全38件 (38件中 1-38件目)
1
R 6年 3月30日 土曜日 快晴宿・みかど〜板橋宿〜10k〜日本橋出発 8:30 到着 13:00前日は学生時代の友人と夕飯を食べて、安宿に泊まりました2日目は前日の続き、板橋宿のレトロなお米屋さんの前から歩きはじめます朝の商店街、商品を運び入れたり掃除をしたり着々と順番中ですこの辺りは日本橋から6kに位置し、野菜の供給地でした〜東京種苗〜「種子屋通り」と言われ、ごぼう、人参、大根などの種苗を扱う商家が沢山並んでいました今は立派な大正大学が建ち、かつての面影はないですね〜延命地蔵尊〜延命地蔵、庚申塚を過ぎると、テレビでよく見るお年寄りの交流地、巣鴨商店街実は楽しみにしてたのですなるほど、真ん中辺りにトゲ抜き地蔵さんで有名な高岩寺があるのですねぇ〜広くて綺麗な境内にベンチが並び、憩いの場所になっていますとげ抜き地蔵はお寺の秘仏姿絵を飲んだり(飲めるのか?)患部に貼ればトゲを抜いた様に痛みがとれるとかお守りは昔のまんま風で紙製、安価で庶民的厄除け、開運、虫きり、と3つ求めて後日ハギレで小袋を作って中に納めて手作りのお守りにしました散歩がてらにお参りをして、お土産を買ったり立ち食いで小腹を満たしたり、人気があるのがわかります本郷の追分を折れると、東京大学です日本橋から来ると、右手は日光へ、左手が中山道で京へ向かう道ですね〜赤門〜志村一里塚の交差点と本郷追分の交差点をパノラマで撮ったのですが、添付ができなくて残念です東大の敷地は加賀藩の上屋敷跡、赤門は十一代将軍家斉の娘が前田家に嫁ぐ時に建てられたそうです広くて整然とした道、ビルが立ち並び、大学が幾つもありますなんで歩いているのか?わからなくなりそうです(笑)神田明神に寄り道タイミングよく結婚式が行われていて、桜も開花して華やかな境内です入口の茶屋で冷たい甘酒を立ち飲みして、夏日並の気温でほてる身を冷やします神田川を渡って、三井ビルや三越百貨店などの古き良き建物を見上げながら、まっすぐ進んで行きますあ、日本橋麒麟像が見えてきました暑い中大きな黒いリュックを背負って、休日の街にはチト場違いな私たちも、お構いなしで記念撮影です1603年徳川家康が江戸の町割をした時に日本橋がかけられ、1604年に五街道の起点と定めたそうです今も国道の起点で日本国道路元標が橋の中央に埋没していますが、それは危なくて確認できないので、傍にある複製をパチリ〜複製〜上を走る道路が不評の様で、 確かに残念な景色、いずれ道は撤去される予定だそうです日本橋の上には青空が似合いますもんね〜お腹が空いてきました近くの穴子屋さんで、お祝いご飯です
April 21, 2024
コメント(9)
令和6年3月29日 金 風雨後晴れ浦和宿〜5.5k〜蕨宿〜9k〜板橋宿 計14.5k出発 12:00 到着 17:00宿 みかど旅館寒い日が続いて今年の桜は予報よりかなり遅れました3月の末に中山道を歩いたときの話です歩き始めた日に桜がやっと咲きだして、都会の桜も次々に開花していきました今日は夏日になる予報で、桜は葉桜になりつつありますさぁ〜今回で中山道上り編はゴール、と意気込んだけど夜中からの嵐にテンションだだ下り、予定より出発を2時間遅らせて、前回の続き浦和駅からスタートですが、名古屋の雨雲は一緒に関東へ流れて、折りたたみの傘は逆に折れ曲がりビショビショ、まるでマンガです(泣)駅西口にあるうなぎ屋で、風雨が収まるまでひと休み、早めのランチにしました 浦和はうなぎが有名で、駅周りにはいくつもの店がありますここは柔らかくて甘さ控えめな味で満足です余談ですが…うな重、おすすめの食べ順があるとかで、どの切り身からがいいかわかりますか?雨雲が切れそうなので、スタートします雲がどんどん流れ時折強い雨が降ってきます 浦和宿は江戸に近い為に規模は小さく、江戸時代は旅籠15軒の小さな宿場だったそうです〜調神社〜都心に向かうに従い古い石仏やゆかりの物は少なくなり、あらかじめ本でチェックしておかないと見落としてしまいますほどなく調(つき)神社平安時代からの租庸調の調(みつぎ)物を意味し、武蔵国の調はここに集められました調(つき)は月信仰に結びついて、狛犬もうさぎですね〜焼米を売る茶店があった、焼米坂〜旧道なので路肩が狭いですね〜〜辻一里塚跡〜古い建物がわずかに残っていますが、ガイド本がなければ気が付かずに通りすぎてしまいます一里塚跡はうどん屋になっていました〜蕨宿〜蕨(わらび)宿は1612年にでき、江戸に近いので素通りする旅人が多かったが、荒川を渡る戸田の渡しがあったため、雨が降ると足止めをされた人でとても賑わったそうです蕨(わらび)は、藁(わら)が燃える様の「藁火」が由来だとか〜荒川〜長い階段を上がり高い土手に上がると視界が一気に広がり、荒川です向こうは東京、日本橋はあとわずかです穏やかに流れてますが、水位が上がって土手が決壊したら付近一帯は3〜4mも浸水すると言いますマラソンする人、犬の散歩をする人、カヌーをする人、お散歩をする母子、みんな楽しそうです〜縁切榎〜戸田橋を渡ると太い道路を沢山の車が走る、とても規則的に、東京だ、お江戸なんだ〜荒川を超えた辺りから空は一気に晴れ渡り、気温はどんどん上がっていますちょうどこの時くらいに、やっと関東にも桜の開花が発表されたのでした〜板橋宿 仲宿商店街〜並行して走る旧道・中山道は地元の人たちの生活の道、板橋商店街、仲宿商店街と続いてとても賑やかです昔、中山道を旅する人は日本橋ではなく、普通は板橋宿からスタートしたそうです宿は上宿、仲宿、平尾宿でなりとても栄えていました〜お米屋さん〜今までいくつもの宿場を見てきましたが、面影が無いところ、観光化されているところ、行政がなんとか保存しているところと様々ですでもここは、かつての賑わいが今に続く生活感のある、生きてる宿場!と感じましたもう17時、夕方の買い物かな?帰宅時間? 活気があって、あの店この店とのぞいてみたくなりますよ
April 14, 2024
コメント(11)
2023年11月25日 土曜日 天気 晴のち曇スタート8:30 ゴール15:003日目 15k 北上尾駅〜2k〜上尾宿〜7.8k〜大宮宿〜4.9k〜浦和宿2泊3日の区切りの中山道歩きも最終日、あっと言うまですが、私の足にはこの位が丁度です宿のザ・セレクトン北本駅前店は本当に駅真ん前、この辺りには宿が少ないのでありがたい宿でした安いうえに、夜なきラーメンのサービスがあり、大風呂があり、ちょっと水道管の音が気になりましたが、寝てしまえばへっちゃらです昼から天気が下る予報、さてどうなるでしょう2k歩いて上尾宿ですここは日本橋から一泊目の宿、遊興地で飯盛旅館が多く賑わったそうだが、1860年の大火でほとんどが焼失し面影はありません〜氷川神社〜8k歩いて大宮宿 車道沿いには商店が並びこの辺りは歩道が多くて歩き易いですねコロナが五類になって、中山道を京に向かって歩く人が増えています20人ほどのグループの初老の方々にすれ違いましたが、背中は小さなリュックなので日帰り歩きですねそういえば、この辺りはやたらと床屋💈美容院が多かったのです、不思議ですね大宮宿には平安時代から続く武蔵国一宮の氷川神社があります今回の区切りでは、氷川神社と荒川の土手が心に残ってます旧中山道164号線を左に曲がり裏手の大宮公園から神社に入りました境内は七五三参りの親子がいらして華やかです江戸時代初期までの中山道は神社の参道を利用していました参道を街道にすることは恐れ多いとする宿の意見を受けて、関東郡司が1628年西側に付け替え、参道沿いの宿や家40軒を新しい街道沿いに移転させましたこれが今の車道となり、大宮の名は神社の参道から始まったと言われてます大宮宿は本陣2軒、脇本陣9軒参道は2kと長く、30種類700本近い樹木があり、江戸時代は松が多く、明治からは杉、最近は汚染に強いけやきが多いとか参道の両脇に樹木、その外側に車道や住居・店舗が並んでますこの頃はまだ紅葉が残っていて気持ちよく歩けました〜一の鳥居〜二の鳥居で西側に並行する車道の中山道に移動しますこちらは商店街になっていてとても賑やかです大宮では是非うなぎ!と思っていました何件もあるお店の中から選んだのは<小室屋>さんこじんまりしたお店を優しいご夫婦が営んでますこの日は奥さんが出かけていて、ご主人ひとりで回してました長く待つ時間も気にならないお店の雰囲気です関東の蒸してから焼くうなぎは、西の生から焼き上げるうなぎとは全く違う口当たり柔らかくて口の中でクリームの様にとろりと溶けていくようですさいたま都心駅には日本最大多目的ホールのスーパーアリーナがあります開発された町ですね、歩道も整備されてます〜一本杉〜 都心に行くにしたがって、昔を偲ぶものは更に減っていきます石碑石仏はどこにあるのだろう…歩道に不似合いな見落とされそうな一本の杉の木、父の仇討ちが行われた場所で、幕末最後の仇討ちとして有名ですが、かろうじて…と言う感じですこの先は線路づたいから離れるので、今回は浦和駅でお終いにしました浦和宿の後は、蕨宿、板橋宿、そして日本橋です次回は春、中山道上り篇を上がる予定です
January 24, 2024
コメント(14)
2023年11月24日金曜日 天気 晴れスタート8:30 ゴール16:302日目 22k行田駅〜4k〜鴻巣宿〜7.2k〜桶川宿〜11k〜北上尾駅中山道歩き、2日目も季節外れの暖かさです東横イン熊谷ホテルは駅近で綺麗、無料朝食も期待以上のいい宿でした昨日の続き行田駅で下車、久下一里塚跡からスタートします荒川の土手下の草っ原に朝露がおりて一面に白い小花が咲いているように輝いています、綺麗だな〜今回の歩きの中でお気に入りのひとつがこの土手道、清々しくて得した気分で歩きます土手は眺めの良さと追い剥ぎで有名だったとか💦荒川堤を降りた所にお堂がありました(昔の地図にある赤い点)権八地蔵です立て看板には言われが書いてあり、まるで時代劇で見た様な話です〜権八地蔵〜権八が金に困り・地蔵の前で上州の絹商人を殺し300両を奪ったこれを見ていた地蔵に「他言するな」と口封じをすると、「わしは言わぬがおぬしも言うな」と答えた事から物言い地蔵と呼ばれた権八はその後1680年に捕らえられ鈴ヶ森の刑場で磔の刑にされた〜高崎線〜吹上・間の宿は高崎線を越えた所に説明板と長椅子があるのみです幕府公認の宿場ではなかったが、熊谷宿〜鴻巣宿間が16kと長かったので、休憩の場のお茶のみ本陣や馬次の立場が必要で賑わったそうです今は線路や道路工事で中山道は分断されて面影は全く残っていません前砂の一里塚跡は標柱があるだけですが、かつてはこの辺りから富士山が見えたそうです〜鴻巣宿〜鴻巣は村人たちを救ったコウノトリを祀ったこう神社が地名のルーツ戦国時代に伏見の人形師が住み着いたのが始まりとか、380年の雛人形造りの歴史と伝統を誇る町です産業観光館「ひなの里」は真新しい建物で中庭は休憩ができトイレもあります鴻巣にはお店がおおいのて゛ここらて゛ゆっくりと昼飯にしました〜小林家〜鴻巣宿から7.2k歩いて桶川宿です桶川は紅花や麦の集積地で、旧道沿いには江戸末期の古い建物が残っています小林家は江戸時代の旅籠で国登録有形文化財、その玄関先に奥さんと職員さんが並んで道向こうの古い建物を見ています〜矢部家〜向かいは矢部家、塗りや造りの蔵のある商家で店と住居が一緒になった建物です…でも、落ちかけた軒をつっかい棒で支えて、まるで松葉杖みたいです三人はずっと見つめて話していました維持するのは大変、修復するのもまた大変です〜お茶屋さん〜住宅に挟まれて残るのはお茶屋さん、すでに廃業した旅館もあります高崎線と並行する164号線を歩いてきましたが、そろそろ陽が傾いてきましたこの時期はあっという間に陽が暮れる、北上尾駅に向かう事にしましたその交差点の手前に黒板塀に囲まれたと〜っても広い敷地の家がありました紅花の中買をしていた豪商の須田家です人が住んでいるのかわかりませんが、庭?の木は森の様に茂り道路まで覆い被さっています晩秋、もうすぐ12月、木々の紅葉が寂しげでした宿 ザ・セレクトン北本駅前
December 16, 2023
コメント(7)
2023年11月23日 晴れ深谷駅〜11k〜熊谷駅〜5k〜行田駅出発10:00 到着16:00 〜深谷駅〜中山道歩きもいよいよお江戸近し!となってきました11月22日〜24日の2泊3日、前回の続き、深谷駅を10時にスタートです深谷駅は深谷のレンガを使った東京駅をモチーフにしたおしゃれな駅舎です深谷は大河ドラマの主人公、次の一万円札のお顔になる渋沢栄一氏の生誕地で、明治20年渋沢氏達によって日本で初めて機械式レンガ工場ができたそうです〜深谷宿〜深谷宿は東の常夜灯〜西の常夜灯まで1.7kとなりの熊谷宿が飯盛女を置かなかったのでこちらに沢山の女性が集まってきたそうです今までは山並みを眺めながら歩いてきましたが、浅間山もはるか後方にかすんで、目印はビルに変わってきました道も緩い下り坂はなくなり、ほぼ平です大型車は並行する17号線を走るので、地元の道は自家用車が主で安心して歩けます次の熊谷までは11k、季節外れの陽気で暖かくて助かります住宅地が続き17号線と合流したところにあった食堂で昼飯にしました(13:00)〜お蕎麦・増田屋〜地図本にも載っているお店で昔から地元に愛されてきたのがわかります手頃な値段でがっつり系なので、男性客が目立ちます鍋焼きうどんの出来上がりまで、ゆっくり休む事ができました〜左・中山道 右・17号線〜今回は道沿いに寺社や公園がないので、腰が下ろせなくてただただ歩きましたと、言ってもやっぱり時速は3kほどでしたが💦〜八木橋デパート〜住宅街に目立つデパートに突き当たると建物に沿う様に道が曲がっています実はこの建物の東口〜西口間が旧中山道だっだそうで、両入り口に「旧中山道」の大きな石碑がありました〜熊谷宿 札の辻〜熊谷宿は明治17年の火災と昭和20年の戦災で跡形もなくなってしまいましたそういえば線路や道路で宿場を偲ぶ様な古い建物や石碑などもめっきり目にしてません案内版もほとんど見かけず、あっても小さかったり古かったり…中山道を詳細に書いたピンクの本でチェックしながら歩いていても、気付かずに通過しています〜元荒川の熊谷駅が近くなると17号線から離れて旧道に入ります1日目は駅前の東横インホテルを予約したので通過した時にリュックを預けちゃいました途中の道わきに澄んだ小川があります、元荒川です湧水が流れているそうで、世界で熊谷にしか生息しないムサシトヨミと言う小魚がいるそうです、が私は未確認でしたぁ荒川の土手に上がります土手は2段の舗装道になっていて、中山道は下の道、(こちらは車も通ります)でも上の道を行きました上の道は車止めがあるので、お散歩するかたや自転車の人がのんび歩いてますとても広い河原で荒川の流れは全く見えませんこの日初めて開放的に歩きました土手を延々と歩いて吹上駅まで行きたいのですが、途中で日没になりそうなので、手前の行田駅までにしました土手は一面のススキ、もちろん街灯も人気もないので、暗くなったら大変ですライオンズマンションが見えたら土手を降りて駅に向かいます右手に夕日、左手に白い月、一面にススキ、胸いっぱい空気を吸います 行田駅から熊谷駅に戻り、駅近のやきとり屋で夕飯にしました高崎と同じで、この辺りの串焼きは鶏肉でなくて豚肉なんですね熊谷駅の周りには飲み屋がいっぱいなかなか決まらすにぐるぐる回りましたが、窓から列車が見える小さな、でも良心的で美味しい「つのいち」にしました
