとりでお店に入るのは勇気がいるし、食べた物が落ち着きません。先輩達の御かげで、美味しく頂けました。~烏賊は好物~2日目 H26年5月4日(日) 晴れ 27.5Km 宿 <ナンバーワンホテル高松>
June 21, 2014
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♪ 少しだけ優しくしてあげる~ ♪ 中央フリーウェイ 右に見える競馬場 左はビール工場・・・近頃、歌わなくなりました。カラオケにも行かず、流行りの歌はサビしか知らず。5月の連休、観光客で賑わう高松市内お遍路オバハンが口ずさんでいたのは30年前の歌ばかり。薬師丸ひろ子と荒井由実い~い♪気持ちでした。 **:.。. 歩き遍路一巡目 13区切り目 2日目 5/4 続き .。.:** ~成程。あれが屋島か。~連休中とあって、高松市にはかなりの人が出ています。地図では一宮寺からはR172を進む様にありますが、この道は路肩が狭いのでR193R280がいいと聞いていました。そのうち右手に折れようと思いながら、唄を口ずさみながら結局<栗林公園>まで来ていました。公園の前は大渋滞、木々の間から見えた園内もすごい人です。整備された広い歩道でも、肩がぶつかる程の観光客で、お遍路姿は馴染みませんね~ソソクサ^^*ソソクサ・・・~加持水辺り~2日目の宿は、瓦町駅近くの<ホテルナンバ-ワン・高松>予定ではここに連泊するか、1日目はここで2日目は志度に泊まる予定でしたが、NO1高松は随分前から予約がいっぱい、志度は団体予約が入っていたりと、宿に荷物を預けて楽チン作戦はそう上手くはいきません。ホテルで荷物をお願いすると快く部屋に運んでくれました。ロビーで荷物をひろげて分別、お軸と納経帳などにするとリュックは随分軽くなりました。あらま、涼み過ぎました。さぁ屋島を目指しましょう^^ ~仁王門~市街地は城下町だったので碁盤の目の様に整備されていますが、解り易いR11道を東に歩きます。埋め立て地なのですね。広い車道はひっきりなしに車が行き来しています。春日川・新川と渡り琴電の線路を越えると民家増え、緑豊かになります。屋島への坂道は意外と手応えがありました。麓に駐車して登る観光客や体力作りの地元の方もチラホラ、木立の中をひたすら登ります。 上から毛虫がツツッツ~とのれんのように沢山垂れ下がり、閉口しました。「つづら折りの坂は7つある。後2つだ。頑張れよ~」 オジサンが追い越して行きました。 ~四天門~屋島ケーブルはドライブウェイが出来て利用者が激減し、10年程前に休業しました。歩いて登った人が味わえる 仁王門。この門を越えると車道、観光客で大賑い、そして四天門をくぐると境内です。道を挟んで、手前と向こうでは随分流れる空気が違いますよ。~本堂~♪ 84番 南面山 屋島寺 ♪瀬戸内海に突き出る景勝地。源平の壇ノ浦合戦にも近い屋島に建つ。753年、鑑真が北側に霊地を開き、のちに弘法大師が現在の南側に伽藍を造る。本堂は鎌倉後期創建。梵鐘は鎌倉初期の作で地元では<平家供養の鐘>と呼ばれる。♪ 屋島 ♪山頂が屋根のように平らな形をしていることから名付けられた屋島は、北嶺が約282m。南嶺は約292起伏が緩やかな台地状。この地形は「メサ」と呼ばれ、約1400万年前の火山活動で噴出した溶岩が水平に流れ出し、周囲や上部に浸食が加わって形成された。南から屋島寺へ向かう遍路道沿いには、讃岐岩質安山岩が水平方向に延びた奇岩「畳石」も存在。厚さ2~5cmの板状の安山岩が積み重なったような景観で、メサとともに屋島の特徴的な地形を表している。四国を歩くまで、香川の地形や屋島の事を知らなくて・・・これを機に検索してみました。~地主神様の太三郎狸~境内の奥には水属館や瀬戸内海を見渡せる展望台もあるので、家族連れやカップルがいっぱい。