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久しぶりの日記の更新です日本橋まで歩いたあと、長ーい暑い夏を過ごし、もう秋も深まって雪の便りも聞かれてるのに未だ歩きだしてません💦先日、今年2回目の🩸献血に行ってきました名古屋駅にクリスマスの装飾がチラホラ、若者たちが溢れていますゲートタワービルの26階にある献血ルーム地下街を進んでエレベーターに乗ってエスカレーターに乗って、またエレベーターに乗って、人気のない廊下の奥にきれいな献血ルームがあります事前予約は12時半、余裕で間に合いましたところがとても混んでいます今までに何回もきてるけど、1、2の混み具合で赤いポロシャツを着た外国の方がたくさんいますなんでしょう?ベトナム語?背中に、giveblood赤いポロシャツの人たちは、私服の人たちに通訳をしていますそのグループの間に入りました隣にいる感じの良い男性に聞いてみると、カタコトの日本語で答えてくれました献血ボランティアのグループで、ベトナムの方でした今日は35人ほどで来ているそうです献血をするには、問診や承諾書等結構難しい日本語が多くて、それを訳すのはやはり自国の人がいないと無理のようです日赤の職員さんが説明して、ボランティアの方が翻訳して、私服の若者たちに説明してますポロシャツはねんきが入っていて、この献血センターには初めて来たそうですとても明るくて、真面目で前向き、みんないい顔をしていますベッドを並べて献血していると、なんだか不思議な気持ちになりました自国でないところでも献血してくれるんですね日本にこんなボランティアチームがあるのかな?ちょっとしたカルチャーショックですというわけで、予定より遅れだけど、なんだか爽やかな気持ちです西の方にいつもの風景、新幹線とリニア駅の開発工事、向こうに街が広がり、三重まで見渡せます。右に少し見えるのは多度山ですね。〜エリックサクス〜献血の後は自分へのご褒美ランチ、これが楽しみです。あまり行かないキッテビルで南インドカレーのお店に入りましたそういえば、今回の献血で承諾確認の中に、こんな項目が加わったと説明がありました今日の血液製剤は、海外の国で使用されることがあります…「どこの国ですか?」「わかりかねます」と言う受付の返答でした発展途上国?戦争をしている国?どこだろう久しぶり献血で、グローバル化を感じました
November 23, 2024
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ふとしたきっかけで、腰の骨が折れていますよ!と、言われてから2ヶ月気にしても放っておいても仕方ない、いまさら急に悪くなる事もないけど整形の先生に診てもらうことにしましたかつて尻餅を着いたこと数回、痛みは無いのですが、圧迫骨折をしているかもしれません…お願いしますレントゲンを4つの体位で撮りました覚悟はしてましたが、圧迫骨折ではなかったんです!背骨が左に湾曲しているので、脊椎の左側が上と下の脊椎とくっついて写り、正面から診ると圧迫されている様に写ってます仰向けの後は、横向きでパチリ、前屈みでパチリ、反り返ってパチリ、他の方向から診ると骨折はしていませんあ〜取り越し苦労やでした😆ついでですが〜股関節に左右差がある様なので診てもらえませんか…お願いしますパチリ、パチリこちらも大きな問題無し誰にでも体に左右差や歪みがあるので、歳を重ねて行くと症状が出てくるでしょうが、今のとこは問題無しという事で、薬も湿布もなく終了コメントをくださったブロ友さん、ありがとうございました年相応の変化だそうですそれにしてはあちこち耐久性がありませんが、騙し騙し大切に使って行くつもりです70超えても歩く事を楽しみたいと思っていますそれにしても、旦那さんのせいで腰を骨折したんだ!なんて、怒らなくでよかったセーフです💦
August 20, 2024
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先日、お腹のレントゲンを撮りましたら、綺麗に撮れてますよ〜お腹は何の問題もナシですねただ、腰椎の5番目!しっかり骨折してますよ!寝耳に水腰痛は若い頃からありました子供の頃、親から真っ直ぐ歩きなさい、内股歩きだよ、とよく言われました後から思えば、それは股関節のせい、まぁ、さんざん言われたもんだなぁ右股関節が弱いから仕方ないか、仕事柄仕方ないか、お産をすれば仕方ないか、と思ってきましたお遍路の時も重いリュックは腰にこたえたが、工夫して歩き終えた低山と言えども下り坂は右足に負担がかかるが、ストックを使って鈍足なりに楽しめるはて?一体いつ折ったのだろう思い返す家を新築した20年前、階段の下から4、5段目から落ちたことがあった、それも2度ダンダンダン!と、それは豪快に腰を打ちながら滑り台の様に落ちた木製の階段は素晴らしくワックスがきいてた1度目、「危ないから滑り止めを貼って!」と頼むと、「見栄えが悪いからダメ!そんなところで滑る方が悪い!」頑なに言い返す夫それから半年足らずで2度目のダンダンダン!どちらも尾骶骨が痛かった夫は流石に滑り止めテープを貼ってくれた、それも夜は蛍光するやつそれからは一度も落ちてない、子供も落ちない後は、山登りの下山中に尻餅を何回かついた岩は滑るんだなぁ〜これもなかなか痛いその位しか覚えがない以前腰痛で整形にかかったのは30年前時折ある腰痛は肩こりの様に湿布したり痛み止めを飲んだりしてやり過ごして、いつのまにかうまくお付き合いできる様になっていたカーブス通いも体の左右のバランスが整って腰痛にいいようだそれにしても、びっくりしたなぁ〜はっきりくっきりバキバキに折れているとは…腰、よく頑張ってきたね、ほんとありがとうね、これからも大事にするよちなみに、まだ夫には骨折のことを言いそびれている
August 13, 2024
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奈良県の大和は国の発祥の地と考えられ、卑弥呼伝説もあります山の辺の道は最も古い道と言われ、桜井の大神神社から新薬師寺まで、奈良の都に向かって南北に伸びています〜石上神社裏手へ〜一日目は桜井駅から石上(いそのかみ)神社までの南コースを歩いて、天理駅からJRで桜井駅に戻り、駅前のルートイン桜井に泊まりました築3年目の宿は綺麗で便利、大風呂もあって朝食つきでした二日目は天理駅前に駐車して、続きの石上神社から新薬師寺辺りまでの予定ですタクシーがなかなか来なくて困っていると、神社までのご夫婦が同乗の声をかけてくださいましたありがたい。神社に着いたのは8時過ぎ、丁寧に掃き清める人たち、朝の時を告げる放し飼いの鶏たち、さわやかな杜の朝ですタクシー夫婦のお接待にお礼をして、その方は南コースへ、私たちは本殿前を通過して北コースをスタートしました〜白川ダム〜神社の奥は竜王池に続く道竜王池の前には懐かしい昭和感ある茶屋が数件、ほとんどの人は池を見て神社に戻りますが、その前を左に入り細い道を行きます竹が生えて、人気は一気になくなります細い古留川の脇道を歩き今はコンクリート製の<高橋>を渡り、豊田城趾の森の脇道をぐるりと回って進みますこんな奥まで天理教の寮がひろがり、広大なんですね白川貯水地の東屋で一休み、この日の予想気温は27度、喉が乾きます強い日照りの中、沢山の人が釣りをしていました学園の運動場を右手に車道を登り、そして下り、また弘仁寺への階段を上がります南コースに比べると、アップダウンが多く、コースの標識があるにはあるのですが、小さくて数も少ないですね〜弘仁寺〜弘仁寺は山岳仏教で栄えた真言宗のお寺で、子供の十三参りで有名だそうです小高い山の上にあり、青紅葉が綺麗、さぞや秋も素敵でしょう門前に入山料の木箱がありました連休中も奈良の有名な寺社は観光客でごった返えしていましたが、そうでないお寺は維持が大変と察します北コースでは外国人にひとりも会いませんでしたね対面の廊下に腰掛けて本堂を眺めるひと達、癒されますね住居の方からは昼食の煮物のいい匂いがしてきます山の辺の道には竹林が多いですね小道まで張り出してきた筍を掘り倒して脇に放ったのをいくつも見ました車道にでたら下り坂、奈良盆地が見えてきましたお次は、円照寺別名、山村御殿、尼寺で華道山村流の家元だそうです〜円照寺〜境内のトイレは利用できますが、それ以上は立ち入り禁止、非公開です上りは脇から山道を、下りは広い緩やかな参道を行きます長い砂利道はとてもきれいでゴミも落ち葉さえもありませんだんだん町中に入ってきましたちらり見えるのは春日山この辺りの畑は柵が張られていて、猿?イノシシ?と思いましたが、シカ!ですね大きな雄雌の鹿を見かけましたよ〜癒しの石段〜家並のとっつき、階段を登ると白毫(びゃくごう)寺奈良市東部の若草山春日山に続いて連なる高円山の麓にあります萩や椿など花の寺として有名綺麗に手入れされたこじんまりとした境内、ひっそりとした庭にうぐいすの声が重なって心安まります〜興福寺の五重の塔〜西側は奈良盆地が一望できますアップすると興福寺の塔がわかりますねこの日南円堂を訪れた友人が言うには、すでに塔の足下は修復工事の準備が始まっているとかで、この姿も当分お目にできなくなりますそう言えば、ここで納経帳をお願いしたのですが、その方の所作がとても丁寧で素敵でした 味のある家並みを抜けて、新薬師寺はもうすぐです薬師寺は何度か行ってますが、新、がある事は初めて知りました、申し訳ありません新薬師寺はかなり広い寺領でしたが、幾度もの災いにあって縮小、残ったかつての食堂が今の本堂ですひなびた感じが時空を超えて在る感たっぷりで、天平時代の本堂が国宝、堂内の十二神将が円を作り中心の薬師如来を守っています1体は地震で倒れて修理してあるため、11体が国宝、薬師如来も国宝ですその像の解析ビデオ上映はぜひお勧めしたい!作り方や、再現された本来の色彩は、更に新薬師寺の魅力がわかります道の分岐で迷うことが多かった北コース、歩く人もまばらですが、ちょっとした山登り感もあっていい道です水分と軽食は忘れない様に〜京終駅〜あおによし奈良の大路は行きよけどこの山道は行き悪しかりけり道沿いにはいくつもの歌碑があり、楽しみながら歩けますこれはクスリと笑えた歌です門前のジェラート屋さんでご褒美を食べたかったけど、テイクアウトなのに30分以上の待ってもまだなので食欲消沈、慌てて駅に向かいました山の辺の道、お疲れ様でした
May 6, 2024
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子供の頃、いつか歩いてみたいと思っていた奈良県の山の辺の道50年近く前、NHKで新日本紀行という旅番組がありましたそこに映った景色がずっと印象に残っていました調べてみると近畿では有名なウォーキングコースの様です大神神社〜天理の南コースが人気で、天理〜春日大社の北コースはわかりにくいようで…今回、お遍路仲間のMさんに相談すると詳細な地図をいただき、とても助かりました百人力です〜大和川〜近鉄のてくてくマップ、山の辺の道・南コースの地図を頼りに桜井駅からスタートです大型連休が始まる4/27土曜日、天気は曇り時々雨でしたが、涼しくて歩きやすかったです町中を通り、大和川を渡ると、仏教伝来の地碑や万葉歌碑が並んでいます(2k地点)この辺りには日本最古の海柘榴市があり、伊勢参りや長谷寺参りをする人はここを通って向かいましたほとなく金屋の村外れの収納庫に石仏二体が祀られています高さ2.14幅83.5厚さ21.2の泥板岩に彫られていて、平安時代後期の作とか金網越しの仏さんは、素朴で技術が発展していない頃の温かみがあります大神神社、三輪明神とも呼ばれ御神体は背後に見える三輪山なので本堂はありません(3k地点)酒の神様でもあるそうで、大神が蛇神に化身されたと言う伝承が日本書紀に記されていて、白蛇が住むという杉の木にはお酒や好物の卵が供えてありました〜巳の神杉〜 ポツポツ雨が振り出しできました桧原神社は珍しい三ッ鳥居でこちらにも本堂はありません(4.5k)本格的な雨になったので、入口の売店でそうめんランチを食べながら雨宿りとしました野菜の煮物が色々と箱に入ったヘルシーなおかずです晴れた夕方、この辺りから柿畑の向こうに見える二上山は絶景だそうです私は昼時でかつ曇天なので、全く見えなかったけど〜〜大神神社〜道行く人が少なくて、しっとりとして静かな山道です寺社の前後は道が舗装されたり手が入っていますが、その他は自然な土道で、多少のアップダウンはあるけれど、歩きやすいですね〜渋谷向山古墳・景行天皇陵〜桧原神社からは雨が上がって奈良盆地が見えだしましたこの辺りは次々と古墳が続き、古墳の脇を通り抜ける様に歩きます小高い盛土の周りを水が張り巡らされたはっきりわかる古墳から、小さい盛土で畑と同化している古墳橋本古墳群と呼ばれています〜行燈山古墳・宗神天皇陵〜Google mapsで航空写真で見ると、前方後円墳や円墳の形がくっきりわかります長岳寺(8.5k地点)9世紀に淳和天皇の勅願を受けて弘法大師が開いたと伝わります早緑が溢れんばかりの境内の奥に、苔がついた笠を被ったお姿の良い大使像を見つけました今まで拝見した大師像の中で1、2のイケメンです南コースは表示板が多く、トイレや茶店もこまめにあって不自由なく歩けますお寺付近には天理トレイルセンターやおしゃれなお店があって、コーヒーでも飲んで一息入れたくなりますよ 〜私は食べたばかりなので、先を急ぎます〜10k地点に大きな屋敷が目立つ集落にきました環濠集落と言って、戦国乱世が生んだ自衛の集落で周囲に用水をかねた濠を張り巡らし、内側に竹やぶを植え込んだ名残だそうです 杉板の壁の家も多く、生活する人の暮らしあっての道、大切に守られてきたんですね〜このあたりも放置田畑はありますが、田植えを前にしてあちらこちらで草刈りをしていましたこの辺りの標高は100mほど西側には鉄道、国道、県道が南北に並行して走っていますが、山の辺の道はそこから少しズレて東側を走っていて喧騒とは無縁です南コースは約16kあと1.5kで石上神社いう地点から突然!すごい石畳の坂が現れますいままで余裕で歩いて来たから最後のこの坂にはびっくり、青色吐息ですスタートから14k、石上神社到着、ギリギリ納経に間に合いました鬱蒼とした杜の中に、朱塗りの本殿奈良朝以前に神宮の号を使ったのは伊勢神宮とここだけだそうですこちらは様々な剣が有名で御朱印も剣の印でした境内にはたくさんの鶏がいて夕方の時の声を上げていました〜二代目・山嵐〜ここからゴールの天理駅まではあと2kあちらこちらに並ぶ天理教の施設に驚きながら本部前を通過、日本で一番長いアーケイド街にもまたまた驚きながら通過、駅近の居酒屋で夕飯にしました翌日は北コース、できるだけ北へ北へと歩く予定です
April 30, 2024
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R 6年 3月30日 土曜日 快晴宿・みかど〜板橋宿〜10k〜日本橋出発 8:30 到着 13:00前日は学生時代の友人と夕飯を食べて、安宿に泊まりました2日目は前日の続き、板橋宿のレトロなお米屋さんの前から歩きはじめます朝の商店街、商品を運び入れたり掃除をしたり着々と順番中ですこの辺りは日本橋から6kに位置し、野菜の供給地でした〜東京種苗〜「種子屋通り」と言われ、ごぼう、人参、大根などの種苗を扱う商家が沢山並んでいました今は立派な大正大学が建ち、かつての面影はないですね〜延命地蔵尊〜延命地蔵、庚申塚を過ぎると、テレビでよく見るお年寄りの交流地、巣鴨商店街実は楽しみにしてたのですなるほど、真ん中辺りにトゲ抜き地蔵さんで有名な高岩寺があるのですねぇ〜広くて綺麗な境内にベンチが並び、憩いの場所になっていますとげ抜き地蔵はお寺の秘仏姿絵を飲んだり(飲めるのか?)患部に貼ればトゲを抜いた様に痛みがとれるとかお守りは昔のまんま風で紙製、安価で庶民的厄除け、開運、虫きり、と3つ求めて後日ハギレで小袋を作って中に納めて手作りのお守りにしました散歩がてらにお参りをして、お土産を買ったり立ち食いで小腹を満たしたり、人気があるのがわかります本郷の追分を折れると、東京大学です日本橋から来ると、右手は日光へ、左手が中山道で京へ向かう道ですね〜赤門〜志村一里塚の交差点と本郷追分の交差点をパノラマで撮ったのですが、添付ができなくて残念です東大の敷地は加賀藩の上屋敷跡、赤門は十一代将軍家斉の娘が前田家に嫁ぐ時に建てられたそうです広くて整然とした道、ビルが立ち並び、大学が幾つもありますなんで歩いているのか?わからなくなりそうです(笑)神田明神に寄り道タイミングよく結婚式が行われていて、桜も開花して華やかな境内です入口の茶屋で冷たい甘酒を立ち飲みして、夏日並の気温でほてる身を冷やします神田川を渡って、三井ビルや三越百貨店などの古き良き建物を見上げながら、まっすぐ進んで行きますあ、日本橋麒麟像が見えてきました暑い中大きな黒いリュックを背負って、休日の街にはチト場違いな私たちも、お構いなしで記念撮影です1603年徳川家康が江戸の町割をした時に日本橋がかけられ、1604年に五街道の起点と定めたそうです今も国道の起点で日本国道路元標が橋の中央に埋没していますが、それは危なくて確認できないので、傍にある複製をパチリ〜複製〜上を走る道路が不評の様で、 確かに残念な景色、いずれ道は撤去される予定だそうです日本橋の上には青空が似合いますもんね〜お腹が空いてきました近くの穴子屋さんで、お祝いご飯です
April 21, 2024