December 3, 2023
コメント(7)
5月6日 曇り時々晴れ 本庄駅〜深谷宿・深谷駅 11キロ 出発9:30 到着14:305月の連休の週間天気予報はいまひとつだったが、歩き始めたら1、2日目はよく晴れました3日目、本庄駅を降りて前日の続きから歩きます夕方には雨が降り出す予報だが、広がる雲の間から時折陽がさして気温はどんどん上がってきました!〜宝珠寺〜車道からお寺の朱色の山門が見えます参道の木立の緑に映えて美しいこの日は暑過ぎて寄り道する気にもならず、そのままスル〜日の出地区に入ると畑が一面に広がります今は何もないけれど、この辺りの名産の大根が植っていたのかな?風を求めて、土手を歩くことにしました最終日は歩けるだけ歩いて東海道新幹線を使って今日中に帰る予定だったけれど、相方が肉刺が潰れてテンションだだ下がり💦 四国では二日目に肉刺ができたもので、運悪く潰れても次の日もなんとか歩いちゃう私だけど、経験のない相方はビビりまくり〜 更にこの暑さがやる気を削いでいるようで、歩くほどに口数が減ってきています(これ以上はダメかなぁ?)なんて内心思う〜滝岡橋〜1928年造設 鋼製八連橋 国の有形文化財の滝岡橋を渡って岡地区に入って行きますこの辺り、旧道と道の駅のある車道が交わっていて、木の茂った坂道はわかりにくく、幕末に建てられた庚申塔群を見損なっていました、残念馬頭観音の向かいに、歩き人にはありがたいお休み処があると聞いていたので、楽しみにやってきたけど休業中、残念たまたまいあわせた店主さんと話せましたが、いつか再開したいと言ってました〜正明寺〜旧岡部町を歩くと岡部藩や岡部六弥太忠澄氏にゆかりのある寺社や石碑があります岡部六弥太忠澄…どなたでしょう?調べてみました〜滝澤酒造 菊泉〜この辺りには武蔵国を中心に勢力のあった武士団、七党のひとつの猪俣党があり、保元の乱、平治の乱、一ノ谷の戦いで活躍した猪俣小平範綱と岡部六弥太忠澄が有名 源義朝、頼朝、義経に仕え、木曾義仲を追討し一ノ谷では平忠度を討ち取った(資料参考)800余年の時を経ても地元の方に大切に崇められていますね〜深谷宿〜 顔がポッポと火照り出し、気温がかなり上がってきたのがわかりますこの日の予報最高気温は28度最高気温がよく出る熊谷はすぐそこです多分日陰のない車道の上は30度近くになっていたでしょう💦〜七ツ梅酒造〜手元の中山道の本は2019年春に発行されたもので、載っているお店は5年は前のもの、その間にコロナ禍が続いたので閉店したお店がありましたボーっと歩いてきて、思わずうなぎ屋「うな和」に吸い込まれる様に入りました主ひとりでまわしているから時間がかかったけど、丁寧に接客してくださり、ゆっくり休めて腹ごしらえができました〜七ツ梅酒造の再利用〜うなぎを待ちながら、今回は無理せずには深谷駅をゴールにすることに決めました深谷宿は舟運の中瀬河岸を控えて商人町として発展し、江戸を出立した旅人の二日目の宿地としてとても賑わいましたひとつ手前の熊谷宿が飯盛女をおかなかった為、深谷にはたくさんの女が集まったとか…東口と西口には常夜灯があり、その間1.7キロの宿場には江戸時代から昭和初期の古い建物が残っています明治20年郷土の渋沢栄一たちによって、日本で初めての機械式煉瓦工場が造られた煉瓦の町三件あった造り酒屋、滝澤酒造、藤橋商店、七ツ梅酒造の建物がしっとりとした街並みを作っています七ツ梅酒造は、元禄7年(1694年)に近江商人の田中藤左衛門が創業した酒造です創業以来300年の歴史を有し、県内でも1、2を競う老舗蔵元でしたが、2004年(平成16年)に廃業し、現在は所有者の意向を受けて、一般社団法人まち遺し深谷が、この歴史的・文化的な施設の保存および運営・管理を行っています昭和の映画セットの様な建物には、食べ物屋、古本屋、古着に雑貨…映画館までありましたが、維持していくのは大変でしょう 深谷の信号を曲がり、深谷駅でゴールにしました深谷駅は東京駅を真似た煉瓦作りの可愛い駅舎でしたそのレンガに向かって立ちションしているおじさんに遭遇して、今の時代そんな方かわいるのかとビックリしました昭和をたっぷり味わえましたよ
July 29, 2023
コメント(7)
倉賀野の追分を右手へ、県道121号を進むと国道17号と交わります意外に中山道沿いにはお店がないので、交差点近くのラーメン屋でお昼にします烏川にかかる柳瀬橋を渡って土手のサイクリングロードを歩きます妙義山とかすかに浅間山が見えます土手を散歩していた地元のおじいさんが、この辺りに〈柳瀬の舟渡し場〉があったんだよと、指をさして教えてくれましたおじいさんが若い頃には船着場が残っていたが、今は名残りのものはありませんいずれ覚えている人もいなくなってしまうのですね陽が高くなってたまらず、関越自動車道の高架の影で腰を下ろて一休みここから11番目新町宿に入ります上野七宿の東口で渡しを控え宿場がないのは不便とのことで、中山道が開かれた後に落合新町と苗木新町が合わさってできた宿場です〜川端家〜静かな生活道を進むと、ひときわ目立つ建物がありました国有形文化財の川端家です江戸時代の豪農で、明治になると生糸の貿易で財を成したそうです面影がありませんが、この辺りは一面に桑畑が広がりたいそう養蚕が盛んでした〜八坂神社〜かつて鳥居脇には柳の大木があり、柳茶屋があったと言う八坂神社すぐ先の左手には陸上自衛隊新町駐屯地が広がります5月初めとは言え日差しが強くて午後になると暑さが身にしみますどこか喫茶店で一休みしたい!けど、この日は道沿いにそれらしき店がありませんまち歩きを延々と続けていると、時折ある寺社や古い建物、石塔に癒されます神流川を渡り、392号線を行くと高尾歩道橋を右折、金鑚神社の前の赤煉瓦の歩道には中山道の宿場名が並んでいましたあれ?順番違うんじゃない?と、思うのもありましたが、記憶違いかな?中山道と信州姫街道の追分だった交差点を左へ、ここから本庄宿です〜金鑚神社〜本庄は中山道の中でも一番大きな宿場でした本庄は室町時代に本庄城が築かれ、その後徳川の家臣が城主となるが廃城、江戸幕府領地となって発展したそうです幕末から明治には繭の集散地として更に発展し、当時の繁栄を思わせる建物や蔵が沢山残っていました〜宮本町 蔵の街〜とても素敵に保存されている蔵の横には、案内板があり、大正時代の写真と丁寧な説明がありましたモノクロの写真の日差しがある蔵が上の写真の一の蔵です一の蔵から三の蔵があり、この付近一帯は江戸時代は穀屋と言う名前で穀物や醤油を扱い、旅籠も経営していました明治から平成と酒問屋の支店でしたが、閉店後は蔵の街として保存されています〜案内板参考〜〜旧本庄商業銀行 煉瓦倉庫〜明治27年建立された煉瓦の建物は今は休憩所として開放されていましたローヤル洋菓子店で休憩したいのですが、もう17時を過ぎています本庄駅が近いので、二日目おしまいとしますこの日もよく歩きました〜電車で戻って、この日も高崎に泊まります令和5年5月5日 晴 23キロ高崎宿〜6キロ〜倉賀野宿〜6キロ〜新町宿〜11キロ〜本庄駅出発 8:30到着 17:30宿 ホテル高崎123
July 22, 2023
コメント(7)
5月5日二日目、晴れ、サンルート高崎を8時出発今回の二泊三日は、深谷あたりまでは行きたいと予定しているのですがさてどこまで行けるでしょう高崎は商業が盛んな城下町でした 宿場は三国街道、信州街道の分岐がありとても賑わいました旅籠は15軒、大名方が堅苦しい城下を敬遠したので、本陣脇本陣はありませんでした 〜シネマテークたかさき〜中山道は駅の西側を通り、わずかに残るレトロな建物がオシャレです線路と並行して走る道路は幅が広い割には交通量が少なくて、気持ちよく歩けます そう言えば〜 昨日ずっと手前から見えたひときわ高い白い建物は、高崎市役所でした〜安楽寺〜上信電鉄、上越新幹線をくぐり、高崎線と並行して南に6キロ歩いて江戸から12番目の宿場、倉賀野宿です 倉賀野宿には本陣・脇本陣が置かれて、日光例幣使道の基点にもなりました烏川には倉賀野川岸が置かれ、江戸と諸国を結ぶ物資輸送の中間基地になりましたそのため宿場は参勤交代の武士、日光例幣使(公家)、旅人、船頭、人足、町人で大変賑わったそうです〜高札場 復元〜 宿の西口には古墳群があります 浅間山古墳は4世紀のもの、歩き目線では判りにくいけれど、Googleマップで見ると前方後円墳がきれいに判ります 10時、安楽寺の境内で一休み、この日も暑くなりそうですお寺の裏にも古墳があり、珍しい鼠供養塔と将棋の形をした石の板碑(卒塔婆の一種)がありますかつて川岸に穀倉棟が並んでおり鼠の被害が多く駆除していたため、船問屋がその供養塔を建てたそうです倉賀野宿は追分や利根川の舟運最上流の倉賀野川岸を控え、信州上州の米や産物を江戸に送り、塩や干鰯を持ち帰ってとても賑わいました 飯盛り女も多く、女達の信仰を集めたのが倉賀野神社にある冠稲荷だそうです飯盛女…「?」時代劇で聞いた事あるような〜ないような〜検索してみましたなるほど、時代背景を感じますね女が、特に貧しい家の女性が生きていくには大変な時代でした〜倉賀野おもてなし館〜 かつての面影はほとんどないが、舟問屋兼脇本陣の須賀家などの古い格子の建物が残っていますおもてなし館は、平成27年に観光客の休憩施設として開館しました 旧大山家が営む着物問屋の<大黒屋>はなまこ壁の蔵造り、中の梁や床板も大きく立派です 久しぶりの休憩所、またまた、お得意の寄り道です当番のご婦人方が番茶を勧めてくれました倉賀野に入るとパンフレットを手にしたウォーカー達に会いました、倉賀野めぐりをしてたのですねお抹茶と近くの和菓子屋さんの最中を注文して、ご婦人の話を楽しく聞かせていただきました2キロほど歩いて宿場の東口、倉賀野追分ですここは中山道と日光例幣使(れいへいし)街道との分岐点徳川家康を祀る日光東照宮の春の大祭に、京の朝廷が幣帛(へいはく)を奉納するために派遣した例幣使が通る道…案内板よりうーん💦幣帛って何?またまた検索、学びになります「幣帛」神道の祀祭に奉納する物の事幣は布を意味し、他には衣服、武具、米や海・山の幸がある〜倉賀野追分〜日光は左手へ、中山道は右手へ柳ヶ瀬川を渡ると、12番目の宿場、新町宿です
July 9, 2023
コメント(5)
二泊三日の中山道歩き、宿は二日とも高崎駅近くのビジネスホテルにしました高崎は電車や道路が交差する便利な土地柄なので、催しが多く、この連休も高校生のバレーボール大会があるので、どの宿もずいぶん前から詰まっていました連泊がよかったのですが、1日目はサンルート高崎、二日目は高崎1.2.3にしましたどちらも朝飯付きですが、夜飯は各自です高崎駅西口は横丁風の小径があり、居酒屋や昭和を思わせるお店が今も残り、夜道を歩いていると何だか子供の頃に戻った気分ですGoogle mapsでやきとりのお店を探すと、何軒も出てきましたぷらぷらと歩いて、妙に気に入ったのが、こちら<ささき>ですこじんまりしたお店、外から覗くとカウンターの客達が〈おいで!おいで〜〉と手招きしてくれますスルスルとお店に入ると、ちょうど二席空いたばかりで、ラッキーでしたとても小さなお店ですコの字のカウンターに丸椅子が10席ほどのみ私たちが座って、満席です50年程前にタイムスリップした様な店内はなんとも懐かしくて居心地がいいあの頃流行ったレコードが並び、フォークギターが掛けてあります(ギターはマスターではなく、弾きたい客がお好きな様に弾くそうです)中島みゆきのコンサートのDVDが流れています、また、これがいいなぁ〜マスターは同年代くらいかな?俳優、田中要次さんを庶民的にした感じ…かな?話好きで、でも手元はひっきり無しに動いています1人で何もかもするので、口も手もフル回転次々入る注文をメモしたりブレーキかけたりして、やりこなす姿、流石!ですこちら、焼き鳥ではなく、【やきとり】と言うところがポイントだった!鶏🐔ではなく豚🐷の串焼きです!ちょっと意外でしたが、意外な美味しさを楽しめましたおすすめは、塩だそうで〜タン、ホルモン、ハツ、レバー、カワ、カシラ、ガツ、ナンコツ、コブクロ…タレ味も塩味もいけますとても綺麗な串で妹さんが肉刺しと漬物担当漬物が薄味で美味しくて、おかわりしました高崎には20年ほど前まで、キリン工場があったそうで、キリンを置く店が今でも多く、ニタニタ顔でビールを追加🍺また追加…しましたのれんの向こうは、渋々帰る客が後をたたず、人気のほどがわかります予算は1人1500円ほどの様ですが、私は2人で4000円ほどうーん、強いて言えば、おにぎりが🍙欲しかったなぁもしもまた高崎に行く機会があったら、是非寄りたい心と財布に優しい癒しのお店です補足:あえて、店内や料理の写真を撮りませんでした検索するとたくさんのコメントがアップされていますおすすめのお店、でも隠しておきたい様な、でも今更ね〜笑、とっても話題のお店です
June 18, 2023
コメント(8)
〜安中宿〜5月の連休は予報より天気に恵まれて、1日目は晴れ、歩き初めは緩やかな下り坂でしたが、高崎に近づくにつれて平地になり、足が重くなりだしました安中宿から板鼻宿は3.3k、板鼻宿から高崎宿までは7.2k、日の暮れまでには高崎に行きたいですやはり、私の足では時間3kペースですね💦〜妙義山と浅間山〜碓氷川に沿って歩き、鷹之巣橋を渡ると板鼻宿ですこの宿は碓氷川の<徒歩渡し>で有名でした川が増水すると足止めになり、旅人は水が引くまで宿場に泊まりるのです 堅苦しい城下町の高崎宿をさてけ、先を進んだ旅人でこの宿はたいそう繁盛しました旅籠が50軒以上もあったそうです今はその面影はなく、静かな通りですね 整備された用水路を静かに水が流れていました〜板鼻宿の双体道祖神〜男女が酒を酌み交わす、瓢箪と盃を持った像〜サイクリングロード〜板鼻宿を過ぎると18号線と並行する碓氷川の土手のサイクリングロードを歩きます右手に里山、左手に車道、安気に気持ちよく歩けますでも、昔の中山道はどこを通っていたのでしょうね💦街になるほどに、面影は薄れていきます〜上野国一社八幡宮鳥居〜土手から草木や街並みを楽しみながら歩きます春歩きは陽が長いので、時間を気にすることもなく、夜になるまでに高崎駅に行ければいいさ〜なんてお気楽です〜藤岡一里塚〜樹齢200年の檜が生える 群馬県に唯一残る一里塚18号線を走る車からひときわ目につくこの大木、一里塚と気がつくドライバーはそういないでしょうね〜豊岡町の石仏石塔群〜道を拡張や区画整理と繰り返す度に、道端に鎮座していた石碑やお地蔵様は、あっちに移動、こっちに移動されて…こんな風にひと所に集められた石碑群はあちこちにありました〜茶屋本陣辺り〜サイクリングロードから外れて土手を下り、豊岡の町中へ、だるまを並べた作業所やお店が目につきます上州だるまですね甲州だるまと違って、優しい表情です〜高崎市中心街〜高崎まで残り2、3キロ、もう5時をまわりましたゆっくりと休むことなく歩いた為か疲れました、小さな祠の前に腰をおろしましたビルが並んだあそこが高崎駅周辺 ひときわ目立つ白い建物はなんだろうか、駅ビル?気になるなぁ〜高崎観音〜 君が代橋を渡ると縦横に整備された高崎の城下町山田文庫や長名寺の前を通り過ぎ、駅前通りに到着です日が暮れてお店の明かりがつき始る、これまで関ヶ原から高崎まで歩いてきたが、一番賑わっている宿場、高崎あ〜、夕飯は何にしようか、楽しみです
June 17, 2023
コメント(0)