しみじみ歴史を味わう風でもなく、突けない梵鐘を横目で見ながら、東大門・大きな駐車場を抜けて、東斜面を下ります。 ~つま先が靴から付き出るぅ @@~屋島はもっと賑わっていたのですが、ドライブウェイが出来てモノレールがすたれ、修学旅行客を初め観光ニーズが変り、山頂の宿もすたれていきました。壇ノ浦を見下ろし、向かいには八栗寺が見える絶好の場所に建つ政府登録観光ホテル。営業僅かで廃業した立派な建物は、このまま時間にまかせるのか・・・虚しい。その真ん前の山道をクダル、すごい急坂でオリルという感じ。荷物があったらオバハンは転がりそうです。雨だと危うい道ですね・・・
June 11, 2014
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真夏日が5日も続いた愛知県今日、梅雨に入りました。慌てて扇風機を出したのに、寒くて窓を閉めました。我が家は7台も扇風機があるのですよ。午後から名古屋にショールを買いに行ってきました。母の日商戦に花形だったスカーフは隅に追いやられ帽子や傘が売り場に花を咲かせていました。 **:.。. 歩き遍路一巡目 13区切り目 2日目 5/4 .。.:** 陽が高くなって暑くなってきました。高松西ICを過ぎると町中、連休なので街がざわついてiいる気がします。11km歩いて83番一宮寺到着。10:00へんろ道は裏口側西門から、駐車場には托鉢?のお遍路さんが座っていました。~大楠~♪ 83番 神毫山 一宮寺 ♪700年頃創建、行基が讃岐一の宮の田村神社の第一別当職とし、寺号も一宮寺に改めた。本堂前の大楠が境内全体に風情を与えている。その脇にある薬師如来を安置した祠は、<地獄の釜>と呼ばれている。~本堂~こじんまりした境内なのに、祠が見つかりません。かなり腰の曲がったオバァさん二人が寄ってきて 「確かぁ~地獄に通じる祠があったはずだけど知らない?」代表して納経所の女性に聞いてみました。思っていたより小さい祠が、楠の手前にありました。頭を突っ込むと地獄の釜の煮えたぎる音が聞こえるとか~心がけが悪いと石の扉がしまってしまうとか~テッ! <ゲゲゲの鬼太郎>じゃあるまいし・・・と思いつつ、首は獲られたくない @@; 怖い。薬師様のお顔をそーっと触らせて頂いて、素早く手を引っこめました。そうそう、親切に場所を教えてくれた納経所の女性、同い年位でしょうか?(えっ。図々しい?)聡明な控えめな綺麗な方で、感じのいい女性(^^)パチリさせて頂きました。~遊びこころ~職場に出入りするマダムの車が、愛媛ナンバーだったので、聞いてみると高松の方でした。転勤で尾張に来ているけれど、毎月一宮寺近くの自宅を手入れに帰るそうです。帰るときは<ホテルNO1>に泊まるとか・・・この日の宿です。「一宮寺に行ったら向かいの田村神社にも寄ってみて」と言われたのに、すっかり忘れて歩きだしてしまいました10:30。~仁王門~アタシの保存協会の地図は第7版、すでに7年経っているので、コンビニやお店が無くなっていることがあります。NEW版にしようか迷いましたが、残り僅かだし、ここまでの付き合いもあるし、著者は宮崎建樹氏のままで歩いてきました。その本にあるうどん屋に寄り道。すでに名前が変っていましたが、あちこちへのお土産は、ここの生うどんを宅配注文しました。コシがあって大好評。~源平うどん~ここからは高松市内へ向かいます。11:00へんろ道は栗林公園や瓦町を抜けていくので、大そうな人出でしょう。
June 4, 2014