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令和6年3月29日 金 風雨後晴れ浦和宿〜5.5k〜蕨宿〜9k〜板橋宿 計14.5k出発 12:00 到着 17:00宿 みかど旅館寒い日が続いて今年の桜は予報よりかなり遅れました3月の末に中山道を歩いたときの話です歩き始めた日に桜がやっと咲きだして、都会の桜も次々に開花していきました今日は夏日になる予報で、桜は葉桜になりつつありますさぁ〜今回で中山道上り編はゴール、と意気込んだけど夜中からの嵐にテンションだだ下り、予定より出発を2時間遅らせて、前回の続き浦和駅からスタートですが、名古屋の雨雲は一緒に関東へ流れて、折りたたみの傘は逆に折れ曲がりビショビショ、まるでマンガです(泣)駅西口にあるうなぎ屋で、風雨が収まるまでひと休み、早めのランチにしました 浦和はうなぎが有名で、駅周りにはいくつもの店がありますここは柔らかくて甘さ控えめな味で満足です余談ですが…うな重、おすすめの食べ順があるとかで、どの切り身からがいいかわかりますか?雨雲が切れそうなので、スタートします雲がどんどん流れ時折強い雨が降ってきます 浦和宿は江戸に近い為に規模は小さく、江戸時代は旅籠15軒の小さな宿場だったそうです〜調神社〜都心に向かうに従い古い石仏やゆかりの物は少なくなり、あらかじめ本でチェックしておかないと見落としてしまいますほどなく調(つき)神社平安時代からの租庸調の調(みつぎ)物を意味し、武蔵国の調はここに集められました調(つき)は月信仰に結びついて、狛犬もうさぎですね〜焼米を売る茶店があった、焼米坂〜旧道なので路肩が狭いですね〜〜辻一里塚跡〜古い建物がわずかに残っていますが、ガイド本がなければ気が付かずに通りすぎてしまいます一里塚跡はうどん屋になっていました〜蕨宿〜蕨(わらび)宿は1612年にでき、江戸に近いので素通りする旅人が多かったが、荒川を渡る戸田の渡しがあったため、雨が降ると足止めをされた人でとても賑わったそうです蕨(わらび)は、藁(わら)が燃える様の「藁火」が由来だとか〜荒川〜長い階段を上がり高い土手に上がると視界が一気に広がり、荒川です向こうは東京、日本橋はあとわずかです穏やかに流れてますが、水位が上がって土手が決壊したら付近一帯は3〜4mも浸水すると言いますマラソンする人、犬の散歩をする人、カヌーをする人、お散歩をする母子、みんな楽しそうです〜縁切榎〜戸田橋を渡ると太い道路を沢山の車が走る、とても規則的に、東京だ、お江戸なんだ〜荒川を超えた辺りから空は一気に晴れ渡り、気温はどんどん上がっていますちょうどこの時くらいに、やっと関東にも桜の開花が発表されたのでした〜板橋宿 仲宿商店街〜並行して走る旧道・中山道は地元の人たちの生活の道、板橋商店街、仲宿商店街と続いてとても賑やかです昔、中山道を旅する人は日本橋ではなく、普通は板橋宿からスタートしたそうです宿は上宿、仲宿、平尾宿でなりとても栄えていました〜お米屋さん〜今までいくつもの宿場を見てきましたが、面影が無いところ、観光化されているところ、行政がなんとか保存しているところと様々ですでもここは、かつての賑わいが今に続く生活感のある、生きてる宿場!と感じましたもう17時、夕方の買い物かな?帰宅時間? 活気があって、あの店この店とのぞいてみたくなりますよ
April 14, 2024
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2023年11月25日 土曜日 天気 晴のち曇スタート8:30 ゴール15:003日目 15k 北上尾駅〜2k〜上尾宿〜7.8k〜大宮宿〜4.9k〜浦和宿2泊3日の区切りの中山道歩きも最終日、あっと言うまですが、私の足にはこの位が丁度です宿のザ・セレクトン北本駅前店は本当に駅真ん前、この辺りには宿が少ないのでありがたい宿でした安いうえに、夜なきラーメンのサービスがあり、大風呂があり、ちょっと水道管の音が気になりましたが、寝てしまえばへっちゃらです昼から天気が下る予報、さてどうなるでしょう2k歩いて上尾宿ですここは日本橋から一泊目の宿、遊興地で飯盛旅館が多く賑わったそうだが、1860年の大火でほとんどが焼失し面影はありません〜氷川神社〜8k歩いて大宮宿 車道沿いには商店が並びこの辺りは歩道が多くて歩き易いですねコロナが五類になって、中山道を京に向かって歩く人が増えています20人ほどのグループの初老の方々にすれ違いましたが、背中は小さなリュックなので日帰り歩きですねそういえば、この辺りはやたらと床屋💈美容院が多かったのです、不思議ですね大宮宿には平安時代から続く武蔵国一宮の氷川神社があります今回の区切りでは、氷川神社と荒川の土手が心に残ってます旧中山道164号線を左に曲がり裏手の大宮公園から神社に入りました境内は七五三参りの親子がいらして華やかです江戸時代初期までの中山道は神社の参道を利用していました参道を街道にすることは恐れ多いとする宿の意見を受けて、関東郡司が1628年西側に付け替え、参道沿いの宿や家40軒を新しい街道沿いに移転させましたこれが今の車道となり、大宮の名は神社の参道から始まったと言われてます大宮宿は本陣2軒、脇本陣9軒参道は2kと長く、30種類700本近い樹木があり、江戸時代は松が多く、明治からは杉、最近は汚染に強いけやきが多いとか参道の両脇に樹木、その外側に車道や住居・店舗が並んでますこの頃はまだ紅葉が残っていて気持ちよく歩けました〜一の鳥居〜二の鳥居で西側に並行する車道の中山道に移動しますこちらは商店街になっていてとても賑やかです大宮では是非うなぎ!と思っていました何件もあるお店の中から選んだのは<小室屋>さんこじんまりしたお店を優しいご夫婦が営んでますこの日は奥さんが出かけていて、ご主人ひとりで回してました長く待つ時間も気にならないお店の雰囲気です関東の蒸してから焼くうなぎは、西の生から焼き上げるうなぎとは全く違う口当たり柔らかくて口の中でクリームの様にとろりと溶けていくようですさいたま都心駅には日本最大多目的ホールのスーパーアリーナがあります開発された町ですね、歩道も整備されてます〜一本杉〜 都心に行くにしたがって、昔を偲ぶものは更に減っていきます石碑石仏はどこにあるのだろう…歩道に不似合いな見落とされそうな一本の杉の木、父の仇討ちが行われた場所で、幕末最後の仇討ちとして有名ですが、かろうじて…と言う感じですこの先は線路づたいから離れるので、今回は浦和駅でお終いにしました浦和宿の後は、蕨宿、板橋宿、そして日本橋です次回は春、中山道上り篇を上がる予定です
January 24, 2024
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1月の半ば、お稽古先の初釜がありました初釜は年が明けて最初のお茶会、初めて釜をかける事から<初釜>と呼ばれるようになったそうです行われるのは1月の中旬ですお稽古先では5〜6回の初釜を催され、この日は10人の生徒さんが参加しました男性は2人、大先生の生徒さんが6人、若先生の生徒が4人です年長は70才位、年少は40才位、私は真ん中あたりで席順も真ん中あたりです年長の男性が主客(一番目)経験の長い女性がお詰を受けてくださいましたよっ!よろしくお願いします、ペコリ〜薄茶の干菓子〜開始は10時ですが、早めに訪問して待合和室で静かに待ちますそこへ香煎が運ばれ一服お庭に出て寄り付きへ、ご亭主のお迎えを受けて中へ進み、手水舎で手と口を清め、小間の茶室へにじって入ります3畳ほどの茶室には床の間に掛け軸、結び柳、炭が飾ってありますそれを拝見、棚の夏目も拝見して、大広間へ進みますここでも床の掛け軸と炉の釜、棚のお道具を拝見し順々に座りますご亭主の挨拶を受け、まずは炭手前、綺麗な備長炭にはそれぞれ名前があるんですよ火がつくと、中に置いたお香も燃え始めいい香りが立ち込めます次は軽いお食事、会席料理ではなく懐石料理で、お酒もあります、ニタリ。あくまでも、茶事が主役の初釜なので、食事は負担のない程度の量です食べ終えると濃茶に備えて生菓子(主菓子は花びら餅)をいただきますご亭主の案内があり、再度釜、棚、床の間と拝見をして一度退席、小間でも拝見して路地をでます寄り付きで待っている間に、先生おふたりは広間のお掃除をして軸、花、飾り物を替えてくださいます銅鑼の音が聞こえたら再度お庭を通り身を清め、小間広間と進みます床の間には椿、再度、床、棚、釜を拝見して順番に座ります代々のお家元のお道具や辰年にちなんだ龍のお道具、金銀の模様の入った華やかなお道具、なんでも鑑定団みたいです炉の中の炭が今❗️が盛りと紅くなっていますご亭主が濃茶、普通の3倍ほどの抹茶を使うので丁寧に練る様に点ててくださいますコロナ前は大ぶりの茶器で3〜5人が順番に回し飲みしていましたが、今は各服と言ってひとりづつ点てますう〜ん♪美味しい〜全く苦くありません、むしろ甘い続いて薄茶、干菓子2種は登り龍の薄焼きと水色の雲の有平糖(あめ)薄茶をいただいて、また逆に拝見をして小間、路地へ、ご亭主のお見送りを受けて待合和室へ戻ります全てが終了したのは2時、約4時間のお茶会でした時節の挨拶やお道具、お茶やお菓子の話などご亭主と話のキャッチボールをするのは主客、拝見などでお道具は順に左へ左へと渡るので末席は全体の流れを見て補助をする縁の下の力持ち、お詰おふた方、ありがとうございました、お疲れ様でした、ペコリこの日の着物は祖母の形見の訪問着とへそくりで作った織の袋帯初釜では、未婚女性は振袖、既婚女性は紋付の色無地や小紋、付け下げ、訪問着、男性はスーツや袴が適当です新春のお祝いの席に合う、華やかな感じが素敵(吉祥文様が入っている着物や帯、金や銀の入った色使いなど)洋装でもOK、清楚な雰囲気のワンピースやスーツですねふぅ💦着疲れしましたが、非日常的な異文化体験、楽しい時間でした思いやりと気づかいが大切な茶道、自ずと所作が身についていく…といいのですが、なかなか身につかず記憶力は弱まるばかりですが、継続は力なりです、よね
January 21, 2024
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冬は献血🩸される方が少ないため協力のお願いPRが増えます私がするのは400mlの全血ですでも献血コーナーで勧めるのは成分輸血実際に採血している時間(血を抜いている時間)は普通の献血で10分位、成分輸血は1時間近くかけます血液の不足は、この年末年始と暑いお盆の頃私の献血は不足になる時期に、年に2回のペースでしてます400mlの献血にも慣れましたが、今も献血は200mlと思っているかたが結構います昔のイメージと違って献血は随分変わりました利用するのは名古屋駅前のゲートタワービル26階ですとても綺麗で広くて静か、予約をしておけば全て済むのに1時間もかかりません事前の検査や採血中の機械も改良されて、無駄なく安全に行われています私達の血液は急な手術や事故に直接使われる以外に、製薬会社で薬になったり研究に利用されたり、血液を使う機械機材の開発などにも利用されているそうです私の唯一?のボランティア高校生の頃から献血をしたかったのに貧血傾向があるので、できる様になったのは生理がなくなってからです💦若い頃ヘモグロビン値は8位でしたが、更年期を過ぎたら13以上と男性並みです献血前の問診と水分補給、献血後の水分補給と体調確認にしっかり時間をかけますいつも暖かい飲み物を飲みながら大きな窓から眺めるのは濃尾平野多度山と左手に四日市コンビナート、その向こうは伊勢かな手元に目を落とすと、新幹線ホームが見えます西口は着々とリニア駅の開発工事が進んでいます〜八かく庵の窓から〜そしてお楽しみ、自分へのご褒美は駅ビルのランチですこの日はセントラルタワーズの豆腐と蒸し料理の<八かく庵>ちと、少ないかな…と、思ったが、手作りおぼろ豆腐がお変わり自由だったので充分満足でしたでは、次回は夏、次は何を食べようかな
January 12, 2024
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今年、健やかで心穏やかな日々となります様にお祈ります元旦の夕方、家族が集まって早めの夕飯を食べだした頃でした今年はお節に、初めて鯛の姿焼きと赤飯を加えてみましたしばらくして〜グラッと一発目、その後ずっとグラグラグラグラ…長かった💦家中の携帯が警報音を鳴らし続け、東日本大震災の揺れと似ていて、心のザワザワが止まりませんでした能登半島の被災の様子が徐々にわかってきて、新年早々の災いに今年はどうなってしまうのか、不安になってしまいます〜金華山〜二日は晴れたので、恒例の岐阜城登山に行くことにしました暖かくて、ジャンバーもマフラーもいりません金華山はH329m.山頂には岐阜城があります登山・ハイキングコースは10コースあり、岐阜公園から登る登山道は4つあります道の状態もいいので、久しぶりに馬の背道にしました金華山の正面、西側にある公園の左手から入るコースです くねくね登ると丸山という広場に出ます ここで北側に廻り込む<水手道>別名めい想の小径と、一気に登り上がる<馬の背道>に別れます ちなみに公園からの登山道は 難易度の高い順に、馬の背道、百曲がり道、瞑想の小径、七曲がり道、30〜60分かかります余談ですが…ロープーウェイという手段もありますよ😊広場で腰を下ろして一休みそこへリス🐿️がチョロチョロ〜何年も登っていますが、初めて会いましたかなり慣れていて、手からポップコーンをもらっています頂上のリス園から逃げたのだろうか?聞くところによると、麓にある北側の神社の方に住んでいて1日何往復もして餌をもらいにくるそうですさて、荷物をまとめて、手袋をしてスタートです 丸山から馬の背道を登るのは20人に1人いるかいないか、ほとんどはめい想の小径へと進みます 馬の背道はチャートという岩が特徴 手すりも鎖場もないので、岩が次々と続く時は四つん這いになってよじ登っていきます 私より年上の人は会わなかった様な…若者や少年達はピョンピョンと登っていきます若いってすごい!羨ましい!〜チャート〜 金華山はチャートという硬い岩石からできています。チャートは、深海底で堆積した微小な生物(放散虫など)の死骸等が固まった岩石で、地球のプレートが動いて、表面に現れた岩石ですチャートの岩はカードの様に斜めに重なっていて、足をどこに置こうかと考えながら登りました稜線が見えて明るくなってきましたチャートがなくなり岩に変わると頂上はもうすぐです階段を上がると大手道にぴょこんと出ましたこの日は雲一つない快晴、そのうえ無風馬の背道では腰を下ろして一服する様な場所はなかったので、ベンチに座って汗が引くのを待ちましたコロナが五類になった、暖かいお正月だけど、意外に山頂は空いていますコロナで自粛していた時の方がずっと混んでいましたね〜高山ラーメン〜頂上のレストランでお昼ですここからの眺めはとても良いのでお気に入り、この日も長良川からはるか向こうの山並みまでよく見えました帰りは大手道である、よく整備された<七曲り道>を下りました年が明けてから地震、航空機火災、商店街の火災と辛い事が重なり悲しくなります命が何より大切ですね
January 3, 2024
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2023年11月24日金曜日 天気 晴れスタート8:30 ゴール16:302日目 22k行田駅〜4k〜鴻巣宿〜7.2k〜桶川宿〜11k〜北上尾駅中山道歩き、2日目も季節外れの暖かさです東横イン熊谷ホテルは駅近で綺麗、無料朝食も期待以上のいい宿でした昨日の続き行田駅で下車、久下一里塚跡からスタートします荒川の土手下の草っ原に朝露がおりて一面に白い小花が咲いているように輝いています、綺麗だな〜今回の歩きの中でお気に入りのひとつがこの土手道、清々しくて得した気分で歩きます土手は眺めの良さと追い剥ぎで有名だったとか💦荒川堤を降りた所にお堂がありました(昔の地図にある赤い点)権八地蔵です立て看板には言われが書いてあり、まるで時代劇で見た様な話です〜権八地蔵〜権八が金に困り・地蔵の前で上州の絹商人を殺し300両を奪ったこれを見ていた地蔵に「他言するな」と口封じをすると、「わしは言わぬがおぬしも言うな」と答えた事から物言い地蔵と呼ばれた権八はその後1680年に捕らえられ鈴ヶ森の刑場で磔の刑にされた〜高崎線〜吹上・間の宿は高崎線を越えた所に説明板と長椅子があるのみです幕府公認の宿場ではなかったが、熊谷宿〜鴻巣宿間が16kと長かったので、休憩の場のお茶のみ本陣や馬次の立場が必要で賑わったそうです今は線路や道路工事で中山道は分断されて面影は全く残っていません前砂の一里塚跡は標柱があるだけですが、かつてはこの辺りから富士山が見えたそうです〜鴻巣宿〜鴻巣は村人たちを救ったコウノトリを祀ったこう神社が地名のルーツ戦国時代に伏見の人形師が住み着いたのが始まりとか、380年の雛人形造りの歴史と伝統を誇る町です産業観光館「ひなの里」は真新しい建物で中庭は休憩ができトイレもあります鴻巣にはお店がおおいのて゛ここらて゛ゆっくりと昼飯にしました〜小林家〜鴻巣宿から7.2k歩いて桶川宿です桶川は紅花や麦の集積地で、旧道沿いには江戸末期の古い建物が残っています小林家は江戸時代の旅籠で国登録有形文化財、その玄関先に奥さんと職員さんが並んで道向こうの古い建物を見ています〜矢部家〜向かいは矢部家、塗りや造りの蔵のある商家で店と住居が一緒になった建物です…でも、落ちかけた軒をつっかい棒で支えて、まるで松葉杖みたいです三人はずっと見つめて話していました維持するのは大変、修復するのもまた大変です〜お茶屋さん〜住宅に挟まれて残るのはお茶屋さん、すでに廃業した旅館もあります高崎線と並行する164号線を歩いてきましたが、そろそろ陽が傾いてきましたこの時期はあっという間に陽が暮れる、北上尾駅に向かう事にしましたその交差点の手前に黒板塀に囲まれたと〜っても広い敷地の家がありました紅花の中買をしていた豪商の須田家です人が住んでいるのかわかりませんが、庭?の木は森の様に茂り道路まで覆い被さっています晩秋、もうすぐ12月、木々の紅葉が寂しげでした宿 ザ・セレクトン北本駅前
December 16, 2023
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2023年11月23日 晴れ深谷駅〜11k〜熊谷駅〜5k〜行田駅出発10:00 到着16:00 〜深谷駅〜中山道歩きもいよいよお江戸近し!となってきました11月22日〜24日の2泊3日、前回の続き、深谷駅を10時にスタートです深谷駅は深谷のレンガを使った東京駅をモチーフにしたおしゃれな駅舎です深谷は大河ドラマの主人公、次の一万円札のお顔になる渋沢栄一氏の生誕地で、明治20年渋沢氏達によって日本で初めて機械式レンガ工場ができたそうです〜深谷宿〜深谷宿は東の常夜灯〜西の常夜灯まで1.7kとなりの熊谷宿が飯盛女を置かなかったのでこちらに沢山の女性が集まってきたそうです今までは山並みを眺めながら歩いてきましたが、浅間山もはるか後方にかすんで、目印はビルに変わってきました道も緩い下り坂はなくなり、ほぼ平です大型車は並行する17号線を走るので、地元の道は自家用車が主で安心して歩けます次の熊谷までは11k、季節外れの陽気で暖かくて助かります住宅地が続き17号線と合流したところにあった食堂で昼飯にしました(13:00)〜お蕎麦・増田屋〜地図本にも載っているお店で昔から地元に愛されてきたのがわかります手頃な値段でがっつり系なので、男性客が目立ちます鍋焼きうどんの出来上がりまで、ゆっくり休む事ができました〜左・中山道 右・17号線〜今回は道沿いに寺社や公園がないので、腰が下ろせなくてただただ歩きましたと、言ってもやっぱり時速は3kほどでしたが💦〜八木橋デパート〜住宅街に目立つデパートに突き当たると建物に沿う様に道が曲がっています実はこの建物の東口〜西口間が旧中山道だっだそうで、両入り口に「旧中山道」の大きな石碑がありました〜熊谷宿 札の辻〜熊谷宿は明治17年の火災と昭和20年の戦災で跡形もなくなってしまいましたそういえば線路や道路で宿場を偲ぶ様な古い建物や石碑などもめっきり目にしてません案内版もほとんど見かけず、あっても小さかったり古かったり…中山道を詳細に書いたピンクの本でチェックしながら歩いていても、気付かずに通過しています〜元荒川の熊谷駅が近くなると17号線から離れて旧道に入ります1日目は駅前の東横インホテルを予約したので通過した時にリュックを預けちゃいました途中の道わきに澄んだ小川があります、元荒川です湧水が流れているそうで、世界で熊谷にしか生息しないムサシトヨミと言う小魚がいるそうです、が私は未確認でしたぁ荒川の土手に上がります土手は2段の舗装道になっていて、中山道は下の道、(こちらは車も通ります)でも上の道を行きました上の道は車止めがあるので、お散歩するかたや自転車の人がのんび歩いてますとても広い河原で荒川の流れは全く見えませんこの日初めて開放的に歩きました土手を延々と歩いて吹上駅まで行きたいのですが、途中で日没になりそうなので、手前の行田駅までにしました土手は一面のススキ、もちろん街灯も人気もないので、暗くなったら大変ですライオンズマンションが見えたら土手を降りて駅に向かいます右手に夕日、左手に白い月、一面にススキ、胸いっぱい空気を吸います 行田駅から熊谷駅に戻り、駅近のやきとり屋で夕飯にしました高崎と同じで、この辺りの串焼きは鶏肉でなくて豚肉なんですね熊谷駅の周りには飲み屋がいっぱいなかなか決まらすにぐるぐる回りましたが、窓から列車が見える小さな、でも良心的で美味しい「つのいち」にしました