中山道あるきは上野(群馬県)に入り2回目となりました上野には7宿あります前回、坂本宿、松井田宿、2宿と歩き今回はどのあたりまで行けるかなぁ5年5月4日 晴 14.5k4k〜安中宿〜3.3k〜板鼻宿〜7.2k高崎宿出発13:00到着18:00 今回も6時に家を出て、名古屋7時発のしなので長野へ、上越新幹線に乗り換えて高崎へ向かいました乗り換え時間があるので、高崎駅ビル内で昼ごはんを済ませて、前回区切った信越本線・磯部駅で下車コミュニティバスを利用して前回の続き、八本木地蔵堂から歩き始めます〜左・妙義山 右・浅間山〜緩やかな下り坂、足どり軽くさっさかと進むとほどなく安中宿です戦国時代に安中氏が築いた安中城は武田や北条の争奪の的になり落城。その後井伊直政の子、直勝が城主になり安中宿を開いた規模は板鼻宿より小さい〜原市高札場〜中山道の名残はほとんどありません原市の杉並木はかつては一キロほどあって730本並んでいたが、今は10本余り、車ならあっと言うです笠取峠の松並木とはずいぶん違ってますが、保存の為に若木が植えてありました〜原市村役場跡〜安中といえば…藩士の心身鍛錬のために始めた安政遠足碓氷峠の熊野権現まで走らせ順番を記録したそうで、日本マラソンの起源とされています毎年5月の第二日曜日に侍マラソン大会が催され、今年は5月14日に開催、マスクを外したランナーやコスプレのランナーがたくさん参加したというニュースを見ました1783年浅間山が大噴火してこの一帯は壊滅的な被害を受け、困窮した農民は天明の大一揆を起こしたそうです背後の浅間山と妙義山がだんだん遠くなって霞んでいます次は板鼻宿です
June 2, 2023
コメント(6)
坂本宿〜松井田宿 10.4キロ令和4年10月10日 天気 曇 8:00〜12:00中山道歩き、3日目、最終日です一晩中降りつづいた雨は朝やっと上がりました坂本から軽井沢に向かう登り坂は最難所です ましてや雨の日は危険、夜歩きなんてとんでもありません〜横川駅と釜飯屋〜心地よい宿でぐっすり休め、疲れも取れました前の日はあんなか祭りがあったそうで、花火が上がったりSLが走り沿線や横川駅は鉄道ファンですごい人だったとか〜坂本宿〜翌朝は洗われた様にしっとりと静かな坂本宿です 東京屋のご夫妻が見送ってくれました変わった形の山並みが見えますこれが妙義山か!尖った山がいくつも連なり、珍しい岩姿、そこを白い雲が流れてとても綺麗線路に沿って歩くと列車と山の写真を撮りたくなる気持ちがわかります10キロ歩いて松井田宿下り道なので楽に歩いて来ました松井田宿は信州から集まった年貢米の中継地として賑わい米宿と呼ばれていたそうです今は静かな街並みである信越本線、北陸新幹線、篠ノ井線、中央線、東海道線を使って帰るので早めに上がる事にし、最寄りの磯部駅でおしまいにしました今回は何しろ碓氷峠が印象的でした江戸から京へ向かう人は、しょっぱなの急坂にそれは驚いた事でしょう四国八十八ヶ所巡りで言うならば、遍路転がしの焼山寺への道みたいな感じです(私はその坂を逆に下ってきたので、上ったとしたら…どっちがきついでしょうか💦)でも、焼山寺と同じ、ここを乗り越えたなら、最後まで歩いて行ける自信がつく難所ですね😊
May 14, 2023
コメント(6)
お得意の寄り道が重なり、予定より遅れて峠を下ります 〜下る 13:30〜 廃業の店の奥に中山道に入る道があります ここからは静寂、誰もいません 軽井沢駅から峠までの標高差は200mほど、横川駅から峠までは800mほど ここから一気に800mほど下っていきます とうとうポツポツと雨が降り出してきました 秋の陽の入りは早い!暗くなる前に坂本宿まで下りなければいけません 峠には民家も車道も、もちろん電気もありません緩やかな下り道は細くなったり太くなったり 広範囲に土砂崩れしている箇所や、足場の悪い沢もあるけれど、前半は尾根筋の歩き易い道 ところどころに説明板があり、昔の中山道を知ることが出来た <陣馬が原>足利氏と新田氏や武田氏と上杉氏の戦いの記録にうすい峠が出てくる <中山茶屋>峠の真ん中にあり、川水を汲み上げて茶屋を開いた 江戸初期には13件の茶屋があり、茶屋本陣も寺もあった明治になると小学校もでき、明治天皇巡幸の時は25人の生徒に奨学金25円が下賜された はっきりした位置はわからないが、 昭和の廃棄物、と言うか、この道沿いを開拓して別荘地にしようと計画されたようで、廃墟と化した建物が何棟か崩れかけて放置された場所があった だんご屋で聞いてはいたが、さすがに山の中にボーっと建つ姿には驚いた 虚しかった このままどう朽ちていくのだろう 〜馬頭観音〜 覗(のぞき)と言う場所からは、坂本宿が見下ろせる 一茶は 「坂本や袂の下のゆうひばり」と詠んでいる 峠道で唯一眺望のいい場所… らしいが、あたりは雨雲に覆われて、何も見えなかった 覗きからは急坂になりだします 〜風穴〜 馬頭観音や溶岩の割れ目から温かい水蒸気が上がる風穴、ゴロゴロの石さえもゆっくり味わいたかったけれど、すっかり暗く雨も本格的になってきた 何しろ早く!車道に出なくては! 尾根道とは違い、石がやたらとごろついて歩きにくい 濡れて黒光りする石道、転んではいけない やっと車道に出たのは17時過ぎだった 下り初めたのが13時半だったので、3時間半かかった 麓はすっかり暗く、雨は更に強く、坂本宿はひっそりとしていた 路肩をトボトボと歩いて三キロ余り先の横川駅を目指す この日の宿は駅前の<東京屋>18時到着、すでに真っ暗、ご夫婦か暖かく迎えてくれてありがたかった 部屋数は少ないが、鉄道好きのご主人と優しい奥様のお料理の美味しい綺麗な宿、ここおすすめです🌸
May 3, 2023
コメント(10)
中山道を区切りながら歩いて全体の半分は過ぎたが、私には碓氷峠は最難所だった 「木曽の桟橋、太田の渡し、碓氷峠がなけりゃいい」 と言われた中山道の難所 木曽の桟橋は川沿いに車道ができてるし、太田の渡しは立派な橋で渡れるでも、碓氷峠は整備はされたものの、昔の様に行き交う人はなく茶屋もないのだ 半年前に歩いた中山道、軽井沢宿から松井田宿の話です10月9日、二泊三日の中山道歩き、2日目の天気予報は雨 8時、ゆうすげ旅館を発つ昭和感たっぷりの宿でした朝になってわかったのですが、宿の周りは何面ものテニスコートに囲まれたすっごく広い敷地の宿でした この辺りは街道歩きで泊まれる様な宿はなかなかないので、助かりました 〜オシャレな中軽井沢駅〜 この日は中山道で一番の難所、碓氷峠(うすい峠)を越えます 雨が降る前に少しでも先を急ぎたい駅前で、道を尋ねられました(えっ!私たちに?) 夜明け前に福島から白糸の滝を目指してドライブしてきた老夫婦 ナビに目的地を入れても、静岡の白糸の滝になってしまう…と困りきっています なんとかここまでやってきたそうです 他人の車は勝手がわかりません 💦からかうこと15分、目的地を軽井沢の白糸の滝にできました ご夫婦は何度も頭を下げられて、混んだ道に向かいました 〜霊場池〜 車道を避けて別荘地の道を歩きます 散歩やジョギングをする人が行き交い、お洒落な雰囲気ですね ジョギングをする地元の男性が霊場池に寄るように勧めてくれました 〜ショーハウス〜 可愛い旧軽井沢ロータリー〈六本辻〉を通過すると人の数がぐっと増えて賑やかな表通りに出ました 2022年の秋 、まだコロナに右往左往していた頃に歩いたのですが、自粛期間が解除されたので観光地は賑わい出していました マスクをした人が沢山歩いてましたね その中をリュックを背負って峠を目指す私たちはかなり浮いてます 💦かつては茶屋だった〈つるや旅館〉を通過、林道を上がっていきます 爽やかな木立の中、左手にしっとりとした礼拝堂が現れます そのショーハウスを過ぎて聖坂を行くと、カーブミラーがあるところで133号線から外れて左手に入る 旧中山道は消滅しているので、旧遊歩道を登ります ほとんどの方は車で上がるので、まれに観光客とすれちがうだけの静かな山道です 〜熊野神社〜 碓氷峠は長野と群馬の県境にある標高1180m、江戸からは最初の峠で旅人泣かせの峠でした 峠の名前は一旦霧がかかると陽がささない「薄日」からきているとか まずは熊野神社にお参りしましょう 新宮は群馬側、本宮は国境上、那智宮は長野側に建っています 神社の前には有名な力餅屋さんが並んでいますが、店内に国境線を記した有名店は若者の行列だったので、空いている〈みすずや〉に入りました 人の良いご夫婦が峠道について丁寧に話してくださり、ストーブで温まってほっこり過ごすことができました 😊お得意の寄り道が重なって予定時間より遅れたけれど、さぁ〜峠を下ります
May 2, 2023
コメント(0)
中山道を区切りながら歩いて全体の半分は過ぎたが、私には碓氷峠は最難所だった昨年の秋に歩き終えて、これからは日本橋を目指して街中を歩きますコロナも目処が経ってGWからはほとんど元の環境に戻りますあのマスクも自己判断になりますね半年も過ぎた中山道、軽井沢宿から坂本宿の話です 10月9日、二泊三日の中山道歩き、2日目の天気予報は雨8時、ゆうすげ旅館を発ちます昭和感たっぷりの宿でした朝になってわかったのですが、宿の周りは何面ものテニスコートに囲まれたすっごく広い敷地の宿でした学生や団体の宿という感じですこの辺りは街道歩きで泊まれる様な宿はなかなかありません アパホテルの予約が取れなかったので、ゆうすげ旅館には助かりました〜オシャレな中軽井沢駅〜この日は中山道で一番の難所、碓氷峠(うすい峠)を越えます雨が降る前に少しでも先を急ぎたいです駅前で、道を尋ねられました(えっ!私たちに?)夜明け前に福島から白糸の滝を目指してドライブしてきた老夫婦ナビに目的地を入れても、静岡の白糸の滝になってしまう…と困りきっていますなんとかここまでやってきたそうです 他人の車は勝手がわかりません💦からかうこと20分、目的地を軽井沢の白糸の滝にできましたご夫婦は何度も頭を下げられて、混んだ道に向かいました 〜霊場池〜車道を避けて別荘地の道を歩きます 散歩やジョギングをする人が行き交い、お洒落な雰囲気ですねジョギングをする地元の男性が霊場池に寄るように勧めてくれました 〜ショーハウス〜可愛い旧軽井沢ロータリー〈六本辻〉を通過すると人の数がぐっと増えて賑やかな表通りに出ました2022年の秋まだコロナに右往左往していた頃に歩いたのですが、自粛期間が解除されたので観光地は賑わい出していましたマスクをした人が沢山歩いてましたねその中をリュックを背負って峠を目指す私たちはかなり浮いてます💦 かつては茶屋だった〈つるや旅館〉を通過、林道を上がっていきます爽やかな木立の中、左手にしっとりとした礼拝堂が現れますそのショーハウスを過ぎて聖坂を行くと、カーブミラーがあるところで133号線から外れて左手に入る旧中山道は消滅しているので、旧遊歩道を登りますほとんどの方は車で上がるので、まれに観光客とすれちがう静かな山道です 〜熊野神社〜 碓氷峠は長野と群馬の県境にある標高1180m、江戸からは最初の峠で旅人泣かせの峠でした峠の名前は一旦霧がかかると陽がささない「薄日」からきているとかまずは熊野神社にお参りしましょう 新宮は群馬側、本宮は国境上、那智宮は長野側に建っています神社の前には有名な力餅屋さんが並んでいますが、店内に国境線を記した有名店は若者の行列だったので、空いている〈みすずや〉に入りました人の良いご夫婦が峠道について丁寧に話してくださり、ほっこり過ごすことができましたお得意の寄り道が重なり、予定より遅れて峠を下ります 〜碓氷峠下る 13:30〜廃業の店の奥に旧道の入り口があります峠は賑わっているけれど、ここからは静寂です誰もいません〜碓氷峠〜軽井沢駅から峠までの標高差は200mほど、横川駅から峠までは800mほどここから一気に800mほど下っていきます とうとうポツポツと雨が降り出してきました秋の陽の入りは早い!暗くなる前に麓まで下りなければいけません峠には民家も車道も、もちろん電気もありません 緩やかな下り道は細くなったり太くなったり広範囲に土砂崩れしている箇所や、足場の悪い沢もあるけれど、前半は尾根筋の歩き易い道ところどころに説明板があり、昔の中山道を知ることが出来た<陣馬が原>足利氏と新田氏や武田氏と上杉氏の戦いの記録にうすい峠が出てくる<中山茶屋>峠の真ん中にあり、川水を汲み上げて茶屋を開いた江戸初期には13件の茶屋があり、茶屋本陣も寺もあった明治になると小学校もでき、明治天皇巡幸の時は25人の生徒に奨学金25円が下賜された はっきりした位置はわからないが、 昭和の廃棄物、と言うか、この道沿いを開拓して別荘地にしようと計画されたようで、廃墟と化した建物が何棟か崩れかけて放置された場所があった だんご屋で聞いてはいたが、さすがに山の中にボーっと建つ姿には驚いた 虚しかった このままどう朽ちていくのだろう 〜馬頭観音〜覗(のぞき)と言う場所からは、坂本宿が見下ろせる 一茶は 「坂本や袂の下のゆうひばり」と詠んでいる 峠道で唯一眺望のいい場所…らしいが、あたりは雨雲に覆われて、何も見えなかった覗きからは急坂になりだします 〜風穴〜馬頭観音や溶岩の割れ目から温かい水蒸気が上がる風月、ゴロゴロの石さえも味わいたかったけれど、すっかり暗く雨も本格的になってきた 何しろ早く!車道に出なくては!尾根道とは違い、石がやたらとごろついて歩きにくい濡れて黒光りする石道、転んではいけない やっと車道に出たのは17時過ぎだった下り始めたのが13時半だったので、3時間半かかった麓ははすっかり暗く、雨は山道よりも強く、坂本宿はひっそりとしていた路肩をトボトボと歩いて三キロ余り先の横川駅を目指す この日の宿は駅前の<東京屋>18時到着、すでに真っ暗、ご夫婦か暖かく迎えてくれてありがたかった部屋数の少ないが、鉄道好きのご主人と優しい奥様の綺麗でお料理の美味しい宿、おすすめです
January 13, 2023
コメント(0)
秋の中山道は二泊三日で長野県の塩名田宿 から群馬県の松井田宿へと歩きました朝6時に家を出て、名古屋から特急しなのを利用して長野で新幹線に乗り換えて佐久平で下車、タクシーで前回の続き塩名田宿本陣跡を11時半にスタートしました10月8日、天気は下り坂、初日はかろうじて予報を裏切って晴れ間が見えています春は左手に浅間山がみえたのですが、今回は一度も山頂を見ずじまいでした幹線道路から離れ塚原地区の田んぼの広がる道を行きますすでに稲刈りは終わり、真っ赤なリンゴが数珠なりです中部横断自動車道をくぐり、小海線を超えて左折すると岩村田宿です〜小海線〜ここは本陣や脇本陣はなく旅籠も少なかったのですが、経済の中心地として栄えました。宿場の名残はないけれど活気のある商店街だったはず。新幹線佐久駅が出来て、中心が移ってしまい寂しい感じです。〜昭和感たっぷり〜商店街を抜けた辺りに、武田信玄ゆかりの龍雲寺があるので寄り道しました一休みしたかったのですが、腰を下ろすところがないのでくるりと見て次へ。住吉神社は気兼ねなく休めましたお寺にも神社にも立派な大木があったのが印象的です行楽シーズン、この秋はだいぶ人が流れています軽井沢からの車が絶えず通る車道から枡形を右に折れると静かな通りに入ります、小田井宿です。小さな静かな宿。気がつくと岩村田の宿からわずかだが坂がずっと続いていました陽が傾き出して暗くなる前に追分宿を超えなければなりません。慌てる気持ちと1日目のせいか足の運びがちぐはぐで、足がつってきました。情けない。年を感じます。しなの鉄道の地下道をくぐり、林と畑、別荘が続く緩やかな登り坂を歩きます〜分去れ〜18号線から左に入ると中山道、ここから追分宿、綺麗に整備されています林の中に郷土館や記念館、脇本陣を利用した宿など文化の香りのする建物が並びおしゃれな雰囲気です、が、薄暗くなってきたのでスルーです夕飯は18号線沿いの食堂で済ませ、ヘッドライトに照らされて歩道をトボトボと今夜の宿まで歩きましたこの日の宿はゆうすげ温泉旅館です
