全536件 (536件中 401-450件目)
NHKの< ブラタモリ>で国分寺を散策していました懐かしい^^あの界隈 いつもは見ないのにテレビにかぶりつき収録は、遊んでいた子供たちが夏休みだったので、8月かな? 実は私も秋に国分寺から国立を ブラ♪ブラしましたそのうちまとめようと思っていたので いいきっかけになりましたブラ♪ぶどう の気ままなお散歩です~ 国分寺駅 ~まず降り立った懐かしの駅は、面影の全くない驚きの駅ビル、マルイになっていましたちびっこい駅だったのは、もぅ30年も前の事だもんね~~ お洒落だったカレー屋さん ~南口正面のラーメン屋はすでになく、新しい店が並び、マンシションが次々と建設中この辺りは緑が多くて、夜歩くのが怖かったはずなんだけど。いつか・・・大人になったら入るんだ!! と思っていた「ほんやら堂」1年程前に店じまいしたようです背後までマンション工事が迫っています 多分、今はもぅないでしょう。~ ピーナッツハウス ~JR中央線沿いには沢山の大学がありますこの日も登校する学生さんが道を急ぎます学生のたまり場的ハンバーグ屋さん、まだあるとは思わなかったリニュアールされてますが面影が残ります私がよく座ったのは二階の左側必ず茹でた落花生がお通しで出てくるんですよ^^今もそうかな?~ お鷹の道 ~駅に戻って西へ、国分寺跡に進みます駅前を離れると閑静な住宅街 古びた店舗 武蔵野を思わせる木立かつての面影がまだ残っています以前なら土道で夜は淋し~い坂道でしたが、階段になって綺麗に整備されていました ♪江戸時代(1748~1867 )国分寺の村々は尾張徳川家の御鷹場に指定されていた。崖線下の湧水が集まり、野川に注ぐ清流沿いの小道はいつしか「お鷹の道」と呼ばれるようになった♪小川もきれい 遊歩道もきれい普通の川の方が神秘的だったんだけど・・・~ 真姿の池 ~♪平安時代、王造小町という女性の病気が国分寺の薬師如来の霊験で治り^^元の姿に戻ったことによると伝わる。かつては沢山の湧水源があったが、都市化により少なくなってきている♪池の辺りはどうしても思い出せない でもこんなに綺麗ではなかったような 参拝。若い頃の姿に戻れるかしらん?~ 御大臣の家 (勝手にそう呼ぶ)~繁った木々の中を下りてくると 大きな家が昔のままの佇まいでそこにありました時間が止まったようで嬉しくなります両側に二件野菜を並べて売っていました 散歩がてら立ち寄る人が結構います~ 国分寺 楼門 ~国分寺の周りも小道が出来て喫茶店もありました古は 随分広大な土地に大きな建造物があったでしょうが 栄華を知る物はほとんど残っていません~ 国分寺跡 ~よく寝転んだ 原っぱなんだかもっと広々としていた気がするんだけど・・・周りにこんなに住宅があったかなぁ?学校もあったかな?工事用のフェンスも見えるし、これ以上何を建てる気なんだろう(ブラタモリで知ったのですが、フェンスの向こうで七重塔の発掘調査をしていたのです、笑)気ままに住宅街の道を歩きまわってみました そして迷う^^;家庭菜園も案外多く、畑の中には遺跡土器の瓦などの欠片もあるとか・・・ここから南に進むと府中市 東芝工場や府中刑務所がありますそぅ・・・あの3億円事件の犯人が現金を抜いたアタッシュケースと車を放置していったのが この国分寺跡TVで見るまで知らなかったあの頃はうっそうとしていたのに綺麗になって 事件も遠い過去の事になりました道路を渡り国分尼寺跡に向かいますよく友達と来たDENNYSはうどん屋になっていましたJR武蔵野線をくぐりますバイトの帰りにこの道を通りましたが、今思うと怖い夜道でした~ 国分尼寺跡 ~今は礎石しか残っていません近くに黒鐘公園があるので園児が遠足に来ていましたここの桜は3回見ました秋なのにチラホラ咲いています 雪みたい学生の頃住んでいた場所に行ってみると 更地になっていましたあれから随分、時が経っているのです、ねぇ・・・ さてと、今夜のブラタモリ<国分寺・後編>を見てこよ~
January 26, 2012
コメント(20)
底冷えのする日が続いています 東京に雪の予報が出ていました洗濯物がなかなか乾かないのに 子供らは気にもせずに次々と出してきます7キロx2回 洗濯機を回します部屋の中は洗濯物があちらこちらに吊るさっていますこの冷たい雨はいつあがるんだろう・・・暗い日。写真蔵の中から、明るい暖かそうな写真を引っ張りだしてきました四国の歩き記を書いていて季節外れになった 11月頃の公園の何かの実です美味しそぅ~^^♪鳥でなくても食べたくなっちゃう。 タルトは知り合いから頂いた手作りです近頃のお菓子は甘さ控えてありますね♪ 美味しかった。 昨日は引っ越していった友人宅へ 5年ぶりに遊びに行ってきました飾り気のない控えめな優しい人です拾ってから16年と12年過ぎる猫ちゃん達も元気です16歳の方は 年なのか歯槽膿漏と背中にイボイボ(脂肪のかたまり?)がありますがお愛想よく膝の上に乗ってきます チョッと重いなぁ^^;ずい分くつろいでしまいましたお日様が当たらず 部屋がすごく寒かったせいか朝起きたら喉が痛い背中にホカロン着けました あったかい。今日は左義長です小雨の降る中 地区の小さな神社の境内で 古いお札やしめ飾りを燃やします地区役員さんや神社の総代さん皆さん結構お年(70歳以上)なのに 寒い中ご苦労様です明日は大寒 風邪をひきませんように。
January 20, 2012
コメント(14)
日本三大稲荷 豊川稲荷に行ってきました神社とばかり思っていましたが 実はお寺さん^^* 曹洞宗 円福山 豊川閣 妙厳寺鳥居が有るから パン♪パン♪ と拍手するとこでしたお祀りする豊川だき尼天のお姿は、白狐の背に乗り、稲束をかついで宝珠を持ち、岩の上を飛ぶ天女とか。 ~ ど~んと鳥居 ~広い境内は大勢の人で賑わっていましたが、お正月も過ぎてほどほどの混みようです暖かい休日 みんな穏やかで幸せそうです~ 総門 ~始めの一歩 この立派な門は 明治17年建立 多分、この門扉は~ケヤキの一枚板 玉杢(たまもく) とてもめずらしいものだ!! 門扉を なぜなぜする同行人~ 大本殿 ~緩やかな坂を進むと 大きな提灯と煙がいい味出してる 本殿です手はたたかない、たたかない。600年前の室町時代に開創され、今川義元、織田信長、豊臣秀吉、大岡越前守忠相、渡辺崋山などの武人、文人達の信仰を集めました。江戸時代には、庶民の間で商売繁盛、家内安全、開運の神として全国に信仰が広まりました。~ ケヤキの戸 ~ 本殿右側にはツルが彫刻された 大きな戸があります詳細は解りませんが、目をひきます~ 最祥殿 ~青い空に、曲線がとても綺麗ですこの赤いポストは現役で、日本で一番古い赤ポストとか~ 奥の院 ~本堂の奥には奥の院に通じる参道があります両側には白い千本幟がズラリ、ズラ~ッ、凄まじい数が立ち並び、なんとも言えない独特の空間です祈願料を払って 幟に住所氏名を書いて 棒に通して立てかけていきます奥の院の真正面には大木が生えていて 一風変わった眺めですジーッ @@昼間でも薄暗い樹林の中に宝雲殿・三重ノ塔・万堂・弘法堂・大黒天堂等の堂塔があります最も奥には霊狐塚様々な大きさの狐の像が所狭しと並んでいて ドキッ!! とします、 壮観。1000体近くあるでしょうか?顔が様々で、奉納した方のお顔に似てたりして。ここは・・・夜には来れないよ><。怖すぎる~ 絶対チビル~~ お稲荷さん ~門前にはお店が並び、沢山の人でごったがえしています名物のお稲荷屋さんは どの店も行列 @@総門前の一番人気のお店は延エ~ンと行列が続いていたから、他の店にしました「天ぷら稲荷」「六色稲荷」・・・普通が美味しいようで。 てへっ (^^)*
January 14, 2012
コメント(18)
鏡開きをしました私が来る前から 我が家のお餅はスーパーで買っています実家の様に まる♪まる もり♪もり と手造りしないのでカビる事もなく、金槌と包丁なんか使わなくても 簡単に切れちゃいます^^;~ 玄関に ~暮れに生けた盛り花が 百合や菖蒲が花開いて 様になってきました 今頃。日頃のお稽古は 手ごろな値段で花数が少ないから 初心者の私にもなんとかなるのですが お正月はボリュームがあってためらってばかりいて なかなか鋏が入れれません・・・そこに大先生 @@ バシッ!! バシ!!花の気持ちが解るように 思いっきり生けていきます 豪快帰宅して もぅ一度思い出しながら 真似して生けました^^*~ 若いきれいな手だね ~娘もありがたく 成人式を迎えることができました右が保育園からの友達の手 左が家の娘の手今の子は着物に合わせて 髪を染めたり付爪をしたり・・・お洒落ですね~アルバイトのお金を貯めて やりくりしたようです私の頃(うん十年前)は 付爪もピアスもカラーもなく 着物は購入するか 知り合いから借りたものでした~ 叔母 私 娘 ~髪型も帯の結び方も 事前に希望を伝えて美容師さんと相談します着物は実家に眠っていた反物を 母が近所の御針子さんに頼んで作った物いったい いつ頃誰から頂いた反物でしょう・・・^^;帯は母の妹が成人式で使ったものを 私が使い 長女が使い 次女が結びました近くで見ると随分くたびれていますが遠目で見ると 薄桃色に刺繍の着物に 黒が粋です (親ばかです^^*)色んな方のお蔭で ここまで大きくなりました お正月気分もおしまい 世の中が動き出しましたよ~
January 9, 2012
コメント(16)
夕焼けがとてもきれいでした。夜の月も凍てつくようにピンとしてとてもきれい、寒くて愛でるゆとりもありませんが。明日は成人式 次女も晴れ着をきて参加します。ズ=ット昔から田舎の箪笥にあった反物で 母が作ってくれた着物、帯は叔母が使ったものを私がもらって成人式で締めた帯で長女も使い 次女もつかいます。 45年物。 あまりにも お下がりばかりでは・・・姉の時に カバンと草履を新調し、着物小物や髪飾りは それぞれが選びました。品ぞろえのいい高島屋^^; バラで買うと結構な値段になります。古い物も活用できて嬉しいし、全部揃える事を思えばね~明日は晴れで ありがたい♪ 4時半起きなので、寒いだろうなぁ~ @@初参りには伊勢神宮 この辺りは沢山の人が行きます。牡蠣食べ放題!! 内宮外宮参拝とおかげ横丁自由散策職場の先輩が 1/4にバスツアーで行きました。その時のお土産、赤福。ニュースで流れたように この日は野田総理大臣とレイホウ議員の御参拝があった日先輩の後から参道規制が始まったので、空き空きの中で参拝ができ、後ろからこられた両氏を間近で見て、お声もかけて頂いたとか。・・・数年前に 汚名で一躍有名になりましたが・・・この辺りでは大馴染みの和菓子 庶民の味方 初めて見た時の感動~子供たちも大好きで 3つ4つは立て続け、その子供たちがまず気が付きました。「前と味が違う~ こんなに硬くなかったし。」その後に 賞味期限の偽装報道でした。 でも またお店が続いて美味しい赤福が食べれるのです。各地でにたような〇〇餅があるけれど、機械製造だったり、真空パック入りだったり。これは手作り、娘さんが一つひとつ握って指の波模様をつけてます。本店で買うと ヘラが木製であかふく印が入っているんですよ^^知ってた?中には絵葉書大のイラスト、裏にはお便りが書いてあって毎日かわります。 あ~赤福 頑張れよ~ 真摯に続けていってね~ ずっとだよ。
January 7, 2012
コメント(17)
近頃 お散歩してません 秋のお遍路が済むと気分が徐々に低下 暮れの大掃除を理由に 家の中ばっかり^^*お正月を迎えると 寒いから~ と更に散歩は お蔵入り*^^*節分を過ぎたころに やっと春遍路に備えて再開するのがパターンです~ 初々しい ~今日は 北陸山陰でかなり吹雪いているようですねそんな日は向こうから来る強風が吹いて 晴れていてもかなり冷えますそこを無理して 手袋に流行のワッパになった手編みのマフラ~を ぐる♪ぐる巻にして えい!や~ 思い切って散歩に出ました~ 清楚 でも芯は強く ~さぶ=い。@@;張り切ったのをチョッと後悔 今日は短いコースにしましょ氏神様を3ヶ所とじじ様のお墓まいり ほんの30分まぁ~ 手慣らし 足慣らし寒くていい被写体もなく・・・なにより早く帰りたい。~ 陽気 ちょい盛りが過ぎて ~ぽっ♪ とするような 温かい写真がありました 去年撮っておいた よく散歩をする公園の薔薇ですお遍路やお寺廻りのブログを ちょぼ♪ちょぼ してたら時期がずれてしまいました春の薔薇と違って 秋のそれは 細く小さく控えめで可憐~ 色気 情熱 ~四花四様好きなのは 1枚目のピンクかなぁ~自分を重ねるなら・・・選ぶとしたら3枚目 満開を過ぎた黄色かしらん(クッ、仕方ない。) あなたは どの薔薇ですか?