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今日から6月真夏日になる所も多いようで、じっとり汗をかきます。同宿だった愛媛さんは もう結願されたかしら?連絡をしてみました。一日平均25km。長袖や余分に準備していたものを数回送り返したそぅです。今日は内子辺りでしょうか。この日差しの強さに閉口していると思います。 **:.。. 歩き遍路一巡目 13区切り目 2日目 .。.:** ~80番 白牛山・国分寺~宿はうどん店の経営に力を入れているようで・・・食事の上げ下げ以外には家屋に来ません。この日、愛媛さんとアタシだけ。愛媛さんは定年を機に通し歩きを始め、自宅近くのお寺から歩きだしたそうです。鍵のない8畳間、TVは故障、静かな夜。もぅ、ここまで来ると、オジサンと二人きりでもヘッチャラ、爆睡しました。~本堂~ 今日、何処まで歩けるか、オバハンの課題です。お寺の参拝を済ませて、7時からの納経を一番にして頂く作戦です。愛媛さんと一緒に宿を発ち(6:30)アタシはまっすぐ国分寺へ、愛媛さんは大きなリュックを背負って右へ、遍路ころがしを登っていきました。 「順調^^♪ 一番乗りだ。」と思いきや、お寺の門が閉まっています。7時開門。30分間待っているうちに人が増え、大型バスの団体さんも到着、門前は賑わっております。 ~銅製~ ところが、7時を過ぎても開きません。10分程して開門。我先に!! と急ぐ中、オバハンはまずは鐘を突きます。この梵鐘は有名なんですよ。 四国最古の梵鐘で、奈良時代の作。江戸時代初期、高松藩主に気に入られて城に持って行かれたが、城では全く鳴らないで、寺に戻したとたん美しい音を響かせたという。 朝の初音、身も心もクリアーになっていくようで、あり難いものです。そして手を清めて、本堂へと順に廻ります。 ~納経所~境内は見事な枝ぶりの松が並んでいます。周囲を囲まれた境内にお寺の空気が詰まっているような感じ?です。さて納経を済ませて、急ぎましょう、と思いきや、団体さんの行列で前に進みません。老いたご夫婦が描いて下さいますが、なかなか・・・混乱して大変です。 ~お寺の飼い猫ちゃん。のんびり。~7時半。まだ太陽が低いので影が長いでしょ。誰かさんの真似をして、線路の自分を写してみました。池に写る国分寺・白峯寺・根香寺辺り、ほんと讃岐の風景はホッコリと癒されますね。ここからは車道R12に入り、一宮寺を目指します。 ~余讃線~緩やかな坂を越え、車量の多い道を太陽に向かって歩く、味気なく歩く。インタ―の手前、小さな遍照院辺りから見下ろした景色が素敵でした。何処かで見たような? 映画UDONのロケ地似の池が眼下に拡がります。 ~関の池~朝の空気が気持ちいいですね~香川はホ~ッと一息つける山と池が沢山あって、気分転換が楽にできます。
June 1, 2014
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G・Wに歩いたお遍路一日目は歩き出しの寄り道に時間をかけたので、午後からはピッチを上げて歩きました。そうは言いましてもオバハンの歩き、やっぱり、ゆるい歩みです。★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜★ 根香寺へ 木立の中は涼しいです、トンネルみたいですね~風に乗って・・・何の花粉でしょう?白い綿の様なふわ♪ふわしたモノが羽毛のようにビッシリ飛んでいます。気道に入りそう・・・でも、オバハンは、気にもせずトン♪トン歩きます。十九丁を過ぎて、後2キロ。5時までには間に合いそうです^^車道に出て、<五色台みかん園>まできたら楽勝~♪ もう一度歩き道に入って、すぐにお寺のはずです。 へんろ道? あと少し「登る」だけだ、と思いながら・・・なんでこんなに笹が多いのでしょうか?今までの道と違います。「変だ、変だ。」と思いながら登っていくと、倒れた木が道を遮っています。「間違えた~ @@」慌てて来た道を戻りましたが、気持ちが乱れています。