January 7, 2023
コメント(9)
5月2日、中山道歩き三日目最終日前日の雨が嘘の様に晴天、山は萌えてます三日間の天気予報はピタリと当たり! 晴れ・強い雨・晴れでした予定を一日づらして、雨・晴れ・強い雨を避けたのは我ながらいい判断でした♪民宿みやは家族的でもコロナ禍なのでソーシャルディスタンスお話好きのご夫婦やお手伝いをするお子さんともろくに話しが出来ず、残念でした送迎可、に引き寄せられたけど、土砂降りの前日もこの日も車に頼らずに行けそうです〜濱屋〜3キロ歩いて長久保宿中山道は直角に右に折れます静かな町並みで街道だった雰囲気は残っています 歴史資料館、濱屋で一休み、トイレもお借りしました松尾神社境内を抜けて(トイレ有)笠取峠に入っていきますとても新緑が綺麗な歩きやすい峠道です峠の頂上(887m)に茶屋と言うか食堂?がありましたが開店前、自販機もないので寄り道せずに下ります笠取峠は風が強くて旅人の笠を吹き飛ばす、これが由来だそうです〜笠取峠の松並木〜この日は142号線を歩いたり、地元道を歩いたりの繰り返し、でも車はほとんど気になりません松並木は江戸時代初め中山道が開かれた時に、幕府から小諸藩に赤松の苗753本が送られたのが並木道の始まりその後小諸藩が保護して、今は800mの並木道で周辺は公園化していますここらでおにぎりのおやつとしましょうかね〜 〜芦田宿〜道は緩やかに下り坂、長久保から6キロほどで芦田宿です小さな宿場だったようで記録には、わびしい処で宿悪く不用心、とある💦こちらも静かな町並みで街道だった雰囲気が残っています蕎麦屋があったので、立科町役場前の<ときん亭>でざる蕎麦をいただきました老夫婦が「盆と正月が一緒に来た!」と忙しく働いている姿を微笑ましく見ながら、ゆっくり休む事が出来ました塩尻峠、和田峠、笠取峠峠を降りてもふもとの標高が高いので苦にならずに歩けて、町も澄んだ空気が美味しいです朝からずっと浅間山に向かって歩いてきました小さく見えた山がだんだん近くに迫ってくるようで迫力があります〜間の宿 茂田井〜茂田井宿は芦田宿と望月宿の間にある、休憩用の間の宿道がとても狭くて意外と急坂、車道はここを避けて迂回しているので、佇まいがそのまま残る景色が1.7キロ続きます綺麗な水の用水路が流れて、武重本家酒造や大澤酒造の辺りは味のある侘びたいい感じです4.8キロ歩いて望月宿、3.5キロで八幡宿、3キロで塩名田宿、さして距離が離れてないのに次々と宿場があったのですね1日のうちにこんなに宿場数を歩いたのは初めてです💦正直、浅間山を左手に緩やかな坂を下ってきた気持ち良さは覚えてるけど、宿場の記憶の区別が曖昧になってしまいました💦このお地蔵様は(と思いきや、江戸時代作の大日如来像)目がさめるように印象に残っています向こうには浅間山の鬼押し出しが見えたんですよ 〜佐久平駅 H700m〜塩名田宿に16:00到着日没まで後1時間は歩けますが、ここから新幹線を挟んで中山道は右側へ、主要道路は左側へと分かれますタクシーを拾い易いこの辺りで区切りとしました佐久平駅から長野新幹線を利用して帰ります佐久平16:26発〜長野で特急しなのに乗り換え〜名古屋20:07着窓から見た木曽の中山道は真っ暗で、白い光が肩寄せ合って見える辺りはどこの宿場だろうと、ぼーっと眺めてましたよく歩きました、疲れた。
September 11, 2022
コメント(13)
五月の連休を利用して中山道を歩きました夜、涼しい風が入って来るようになり、やり残した宿題を仕上げなくては!みたいな気持ちで思い出して書きます2日目は朝一番に諏訪大社をお参りして、和田峠を越えて和田宿の先の〈民宿みや〉まで歩きます諏訪宿〜和田宿までは21.5キロ民宿まではさらに6キロあります前日に峠手前まで歩いているので、この日は20キロほどの道のりですもう一つ先の長久保宿まで歩こうかと迷ったのですが、私の足では無理でしょうそれに〜、みやの〈下諏訪〜佐久間の送迎の相談に応じます〉の一言に引かれてしまい、随分前から予約をしていました朝、今にも雨が降り出しそうで、一日中雨の予報は変わりそうもありませんビジネスホテルはコロナ禍のためか閑散としていました 朝食の提供もなくなったので、前夜に買っておいたものですませます〜万治の石仏パン〜朝8時宿を出発、諏訪大社にはすでに各地域のお参りが始まっていました規模を限りなく制限して御柱祭りは催行されていました6年前の盛大なお祭りを見ていただけに、女方や子供たちの木遣りの声や長持の軋む音が悲しげで、でも祈りにも思える静かな力強さを感じます地元の方々の心意気ですねそこに昨夜の叔母から電話、続きの地点まで乗せて行ってくれると言うのですタクシーを使うつもりでしたが、ご好意を受けお願いしました基本、お接待は断らない、のが四国からの私なりのルールです。うふふ。70才とは思えないハンドルさばきにドギマギしたけど、9キロの坂道はあっと言う間でしたおばちゃん、何から何までありがとう車道からそれて山道に入っていきます峠までは約4キロ、とうとうポツポツと雨が降り出してきました雨は夜にかけてかなり強く降る予報で、覚悟して歩きます和田峠は標高1531m、街道の宿場は約2里毎にあったのですが、下諏訪宿と和田宿の間は5里半と長く冬は雪が降るので、中山道最大の難所と言われていましたそのため、峠には東と西に餅屋があり、人馬の休憩する小屋もありました〜石小屋の跡〜雨は絶え間なく降ってきます低木が密集した細い山道、霧も出てきたので熊よけの鈴を鳴らして歩きました和田峠は1531m下諏訪は759mその標高差770mでも、続きからの場所はかなり高いので、大丈夫、雨さえ耐えればなんとかなります〜和田古峠〜和田峠に出ると開けていましたビーナスラインから入れる遊歩道になっているのですね晴れていたら、絶景の諏訪地方が見えるのですが一面の霧です広い道を下りビーナスラインを横切ったら東餅屋跡、今はドライブインがたっていますここで一休み、暖かいうどんとトイレを借りて〜と、あてにしてたのにバッサリと閉鎖されていました💦あれ〜、完全に予定外ここから次の和田宿まで11キロ、雑木林の中を下っていきます滑りやすい石畳や斜面から流れ出す水で歩きにくい箇所もあったが、広い静かな林道ですガイド本には、ガレ場が多い・雑草が多い、とあるけれど、思っていたよりも峠そのものは歩きやすい道でした健脚の男性はへっちゃらで一気に下諏訪宿〜和田宿を歩き通してしまいます 〜復元された永代人馬施工所〜江戸の豪商が幕府に金千両を寄付してその利子で旅人に粥、人馬に煮麦を与えたここにはトイレと水場がある、と記載されていたのであてにして来たのに、そんな設備はなく…あ〜、女は不便です〜山桜〜唐沢まで来ると142号に合流します山間の道なのに車量は意外と多く、どの車も結構なスピードを出しています水をかけられることもしばしば💦まぁ、雨でずぶ濡れなので、どんだけ濡れても構いませんよぅ〜黙々と下ってきて一息入れたくなりました廃墟化したドライブインで雨宿り、おにぎりを頬張りました和田宿手前には食事処・杉の屋があったので、飛び込みましたまず、トイレを借りて、コーヒーを頼みましたゆっくり見回すと店内は古いけれど広くて長く地域から愛されている感満載、暖炉は暖かく、親子と思われる男性2人はオシャレで、居心地がいいのです強い雨は夜半まで続くらしいけど、また歩けるパワーをいただきました〜和田宿〜15:30やっと和田宿ですこんな天気だから、人気がありません「どこか見学しようか…」旦那さん即返答「暗くなるまでに民宿に行く!」雨は降る降る、黙々とひたすら緩やかな坂を下って、歩いて歩いて〜みやに到着したのは17:00でしたずぶ濡れです5月 1日 雨(2日目)21キロ和田峠手前〜和田宿〜民宿みや9:20発 17:00着
August 28, 2022
コメント(13)
ゴールデンウィークに二泊三日で中山道を歩きました 名古屋発、特急しなのを利用して、みどり湖駅で下車、10時スタートです北アルプスの山並みが白く輝いています1泊目は下諏訪宿のビジネスホテル、二泊目は和田宿を超えた先にある民宿です私の脚力で下諏訪宿から和田宿の先までの25キロの峠越えはかなりハードなので、初日に歩けるだけ歩く作戦を立てました諏訪にも一月遅れの春が来ていました一気に花が咲き乱れていますよみどり湖SAを超えて、高速道路から離れて緩やかな山道を登っていきます 〜天明の大飢饉で行き倒れになった旅の親子のお地蔵様〜塩尻峠は車もどうにか通れる道ですが、人気のない、静かな道です頂上には塩尻峠展望台があります山肌の木を伐採したので見晴らし抜群、諏訪湖の向こうに、八ヶ岳、富士山、南アルプスが見えます展望台に登ると、北アルプスや御嶽山も見えます道を少し入ったこの広場、是非寄り道を進めます、トイレもありますよさて、ここから下りですすごい急坂で、余裕もなく一気に下ってしまいました京都方面に登る人には手強い急坂ですね〜〜岡谷インタ〜岡谷インター横に出てきました ここから諏訪大社に向かって街中へと進みます昔栄えた今井集落、静かな街並みです母はここ岡谷で生まれました。母以外の親戚は岡谷に住んでいるので、子供の時はよく遊びに来ていました今井家とか今井新道とか、今井と言う言葉はよく耳にしました道脇には今井茶屋本陣、今井番所、今井観音堂の跡が残り、今井の表札がかかる家がたくさん並んでいます〜今井本陣跡〜だんだん交通量が増えて、中山道がわかりにくくて「ちゃんと歩ける 中山道」の本が頼りになりました細い路地もあったり、車道を渡ったり…そうだ。御柱祭りなので、人出が多いんだ。地元民の大切なお祭り、コロナ禍でも規模を小さくして催行されました右へ左へ迷路の様に進み、気がつくと諏訪大社下社秋宮前の大通りに出ていた、と言う感じです中山道と甲州街道は神社の前で合流しています中山道は神社の手前で左手に直角に折れて春宮に向かって続きます 神社のお参りは翌日に伸ばして、この日は何しろ先を急ぎます。昔ながらの道幅、車がすれ違うのもやっとの箇所もあります秋宮から春宮までは1kmほど、歩いて回る観光客も多いですね道脇には共同浴場や旅人の喉を潤した龍の口、春宮の奥には万治の石仏があります。春宮とユニークな石仏は以前訪れたので、今回はパスしました〜注連掛の広場〜春宮手前を右へ折れ、和田峠を目指して142号線をひたすら登りますそういえば春宮を程なく過ぎた辺りで、軽トラに乗る地元の男性に呼び止められました〜70才位かな?〜「遠くから来たんだろ。これ何かわかるか?あげるわ」と言って黒い石のかけらを手渡されました〜木落とし坂〜黒曜石です。和田峠一帯は原始時代、石器に使われた黒曜石の一大産地だったそうで〜ロマンの黒ですねぇ〜木あたり坂は長さ100 m斜度35度〜以前は下諏訪宿〜和田宿間はバスが🚌通っていました。その後、和田峠手前の浪人塚までコミュニティバスが通じてましたが、今は木落とし坂の先の町屋敷までと短くなってしまいました確かに、その先に住人はいないので赤字路線、峠を越えるには時間と天気を考えて工夫しないといけません〜水戸 浪人塚〜私達は山道に入っていく分岐までを目標にして、日が暮れるまで歩くつもりひたすら車道を登りました結構車が多く、トラックもスピードを出しているので、味気ない路肩歩きでしたそろそろメドがついたので、駅前のタクシーを呼んだら、「お祭りで忙しいから希望の時間に行けるかわからない」と無愛想なお言葉💦さて、どうしょう。夕飯は母の妹3人と下諏訪で一緒に食べる約束をしていました。叔母頼み〜!予定より早く、私たちをお迎えに来てもらえないか、図々しくお願いすると、叔母達は快く迎えに来てくれました。暗くなる頃には街へ戻れ、みんなで夕飯を食べ、喫茶店にも寄って賑やかでのんびり下時間を過ごしました。私と叔母達は10才ほどの年の差なので、妹の様に可愛がってもらってきました。有難い時を過ごす事が出来ました。そのあと、街中の銭湯に浸かって昭和感を味わい、まるで時が50年戻ったようでしたそして駅前のグリーンホテルに戻りましたが、ここもコロナの波を多いにかぶってましたみどり湖〜和田峠手前 20km昼飯 蕎麦屋みのり夕飯 とんかつ丸一 と カフェ宿 下諏訪グリーンホテル 銭湯 菅野温泉
August 21, 2022
コメント(9)
今日から2泊3日で中山道を歩きます連休初日は大雨予報だったので、予定を1日づらしました今日は風強しの晴天ですが、明日はまた雨模様のようで、今日のうちに出来るだけ稼いで歩くつもりです特急から見える木曽の風景、雨に洗らわれて緑が綺麗です山藤が満開、民家が見える場所に鹿の姿も見えました空には雲ひとつなく真っ青塩尻からスタートして中山道と甲州街道の合流点、諏訪大社前で左に折れて和田峠を超える歩き旅です私の足には手ごわい和田峠、行けるだけ登りますが、さてさてどこまで進めるか
April 16, 2022
コメント(6)
〜本山宿〜2日目(11月24日)日出塩駅から続きのスタートです一晩中風が吹いて、山にはうっすらと雪がかぶっていますこの辺りの玄関口には白と赤のしましま棒が準備されています積雪量がわかるように利用する棒でしょう〜洗馬(せば)宿〜いよいよ塩尻の町がひらけてきました洗馬宿は中山道と善光寺街道の追分で、荷物の重さを検査する役所、荷物貫目改所がありました中山道では板橋、追分、洗馬の三ヶ所にあったそうです洗馬は鉄道開通と昭和初期の大火で面影のある建物は残っていません名所の肘懸松(ひじかけまつ)も可愛い若木でした東京からの中央線と名古屋からの中央線が交わる塩尻駅、街道はその手前て右に曲がり田畑の中を次の塩尻宿に続きますこの松あたりからコスモ石油までの旧道のわずかな草道はわかりにくくて、畑の中をグルグルしてしまいましたグーグルで検索すればよかったです〜乳松〜国道19を右に入り県道に入ると、平出の一里塚がありますよく手入れがされて、 南の松は武田信玄の軍師・山本勘助が赤ん坊を拾ったという伝説が残っており、松葉を煎じて飲むと乳の出が良くなるといわれたとか北側の松は、まるで盆栽です左手に昭和電光の工場の壁が延々と続きますホテルの朝飯を食べ過ぎたせいか、北風の中を歩いたせいか急に便意を催してきました必死に我慢して歩いたのですが、あてにしていた神社も介護施設も施錠されていて、いよいよ顔面蒼白、シルバー人材センターに飛び込みました〜丼丸 田中屋〜本当に助かりました、ペコリ。ホッとしたらお腹が空いてきました程なくテイクアウトが主の海鮮丼屋さんで、お任せ丼500円を注文、とてもお得でおススメですあぁ、このトイレまでどーしても我慢できなかったわけです県道から外れて塩尻宿に入ります入り口に並ぶ石碑のひとつに目がとまりました 蠶玉大神かいこの神さまなのですねこの先の諏訪地方は日本でも有数の養蚕産業で栄えました〜堀内家〜塩尻は三河に通じる三州街道から太平洋の南塩が入り、糸魚川街道から日本海の北塩が入り、塩が落ち合う終着点から塩尻の地名になったそうです。その二街道と松本に通じる善光寺街道が交わり、東に塩尻峠を控えているので、かつては中山道二番の賑わいだったそうだが、大火で宿並は消失、塩尻駅に町の中心が移り、今は静かな家並みが続いています〜向こうは吹雪かな〜陽が傾くのは早いです今回はみどり湖駅で終いにして次回は塩尻峠から歩いて和田峠越えです振り返ると歩いてきた方向が白く霞んでいます吹雪いているはず時間調整でコーヒーを飲んで体を温めました。帰りは塩尻で乗り換えて、特急しなので一気に名古屋まで帰ります。すっかり暗闇の木曽路です。