January 5, 2012
コメント(5)
雲ひとつないいいお天気 冬の富士さんはとてもきれいです暮れは山梨へ 餅つきの出稼ぎに行っていました盆地の昼は 風もなく静かで ポカポカと暖かい日が多く 夜は・・・ 冷えます 背中から凍ります~ 富士山 ~田舎には あちらこちらに地域の温泉施設があって 町民なら500円位で 一日中利用できます^^都会から遊びに来た帰り ひと風呂浸かって暖まっていく人もいます市民でないと700円位でしょうか。 畑仕事のない冬の間のお楽しみ 10時~暗くなるまで仲良し同士で過ごします大広間の長机と座布団で場所取りをして^^; お風呂に入って・・・昼飯は 持参したおかずや漬物の味比べ カップラーメンを持参する人もいますみんなでゴロ寝をしたら またお風呂に入って こんどは おやつ^^*楽しいよね~~ 南アルプス ~母と本家の叔母に「温泉に行く?」と声を掛けると 「行く♪いく~」と即答桃畑の中にある<桃の里温泉>に なんと連チャンで行きました二人とも年を取りました・・・近くなら 手足になって助けたいのになあっ 私も年をとりました^^;~ 八ヶ岳 ~元旦は 氏神様に2年参りに行って合掌 おしるこを頂きますひと眠りして お餅とお節を食べたら 10時頃に神社に行って合掌 ボーイスカウトの振る舞い餅を頂きますそして みんなでおみくじを引きます6人で見せ合って あ~でもない こ~でもない と言い合います我が家のお正月の恒例です <中吉>季(とき)ならぬ うぐいすの声 谷の間の 青葉がくれに 透りて聞ゆ 私のおみくじの句です どんな1年かなぁ・・・
January 3, 2012
コメント(12)
忘れることの無い年が暮れようとしています。 奈良のお寺さんの除夜の鐘も、準備万端でしょうね。残しておいた...いやいや大切に温めておいた、大人の修学旅行の〆は<法隆寺>です 若草山に登って 朝日に輝く西の山並みを見ていたら「向こうにある法隆寺が見たいな」 と提案ありナビに登録 生駒郡斑鳩町法隆寺1番1号 なんか~住所にも いにしえ感がいっぱい^^いいなぁ~ 日本最初の世界文化遺産 ~法隆寺は、金堂や塔のある西院伽藍 と 夢殿のある東院伽藍に分かれています写真は12月初旬前日の雨が上がり 青い空にどっしりと 建物のシルエットが浮かびます日本で最古の五重の塔最下の内陣には 東西南北四面に塑像群(奈良時代)があるけど暗くてよくわかんない~~ 聖徳宗・総本山 ~金堂には釈迦三尊像・薬師如来像・阿弥陀如来像など 重厚に光る像が並んでいます赤外線ライトで照らして拝見している人がいました中門の前で 説明ボランティアのおじさんが声を掛けてくれました「どうですか?法隆寺は広いから3時間はかかりますが」2時間位なら聞きたかったけど・・・残念ガイドの方々は専用のライトを使用してます~ エンタシス様式 ~聖霊院は上がれるので、聖徳太子像の前に静かに腰をおろしましたここでかわいい 「夢」お守り を求めました桃:「ここのお守りはお手頃ですね」 思わず一言おじ様:「ず~っと以前からこの値段のままですよ」 ほほ笑み 聖霊院の横を奥へ入ると大宝蔵院へ進めます~ なんか、へんろ道を思い出します ~平成10年に造られた新しい伽藍には 百済観音像、夢違観音像や玉虫厨子など多数の宝物が保管展示されています風情はないけど~ ここなら大切に保存され 安全です^^それに ガラス張りと優しい照明で 十分に鑑賞することができましたその姿、くいいるヤモリみたい?ここの 「地蔵」 とても大きくて 普段見るお地蔵さんとは違います以前、雑誌サライで見た気がしますが 実物は風格があって心に残りました東大門を抜けて 東院伽藍に向かいます脇寺の塀が続くこの通りを歩いていたら 学生時代を思い出しましたチョコッと好きだった子と塀の前で写真をとったっけ(苦笑)~ 優美 ~夢殿は聖徳太子を偲んで 739年に建てられた八角円堂これまた有名、社会の本の常連さんです夢殿から背~伸びをして山を眺めていたら 法隆寺の鐘の音が聞こえてきました♪ゴ~ン♪奈良に2日間いて 唯一聞いたお寺の鐘 広がりのある優しい音でした~ 夢殿から西の山 ~次に訪れる時は 近くでレンタサイクルを借りて 斑鳩の里を走ってみたいですね春もいいだろうなぁ~ 秋もいいだろうなぁ~写真は12月初め、今はもぅ冬枯れですね2011年が暮れていきますお寺さんの鐘も凍てつく空気を震わせて、もうすぐ鳴りはじめます 来る年が健やかな年でありますように お祈りします春よ 来い 早く 来い
December 31, 2011
コメント(16)
名古屋の街に10センチほど積もった雪が まだ残っていますそのため 夜はかなり冷え込みます北国はずい分積もっているようですね。北陸で雪を降らした雲がこの辺りを通過する時におまけの雪を吹き散らかしていきます 正月花を生けるお稽古に行ってきました若松を見て 秋に歩いた愛媛の山合いの集落を思い出しました歩き道沿いに小さな作業小屋があって、お年寄りが松を束ねていましたお正月の門松や生け花用の松を山から採ってきて 冬まで保存して出荷するとか なんだか笠地蔵に出てくるおじい様とおばぁ様みたい暖かいお正月を迎えられますように~~ ピンポン玉位^^♪ 愛媛の山田まんじゅう ~まだUPしてない写真があったので 愛媛のおやつ編秋に撮ったもので 食べたのはもぅずい分前のことです(笑) 一口で食べれてしまう 薄い皮に包まれたこしあんの かわいいお饅頭創業140年 門外不出 一子相伝 守り続けて現在5代目松山の南 卯之町には江戸時代末期の家並みがひっそりと建っています私が歩いたときは もぅ夕暮れすぐ通り抜けてしまいそうな家並みは 早々と店じまいをしていました 春 宇和島駅前店でバラを3個買いました若い店員さんの感じがよくて^^初めて食べたお味も良くて^^秋 道後温泉横で沢山買いましたまんじゅうの佇まいがなんとも控えめで シンプルで 品がよく いいですね~ (わたし?みたい^^*)~ 蕎麦ぼうろ ~内子の蕎麦やさんで お接待に頂いたぼうろは歩きながら食べるのがもったいない気がして 帰宅してから頂きましたよくかむと じんわりといい味がします 年賀状はなんとか投函したし 大掃除もテキト~にだいたい済みました^^;おやつの時間 わたしのゴールデンタイムです がんばり過ぎは効率が悪いから チョッと一息(休んでばっかりの気がする・・・)
December 28, 2011
コメント(6)
今日の風はすごかった=!!晴れていたけど、黒い雲がドンドン流れてきて、洗濯物が舞う舞う~「しぶち」がやってきます・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。 修学旅行並みに次々と訪れた 奈良のお寺廻りをまとめていたら結構時間がかかってしまって 気が付いたら12月も半ばです。 コレ^^♪ 法隆寺の参道脇で買ったおやつうん十年まえの修学旅行で しか用の鹿せんべいを食べたけれど~こんなに美味しかったかなぁ?軽くてパリ♪パリしたおせんちゃんの間は ほうじ茶味アイス サッパリしてます~ 鹿せんべいアイス ~大人の修学旅行シリ~ズは まだ(まだぁ?)法隆寺が残っていますがチョッと一休み・・・息抜き^^*宿題は年が暮れないうちに、いずれまた。 一応主婦だから^^; いっくらなんでも大掃除を始めないと。掃除 と言えば奈良でお会いした仏さんや観音さん達のすす払いも本番ですね。先日見た時は 1年分の塵ほこりがかなりつもっていたっけ。 ~ 柚子菓子 ~そうそう、まだ賀状作りも手を付けていません。ここ数年は四国のお寺や仏像、風景を描いて手作りしています。絵心があるといいのですが、我流で四苦八苦しながらなんとかかんとか仕上げています。作る過程は大変だけど 出来上がりを手にした時は嬉しくて・・・ 楽しいものです^^年賀状の準備は 済みましたか?
December 16, 2011
コメント(16)
龍神さまが住むと信仰されてきた室生山室生寺は 奈良時代末期に勅命によって 国家の為に創建されました国宝や重要文化財に指定された貴重な品がた~くさん^^仏像フアンにはたまらない お寺さんです~ 風流な表門 ~奥深い山の中にお寺と門前屋が肩を寄せ合う様に佇んでいます室生川を渡ると本坊に通じる 小さいけど味のある門のお出迎え朝晩が冷え込むせいでしょうか 奈良市内のモミジより 枯れモミジです2日間で どれだけのもみじを見たことでしょう 瞳の中に赤い☆が輝いてます♪(訪れたのは12月初旬です...)~ 真言宗 室生寺派 本山 ~同じ真言宗の高野山が かつて厳しく女人を禁止してきたのに対して女性の済度もはかる道場として参詣を許していたことから<女人高野>と親しまれてきました~ 仁王門 裏側 ~室生寺のシャクナゲ、長谷寺のボタン 春の観光名所ですこの階段脇が 花々で賑わうようですが、紅葉の秋もなっかなか^^ 石段を登ったところに見えるのは 平安時代に建てられた金堂です~ 鎧坂 ~段になった石垣の上に建ち、正面に出入り口がない、めずらしい御堂だ(相方曰く)♪平安時代初期の山岳密教仏堂で、仏像の為の建物という考え方。僧侶も滅多に入らなかったので正面に出入り口は無く、仏様の為の扉が横(左側)にある秋の特別拝観中 こんな機会は滅多にない^^☆内陣に上がり(¥400) モ~ッと近くからお姿拝見 ~ 金堂 国宝 ~御堂の中央には 一木作りの釈迦如来像(国宝) その背後にある大きな板壁には 帝釈天曼荼羅図(国宝) が描かれている 左側に 文殊菩薩像・十一面観音菩薩像(国宝) 右側に 薬師如来像・地蔵菩薩像 横一列に並んだ5像の前には 運慶の作と伝わる 十二神将像が 勇ましく愛らしく並ぶ~ 弥勒堂 ~本尊の 逗子入り阿弥陀菩薩像 と 釈迦如来像(国宝)の前に座って静かに 般若心経を唱えるお四国を廻っているお蔭で 暗唱が出来るようになりましたよ^^♪ 室生寺さんでは 門と奥の院で御朱印が頂けますがなんと^^; 弥勒堂でも 3タイプの菩薩様の御朱印がありました全部頂くと・・・¥300x5種類x2人分=^^;~ 五重塔 国宝 ~平安時代初期の建立 屋外にある塔では日本で一番小さいでも、法隆寺の塔に次いで古い つまり~日本で二番目に古い塔です一番上の相輪が ふつう九輪の上は水煙だが 宝瓶をのせて 宝鐸を吊りめぐらせて 天蓋を作ってある ・・・そうな。専門的でよく解んないけど 珍しいんだって(汗;)~ 奥の院へ ~塔の横から奥の院に向かう石段が始まります原生林に囲まれたかなりの坂です・・・がぁ~この位は慣れたものよ息が切れた亀みたいだけど、オバハンは確実に登る事ができるのだ(ガガーリンさん風)~ かなりのもんだ ~観光気分の方は 手ごわい坂に驚いていますこんな坂を毎日登る御朱印係りさんは きっと若者だよなぁ~なんて言いながらやっとこさ登ると 静かな奥の院に到着こんな思いをしてきたのだから 私はここの御朱印に決めた!!(ご朱印係りは 結構年配のおじさまでした^^*)~ 舞台造り ~西国三十三ヶ寺を歩いてまわっているのかしら? リュックを背負った青年が御堂に上がり 静かに鎮座していますいいお姿~ 奥の院 位牌堂 ~お寺にきて お経を上げている人の姿がなかったので チョッと淋しかった仏像の前では 鑑賞したらスル~スル~する人が多くて、手を合わせてお参りする姿も少なくて 空しかった~ 空 ~4時を過ぎると 山あいのお寺は急に薄暗くなり みんな足早に坂を下りて行きます室生寺へは道路が出来て便利になったけど、昔は 東西南北にあるのお寺を 四門 と呼んでこの内側を聖域としてそれぞれの寺から山や谷を越えて室生寺をめざしたそうだ。青年は奥の院の裏側の木戸から 行ってしまった歩き道があるのだろうか・・・
December 15, 2011
コメント(6)
急に冷えこんで道行く人が襟を立て足早に過ぎ去ります 一気に冬です一週間前の談山神社のもみじ 今頃は枯モミジでしょうね・・・どんどん時期外れになりそうなので早くUPしなくっちゃ^^*~ 山が燃えるみたい ~秋になるとツワーが組まれ 紅葉の本には常連さんの観光地例年なら遅いもみじ狩りだけど 12月でも(12/4)この鮮やかさ 見事です奈良市内から南へ25kmの山の中 神社前の小道には 懐かしいお店が並ぶおでんや甘酒で暖まる人 芋や漬物、果物などを見定める人もみじで神社が覆われているようです~ 拝殿 ~♪ 談山神社は大化の改新談合の地 ♪祭神は藤原鎌足。中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足(後の藤原鎌足)がこの山で曽我氏を討つ密談をしたことから「談い山=かたらい山」と呼ばれるようになる。645年 曽我入鹿を討ち、中央統一国家・文治政治の完成という偉業を成し遂げた。これが社名「談山神社」の起こりとなったそうな^^~ ♪ 和みます ♪ ~拝殿は1520年創建 「多武峰縁起絵巻」などお宝が展示.されています絵巻には鎌足と皇子が密談しているところや、入鹿を討つところが描かれていました 拝殿には下足を脱いで上がります 畳敷きなのでのんびりとした雰囲気です軒下にズラリと吊るされた鉄の釣灯籠の黒とモミジの赤が引き立てあってます~☆~素敵向こうに見える煙が 太古ののろしみたいです~ 想いのままに ~南の山が見えるここからの紅葉は絶品 赤い柱を額縁にしてパチリと写すとオツですこちら側にはカメラを抱えた人や座り込んで鑑賞する人が 並んでいるんですよ~ 十三重の塔 ~鎌足の没後、お墓は今の大阪に造られたが、唐から帰国した長男・定慧和尚が遺骨の一部を多武峯山頂に改葬し、塔と講堂を建立して妙楽寺とした。さらに神殿も建て鎌足公の神像を安置した。これが談山神社の始まりだそうな^^今の塔は1532年に再建したもの 現存する世界最古の木造十三重の塔 高さ約17mなんか目が回りそうな塔です^^ご立派 ~ 竜神社 ~塔の奥へ進むとパワ~スポットがありました近寄れないように紐が張ってあるのに?何故か水を触っている人がいます^^;この奥の山道を登ると鎌足公のお墓や談い山に行けます。~ 蹴鞠の庭より ~へへっ、今日は山登りはしません。げざん下山。春と秋のけまり祭りはこの庭で宮中衣装を着て優雅に行われますあの着物で蹴り続けるのは 見ているよりもかなり難しいでしょうね~ 青に朱 ~こんなに晴れると 透けたモミジがとても綺麗もみじといっても色んな赤がありますね 青い空にいい感じです
December 11, 2011