多少遠くても確実な車道を行こう、早くしないと5時に間に合わない。懸命に歩くのになかなかお寺が見えません。慌てているのに荷物が重くて、とても走れません。 向こうは山門 同行の黒子さんはアタシ以上に責任を感じて、可哀想なくらい焦っています。「せめて納経だけでも!!」と、重いリュックとお軸を担いで、先を走り出しました。1度ならず2度までも・・・スミマセン、ポーターさん。ビュ~ッと走り去るポーターさんの後を、タカタカタカタカ・・・・・なんでこんなにカーブの多い車道でしょう。(冷汗);;横道から入り階段を登って、本堂の手前の納経所へ駆けついた時は、もぅ足がヨレヨレです。 黒子さんがお軸をひろげて待っています。説明によると~納経所に付いたのは5時寸前のギリのギリ、先客がまだいたので受付けてもらえました。でも、女性のリュックを勝手に開けて納経帳を取りだせないと困っています。(意外と紳士です)納経帳を出したのは裕に5時過ぎでした。参拝の順番が逆ですが、お陰様で有りがたく御朱印を頂けました。心強い黒子です。灰子に昇進です~☆ 納経を済ませて、気持ちを落ちつけて、鐘を突かせて頂きます。心をこめて~澄んだいい音色です。 本堂 ♪ 青峰山 千手院 根香寺 ♪青峰にあるお寺。本尊は千手観音菩薩。ここの山の霊木で造られ、その根株が香気を放ったことから、花蔵院と千手院を総称して根香寺とした。 回廊を左手へ 本堂は中庭を囲む回廊式で、万体観音の前を通りながら進む。この様式の建物は歩いてきて初めてではないでしょうか。とても素敵、誰も居なくなった本堂をゆっくり拝観させて頂き、幸せです。 山門 納経所に戻ると窓は閉まっていましたが、中の方に何も言われることなく、ゆっくりと階段を下ります。地形を利用したこちらの階段、木立がきれいに見えるように効果的な階段です。紅葉が有名とか、新緑も素敵ですよ。 牛鬼 山門前の駐車場の脇、木立の中に有名鬼<牛鬼>がいました。思わず、見落とすところでした。てっきり境内の中、お庭に居ると思っていました。牛鬼は、昔この辺りに住んでいたが悪さをするため弓で射止められたという怪獣です。ウルトラマンの怪獣に似たようなのが居たような・・・ 迷い道クネ♪クネ さて、帰りましょう。今度は落ち着いて、歩き道を逆に進みます。何故この山道を来なかったのか・・・すぐに間違えた場所にやってきました。あの時、この石標が全く目に入らず、右のあるき道に気が付かなくて左に進んでしまった。納経に間に合うか否かで、この後の日程に影響するので、ホント助かりした。 国分寺町 暗くなる前に麓まで下らなくてはいけません。国分寺から登るこの山道は、チョッとした遍路転がしで、下るのも結構急です。陽が落ちると一気に暗くなりだし、鳥の声も聞こえません。途中の東屋で上司から頂いた<ひまわり>の種を小鳥にあげるつもりできたけど、うす暗くて鳥はとっくに巣に帰ったようです。 宿<あずさ> 民家の明かりが見えだすとすでに7時。真っ暗です。うろうろしながら歩いていると、なんでこんな所にモーテルがあるのでしょう。・・・・・お互い笑いながら、勿論スルーです*^^*アタシは宿へ、黒子さんは国分駅へ。すっかり暗くなった道を遠ざかって行く後姿に、感謝します。 今日は本当にありがとうございました。ごきげんよう、さようなら。 1日目 H26年5月3日(日) 晴れ 23Km 宿 <あずさ>
May 23, 2014