January 25, 2022
コメント(22)
寒に入り、寒い日が続いています。木曽路歩きも今回が最後です。山あいを通る木曽路の宿場は中仙道と国道19号線とJR中央線が並行しているので、いくつもの峠越えがあっても便利でした。春には和田峠超えをしたいのですが、諏訪の宿と次の宿が離れているので、私の足で一気に歩けるか自信が…歩いたのは師走間近の木曽路、風が冷たい2日間でした。〜平沢〜いよいよ自宅からの距離が離れ、今回から泊まりで歩くことになりました。 最寄りの駅を朝8時に出発して、名古屋から中津川まで行き、30分の待ち合わせをしたら松本行きの各駅停車に乗ります。前回の奈良井駅に着いたのは11時半でした。〜11月23日〜11月の末、人の少ない静かな奈良井宿。 ここで一泊したかったのですが、行程の都合が合わなかったので、またの機会にします。まったく!コロナのために、ここ2年、予定通りにいきません。2キロ足らず歩いて奈良井と贄川の間宿・平沢、ここは漆器産業で栄えてきました。街道沿いには立派な構えの店や庶民的な店が隙間なくずらりと並んでいて、今まで見てきた宿にはない独特な雰囲気がします。道は緩やかにカーブして、店並はずっと向こうまで限りなく続いていそうな、時もずっと遡れそうな不思議な町並みです。木曽路に入ってから昼飯はいつも蕎麦でした。これまで沢山の蕎麦屋があって、楽しませてもらっています。この日は長瀬地区のそば処・ながせの山菜天ぷら蕎麦。冬の山菜や野菜の葉っぱが5種の天ぷらでした。次は木曽路十一宿の北境の宿贄川(にえがわ)宿です。江戸からだと木曽路最初の宿場、京からだと最後の宿場で、ここまでが尾張藩領でした。〜贄川関所〜ヒノキなどの木材や曲げ物、漆器の取り締まりや女の通行取り締まりをしていた関所が復元されていました。 JR中央線、19号線、旧道を見下ろす様に建っています。それにしても日差しのない寒い日です。山の合間を抜けてくる北風に向かって、黙々と歩きます。数日後にトンネルが開通するようで、急ピッチに仕上げの白線引きが行われていました。片平地区を抜けるあたりに、旧19号線で使用されていた古くて素敵な橋があると言うので寄り道しました。この時期だったから観れたのでしょう。草木が茂っていたら無理だったと思います。足場が悪くてこれ以上前に進めず、今では橋も進入禁止なので、この一枚がやっとでした。 この橋梁は、国道19号の旧道であり、奈良井川を渡河しているRC開腹アーチ(リブ+柱)橋として昭和10年に建設された。 現在は廃道になっているが、橋梁としては健在であり、高度な技が要求される構造である。特にアーチ部の曲線が美しく仕上がっている。 平成20年11月に土木学会推奨土木遺産として認定を受ける。(塩尻市案内板より) 狭い山あいを下る坂道。歩道とはいえトラックの多い19号線はヒヤヒヤします。北アルプスから吹いてきた風が塩尻の市街を抜けて、一気にこの狭い山あいを吹き上がってきます。寒い、あれま、雪がちらつき始めました。〜是より木曽路〜もう四時、陽が短くなってきました。早めに上がり、日出塩駅から塩尻駅に、今夜の宿は利便性を考えて駅前のホテル中村屋。ヒノキの浴場もあるリーズナブルな宿で朝飯のみ付ける事ができます。夜はホテル前の食堂で済ませて、早々に寝ました。明日は冷えそうです。
January 14, 2022
コメント(11)
オリンピックも目前。なんだかんだ、どうしたこうした、と言っても粛々と?着々と?その日は近づいて来ています。梅雨が明けて暑いし、県外移動は控えるようにとお達しがあるので、家の中です。ご無沙汰していたブログをUPしようとため込んである写真を引っ張り出して、この夏は宿題に真面目に取り組もう!コロナの感染者数のグラフを見ていたら、上がったり下がったり、なんだか山歩きを連想しました、不謹慎者ですm(__)m4月11日 晴れ藪原宿~鳥居峠~奈良井宿 5.3kmスタート11:30 ゴール15:00~ワサビ付きのうどんは初めてだ~今回も青空フリー切符(往復2620円)を利用しました。名古屋からJR中央線に乗って<中津川>で各駅電車に乗り換えて<藪原>まで行きます。乗り継ぎに30分の待ち時間があるので、以前から気になっていた駅構内の蕎麦屋に寄り道です。見過ごしてしまいそうな立ち食い蕎麦屋は昭和感たっぷりの佇まいで、もの悲しささえあります。営業しているのかな・・・覗いて見るとやってます。改札を出て待合室側からも注文できるので、椅子に座ってゆっくりと朝うどんです(#^^#)各駅電車は時間を要す。やっと11時過ぎに<藪原>スタートです。いい天気、鳥居峠が見えますね。静かな宿場。酒屋、蕎麦屋、そしてくし屋が開いていました。お六と言う娘ゆかりのお六ぐしは頭痛に効果があると全国で大流行したそうだが、今は数件のくし屋になってしまった。ここは中山道と飛騨に向かう街道の分岐点、鉄道が走っているので跨線橋を渡ります。 橋の上で10人程の中高年のグループとすれ違いました。コロナになってから歩き人とめっきり会わなくなり、まして歩きのグループは久しぶりです。~役所跡からの高山方面~橋からすぐの高台に尾張藩の御鷹匠役所がありました。春になると鷹の巣を見つけて雛を捕獲して育て山を監視していたそうで、藩主や将軍にここの鷹は人気があったそうです。消防署の横に峠に向かう舗装道路があります。峠と聞くと、手ごわい坂道かと意気込みますが、清々しい爽やかな林道です。始めは舗装道、そして石畳、歩きやすい土道になって、九十九折れの坂道になります。~供養塔・1810年頃~陽が燦燦と当たりきれいな空気が体の隅々までいきわたるようです。外はいいなぁ。歩くのはいいなぁ。藪原宿が見下ろせます。木曽路の宿場は山に抱かれるようにほっこりと屋根が並んでいます。 御嶽神社の立派な鳥居が見えてきました。上がっていくとお社、裏手にまわると石碑が並んでいました。そこから南に山が連なり雪をかぶった山がチラリと見える、それが御嶽山(3063m)鳥居峠は1197m南側の木曽川と北側の信濃川の上流奈良井川の分水嶺をなしている。歴史は古く、和道年間(710年頃)に官道「吉蘇路」として開かれる。中世には「ならい坂」「藪原峠」と呼ばれた。1500年頃、木曽領主・木曽義仲が戦の際、この峠から御嶽権現を参拝し、戦勝祈願をしたところ勝利をしたことから峠に鳥居を建て、それ以後「鳥居峠」とよばれるようになったと伝わる。~子産の栃~さてここから下ります。巨木のトチノキの群生する箇所があって、なんだか神秘的でした。そのうちの一本は子宝のトチノキと名前が付いています。昔、この木の空洞に捨て子があり、子宝に恵まれなかった村人が育てて幸せになったことからこの木の皮を煎じて飲めば子宝に恵まれる、と言い伝えられてきたそうだ。見落としてしまいそうな脇道、丸太階段を登り明治天皇が御休息された場所を通りました。地図では峠の頂上はこの辺り、ここが一番高い場所でしょうか。ここからは北斜面、急坂になります。登りとは随分と道の雰囲気が違い、雨の影響で土砂が崩れて道が荒れています。古い橋を渡って土砂が崩れて狭まった道を下り、また橋を渡り荒れた道を下り・・・南側では見かけなかった、みず道があり小川に沿って下って歩く形になります。峠の南側の登り道のように景色も風情がありません。ただただ下る感じです。道が整備されだして石畳を下ると、次の宿は近いと感じます。鎮神社を過ぎるとかつて奈良井千軒と呼ばれるほど繁盛した奈良井の家並みが見えてきました。やはりここもコロナの影響で、閑散としていました。少し遅い昼飯にしようと蕎麦屋を捜すが、本日売り切れの店ばかりでやっと営業している店を見つけて冷そばをいただきました。35年前、奈良井には職場の慰安旅行で来ました。あの時泊った民宿<ほいほい>はそのままの姿でしたが、ぴたりと閉まっていました。名物のおかみさんは、とうに亡くなっているのをネットで知りました。静かな奈良井宿。この日は電車の都合でここでお終い。次回からは泊りの歩きとなりますが、さてさて、秋には再開できるでしょうか、ふぅ~
July 18, 2021
コメント(12)
自粛生活が続いてますが、自分力を試されている気がします。どう過ごそうか。天気の悪い週末が続いて家ばかり、暖かい部屋が心休まります。昨年最後の歩きを思い出しながら、春はいつから歩けるのかな~と心待ちにしています。 ~原野駅~11月23日 晴れ時折北風原野駅~3km~宮ノ越宿~7.5km~藪原駅(藪原宿) 合計12.5kmスタート 11:00 ゴール 15:00秋は更に深まって冬枯れの景色になってきました。GOTOをあてにしたJR、紅葉狩りの観光客を見込んだ臨時増発便に乗りましたが、この頃から、またコロナが動き始めてきて「GOTO取りやめ!!」の噂が立ち始めていました。そのせいで車内はガラガラです。今は1月、こんなに流行ってしまって緊急事態宣言下、自粛生活が続いています。無人駅の<原野>で降りてスタート。今までは自宅からスタート地点まで、中央道と国道19号を利用してましたが、段々移動が大変になってきたので、今回はJR中央線を利用することにしました。青空フリーパス切符は<木曽平沢>まで使えます。(2620円)名古屋で中央線に乗り換えて、中津川で各駅に乗り換えます。30分の待ち時間があったので、駅前の物産店で栗きんとん等を買って車内のおやつにしました。8時に出発して原野駅には11時着。木曽谷、静か。時折通過する列車がメリハリになります。~本陣跡~3km歩いてのどかな家並みの続く宮ノ越宿。旅籠だった田中家は無料開放しているので見学ができます。無人ですが、風情があり宿場感を味わえます。快くお邪魔させていただきますねぇ~~旗揚げ八幡宮・樹齢800年の義仲ゆかりの大けやき~この辺りは木曽義仲にまつわる地名やゆかりの建物が多いのです。義仲と巴御前・・・うろ覚え( ;∀;)検索しましたが、資料が多くて私にはまとめられないので、ご興味のある方は各自でお願いしますm(__)m~ 阿羅屋の蕎麦 最高 ~勢力争いで父を亡くし武蔵国から逃れてきた義仲、当地の豪族・中原兼遠は養父になって、平家に隠すように育てました。巴はその兼遠の娘です。源平合戦で活躍した二人は幼なじみの関係で、よきパートナー。義仲は31歳で討ち死にし、落ち延びさせた巴は91歳まで生きたと伝わります。集落のはずれに巴が淵と言う綺麗な水辺があります。橋の手前には山に入る小道が見えましたが、立ち入り禁止になっていました。旧中山道の様です。淵の向こうを鉄道が走り、列車がトンネルを通るところを待ち構えたのですが、なかなか来ないのであきらめました。う~ん残念。~巴が淵~巴は少女時代、この淵で泳ぎ野山を駆け巡って育ったといわれています。巴御前はこの淵に住む竜神の化身という伝説があるそうです。そう言えば、この辺りでした。道路脇の山吹山の斜面に猿の大群が木の実を摘み取っていたのです。メスや子供が無心に必死に残り少ない実を頬ばり、オスは私たちを上から監視しています。「一瞬即発」という言葉が頭をかすめました。何事も無いようにそそくさと通過して、振り向いて確認すると30~40匹はいたでしょうか。(;'∀')歩き地図では<神谷>では落石の危険があるため旧トンネル(山吹トンネル)を利用するように、とありますが、このトンネルももぅ随分前から進入禁止になっていました。覗いて見ると真っ暗でと~っても入る気にはなれない、歩けた頃は一体どんな感じだったのだろう・・・・ゾクゾク(∩´∀`)∩19号線をすすみます。陽が傾き始め山間の車道ももの哀しくなってきたので、木曽川を見下ろしながら藪原駅を目指します。この次は<鳥居峠>からです。そろそろ宿を利用した歩きを考えるころですね。
January 28, 2021
コメント(14)
新しい年が明けて、明日はもぅ鏡開きです。冬になってからはほぼ自宅、連休は時間がたっぷりあるので久しぶりにブログに向っています。中山道歩きはなかな予定通りに進んでいませんが、秋にはGOTOも出たので気持ちよく歩く事が出来ました。その時のお話です。暖かくなったら世の中も穏やかになってまた外歩きを満喫できると願って、思い出しながらかいてみました。11月7日 秋晴れ上松駅~9.5km~木曽福島宿~5.5km~原野駅 合計15kmスタート 9:30 ゴール 15:00空気が澄んでいます。木曽の紅葉は名古屋より2週間早いようです。上松駅前の青空駐車場に車を停めて歩き出します。上松宿は車が国道19号を通るので旧中山道は静かです。宿を過ぎると木曽川に沿って北上します。車は向こう岸のバイパスに流れるおかげで、手前の19号線は全く車が通らず人気も無いので、モミジと川を眺めながら秋を満喫して歩けました。途中に昔からの難所<木曽の桟>があります。桟(かけはし)とは渡る橋ではなくて、岩壁の急斜面の道を補強するために組んだものだそうで、一部観光用に保存してあり、赤い橋を渡ると対岸から道路の下の桟を見ることが出来ます。空が青いと紅葉も映えます。橋を渡ったところに小さな宿がありました。お泊りもいいですね。バイパスに合流し、しばらく行ったところの道の駅<木曽福島>で休憩にします。ここから御嶽山が見えました。2014年、沢山の犠牲者をだした御嶽山、あの時は自宅からも噴煙が見えました。今はうその様に静かにしています。~御嶽山~少し戻って歩き道に入ると道の駅の上あたりの位置に御嶽遥拝所、小さな祠がありました。でもこの位置からは御嶽山は見えませんねぇ(苦笑)上松宿~9.4km~木曽福島宿木曽福島宿が見えてきました。宿には老舗蕎麦屋くるまやがありますが、早々に車道沿いの<とちの屋>で昼蕎麦にしました。こちらはおかみさんが御嶽海関の母上とお友達の様で、店内には関取の写真やサインが沢山並んでいました。関所は中山道の要衝で木曽川の断崖上の狭い場所に築かれ、今は公園となり関所資料館もあります。高台からは川に寄り添うように並んだ家々の屋根が見えました。木曽義昌の上の段城跡の<上の段>には古い町並みが残り風情があります。細い横道を入ると意外に急坂、商店や宿やも並ぶ生活感のある下の通りに出るとGOTOトラベルを利用しているのか、そぞろ歩きを楽しむ人が行きかっていました。~上の段~評判の<田ぐち>で栗きんとんとアイスクリームを買って、酒屋で木曽の酒<七笑い>をお土産にしました。道路を覆う鉄製の真っ黒な巨大黒門を通過して福島宿を後にしました。上矢口で19号線から生活道に入ります。地図に<下がすけてみえる橋>とあった橋は一体どんな橋?と気になっていたが、鉄格子で出来ていて、川の大きな石が支点になっていました。ふ~ん。面白い。これは平気^^♪さぁ、先を急ぎましょう。秋のつるべ落とし、もぅ薄暗くなってきました。~原野駅~小沢集落辺りが中山道の中間地点。中央アルプスの木曽駒ケ岳がよく見えます。各駅電車は1時間に1~2本なので、この日は原野駅でおしまいにしました。そういえば、中央線の各駅のトイレはここもどこも新築されてほどなく、設備が充実しているので歩いていて助かります。無人駅の待合室で弱い日差しを受けながら静かに電車が来るのをまちます。