コメント(14)
冬の日暮れはアッと言う間 5時には真っ暗ですお昼を食べてから な~んにも飲み食いしていない(怒;) おやつがないなんて~はらペコペコ~ お宿からの朝焼け ~昼飯は唐招提寺から薬師寺までの小道にあった蕎麦屋 <蕎麦切り よしむら>前に来た時は この道脇に小さなお店がポツポツあったのに儲からないのか、お年を取られたのか、戸を閉めた店が目立つ~ *^O^* これは2人分ですよ ~ここのお蕎麦は100%国産そば粉、10割そば。ざる蕎麦を頼むと「広島産」と「鳥取産」を出してくれた 粋だね~新そばは薄みどり色と蕎麦名人に聞いたことがある。 う~ん、いい色。濃くて甘めのつゆに歯ごたえのある麺 旨いね~^^押しずしやミニかき揚げ丼も加えて 満足♪満足3時のおやつは甘味処で何を食べようかなぁ~と楽しみにしてたのに「麦酒と御飯がまずくなる」という反対意見にあい お寺ばかりで食べ損ねた・・・悔; 今日のお宿は 若草山の中程にある和風旅館お出迎えのお茶サ~ビス おかわりしたいけど、ビールの為にこの辺で。~ なにはともあれ キリンビ~ル ~冬の献立だね~あん肝豆腐 鶏つみれ鍋 寒鰤照り焼き 氷のお皿にお刺身 ・・・~ 上げ膳 据え膳 ~頃合いを見て次から次へとご馳走がやってきます年に何回あるかないかの お姫様(誰が?)状態 毎朝毎晩 台所に立ちっぱなしのオバハンは 幸せを噛みしめ ご馳走を呑みこむ~ グラスでか過ぎ ^^* ~あれもこれも美味しくて もぅ一杯 麦焼酎をロックで!! 遠近感がおかしいなぁ~ 洗面器並のグラスに見えますね^^;炊合せ 蟹と紅鮭の酢物 蟹の揚げ物 干柿の揚げ物・・・~ ありがたやぁ ~この後も続きますが・・・酔ってきたからこの辺で打ち切りさてさて のんびりお風呂に浸かってきましょうか 良く歩いてよく食べて 体はポカポカ 即熟睡、自分で布団を敷かなくていいんですよ^^~ 今日も歩くぞ ~山のお宿で静かな朝を迎えます朝日が当たった奈良の街が現れました 向こうに見えるのは生駒山?高尾山? 爽快な眺めを見ていたら、いつもは入らない朝風呂に入ってみたくなりました朝飯も こんなには食べれないよ~ と言いつつ完食ご飯と茶粥 味噌汁とおでん汁 ^^; 2人前の量です ~ 若草山展望台 ~奈良奥山ドライブウェイの途中にあるお宿から 通行券が頂けるのでそのまま展望台にドライブしてみました右へ左へカーブカーブ 色付いた木立の中からは麓の街はみえません展望駐車場から山道を進むと、視界が一気に広がって素晴らしい高台にでます 映画「学校」で先生と生徒達が登った若草山を思い出しますここまで来る人は少ないですね鹿は優雅にお散歩、みんなは街を見下ろして深呼吸をしています
December 9, 2011
コメント(4)
ド~ンと奈良の大仏さん 誰でも知ってる、修学旅行の定番。 中学校の修学旅行で行ったから・・・・・乗り気のない相方を引っ張っる大仏さんは見とかなきゃぁ~ 東大寺は広いよ~ 周りも素敵なんだから~ ~高さ 15m~聖武天皇が国の安泰を願って造られて 752年開眼 本名は廬舎那仏坐像(国宝) 何度も修復されて今のお姿ですもぅ12月 境内は人もまばら 修学旅行は一校だけ大仏さんの鼻の穴と同じ大きさの穴が開いた柱をくぐり抜ける お茶らけた子供達もいません静寂の東大寺です~ 裏参道 ~中門を出て大仏殿の裏(北側)にまわると 二月堂へ通じる小路があります。土塀の間を進む坂道は風情があってお気に入り^^♪10年前より 観光地化されてきれいになった かな?カメラ愛好家の団体さんが 熱心にレンズを覗いていますここは人気のポイント~ 二月堂 (国宝) ~ お水取りで有名ですね。境内の東側の高台にあるお堂で 舞台造りの為 舞台に上がると大仏殿 向こうには奈良市街が見えます~ 大仏殿 (国宝) ~大仏さんのお家 横57mx縦50mx高さ48m でかい @@*今のお家は3代目 幅は当初の2/3というから 初代のお家は大きかったんだね二月堂の裏側に廻ると・・・仏像がありました 知らなかった~ 四国23番薬王寺さんみたい~ 三月堂 (国宝) ~二月堂の横には 三月堂、 本名は法華堂その前の坂を下ると 四月堂(三昧堂)があるんです 知らんかった~まだ4時過ぎなのに 今日は夜みたいに暗くて 静かです ひと気のない坂を下ると 鐘楼があります~別名 「奈良太郎」 ~お寺なんだから どこかに鐘があるはずだ「るるぶ」で地図をみたら ♪ほら~あるじゃない こんな方まで入ってきたことないわでっかいね~ @@;写真で表せられない なんと26トン こんな大きい鐘は見たことない AH~音色を聴きたい でも突き木はしっかり縛り付けてありました~ 雰囲気のある 東楽門前辺り ~鐘楼から大仏殿への階段を 下から写すと絶好の紅葉スポットらしくて 沢山のオジサンが カメラを抱えてジ~ッとチャンスを待っていますもみじと私を写したいのかなぁ・・・照*アッ!邪魔? はいはい、すぐ下りますよ。~ 興福寺 ~今日は(12/3) お日様が顔を出さない 暗い日でしたその割には暖かいので 奈良公園にはそぞろ歩く人が結構います5時を過ぎていたので興福寺はライトアップだけ 阿修羅像も 又のお楽しみですこの10月にオープンした東大寺ミュージアムも春日大社も・・・また東大寺は・・・と言っていた相方は 東大寺をジックリ見て満足気 早めに見終わったら駅前商店街にまわって 甘い物食べて買い物もしたかったけれど 言い出せなかった ^^; またのお楽しみです。 ・‥...☆・‥...☆・‥つぶやき...☆・‥...☆・‥...東大寺の御朱印やお守りなどを売っているコーナーはすごく広くて、沢山の販売係りのおじさんがいました。普段から大勢の観光客の相手をされるのでしょう。学生 ご老人 外国人・・・忙しすぎ 儲かり過ぎ^^; この日はかなり空いていたのに、その中の数人の態度がとても不快で、淋しくなりました。後で相方に話すと やはり同じように感じたそぅです。大寺なのに・・・大寺だから?
December 9, 2011
コメント(6)
修学旅行では みんなで列になって唐招提寺から薬師寺への小路を 歩いたものですその時の のどかな田園風景とお寺さんの雰囲気が 忘れられません るるぶを買って知りました・・・東塔はこの春から 修復工事中 だそうでぇ唯一残った本物が見れないなんて=止めようかな?でも 唐招提寺を見たら薬師寺に来るのは 当たり前田の コ~スだからやっぱり東塔を拝見したい~ 法相宗 本山 薬師寺 ~天武天皇が 妻(後の持統天皇)の病気回復を願って 680年建立発願。飛鳥の地に創建されるが 710年平安遷都に伴って現在地に移る。幾つもの災害を受け 特に1528年の兵火で、東塔を覗く伽藍など諸堂を失う。 天気予報通り冬型の雲が どんどん流れてきますポツポツの雨が薬師寺に入ったら土砂降りです・・・テンション下がる~ 雨に濡れる 東院堂(国宝) ~東院伽藍は創建時は 東側の池の位置に南向きで建立していたが973年火災で焼失1285年 現在地に西向きに建て替えられました~ かくれんぼ中の 東塔(国宝) ~門に向かう回廊に 東塔の内部の写真と説明が展示されていました風雨や害虫などでひどい惨状(泣;) 鳩や烏の糞も酷いもんだ(泣;)だってね~ もぅ1300年もズーッと時を重ねてきたんだものただの木だよ~無理もない。心柱の修復が重要らしいいずれ覆屋に隠れてお姿は見れなくなります。 完成はH30年、待ってるね!!~ 西塔 ~S54年に復興 白鳳様の華麗なお姿 (いずれは彩色が落ちますが...)「両手に花」みたいに 東塔と西塔の真ん中に立って どっちが好き?な~んて、誰でも思いそうな事。観音池から眺める お寺さんの景色はとっても美しくて 有名です 屋根の下にちっちゃい屋根があるから、六重?と思いきや 三重の塔♪裳段(もこし)裳階(もこし)は、仏堂、塔、天守閣等で、軒下壁面に付いた庇状構造物。別名:雨打(ゆた)本来の屋根の下にもう一重屋根をかけるかたちで付け、構造は本屋根より簡素。風雨から構造物を保護するために付けられたものだが、建物を実際より多層に見せることで外観の優美さを際立たせる効果がある。~ 金堂 S51年復興 ~サライみたいに近くから仏像を撮りたいけど じっくりと観て心に留めておかなくちゃ^^中門から僅かに写せた 薬師三尊像(国宝)真ん中が薬師如来 右が日光菩薩 左が月光菩薩 なっかなか 相方が出てこない ? 金堂へ戻ると 僧侶の講話をみなさんと聞いていました薬師寺の歴史と復興への道のりを 大阪漫才並に(苦笑*)熱弁お写経勧進によって 予定よりも遥かに多額の浄財金が集まりS42年から 次々に復興されてきました塵も積もれば山となる (例えが違うかな?)そして〆に写経を進められて・・・^^; 相方は母親のお土産に買いました2000円也東塔の修理は 西塔を建てた時よりも費用がかかるそうです釘一本位にはなるでしょうか・・・
December 7, 2011
コメント(4)
唐招提寺のお姿に ガ~ンときて一目惚れしたのは若草の匂いがするような女学生だった頃 (@@;高校の修学旅行 ~ 金堂 (国宝) ~南大門をくぐると 正面に堂々と でも爽やかに迫る 金堂の姿にオバハンは今も 惚れ♪惚れ します。玉砂利を踏みしめる音、白い垂れ布が風にふわり~ふわり~と揺れる様あの頃と変わらない。~エンタシス様式の8本の柱~修学旅行はたいがい緑の頃、紅葉の奈良は初めてです。お寺に朱色が色っぽくて いいですね~金堂内には ご本尊の廬舎那仏坐像 右に薬師如来 左に千手観音と三尊が安置されています。唐招提寺は759年に鑑真が創建しました。ほら、社会の本で見覚えのある あのお方ですよ^^ 中国で誕生した鑑真和上は、14歳で出家 21歳で授戒。日本からの熱心な招きに応えて舟で海を越えてきますが、何度も失敗が重なり盲目になってしまいます。それでも諦めない意志の強いお方、753年 6度目にして成功します。和上は東大寺で5年過ごされた後、専修道場を創建、これが唐招提寺の始まりです。~ 講堂 国宝 ~ 講堂は寺を開く際に 鑑真が平城宮東朝集殿を朝廷より賜り移築したもので平城宮唯一の建築遺構~ 金堂 ・ 講堂 ・ 鼓楼(国宝) ・ 礼堂東堂 ~「暖かかった秋も週末からは冬型になって、大荒れです。 ご注意を・・・」天気予報のせいか、師走の土曜日だからか、人が少ないねぇ~ Q:写真の左にミスしたような線 コレはなんでしょう?(答えは最後、いけず~)~ 礼堂・東堂 (右) ~10年前に来た時は<平成の大修理>中だったので 金堂は覆われて 工事現場みたいでした^^;がどぅです~ この直線と曲線の美しいこと ~蓮池辺り~お堂を囲むようにお散歩。奥まで入ったことはありません。初夏には 川の様なこの池に 蓮や菖蒲が咲くとか。こちらに来ると 木々が紅や黄色に色付いて とても綺麗です。 少し半身が不自由なご主人と 手を添えてたえず話しかける奥さんが丁寧にお散歩をしていました。~ 御影堂の前で~本坊の横に醍醐井戸があります。こんな大きな井戸 初めて見ました! 水も満々と満ちています。底上げ? 案外 底にすぐ手が着いたりして^^; 不謹慎お堂の裏には 鑑真和上坐像(国宝) を納める御影堂があります。(6月5~7日に拝見可)京や奈良の土塀は味がありますね~~ 御廟の前で ~木が茂る薄暗い方に進むと 鑑真和上御廟 に行けます。苔むしたお庭に黄色いもみじが しっとりと舞い落ちています。香炉の文字 <萬世同重>~ 戻る途中の石畳み ~そぅ~高価じゃない現代石(相方曰く ^^;)だけど 遊び心がありますね。私好みで パチリ~☆~見上げるもみじもいいけれど、足元にも乙なもみじです。~ 次は いつ? ~ゆっくりと拝見することが出来ました。ありがたい。 どうして好きなんだろう・・・ 「顔をあげよう」 そんな気持ちになるお寺さん。 A:避雷針次の薬師寺では 沢山目にします。
December 5, 2011
コメント(4)
もぅ12月、師走ですね。今年は秋がいつまでも暖かかったので 紅葉も長く楽しめました。奈良の週末(12/3.4)のもみじです。アルジの勤続30年のお祝いに仕事先から宿泊券を頂きました。ほんの少し^^; 3万円かつては10萬円、それ以上の時代もあったようですがこのご時世だもん、感謝♪しないと・・・ね。¥30.000 3万円 参萬円 同じなのに なんでかなぁ? 文字によって重みが違うような気がする^^*こんな機会はめったにない!! ♪よ~く考えて~ お金は大事だよ~♪紅葉の綺麗な奈良にしました。平成の大修理を終えた 大好きな唐招提寺も行きたいしもみじで有名な 淡山神社も一度見てみたい。仕事休みがなかなかとれず 12月に入ってしまった。急に冬型の気圧配置になった 週末の3・4日に 修学旅行並みにあちらこちらと堪能してきました。晩秋の寺社ともみじの写真を 順次紹介していきます。牛の反すうみたいに もぅ一度味わおう~♪ ご一緒に^^いかがですか?唐招提寺 薬師寺 東大寺 二月堂 興福寺 若草山 法隆寺 淡山神社 室生寺 修学旅行を 思い出しながら・・・
December 4, 2011
コメント(10)
近頃 お散歩してません 秋のお遍路が済むと気分が徐々に低下 暮れの大掃除を理由に 家の中ばっかり^^*お正月を迎えると 寒いから~ と更に散歩は お蔵入り*^^*節分を過ぎたころに やっと春遍路に備えて再開するのがパターンです~ 初々しい ~今日は 北陸山陰でかなり吹雪いているようですねそんな日は向こうから来る強風が吹いて 晴れていてもかなり冷えますそこを無理して 手袋に流行のワッパになった手編みのマフラ~を ぐる♪ぐる巻にして えい!や~ 思い切って散歩に出ました~ 清楚 でも芯は強く ~さぶ=い。@@;張り切ったのをチョッと後悔 今日は短いコースにしましょ氏神様を3ヶ所とじじ様のお墓まいり ほんの30分まぁ~ 手慣らし 足慣らし寒くていい被写体もなく・・・なにより早く帰りたい。~ 陽気 ちょい盛りが過ぎて ~ぽっ♪ とするような 温かい写真がありました 去年撮っておいた よく散歩をする公園の薔薇ですお遍路やお寺廻りのブログを ちょぼ♪ちょぼ してたら時期がずれてしまいました春の薔薇と違って 秋のそれは 細く小さく控えめで可憐~ 色気 情熱 ~四花四様好きなのは 1枚目のピンクかなぁ~自分を重ねるなら・・・選ぶとしたら3枚目 満開を過ぎた黄色かしらん(クッ、仕方ない。) あなたは どの薔薇ですか?