December 3, 2023
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今夜、「どうする家康」はいよいよ関ヶ原の合戦ですね視聴率が低いとか、史実に基づいてないとか、大河ドラマは色々と言われますそれだけ話題になっているのですよ私は今までとは違う家康と武士団を楽しんでいます地元にいながら、規模が小さくて地味なのか?知ってはいるけど行った事が無い人が多い小牧城へ行ってきました以前から、堀や土塁を見たかったので久しぶりのウォーキングも兼ねて、ちょっと外歩きです小牧山は小牧市の中央にあり周囲を市街地に囲まれたH86mの可愛い小山です戦国時代に織田信長が城を築いて沢山の曲輪を作り武家屋敷を配置して、南側に城下町を整備しました信長が居たのは4年ほどで、岐阜に移った後は廃城、城下町も廃れていきました〜帯曲輪跡と右手の土塁〜17年後、小牧・長久手の戦いで織田信雄・徳川家康連合軍が陣を置いて、城を囲む堀や土塁を作り強固な城にして豊臣秀吉と戦いました今も遺構が良好に残されているので史跡になっています〜信長の頃・永禄期の城の予想図〜〜家康の頃・天正期の城の予想図〜北側駐車場から入ります、虎口だった所です山頂までは30分たらずで登れてしまいます大手道コース、自然満喫コース、からめて道コースと三本の散策コースがあります自然満喫コースを通って東側から南側へ向かいますこの辺りには昭和22年〜平成10年まで小牧中学校がありました今は広い芝生公園になり親子がのびのびと遊んでいました正面の南側には資料館<れきしるこまき>がありましす 以前、小牧市役所があった場所ですここは子供や歴史がいまひとつ…という大人にも視覚聴覚を使ってわかりやすく小牧城を紹介してくれますほんと❗️今風❗️模型や映像を使ったすごい資料館です〜小牧城へ〜資料館を出て、大手道コースを上がります以前、城好きの昇太さんと千田先生が興奮して解説していた土塁が拡がってますとても綺麗に整備されていますからめて道コースへ折れて山頂を目指します緩やかな坂を少し登ればすぐに城が見えてきます南側には今も発掘中でブルーシートがかけられた入れない箇所がありました発掘や工事で出てきた沢山の石はまとめられ、いずれ石垣を再現するときに使われるそうです江戸時代以降、尾張徳川家は一般の入山を禁止して小牧山を保護してきました昭和5年徳川義親氏が小牧町に寄贈されたそうですこれが小牧城です💦S41年、名古屋の実業家・平松茂氏が山頂に城を建てようと発案、西本願寺飛雲閣をモデルにした鉄筋コンクリート造の城を建て、S43年小牧市に寄贈されました内部は歴史館となっています三階建の天守閣からは四方に尾張平野が丸見え状態、ここが戦いの要なのは頷けますね〜南側、小牧市役所〜う〜ん💦天守閣は資料が残ってないので、復元ではありません潔く、何もない方が良かったのではないかな〜と、私の感想です、ペコリ。〜空堀〜木立の中、静かなからめて道コースを下りますコース道はよく整備されていて各所にトイレや休憩所があって、ゆるやかな坂や芝生が足に優しく、雑木林は季節を感じさせてくれます市民に愛される公園ですねもうこれ以上近代的に整備保存をしない方が、本物がある平城ではないかなぁ〜ウォーキングより、<れきしるこまき>で過ごした時間のほうが長かった小牧山でした遅いお昼は小牧山の北側にある蕎麦屋<三八屋>でわんこ蕎麦をいただきました
November 6, 2023
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高知出身の牧野富太郎さんの朝ドラらんまんも残すところわずかになりました朝、優しい穏やかな気持ちで1日がスタート、楽しく見せていただきました高知の牧野植物園は、30番・善楽寺から31番・竹林寺を結ぶ歩き遍路道が敷地内を通っています早朝にお庭を抜けた時、ラジオ体操の音が流れていました毎朝仕事初めに職員方がラジオ体操をしているのです多分、今も。草花は心癒されますね写真は9月のお茶の稽古の時に、床に飾ってあった籠花です素敵な山野草の組み合わせに、みんな歓声を上げてしまいました涼しげです山しゃくやくりんどう斑入りすすきわれもこう野菊男郎花金水引真ん中の「私を見て!」という個性的なのは山しゃくやくの実ですざくろの実がはじけたみたいです春によく見る芍薬は観賞用に改良されたもの芍薬は昔、中国から薬用として入ってきて、その後改良が重ねられて今の様な沢山の花びらをもつようになったそうです 山しゃくやくは野生種で、赤い実は結実していない種、黒い実は結実した種です急に秋ですねぇ〜夜は涼しくて窓を閉めて寝ています十五夜は29日ですね
September 27, 2023
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手術翌日、朝食を食べたのを確認すると点滴はおしまいベットに寝たまま大部屋へ移動してくれる誰もいない大部屋、窓側が私の位置、それから順に2人移動してきて4人部屋は3人となった他の方も状態が安定したので個室から移動してきたようだ私は入院前から大部屋希望の申込書を出していた綺麗な部屋八階からの景色は開放的で気が晴れる昔、ベット周りのカーテンは夜だけ閉めていた大部屋で仲良くなった患者さんたちは、将棋をしたり、編み物をしたり、折り紙を教えあったりしていた動ける世話好きな人が、老人や動けない人の世話なんかもしていた子供の頃、祖父母の見舞いに行くと、同室の患者さんに可愛がってもらった記憶がある、もう50年も前の事今はプライバシーだね、カーテンでベットの回りをぐるりと閉めている一人の方とは退院まで一言も話さず、顔もろくにみなかったまぁ〜そんなもんか、その方が気楽と言えば気楽手術1日目、もう自由に病棟内を歩いていいですよ!と言われたけど、部屋横のトイレがやっとで、全く動く気にならないベットの上でイヤホンをつけてテレビを見たり寝たりの繰り返し身体が重くてあり苦しい全身麻酔のせいだろうか、体に刃物を入れたダメージだろうか、それとも内視鏡手術で腹腔内を膨らませるために入れたガスがまだ体内に残っているのだろうか何もしたくない、ゴロゴロダラダラ、ただ時間だけが過ぎていく感じ動かないせいかご飯もまずい翌日はお粥、2日目からは普通食になったけど、食欲がない食中毒を防ぐため、野菜には全て火が通っていて、生野菜果物は並ばないおかずの色が悪く、味付けも工夫しているのだろうが、変わった味付けで美味しいのかなんなのか…カロリーが満たされて、栄養素は十分なんだろうが〜食べれない座っているだけで、お腹の皮が張ってきて、途中で食べるのを放棄してしまう昼も夜もなく寝ているだけでも疲れる、横になっていることがこんなに大変とは世の中にどれだけ寝たきりの人がいるだろう毎日毎日ま〜いにち、寝てる辛さでも心は動いている、考えている、感じている2日目、女医さんから、順調なのでいつ退院しても良いと言われるえっ、もう?事前の予定表では5日目に退院となっているけど自信がなくて、せめて排便を確認してから退院にしてほしいと申し出る手術前日にあんだけ下痢にして、ご飯は半分くらいしかとれてないからそう便も溜まってないだろうこのまま病室の生活でもいいかな〜なんて排他的になる若いナースが度々訪室に来るどの患者さんにも離床を促す90才の女性にはリハビリの方がきて、歩く訓練をするシャワーの許可も出て、少しふらつくが入ってみたまじまじとお腹の傷を見ると、おへそに器具が入った穴の傷、それと並行して左右に二つづつ計四つ、ガスを入れる穴の1センチの傷、パンツのゴムで隠れる様に位置を工夫されている様だ昔の様にガーゼははらずに、透明の医療用ボンドがペタペタと傷に貼ってあるだけ疑心暗鬼だったけど、このコーティングはひと月過ぎる頃に、日焼けの後の皮剥けのようにポロリポロリととれた3日目、便意がある気がするのに力が入らない、情けないマグミットと言う薬を一錠飲んでみる翌朝、楽に排便できて気分もスッキリ、日にち薬とはよく言ったもので、体も軽くなり、あのご飯も美味しくなってきた(味付け海苔とふりかけの差し入れに助けられた)明日、退院します、と申し出て、入院は6日だったナース方は20〜30代の若い子が多く、接遇もよく、ハキハキと業務をこなしていたほとんどの方がこの数年、コロナ禍の中で懸命に働いていたはず三次救急で働く医療スタッフの方がた、ありがとうございました色々と体験のできた入院生活、床上の時間が十分あって色々思う日々でした
September 20, 2023
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8月の初め、台風が過ぎた翌日、雨をたっぷり受けたせいか、季節の変わり目がわかるのか、葉っぱばかりだった蔓に朝顔がいっせいに咲いた暦では立秋、朝顔が秋の季語と知ったのはつい最近だ今日から9月、あれから毎朝、涼しげな花をつけてくれているお盆休みを利用すれば職場にかける迷惑が少なくて済むと思って、ずいぶん前から手術の予約を入れてもらった大病では無く、いわゆる老化現象で入院は一週間とはいえ全身麻酔でもちろん挿管(人工呼吸器)をしてバルンカテーテル(尿管)も入れた今は負担の少ない内視鏡手術が増えたのですね〜そして、主治医から当日空いていたら機械を使用しますと話されていた、ダビンチを使った手術となったいつか自分も手術台にねるのだろうか…主治医、麻酔医、ナースに囲まれるた景色はどんなだろう…麻酔でスーッと意識が落ちるのはどんな気持ちなんだろう…麻酔から戻る時はどんなだろう…傷はどのくらい痛いのだろうか…30年前、緊急手術になった父親を思い出した手術室に入る父の「まな板の上の鯉だ」と言った姿はなんとも哀しげだった手術は10時から、歩いて手術室へ入り自分で手術台の上に上がる広い部屋の隅にカバーされた大きな機械、あれがダビンチだな主治医、麻酔科医、ナース2名、男性2名(サブの先生と研修医だろうか)主任看護師の名札のついたナースが手の甲に点滴を刺してくれた前の日に部屋まで説明に来てくれた麻酔科の女医さん、主治医の女医さんと話したら少し安心する話をしていたが急に意識がスーッとした「先生、何が入れましたか?」ナース「まだ、麻酔してませんよ」麻酔医「いえ、少し入れましたよ」あっ、そうか…と、思ったらもう病室に戻っていた15時半、予定通りの時間だった同僚から〜内視鏡は傷痕がほとんど目立たなくていいけれど、ガスでお腹を膨らませるから2、3日は残っているガスが抜けきるまで、体が張って痛いよと聞いていたこの体のあり苦しさはその為だろうか?身の置き場が無くて体を投げ出して一晩中ゴロゴロ動き回るその同僚は〜人工呼吸器を抜く時は、麻酔が切れ出していたのか、深い水の底で溺れて顔を出そうと必死でもがいた夢を見たのを鮮明に覚えていると言ってたところが私は、全く覚えていない知らないうちに抜管されて、幸いなんともなかった喉の奥にメロンを食べた時にヒリヒリする様な感じが残っていたが、それも翌日には無くなり、黄色いどろりとした痰が2回出ただけだった下肢に血栓ができない様に、エアポンプを膝下につけていたので、一晩中空気の音が個室に響いたプシュ〜プシュ〜絶え間なく朝までずっと加圧された傷のせいか、麻酔のせいか、ガスのせいか、エアポンプで寝不足のせいか…次の日はだるくてだるくて辛かったあぁ、こんなに辛いならやめておけばよかったあと20年位我慢して老いていく方を選べばよかった、ぼーっと考えていたら、日勤の看護婦さんが来て次々と本日の予定がこなされていく指先の心電図モニター回収、エアポンプ回収、流動食が食べれたら点滴抜去、尿管抜去、タオルで清拭をして病室着に替えたら、ベットまま個室から大部屋に移動医療は日進月歩してるんだ!入院前の確認事項で、私はあえて大部屋を希望した退院まであと4日、つづく
September 1, 2023
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5月6日 曇り時々晴れ 本庄駅〜深谷宿・深谷駅 11キロ 出発9:30 到着14:305月の連休の週間天気予報はいまひとつだったが、歩き始めたら1、2日目はよく晴れました3日目、本庄駅を降りて前日の続きから歩きます夕方には雨が降り出す予報だが、広がる雲の間から時折陽がさして気温はどんどん上がってきました!〜宝珠寺〜車道からお寺の朱色の山門が見えます参道の木立の緑に映えて美しいこの日は暑過ぎて寄り道する気にもならず、そのままスル〜日の出地区に入ると畑が一面に広がります今は何もないけれど、この辺りの名産の大根が植っていたのかな?風を求めて、土手を歩くことにしました最終日は歩けるだけ歩いて東海道新幹線を使って今日中に帰る予定だったけれど、相方が肉刺が潰れてテンションだだ下がり💦 四国では二日目に肉刺ができたもので、運悪く潰れても次の日もなんとか歩いちゃう私だけど、経験のない相方はビビりまくり〜 更にこの暑さがやる気を削いでいるようで、歩くほどに口数が減ってきています(これ以上はダメかなぁ?)なんて内心思う〜滝岡橋〜1928年造設 鋼製八連橋 国の有形文化財の滝岡橋を渡って岡地区に入って行きますこの辺り、旧道と道の駅のある車道が交わっていて、木の茂った坂道はわかりにくく、幕末に建てられた庚申塔群を見損なっていました、残念馬頭観音の向かいに、歩き人にはありがたいお休み処があると聞いていたので、楽しみにやってきたけど休業中、残念たまたまいあわせた店主さんと話せましたが、いつか再開したいと言ってました〜正明寺〜旧岡部町を歩くと岡部藩や岡部六弥太忠澄氏にゆかりのある寺社や石碑があります岡部六弥太忠澄…どなたでしょう?調べてみました〜滝澤酒造 菊泉〜この辺りには武蔵国を中心に勢力のあった武士団、七党のひとつの猪俣党があり、保元の乱、平治の乱、一ノ谷の戦いで活躍した猪俣小平範綱と岡部六弥太忠澄が有名 源義朝、頼朝、義経に仕え、木曾義仲を追討し一ノ谷では平忠度を討ち取った(資料参考)800余年の時を経ても地元の方に大切に崇められていますね〜深谷宿〜 顔がポッポと火照り出し、気温がかなり上がってきたのがわかりますこの日の予報最高気温は28度最高気温がよく出る熊谷はすぐそこです多分日陰のない車道の上は30度近くになっていたでしょう💦〜七ツ梅酒造〜手元の中山道の本は2019年春に発行されたもので、載っているお店は5年は前のもの、その間にコロナ禍が続いたので閉店したお店がありましたボーっと歩いてきて、思わずうなぎ屋「うな和」に吸い込まれる様に入りました主ひとりでまわしているから時間がかかったけど、丁寧に接客してくださり、ゆっくり休めて腹ごしらえができました〜七ツ梅酒造の再利用〜うなぎを待ちながら、今回は無理せずには深谷駅をゴールにすることに決めました深谷宿は舟運の中瀬河岸を控えて商人町として発展し、江戸を出立した旅人の二日目の宿地としてとても賑わいましたひとつ手前の熊谷宿が飯盛女をおかなかった為、深谷にはたくさんの女が集まったとか…東口と西口には常夜灯があり、その間1.7キロの宿場には江戸時代から昭和初期の古い建物が残っています明治20年郷土の渋沢栄一たちによって、日本で初めての機械式煉瓦工場が造られた煉瓦の町三件あった造り酒屋、滝澤酒造、藤橋商店、七ツ梅酒造の建物がしっとりとした街並みを作っています七ツ梅酒造は、元禄7年(1694年)に近江商人の田中藤左衛門が創業した酒造です創業以来300年の歴史を有し、県内でも1、2を競う老舗蔵元でしたが、2004年(平成16年)に廃業し、現在は所有者の意向を受けて、一般社団法人まち遺し深谷が、この歴史的・文化的な施設の保存および運営・管理を行っています昭和の映画セットの様な建物には、食べ物屋、古本屋、古着に雑貨…映画館までありましたが、維持していくのは大変でしょう 深谷の信号を曲がり、深谷駅でゴールにしました深谷駅は東京駅を真似た煉瓦作りの可愛い駅舎でしたそのレンガに向かって立ちションしているおじさんに遭遇して、今の時代そんな方かわいるのかとビックリしました昭和をたっぷり味わえましたよ
July 29, 2023
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倉賀野の追分を右手へ、県道121号を進むと国道17号と交わります意外に中山道沿いにはお店がないので、交差点近くのラーメン屋でお昼にします烏川にかかる柳瀬橋を渡って土手のサイクリングロードを歩きます妙義山とかすかに浅間山が見えます土手を散歩していた地元のおじいさんが、この辺りに〈柳瀬の舟渡し場〉があったんだよと、指をさして教えてくれましたおじいさんが若い頃には船着場が残っていたが、今は名残りのものはありませんいずれ覚えている人もいなくなってしまうのですね陽が高くなってたまらず、関越自動車道の高架の影で腰を下ろて一休みここから11番目新町宿に入ります上野七宿の東口で渡しを控え宿場がないのは不便とのことで、中山道が開かれた後に落合新町と苗木新町が合わさってできた宿場です〜川端家〜静かな生活道を進むと、ひときわ目立つ建物がありました国有形文化財の川端家です江戸時代の豪農で、明治になると生糸の貿易で財を成したそうです面影がありませんが、この辺りは一面に桑畑が広がりたいそう養蚕が盛んでした〜八坂神社〜かつて鳥居脇には柳の大木があり、柳茶屋があったと言う八坂神社すぐ先の左手には陸上自衛隊新町駐屯地が広がります5月初めとは言え日差しが強くて午後になると暑さが身にしみますどこか喫茶店で一休みしたい!けど、この日は道沿いにそれらしき店がありませんまち歩きを延々と続けていると、時折ある寺社や古い建物、石塔に癒されます神流川を渡り、392号線を行くと高尾歩道橋を右折、金鑚神社の前の赤煉瓦の歩道には中山道の宿場名が並んでいましたあれ?順番違うんじゃない?と、思うのもありましたが、記憶違いかな?中山道と信州姫街道の追分だった交差点を左へ、ここから本庄宿です〜金鑚神社〜本庄は中山道の中でも一番大きな宿場でした本庄は室町時代に本庄城が築かれ、その後徳川の家臣が城主となるが廃城、江戸幕府領地となって発展したそうです幕末から明治には繭の集散地として更に発展し、当時の繁栄を思わせる建物や蔵が沢山残っていました〜宮本町 蔵の街〜とても素敵に保存されている蔵の横には、案内板があり、大正時代の写真と丁寧な説明がありましたモノクロの写真の日差しがある蔵が上の写真の一の蔵です一の蔵から三の蔵があり、この付近一帯は江戸時代は穀屋と言う名前で穀物や醤油を扱い、旅籠も経営していました明治から平成と酒問屋の支店でしたが、閉店後は蔵の街として保存されています〜案内板参考〜〜旧本庄商業銀行 煉瓦倉庫〜明治27年建立された煉瓦の建物は今は休憩所として開放されていましたローヤル洋菓子店で休憩したいのですが、もう17時を過ぎています本庄駅が近いので、二日目おしまいとしますこの日もよく歩きました〜電車で戻って、この日も高崎に泊まります令和5年5月5日 晴 23キロ高崎宿〜6キロ〜倉賀野宿〜6キロ〜新町宿〜11キロ〜本庄駅出発 8:30到着 17:30宿 ホテル高崎123