January 10, 2021
コメント(22)
梅雨に入って雨ばかり。降れば寒くて窓を閉めて、止めば換気かんきで窓を開けて。やっと気軽に出かけられるのに、これからの街道や低山のウオーキングはチト無理ですね~少し前に歩いた中山道歩きの事をやっと書きます。南木曽駅~大桑駅 13km三留野宿(南木曽駅)~10km~野尻宿~3km~大桑駅~木曽福島駅~駅前に車を停めて、SLのある広場まで戻って前回の続きから中山道を歩きます。西洋系の3人は私とは逆方向の妻籠を目指して歩いて行きました。この日会った歩き人はこの人達だけでした。2.3歩進んだら、道脇にわらびが生えていてるではありませんか~面白いように採れてとれてリュックはいっぱい、結構な重さなのでお終いにして歩きだしましょう。先々でわらびが沢山生えていましたね。三留野(みどの)宿はかつては妻籠ほどの大きな規模の宿場でしたが、明治の大火でほとんどを焼失してしまいました。民家の脇も行くんですよ~四国へんろ道にもありましたっけ、こんな道。お邪魔しま~す。べに坂を上がって三留野宿を抜けると、長い国道19号線を歩きます。川沿いの歩道を歩くので安全、コロナ期でなかったら交通量の多い19号線です。~三留野宿~支流の与川が木曽川に流れ込む辺りは江戸時代は木曽路の難所だったそぅです。~左:国道19号線 右:中山道~十二兼のはずれにある石仏石塔は1800年頃に造られた観音像や馬頭観音が祀られています。その向こうはヘヤピンカーブ、急坂を下ります。~石仏石塔~柿其橋からは南寝覚(みなみめざめ)の岩場が見下ろせ、その先の山間には柿其(かきぞれ)渓谷がありますが、いつか改めて紅葉の時期に訪れたいものです。国道を右手の頭上にして左手の旧道に入り、静かな集落をのんびりと行きます。十二兼(じゅうにかね)は、マジで家が十二件あるのかな?と思うように家が点在しています。明治天皇がご休憩された水場には石碑が並び、椅子があったのでここで一休みとしました。冷たいお茶が美味しいです。第14踏切、第13踏切・・・中山道と鉄道が何度も交差、何回も踏切を越えます。昼近くには日差しが強くなって木陰を求めて歩きます。木曽川の向こうに<あてら荘>が見えてきたら、当てにしている<手打ちそば・おんたけ>はもぅすぐです。~山菜蕎麦 1600円~腰のある蕎麦に春の山菜天ぷら、たまりませんね~野尻宿は七曲りと呼ばれ外敵を防ぐための曲がりくねった町並みで知られています。古い民家が所々に残っていて、懐かしい雰囲気がして素朴な木曽がそこにあるようです。各家には屋号の木札がかかっていて、宿の西と東には<はずれ>という屋号の家があります。S53年<噂の寅次郎>の舞台になったそうだ。中央アルプスがだんだん目の前に迫って見えてきました。残雪に陽が当たって綺麗だなぁ、多分あの形は木曽駒ケ岳?国道からそれた道を歩くのは気持ちがいい。車は通らない、誰にも会わない。戻りの電車は2時間おきです。次回を考えて無理をしないで大桑駅でお終いにすることにして、道の駅大桑で時間調節をしました。コロナの影響で、売り場は寂しいですね・・・~大桑~次回は大桑駅からですが、梅雨に入ってしまったので秋に再会する予定です。その頃、コロナはどぅなっているのでしょう。
June 14, 2020
コメント(16)
コロナの自粛が解除されて気持ちが安らぐこの頃です。4月の初め、桜が咲くころに中山道を歩いていました。三蜜を避けて郊外に出かけていましたが、この後に自粛となりました。ブログが止まっていましたが、木曽の緑を思い出しながらUPしていきます。4月5日(晴れ)馬籠~南木曽駅 11km 馬籠宿~2km~馬籠峠~5.5km~妻籠宿~3.5km~南木曽駅馬籠宿の上陣馬跡展望台から歩き馬籠峠を越えて妻籠宿を目指し、その先の南木曽駅まで歩きます。そこからバスを利用して馬籠宿に戻ります。展望台の横に無料の駐車場があるのは前回チェック済、さぁ、歩きます。妻籠までは林間が多いので、熊除けの鐘が所々に設置されているので、その都度鳴らしました。~峠集落~1㎞あまりで峠集落、静かです。地元の方々の生活のお邪魔にならないように通ります。古い宿やが時を忘れたように佇んでいます。中津川南木曽線(7号線)と中山道が離れたり合流したりを繰り返し、カーブの多い坂を登って馬籠峠を越えてゆきます。カーブを楽しむバイクの方、お散歩の様に軽装で妻籠に向かう方もチラホラいます。~安藤広重・妻籠宿~長野と岐阜の県境、馬籠峠には茶屋があります。(11:00)コロナの為か開店時間前なのか閉まっていました。残念。(帰りのバスで通過した時は営業してました)ここからは車道から林道に入り、どんどんどんと下ります。気持ちいい道です。かつて木曽谷は尾張藩が納め、厳しい山林規制に苦しめられてきました。「ひのき一本 首ひとつ」と言われ、木曽の五木の伐採は固く禁じられていました。ひのき、あすなろ、高野槙、ねずこ、サワラ。五つはよく似ていて見分けるのが難しく、ひのきを守るためにすべての伐採を禁止したそぅです。1キロ足らずで一石栃場茶屋。地元の方々が管理され、お接待でお茶を出してくれます。あっ、飴ちゃんも。かつては7軒でしたが、今はこの牧野家だけが残っています。家屋も前のお庭も、みんながくつろげる格好の休憩所です。そう言えば・・・すぐ近くに小さな子安観音堂があります。この川沿いにしだれ桜の古木があり、たいそう立派な枝ぶりで、開花にはあと数日かかりそぅですが、その姿を想像しただけで心躍ります。いつか見たいものです。馬籠宿と妻籠宿間は8km。つづら折りの石畳になったら妻籠宿はもぅすぐです。この間はよく整備されトイレも要所にあって、この道を海外の方が好んで歩くのがわかります。しかしコロナ、海外の人はだれもいません。民家がぽつぽつ見えてきたら大妻籠です。私は大層この集落が気に入りました。さっきの峠集落といい、昭和初期にタイムスリップしたような懐かしい気持ちになりました。観光化されていない宿やの中は、どぅなっているのだろう?どんなおかみさんだろう?宿代は?どんな食事?・・・時間が2倍も3倍もゆっくりと流れていそうな気がします。庚申塚を左手に入り民家の脇の細い道、ここを下ると妻籠宿。幾つもある大きな駐車場はガラガラ、全てに車が停まる程の観光客がこの集落に集まるのですねぇ~でもこの日は誰もいない、まるで時代劇のセットのようです。締め切った店がチラホラ、開いていても人の気配がしません。~マスク対策バッチリです~沢山並んだお雛様も見る人がいなくて淋しそうです。おやつにきんとん、お昼は蕎麦、経済協力のつもりですが、悲しいかな、焼け石に水です。広い店に店員が2人、お客も2人、会話もはずまず、黙々と蕎麦をすすりました。~妻籠・鯉岩~南木曽駅まで3.5km、旧道をのんびりと歩きます。青い空に桜が映えて綺麗ですね。木曽川が見えてきました。JR中央線と19号と川が谷間に並んでいます。この日は南木曽駅でお終い。帰りは駅前からバスに乗って馬籠宿へ戻りました。GWを中心にかなり先まで木曽路を歩くつもりでしたが、この後は自宅待機に突入です "(-""-)"
May 28, 2020
コメント(15)
中山道のスタート地点は中津川宿からでした。西に向かって岐阜を歩き滋賀に入った醒ヶ井宿まで進みました。その先、京都を目指すのはラストにして、日本橋から歩いてオリンピック前には東京を抜ける予定でしたが、まさかこんな事になるとは( ノД`)シクシク…予定変更、中津川から東に向かって歩くことにしました。~中津川宿高札場~<すや>のある交差点を東に向かうと高札場が復元されています。この階段を登り、茶色の歩道橋を使って19号線を渡り茶屋坂を登っていきます。この高台から中津川宿が見下ろせますよ。登ったり下ったり登ったり・・・この辺りの道も金と銀の舗装にしてあるので、間違えずに進めて助かります。~地蔵堂~この日は(3月20日)寒の戻りでとても寒く、雪がちらつく予報がでていました。地蔵堂に覆いかぶさるしだれ桜の枝、まだまだ蕾は固いですね。坂を登ると<越前屋>があります。事前にGoogleマップで見ていたのですが、この辺りがこんなにアップダウンがあるとは思いませんでした。かつての茶屋はお洒落な喫茶店になりご夫婦が経営されています。早々と一息いれます(^^ゞまだ11時前だったのでモーニングセットが付きました。流石は岐阜、豪華ですねぇ~。米粉餅に黒砂糖をかけた名物だった<三文餅>も追加しました。たいして歩いていないのに、たっぷりとカロリー補給をします(#^^#)~落合宿~4km歩いて落合宿です。善正寺の面白い枝ぶりの松は樹齢450年、この角を曲がって静かな通りを抜けていきます。中ほどに本陣跡。中山道に現存する数少ない本陣建築で皇女和宮も休憩されましたが、今も住居となっているので公開はしていません。~落合川~19号線から離れて山に向かって歩いていると高い所に赤い橋が見える、中央道ですね。いつも利用しているけれど、その下に中山道が通っていたのですね~民家も少なくなって村はずれの医王寺を過ぎると十曲峠(じゅっこく峠)そしていよいよ落合の石畳です。いつ頃からのものか詳しい事はわからないが、尾張徳川家が普請したという記録が残っている。石畳は長さ840m江戸時代のままの石畳が三か所残っている。幅4m1平方メートル辺り4~6個の石材が使われている。昭和63年~平成7年にかけて修復されたのでよく整備されています。~新茶屋~石畳を登ると美濃と信濃の国境です。ここには<新茶屋の一里塚><国境><是より北 木曽路>の石碑があります。「送られつ 送りつ果ては 木曽のあき」 松尾芭蕉馬籠宿からハイキングで下ってくる人たちとすれ違います。帰りはバスで戻るのでしょうね。峠を過ぎると見晴らしが広がり、再び田んぼの向こうに中津川市内が見えます。馬籠宿はもぅすぐです。~宿場はずれのやど屋~コロナの影響が無かったら、海外観光客が好んで泊まるのでしょうがこの春は静まりかえっています。宿場の中心はこの坂を登ったところです。側溝が石畳風にデザインされてお洒落ですね。なんて静かなのでしょう。こんなに人がいないのは初めてです。車屋坂を上り枡形を曲がった水車のある所から見上げた道、夜明け前の様です。この時は自粛規制の前で、人の少ない所を散歩しましょう~経済の活性化を応援しましょう~と呼び掛けられていましたが、閉まっているお店がありますね・・・「馬籠宿の中山道は尾根に造られたので道の両側に小川が流れているんだよ」と地元のおじ様が教えてくれました。そんな地形なので風がよく通り昔から何度も火災にあっていて、つい数年前も火災がありました。そのため今は復元された家並みで綺麗に観光地化されています。この日のお土産は、木曽ヒノキのまな板と木曽のはちみつ。遅いお昼は高札場横の田舎そばにしました。一人前が二段になっているので、おなかパンパンです。広場になっている上陣馬跡から薄化粧をした恵那山を眺めます。雲がドンドン流れて冷えてきたので早々に退陣、バスで中津川駅まで戻りました。寒い~2020年 3月30日 曇り時々冷たいもの中津川宿~4.0km~落合宿~4.5km~馬籠宿
May 9, 2020
コメント(15)
愛知にも緊急事態宣言が出ました。雨がシトシト降り始めて静かな町です。家の中ばかりなので、まだ戸外で散歩が出来た頃の中山道歩きをまとめることにしました。やっと( ;∀;) ~西首塚~中津川で偶然手に入れた岐阜版中山道の手作り地図、ここまで来るのに大変重宝しましたが、今回は滋賀県に入ります。山と渓谷社<中山道>の本だけでは不十分なので、<中山道69次>を買い足しました。歩きの方はたいがい手にしている本です。関ケ原は壬申の乱、関ケ原の合戦と争いが絶えない土地で、関わりのある場所があちらこちらにあり、中山道沿いにも説明板があります。関ケ原の合戦では15万の兵士があつまり、はっきりしないが相当数の戦死者があった。合戦の翌日、家康は一帯の神社の修復や遺体の処理を指示した。この一帯をおさめていた竹中重門は命を受けて遺体を埋葬して東西二ヶ所に首塚を造った。明治になって始まった東海道線の鉄道工事や川の改修工事の時もおびただしい数の骨や刀が出土している。~左:中山道 右:21号線~<松尾>から旧道へ。この辺りの消火器には武将の家紋が描いてあり、電柱には関ケ原の合戦に関係するクイズがはってあって、こりゃぁ~マニアにはたまりませんねぇ。不破関跡には資料館があり、チョッと寄り道♪と入ってみましたが、関ヶ原の合戦の資料ではなくて、壬申の乱でした・・・勘違い(*´ω`*) 不破の関は壬申の乱の後に設けられた古代三関所の一つだったのですね~もちろん当時をしのぶものはないですね。~藤古川~古くは関の藤川と言われ壬申の乱では東に天武天皇軍、西に弘文天皇軍が陣をとった・・・とあるが、かわいい川幅ですね。穏やかな道が続きます。日曜日なので住民が<道作り>をしており、土手にはふきのとうが花を咲かせています。新幹線も高速道路も東海道本線も、視界からは感じませんが、音が<現代>を意識してしまいます。~黒川~壬申の乱の激戦で両軍の兵士の流血が川底の岩石を黒く染めたことからこの名がつく。こちらもかわいい。~常盤御前の墓~常盤御前は16歳で源義朝の愛妾となる。平治の乱で義朝が敗れると一時は三児と別れて平清盛の愛妾にもなる。伝説では・・・東国に走った牛若の行方を案じて乳母と後を追ってきたが、この辺りで土賊に襲われて命を落とす。里人はここに葬り塚を築いた。道沿いには里人が守る常盤地蔵もあり、ここの説明板の母子の話も泣けてきます。~今須峠~ゆるい坂の峠を越えると静かな町並みです。関ケ原宿の次は醒ヶ井宿と思っていたら、中山道美濃路の最後の宿場今須宿です。岐阜と滋賀の県境です。よくTVで見る県境のかわいい溝は、もっと長いと思っていたらほんの一区切りでした(∩´∀`)∩溝を境にして東日本が角餅、西日本が丸餅と言われてますね。近くにお寺の跡地を開放した更地があったので、コンビニ昼飯とします。滋賀県からでしょう、サイクリングの若者たちが通過して微笑ましいです。~左:中山道 右の道の先に大きなカーブあり~「あっ・・ここだ」柏原宿の手前のカーブで、夫は学生時代に事故を起こしたのを思い出しました。高熱が出ていたけれど、その日にどうしても引っ越しをしなければならず、解熱剤を飲んで小型トラックを運転しました。40年も前の事、今思えばインフルエンザだったのでしょう。一瞬、眠ってしまってカーブを曲がり切れずに線路の土手で横転。JAFも無い時代、愛知の知り合いにクレーン車を頼んで助けてもらったそうです。~柏原宿~近江に入って最初の宿、柏原宿は1.4kmもあります。古い家屋が残り、元の商売を書いた表札があるので見ながら歩くのも面白い。目の前の伊吹山は古くから薬草の産地で、よもぎを使った<もぐさ>はお灸に使われて名物でした。亀谷左京商店は広重の浮世絵にも描かれていますよ。~やいとうどん~向かいに建つ新家は寄贈されて歴史資料館になっています。今回は歴史探訪の旅^^ここでも資料館に寄って、入口にある喫茶<柏>でうどんを食べることにしました。地元のおば様達が切り盛りするお店。茹で卵の上にとろろ昆布を乗せ、紅ショウガでお灸の火をイメージしてあり、味は京風、500円、これがなんとも美味しいのです。~醒ヶ井宿が見える~醒ヶ井は水の町。湧水を集めた地蔵川が中山道に沿って流れています。澄んだ川にはハリヨが住み、夏になると梅花藻(ばいかも)という梅のような白い花が咲く水藻の緑が鮮やか。あいにく春先なので、花はないし店も閉まっていて通りはし~んとしています。今回はここまで、JR醒ヶ井駅に向かいます。途中、素朴な和菓子屋さんで手作りの六方焼を買いました。電車に乗ってから食べましょう~~向こうに伊吹山~3月15日 晴れ 14km