December 2, 2011
コメント(1)
今日は雲ひとつない青空、風もない小春日和です。久しぶりにいつもの公園にお散歩 20℃は越えている?うっすらと汗がにじんできました。このところご無沙汰していたら、すっかり秋模様の公園です。~おいしそう (笑)~この もみじ きれいでしょ♪ 日曜日に行った、犬山の常光寺の べっぴん♪もみじさん です。、~真言宗 寂光院~マスコミ効果でしょうか・・・週末はすごい人の山でした。この辺りは 犬山城 モンキーパーク 明治村 リトルワ~ルド 成田山・・・集中しているから 車も大渋滞です @@~参道~山の中の寺敷地は10万坪 !参道は全て東海自然歩道、境内全域は飛騨木曽川国定公園になっている。木がいっぱい。これは手入れが大変だぁ~ (手がとどかない…?)~向こうの山に続く 自然歩道~参道脇に埋もれていた二宮金次郎像そこまで耐えて学ぶお姿、なんか可哀そうでした。道を整備した時に石仏を移動したのか、あちらこちらの山肌にある仏様お尻がまだ落ち着かない様子^^参道を上がると本堂に続く 石段・七福坂、320段 を登ります。足腰に自信のない方は 庫裡事務所前からスロープカーが出ています。6人乗り、4分で本堂横に行きます。この日は待ち時間に だいぶかかってましたが^^;~本堂 本尊は千手観世音菩薩(秘仏)~階段の石が新しいので 安全に楽に上がれました。展望台も 結構な 人 ひと ヒト 左手の随求堂には本堂から渡り廊下で結ばれています。堂の外廊下を右廻りに般若心経を唱えながら3回廻りご本尊の前まで来る度に願を掛けること3回。~願いの鐘~昨日(11/26)なら 青天でさぞかし もみじも鮮やかだっただろうな。あいにくこの日は曇り、写真もキレがありません><。 沢山の人が鐘を突いて、鳴りっぱなしです^^;鐘に対して撞木が軽め^^*のようで、かわいらしい音色が犬山の森に流れていきます。~かすかに、犬山市内~寂光院のもみじ祭りは11/12~12/11まで開催中。今日あたり、最高の見ごろではないでしょうか♪付近や境内はシンプルなので、MY茶MY菓子を持って行かれるといいですよ^^
November 30, 2011
コメント(6)
窓を開けると岩山に霧がかかっている。やっぱり、雨ふり・・・へんろ旅4日目、最終日。予報では週末まではお天気だったのに、テンション下がるな。 ロビーでバスの時刻を聞くと、普段でも2時間に1本位なのに土・日・祝日は4時間に1本位、待っている間に往復できてしまうよ^^;オニギリを頼むと断られる。昼に団体客が来るので厨房は大忙しなのだ。売店の菓子パンにする。 直瀬川カッパを着て傘をお借りして、岩屋寺に出発。8:30お寺までは3.5km、宿に荷物を預けてきたから身軽♪ 濡れてもいいや~と思ったら気楽♪霧が流れて山深さを感じる 幽玄的。川の向こうに民家が見えてきたら 岩屋寺はもうすぐ。 竹谷♪ 45番 岩屋寺 ♪ 巨石がそそり立つ修行道場で、山全体が本尊とされ守られてきた。815年霊地を探して訪れた大師は、この辺りで修行中の神通力を持つ女・法華仙人と出会う。仙人は大師の修法に深く帰依して、全山を献上して大往生したという。この時大師は木像と石像の二体の不動明王を刻み、木像は本尊として本堂に安置して、石像は奥の院の秘仏として岩窟に封じ込め、山自体も本尊となった。 山門橋を渡って山門から本堂までは250段余りの石段が続き、20分ほどかかるでしょうか・・・入口には小さな懐かしげな売店が数件、川を渡るとこの山だけ別の時間が流れているようだ。川の手前から向こうのお寺までリフトでも作ったら・・・以前からそんな声もあるようだけど、あえて昔からの階段を守られているよぅです。 下の駐車場から老いた人たちも手すりや杖を頼りに、ゆっくり~ゆっくり~登ります。根をあげて座り込み、同行の人に納経を頼む老人もいます。80過ぎの父親を還暦位の娘さんが支えながら励ましながら、丁寧に一段一段歩んでいきます。可愛いでしょ参道わきの石碑。すごいね~ 時を感じます。苔に触れたりしたら 罪! のような気分。このアングルの写真は本やパンフレットで見かけます。人工的には絶対作れない貴重品☆苔じゅうたん山肌に一体化するように、石仏がビッシリと並んでいる。山あいだからかな、今日みたいに霧が流れて湿度が高いせいか、苔がすごい。 蛇行する階段もあとわずか(ため息**) 岩壁に呑み込まれそうな庫裏(納経所)が見えてきた。 合掌 50余りの堆積岩に囲まれて堂塔が覆われるように建っている(押しつぶされそう...ともいう^^*)垂直の岩盤を背中にして建っている本堂と大師堂 岩は100m近くあるだろうか?狭い岩場に建っているので建物自体は小さめだけど、なんて印象の強いお寺でしょう。 納経所@@;本堂の右手に法華仙人が行をした跡が残っていて、梯子から岩穴に自由に上がれます。少し前に梯子から転落した事故があった・・・お経を供えて、登らせて頂きます。お大師さん! 慎重に上ります、どうか無事にお願いします。 本堂梯子は女の歩幅には広すぎて・・・私の身長は160cm、170cm以上の男性にあう広さだ。一段づつ、恐る恐る踏みしめる。今、下から2段目3段目・・・何段上がっても「2段目だ、3段目だ」と思い込ませる。 半ば辺りまで登ったところで、私に気が付いたおばちゃんの叫び声 @@;「ぎゃ=!! あの人登ってる~恐ろしい~」・・・止めてくれぃ、おばちゃん、頼むから黙って。 行場跡何もない板張りは6畳位、下を覗くとやっぱり、怖いねぇ(汗笑ゞ)本堂の左側が(写真の向こう側)胎蔵界峯、右が(背中側)金剛界峯と呼ばれ、国の名勝・県立自然公園に指定されている。本来ならモミジがいい色なのに、雨でいまひとつ、ふたつです (><)晴れなら絶景♪ せり割禅定 ♪大師さんの修行場。大師堂奥の山道を300m程進むと入口がある。中に入るには寺務所で鍵をお借りする。巨岩の裂け目をくぐって鎖を頼りに岩を登り梯子を使って頂上を目指す。危険だが、頂上からの景色は素晴らしい。体験した方の話を聞いて、登るつもりで来たけれど・・・梯子を登る人もいないのだから、禅定に行く人は誰も居ず・・・雨を理由に取りやめました(><)。内心、ホッとしたりして・・・恥*古岩屋トンネル納経所で身代わりお守りを5つ買う。三婆と二人の友人へ。女性の折り返し年齢になってきたのか、婦人科検診で引っかかる人が多くなりました。 お別れに鐘を突かせて頂くと、素朴ないい音色が岩肌にぶつかって響き渡る。「ご~ん~」 そこへ、タイミングよく電話がかかってきた。スゴイ音響です。お遍路の1歩目から一緒だった不動さんが、心配をして掛けてきてくれた。今から三坂峠を降りるのは無理だろうと、久万から松山へ下るバスの時刻を教えてくれる。また来るね久万駅バス停までは10km、バスは13:30、さぁ急いでくだろう。古岩屋荘で傘を返して、リュックを背負いひたすら歩く。小ぶりなったとはいえ、雨が段々浸みてくるしカッパの中は暑くて、蒸してきた。道脇のガラクタ^^;小屋でタンクトップになってカッパを着なおす。(おばさんは見られても平気^^*)ふるさと村の休憩所で、宿で見かけたお遍路さんに「一緒に歩きませんか?」と声を掛けられる。おかげで男性の歩きに引っ張られて、バスに間に合うことができた。13:00 バスに揺られてウトウトしながら峠の山並みを見ていると、結構な高さと長さにチョッと気おくれしてくるぅ。来春には、この三坂峠を降るのだ。 1時間ほど揺られて・・・松山。 4日目 H23・11・6 雨 出発 8:30 距離 13km
November 29, 2011
コメント(15)
久万の町が広がっている。大宝寺はもう少し左側かな。ひわ田峠(H790m)から久万郵便局(H486m)まで、たったかたぁ=とくだってきました。暖かい秋日先達さんから聞いた小さなうどん屋さんでまずは腹ごしらえ。3年前に老いた母親を亡くしてからはおじさんが一人でぽつぽつと営んでいるそうで・・・二人でNHKの「カーネーション」を見ながらまったり、足が楽になりました。 でわ。この先1km旧道から見えるこの山門からまっすぐ、1kmほど上がった所にお寺があります。お遍路さんは見当たらず静かな道を進む。 歩きの方左へ♪ 44番 大宝寺 ♪飛鳥時代、百済からきた僧侶が十一面観音菩薩を安置したのが寺の始まり。その後狩人の明神兄弟が見つけ庵に祀って本尊とした。大宝元年、天皇の勅願により寺院を建立。「大宝寺」とした。修験道の道場として栄えたが長宗我部氏の兵火にあい衰退したが、松山藩に再興された。 仁王門門の両側にはどでかいわらじが吊るしてあります。100年に一度取り替えられる(?)とか。金剛力士像は1455年越前の大仏師・法眼の作。境内は銀杏が色付いて、黄色に染まっています。とっても^^きれい。 「朝まいりは わたくし一人の銀杏ちりしく」 種田山頭火 作きら♪きらと本堂は大正時代に再建された銅版葺き。大師堂はS59年再建、総檜造り。読経をして顔を上げると、格子窓に映った黄葉が美しくて、思わず息を呑みこむ。講でしょうかしーんとした境内に大勢のお遍路さんがやってきた。小さい子や女性が多くみられる。そこに不意に風が・・・まるで銀杏の葉っぱ吹雪。みんな大喜びだ。アッ! 早く納経所に行かないと。 きいろく、紅く。45番岩谷寺はR12車道と裏山の杉林から入るあるき遍路道がある。こんなはずじゃあなかった・・・近道のつもりでいたのに、結構登るじゃないの。二つの峠越えで今日はほとんど終わったつもりでいたから、このおまけは予定外だった。 くたびれた自分を励まして、もぅひと踏ん張り登ると、トンネルの横に出た。この上を越えてきたのか。河合の休憩所でトイレを借りて一休み、この先車道を進むか途中から歩き道に入るか考える。なんだか、雲行きが怪しくなって、早くも薄暗くなってきた。15:00河合トンネル車道を進み、途中から右手にはいって山道を行くことにした。この先2.5kmの歩きへんろ道は今夜の宿<古岩屋荘>に続いている。大宝寺を打って久万の宿に荷物を置き、その日のうちに岩谷寺を打つ人が多いので、お遍路さんはこの道を往復するはずなのに、またもや誰にも会わない。結局、先達さんやノッポさんにはもぅ会えなかった。右:八丁坂へ八丁坂の急坂は岩谷寺の裏手に通じるもう一つの歩き道につながっている。私は左へ。確かに岩谷寺方面にすすんでいるんだ、よね? 夕方になると心細い。左下を車道が走っているはずなのに何も見えない、エンジン音もしない。 でもゴルフ場が見えるから大丈夫だ、よね? 絶壁薄暗い木立を抜けて視界が広がると、絶壁の岩肌が見えてくる。空洞の穴があいた奇岩が続き、しがみつくように岩肌に木々が生える。紅葉と岩肌が絵葉書で見る観光地みたいで素敵。 あたし独り占め^^あっ。一人なんだ!! 暗くなる @@; もぅ、5時じゃん。 国民宿舎ピョン♪ と出たところが今夜のお宿。古岩屋荘(ふるいわやそう)。部屋の窓は岩山と紅葉が目の前に広がって、本来ならもっと色が映えただろうに、風呂から上がった頃には雨がふりだしていた。予報より早く天気が崩れてきた。 明日は雨か・・・3日目 H23・11・4 晴れのち雨 出発 7:00 到着 17:00 距離 24km 宿 国民宿舎 古岩屋荘
November 20, 2011
コメント(10)