July 22, 2023
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5月5日二日目、晴れ、サンルート高崎を8時出発今回の二泊三日は、深谷あたりまでは行きたいと予定しているのですがさてどこまで行けるでしょう高崎は商業が盛んな城下町でした 宿場は三国街道、信州街道の分岐がありとても賑わいました旅籠は15軒、大名方が堅苦しい城下を敬遠したので、本陣脇本陣はありませんでした 〜シネマテークたかさき〜中山道は駅の西側を通り、わずかに残るレトロな建物がオシャレです線路と並行して走る道路は幅が広い割には交通量が少なくて、気持ちよく歩けます そう言えば〜 昨日ずっと手前から見えたひときわ高い白い建物は、高崎市役所でした〜安楽寺〜上信電鉄、上越新幹線をくぐり、高崎線と並行して南に6キロ歩いて江戸から12番目の宿場、倉賀野宿です 倉賀野宿には本陣・脇本陣が置かれて、日光例幣使道の基点にもなりました烏川には倉賀野川岸が置かれ、江戸と諸国を結ぶ物資輸送の中間基地になりましたそのため宿場は参勤交代の武士、日光例幣使(公家)、旅人、船頭、人足、町人で大変賑わったそうです〜高札場 復元〜 宿の西口には古墳群があります 浅間山古墳は4世紀のもの、歩き目線では判りにくいけれど、Googleマップで見ると前方後円墳がきれいに判ります 10時、安楽寺の境内で一休み、この日も暑くなりそうですお寺の裏にも古墳があり、珍しい鼠供養塔と将棋の形をした石の板碑(卒塔婆の一種)がありますかつて川岸に穀倉棟が並んでおり鼠の被害が多く駆除していたため、船問屋がその供養塔を建てたそうです倉賀野宿は追分や利根川の舟運最上流の倉賀野川岸を控え、信州上州の米や産物を江戸に送り、塩や干鰯を持ち帰ってとても賑わいました 飯盛り女も多く、女達の信仰を集めたのが倉賀野神社にある冠稲荷だそうです飯盛女…「?」時代劇で聞いた事あるような〜ないような〜検索してみましたなるほど、時代背景を感じますね女が、特に貧しい家の女性が生きていくには大変な時代でした〜倉賀野おもてなし館〜 かつての面影はほとんどないが、舟問屋兼脇本陣の須賀家などの古い格子の建物が残っていますおもてなし館は、平成27年に観光客の休憩施設として開館しました 旧大山家が営む着物問屋の<大黒屋>はなまこ壁の蔵造り、中の梁や床板も大きく立派です 久しぶりの休憩所、またまた、お得意の寄り道です当番のご婦人方が番茶を勧めてくれました倉賀野に入るとパンフレットを手にしたウォーカー達に会いました、倉賀野めぐりをしてたのですねお抹茶と近くの和菓子屋さんの最中を注文して、ご婦人の話を楽しく聞かせていただきました2キロほど歩いて宿場の東口、倉賀野追分ですここは中山道と日光例幣使(れいへいし)街道との分岐点徳川家康を祀る日光東照宮の春の大祭に、京の朝廷が幣帛(へいはく)を奉納するために派遣した例幣使が通る道…案内板よりうーん💦幣帛って何?またまた検索、学びになります「幣帛」神道の祀祭に奉納する物の事幣は布を意味し、他には衣服、武具、米や海・山の幸がある〜倉賀野追分〜日光は左手へ、中山道は右手へ柳ヶ瀬川を渡ると、12番目の宿場、新町宿です
July 9, 2023
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二泊三日の中山道歩き、宿は二日とも高崎駅近くのビジネスホテルにしました高崎は電車や道路が交差する便利な土地柄なので、催しが多く、この連休も高校生のバレーボール大会があるので、どの宿もずいぶん前から詰まっていました連泊がよかったのですが、1日目はサンルート高崎、二日目は高崎1.2.3にしましたどちらも朝飯付きですが、夜飯は各自です高崎駅西口は横丁風の小径があり、居酒屋や昭和を思わせるお店が今も残り、夜道を歩いていると何だか子供の頃に戻った気分ですGoogle mapsでやきとりのお店を探すと、何軒も出てきましたぷらぷらと歩いて、妙に気に入ったのが、こちら<ささき>ですこじんまりしたお店、外から覗くとカウンターの客達が〈おいで!おいで〜〉と手招きしてくれますスルスルとお店に入ると、ちょうど二席空いたばかりで、ラッキーでしたとても小さなお店ですコの字のカウンターに丸椅子が10席ほどのみ私たちが座って、満席です50年程前にタイムスリップした様な店内はなんとも懐かしくて居心地がいいあの頃流行ったレコードが並び、フォークギターが掛けてあります(ギターはマスターではなく、弾きたい客がお好きな様に弾くそうです)中島みゆきのコンサートのDVDが流れています、また、これがいいなぁ〜マスターは同年代くらいかな?俳優、田中要次さんを庶民的にした感じ…かな?話好きで、でも手元はひっきり無しに動いています1人で何もかもするので、口も手もフル回転次々入る注文をメモしたりブレーキかけたりして、やりこなす姿、流石!ですこちら、焼き鳥ではなく、【やきとり】と言うところがポイントだった!鶏🐔ではなく豚🐷の串焼きです!ちょっと意外でしたが、意外な美味しさを楽しめましたおすすめは、塩だそうで〜タン、ホルモン、ハツ、レバー、カワ、カシラ、ガツ、ナンコツ、コブクロ…タレ味も塩味もいけますとても綺麗な串で妹さんが肉刺しと漬物担当漬物が薄味で美味しくて、おかわりしました高崎には20年ほど前まで、キリン工場があったそうで、キリンを置く店が今でも多く、ニタニタ顔でビールを追加🍺また追加…しましたのれんの向こうは、渋々帰る客が後をたたず、人気のほどがわかります予算は1人1500円ほどの様ですが、私は2人で4000円ほどうーん、強いて言えば、おにぎりが🍙欲しかったなぁもしもまた高崎に行く機会があったら、是非寄りたい心と財布に優しい癒しのお店です補足:あえて、店内や料理の写真を撮りませんでした検索するとたくさんのコメントがアップされていますおすすめのお店、でも隠しておきたい様な、でも今更ね〜笑、とっても話題のお店です
June 18, 2023
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〜安中宿〜5月の連休は予報より天気に恵まれて、1日目は晴れ、歩き初めは緩やかな下り坂でしたが、高崎に近づくにつれて平地になり、足が重くなりだしました安中宿から板鼻宿は3.3k、板鼻宿から高崎宿までは7.2k、日の暮れまでには高崎に行きたいですやはり、私の足では時間3kペースですね💦〜妙義山と浅間山〜碓氷川に沿って歩き、鷹之巣橋を渡ると板鼻宿ですこの宿は碓氷川の<徒歩渡し>で有名でした川が増水すると足止めになり、旅人は水が引くまで宿場に泊まりるのです 堅苦しい城下町の高崎宿をさてけ、先を進んだ旅人でこの宿はたいそう繁盛しました旅籠が50軒以上もあったそうです今はその面影はなく、静かな通りですね 整備された用水路を静かに水が流れていました〜板鼻宿の双体道祖神〜男女が酒を酌み交わす、瓢箪と盃を持った像〜サイクリングロード〜板鼻宿を過ぎると18号線と並行する碓氷川の土手のサイクリングロードを歩きます右手に里山、左手に車道、安気に気持ちよく歩けますでも、昔の中山道はどこを通っていたのでしょうね💦街になるほどに、面影は薄れていきます〜上野国一社八幡宮鳥居〜土手から草木や街並みを楽しみながら歩きます春歩きは陽が長いので、時間を気にすることもなく、夜になるまでに高崎駅に行ければいいさ〜なんてお気楽です〜藤岡一里塚〜樹齢200年の檜が生える 群馬県に唯一残る一里塚18号線を走る車からひときわ目につくこの大木、一里塚と気がつくドライバーはそういないでしょうね〜豊岡町の石仏石塔群〜道を拡張や区画整理と繰り返す度に、道端に鎮座していた石碑やお地蔵様は、あっちに移動、こっちに移動されて…こんな風にひと所に集められた石碑群はあちこちにありました〜茶屋本陣辺り〜サイクリングロードから外れて土手を下り、豊岡の町中へ、だるまを並べた作業所やお店が目につきます上州だるまですね甲州だるまと違って、優しい表情です〜高崎市中心街〜高崎まで残り2、3キロ、もう5時をまわりましたゆっくりと休むことなく歩いた為か疲れました、小さな祠の前に腰をおろしましたビルが並んだあそこが高崎駅周辺 ひときわ目立つ白い建物はなんだろうか、駅ビル?気になるなぁ〜高崎観音〜 君が代橋を渡ると縦横に整備された高崎の城下町山田文庫や長名寺の前を通り過ぎ、駅前通りに到着です日が暮れてお店の明かりがつき始る、これまで関ヶ原から高崎まで歩いてきたが、一番賑わっている宿場、高崎あ〜、夕飯は何にしようか、楽しみです
June 17, 2023
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中山道あるきは上野(群馬県)に入り2回目となりました上野には7宿あります前回、坂本宿、松井田宿、2宿と歩き今回はどのあたりまで行けるかなぁ5年5月4日 晴 14.5k4k〜安中宿〜3.3k〜板鼻宿〜7.2k高崎宿出発13:00到着18:00 今回も6時に家を出て、名古屋7時発のしなので長野へ、上越新幹線に乗り換えて高崎へ向かいました乗り換え時間があるので、高崎駅ビル内で昼ごはんを済ませて、前回区切った信越本線・磯部駅で下車コミュニティバスを利用して前回の続き、八本木地蔵堂から歩き始めます〜左・妙義山 右・浅間山〜緩やかな下り坂、足どり軽くさっさかと進むとほどなく安中宿です戦国時代に安中氏が築いた安中城は武田や北条の争奪の的になり落城。その後井伊直政の子、直勝が城主になり安中宿を開いた規模は板鼻宿より小さい〜原市高札場〜中山道の名残はほとんどありません原市の杉並木はかつては一キロほどあって730本並んでいたが、今は10本余り、車ならあっと言うです笠取峠の松並木とはずいぶん違ってますが、保存の為に若木が植えてありました〜原市村役場跡〜安中といえば…藩士の心身鍛錬のために始めた安政遠足碓氷峠の熊野権現まで走らせ順番を記録したそうで、日本マラソンの起源とされています毎年5月の第二日曜日に侍マラソン大会が催され、今年は5月14日に開催、マスクを外したランナーやコスプレのランナーがたくさん参加したというニュースを見ました1783年浅間山が大噴火してこの一帯は壊滅的な被害を受け、困窮した農民は天明の大一揆を起こしたそうです背後の浅間山と妙義山がだんだん遠くなって霞んでいます次は板鼻宿です
June 2, 2023
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坂本宿〜松井田宿 10.4キロ令和4年10月10日 天気 曇 8:00〜12:00中山道歩き、3日目、最終日です一晩中降りつづいた雨は朝やっと上がりました坂本から軽井沢に向かう登り坂は最難所です ましてや雨の日は危険、夜歩きなんてとんでもありません〜横川駅と釜飯屋〜心地よい宿でぐっすり休め、疲れも取れました前の日はあんなか祭りがあったそうで、花火が上がったりSLが走り沿線や横川駅は鉄道ファンですごい人だったとか〜坂本宿〜翌朝は洗われた様にしっとりと静かな坂本宿です 東京屋のご夫妻が見送ってくれました変わった形の山並みが見えますこれが妙義山か!尖った山がいくつも連なり、珍しい岩姿、そこを白い雲が流れてとても綺麗線路に沿って歩くと列車と山の写真を撮りたくなる気持ちがわかります10キロ歩いて松井田宿下り道なので楽に歩いて来ました松井田宿は信州から集まった年貢米の中継地として賑わい米宿と呼ばれていたそうです今は静かな街並みである信越本線、北陸新幹線、篠ノ井線、中央線、東海道線を使って帰るので早めに上がる事にし、最寄りの磯部駅でおしまいにしました今回は何しろ碓氷峠が印象的でした江戸から京へ向かう人は、しょっぱなの急坂にそれは驚いた事でしょう四国八十八ヶ所巡りで言うならば、遍路転がしの焼山寺への道みたいな感じです(私はその坂を逆に下ってきたので、上ったとしたら…どっちがきついでしょうか💦)でも、焼山寺と同じ、ここを乗り越えたなら、最後まで歩いて行ける自信がつく難所ですね😊
May 14, 2023
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お得意の寄り道が重なり、予定より遅れて峠を下ります 〜下る 13:30〜 廃業の店の奥に中山道に入る道があります ここからは静寂、誰もいません 軽井沢駅から峠までの標高差は200mほど、横川駅から峠までは800mほど ここから一気に800mほど下っていきます とうとうポツポツと雨が降り出してきました 秋の陽の入りは早い!暗くなる前に坂本宿まで下りなければいけません 峠には民家も車道も、もちろん電気もありません緩やかな下り道は細くなったり太くなったり 広範囲に土砂崩れしている箇所や、足場の悪い沢もあるけれど、前半は尾根筋の歩き易い道 ところどころに説明板があり、昔の中山道を知ることが出来た <陣馬が原>足利氏と新田氏や武田氏と上杉氏の戦いの記録にうすい峠が出てくる <中山茶屋>峠の真ん中にあり、川水を汲み上げて茶屋を開いた 江戸初期には13件の茶屋があり、茶屋本陣も寺もあった明治になると小学校もでき、明治天皇巡幸の時は25人の生徒に奨学金25円が下賜された はっきりした位置はわからないが、 昭和の廃棄物、と言うか、この道沿いを開拓して別荘地にしようと計画されたようで、廃墟と化した建物が何棟か崩れかけて放置された場所があった だんご屋で聞いてはいたが、さすがに山の中にボーっと建つ姿には驚いた 虚しかった このままどう朽ちていくのだろう 〜馬頭観音〜 覗(のぞき)と言う場所からは、坂本宿が見下ろせる 一茶は 「坂本や袂の下のゆうひばり」と詠んでいる 峠道で唯一眺望のいい場所… らしいが、あたりは雨雲に覆われて、何も見えなかった 覗きからは急坂になりだします 〜風穴〜 馬頭観音や溶岩の割れ目から温かい水蒸気が上がる風穴、ゴロゴロの石さえもゆっくり味わいたかったけれど、すっかり暗く雨も本格的になってきた 何しろ早く!車道に出なくては! 尾根道とは違い、石がやたらとごろついて歩きにくい 濡れて黒光りする石道、転んではいけない やっと車道に出たのは17時過ぎだった 下り初めたのが13時半だったので、3時間半かかった 麓はすっかり暗く、雨は更に強く、坂本宿はひっそりとしていた 路肩をトボトボと歩いて三キロ余り先の横川駅を目指す この日の宿は駅前の<東京屋>18時到着、すでに真っ暗、ご夫婦か暖かく迎えてくれてありがたかった 部屋数は少ないが、鉄道好きのご主人と優しい奥様のお料理の美味しい綺麗な宿、ここおすすめです🌸
May 3, 2023
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中山道を区切りながら歩いて全体の半分は過ぎたが、私には碓氷峠は最難所だった 「木曽の桟橋、太田の渡し、碓氷峠がなけりゃいい」 と言われた中山道の難所 木曽の桟橋は川沿いに車道ができてるし、太田の渡しは立派な橋で渡れるでも、碓氷峠は整備はされたものの、昔の様に行き交う人はなく茶屋もないのだ 半年前に歩いた中山道、軽井沢宿から松井田宿の話です10月9日、二泊三日の中山道歩き、2日目の天気予報は雨 8時、ゆうすげ旅館を発つ昭和感たっぷりの宿でした朝になってわかったのですが、宿の周りは何面ものテニスコートに囲まれたすっごく広い敷地の宿でした この辺りは街道歩きで泊まれる様な宿はなかなかないので、助かりました 〜オシャレな中軽井沢駅〜 この日は中山道で一番の難所、碓氷峠(うすい峠)を越えます 雨が降る前に少しでも先を急ぎたい駅前で、道を尋ねられました(えっ!私たちに?) 夜明け前に福島から白糸の滝を目指してドライブしてきた老夫婦 ナビに目的地を入れても、静岡の白糸の滝になってしまう…と困りきっています なんとかここまでやってきたそうです 他人の車は勝手がわかりません 💦からかうこと15分、目的地を軽井沢の白糸の滝にできました ご夫婦は何度も頭を下げられて、混んだ道に向かいました 〜霊場池〜 車道を避けて別荘地の道を歩きます 散歩やジョギングをする人が行き交い、お洒落な雰囲気ですね ジョギングをする地元の男性が霊場池に寄るように勧めてくれました 〜ショーハウス〜 可愛い旧軽井沢ロータリー〈六本辻〉を通過すると人の数がぐっと増えて賑やかな表通りに出ました 2022年の秋 、まだコロナに右往左往していた頃に歩いたのですが、自粛期間が解除されたので観光地は賑わい出していました マスクをした人が沢山歩いてましたね その中をリュックを背負って峠を目指す私たちはかなり浮いてます 💦かつては茶屋だった〈つるや旅館〉を通過、林道を上がっていきます 爽やかな木立の中、左手にしっとりとした礼拝堂が現れます そのショーハウスを過ぎて聖坂を行くと、カーブミラーがあるところで133号線から外れて左手に入る 旧中山道は消滅しているので、旧遊歩道を登ります ほとんどの方は車で上がるので、まれに観光客とすれちがうだけの静かな山道です 〜熊野神社〜 碓氷峠は長野と群馬の県境にある標高1180m、江戸からは最初の峠で旅人泣かせの峠でした 峠の名前は一旦霧がかかると陽がささない「薄日」からきているとか まずは熊野神社にお参りしましょう 新宮は群馬側、本宮は国境上、那智宮は長野側に建っています 神社の前には有名な力餅屋さんが並んでいますが、店内に国境線を記した有名店は若者の行列だったので、空いている〈みすずや〉に入りました 人の良いご夫婦が峠道について丁寧に話してくださり、ストーブで温まってほっこり過ごすことができました 😊お得意の寄り道が重なって予定時間より遅れたけれど、さぁ〜峠を下ります
May 2, 2023