April 12, 2020
コメント(9)
このところ家で過ごす時間が増えたのでさぼっていたブログの更新をしましょう。なんだか変な感じになってきた・・・と思い出した2月の下旬、人込みをさけてウォーキングに出かけました。中山道(岐阜編)赤坂宿から関ケ原宿までは景色もよくて空気もよくて、世の中の喧騒を一時忘れていました。~大垣駅~東海道本線、大垣発美濃赤坂行きは3番線。駅は大垣、荒尾、終点・美濃赤坂と三つ。ホームは判りにくい場所で、奥の奥に移動です。~美濃赤坂駅~ICカードで改札を入ったので厄介な事になってしまいました。無人駅なので運転手さんに証明書を書いてもらい現金を支払って降りる事になりました。何もかもする運転手さん、だいぶ時間をとらせてしまって大焦り( ;∀;)ごめんなさいねぇ~~赤坂宿~さぁ、スタートです。通り道にある<お茶屋屋敷跡>にさっそく寄り道です。お茶屋屋敷跡?関ケ原の合戦の後、徳川家康が江戸から京へ上洛するために4里毎に造らせた将軍家専用の休憩・宿泊所。中山道で唯一残っている。こじんまりとした公園の様な・・・竹林のような・・・牡丹園のような・・・~国分寺跡と右手・金生山~さて、先に行きましょう。石灰石を獲っている金生山を後にして、兜塚、昼飯大塚古墳を過ぎて東海道本線をくぐり、垂井宿まで5キロです。歩く距離は短いのでゆっくり行きましょう。少し道を外れて美濃国分寺跡に寄り道です。たいそう広かったのですね。奥にある資料館のトイレを借りました。ちなみに、北側の山肌に見えるお寺は現代の国分寺です。~春日養蜂所~この辺りも田んぼが多く、春にはレンゲ畑が広がります。住宅地を少し入るとガイド本に記載されているはちみつやさんがあるのでチョッと覗いて見ました。~相川と雪をかぶった伊吹山~垂井は中山道と美濃路の追分があり、交通の要所として栄えました。追分からすぐの川を渡って宿に入ります。~旅籠・亀丸屋~枡形を曲がり垂井宿を進みます。すぐ左手には南宮大社があり、これからは関ケ原の戦いで陣をとった場所が続きます。かつて賑わった街道、今は静かな町並みです。旅籠は今も泊まる事ができるようですよ。どこかに食堂はないかと探しながら歩いていたら宿の西詰めまで来ていました。前川という小川を渡ったところに飯屋がありました・・・入口にジャラジャラとカギがささったままです@@(これが、中に人がいます、営業中の合図、だそうです)70過ぎた働き者のオバサン。親子丼にビール(お通しつき)オバサンお勧めの<牛+鳥の土手煮>も追加しました。半世紀ほど店を切り盛りするオバサンの地元話は力強くとても楽しくて、あっという間に1時間たっていました。~お好み食堂・安庄~JR東海道本線を渡り交通量の多い21号線を渡ると左手に垂井の一里塚が見えてきます。当時の姿で残っているのはここと板橋区の志村の一里塚のみだそぅです。~垂井一里塚~右手の伊吹山、左手の鈴鹿山脈にはさまれて、山間は進むにつれてぎゅ~っと狭くなって、その間に東海道新幹線、名神高速道、21号線、中山道、東海道本線が走っています。~伊吹山と野上の七つ井戸~~野上の松並木~夏の日差しを避け冬の防風防雪の役目を果たし旅人を助けた松並木、戦いが起きた時は切り倒して砦を作るのにも利用されたそぅです。中には樹齢300年以上の松もあるという。~関ケ原駅~関ケ原は672年壬申の乱、1600年関ケ原の合戦と2度の天下分け目の合戦があったところで、辺りには合戦の史跡があります。多くの旅人でにぎわった宿の割には当時をしのぶ史跡はありません。古戦場巡りに訪れる観光客の姿も見られるが、冬場のためか、コロナのためか駅は閑散としていました。この日はここまで、大垣駅までもどります。2月24日 晴れ 10.6km
March 24, 2020
コメント(8)
コロナウイルスの流行で外出を控えています。日頃あまり気にしないたちですが、雨も降るし、去年歩いた中山道のことを書くことにしました。最近は他の方の所に訪問するのですが、すっかり更新はサボっています( ;∀;)日が長くなって暖かくなると歩きたくなります。でも・・・この後どうなるのでしょう?11月10日、すっきり晴れ!(^^)! 前回の続き<河渡宿>から歩きます。JR穂積駅から長良川沿いを北に歩き、渡し跡あたりで土手を下ると宿場に入ります。規模の小さい宿場ですが、増水で長良川が渡れない時は旅人が泊って賑わったそうだ。戦火による焼失や河川改修によってかつての面影はなく、静かな通りです。一里塚跡は先回見落としたのでこの日は気を付けて歩きました。宿の入口すぐの所にありました。~本田代官所跡~本田集落は短い距離でしたが代官所跡があり、いにしえ気分が味わえます。この日の道は子供の頃を思い出すような田舎の景色が続き、色づいた柿があちらこちらに見えました。樽見鉄道の単線をかわいい電車が走ります。河渡宿から4.5km、線路を渡れば美江宿です。この日はコンビニが無く、食堂もほとんどなく、駅も無人でトイレがありません。美江神社には古地図を用いた説明があり興味深いですね。(トイレ有)神社の前で道は枡形に南に折れ、辺りには旧庄屋宅、ひっそりとした静かな宿です。11時、お昼には早いのですが、この後ありつけないかも・・・と、匂いに釣られて今回もうなぎ屋さんでお昼ご飯にしました。奥さんの好みでしょうか、綺麗な店内、可愛いお膳で甘めのうな丼をいただきました。二つ目の角を西へ曲がると小川が流れています。絵の小川と同じ場所です。似ています!以前は湿地だったのか。今は田んぼが広がり左手には工場、竹やぶも笹だけですね。長良川を渡って関ケ原に向かう道、気持ちよく歩けます。稜線の右端が伊吹山、左端が養老山脈、その真ん中の低い所が関ケ原、その向こうに琵琶湖があり京へつながっています。濃尾平野の三大河川、3つ目の揖斐川を渡ると小簾(おず)公園があります。皇女和宮が将軍家茂公に御降家した際に揖斐川(いび川)を渡るときにこの辺りの紅葉の美しさを詠みました。昭和4年に造られた公園にはモミジが色づき、地元の方に大切にされているのがわかります。(トイレ有)<落ちていく 身と知りながら もみじ葉の 人なつかしく こがれこそすれ>小簾公園から平井川沿いに西へ歩き、車道230の一本南側の旧道を歩きます。田んぼの中の住宅の割合が増えてきました。細い旧道の路肩を歩いて赤坂宿へ向かいます。美江宿から赤坂宿は8.7km。赤坂は江戸時代には杭瀬川のほとりに港が造られ水運で栄えました。名産の石炭や大理石、米や木材を伊勢湾に運び、300もの舟があったという。また赤坂は西国三十三観音寺巡礼の萬願寺・華厳寺に向かう巡礼客でも賑わいました。今はのっぽの火の見櫓の横に、オシャレな小さな公園として整備されています。かつての面影はないけれど、横にある駐在所を移築した<大垣市赤坂港会館>では赤坂の歴史を知る事が出来ます。(トイレ有)赤い丸い電球に誘われて中に入ると、係のおばさんが丁寧に説明してくれました。以前から気になって仕方なかった<金生山>のピラミッド?や、地名の赤坂の由来、海運の後の石炭産業の移行について聞くことが出来ました。スッキリ~この日は電車の都合でここまで、美濃赤坂駅から戻ります。東海道本線ですが支線なので本数がありません、どうぞお気をつけて。
February 16, 2020
コメント(12)
高田駅から加納宿、現在の岐阜駅に向かって歩き出します。左手に手力神社、岐阜は右手に進みます。曲がり角には「左 木曽路」とありました。まだ古きものが残る中山道。探しながら歩くのも、また楽し、です。細畑には住宅の間に一里塚が復元されています。それも両側に。山路を歩いた時はよく目にしましたが、町中では大変珍しい。ここで一休みとしました。~細畑の一里塚~昔から営んでいるおだんご屋さん、この角を右に曲がります。「ここを右に曲がりま~す」1本売りをしてるのでお買い上げ~キリリとした醤油味のおだんご、小川沿いに腰かけて一休みです。市街地も道標や小さなお堂があって、家並にも街道の雰囲気が残ります。 岐阜駅前のビルが見えてきました。中山道は駅の南側を走っています。道沿いにうなぎ屋さんがあったので、店構えに誘われて飛び込みました。二文字屋は1620年、御飛脚使宿(ひきゃくやど)として茶料理を始めたのが発端で、現在はうなぎと懐石料理を呈する。時間に余裕があったら是非寄っていただきたい。外はサクサク!中はふわふわのうなぎ、甘くないタレが絶品でふんわりしたご飯にからまって、たまんない。後味スッキリでいくらでも食べれます。~ひつまぶし~岐阜駅を背中に西に向かって歩きます。東海道線の高架をくぐるとその先には長良川が流れています。かつては<河渡の渡し>がありましたが、今は河渡橋が出来たので中山道は橋を通ります。でも、この上流1キロの所に「渡し」が残っているのですよ。<お紅の渡し>は身分の低い人や女が利用したそぅです。NHK新日本風土記の<川渡し>シリーズで知り、是非渡りたいと思っていました。手前の<乙津寺>で弘法大師さんを拝んでから、土手に上がれば見晴らし良好、岐阜城や伊吹山がよく見えます。~右は金華山、岐阜城がある~また河原へ下りるのですが、葦や雑草が伸びた道を行くと・・・ありました(^O^)手前の岸から白い旗の棒を振り回すと、向こう岸から船頭さんがやってきます。かつては手漕ぎの舟でしたが今はモーターなので所要時間は2分余りです。船頭さんは長良川の鵜飼舟を運転していた方々が4人交代で詰めています。テレビで見た女性の船頭さんはこの日はお休みでした。渡船料は無料。中山道から少し外れるけれど、こんな寄り道も面白いですね。土手を歩いて河渡宿へ。河の手前にある宿場は河の水次第で何日も足止めされる事があるので、どこの宿場も栄えたそうです。戦争による焼失や長良川の改修工事で今は静かな通りとなり、面影はありません。この日はここまで、JR瑞穂駅まで歩いて帰ります。R1年 10月27日 晴れ 12km
November 19, 2019
コメント(10)
立冬を迎え北では初雪の便りが届いてきました。ポチポチ歩いてきた岐阜県の中山道も我が家から近いところまでやってきました。(と言っても我が家から、加納宿と呼ばれた岐阜駅までは20kmありますが・・・)陽が短くなったので、一日歩ける時間も限られてきました。今年はあと何回歩けるかな?ブログUPが滞っていますが、この後の2区切りを歩き終えています。さてさて関ケ原まで行けるかなぁ・・・10月13日 快晴~赤坂の地蔵堂~鵜沼宿の南には木曽川、川を越えると国宝犬山城があります。2kmほどです。鵜沼宿に向って歩いてくると直角に右へ曲がります。ここは赤坂の地蔵堂。ここから前回の続きを歩きます。鵜沼宿は明治24年の濃尾地震で江戸時代の建物は無くなってしまいました。全部。少しづつ再現されて平成23年に完成、きれいな町並みが伸びています。脇本陣、資料館、風情のある住宅、以前見たことがあるので先に進みます。~せせらぎ水路~江戸時代は中央に用水が流れていたのですが、今は軒下に用水が作られて涼し気に流れていました。宿を抜けると国道21号線と旧道を歩く事になります。国道は交通量が多くてかつての面影は残ってないので、ガイドブックには<歩くのはお勧めできない>とまで書いてありました"(-""-)"中山道と並行してJR高山線と名鉄各務原線が走っているので<気になるところは途中下車して、ポイントごとに見た方がいい>ともありました(笑)~六軒一里塚跡~アドバイスになびかず、歩道を延々と歩いて行きます。昼ご飯は国道沿いのラーメン屋さんにしました。自衛隊岐阜基地を過ぎると21号線から右手の旧道に入ります。喧騒から離れて静かな町並みが続きます。前日が大雨だったので(10/12)この日はあちらこちらで村の秋祭りが執り行われていました。六軒を過ぎると市民が憩う<各務原市民公園>があります。この日、腰をおろしたのはラーメン屋だけだったので一休みには格好の場所です。熱心に求愛のさえずりをする小鳥がいたので、調べていたらすっかり長居していました。シジュウカラでした。私は<歩いて旅する中山道>と中津川市の中山道資料館で偶然手にした<中山道岐阜17宿歩き旅>の手作り地図を参考に歩いています。その地図は細かく書いてあって地元を楽しみながら歩けます。それによると、この辺りに<ネズミ小僧次郎吉>の碑と伝わる石碑があるようなので寄り道してみました。グーグルマップで検索すると、駐車場の奥の小さな神社の片隅の木陰にあってビックリな寄り道でした。~間の宿~新加納辺りは街道の風情が残り、街道絵地図と照らし合わせて神社や寺、藩医から続いている病院などを見て歩くと面白味いです。鵜沼宿と加納宿の間は17km、距離が長いのでその間に小休止する<立場>を作り<間の宿>と呼ばれたそぅです。~街道絵地図パズルより~突き当りがその病院、ここを枡形に曲がって岐阜市内へと向かいます。民家と田畑が続く旧道を西へどんどん歩き、キリがいいので名鉄高田橋駅で上りとしました。R1年 10月13日 約13km
November 9, 2019
コメント(10)