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日中は暑くなる、と連日予報されていますが乾燥した風か 心地よく 吹いてきます。今朝は 珍しく 早起きしてみました。もぅ、日の出と共に歩きだしたお遍路さんもいるようで~気持ちいいでしょうね。波が輝いて海の青と空の青、その真ん中の水平線。緑にもいろんなみどりがあって草木から凄い生命力が発散されています。。°。°。G・Wに四国を歩いた時の続きです。゜。°。 79番天皇寺の次は、80番から山を登って81番82番と順番どうりに打って鬼無地区へ下るルートと、81番82番と打って山を下り80番を打つルートがあります。寄り道をした後、そのまま車道を登って、81番白峯寺を目指しました。もぅ2時です。R180号線松浦寺から白峯寺まではほんの2km、途中で左手のあるき道へ入るとほどなく階段が見えてきます。この階段、真っ直ぐに、ず~っと、はるか上まで続いています。気温が上がってくるし、背中のリュックが肩と腰に食い込んで、こたえます。お接待で同行してくれた黒子さんは、3歩さがってアタシの歩調に合わせて、気にかけていない風に、気づかってくれます。 「はぁ~」「はぁ=」「はぁぁぁ・・・」口から出るのはため息ばかり。漫画なら「はぁ」の吹きたしでページが溢れそうです。体が四国系になっていないうちの、岩屋寺登り。暑さと荷物で、息絶え絶え・・・「チョッとだけ、ポーターしてくださいm(__)m」 勅額門 軽装でポシェットを背中にピョンピョンと歩く中年男と、白衣にお杖で大きな黒いリュックを背負って、悲痛な顔して歩く中年女。他人からみたら、かなり変な組み合わせです^^;; 本堂へ ♪ 81番 綾松山 白峯寺 ♪五色台のひとつ、白峰にあり、標高280m (てーっ!! 実家の方が高いじゃん)天皇家の皇位継承のすったもんだに巻き込まれた悲運の崇徳天皇は讃岐に流され、その9年後に崩御され白峰の山腹に埋葬された。ここにはその霊を慰める廟所・頓小証寺殿が建立され、源頼朝が建てたと言われる十三重塔もある。 大師堂 NHK<平清盛>でARATAさんが熱演したのは印象的だった。歴史も疎いオバハンは、このドラマのおかげで今回歩く所の基礎知識を得ました。 (^^?頼りない知識ですが・・・ 新緑と花で満ちた境内、春は華やかでほのぼのとして心が優しくなっていきます。梵鐘も撞くことが出来ました。 山門を入ると、真正面に護摩堂があって、ここで納経をしていただけます。境内は起伏に富み、勅額門の手前を右に、階段を上がると本堂・大師堂があります。御詠歌が絶えず流れていて、高尚なお寺の雰囲気が漂います。ここまで歩いてきて、御詠歌が流れていたお寺さん、あっただろうか?昔はお遍路さん達が御詠歌を歌いながら参拝したようですが、聞いた覚えがないですね。 山門、奥に護摩堂 この山門は <七棟門> と言われる珍しい門だそうで、「五棟門だろう~」と言う人もいますが、裏側にもう二棟ある塀重山門です。この門の右塀に沿った道に入ると歩き道、次のお寺までは約5km、木陰の中を歩くので爽やかですよ。素敵な山道ですが、自衛隊の演習地の脇を通るので、一部金網で仕切られています。ちょっと残念な景観ですが・・・仕方ない。 根香寺へ 82番根香寺は標高365m。ほとんど横移動の歩き道と思っていたら、意外とアップダウンがあります。でも、気持ち良くて、重い荷物もなんのその^^ オバハンにしてはスタコラ歩いてます。この調子でいけば、5時の納経には間に合う♪ 明るいうちに山を下りられる♪ なかなかやね~ ・・・そう上手くはいかない・・・
May 17, 2014