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桜も昨日の冷たい雨風で葉桜になってしまいました今年初めての里山歩き、春日井市の弥勒山に行ってきました気温は徐々に上がってきて、暖かく優しい風が心地よいです動植物公園の東側には400メートルほどの山が連なっています弥勒山、大谷山、道樹山、見晴らしの良いハイキングコースです親子連れは公園に陣取って可愛い動物園や植物園で楽しんでいます程よい広さに色々揃っているので、どの年代にも楽しめる公園ですね山に入っていくのは中高年の地元の方が多いですコースは色々ある上にショートカットの道が沢山あるので、道に迷いそう?だけど、どこを歩いても坂を登れば山頂に行けるし、どこを下っても日のさす方に降りれば公園に戻れます〜大谷山からの眺め〜今日で4回目ほとんどの人は道樹山、大谷山、弥勒山の順に歩くようで、わたしも初登山の時はこの順で歩きました〜名古屋市街〜今日は植物園の裏から入り北側の道を上がります森林浴ですウグイスや小鳥がさえずってます1時間ほどで尾根に出ました大谷山まで50メートル😄なので、寄って行こう大谷山にはベンチが一つ、見晴らしも一方向だけ〜笑〜さぁ、弥勒山に向かいましょう〜関ヶ原、伊吹山方面〜来た道を戻り、尾根を少し下って、急な坂を一気に登りますこの坂が一番辛かった💦弥勒山の山頂はほかの山より広くて沢山の人で賑わってますベンチも沢山あって、みんなお弁当を広げて🍙一休み南側の展望台からは尾張平野が見渡せ、北側にははるか向こうに御嶽山が見えます〜御嶽山〜野鳥に餌付けをしたり、岐阜蝶をカメラに収めたり、みんな春を楽しんでますさて、下りましょうか北側の道にしましたこちらを歩く人は少ないので、静かな木道を味わえます昨日の雨で道が湿ってます他の道と違ってこちらはシダが目立ちます前回は初夏だったのでもっとシダが生い茂り、歩くのに躊躇しましたジャングルみたいな箇所もあります1時間ほどで公園に戻ってきましたのんびりと3時間ほどの里山歩き、無理せずに歩けましたなまっていた体が目覚めたようですお風呂に入ったら疲れが出てきたようで足が重くなってきました今夜はよく眠れそうです
April 9, 2023
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先日、三年ぶりの初釜に行ってきましたなんちゃってお稽古は15年ほどになり、初釜参加も5、6回目になりますなかなか身につきませんが、お茶が(和菓子かな?)好きで続いています今回は初めて本懐石を経験しました80近い大先生がほとんどの料理を作られました馳走、と言う言葉がありますが、その意味を味わえるお食事でした今までは仕出し屋さんに注文したお茶席用の懐石料理でした派手さはありませんが、手の込んだ料理には温かさがありました 〜我が家の玄関です〜ご亭主は大先生、裏で黒子の様に補助をされるのが若先生です私は若先生から習っています客は7人、大先生の生徒さんが4人、若先生の生徒が3人で私と若者です8畳の大間に7人の客数は賑やか、迎える側は準備に大変です待合からお庭を通り、三畳ほどの小間の茶室に入り、廊下を通って大間で茶会をします炭手前、懐石料理、再度待合に退席して銅鑼の音を合図に再びお庭から順に通って大間へ入り、濃茶手前、薄茶手前と続きましたお道具やお茶碗もお稽古の時と違って、高価な珍しい物と出会えます今年は🐇うさぎ年なので、お軸や蓋置き、お茶碗と様々なうさぎが並んでいます〜久しぶりの着物、50肩にはつらいですね〜私は5回目の年女を迎えました🐇うさぎの扇子を選んできました三年前に不治の病で亡くなった、お稽古仲間の形見です私より年下の彼女には一人娘さんがいます成人式の着物姿を見て、桜の咲く頃に逝きましたそんな彼女も一緒にお抹茶を飲んでいるような気がして、嬉しい🐇うさぎ年の初釜でしたおまけ💦4時間に渡った初釜、脚が痺れる〜脚がつる〜なんとか乗り切りました年の功ですかね
January 17, 2023
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中山道を区切りながら歩いて全体の半分は過ぎたが、私には碓氷峠は最難所だった昨年の秋に歩き終えて、これからは日本橋を目指して街中を歩きますコロナも目処が経ってGWからはほとんど元の環境に戻りますあのマスクも自己判断になりますね半年も過ぎた中山道、軽井沢宿から坂本宿の話です 10月9日、二泊三日の中山道歩き、2日目の天気予報は雨8時、ゆうすげ旅館を発ちます昭和感たっぷりの宿でした朝になってわかったのですが、宿の周りは何面ものテニスコートに囲まれたすっごく広い敷地の宿でした学生や団体の宿という感じですこの辺りは街道歩きで泊まれる様な宿はなかなかありません アパホテルの予約が取れなかったので、ゆうすげ旅館には助かりました〜オシャレな中軽井沢駅〜この日は中山道で一番の難所、碓氷峠(うすい峠)を越えます雨が降る前に少しでも先を急ぎたいです駅前で、道を尋ねられました(えっ!私たちに?)夜明け前に福島から白糸の滝を目指してドライブしてきた老夫婦ナビに目的地を入れても、静岡の白糸の滝になってしまう…と困りきっていますなんとかここまでやってきたそうです 他人の車は勝手がわかりません💦からかうこと20分、目的地を軽井沢の白糸の滝にできましたご夫婦は何度も頭を下げられて、混んだ道に向かいました 〜霊場池〜車道を避けて別荘地の道を歩きます 散歩やジョギングをする人が行き交い、お洒落な雰囲気ですねジョギングをする地元の男性が霊場池に寄るように勧めてくれました 〜ショーハウス〜可愛い旧軽井沢ロータリー〈六本辻〉を通過すると人の数がぐっと増えて賑やかな表通りに出ました2022年の秋まだコロナに右往左往していた頃に歩いたのですが、自粛期間が解除されたので観光地は賑わい出していましたマスクをした人が沢山歩いてましたねその中をリュックを背負って峠を目指す私たちはかなり浮いてます💦 かつては茶屋だった〈つるや旅館〉を通過、林道を上がっていきます爽やかな木立の中、左手にしっとりとした礼拝堂が現れますそのショーハウスを過ぎて聖坂を行くと、カーブミラーがあるところで133号線から外れて左手に入る旧中山道は消滅しているので、旧遊歩道を登りますほとんどの方は車で上がるので、まれに観光客とすれちがう静かな山道です 〜熊野神社〜 碓氷峠は長野と群馬の県境にある標高1180m、江戸からは最初の峠で旅人泣かせの峠でした峠の名前は一旦霧がかかると陽がささない「薄日」からきているとかまずは熊野神社にお参りしましょう 新宮は群馬側、本宮は国境上、那智宮は長野側に建っています神社の前には有名な力餅屋さんが並んでいますが、店内に国境線を記した有名店は若者の行列だったので、空いている〈みすずや〉に入りました人の良いご夫婦が峠道について丁寧に話してくださり、ほっこり過ごすことができましたお得意の寄り道が重なり、予定より遅れて峠を下ります 〜碓氷峠下る 13:30〜廃業の店の奥に旧道の入り口があります峠は賑わっているけれど、ここからは静寂です誰もいません〜碓氷峠〜軽井沢駅から峠までの標高差は200mほど、横川駅から峠までは800mほどここから一気に800mほど下っていきます とうとうポツポツと雨が降り出してきました秋の陽の入りは早い!暗くなる前に麓まで下りなければいけません峠には民家も車道も、もちろん電気もありません 緩やかな下り道は細くなったり太くなったり広範囲に土砂崩れしている箇所や、足場の悪い沢もあるけれど、前半は尾根筋の歩き易い道ところどころに説明板があり、昔の中山道を知ることが出来た<陣馬が原>足利氏と新田氏や武田氏と上杉氏の戦いの記録にうすい峠が出てくる<中山茶屋>峠の真ん中にあり、川水を汲み上げて茶屋を開いた江戸初期には13件の茶屋があり、茶屋本陣も寺もあった明治になると小学校もでき、明治天皇巡幸の時は25人の生徒に奨学金25円が下賜された はっきりした位置はわからないが、 昭和の廃棄物、と言うか、この道沿いを開拓して別荘地にしようと計画されたようで、廃墟と化した建物が何棟か崩れかけて放置された場所があった だんご屋で聞いてはいたが、さすがに山の中にボーっと建つ姿には驚いた 虚しかった このままどう朽ちていくのだろう 〜馬頭観音〜覗(のぞき)と言う場所からは、坂本宿が見下ろせる 一茶は 「坂本や袂の下のゆうひばり」と詠んでいる 峠道で唯一眺望のいい場所…らしいが、あたりは雨雲に覆われて、何も見えなかった覗きからは急坂になりだします 〜風穴〜馬頭観音や溶岩の割れ目から温かい水蒸気が上がる風月、ゴロゴロの石さえも味わいたかったけれど、すっかり暗く雨も本格的になってきた 何しろ早く!車道に出なくては!尾根道とは違い、石がやたらとごろついて歩きにくい濡れて黒光りする石道、転んではいけない やっと車道に出たのは17時過ぎだった下り始めたのが13時半だったので、3時間半かかった麓ははすっかり暗く、雨は山道よりも強く、坂本宿はひっそりとしていた路肩をトボトボと歩いて三キロ余り先の横川駅を目指す この日の宿は駅前の<東京屋>18時到着、すでに真っ暗、ご夫婦か暖かく迎えてくれてありがたかった部屋数の少ないが、鉄道好きのご主人と優しい奥様の綺麗でお料理の美味しい宿、おすすめです
January 13, 2023
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秋の中山道は二泊三日で長野県の塩名田宿 から群馬県の松井田宿へと歩きました朝6時に家を出て、名古屋から特急しなのを利用して長野で新幹線に乗り換えて佐久平で下車、タクシーで前回の続き塩名田宿本陣跡を11時半にスタートしました10月8日、天気は下り坂、初日はかろうじて予報を裏切って晴れ間が見えています春は左手に浅間山がみえたのですが、今回は一度も山頂を見ずじまいでした幹線道路から離れ塚原地区の田んぼの広がる道を行きますすでに稲刈りは終わり、真っ赤なリンゴが数珠なりです中部横断自動車道をくぐり、小海線を超えて左折すると岩村田宿です〜小海線〜ここは本陣や脇本陣はなく旅籠も少なかったのですが、経済の中心地として栄えました。宿場の名残はないけれど活気のある商店街だったはず。新幹線佐久駅が出来て、中心が移ってしまい寂しい感じです。〜昭和感たっぷり〜商店街を抜けた辺りに、武田信玄ゆかりの龍雲寺があるので寄り道しました一休みしたかったのですが、腰を下ろすところがないのでくるりと見て次へ。住吉神社は気兼ねなく休めましたお寺にも神社にも立派な大木があったのが印象的です行楽シーズン、この秋はだいぶ人が流れています軽井沢からの車が絶えず通る車道から枡形を右に折れると静かな通りに入ります、小田井宿です。小さな静かな宿。気がつくと岩村田の宿からわずかだが坂がずっと続いていました陽が傾き出して暗くなる前に追分宿を超えなければなりません。慌てる気持ちと1日目のせいか足の運びがちぐはぐで、足がつってきました。情けない。年を感じます。しなの鉄道の地下道をくぐり、林と畑、別荘が続く緩やかな登り坂を歩きます〜分去れ〜18号線から左に入ると中山道、ここから追分宿、綺麗に整備されています林の中に郷土館や記念館、脇本陣を利用した宿など文化の香りのする建物が並びおしゃれな雰囲気です、が、薄暗くなってきたのでスルーです夕飯は18号線沿いの食堂で済ませ、ヘッドライトに照らされて歩道をトボトボと今夜の宿まで歩きましたこの日の宿はゆうすげ温泉旅館です
January 7, 2023
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明けましておめでとうございます お天気がまぁ恵まれたお正月で、のんびりと過ごす事が出来ましたそんなわけで、今年も岐阜城のある金華山へ初登りに行ってきました2日、10時半、逆光になってしまいましたが、織田信長像のある正門からスタートですお城のある金華山は標高322m、街中にあるので、地元の方々がよく登る愛されている山ですいくつかあるコースの中で私がよく利用するのは、北側の長良川を見下ろしながら登る瞑想の小径、下りはポピュラーな大手通りの七曲り道昨年の正月、瞑想の小径はアイスバーンになっていてヒヤヒヤしながら登りましたそして秋には青年が転落する事故が起きているので今回は違うコースを選びました七曲り道を右手に折れて、唐釜コースに入り1キロほど歩いたら左東坂コースに合流、一気に岩道を上がると再び大手門通りに合流しますほぼ等高線に沿っているので林道を気軽に歩けます野鳥の声が聞こえ、時折光が差し込み、南斜面なので風も遮ら れて汗をかいてきましたこちらの道を歩く人はすくないですねずっと平らだけど大丈夫かな?と、思いかけた頃東坂コースと合流、ここから一気に岐阜城目指して登りますチャートの岩がゴツゴツして歩きにくいが登山気分を味わえます元気な園児達が登れるので初心者にも安全です一箇所不安定な岩場があり、ここからの眺めは正面から見える岐阜城とは違う荒々しい顔を持ち、さながら武士になった気分です唐釜に40分、合流してからの東坂に20分、七曲り道にぴょこんと出て、しばらく歩けばロープウェイ乗り場、売店、そして岐阜城です石垣の中には斎藤道三や織田信長が築いた野面積みが残っており、以前より標識が整備されているのでわかりやすく、戦国時代を身近に感じます今回初めて天守から木の陰に見下ろせた小径を歩いてみると、古い井戸跡と石垣を見る事が出来て、石垣マニアとしてはたまらなかった濃尾平野を見渡すには、天守のある頂上かレストランの上にある展望台からがオススメ 東から流れる木曽川が蛇行しながら太平洋に向かい、名古屋の高層ビル群が霞んで見えます 本当に広い濃尾平野で、みんなここを治めたかったのですね〜西には長良川が流れ、遠く伊勢湾、養老山系に伊吹山が繋がり、そして向こうは琵琶湖、都です年の始めにここに立つと、大志をいだいた武将の気持ちがわかる気になりますレストランで光秀味噌カツ定食を食べて、満足なリ〜、このレストランからの眺めも最高です道三、信長、光秀ランチはそれぞれお得で、岐阜グルメを味わえます今年も健やかな年になります様に
January 4, 2023
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11月初めヘブンス園原の紅葉が見頃です!と、たびたび耳にしたので、文化の日に行ってみましたこの秋は好天に恵まれて、連日快晴、行楽日和が続いています ヘブンス園原は岐阜県にあります中央道恵那山トンネルを抜けて園原インターで降りるとすぐです早めに出てきたのに、トンネル工事による渋滞で予定より遅れて到着しました ここはスキー場なので、ロープウェイで簡単に上がれ、リフトやバスを利用するとさらに奥の富士見高原にも行けます 10:00、ロープウェイは定員12名ですが、コロナ以降は一台ひとグループに制限しているので結構人が並んでいましたロープウェイは800mの山麓駅から1400mの山頂駅まで全長2549m、15分で一気に610m上がります山肌の木が黄色に染まり、まさに見頃です点在するもみじの赤が🍁映えますね後ろを振り返ると、麓に雲海?流れ雲?その向こうに南アルプスが見えます 山頂駅は標高1400m、葉っぱがキラキラと輝いて舞い落ちていますここの見頃はすっかり過ぎていました💦天空広場の奥には「いわなの森」があって、一周1時間程の遊歩道があります前回は池の周りを散歩したのですが、水面に木立と空が映り込みとっても綺麗でした それから歩いて富士見台高原まで登ったのですが、思いのほか時間がかかってしまい、最終下山のロープウェイに乗り遅れそうになって、冷や汗ものでした今回は寄り道はしないで富士見台高原を目指します展望リフトと池の間にある小道、りんどうコースを登ります りんどうコースはスキーの林間コース唐松にすっかり葉を落とした白樺や岳樺が絵のようにとてもきれいです りんどうコースは2キロ、カーブの多い坂道で展望台まで登り50分(下り40分)ちなみにリフトでは7分片道400円です 展望台(1600m)からの景色も最高です赤石岳、荒川岳、北岳、甲斐駒ケ岳…南アルプスがくっきり見えます ほとんどの人は展望台をリフトで往復してましたが、富士見台高原目指して山小屋までバスで移動する人もいます展望台〜萬岳荘間を走る富士見台高原バスは小型バスで片道400円私たちは歩くことにしました3. 3キロ、緩やかな車道を1時間ほどです車道が交差するところが神坂峠、じきに萬岳荘が見えてきますこちらの美味しいコーヒーと持参した朝炊山菜ごはんをデッキで開げて昼飯としましたさて、ここから車道とは別れて、登山道を登ります整備されていますが、石がごろついて不安定なところもあったので念のためにストックを使いました笹が一面に広がる見晴らし抜群の道です頂上は360度の大パノラマ、壮観です(13:00)すぐそこに恵那山、傘置山、南アルプス、中央アルプス、向こうに小さく八ヶ岳、御嶽山、北アルプスも見えます槍ヶ岳のシルエットも確認できましたよ〜富士見台高原1739m〜午後は風が吹いてきます北からの風に冬の到来を感じますバスに間に合うように焦る気持ちを落ち着かせて、足元に気をつけて下ります今回は余裕で間に合いました満員バスに乗ってゆらりゆらり15分ロープウェイにも余裕があるので、またりんどうコースを下ることにしました澄んだ空気が肺の奥まで広がるような、気持ちのいいウオーキングができました歩行累計約10キロ
November 15, 2022
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晴天が続いて、今年はたっぷりと秋が味わえていますよく晴れた日曜日、古い茶室を改造した友人がお茶室開きの祝いの席に呼んでくれましたご亭主(お茶席の主催者)は30年来の友人、お点前されるのはその娘さん娘さんと我が子が公園デビューした時からの縁です正客は、友人と娘さんそして私が習っているお稽古の先生次客は旦那さん、その次は友人の旦那さん、お詰は、わたしですつくばいで清め、にじり口から入り、四畳半の小間のお茶席初経験の男性陣はかちんこちんでオロオロです💦先生が説明をしながら丁寧に教えてくださったので意外に❗️楽しかったそうです着物を着たのは3年ぶり半年前に五十肩になってしまい、なかなか元に戻らないので迷いましたが、なんとか帯が結べましたこの日は知人から「超〜安く買わない?」と声をかけられて購入した小紋、草履、帯揚げこれら全て新品です実は知人はおばさんの着物や小物をバ○セ○に売ったのですが、トラック一台分ほどでも涙が出るほどの金額だったそうですまぁ、彼女が買ったわけでもなく、片付けの手間代として代金はいただいたそうですが…随分お金をかけて集めた着物の山、悲しいですね帯は自前の手頃な名古屋帯で合わせてみましたお茶は薄茶を生菓子と干菓子で二服、とても滑らかで美味しゅうございました〜乾いた空気が爽やかで肩肘張らず清々しいお茶席でしたご先祖さまも喜んでおられるでしょうおみあげは、祇園鍵善のお干菓子、秋のみのりため息が出るほど芸術的で、甘さもそれぞれに違い、歯ざわりや香りもそれぞれ楽しめました