たちばな旅館は落合トンネルを抜けたら左手へ1km下った <砥部町>にある割烹旅館です。旦那さんは優しい方で、御かみさんはよく気が付かれる働き者。私の部屋は12丈の大広間、ふすまの向こうも12丈、昨夜同宿だった先達さんだ^^*お部屋もきれいで、料理もウワサどうりでたべきれるかな~嬉しい不安 ^O^ここは、ビールでしょう♪ (人気のASAHIより、KIRINがいいんだけどな)大びんはチョッと・・・2人に勧めたけど、飲まないそうで、今回のお遍路さんは飲まないなぁ~ショボン。 宴会@@?今日のお客は 逆打ちの男性と先達さんとわたし。先達さんを真ん中におへんろ話に花が咲く。逆打ちさんは春に順打ちをすませ、続けて秋に逆打ちをしている !!先達さんは温厚な方で、先輩風を吹かすこともなく細かい情報を優しく話してくれて、「なにか聞きたいことがあったら連絡ください。私なりにアドバイスしますよ^^」と名刺をくださる。バク♪バク食べて、グン♪グン飲んで、御かみさんがご飯を進めてくれるけど、量が多過ぎて一口も食べれなかった。逆打ちさんは4杯位食べていた・・・若いなぁ~ 今夜も食後のお風呂。最後だと気楽だ。肉刺はないし、あのあと足もつらないし、明日の峠越えは何とかなりそうだ。 この字は!朝飯を食べて3人揃って御かみさんの車でトンネルまで送っていただく。昨日の続き。先達さんはへんろ道へ戻り、ひわ田峠をめざす。逆打ちさんは内子を目指し、今夜は大洲のときわ旅館に泊まる。私達が泊まった宿だ^^二人を降ろして、私は昨日の続き<田渡>まで戻る。(私もトンネルからと思っちゃった~ 恥^^; )「昨日乗った場所はここよ」 山道は真っ暗だったのに、御かみさんよく覚えてるなぁ。さて、しっかり歩かなくっちゃ ♪ ありがとうございました、ペコリン。 しばらくして向こうからガッシリした逆打ちさんがくだってきた。お互いの安全を祈ってすれ違う。さっきの落合トンネル(標高230m)まで来てR42道を進み、小さな集落がぽつりぽつりとある静かな山あいに入っていく。 おはよう♪家が集まっている<大込>辺りで会ったおじちゃん。犬の散歩かな?と思ったらなんと^^ヤギだった。「写真を撮らせてくださ~い」 と頼むと、ヤギはそわそわしてこっちを向いてくれず、おじちゃんがニッコリポーズをしてくれて、かわいいおじちゃんでした。生きていけよこの辺りに住みついた野良犬。旅館でも話題になった導き犬で、お遍路さんや近所の方のおすそ分けを食べて、もぅ何年かここにいます。御かみさんも時々残り物をもって往復10km車を走らせて来たり、お遍路さんにオニギリを頼んだりしています。「はい、おまんじゅう。半分づつね」バス停で腰かけていると、近所のおじさんが犬の事を教えてくれた。初めは赤い首輪をした迷い犬だった。役場の人が捕獲に来たけど、そぅ悪いこともしないから・・・とこの辺りで飼う?事になったとか^^ 幸せだね~お前。でも、どう見てもいただきき犬で後からついてくるばかり・・・足摺であった導き犬とはちがうなぁ。 しんみり。静かな山合いに肩を寄せ合う様に家が並んでいる、が空家が目立つ。最近まで住んでいた感じの家が多く、街の子供の所に引っ越したのか、主がいなくなったのか・・・村中でも若い人とは会わない。小屋でお年寄りが山から伐ってきた若松を束ねている。聞くと正月用の松で、おじいさんが取ってきて、おばぁさんが剪定し、水に付けて保存して年末に出荷するという。 三嶋神社バスが通っているけれど朝晩を中心にして日に数本、2~3時間に1本。頼りはこの足です。このあたりで飲み物を買うべきだったのに、秋だからと安気してました。今日も晴れ、峠越えには暑そうです。うね~うね~R42道と言っても、車1台分くらいの細い道を更に進む。車も通らず、静か・・・畦々(うねうね)という面白い^^名前の地区を上がっていく。内子に入って見かけるこの石垣は、河原にある石と同じ。綺麗な石垣だ。何処かで木を倒すノコギリのエンジン音がしてくるが、姿は見えない。下坂場峠今回は遍路シールや札が少なかったけど、今日は見覚えのある「へんろ道」札を3枚見かけた。 裏を見ると、やっぱり~ あの方が夏に掛けて行かれたんだ。「強くもなく、弱くもなく」と書いてある、らしいなぁ~^^いよいよ峠越え。なんか、力が出てきます。下坂場峠(H570)の山道は歩きやすいけど、結構な坂で息が切れ切れ、10歩進んでは立ち止まって、息を整えてまた10歩・・・それでも景色が見えるのが救いだった。木に囲まれて何も見えない中を登るのは、出口がない迷路みたいだから苦手><。 わ~!! 結構 上がってきたよ。 これなら、ひわ田峠もいける気がする~ 由良野一度下って<成宮>の神社の階段に座り込んで一休み。お茶が底をつきそうで気になっていたが、ここの水道で補給して一安心。 でもすぐ先に自販機があります。さて、また山道にはいります。今度はひわだ峠。 この石が・・・今日は誰にも会いません。先達さんが前を歩いているはずだけど、まったく見えず、誰にも追い越されず、一人っきりです。誰もいないならいない方が、安心です^^; 歌でも歌って覇気をあげようとしても、息が切れて歌どころじゃない。今度の登り坂は例のパイみたいな石で滑って歩きにくい><。 これ御岩。必ず越えれる、少しずつでも進んでる、一気に800mではない、徐々に800mだ。何かを目指していると フッと目の前に現れる。だんじり岩まで来ていた。11:00♪ だんじり岩 ♪十畳程の岩は弘法大師が四国を廻っている時に、あまりの空腹と疲労のため自分の修行の足りなさに腹を立てて、この岩の上で「だんじり(じだんだ)」を踏んで我慢されたという。その時の足跡が岩に残っており、いつしか「だんじり岩」と呼ばれるようになる。コレ、ほんとに岩? 土の山みたいに見えるけど、恐れ多くて触れなかった。もちろん、足跡も草で未確認^^* 標高790m♪ ひわ田峠 ♪ 昔は二名(にみょう)地区と久万地区を結ぶ主街道として賑わった所で、S30年頃まではここに茶屋があり人々が一休みした。「ひわ田峠」は弘法大師が八十八ヶ所開基の折りに、大洲からずっと雨続きでこの峠でやっと晴れた。「日和だ(ひよりだ)」と言われたのがなまって、「ひわ田」となったと伝えられる。だんじり岩から400m先にひわ田峠。そっと、石仏が置かれていた。 久万町へ このあとは一気に坂、2kmで300m程下ります。途中で火葬場が見えてきたら久万の町はもぅすぐです。
November 16, 2011
コメント(15)
内子は 白壁と木蝋の町だ。芳我(はが)家はかつては街一番の豪商を誇った名家。明治17年に建てられた本・芳我家の邸宅は国指定の重要文化財で、懸魚(けぎょ)・鬼瓦・鳥衾(とりぶすま)・なまこ壁・・・凝った建築様式が特徴的。下・芳我邸は本家3代目の時に分家し、明治中期に建てられた。元は造り酒屋で木造2階建て、入母屋造りの豪華な建築で国の登録有形文化財。下芳我邸の今 ランチにはまだ早い、どこか開いてないかなぁ~ と本町通りをぶら♪ぶらすると、いい感じのお蕎麦屋さん。築140年の下・芳我家の今です。日章旗がなんともお似合いで、明治の雰囲気が引き立つ佇まい。ここで昼飯なんて・・・見学と味見が一緒にできるじゃん^^♪季節の蕎麦蕎麦・つみ草料理 <下芳我邸> は間口19m、奥が深くて1階は食事処、2階はギャラリーになっていて民芸品が展示即売されていた。大黒柱も床材も原型にこだわって再生されていて、やや薄暗い広い座敷に座ると、中庭が浮き立つように見える。なにしろ、トイレが粋でいい!! 変な処が気に入る。主婦目線かな?色んなものが食べたくて目移りしちゃうけど、まだ11時なので軽い蕎麦セット(笑)にする。季節がら、柚子の冷蕎麦、お芋の煮物とさつま芋の茶巾しぼり。どなたのお膳にも一輪挿しに野の花が添えてある。食べれないけど、優雅だね~そぅそぅ味、毎日手打ちしている蕎麦は細麺硬め、天然だしもいいお味でした。大盛りにしとけばよかったかなぁ・・・店員さんに、お蕎麦のボーロをお接待していただきました、ペコリ。内子の町並み本町通りを進み、伊予銀行を左に曲がって坂道を上がると保存地区へと入っていく。白壁の旧家や、和ろうそく、和傘や竹細工などの店が軒を連ねて、あぁ~この先も見てみたい。ナイスな外国男性が望遠レンズのカメラで下校帰りの女学生と町並みを写していた。通り過ぎると私の遍路姿も写していた(恥*)・・・「後姿」だったけどね。 ひたすら内子観光は途中で切り上げて、おへんろ道に戻ります。道の駅 内子 <からり> は地元野菜がズラリと並んで買い物客で満員だ。ここからは緩やかな登り坂が続くので、パンを買ってこの先20kmの山里にそなえる。12:00 途中にあったお遍路無料宿。椅子に腰かけて一休みしていたら、また、見てみた~い欲望がムックリ @@ 開けれなかったあの子の分も見てみましょうか・・・ こんな感じ左手には机があって、いろんな物が置いてありましたが、2・3人は泊まれそうですよ。このパンダが何とも^^;ね。 お留守番? 癒しパンダかな? R379道を てく♪てく♪てく。右手に延々と続く川を見ながら山合いを進むと ぽつんぽつんと肩を寄せ合うように集落がある。ここは大瀬、大江健三郎さんの生家があり、休憩所が多い。家並みの真ん中辺り、新聞店の軒下で面白い物みっけ。それぞれ自分の家の新聞を取りに来る仕組みらしい^^残ってるよ~事前に航空写真で見たこの辺りは、山の中を川がズ~ッと蛇行し道も一緒にズ~ッと蛇行していたんだ。川は先の大雨でだいぶ氾濫したようだ。この辺り(砥部)の河原の石はパイ菓子を砕いたような薄い石で、あまり見たことないような。流れる水を見ながら、同じようなカーブと同じような景色・・・一体どの辺りまできているんだろう・・・ いつの間にか、民宿 来楽苦 まできていた。もぅ4時、陽が傾いてきた、先を急ごう。<突合>で道が分かれる。 右へ進むと小田地区を抜けて農祖峠遍路道、左へ進むとひわ田峠遍路道。昨夜同宿だったノッポさんは右、優しい先達さんと私は左。あっちこっち薄暗い中、子供たちが道端にずらりと座り込み、筒で地面をたたきながら太鼓の練習をしていた。教える親も習う子供も真剣だ。たちばな屋の女将さんから電話がかかり、「お迎えにいこうか?」と心配してくれる。先に到着していた先達さんが私の様子を話してくれているのだろう・・・「まだ大丈夫です。行ける所までもう少し歩きます。無理と思ったら電話を入れます><。」あと30分は明るいだろう。この宿に泊まるお客は落合トンネルを抜けた所までお迎えに来ていただけるが、そこまではあと6kmある。リュックの紐が食い込むようで肩が凝ってくるし、人気は無くなるし、街灯もない。陽が暮れる無表情に 黙々と歩いていると軽車で御かみさんが荷物を取りに来てくれる !! (泣けてきました;)「納得するまで歩いたら電話しなよ~迎えに来るからね」と言うと坂を上がって行った。 身軽になってサッサカ歩けるはずなのに、まだ背中に荷物があるみたいに体が重い。真っ暗になるまで歩いて残り2kmまで来たけど、もぅ5時半。夕食で迷惑をかけたらいけないね。再度御かみさんにお迎えに来ていただき、真っ暗の山道を揺られて・・・今日も感謝。 2日目 H23・11・3 晴れ 出発 7:00 到着 18:00 距離 33km (歩き31km 車2km^^*) 宿 たちばな旅館
November 13, 2011
コメント(14)
大洲の町に 朝もやがかかっている。11月にしては異例の暖かさで、今日も25℃近くになるとか。みんなで朝飯をいただき、お互いの安全を思いやって ときわ旅館 を出発する。6:30ノッポさんとR56道を東に進むが山に霧がかかって朝日は見えない。 永徳寺♪ 番外霊場8番 十夜ヶ橋 ♪807年 弘法大師がこの辺りを通られたときに、一晩の宿を求めてまわったが貸してくれる者がなく、寒い中橋の下で野宿をした。あまりの寒さに一夜が十夜にもまさる思いだったという。「橋の上では金剛杖をつかない」という遍路の戒めは、橋の下で休まれているお大師さんの眠りを妨げないようにという心遣いである。ここは野宿修行道場になっており、納経所に申し出るとゴザを貸してくださる。 十夜ヶ橋この橋の辺りはR56道・松山自動車道・JRが交差していて、当時を思わせるような風情は全く・・・ない^^;お大師さんが横になる綺麗な石像が2体、右のお大師さんには布団がこんもりかけてあって、暖かそう^^に眠っている。目を閉じて、雑音を遠ざけて・・・般若心経を唱えながら、タイムスリップするように過去を想う、空気を感じられますように~瞳を閉じてのんびりしていたら(丁寧に拝んでいたら、とも言う)ノッポさんが、「お先に^^」と発たれていった。長身だから歩幅が大きいし、普段からかなり歩いているので60過ぎには思えない健脚、時速5kmというから、私と歩くのは負担だ。 「お気をつけて~」橋から迷い易いと聞いていたので注意しながら階段を上がると @@ ほんとだ!! どっちから来たのか分らなくなっちゃった~(焦;)多分・・・こっち? 陽が出てないから方向が分らないんだ。そこにおじさん遍路が来たので教えていただき、ルートにもどれた。今日も30km以上を予定したので、なんとか歩きとげたい、連日の繰り上げは、^^*ねぇ~かわいい欄干緩やかな登りの車道をテク♪テク進む。段々静かな景色にかわり、もやの降りた山に向かっていくようだ。 新谷の町並なるべく旧道に入る。