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乾いた爽やかな風が窓から入ってきます。八十八ヶ寺の御朱印で満たされた、お軸を掛けて乾かしています。四国から帰って、一週間。浮腫んでいた手足も戻ってきました。(むくんだんじゃなくて、太ったんだろうかぁ?) **:.。. 歩き遍路一巡目 13区切り目 1日目 .。.:** 八十場のところてん歩きの初っぱなから、美味しいモンで始まりです^^;有名なところてんだから、いつでも食べれると思っていたら、違うのですね~昨秋、楽しみに歩いてきたのに、寂しく閉店してまして、力が抜けて店先に半時ほど座り込んでしまいました。が、今日はやってます。まずは、腹ごしらえして歩きます。えっ?尾張風?アタシは、くずもち風ところてん。 <小>なのに 結構な量でした。からし酢醤油も一口味見。辛くないからしがマイルドな味をだしていました。ところで、妙に気になるところてん。地元なのに見たことないですよ~?酢をかけて、砂糖をバラバラ振りかける尾張風ところてん。めっちゃ、手抜きに思える・・・気になったけど、食べませんでした^^;;坂出市加茂町辺り今日は81番82番80番と打つ予定です。(10:30)81番に行く途中、チョッと寄り道をします。0番札所・岩屋寺と神谷神社、そして歩き地図のルートにある松浦寺。以前、某ブログで見かけて気になり、まだず~っと先の地図のページに印をつけておいた所。アタシの足でも、暗くなる前には80番まで行けそうなので、寄ってみます。位置を調べてはきましたが、お接待の黒子さんが地図アプリとGPSを使えるので、助かりました^^~❤♪番外札所遍照院・奥の院 岩屋寺♪大師42歳の時に、遍照院で厄除け供養をされた時、当岩山に足を運び自ら崖を削り石屈を造り、後夜念踊作法を修めた道場と伝えられ、古くから真言密教の修験場になっていた。 ~立て看板より抜粋~訪れる人の少ない山道、車一台がやっと通れる舗装道路を登るります。かなりきつい坂。5キロ以上あるリュックを背負ってのこの坂、かなり足にきています。でも眼下に見えた坂出の町はきれいでしたよ~のぼりの鯉たちが、伸び伸びと泳いでいました。 本堂・本尊は弘法大師岩盤を支える様に建っている近代的な箱型の本堂。そして小さなお堂。そして岩。自称0番なのか・・・無人?勿論ご朱印もありません。平成17年7月17日午前4時頃、大音響と共に洞窟の前半分が崩壊し拝殿もろとも全壊してしまう。先祖が1000年以上信仰してきた岩屋寺を想う地元有志の方々が、洞窟修理と拝殿再建を発願してH13年9月に本堂が完成しました。規模は小さいけれど、この狭い岩肌にひっそりと建つ岩屋寺、崩壊する前の姿を見てみたかった。 神谷神社・本殿陽が高くなるにつれて、気温が上がり、半袖に白衣を着て、次の寄り道を目指してタッタカ進みます。山を下ってほどなく北に進むと神谷町、ここには国宝・神谷神社があり、もっとも古い神社です。小さな境内ですが、垣根と塀の向こうに、鎌倉時代の本殿が見えます。某方の写真はとても風情があるのですが、アタシの腕では上手く収められなくて残念です。 弘仁3年(812年)、 空海の叔父にあたる阿刀大足が社殿を造営し、相殿に春日四神を勧進したと伝えられている。現在の本殿の棟木には、建立された年の建保7年(1219年)の墨書銘があり、 この頃には地域の崇敬を集めていたようである 。昭和2年(1927年)大晦日の夜に、燈明の火が拝殿に引火するという火事が発生、拝殿は焼亡したが、住民が焼け落ちる拝殿を本殿の反対側に引き倒したため、本殿は難を逃れた。松浦寺山門白峯寺へ向う自動車道の入り口付近にある松浦寺に立ち寄りました。写真で見た虚しい山門・・・実物もその通りでした。本堂の裏手も土壁がくずれて、雑草が生い茂り、まるで時代劇の山寺のようです。もぅ~手が回らない状態です。歴史あるお寺ですが、決して古い建造物ではないのに、一体どうしたのでしょう・・・住人がおられるようですが、高齢なのでしょうか。 本堂裏手 訪れる遍路もすくない、ひっそりと佇む松浦寺を後にして、81番白峯寺を目指します。(13:30)寄り道に時間がかかりすぎました。先を急ぎます。
May 13, 2014
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