November 5, 2022
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5月2日、中山道歩き三日目最終日前日の雨が嘘の様に晴天、山は萌えてます三日間の天気予報はピタリと当たり! 晴れ・強い雨・晴れでした予定を一日づらして、雨・晴れ・強い雨を避けたのは我ながらいい判断でした♪民宿みやは家族的でもコロナ禍なのでソーシャルディスタンスお話好きのご夫婦やお手伝いをするお子さんともろくに話しが出来ず、残念でした送迎可、に引き寄せられたけど、土砂降りの前日もこの日も車に頼らずに行けそうです〜濱屋〜3キロ歩いて長久保宿中山道は直角に右に折れます静かな町並みで街道だった雰囲気は残っています 歴史資料館、濱屋で一休み、トイレもお借りしました松尾神社境内を抜けて(トイレ有)笠取峠に入っていきますとても新緑が綺麗な歩きやすい峠道です峠の頂上(887m)に茶屋と言うか食堂?がありましたが開店前、自販機もないので寄り道せずに下ります笠取峠は風が強くて旅人の笠を吹き飛ばす、これが由来だそうです〜笠取峠の松並木〜この日は142号線を歩いたり、地元道を歩いたりの繰り返し、でも車はほとんど気になりません松並木は江戸時代初め中山道が開かれた時に、幕府から小諸藩に赤松の苗753本が送られたのが並木道の始まりその後小諸藩が保護して、今は800mの並木道で周辺は公園化していますここらでおにぎりのおやつとしましょうかね〜 〜芦田宿〜道は緩やかに下り坂、長久保から6キロほどで芦田宿です小さな宿場だったようで記録には、わびしい処で宿悪く不用心、とある💦こちらも静かな町並みで街道だった雰囲気が残っています蕎麦屋があったので、立科町役場前の<ときん亭>でざる蕎麦をいただきました老夫婦が「盆と正月が一緒に来た!」と忙しく働いている姿を微笑ましく見ながら、ゆっくり休む事が出来ました塩尻峠、和田峠、笠取峠峠を降りてもふもとの標高が高いので苦にならずに歩けて、町も澄んだ空気が美味しいです朝からずっと浅間山に向かって歩いてきました小さく見えた山がだんだん近くに迫ってくるようで迫力があります〜間の宿 茂田井〜茂田井宿は芦田宿と望月宿の間にある、休憩用の間の宿道がとても狭くて意外と急坂、車道はここを避けて迂回しているので、佇まいがそのまま残る景色が1.7キロ続きます綺麗な水の用水路が流れて、武重本家酒造や大澤酒造の辺りは味のある侘びたいい感じです4.8キロ歩いて望月宿、3.5キロで八幡宿、3キロで塩名田宿、さして距離が離れてないのに次々と宿場があったのですね1日のうちにこんなに宿場数を歩いたのは初めてです💦正直、浅間山を左手に緩やかな坂を下ってきた気持ち良さは覚えてるけど、宿場の記憶の区別が曖昧になってしまいました💦このお地蔵様は(と思いきや、江戸時代作の大日如来像)目がさめるように印象に残っています向こうには浅間山の鬼押し出しが見えたんですよ 〜佐久平駅 H700m〜塩名田宿に16:00到着日没まで後1時間は歩けますが、ここから新幹線を挟んで中山道は右側へ、主要道路は左側へと分かれますタクシーを拾い易いこの辺りで区切りとしました佐久平駅から長野新幹線を利用して帰ります佐久平16:26発〜長野で特急しなのに乗り換え〜名古屋20:07着窓から見た木曽の中山道は真っ暗で、白い光が肩寄せ合って見える辺りはどこの宿場だろうと、ぼーっと眺めてましたよく歩きました、疲れた。
September 11, 2022
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店頭にたくさん並びだしたイチヂクカゴに3〜4個入って400円くらい、ひとつ100円てとこかな愛知県は日本一の生産地なんですって。近所のおじさんが毎年分けてくれます柔らかい実、新鮮なうちに近所のおばあちゃん達におっそわけします実は…苦手なのです、子供の頃から。もう半世紀近く前、子供の頃におやつがわりに食べたイチヂク。ランドセルを背負うこと30分、上り坂を汗だくで帰ってきて「今日はお菓子がないからイチヂクでもたべな〜」の母親の一言は、テンションダダ下がりでした口を開けたような形とその熟した色、どーも子供受けしませんその甘さに誘惑されて、小アリが集まってたりしようものなら、「エーッ💦」てな感じですところが、最近はジャムやドライフルーツが店頭に並ぶようになりましたねドライフルーツ入りのパンも美味しいし、パフェやケーキもおしゃれですたくさんあるから〜と、ジャムを作ってみましたレモン汁を加えると赤の発色が良くなるようですが、イチゴの様な鮮やかさはありません地味だけど、以外に美味しい。生よりいい。ヨーグルトに混ぜたり食パンにつけて食べますパウンドケーキにもチャレンジ基本の材料、小麦粉・卵・菓子用マーガリン・ココナッツパウダー・砂糖・ベーキングパウダーで生地を作り、生地の間にジャムを入れましたチョコチップも加えて、生イチヂクの薄切りをトッピングしてみました後は170度のオーブンで30分なかなか、見た目はいい感じにできました味も素人にして美味しく〜チョコチップの量が多すぎたかな?チョコの甘さでイチヂクの味が引っ込んでしまいましたでも、リクエストをしてくれる人もいたので、またチャレンジしてみるつもりです
September 3, 2022
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五月の連休を利用して中山道を歩きました夜、涼しい風が入って来るようになり、やり残した宿題を仕上げなくては!みたいな気持ちで思い出して書きます2日目は朝一番に諏訪大社をお参りして、和田峠を越えて和田宿の先の〈民宿みや〉まで歩きます諏訪宿〜和田宿までは21.5キロ民宿まではさらに6キロあります前日に峠手前まで歩いているので、この日は20キロほどの道のりですもう一つ先の長久保宿まで歩こうかと迷ったのですが、私の足では無理でしょうそれに〜、みやの〈下諏訪〜佐久間の送迎の相談に応じます〉の一言に引かれてしまい、随分前から予約をしていました朝、今にも雨が降り出しそうで、一日中雨の予報は変わりそうもありませんビジネスホテルはコロナ禍のためか閑散としていました 朝食の提供もなくなったので、前夜に買っておいたものですませます〜万治の石仏パン〜朝8時宿を出発、諏訪大社にはすでに各地域のお参りが始まっていました規模を限りなく制限して御柱祭りは催行されていました6年前の盛大なお祭りを見ていただけに、女方や子供たちの木遣りの声や長持の軋む音が悲しげで、でも祈りにも思える静かな力強さを感じます地元の方々の心意気ですねそこに昨夜の叔母から電話、続きの地点まで乗せて行ってくれると言うのですタクシーを使うつもりでしたが、ご好意を受けお願いしました基本、お接待は断らない、のが四国からの私なりのルールです。うふふ。70才とは思えないハンドルさばきにドギマギしたけど、9キロの坂道はあっと言う間でしたおばちゃん、何から何までありがとう車道からそれて山道に入っていきます峠までは約4キロ、とうとうポツポツと雨が降り出してきました雨は夜にかけてかなり強く降る予報で、覚悟して歩きます和田峠は標高1531m、街道の宿場は約2里毎にあったのですが、下諏訪宿と和田宿の間は5里半と長く冬は雪が降るので、中山道最大の難所と言われていましたそのため、峠には東と西に餅屋があり、人馬の休憩する小屋もありました〜石小屋の跡〜雨は絶え間なく降ってきます低木が密集した細い山道、霧も出てきたので熊よけの鈴を鳴らして歩きました和田峠は1531m下諏訪は759mその標高差770mでも、続きからの場所はかなり高いので、大丈夫、雨さえ耐えればなんとかなります〜和田古峠〜和田峠に出ると開けていましたビーナスラインから入れる遊歩道になっているのですね晴れていたら、絶景の諏訪地方が見えるのですが一面の霧です広い道を下りビーナスラインを横切ったら東餅屋跡、今はドライブインがたっていますここで一休み、暖かいうどんとトイレを借りて〜と、あてにしてたのにバッサリと閉鎖されていました💦あれ〜、完全に予定外ここから次の和田宿まで11キロ、雑木林の中を下っていきます滑りやすい石畳や斜面から流れ出す水で歩きにくい箇所もあったが、広い静かな林道ですガイド本には、ガレ場が多い・雑草が多い、とあるけれど、思っていたよりも峠そのものは歩きやすい道でした健脚の男性はへっちゃらで一気に下諏訪宿〜和田宿を歩き通してしまいます 〜復元された永代人馬施工所〜江戸の豪商が幕府に金千両を寄付してその利子で旅人に粥、人馬に煮麦を与えたここにはトイレと水場がある、と記載されていたのであてにして来たのに、そんな設備はなく…あ〜、女は不便です〜山桜〜唐沢まで来ると142号に合流します山間の道なのに車量は意外と多く、どの車も結構なスピードを出しています水をかけられることもしばしば💦まぁ、雨でずぶ濡れなので、どんだけ濡れても構いませんよぅ〜黙々と下ってきて一息入れたくなりました廃墟化したドライブインで雨宿り、おにぎりを頬張りました和田宿手前には食事処・杉の屋があったので、飛び込みましたまず、トイレを借りて、コーヒーを頼みましたゆっくり見回すと店内は古いけれど広くて長く地域から愛されている感満載、暖炉は暖かく、親子と思われる男性2人はオシャレで、居心地がいいのです強い雨は夜半まで続くらしいけど、また歩けるパワーをいただきました〜和田宿〜15:30やっと和田宿ですこんな天気だから、人気がありません「どこか見学しようか…」旦那さん即返答「暗くなるまでに民宿に行く!」雨は降る降る、黙々とひたすら緩やかな坂を下って、歩いて歩いて〜みやに到着したのは17:00でしたずぶ濡れです5月 1日 雨(2日目)21キロ和田峠手前〜和田宿〜民宿みや9:20発 17:00着
August 28, 2022
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ゴールデンウィークに二泊三日で中山道を歩きました 名古屋発、特急しなのを利用して、みどり湖駅で下車、10時スタートです北アルプスの山並みが白く輝いています1泊目は下諏訪宿のビジネスホテル、二泊目は和田宿を超えた先にある民宿です私の脚力で下諏訪宿から和田宿の先までの25キロの峠越えはかなりハードなので、初日に歩けるだけ歩く作戦を立てました諏訪にも一月遅れの春が来ていました一気に花が咲き乱れていますよみどり湖SAを超えて、高速道路から離れて緩やかな山道を登っていきます 〜天明の大飢饉で行き倒れになった旅の親子のお地蔵様〜塩尻峠は車もどうにか通れる道ですが、人気のない、静かな道です頂上には塩尻峠展望台があります山肌の木を伐採したので見晴らし抜群、諏訪湖の向こうに、八ヶ岳、富士山、南アルプスが見えます展望台に登ると、北アルプスや御嶽山も見えます道を少し入ったこの広場、是非寄り道を進めます、トイレもありますよさて、ここから下りですすごい急坂で、余裕もなく一気に下ってしまいました京都方面に登る人には手強い急坂ですね〜〜岡谷インタ〜岡谷インター横に出てきました ここから諏訪大社に向かって街中へと進みます昔栄えた今井集落、静かな街並みです母はここ岡谷で生まれました。母以外の親戚は岡谷に住んでいるので、子供の時はよく遊びに来ていました今井家とか今井新道とか、今井と言う言葉はよく耳にしました道脇には今井茶屋本陣、今井番所、今井観音堂の跡が残り、今井の表札がかかる家がたくさん並んでいます〜今井本陣跡〜だんだん交通量が増えて、中山道がわかりにくくて「ちゃんと歩ける 中山道」の本が頼りになりました細い路地もあったり、車道を渡ったり…そうだ。御柱祭りなので、人出が多いんだ。地元民の大切なお祭り、コロナ禍でも規模を小さくして催行されました右へ左へ迷路の様に進み、気がつくと諏訪大社下社秋宮前の大通りに出ていた、と言う感じです中山道と甲州街道は神社の前で合流しています中山道は神社の手前で左手に直角に折れて春宮に向かって続きます 神社のお参りは翌日に伸ばして、この日は何しろ先を急ぎます。昔ながらの道幅、車がすれ違うのもやっとの箇所もあります秋宮から春宮までは1kmほど、歩いて回る観光客も多いですね道脇には共同浴場や旅人の喉を潤した龍の口、春宮の奥には万治の石仏があります。春宮とユニークな石仏は以前訪れたので、今回はパスしました〜注連掛の広場〜春宮手前を右へ折れ、和田峠を目指して142号線をひたすら登りますそういえば春宮を程なく過ぎた辺りで、軽トラに乗る地元の男性に呼び止められました〜70才位かな?〜「遠くから来たんだろ。これ何かわかるか?あげるわ」と言って黒い石のかけらを手渡されました〜木落とし坂〜黒曜石です。和田峠一帯は原始時代、石器に使われた黒曜石の一大産地だったそうで〜ロマンの黒ですねぇ〜木あたり坂は長さ100 m斜度35度〜以前は下諏訪宿〜和田宿間はバスが🚌通っていました。その後、和田峠手前の浪人塚までコミュニティバスが通じてましたが、今は木落とし坂の先の町屋敷までと短くなってしまいました確かに、その先に住人はいないので赤字路線、峠を越えるには時間と天気を考えて工夫しないといけません〜水戸 浪人塚〜私達は山道に入っていく分岐までを目標にして、日が暮れるまで歩くつもりひたすら車道を登りました結構車が多く、トラックもスピードを出しているので、味気ない路肩歩きでしたそろそろメドがついたので、駅前のタクシーを呼んだら、「お祭りで忙しいから希望の時間に行けるかわからない」と無愛想なお言葉💦さて、どうしょう。夕飯は母の妹3人と下諏訪で一緒に食べる約束をしていました。叔母頼み〜!予定より早く、私たちをお迎えに来てもらえないか、図々しくお願いすると、叔母達は快く迎えに来てくれました。暗くなる頃には街へ戻れ、みんなで夕飯を食べ、喫茶店にも寄って賑やかでのんびり下時間を過ごしました。私と叔母達は10才ほどの年の差なので、妹の様に可愛がってもらってきました。有難い時を過ごす事が出来ました。そのあと、街中の銭湯に浸かって昭和感を味わい、まるで時が50年戻ったようでしたそして駅前のグリーンホテルに戻りましたが、ここもコロナの波を多いにかぶってましたみどり湖〜和田峠手前 20km昼飯 蕎麦屋みのり夕飯 とんかつ丸一 と カフェ宿 下諏訪グリーンホテル 銭湯 菅野温泉
August 21, 2022
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五月最後の日曜日、岐阜の遠見山に登ってきましたH272m、登山口から山頂までは160mの高低差で気軽に登れる里山です近場の低山を検索していたら、岐阜にマチュピチュとグランドキャニオンと呼ばれる山がある事を知りました❗️遠見山は眺めが素晴らしくて地元では岐阜のグランドキャニオンと呼ばれているのです〜右側 登山口〜川辺町は高山線の下麻生駅で下車するか、国道41号線を北上しますさらに山あいを北上すると下呂や高山に通じます車は公民館か老舗の酒屋さんの前に駐車できます(無料)私は酒屋さん前に停めて、お店に寄ってパンフレットをいただき、トイレをお借りしました旦那さんは早々に色々と試飲してお土産の品定め、抜かりない奴です💦〜さぁ、スタート〜酒屋の向こうに今から登る岩山が見えます岩の上で手を振る人が見えましたよ👀登山口は民家の隣、看板があるので迷う事はありませんJR線をくぐる小さなトンネルから入っていきます千と千尋の神隠し、みたいな雰囲気で、ここを抜けると異空間に通じる気がしてきます通過するとすぐ登り坂💦木立の中を快適に登りますところどころに微笑ましい看板が立ててあって、地元の方の登山道への思いが感じられますこの日の予報は真夏日❗️ギラつく日差しを見ていると、低山歩きはそろそろ無理かな〜と思えてきました看板には、壱の笑・弐の笑・参の笑という表示もあって、「まぁ、一休みしていきなされよ」的な感じでしょうか?〜展望岩〜参の笑を過ぎたら、すぐ尾根です展望岩と南天の滝の分岐を左手に行くと、すぐに視界がひらけます上の写真の茶色い岩の上から絶景が広がります〜飛騨川〜 うわぁ〜❗️爽快!かつて木材を運んた飛騨川緩やかに蛇行して流れ、この先、木曽川と合流して太平洋に流れていきます狭い展望岩の先端は見下ろしたい人で混み合ってます💦大部分の人はここで折り返してきた道を下りていきますが、私たちはもうひとつの岩場に寄ってみました写真では足場が広そうにみえるけど、足の踏み場に迷うところもあって、3点歩行で進みましたここで滑るわけにはいきません!行った先には…特に何もない💦そして来た岩場を下ります必死で登って来た岩場、下りは嫌でも下の景色が目に入り、ビビリますねぇ💦この時、私たち以外にこちらの岩場にきた人はいませんでした 笑💦〜岩場の向こうはこんな感じ〜こちらの岩場、学童と高齢者にはオススメしません分岐を南天の滝コースへ進みますそちらには下麻生城址(遠見山山頂)があります〜枯れない池〜コロナ禍で山を楽しむ人が増えて、この日も結構人が来ています遠見山山頂はパス〜後からやっぱり寄れば良かったと思ってます〜池の北側から滝コースを下っていきます木陰の擬木階段を下ると、林道になりますと、言っても車は入ってこれないので、静かな歩きやすい道です再び線路の下をくぐる滝が近いのか水の音が聞こえてきました南天の滝は、かつてこの辺りに南天が自生していたことから名付けられたとか20mほどあります大正時代に観光地計画があったのですが、その後手付かずのまま放置されていました令和になって滝壺の手前にヒノキの橋を架け、登山道が整備され、酒屋やこの後寄る鰻屋さんも改装して、地元の方々が地域活性化を図っています展望岩までの往復は約60分、ぐるりと回る滝コースは約90分私はビビリの岩場をブラスしたので?2時間かかりました鰻屋さんでパリパリのひつまぶし定食をいただきました御亭主が山梨の南部出身、鰻は浜名湖産だそうです酒屋さんでお酒を買って、ご機嫌に帰宅しました
June 5, 2022
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今日から2泊3日で中山道を歩きます連休初日は大雨予報だったので、予定を1日づらしました今日は風強しの晴天ですが、明日はまた雨模様のようで、今日のうちに出来るだけ稼いで歩くつもりです特急から見える木曽の風景、雨に洗らわれて緑が綺麗です山藤が満開、民家が見える場所に鹿の姿も見えました空には雲ひとつなく真っ青塩尻からスタートして中山道と甲州街道の合流点、諏訪大社前で左に折れて和田峠を超える歩き旅です私の足には手ごわい和田峠、行けるだけ登りますが、さてさてどこまで進めるか
April 16, 2022