静か・・・北山駅の近くにある休憩所<神南堂>手前に作業所があって、ここで出た廃材を利用してお風呂をお接待してくれるらしいけど、カギが掛かっていて中は見えない。でも綺麗でしたよ。実はトイレが借りたかったんだけど・・・ 右 登光亭五十崎駅の手前で車道を離れ、歩きへんろ道から内子に進む。明け方に雨がパラついたのか、足元が濡れる。町から離れた小高い所に野球場があり、子供たちの声が木立の中に響く。そんなに大きな声を出し続けていたら、疲れて打てないよ~という位元気いっぱい^^;そうだ!! 今日は祝日、文化の日でお休みなんだ、我が家の子たちはもう、起きたかしらん。 五十崎野球場を過ぎて坂を下ると しばらくして内子の町が見えてきた。もうすぐ内子♪ 内子 ♪江戸後期~明治にかけて製蝋(せいろう)と和紙で栄え、明治後期には日本一の生産量を誇った。大壁造りに白壁の古い家が軒を重ねる八日市・護国地区は国の重要伝統的建造物群保存地区。歌舞伎劇場内子には10時に到着。静かな町並みにもぅ観光客が繰り出している。通りをチョっと曲がると粋な芝居小屋が見える、内子座だ。♪ 内子座 ♪大正5年(1916)に建てられた芝居小屋。木蝋や生糸の生産で潤っていた時に、芸術芸能を愛していた人々の熱意で生まれた木造の劇場。老朽化で取り壊されるところ町民の熱意で修理復元されて昭和60年に一般公開される。(大人300円) 木造2階建て、屋根の上には呼び出しの太鼓櫓があり、場内には花道・回り舞台・奈落など歌舞伎の設備が整い、桝席や桟敷席、大向席がある。 桝席本日は地元の方々が貸切って作品展示販売会を催してたので、見学者も誰でも入場料ナシ。ド~ゾ、ど~ぞ。 暗闇の中…♪ 奈落(ならく) ♪大正時代は奈落は人が立って歩けるようなものではなく簡単な物だった。地下水の水位が高くて完全な形の奈落を造ることができなかった。昭和60年の大修理でも改修は見送られ、平成6年現在の様に改修した。奈落とは舞台や花道の床下の総称。仏教における地獄。深く暗い所にあるため呼ばれるようになった。へ~、そうなんだ。とても綺麗に改修されていて、ひとりでも怖がりませんでしたぁ^^♪ 米田酒店内子座を出たところの酒屋さんでお土産買っていこう(嬉々^^)お洒落にいろいろ飾ってあるし、快く試飲(^^♪)させてくれる若旦那、栗焼酎とみかんのお酒などなどを宅急便で送ります。さぁさぁ、よそ見はこの辺で、次は味見、早昼食べて先を急ぎましょう。
November 13, 2011
コメント(8)
R31線を左に入り、歯長峠を目指していよいよ歩きへんろ道を登る。最初は緩やかな山道も段々足元が悪くなりかなり応えるが、歩き始めで調子が出ていないのに、足が軽くて急ぎすぎましたぁ。車道に出たところで、一息付いたら両足のスネがつりだした@@ ツル、ツル~痛。鼻長峠までは、あと標高180m登らないと・・・気が焦る。でも、男へんろさん(不動さん)からブレーキをかけられました。「その足で峠は無理だよ。ましてや大洲まで歩けるかどうか・・・歩くことにこだわらない方がいいよ。」 歯長地蔵峠への歩き道は諦めて、遠回りになるけれど鼻長隧道を抜けて車道を下ることにする。足をダマシ、だまし。不動さんこそ、予定外の山道でかなり辛かったはず・・・汗がしたたって、息が切れている。41番42番を打ったら、また<務田>に戻って宇和島から松山のホテルに戻る予定だったのに、何がお気に召したのか? このまま一緒に歩きたくなったのだそうで ^^*大きなリュック(10キロ位?)を背負ったまま 山道を歩くことになってしまったのです。ここから坂^^;肱川を渡ると卯之町、民家が見えだしてくる。鼻長峠を越えてきた男へんろさんと合流して、三人で明石寺をめざします。地図では町中にあるお寺のように思えたけど、チョッと登る、この頃に足はずい分楽になっていた。不動さんは山中のへんろ道で、大きな荷物二つと動けなくなったあたしを どうやって運ぼうか、内心困っていたそうです(照;)明石寺山門♪43番 明石寺♪ 天皇の勅願により円手院正澄という行者が開基、天平年間には修行道場として発展。のちに弘法大師が訪れて法華経を納めて伽藍を再興して霊場とした。武士の帰依が篤い。「めいせきじ」は地元では「あげいしさん」と呼ばれている。 本堂左右が反り返った唐破風造りの屋根の重厚な本堂と山門。緑豊かな境内、静けさが更に俗界と離れているようだ。ここでも梵鐘を一突き。 掘りごたつ式本堂も大師堂も、この賽銭箱。このタイプは見たことないなぁ~^^お賽銭がいっくらでも入るし、盗人が来てもこれなら まず!大丈夫。ともすれば、牢屋になったりして(笑) 山里に響く~♪~奥さんの供養をしている男へんろさんは中町の老舗・松屋旅館に宿をとれた。時期外れだと宿も簡単に取れるんだね。私もここを予定したけど、区切りの都合でもうひとつ峠を越えた先の大洲の<ときわ旅館>に予約をしていた。不動さんは卯之町駅から特急で松山に戻り、道後のホテルに連泊する予約をとっていた。 リッチだなぁ。「女性はホテルに連泊してバスや電車を利用した方が安全だよ」とすすめられるが、丁重にご辞退、オバハンは結構図太いんですよ。三人は中町で別れる。16:00 中町(宿場町)宇和島バス卯之町駅で大洲行きバスの時間を確認すると、18時頃まで・・・無い><。U~ん、約2時間か。行けるとこまで歩いて、途中のバス停で乗ろう。宇和島街道の宿場町として栄えた町の中心にある中町には200m程の古い町並みがある。3時頃、この辺りの店でお茶でも♪^^ のはずがそれどころじゃないよ。もぅ、人気もなくて店も閉まっている(苦笑) ときわ旅館4時半に旅館から電話がかかり、宿泊と現在地の確認をされる(恥^^*)もうすぐ陽が暮れる・・・若旦那がお迎えに来てくれる・・・忙しい時間帯にスミマセ~ン、ペコリ。この先大洲までは車道を歩いても あと15km以上はある。こんなに暗くなっても歩道を進む女の白衣姿は目立つ、とほほ。北に向かって車と会う所まで歩いていきます!!太刀魚♪美味三代目の車に拾ってもらって、暖かい車内でゆられていると眠気が襲ってきた。鳥坂隧道あたりは明かりもなくて、ここを越えるのは、やっぱり能力以上の距離だった。観たかった大洲城も おはなはん通りや 明治の家並みも、真っ暗でどの辺りかさえ判らない。 宿のお接待宿に着くと6時、もぅ夕飯が広間に並んでいたので、お風呂はあとにして、皆さんといただく。歩き遍路は優しい先達さんとノッポさんと私、あとは車遍路のご夫婦の5人。一代目が建てた宿は昭和の匂いがする建物だけど よく手入れがされている。二代目旦那さんは見えなかったが、大奥さんが赤ちゃんをおんぶして上の子との面倒をみて、若奥さんと三代目で切り盛りしている家庭的な宿だ。若旦那は歩きへんろをなさっているので、夕食後、一緒に遍路の話に加わってきてくれる。上のお遍路セットも自ら体験した若旦那のみんなへのお接待。 1日目 H23.11.2 晴れ 出発 11:00 到着 18:00 距離 34km (歩き 17km 車 17km^^;) 宿 大洲 ときわ旅館
November 10, 2011
コメント(12)
これまで秋遍路は10月だったのを、涼しい11月にしてみたけど、このところの季節外れの暖かさで、紅葉には早かった?みたい。今週(11月初め)は25度以上になるとか・・・へっ@@;春の続き、宇和島で乗り換えて<務田>駅まで移動する。インパクト強!この車両はお初! おもちゃの海洋堂さんの広告ペイントもビックリするけど、中にはシートを取って改造したショーケースに恐竜や生物のフィギュアが展示してあった。お久しぶり^^登り坂をガ=ガ=走り <務田>に到着 なんか懐かしい。ホームに降りたのは 私と男性遍路2人。震災の影響か、春もお遍路さんが少なかったけど、今回は時期がずれたからか更に少ないみたい。さぁ~今回は体力を上回る予定を立てているので 歩くぞ=!! (能力知らず・・・^^*)龍光寺 本堂♪ 41番 龍光寺 ♪ 15分ほど歩くと石の鳥居が見えてくる。創建時の龍光寺は稲荷大明神を祀っていたが、神仏分離令によって現在の本堂が建ち、元の本堂が稲荷神社になった。稲荷神社から境内を更に登った高台の社殿から 参道とこれから目指す山を眺める。ありがたい。私は筆の字や、その書いている姿を拝見するのが大好きで、納経所の方に撮影をお願いすると・・・「こんな、年寄りは駄目よ~」と辞退されてしまう。すると周りのみんなが、「いいモデルさんだ^^」と応援してくれて、素敵な姿を撮らせていただけました(嬉)仏木寺 山門R31道をのんびり30分ほど歩くと次のお寺。駅から一緒になった男性と話しながら歩いていたらアッと言う間だった。お寺の前でアイスを買うと、おじさんに「夫婦かい?」と聞かれた^^*めっそうもない。 ♪ 42番 仏木寺 ♪ 牛の背に乗った弘法大師が唐にいたころに、東へ投げた宝珠が楠の木に引っかかっているのを目にし、この地を霊地と定めて大日如来を刻み、眉間に宝珠を納めた・・・とか。牛馬安全・ほう瘡除けにご利益がある本尊にあやかろうと境内には家畜堂や牛馬像がある。山門は真新しく立派で思わずスリ♪スリしたくなります^^本堂(左)と大師堂境内にはどなたかが畑のみかんを箱にイッパイお接待、「どうぞ」と置かれていた。この秋は あちらこちらでみかんをいただきました。 見事。鐘楼は元禄時代の物で珍しい茅葺屋根、味が出ていてなんともいい感じ。今回はどのお寺さんでも、鐘楼を解放されていたので、気をよくしてどのお寺でも突かせていただきました。山間に優しく響くいい音です。空の上に逝った人を想い、へんろ道を歩いている人を思い、届くようにと打ちます。 峠入口さてこの先はH480Mの鼻長峠。今日は大洲(30km先)に予約をとってあるので、次のお寺(10km先)は2時には着いて進めるだけ前に行きたい、頑張らなくっちゃ。でも、ど~考えても無理な計画、気が急いていましたねぇ><。最終日に岩屋寺まで進めるかしら・・・不安。
November 6, 2011
コメント(17)
よく晴れた昼下がり、三重県の多度大社に行きました。久しぶりのお参りは 20年ぶり、きれいに手が入っていました。この楠はご神木上げ馬神事が行われる上げ坂の横で デ~ンと枝を伸ばしています。 ~多度大社~伊勢国最北端(三重県)にあり 神体山と仰ぐ多度山の麓に鎮座する。伝えによると5世紀後半に造営されたが、1571年織田信長の兵火によりすべて灰となる。江戸時代に桑名藩主本多忠勝より莫大な寄進を受けて本宮御社殿が再興され、徐々に復興されてきた。~上げ馬神事~南北朝時代 この辺りの武家の中から始まったと言われ、現在まで継承されている。神占いで選ばれた6人の少年騎手が武者姿で坂を駆け上がり、2m程の絶壁を乗り越える神事昔から農作の時期や豊凶が占われ、馬が沢山上がれば豊作、少ないと凶、最初の馬が上がれば早生、真ん中では中手、最後の馬が上がれば晩稲(おくて)の稲を選ぶと良いと占われてきた。最近はその上がり具合で 景気の良し悪しも占われる。 ~創業150余年~上げ坂を横目に ご神木の前から 木の茂る奥へと登っていきます。境内は七五三のお子達で華やかです。幾つもの鳥居 いくつものお社 一番奥の本宮には案外楽ちん^^に進めました。階段に手すりが付いて、車道もできてます。前に来たのは初詣 お参りが大変だった記憶があったけど・・・足腰を鍛えるつもりが 歩き足りない気分^^ さぁ♪さぁ 今日のお土産は何にしようかな ~丸繁の八壺豆~<丸繁>は神社の手前にある 創業150年以上の親しみ易い老舗です。紅梅焼き・生クリーム大福・おたどさん・八壺豆・・・今日はてんこ盛りで試食に出ていた お豆さん を買いました。<八壺豆> 多度の水しぶきを型どった 芯に炒った大豆を入れたきな粉味の豆菓子小袋315円 ノーマル味、抹茶、コーヒー味などわ~^^♪昔からあるのに今風のかわいい子です。口に入れるとホロ♪ホロと崩れていく優しさなのに、真ん中には大豆が1個違った食感を味わえて 「一粒で2度おいしい」 みたいな。原料はきな粉・砂糖・大豆でも <げんこつ飴> とはちがうんですよ。お茶や珈琲、紅茶、何にでも合いそう・・・お抹茶にもいいね。
October 29, 2011
コメント(13)