梅雨に入り歩ける日が限られてきました。晴れても暑すぎるので、10月まではウォーキングは控えるつもりです。中山道も平地歩きになって、交通や飲食には困らないけれど古を感じる風景は減って、すっかり街歩きになってしまいました。名鉄広見線の終点<御嶽駅>から始めます。里山を走る赤い電車、地元のみなさんが存続を願う大事な足です。5月半ば、いよいよ日差しは強くなりこの日は28℃の予報でした。四国を歩いた時は25℃を快適に歩けるか否かの目安にしていました。吹いてくるかすかな風に期待しよっ。~道沿いの 鬼の首塚~御嵩(みたけ)は駅前の願興寺の門前町で栄え、江戸時代には旅籠が28軒600人ほどがすんでいたそぅです。江戸へ向かう旅人が険しい山道に入る手前の休憩所として沢山の人が利用しました。わたしは西へ向かうので町中の車道を進みます。21号線は車が多いですね~~左・21号線 右・中山道 ~わずかに残る旧道に入れば木陰がいくらかあるけれど、この日はずっと車道を歩きます。いままでの雑木林がなつかしいなぁ(*´ω`)まだ見えないけれど、北側には木曽川が流れています。8km歩いて伏見宿。樹齢200年の松を真ん中に整備された休憩所は2008年に建てられ、充実したトイレ、板張りの東屋もありぜひゆっくりしてほしい所です。四国歩きなら野宿に絶好の場所ですね。~一本松公園~広い道と交差すると食事処が並んでいるので早めに昼ごはんにしました。中華<黒龍>のランチ、電車なのでビールも少々、高カロリーを補充してこの後も歩きますよ~~太田橋~ 中山道の三大難所は<木曽のかけ橋><太田の渡し><碓氷峠>と言われました。木曽川の急流で川底も深い太田の渡し。江戸中期に船着き場が出来た<今渡の渡し>は、太田橋がかかった昭和2年まで使われていました。太田橋は歩道のない橋だったので<危険>で有名でしたが、現在は歩道専用の橋が並行してかかっているので安心です。~今渡の渡し跡~橋から振り返って見おろすと船着き場に降りる石段が見えます。~太田橋を渡ると化石林公園~太田宿は1843年(天保)の記録では宿の長さ680m旅籠20軒118戸505人が住んでいたという。今は21号線が北を走り、車道と木曽川に並行する旧道は静かな通りです。宿の中ほどにある広い中山道会館でゆっくりと休むことが出来ました。太田宿を抜けたら木曽川に沿って下っていきます。車の多い21号線は避けて、土手の日本ラインロマンチック街道を歩きます。~会館広場のシンボルの榎と宿り木~さんぽをする人やサイクリングをする人がちらほら、のんびりした道です。坂祝駅までのつもりでしたが次の駅まで行けそうです。駅を過ぎると21号線に合流したので路肩を歩きます。単調な車道なので途中の<いわや観音堂>の看板に誘われて、脇道に入ってみました。坂を登って振り返ると今来た木曽川がひろがり、面白い岩の河原が見下ろせていい気持ちですよ。~だんだん、だん~岩肌にへばりつく様に建つ小さなお堂は、観音様を守る様に手前に祠が建ちそれをまた守る様にお堂が建てられています。そろりそろりと祠の向こうへ、岩のくぼみに並ぶ仏像を拝見したくて足を進めたのですが、何とも言えない雰囲気に押されて足がすくんで・・・後退。<いわや観音堂>お堂の背後の岩山は名鉄のトンネルが通っています。階段も鉄コツで補強してあり降りるとまた車道です。どんどんと川の流れとともに歩いて行きます。昭和に流行ったドライブインやスナックの廃墟、淋しい車道ですね。崩れかけた店の駐車場から階段を降りて水沿いを進むとうつつ峠に入れます。<岐阜のイノシシ>と言えば豚コレラで話題になりました。水辺にはイノシシの異動を止めるための真新しいフェンスが設置されていました。これを開けて車道をくぐって、線路を越えて・・・中山道はこんな形で残っています。この薄暗い山道はうつつ坂と呼ばれ、<うっとうしい><疎い>という意味があるそぅです。細久手宿から御嶽宿に向かう途中に同じ名前の<うつつ坂>がありますが、そちらは旅人があまりの急坂を歌いながら超えたことから<謡坂>と書きます。峠(140m)の上には広場があって、遊歩道を下ると公園や団地に続き、峠の手前と向こうでは随分雰囲気が違ってます。~うつつの登り坂~うつつ峠を越えたら住宅街を下り、鵜沼駅まで進んでこの日はおしまい。この続きは秋風の吹く頃、鵜沼宿からスタートです。
June 11, 2019
コメント(14)
連休中に二回目(5月2日)の中山道歩きです。前回区切った大湫宿までは釜戸駅からタクシーを利用しました。4kmの道は歩いて1時間、大湫からの下り坂は足がパンパンだったので、とてもあの坂を登る気にはなれません(∩´∀`)∩恵那駅~御嶽(みたけ)駅間の中山道はJR鉄道から離れ、地域バスもあてになりません。宿は細久手の一軒のみなので、行程を考えた方がいいですね。区切り歩きならば<深萱~JR武並駅>が徒歩30分なのでこちらの駅がお勧めです。釜戸駅前のタクシーは1台なので、確実に乗車したい方は予約がお勧めです。呼び出しには30分程かかることがあります。TEL 0572-68-6111 釜戸駅~大湫 約1500円~琵琶峠東口~大湫宿の高札場跡からスタート、車道を1キロ程歩くと琵琶峠に入る道があります。標高540m全長730m、江戸時代のままの石畳では日本一長いと言われています。明治以降埋もれていたものが昭和45年に発見され、峠を開いた時のノミの跡が残る岩や土留め、側溝も残されています。平成9~12年に整備されました。昨日降った雨で滑り易くなっていますが、しっとりした苔と石が素敵です。光がとどかない静かな雑木林の中、時折鳴きだすカジカガエルの声がオジサンが話しているようでドキッとします。東へ向かう男性とすれ違った場所がてっぺんでした。何も見えませんね~もぅ下り坂・・・この倍は歩きたい石畳です。~琵琶峠のてっぺん~くだりには<八瀬沢一里塚>がありました。10時、わずかな木の間から日が差し込んで神聖な空気が流れます。石畳の左と右に盛土した塚がふたつ、完全な形で残っています。一里塚には旅人が木陰で休むように榎などの木が植えてあることが多いのですが、この塚は林の中にあるためか木はありません。これが本物の一里塚なのですね~私が目にする一里塚は旧道の隅に石碑で残る<一里塚跡>、本物を初めてみたて感動しました。一里塚は街道の側に約4km毎におかれ、起源は平安時代に中国から伝わり、江戸時代には広く国中に整備されました。交通事情が発展して、塚は払い下げになったり、壊されたり崩れたり・・・消えていきました。この日は現存する塚をいくつも見ることが出来たのですよ。~琵琶峠西口~ 琵琶峠の下り道はモミジが青々として秋の峠を想像すると又歩きたくなる道です。静かな雑木林の道。タラの芽・コシアブラ・わらびを見つけながら歩きます。~弁天池~ひっそりとある浅い池には弁財天が祀ってあります。カキツバタが咲くと綺麗でしょうね。すぐ横に売りに出ている民家が1件、ここの休憩小屋でお昼にしました。誰が池を守っているのでしょう・・・~細久手宿~大湫宿から6km、細久手宿が見えてきました。自家米でしょう、盛んに田植えの準備をしています。H420mの山の中の宿場は1843年には戸数は65軒そのうち24軒が旅籠だったそうです。一本道の両側に民家が並ぶ細長い集落で、ひなびた感じがするが古い建物はほとんどありません。1858年に再建された<大黒屋>がこの辺りで唯一の宿ですが、写真で見るよりは小さく収容人数に限りがあるので、なかなか予約がとれないようです。~右手・細久手方面 左手に進みます~ゆるい下り坂を更に歩き、五差路になる平岩辻まで来ました。角に唯一の酒屋さんがあるので、ここで飲料を確保します。~秋葉坂の三尊石窟~もぅひと踏ん張りの上り坂ですが、足元ばかり見ていたので石段の上にある石窟を見落とすところでした。馬頭観音や観音坐像が祀ってあります。~鴨之巣一里塚~こちらの一里塚も左右ふたつ揃って現存しています。塚に木が植えてありますね。~豪商屋敷跡から見下ろす~長い山道を抜けて、津橋集落が見えてきました。坂を登り峠を越えて集落、また坂を登り峠を越えて・・・を繰り返して歩いてくると屋根が見えるとほっとしますね。あの小高い山には皇女和宮の御一行が休憩した御殿場跡があり、そこを越えたら次の宿です。~ラ・プロバンズ~御殿場跡の前には地元で有名な喫茶店があるので、順番待ちの人がいっぱいで賑やかです。ゆっくり腰をおろしたくなって長いティータイムとしましたが、やっぱり評判どうり2時なのにケーキは売り切れです。「次回は是非ケーキの予約をしてくださいね。取り置きしておきます♪」・・・なるほど。~謡坂の石畳~旅人が自分を元気付けるために歌いながら登ったという石畳の坂は綺麗に整備されていています。さて、この坂を下りたら住宅街です。~御嶽宿~急な車道を下ると国道21号線。さっきまでの林道から一気に現実に飛び出したようで、(あ~、これが現代の中山道かぁ)と思いながら重い足をだましだまし歩いて名鉄・御嶽駅を目指しました。
May 16, 2019
コメント(9)
大型連休の4月29日、大井宿(恵那駅)から大湫宿まで13.7kmの中山道です。そこから4キロ下った釜戸駅から恵那駅に戻ったので計18kmの歩きです。19号道から西行塚の石碑を右へ入り、JR線・中央道を超えると穏やかな景色が始まります。この日はほとんど林の中。<是より西十三峠>の石碑を過ぎると美濃路の大難所、「十三峠におまけが七つ」といわれる20以上のアップダウンが待っています。江戸時代の風情を残しているので、当時の水飲み場やお茶屋跡が多く、馬頭観音もよく目にしました。所々に小さな集落がありますが、コンビニや自販機はないので市内で準備しましょう。必ずです。<右・西京大阪、左・伊勢名古屋>の石碑。看板の位置に左に入る山道があり、伊勢参りの人はここから分かれたそうです。金銭的に余裕のない人々は、かつてここに祀ってあった小さな鳥居から遠く伊勢に向ってお参りをしたとか。石仏もありますが草木の中がほとんどで、この様に立派に祀ってあるお地蔵さんは珍しいです。~首、どこにいってしまったんだろう~<首なし地蔵>説明板より1756年地元民が旅人の道中安全を祈って立てたもの。昔、二人の中間がここを通りかかった。夏で汗だくだった。松の木の下で休んでいるうちに二人は眠ってしまった。ひとりが目覚めると、もぅひとりは首を切られて死んでいた。辺りを見回しても犯人は見当たらない。怒った中間は「黙って見ているとは何事だ!」と刀で地蔵様の首を切り落としてしまった。それ以後何人かが首を付けようとしても付かなかったという。~深萱追分辺り~深萱の集落には綺麗な休憩所ととても衛生的なトイレがあります。地元の人が管理し、草花が植えられ、お遍路の時の様にノートが置いてあります。俳句ポストがあるのも面白いですね。坂は石畳だったりコンクリート打ち、林道だったりですが、車に会うこともなく気持ちよく歩けます。もっと歩き人がいると思っていましたが、マラソンの催しがあるのか数人のカラフルなスタイルの人たちが追い越していっただけでした。~三十三観音が並ぶ石室~森林浴気分でなんて気持ちがいいのでしょう。坂の繰り返しで股関節は辛いけれどなんとか歩いてこれました。それから道の脇には所々でわらびが生えていて結構収穫出来ました。八丁坂を下ると十三峠と琵琶峠に挟まれた山の中の大湫の集落が見えてきました。おおくては大久手とも書かれ、見慣れない<湫>の字には沼や湿地という意味があるそうです。皇女和宮様の一行がお泊りになった宿場で、総勢5000人が4組に分かれて4日間泊まったとか。本陣跡は小学校の校庭に、脇本陣は現存し、神社の鳥居の向こうには樹齢1300年の大杉が見え、街道の風情が残っています。~大湫宿~郵便局やよろず屋さんがあるけれど宿泊所はないので、この先の一軒宿<大黒屋>さんを利用することになるようだ。収容数が少ないので予約するのが確実。かつての塩屋をコミュニティに開放した家で休憩して、区切りが悪いけれど今回はここまでとします。当番の女性がふたりいてお茶のお接待をしてくれ、大湫宿の話を聞くことが出来ました。急坂を4キロ下ってJR釜戸駅に向かいました。次回はタクシーを使って大湫から御嶽駅を歩きます。
May 6, 2019
コメント(11)
中山道は全長約534km、69の宿場が置かれました。岐阜県の美濃地方を東西に横断しており長さ126.5km17宿場があります。3月初めの日曜日、中山道の内の美濃路をスタートしました。中津川の駅前に駐車して、栗きんとんで有名な<すや>のある交差点を曲がり中山道を進みます。郊外大型店のためか、旧道は静かです。道には金色と銀色の石が埋め込まれていて(それ風の人工石をくだいたもの)この日歩く先々へ続きます。<中津川宿>文化的にも経済的にも木曽路と美濃路の接点の役割をしてきた宿場。全長1.100m。旅籠屋は29件あった。~桂小五郎隠れ家址~桂小五郎が隠れ住んでいた料亭<やけ山>址があるので、脇道に入ってみました。狭い道から見上げる屋敷は中には入れず、保存していくのは大変だと案じます。四ツ目川橋を渡るとかつて宿場の中心だった本町通りにはいります。本陣も脇本陣も残ってはいませんが、所々に格子のある家が残っていて雰囲気のある綺麗な家並みです。電柱や看板が控えてあり、随所に宿場の案内や説明板があってわかり易くなっています。先を急がずに歩きたいと思います。道は枡形になり左へ折れると横丁通り、これまた栗きんとんで有名な<川上屋>や酒屋があります。~こでの木坂~宿場を過ぎると民家、やがて田畑になります。この先は小さな坂がいくつもあり広重の絵では誇張されて幾重にも坂が連なっています。頂上に生えていた木が目印になり坂の名前にもなった<こでの木坂>明治天皇巡礼の時は駒場村の若者が待ち構え、天皇を乗せた馬車を引っ張って通したという古の中山道は写真の左側の土道。今も残るのはこの部分だけ。明治になり馬車が多く利用されると道の一部を取り崩して整備され、大正になるとバスが通る様になり道路は拡張されて現在の道路の基になっている。駒場の高札場(跡)、坂を登ると双頭一身道祖神、上宿一里塚(跡)と続きます。小さな歴史址にも説明版が立ち、見過ごしてしまいそうな古えに目を向けることが出来ます。~右像:ふたつの頭にひとつの体~中津川IC辺りは中央道・257号線が19号線へ合流・地元の道と重なり、まったく風情がなくて中山道を進んでいるのか不安になります。ここから北に位置する美濃坂本駅辺りをリニア新幹線が通る予定とか。~食事処・かわせみ~この後はのどかな田園の中を歩きます。土手に蕗のとうがないかな~まだ春の芽吹きはなにもありません。辺りの山々に雪が残っていますが、日差しは春を感じます。民家を改造した小さな食堂があったのでお昼にしました。意外や、中は満席でオシャレなご夫婦がお店を回していて、メニュー豊富、美味しくてお値打ちです。車道から左手の細い道に入ると、静かな集落です。この先にある甚平坂の向こうは46番目の宿場、大井宿のあった恵那市内です。甚平坂からは北に御嶽山が望め、眼下には歩いてきた街道筋が見下ろせます。そこは小さな広場になっていて東屋とトイレもあります。~甚平坂より来た道を振り返る~こちらの坂も明治天皇巡行の際は、地元の人たちが頂上の急坂を2m掘り下げて手直ししたそうだ。甚平坂を下り中央道を渡り、寺坂を下れば大井宿だ。~寺坂~寺坂の階段を降りると右手に石仏が一列に並び太陽をいっぱいに浴びています。左手には真新しい休憩所とトイレがあって助かります。道の先には明知鉄道の線路が見えますね。~上仏石仏群~<大井宿>長さ710m、1843年時点では本陣、脇本陣、旅籠41件、家数110件と記録があるが、本陣は戦後すぐ火災にあって現在は正門と庭が残るのみ、脇本陣ものこってはいない。町の中心に入ると老舗の宿からランチのお皿を洗う音が聞こえてきました。最近は街道歩きを楽しむ外国人増え、よく宿泊するそうだ。恵那駅でゴールにして中津川駅に戻ります。朝見かけたご夫婦も同じ電車に乗りました。この日出合った歩き人はこの二人だけ。次回は中山道広重美術館を見てから歩きだそうと思います(*^^)v
March 13, 2019
コメント(8)
四国を歩いている時に足摺岬の手前で知り合った神奈川さんは、その後もあちらこちらの路を歩いています。その方が中山道を歩き終えて京都から帰る途中、名古屋で会った時に中山道の話を聞きました。もぅ5年は経っているでしょう。その時いつか・・・と思っていたが、この春から歩くことにしました。~甚平坂の石碑~日本橋から歩き始めるのでしょうが、尾張からだと仕事と予算の都合で、途中の宿場から始めることにしました。中山道は69の宿場が置かれ、武州・上州路、信濃路、木曽路、美濃路、近江路と5つの街道に分かれ、そのうちの美濃路から歩きます。岐阜県から滋賀県にかけて通る美濃路には14の宿場があります。まずは中津川市の中津川宿~恵那市の大井宿まで、9.8km。オバはんの足ではこの位がちょうどいいです。いつも、始まりはどんな道なのかワクワクしますね。山と渓谷社の<歩いて旅する中山道>を買い、Googleマップで位置確認をしながら、寒い日々を過ごしていました。よく走る中央道から見る山々と家並み、あの辺りを中山道が通っているんですね。春近し、ゆっくりと楽しんで歩いて行きます。
March 3, 2019
コメント(18)
全38件 (38件中 1-38件目)
1