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今日はお友達に会いに出かけます。5年前、ひょんなことから岐阜にあるNHKのカルチャースクールに通い始めました。そこで92才と75才のおばさまと知り合いました。10人ほどの生徒がいたのですが、コロナの影響で生徒がへり、講座は無くなってしまいました。毎週土曜日、仕事を終えると、その足でJRの駅前に車を停めて階段を駆け上がり、キヨスクでミックスサンドとお茶を買って今度は階段を駆け下りて岐阜行きに飛び乗ります。ほっと一息着いたらガサゴソと袋から出して、ランチタイムです。ひと昔前は電車の中でモグモグする人は結構いたのですが、目立たぬようにパクパク。車内に匂いが広がって、一体誰が食べてるんだ〜と思われているだろうなぁ。家並みを見下ろし伊吹山や養老山脈を眺める、遠足気分です木曽川を渡ったら終点は間近、荷物をまとめますどうしても毎回10分遅刻してしまうけど、中国の先生は寛大でした。90分受講した後は、駅ビルのオープン喫茶店でお茶をします。参加しない人、時々顔を出す人、いつも参加するのは私達3人。二人からしたらわたしは親子ほどの年の差だけどなぜか気が合いました回を重ねるごとに、個人的な話をするようになり、たわいもない話に驚く事や学ぶことがありましたそして何より、作為のない懐の広い二人に癒され、周りからみたら、若くない3人が長話していると映るでしょうが、私達はゴールデンタイムを過ごしていたのですコロナでもう会う事もないだろうと残念に思っていましたが、自粛が緩む度に、一緒にお茶しましょう〜と、誘いの電話を掛けあいます昨年の春、秋、、そしてこの春92さんは岐阜の山奥で一人暮らし、現役ドライバーで高速道路を使ってやってきますお互いに次は無いかもしれないと思いながら、3人で会えることに感謝していますみんなちょっとした手土産を用意してきますたいがいお菓子だけど、わたしは刺繍にしました何年かぶりに引っ張り出して刺してみました初心者の我流だから、練習をしながらなんとか形になりました 義母が残していった切れ端や刺繍糸を使い、芯にはダンボール、紐は贈り物のリボン、と再利用づくしこれなら気軽にもらっていただけるし、断捨離もしやすいはずさてと〜、雨も上がったし、行ってきます
April 15, 2022
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春になると、長野の10才年上の伯母から ふきのとうが送られてきます今年も彼岸前に送られてきました渓流釣りの好きな伯父が木曽に出かけた時に、採ってきたものです今年はいつまでも寒く雪も何度も降ったので、ふきのとうの先が黒ずんでしまったそうです川の水も冷たくて、釣りの成果はボウズだったとか近所のおばさん達にも少しばかりおっそわけこの辺りの人はつくしが大好きですが、ふきのとうはあまり食べないようで、作り方を説明しました天ぷらが一番!湯がいてポン酢や味噌をかけたり、刻んだものをパラパラと入れた味噌汁もいい香りがしますよ〜 ふき味噌は毎回アクがいまひとつ上手く抜けませんお湯を沸かしたら火を止めて、重曹を入れふきのとうを入れてしばし放置強いアクが出るので、数回水を替えて翌日まで浸しておきます ザルにあげて、半分はふきみそに、残りは冷凍保存しました水分を絞ってみじん切りにして油で炒め、みりん、味噌を加えて煮詰め、最後に砂糖を加えて好みの甘さに仕上げます私は白味噌と赤味噌を混ぜて使いました冷蔵保存で長くご飯のお供になってくれます刻んだ唐辛子を入れて煮詰めたら、お酒のアテにもなりますね
March 22, 2022
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家時間が増えました今日は風もなく良く晴れて窓際がポカポカといい気分です一月はあっと言う間に過ぎて、今月は更に何もなくあっと言う間に過ぎていきそうです今年も玄関に花を飾り、しめ縄を飾り水場や自転車置場に豆しめも飾り、歩いて初詣に出かけてクジも引きました今年も薄い吉、ここまで例年通りとはね〜おせち、七草粥、左義長…年賀状も書きました何年もしていたことを簡略化せずにまた繰り返しています写真は投げ入れといういけ方ですここ数年お花やさんが、花代をあげる!と言ってますが、今年も値上がりナシでしたただ、花材は年々貧弱になっています投げ入れは剣山を使わずに、壺の向こう縁に切り口を引っ掛けて次々と入れていくのですが、何年たってもコツがつかめず、先生の手直しで形になってます年をとると覚えが悪いですね、センスの問題かな〜名古屋駅献血ルームより〜年末から献血が不足していると連絡がきていました献血は不要不急に当たらないそうですマンボウが出る前でしたが、急いで行ってきました年に2回、夏と冬の献血はやっと8回目になりました日赤側は成分献血が希望なのですが、わたしにはとても無理なので全血400mlをしてます献血した後、飲み物を片手にホッとして外を眺める時間が好きです大きく広がる窓から見える西側の景色、この日は雲がたなびいて霞んでいますが、遠くに多度大社、向こうに伊勢が見えます名古屋西口側は古い家が残っていたのですが、随分変わってしまいました真下にはリニアの駅が出来る予定で、来るたびに工事が進んでます30年前にわたしも利用した結婚式場は跡形もありません以前そこに何があったのか、記憶から薄れていくのは寂しいですね
February 9, 2022
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〜本山宿〜2日目(11月24日)日出塩駅から続きのスタートです一晩中風が吹いて、山にはうっすらと雪がかぶっていますこの辺りの玄関口には白と赤のしましま棒が準備されています積雪量がわかるように利用する棒でしょう〜洗馬(せば)宿〜いよいよ塩尻の町がひらけてきました洗馬宿は中山道と善光寺街道の追分で、荷物の重さを検査する役所、荷物貫目改所がありました中山道では板橋、追分、洗馬の三ヶ所にあったそうです洗馬は鉄道開通と昭和初期の大火で面影のある建物は残っていません名所の肘懸松(ひじかけまつ)も可愛い若木でした東京からの中央線と名古屋からの中央線が交わる塩尻駅、街道はその手前て右に曲がり田畑の中を次の塩尻宿に続きますこの松あたりからコスモ石油までの旧道のわずかな草道はわかりにくくて、畑の中をグルグルしてしまいましたグーグルで検索すればよかったです〜乳松〜国道19を右に入り県道に入ると、平出の一里塚がありますよく手入れがされて、 南の松は武田信玄の軍師・山本勘助が赤ん坊を拾ったという伝説が残っており、松葉を煎じて飲むと乳の出が良くなるといわれたとか北側の松は、まるで盆栽です左手に昭和電光の工場の壁が延々と続きますホテルの朝飯を食べ過ぎたせいか、北風の中を歩いたせいか急に便意を催してきました必死に我慢して歩いたのですが、あてにしていた神社も介護施設も施錠されていて、いよいよ顔面蒼白、シルバー人材センターに飛び込みました〜丼丸 田中屋〜本当に助かりました、ペコリ。ホッとしたらお腹が空いてきました程なくテイクアウトが主の海鮮丼屋さんで、お任せ丼500円を注文、とてもお得でおススメですあぁ、このトイレまでどーしても我慢できなかったわけです県道から外れて塩尻宿に入ります入り口に並ぶ石碑のひとつに目がとまりました 蠶玉大神かいこの神さまなのですねこの先の諏訪地方は日本でも有数の養蚕産業で栄えました〜堀内家〜塩尻は三河に通じる三州街道から太平洋の南塩が入り、糸魚川街道から日本海の北塩が入り、塩が落ち合う終着点から塩尻の地名になったそうです。その二街道と松本に通じる善光寺街道が交わり、東に塩尻峠を控えているので、かつては中山道二番の賑わいだったそうだが、大火で宿並は消失、塩尻駅に町の中心が移り、今は静かな家並みが続いています〜向こうは吹雪かな〜陽が傾くのは早いです今回はみどり湖駅で終いにして次回は塩尻峠から歩いて和田峠越えです振り返ると歩いてきた方向が白く霞んでいます吹雪いているはず時間調整でコーヒーを飲んで体を温めました。帰りは塩尻で乗り換えて、特急しなので一気に名古屋まで帰ります。すっかり暗闇の木曽路です。
January 25, 2022
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寒に入り、寒い日が続いています。木曽路歩きも今回が最後です。山あいを通る木曽路の宿場は中仙道と国道19号線とJR中央線が並行しているので、いくつもの峠越えがあっても便利でした。春には和田峠超えをしたいのですが、諏訪の宿と次の宿が離れているので、私の足で一気に歩けるか自信が…歩いたのは師走間近の木曽路、風が冷たい2日間でした。〜平沢〜いよいよ自宅からの距離が離れ、今回から泊まりで歩くことになりました。 最寄りの駅を朝8時に出発して、名古屋から中津川まで行き、30分の待ち合わせをしたら松本行きの各駅停車に乗ります。前回の奈良井駅に着いたのは11時半でした。〜11月23日〜11月の末、人の少ない静かな奈良井宿。 ここで一泊したかったのですが、行程の都合が合わなかったので、またの機会にします。まったく!コロナのために、ここ2年、予定通りにいきません。2キロ足らず歩いて奈良井と贄川の間宿・平沢、ここは漆器産業で栄えてきました。街道沿いには立派な構えの店や庶民的な店が隙間なくずらりと並んでいて、今まで見てきた宿にはない独特な雰囲気がします。道は緩やかにカーブして、店並はずっと向こうまで限りなく続いていそうな、時もずっと遡れそうな不思議な町並みです。木曽路に入ってから昼飯はいつも蕎麦でした。これまで沢山の蕎麦屋があって、楽しませてもらっています。この日は長瀬地区のそば処・ながせの山菜天ぷら蕎麦。冬の山菜や野菜の葉っぱが5種の天ぷらでした。次は木曽路十一宿の北境の宿贄川(にえがわ)宿です。江戸からだと木曽路最初の宿場、京からだと最後の宿場で、ここまでが尾張藩領でした。〜贄川関所〜ヒノキなどの木材や曲げ物、漆器の取り締まりや女の通行取り締まりをしていた関所が復元されていました。 JR中央線、19号線、旧道を見下ろす様に建っています。それにしても日差しのない寒い日です。山の合間を抜けてくる北風に向かって、黙々と歩きます。数日後にトンネルが開通するようで、急ピッチに仕上げの白線引きが行われていました。片平地区を抜けるあたりに、旧19号線で使用されていた古くて素敵な橋があると言うので寄り道しました。この時期だったから観れたのでしょう。草木が茂っていたら無理だったと思います。足場が悪くてこれ以上前に進めず、今では橋も進入禁止なので、この一枚がやっとでした。 この橋梁は、国道19号の旧道であり、奈良井川を渡河しているRC開腹アーチ(リブ+柱)橋として昭和10年に建設された。 現在は廃道になっているが、橋梁としては健在であり、高度な技が要求される構造である。特にアーチ部の曲線が美しく仕上がっている。 平成20年11月に土木学会推奨土木遺産として認定を受ける。(塩尻市案内板より) 狭い山あいを下る坂道。歩道とはいえトラックの多い19号線はヒヤヒヤします。北アルプスから吹いてきた風が塩尻の市街を抜けて、一気にこの狭い山あいを吹き上がってきます。寒い、あれま、雪がちらつき始めました。〜是より木曽路〜もう四時、陽が短くなってきました。早めに上がり、日出塩駅から塩尻駅に、今夜の宿は利便性を考えて駅前のホテル中村屋。ヒノキの浴場もあるリーズナブルな宿で朝飯のみ付ける事ができます。夜はホテル前の食堂で済ませて、早々に寝ました。明日は冷えそうです。
January 14, 2022
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令和3年もコロナで制限のかかる日が多かったけれど、初春から県内を中心とした日帰り登山を楽しみました。低い山ばかりでしたが私の足には調度いい加減。沢山登ってブログが追いつかずここにUPした低山は一部です。(せめて月に2.3回は更新したいとおもっているのですが・・・笑)中山道は和田峠を越えている予定でしたが、やっとこさ手前まで歩き次回は諏訪に入ります。岡谷は母のふる里で成人するまではよく遊びに行った第二のふる里、次回が楽しみです。今年最後は11月3日に行った秋の低山歩きのお話です。その時の写真を見ていると、今日の雪雲はそっちから流れてきているんだなぁ~向こうはさぞや冷え込んでいると察します。~賤ケ岳~余呉湖は琵琶湖の北にある、とても小さな湖、地図を拡大するとちょこんとあります。賤ケ岳(しずがたけ)は琵琶湖と余呉湖の間にある標高421.9mの山です。~大岩山登山口~(湖畔道路を造る際に岩は撤去されてしまった)初めて訪れた時は、木之本駅から3㎞歩いて、リフト乗り場の脇から入る南側登山口から登りました。1.5km1時間で山頂です。山頂から見た余呉湖の綺麗な事。その時、見晴らし台の影に北側の登山道が見えて、いつか余呉湖側から登ってみたいと思っていたのです。ところが!木之本インターで降りそこない、次のインターで下りることになってしまいました。山、山、山の谷間を走ると、なんと福井まで行ってしまいました!もう日本海です。昔、日本海の海産や蝦夷からの海産物はこの峠を越えて琵琶湖北湖畔の道を通り都に運ばれ、その道は鯖街道と呼ばれていました。~中川清秀の墓への分岐~湖の北側にある観光館に車を停めて湖畔道路を歩き、大岩山登山口から入り急な坂を登り、尾根伝いに右回りで賤ケ岳に向います。途中に中川清秀の墓、首洗い池(確認できず・・・)猿が馬場と戦を物語る場所があります。~頂上はあと少し~ここは1583年賤ケ岳の戦いがあった場所。豊臣秀吉勢と柴田勝家勢がいくつもの砦を築いて対峙しました。岐阜の織田軍を討つために出陣していった秀吉の留守中に、勝家家臣・佐久間が中川の守る大岩山に奇襲をかけました。ところが!秀吉軍は大垣から52kmを5時間で戻り、家臣の活躍で柴田軍に勝利しました。~南に琵琶湖~1時間余りで頂上です。登山道では人に会いませんでしたが、ひらけた山頂にはリフトで上がってきた人たちが結構いました。この日は秋の訪れを感じる日本海からの風が強く、奥琵琶湖の厳しい冬はこの谷を越え、その風は関ケ原を抜けて濃尾平野にやってくるのですね~~北に余呉湖~風に飛ばされそうですが、眺めは最高です。琵琶湖水面には日差しが当たってキラキラと白く輝いています。合戦の案内板を見ていると余呉湖ボランティアの方に「案内如何ですか?」と声をかけられました。ふたりのおじ様はこの強風の中、ずっと待機しているのです。(寒いなぁ~長くなるのかな・・・)迷い半分、興味半分、やっぱり聞く事にしました。~向こうは関ケ原~実際の砦となった山々を示しながら戦国の世の歴史を聞きました。南側には小谷城、姉川、山本山も見え、こちらの説明も聞くことが出来て、敦賀からこの奥琵琶湖、関ケ原にかけては、歴史マニア、とくに戦国時代が好きな方にはたまらない場所ですね。とても丁寧な説明をありがとうございました。歴史がチンプンカンプンな夫も熱意に応えようと懸命に聞いていました(∩´∀`)∩~北側の登山道~賤ケ岳には登山道が3つ、登ってきた<江土登山道>、南側の<リフト乗り場登山道>、北側の<旧国民宿舎登山道>下りは展望台の裏から入る北側の道を一気に下ります。湖畔に出ると、つい最近まであった廃墟の国民宿舎はすっかり取り壊されて更地になっていました。帰りは歩いてきた湖畔を戻ります。秋、訪れる人の少ない湖畔にひとりキャンプをする人、スケッチをする人、バスの釣り人・・・湖畔にはすっかり葉を落とした桜やクルミ並木が続いています。木の下でくるみ拾いをしている人、私も真似して拾ってきました。この日のお土産は素朴な秋の恵みです。尾張は雪が降ったり晴れたりの繰り返し、とても寒い大晦日になりました。暖かくして流行り風邪をひきませんように、みな様佳き年をお迎えください。
December 31, 2021
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高山に行ってきました。観光バスは皆無でしたが、街を歩く顔はみんな嬉しそうでした。城跡のある低い山に登ると、この夏行った乗鞍、穂高の山並みが手に取る様に見えました。青い空にくっきりと白い稜線が見えて輝いていました。もうすっかり冬です。前回の<乗鞍>のブログ更新から2か月が過ぎています((+_+))鈍足の私でもロープウエイを利用すれば日帰りで穂高の入口辺りまで歩く事が出来る、9月の末に行った西穂高の山歩きです。西穂高ロープウエイを利用して岐阜県側から登ります。山頂駅はH2156m、4階建物の3階には売店、4階はレストラン、展望台からは大パノラマが広がります。麓との気温差は5℃、街中とは10℃の差があるので、長袖にして念のために上着も持ってきました。若者達や家族連れが目の前に連なる山々と眼下の景色をバックに写真撮影に熱中しています。陽が登るにしたがい青空も見えてきました。駅の周りにはチョットした散策道がありロープ―ウェイの下り時刻までふらりと散歩する人もいます。アップダウンが少ない歩きやすい散策道ですが、眺望はできません。この先、穂高を目指す人たちはさっさと登山口を目指して奥へと進んでいきます。~登山道入り口~突き当りの小屋の横に登山口がありました。ここから先は軽装では進めません。観光客が軽い気持ちで入り込まないように、注意書きがバシッ!と明記されていました。私たちは日帰りで、西穂山荘の先の<丸山>まで往復する予定です。その先に西穂高岳がありますが私の足では無理、残念ですが。北アルプスは更にその先、穂高岳・北穂高岳・南岳・中岳・そして槍ヶ岳と続きます。歩いたのは9月20日足元の草木がわずかに色ずいて、秋が下りてきている気配を感じました。山頂駅は約2150M、約2450mの丸山までは標高差300メートルほどです。自分の中で300mは岐阜城のある金華山くらい、とは言え高い山は岩が多くて手ごたえ大です。ストックを持参しなかったのを後悔しながら、膝と右股関節をかばってゆっくり登ります。下りてくる人が結構います。大きなリュックの人は丸山の先の山小屋利用かテント泊をして険しい道を歩いてきた方々。前日には穂高で震度4の地震があったので、さぞや怖かっただろうと察します。眺望はありません。ひたすら登ります。黙々。道が平らになって空が見えてきたら、西穂山荘です。やっと腰が下ろせます。広場では多くの登山者が思い思いに寛いでいます。ここでコンビニ昼飯、私は山荘名物の<ラーメン>も頂きました。事前に見た評判はさまざま、麺の湯で加減がいまひとつなのは標高が高いせいではないかな?でも山頂で食べるどんぶりラーメンは塩分補給にも最適、コロナ禍で経営の苦しい山荘に応援です。東に上高地が見えます。あの赤い屋根は・・・帝国ホテル。昨秋、GOTOトラベルを利用して行った上高地、下から見上げた時に登ってみたいと思った山並の<入口>に立つことが出来ました。さてと、山荘北側の登山道を登り<丸山>へ進みます。あれよと言う間にまた雲が流れてきました、ガスの中ですが不安定な岩場はそう続きません。展望が開けて気分は山女です。前日の地震では落石事故がおきていて、この日も捜索ヘリが山肌ギリギリに飛んでいました。向こうの登山道から下りてくる人たち。あ~体力があったらなぁ、あ~若かったらなぁ~これ以上先に私はいけません。引き返します。オバはんに出来るゆる山歩きを楽しんでいくつもりです。低山とか、時には車で途中まで登ったり、ロープウエイなどを利用して高い山気分を味わったり。色んな楽しみ方がありますよ、ねっ。2021・9.20 晴れ時々くもり進穂高ロープウエイ西穂高口駅(2156m)~西穂高荘~丸山(2425m)~西穂高荘~駅歩行時間 4:20(休憩含む) 歩行距離 4.8km 登り標高差285m