と~っても、久しぶりに友だちと会うことになり上京集合時間は仕事を終えた夜7時、暇なので思い出の場所をぷら♪ぷら散歩それでもまだ時間があるので 友人宅で一休み 同級生といっても彼女は5歳年上 ずっと現役でバリバリ働いています^^朝から♪ご機嫌に歩いてたけど、足を投げ出すと疲れがド~ッと出てきました。横になって、くつろいでね~いや、大丈夫・・・と言った割に、体は正直、ゴロ~ン^^ゆる~だら~ ~チョッと 気恥ずかしい~PC机の下に変わった鉛筆立て、発見!!覚えてる? 桃ぶどうが10年前にくれた絵手紙を 空き缶に貼ったんだよ・・・確かに この筆字は私のものそう言えば彼女が体調を崩した時、絵てがみにはまっていてよくお便りしてたっけ。E~!! そんな紙切れをいままで大切にしてくれてたの=(驚き桃の木@@)更に驚かせようと25年前、寿祝いに贈ったお皿を持ってきた。それは 散々迷った末に決めたから 覚えていますよ。(彼女は子供心のある かわいい方です) ~頂いた大皿~じゃあ~ これは覚えてるぅ?引き出しから<ぞうきん>を引っ張り出してきた。綺麗に洗濯はしてあるものの、形も色も元の姿は微塵もなくてどう見ても、ボロ。これ学生時代にもらった 葉祥明のタオルだよへっ@@; 30年前? あたし? ~朱がかわいい~おい^^;おい 驚き過ぎて呆れ顔決して貧しい訳でも、二人の間に何かあったわけでもないのです(笑)とても頂き物を大切にする彼女他にも友達から頂いたものを大切に使っていました。あげた本人は忘れちゃうのよね~ と 笑う彼女ボロの写真、撮り忘れたぁ><。 ~環状7号線~この緑の大皿 25年前に 彼女があたしにくれた祝い皿、覚えてる?帰宅後に写メを送ったら ゼーンゼン覚えていない。あげた本人は忘れちゃうのよね~ と彼女 確かに。 陽が暮れる。切り取ったような 都会の空にもこんなにきれいな夕焼け彼女から手土産に愛らしいカップをいただきました、また^^*そろそろ、新宿に出かける時間です。
October 26, 2011
コメント(8)
雨が降るたびに秋が深まっていきます 遠くに散歩に出かけました。 学生時代の友人からメール・・・突然。「顔を見たくなったから おいでよ~♪」 へっ@@; 平日の水曜日、朝の家事を済ませて出発!!8時の新幹線に乗り、帰りは23時発の高速バス、強行軍だ。その話を聞いた友だちも集まってくれる運びとなり^^嬉しい。20余年ぶり、卒業以来久々に会う友達もいる。 ~外は気持ちいいね~9時半に到着、ホームは出勤する人でごったがえ、なんか場違いなオバハン夕方の集合時間までには空きがある。電車を乗り換えて寮や学校、バイト先、よく行ったお店、公園・・・20余年前にお散歩です。時折、若かりし頃を思う みんなどうしているだろう あの場所はどうなっているのだろう 検索すると地図上に名前が出てこない?確かめに行こう、いつの日か。 そのうちと思っていたのに、こんなに早く機会がやってくるなんて。 ~隠れてるつもり? もぅ冬籠りしなよ~辺り一帯を ぷら~り、ぷ~らり と歩く。駅前開発で駅ビルができて、周りにマンションが増えた。でも、少し歩くと昔の面影が残る、まだまだ緑豊かな武蔵野だ。恐る恐る尋ねると、寮は随分前に取り壊されて、更地に草が生えていた。近くの病院は古くなって閉鎖され、代わりに武蔵野の高台にマンモス病院が建っていた。 ~やっと この辺りも刈り入れ~あちらこちらと歩き回り 国立駅で遅めの昼ごはんにする。路地に入ると昭和の匂いのする喫茶店がまだ残っていて意外や、店内は中高年の常連さんで混んでいた。 やっと 腰かけてホッ^^ とする。20歳の頃にお散歩、嬉しいのか悲しいのか、なんだか泣けてきました。
October 16, 2011
コメント(16)
安土城 天守台から 北を見下ろすと肥沃な干拓地が広がります。信長さんの頃は南側だけが開けた地形で、この辺りは琵琶湖の内湖に囲まれていたそうで。かすんでいるけど、向こうには琵琶湖が広がります。 ~天主石垣で腰をおろして~1582年6月焼失した後の城跡は、訪れる者もなく永い間ガレキと草木の下に埋もれていた。S15年(1940)初めて調査の手がはいり、厚い堆積を取り除くと往時そのままの礎石が現れた。この時に石垣の崩壊を防ぐため若干の補強がされたが、それ以外は当時のまま今に至っている。 見えない側の石垣はこんな感じ、コケや草で覆われています^^;整備の手が入る前は もっともっと埋もれていたのでしょうね。 ~1/20 ひながた模型~天主は東西・南北それぞれ28mの台地で 背丈ほどの石垣に囲まれている。今は礎石が1.2mおきに並ぶだけだが、記録から地上6階・地下1階、当時では異例の高層大建築だった。この後 全国に建てられる高層天主のスタート点が安土城だ。 城郭資料館に細部まで再現された城のひな型があるけれど、こんなごっついもんが 山のてっぺんに ほんとにあったのかなぁ・・・城を半分に開いたひな型の右側、上から目線の小さい人形 見える?殿、信長さんです^^ ~天主に残る礎石(地下部分)~地下1階部分の広さと比べると 天守台の広さは2.5倍ほどあり、高さ33mの木造建築だった。今は石垣上部の崩壊が激しく、まぼろしの城は想像するしかない。 てっぺんの石垣まで登れるので、そこでおにぎり♪タイム。狭くて足場はわるいけど、田園風景がパッチワークみたいで 空気が爽やか~ ~天主 西下の本廟(ほんびょう)~羽柴秀吉は1583年2月安土城二の丸跡に、信長公の太刀・烏帽子・直垂などの遺品を埋葬して本廟 とした。(ほんびょう、読めなかった^^*)6月2日の一周忌には織田一族・家臣を集めて盛大に法要を行った。 さて、くだりますか。 本丸跡で あのおじい様とすれ違いました@@; 相変わらず黙々と登る姿を見守ります。・・・おじい様、早い。結構やるね~ すごいじゃん・・・80余歳です。 ~そう見寺本堂 跡~織田信長 創建。天主と城下町を結ぶ 百々橋口道の途中にあるため、城を訪れる者の多くはこの境内を横切って信長のところに参上した。本能寺の後の火災では類焼をまぬがれたが、1854年(江戸末期)伽藍などほとんどを焼失。その後 寺地を 伝・徳川家康邸跡に移して、今に至る。 道は大手道とは反対、右に折れ 山の西側をくだります。本堂跡、三重塔、仁王門と続きます。階段はくだりがつらいぃ^^; おじい様はどうやっておりてくるんだろう・・・気になる。 ~三重塔~室町時代の三間三重の塔 重要文化財。 屋根は本瓦葺。 棟柱に享徳3年(1454)建立、天文24年(1555)修理の墨書きがある。信長公が甲賀の長寿寺から移建したものとされている。1604年秀吉の次男・秀頼が一部修理している。 ~仁王門 (楼門)~元亀2年(1571)7月 甲賀武士 山中俊好 建立 と棟木にある。屋根は入母屋造り、本瓦葺き。 仁王門、金剛力士像とも重要文化材。 ~百々橋口~仁王門を下るとかつては石部神社の前を抜けて、百々橋口へ通じる道を進めた。今は通行止めになっていて、新たに整備された道を通って秀吉邸跡を抜けて受付にもどる。神仏分離のため? 観光客の管理上、出入り口を一つにしたのかな? 受付のおばさんに聞くと、閉門は18時。いくらおじい様でも4時間あればくだってこれるよね。・・・陽がくれても戻ってこなかったら、山道を見に行ってください・・・ペコリ。受付の人たちも大変気にしていて、登ったみんなも気にしていたけど、下向き加減のおじい様は、その様子に気が付かないで、自分のぺ~スで歩いている信念みたいなものがありました。感服。 お土産は お寺さんに並んでいた 渋くて素敵な木曽ヒノキのお守り。
October 16, 2011
コメント(10)
滋賀県には城や城址が沢山あります。 城シリーズ 今回は 安土城です。(シリーズ って、大きく出たね~オバハン 汗^^) ~屏風絵風陶板壁画の安土城~織田信長が天下統一を目標に1576年 安土山(標高199M)に築城させた平山城。岐阜城よりも京に近い利便性があり、北陸・東海の要所であった。三年後、日本で初めて天守閣を持つ城は完成するが、1582年6月2日明智光秀の謀反により、信長は本能寺で命を絶った。享年49歳。「敵は本能寺にあり~」~石段の始まり~混乱の中、6月15日天主などを消失、一夜のうちに落城した。織田信雄が誤って焼き払った説や、敗走する明智軍による放火説、土民による略奪・放火説…がある。と言う訳で城跡だけですが、立派な石段は残っていて特別史跡です。 ~伝 豊臣秀吉邸 跡~大手門跡を過ぎると受付があります。(料金500円)この山は <遠景山 そう見寺> さんが管理しています。土日曜・祭日はお寺の仮本堂を公開こちらは500円増し^^* 折角だから見ていきますか。 すぐに石段開始!!です。自信のない方はお杖をどうぞ^^ 左右に屋敷跡と思える礎石や石垣が見えます。右から<前田利家邸> 左<豊臣秀吉> 右上<徳川家康>と続きます。「伝」と前置きがつくのは、確実性がないそうで・・・^^; ~そう見寺仮本堂~臨済宗妙心寺派。築城の際に信長が他所から移築、本丸の西方に菩提寺にしたと伝わる。天主崩落時には焼け残ったが、1854年11月16日火災によって本堂などほとんどを消失。S 7年、仮本堂が伝・徳川家康邸跡に建てられ、今に至る。 ~仮本堂前から南を見下ろす~仮本堂は佇むように建っている。1階の幾つかのお部屋を通りぬけるように見学、2番目のお部屋はご本尊と信長公の像があるが、ここは撮影禁止。奥には茶室が2部屋ある。お嬢さんが一人で点てたり片づけたりと、ありがたいことです。まさか… お抹茶+水羊羹+ほうじ茶 付とは知らなかった。ほほほ~^〇^ ここの石段、何だろうな・・・ 登りにくい@@;歩幅が合わないし、石はまばらで平面がボコついてリズムが取りにくい。信長さんの頃の石と修復した石がコラボ^^;していますぅ? さてこの石段に挑戦した 印象深いおじい様のお話。この日登城した人 みんなが気にしたおじい様は朝、神戸を出発して、 安土駅からここまで歩いてきたそうな。入口の石に腰かけたら後ろにひっくりかえって起きれなくて助けてもらい、石段でもヨロ~ヨロ~とふらついて支えてもらい、杖があっても一段進むのに数分かかることもあります。引き止める受付の言葉を振り切り、「やめましょう~よ」と喉まででている一言を、みんなが呑み込む(汗;)体が右に30度傾いているおじい様の内には、強い意志があるのです。 ~大手道跡の石仏~城普請に使う多くの石材は近くの山々から採取したが、石仏や墓石なども含まれていた。本来は信仰の対象となっていたものだが、築城の経緯を示すために発見当時の状態で保存している。石仏は幾つかあって、浄銭がなかったら見落として踏んでしまいそうです@@; ~すぐ左 黒金門跡へ~発掘調査(S5年)で、黒金門付近も天主とともに火災にあっていたことがわかる。門の先は信長が選んだ側近たちと日常生活を送っていた城の中枢部分。ここまで見てきた石より大きい礎石と石垣が残り、400年以上崩れないで原型を保ってきた技術の高さを感じられる。 ~仏足石~石材として集めてこられ石垣に使われていた。昭和の初めの登山道整備の時に、この辺りの崩れた石垣の中から発見された。細い影はあたしではありません、解説を書いた立て板の影で~す。 ~本丸跡~「信長公記」には、天皇を招きいれる「御幸の間」があったと記載されている。調査では礎石の柱痕から本丸は高床式で、三の丸や天主取り付け台とわたり廊下で繋がっていたことが明らかになる。敵が石垣を壊すのは角の部分大きな石を使い、積み上げが難しいので、ここの石を崩せば城に打撃を与えられる。原型を残す石垣の本丸側は、赤黒く変色していて当時の焼火の凄さを垣間見ることができる。さあ、もう少し石段を登れば 天主だ。 ~後半へ 続く~
October 13, 2011
コメント(7)