November 30, 2021
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2021年7月25日 ほうのき平 発 9:55 畳平 着 10:40 畳平 発 15:50 ほうのき平 着 16:35 乗鞍岳は北アルプス連峰の南端、23の峰と7つの湖8つの平原から構成されています。遠くから見ると馬の背に乗せる鞍のように見えることから<乗鞍>と名付けられたそうです。乗鞍岳という名前の山はないそうで~岐阜県と長野県にまたがる剣ヶ峰(3026m)を主峰とする山々の総称です。畳平(2702m)までバスで行けれるので身軽に高山気分が味わえます。岐阜側からは乗鞍スカイライン、長野側からは乗鞍エコーラインが通っていて、自家用車の乗り入れは出来ません。岐阜側から目指します。(往復5000円)麓のほうのき平駐車場に車を停めて(無料P)<ほうのき平>から<畳平>までバスに乗る事約1時間。~中央が畳平~晴れの予報を確認して6時に出発したけれど、岐阜に入ると雲だし、バスで上がるほど霧は濃くなる一方、この先どうなることやら。昨年は豪雨による土砂崩れのために閉鎖されていましたが、7月22日から通行可能になりました。車窓からサイクルで登る人たち、すっごく大変な坂。でも、登りきった山頂は最高ですよね。~お花畑~畳平には広いバス駐車場、山荘が2件、売店、管理事務所に診療所、乗鞍本宮があります。普段なら沢山の観光客でにぎわうことでしょう。まずは、社務所で御朱印を受けて(あとに上社を参ったので順番が反対ですねぇ~)トイレを済ませて、目指すのは<剣ヶ峰>です。高山なので、どこのトイレも100円の協力金を払います。ありがたいことです^^~不消ヶ池~時間が経つにつれてガスが流れて四方の山が見えてきました。雲の切れ間から青空がのぞき、残雪や所々にある池が神秘的に光ます。畳平の周りにある魔王岳・大黒岳・富士見岳には遊歩道が整備され気軽に登れます。帰りのバスに間に合うように、今回はまず、剣ヶ峰に向います。この日下界は32℃、畳平は12℃だったので、ウインドブレーカーを羽織りました。畳平から肩の小屋までは未舗装の広い道路があるので小さい子も歩いてます。また、ガスってきました。左下にわずかに残る雪で夏スキーを楽しむ人たちがみえます。結構いますねぇ~向こうに見えるのは長野県側のエコーラインです。肩の小屋まできました。ここには売店・食堂があり、宿泊もできます。トイレはここが最後なので注意しなくちゃね。小屋の広場で大勢の人が集まっています。草むらにライチョウの親子がぴょこんと出たり入ったり、かわいい贈物です。広場に腰を下ろして、今から登る剣ヶ峰を眺めながらコンビニランチとしました。また晴れてきて、頂上はきっと良い眺めですよ~登山道は1本なので、道に沿って行列です。登る人、降りる人が半々くらいでしょうか、譲り合って進みます。小学生以上なら登れそうですが、いくらなんでもサンダル履きは無理、私はストックがあって助かりました。大きな岩場が増してきました。足をどこに着こうか考えながら登ります。目の前で下る方がドスンと尻もちを着くとこちらまで冷や汗かいて、思わず「いたいですよねぇ~」なんて声が出てしまいます。慌てない、慌てない。先を譲って登ります。すっかり高山植物も這松もなくなりました。腰を下ろす場所もなくなり、たったままで一休です。蚕玉岳を過ぎると剣ヶ峰が目の前に迫り、山頂の鳥居がはっきり見えてきます。~雪山岳と権現池~右手に権現池が見えます。雲がドンドン流れていきますが山と青空の色々な表情が見れて、雲のある日も面白いものです。さてピッチを上げてあと少しだ。~頂上小屋~ここが最後の小屋です。(トイレはありません)この先は左が登り、右が下りになります。景色は登るほどに素晴らしいのに、体はしんどくなってきます。先日、NHKラジオ山カフェで「日本の山では高山病にならない。高山病になった気分になってしまうのです。」と言ってました。血液検査でもヘモグロビン値は13もあったし、畳平から300Mの山に登っていると思って行きましょう。足元の小石がゴロゴロ転がっていきます。登頂です。13:00北側に朝日権現社、南にまわって乗鞍本宮奥宮。こちら側に鳥居があり、奥宮には宮司さんがおられ、お守りも販売していました。狭くて混みこみなので、360℃眺めて下山します。あんなに混んでいた登山道も空きすきで、本日もどん尻メンバーです。でもマイペースで下れます。下りは転びそうで緊張し、股関節や膝が辛いですね~緊張する岩場を抜けて頂上小屋でひと段落、登りで通過した時にここで飲むのを楽しみにしていました。引き立て珈琲とマシュマロ入りのココアを注文。(各500円)木のベンチに腰かけて大パノラマの中で飲む、美味い事おいしい事、す~っと体中に入っていくようです。肩の小屋まで戻り、ここでは軽くうどんをいただきました。コロナ禍なので、出来るだけ地元で消費しようと心がけているんです。まわりの山を見ても区別がつかないのが悲しいけど、もしかしたらあの個性的な形は<槍ヶ岳>かな?方向的にはそうなんだけど・・・コマクサ、クロユリ・・・ほんのひと時の山の春夏秋。紅葉の乗鞍も来てみたいし、山小屋に泊まって満点の星も見てみたい、そしてまた頂上小屋でお茶したい。乗鞍岳、次ありですねぇ~
August 10, 2021
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オリンピックも目前。なんだかんだ、どうしたこうした、と言っても粛々と?着々と?その日は近づいて来ています。梅雨が明けて暑いし、県外移動は控えるようにとお達しがあるので、家の中です。ご無沙汰していたブログをUPしようとため込んである写真を引っ張り出して、この夏は宿題に真面目に取り組もう!コロナの感染者数のグラフを見ていたら、上がったり下がったり、なんだか山歩きを連想しました、不謹慎者ですm(__)m4月11日 晴れ藪原宿~鳥居峠~奈良井宿 5.3kmスタート11:30 ゴール15:00~ワサビ付きのうどんは初めてだ~今回も青空フリー切符(往復2620円)を利用しました。名古屋からJR中央線に乗って<中津川>で各駅電車に乗り換えて<藪原>まで行きます。乗り継ぎに30分の待ち時間があるので、以前から気になっていた駅構内の蕎麦屋に寄り道です。見過ごしてしまいそうな立ち食い蕎麦屋は昭和感たっぷりの佇まいで、もの悲しささえあります。営業しているのかな・・・覗いて見るとやってます。改札を出て待合室側からも注文できるので、椅子に座ってゆっくりと朝うどんです(#^^#)各駅電車は時間を要す。やっと11時過ぎに<藪原>スタートです。いい天気、鳥居峠が見えますね。静かな宿場。酒屋、蕎麦屋、そしてくし屋が開いていました。お六と言う娘ゆかりのお六ぐしは頭痛に効果があると全国で大流行したそうだが、今は数件のくし屋になってしまった。ここは中山道と飛騨に向かう街道の分岐点、鉄道が走っているので跨線橋を渡ります。 橋の上で10人程の中高年のグループとすれ違いました。コロナになってから歩き人とめっきり会わなくなり、まして歩きのグループは久しぶりです。~役所跡からの高山方面~橋からすぐの高台に尾張藩の御鷹匠役所がありました。春になると鷹の巣を見つけて雛を捕獲して育て山を監視していたそうで、藩主や将軍にここの鷹は人気があったそうです。消防署の横に峠に向かう舗装道路があります。峠と聞くと、手ごわい坂道かと意気込みますが、清々しい爽やかな林道です。始めは舗装道、そして石畳、歩きやすい土道になって、九十九折れの坂道になります。~供養塔・1810年頃~陽が燦燦と当たりきれいな空気が体の隅々までいきわたるようです。外はいいなぁ。歩くのはいいなぁ。藪原宿が見下ろせます。木曽路の宿場は山に抱かれるようにほっこりと屋根が並んでいます。 御嶽神社の立派な鳥居が見えてきました。上がっていくとお社、裏手にまわると石碑が並んでいました。そこから南に山が連なり雪をかぶった山がチラリと見える、それが御嶽山(3063m)鳥居峠は1197m南側の木曽川と北側の信濃川の上流奈良井川の分水嶺をなしている。歴史は古く、和道年間(710年頃)に官道「吉蘇路」として開かれる。中世には「ならい坂」「藪原峠」と呼ばれた。1500年頃、木曽領主・木曽義仲が戦の際、この峠から御嶽権現を参拝し、戦勝祈願をしたところ勝利をしたことから峠に鳥居を建て、それ以後「鳥居峠」とよばれるようになったと伝わる。~子産の栃~さてここから下ります。巨木のトチノキの群生する箇所があって、なんだか神秘的でした。そのうちの一本は子宝のトチノキと名前が付いています。昔、この木の空洞に捨て子があり、子宝に恵まれなかった村人が育てて幸せになったことからこの木の皮を煎じて飲めば子宝に恵まれる、と言い伝えられてきたそうだ。見落としてしまいそうな脇道、丸太階段を登り明治天皇が御休息された場所を通りました。地図では峠の頂上はこの辺り、ここが一番高い場所でしょうか。ここからは北斜面、急坂になります。登りとは随分と道の雰囲気が違い、雨の影響で土砂が崩れて道が荒れています。古い橋を渡って土砂が崩れて狭まった道を下り、また橋を渡り荒れた道を下り・・・南側では見かけなかった、みず道があり小川に沿って下って歩く形になります。峠の南側の登り道のように景色も風情がありません。ただただ下る感じです。道が整備されだして石畳を下ると、次の宿は近いと感じます。鎮神社を過ぎるとかつて奈良井千軒と呼ばれるほど繁盛した奈良井の家並みが見えてきました。やはりここもコロナの影響で、閑散としていました。少し遅い昼飯にしようと蕎麦屋を捜すが、本日売り切れの店ばかりでやっと営業している店を見つけて冷そばをいただきました。35年前、奈良井には職場の慰安旅行で来ました。あの時泊った民宿<ほいほい>はそのままの姿でしたが、ぴたりと閉まっていました。名物のおかみさんは、とうに亡くなっているのをネットで知りました。静かな奈良井宿。この日は電車の都合でここでお終い。次回からは泊りの歩きとなりますが、さてさて、秋には再開できるでしょうか、ふぅ~
July 18, 2021
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連休が始まりました。お天気もよさそうで、窓を開けていると爽やかな空気が入ってきます。奥飛騨に行く予定を立てていましたが、まん延防止が出た時点でキャンセルしました"(-""-)"愛知なので県外に出るのも控えて、のんびりGWを過ごします。R3年 2月28日 晴れ時々曇り多度山(H403m)歩行距離 約10km 歩行時間 5時間(10時~15時) 歩行速度 遅多度山は三重県と岐阜県の間にある403Mの山です。麓には<上げ馬神事>で知られる多度大社があって、神体山として仰がれていました。最近は低山歩きのスポットです。~健脚コース入口~この日は東側のポケットパーク駐車場に車を停めました。ここはすぐに満車になりますが、愛宕神社付近に停めるか、多賀大社の門前有料駐車場(300円)あるいはみそぎ橋横の駐車場とどこでも停めれます。~つづら折りの舗装道路~山頂公園までは愛宕神社横の<健脚コース>、車道の<眺望満喫コース>があって、わたしは眺望満喫コースを登りました。歩きやすいですね。部分的に土道があるので、なるべくそちらに入って歩きました。この日は多度山の往復ではなく、ぐるりと一周する10㎞以上の行程ですが、クサリもはしごも無い優しい道です。~手前から、揖斐川・長良川・木曽川~車道は山頂公園まで続き途中に4ヶ所の見晴らし台があり、揖斐川木曽川長良川が太平洋に流れこむ河口がよく見えます。1時間ほどで公園に到着。バブルの頃の公園?入口の看板アーチは昭和を思い出します。麓には木曽三河公園や長嶋スーパーランドがあるので、公園に遊びに来る人は少ないようです。~多度山頂上~トイレをすまして(ここが最後)、階段を登ると山頂です。山頂には高峯神社があります。みなさん東屋に腰を下ろして、濃尾平野を眺めながらカロリー補給してますよ。眼下に木曾三川、その向こうに名古屋の街、黄砂が無かったら更に御嶽山や中央アルプスも見えます。三本杉の<相場振り>明治の初め、通信が発達していなかった頃、この場所に三本杉があり信号所(中継所)があった。大阪、桑名、名古屋、大垣など米相場は<旗振り信号>で伝えていた。この場所から桑名米穀から送られる旗信号を望遠鏡で確認して、同じ信号を四日市・名古屋・高須で見て次々と中継されて各地に伝えた。多度山を往復する人が多いですが、ここから瀬音の森コース、親水コース、のんびりコースとぐるり一周するコースを歩きます。一周の歩行時間は3時間半、私は5時間位かな(#^^#)最高地点はまだ先、鉄塔の下を通りなだらかなアップダウンを繰り返し、多度峡・石津御嶽分岐を過ぎると長い緩やかな下り坂になります。瀬音の森コースです。~左:健脚コース 右:多度峡へ~サイクルの人もいるし、逆向きで歩いてくる人もチラホラ、空いてますねぇ~木立の中、北側に下る道や美濃松山、石津御嶽への登山道の分岐がありますが、標識があるので迷うことはありません。伊勢湾を見下ろせる展望場でお昼ごはんにしました。杉とひのきの中を延々と歩きます。森林浴ですね。まだ春浅いせいか鳥のさえずりも聞こえません。変化のない似たような道、一体どこまで続くの?と思いながら歩いているとかわいいお地蔵様。見上げると壁の様な大岩、ビックリ、そして岩肌に<四王神>と刻まれた文字、更にビックリ。眼が覚めるようです。道のりには歴史を感じる石碑や物がないので印象的でした。何の説明もありませんが、誰がどうやって彫ったのでしょうね。この後コースは西谷川に沿って歩くのですが、近道の登山道を選びました。かすかに水の音が聞こえてきました。道のりは半分なのでその分坂は急でしたが、川鹿橋の手前にひょこんと出ることが出来ました。~多度川にでる~河鹿橋を渡るともぅ麓は目の先です。山肌から水がしみ出してビショビショしている川に沿った広い林道を下ります。多度大社のみそぎの場、25mのみそぎ滝辺りが多度峡です。春は新緑、夏は川の水をせき止めたプールやBBQ、秋は紅葉と人気スポットのようですが・・・この時はまだ2月。そんな賑やかな歓声が想像できず、昭和感たっぷりの多度峡です。ほどなく麓の集落に出て、みそぎ橋を渡ると親水コース、ゴールはあとわずかです。多度峡から20分程で多度神社に到着。~多度大社~今回はお参りはパスして、愛宕神社の前を通りポケットパークの駐車場へもどりました。最後の上り坂にひと踏ん張り、本日もよく歩きました。
April 30, 2021
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暖かくなったらどんな春を楽しめるだろう^^♪みんな楽しみにしていたのに、このところの状況にはため息ですね。外の空気はいいですね。空も草木も、鳥の声も・・・今日は久しぶりの本格的な雨ですがもぅ冷たい雨ではないですね。自粛前の2.3月の週末は晴れた日が多くて人気のない低山歩きをしていました。今頃ですが、その時の話です。R3年 3月14日 晴れ大桑城(古城山)407m 歩行時間 2.5時間 水平距離 5.6km岐阜県美濃市にある古城山(H407m)は地元では城山と呼ばれているそうです。美濃国守護の土岐氏の守護所、大桑(おおがた)城がありました。山頂付近が本丸、南に二の丸・三の丸が続いて400Mの曲輪が連なっていたと言われています。<麒麟がくる>で観光客を期待していたのですよね、よく手入れされています。昨年はコロナで観光客が来なくて・・・明智の青い旗が悲し気です。登山口はふたつ、東側と南側にあり、どちらにも駐車場と新設のトイレがあります。東側の旧登山道から登る事にしました。~左:旧登山道~<健脚コース>突き当りを左手へ。古城山登山口から山頂まで約2km。60~90分で登れます。わずかに残る大桑城の遺構を見ながら山頂を目指して木立の中を歩きます。~右:車道へ~<ゆったりコース>遠回りですが歩きやすい車道を登り、はじかみ登山口から新登山道入ります。山頂まで750m。20~30分で登れます。登りは旧登山道、下りは新登山道と車道をつかって駐車場にもどる事にしました。歩いてみると、この順がお勧めです(*^^)v~古城山登山口~土道に所どころゴロタ石がありますが、岩場がなくてストック不要の歩きやすい坂です。見落としてしまいそうな石垣、崩れかけていますがわずかに残っています。無造作に大きな岩が転がっているように見えますが、岩の門があったと伝わります。~伝・岩門~馬場、堀切、土塁や曲輪跡もありますが、こちらも看板がないと見落としてしまいそうです。もぅ400年以上の時が流れているから無理もないですね。平らな台所の向こうに頂上への道があります。この辺りからは新登山道と合流するので、観光客の為に真新しいロープが張られています。~伝・台所~これは観光客に優しくて、坂がきつくなってくるのでたすかりますね。観光目的で見晴らしをよくしたのでしょう、南斜面の木々を伐採してありました。頂上の本丸には昭和63年に建てられた高さ3Mの天守閣が見えます。写真では様になりますが、まじかで見ると思います。(なにもない方が良かったかなぁ・・・)頂上から南側が広範囲に視界が開けていて、良い眺め。越前朝倉氏の一乗谷を参考にしたという城下町があった景色が手に取る様に見下ろせます。写真では確認できないけれど、一直線南に岐阜城も見えます。すぐ手前が駐車場、そこから向こうの川沿いに桜並木が続いていたので、この春も綺麗な花を咲かせてくれたでしょうね。古城山は金鶏山(きんけいざん)ともよばれています。斉藤道三に敗れた土岐氏が落城の際に家宝の金のニワトリを城内の井戸に沈めて落ち延びた、という伝説があるそうです。<麒麟がくる>の中でも土岐頼芸(尾見としのり)が観賞用のニワトリを溺愛してましたね。頂上には祠もあり、丸太の腰掛があります。お弁当をひろげて一休み。多くの方は新登山道を往復しています。下りの新登山道は階段が多いのですが、ロープの手すりが張りめぐされているので、安心です。気を配りながら一気に下りてきた感です。車道は車が通らないので、春風に吹かれて気ままにど真ん中を歩いてきました。道脇にチョコンと芽を出したタラの樹が沢山ありましたよ。1時間ほど車道を下って麓の駐車場に到着。今日もいいお山でした。
April 13, 2021
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