いいお天気が続きますね。お洗濯はよく乾くし、夜の月もきれい。秋へんろに備えて歩いている公園のバラが また秋にも咲きました。(備えるほど歩いとらんでしょう~^^*) ~よく歩く公園で~市から委託された造園業者さんが定期的に草木を手入れしてます。やっぱ、プロ 上手ですわ。そして、ボランティアのみなさん。定年を過ぎたおじさん・おばさん達が、 揃いのジャンバーを着て ほぼ毎日掃き掃除をしてくれます。~秋のバラはひかえめ~来月は龍光寺から岩屋寺まで歩きます。と言っても、お天気次第、この太い足次第ですが~なんせ牛歩^^;3日目は内子から大宝寺まで(汗ゞ)歩きたいのですが1)ひわた峠の様子を教えてください。私の足でいけるでしょうか?2)大宝寺の宿坊は個人も泊まれますか?3)岩屋寺 セリ割禅定 はオバハンでも登って下りれる でしょうか? ~甘さ ひかえめ~ほかさんのブログを見たりして下準備をしていますがいつも チケットをとってから宿を決める この時期が不安になります。1週間前になると色々決まり、開き直ります。なんとかなるさぁ~ さてと、おやつにしよう。秋ですね~珈琲が美味しい。頂いた栗ロール、いつの間にか反対側から食べられてました@@だれ~?複数犯だな、かなり小さい><。 お腹の出っ張り意識して ひかえめにしないといけないんだけど・・・照;
October 12, 2011
コメント(20)
小谷城のふもとは のんびりとして静かです。江のふるさと館を通り抜けすぐ近くにある、小谷寺へ足を伸ばします。蕎麦の花、まだ咲いているのですね。 このかかし、清水谷Pから正面Pの道端にふつ~うに座ってました。なんか~かわいいくてナウいでしょ^^ ~如意輪山 小谷寺~1.300年前728年秦澄上人が、白山から伊吹山までの峰々に修験道場を開き、小谷山に建てられた坊舎の一つ。1524年頃、浅井亮政が小谷山に城を築いたときに、寺領交換が行われ六坊一山全てがふもとに下りてきた。1573年落城の時に信長の焼き討ちあい、本尊以外は全て消失する。1576年秀吉によって現在地に再建され寺領を保護され、その後家康も援護、お江の力添えもあったと伝わる。 ~寂~檀家を持たない小谷寺には収入源がなく境内は寂れて人恋しくなるほど。本堂の傷みは激しくその左の建物は屋根が剥けて床が抜けているという・・・黙; 以前はなにやら^^*を祀っていたが 今はピタリと閉ざしてある。 御朱印を申し出ると管理を兼ねて住んでいる男性が(住職ではない)小谷寺の説明をしてくださる。お寺には防風林があって、道路からは見えなかった。 お江・ふるさと館の職員の車を止めるために5台程の駐車場を 木を切って広げた・・・公的に援助してもらうとお寺の維持に助かるが、制約も付いてくるみたい^^;維持するには大変ですね。 境内はかなり明るくなったが、それでも淋しげだった。 ~静かに流れる 姉川~1570年、浅井・朝倉連合軍(21000人)と 織田・徳川軍連合軍(34000人)が姉川を挟んで合戦。6月28日午前5時に始まり午後2時まで続いたと伝えられ、初めは浅井・朝倉軍が優勢だったが、家康軍の善戦により織田・徳川軍が大勝利する。死者は浅井朝倉方で1800人、織田徳川方で800人、負傷者は各方その3倍と推定されている。姉川の流れは血によって赤く染まったといわれ、合戦場付近の「血原」「血川」という地名は往時の激戦振りを窺わせる。義景の援軍は越前に敗走し、長政の軍勢も小谷城(おだにじょう)に逃げ込み、浅井、朝倉両氏の滅亡の遠因となった。「え~これが姉川~」思っていたのとは違い、小さくて静か~な川だった。水量がさほどないこの川が 赤く染まったというのもうなずける。400余年の歳月が過ぎて湖東の田園と家並みに穏やかな時間が流れていました。
October 10, 2011
コメント(10)
尾根ルートを登り高台に出ると東に関ヶ原、この向こうから織田軍が攻めてきました。左は伊吹山 右手に姉川が流れます。ちなみに^^;私も向こうからやってきました。 ~姉川~1570年、浅井・朝倉連合軍(21.000)と 織田・徳川軍連合軍(34.000)が姉川を挟んで合戦。初めは浅井・朝倉軍が優勢だったが、徳川軍の善戦により織田・徳川軍が大勝利する。義景の援軍は越前に敗走し、長政の軍勢も小谷城(おだにじょう)に逃げ込み、浅井・朝倉両氏の滅亡の遠因となった。 ~大堀切~この春、NHK教育で<城シリーズ>を特集していました。この堀切は水を通す為ではなく、防衛の為のもの背後から本丸を護り、ふもとから本丸を襲われても更に上の奥を護る。この堀切と石垣が貴重だと言ってましたっけ^^テレビだとすごくダイナミックに見えた・・・プロは凄い! 堀切の奥には、中丸・京極丸・小丸、山王丸と続く。【中丸】大堀切の北にある曲輪で三段からなる。虎口を左右に振り分けて攻めにくくしている。【京極丸】京極氏の屋敷跡と伝わる。1573年8月17日夜半、秀吉に攻め落とされ、久政(2代)の子丸と長政(3代)の本丸との間を分断されてしまう・・・【小丸】久政(2代)の引退後の居住。秀吉に攻められ、介錯(かいしゃく)により49歳で自刀した。 ~山王丸~~大石垣~城跡に残る最大の石垣。高さ5m、規模は本丸を上回る。大部分が崩壊しているが、東面に残る石垣に往時の姿を偲ぶことができる。~山王丸跡~最頂部、山王権現が祀られ、小谷城の詰めの丸。現在は小谷神社と名前を変えて、ふもとの小谷寺の一角に移っている。 ~ちょっと^^お腹が空いた~山王丸跡で一休み お弁当にする。今日は簡単に作ってみました~おやつはビスコ(受け売り♪) ~何もない神社あとに~このまま戻ろうか・・・大獄城跡に登ろうか・・・迷っていたけどお腹が満たされたらその気になりました^^*裏手の道から六坊跡に進みます。 ~六坊跡~久政(2代)は軍務や政務を司っていた6つの寺院が、分散していて不便だったためここに集めた。~小谷山へ~六坊の脇に分岐点あり。左は清水口へ下る谷沿いの山道、右は更に100m高い小谷山(495m)への階段山頂には城跡がある。 ~大獄城跡~1523年頃 亮政(初代) が築城されたと伝わる。2年後には六角氏に攻められている。1573年8月12日朝倉氏の援軍が城を守っていたが、織田軍の攻撃を受けて落城した。 ~標高 495m~尾根の坂はなだらで歩き易かったけど、六坊跡から小谷山への階段は なっかなか~結構足にくる><。 ~きのこ たぶん毒~ひと月後なら、山一帯が秋色に染まるのだろう。 ~大野木屋敷跡~六坊跡の分岐点に戻り 谷に沿って続く階段を延々と下る。登りの道が<陽>ならばこちらの道は高い木が生い茂り 光もさほど入らない<陰>の道 ~三田村屋敷跡~谷の向こうに 重臣、大野木土佐守・三田村佐渡守の屋敷跡が見える。谷側、西側にわずかに野面積みの石垣が残る。 ~布袋岩~~蛙岩~~子丸岩~階段 (ノд・。) いったいどこまで続くのよ~足腰がガクガクしてきた。谷ルートは木に囲まれて薄暗く なーんの景色も見えない。冬は日本海から暗雲が流れてきて いかにも寒そう。所々にある面白い石を見ながら テンションを 引きずり上げる。写真だとイマイチだけど どの石もかなり大きいです。 ~堅堀~山城の斜面に沿って上下に堀り上げ土塁をもった堀で、敵が移動するのを防ぐ目的で造られた。~御屋敷跡~浅井亮政・久政・長政やお市の方とその子供、茶々・初・江が暮らした所と考えられる。 お屋敷跡はだいぶ下りてきた所にあり、家臣の屋敷跡も谷ルートにまとまっていたようだ。林道からは清水口は、もぅわずかだ。 ~追手道~清水口からの追手道を登ると 尾根ルートの出丸付近に通じる。 ~小谷山~向こうに見えるのが小谷山(大獄城跡)ゆっくりゆっくりと歩いて 4時間の山城ハイキングでした。 ~おまけに続く~
October 4, 2011
コメント(12)
またまた、お城廻りです^^なんだか<城ガール> 訂正! <城オバハン>です。 お江誕生の地・日本屈指の山城 「小谷城」江・浅井三姉妹 博覧会 開催中ふもとには江のふるさと館が出来て、駐車場も整備され(300円)、シャトルバスまででています(汗*) ~出丸跡~駐車場から すぐ! 左手の山道を登ります。料金所のおじさんか配っていた イラスト地図が後々役にたちました。出丸入口からの道は、人出を見込んで手入れした感、ありあり(苦笑) ~出丸跡~城郭の尾根の最先端に位置する砦。二重の土塁と二段の曲輪が残っている。朝倉氏の応援によって築造されたと考えられる。 ~追手道~右に進むと尾根を登って、本丸へと向かう。左へ進むと坂を下り 戦国歴史資料館・駐車場(こちらは無料)に出る。ほとんどの人がシャトルバスに乗るので、行き交う人はほとんどいない。なんか~へんろ道みたい。 ~金吾丸跡へ~1525年、六角高頼が小谷城を攻めてきた時、越前の朝倉金吾教景がここに陣をおき金吾丸と名付けられたと伝わる。 ~金吾丸跡~小高い丘の金吾丸を下ると 城址絵図の前にでました。右の泥、ちゃうちゃう♪ チョコが流れた様に段々になっているのが今から登る、尾根を上手く利用した城跡です。右の赤い所が現在位置。歩くぞ~! ふもとから出ているシャトルバスでここまで来れます。一人往復500円ここからはバス毎のグループになって、「語り部」の解説を聞きながら登る事も出来ます。なんだぁ~てっきり無料と思った^^;それとなく、合流しようと思っていたんだけど・・・失敗。 入口に大きな看板 ほんとうに出そうな山・・・お江ブームでなかったら、来る人もまばらな静かな城跡です。 ~番所跡~遠くから見えない、道の集まる要所に位置する。登城者の検問所があり、主要部への入り口だった。 お彼岸が過ぎたのに、日中はまだ暑くて・・・こんなん、出ましたぁ~@@ ~御馬屋跡~三方を高い土塁に囲まれる。眼下に信長の本陣があった虎御前山、琵琶湖に浮かぶ竹生島がみえる。 ~馬洗池~湧き水ではないが、かつては水が絶えなかったという。でも、ちょっと この水は引くよねぇ~、馬くん^^; ~首据石~1553年、六角氏との戦いの際、初代・亮政は京極氏家臣・今井秀信が敵に内通していた為、打ち首にして見せしめにこの石の上に首をさらしたといわれる。石の上は平らで、今は浄財が置かれていました。ここから200M登ると黒金御門の跡。浅井長政(時任三郎)が妻と三姉妹を助けるために城外に逃がして門を閉じた あの門です。 ~赤尾屋敷跡~ 右手には長政が自決した屋敷跡、左手はあの有名なロケーションの桜馬場跡。 ~浅井氏家臣慰霊塔~ 誰がお供えしたのでしょう。百合と赤い花がお供えしてありました。 ~ここから~琵琶湖に浮かぶ竹生島と右手に山本山NHK大河ドラマで、美人三姉妹が愛おしく湖を見下ろすシーンはここで撮影されました。ずーっと快晴だったのに、今日は曇って澄み渡らず、残念です。 さぁ^^本丸はもうすぐ!! 大広間の先です。 ~大広間跡~お江(上野樹里)が生まれたとされる曲輪跡。別名「千畳敷」と呼ばれ、長さ85m幅35m前方に4mの石垣が積まれている。基礎石が残り井戸跡、蔵跡も確認されている。 ~本丸跡~天守など城の中心となる建物があったと思われる。落城するまで長政が住んでいた処。ドラマでは燃えながら落城したが、彦根城 西ノ丸の三重櫓は 小谷城天守と伝わる。 ~本丸跡イラスト~要所ごとに解説とイラストがあるので、在りし日の城を想像できる。 本丸のあった上に登ると木が生い茂っていた。 バスの観光客はここで折り返すが大堀切跡や大石垣を見たいので、更に尾根を登る。秋が深まる10月、山城は紅葉で燃え上がる。 ~後編に続く~
September 28, 2011
コメント(8)
涼しくなって、日中の散歩も苦にならなくなりました。公園を歩くと、園芸屋さんやボランティアの方が秋の手入れや掃除をしてくれています^^ 空には雲ひとつなく、底抜けに高く真っ青な秋。下から見上げると葉っぱが透けてとても綺麗です。もみじにかわいいトンボ種が沢山ついていました。 ときどき・・・凹みます。季節のせいか、ホルモンのせいか、運気のせいか・・・嫌なことが続いたり、思うように運ばなかったり、ドツボにはまって、同じことに捕われて、ネガティブになるぅ。 仕事でミスをして(パートも色々と大変です><。)そのミスを気にしつつ働いていたら、又、ミス。自己嫌悪 凹。もぅ=!! O型 おばちゃん 大概は一晩寝ると忘れるけど、喫茶店に行ったり、映画観たり、散歩したり・・・なかなか気分転換できない時はドップリつかる、つかれるとこまで。そのうちに 飽きる。 自分次第なんだ と思えてくる・・・後になってみると。 稲穂がみるみるうちに実ってきて、頭を下げてきました。もぅ新米が店頭に並んでいるけど、この辺の稲刈りは遅め。自然に癒されますね^^ 明日もいい日になりますよ~に。 あなたも♪ あたしも♪
September 27, 2011
コメント(12)
岩村城を下ると城下の町が伸びる。ここは重要伝統的建造物保存地区になっていてそっと、軒を連ねている。~向こうに見えるは 城址~ お昼は 蕎麦屋 ゆい の ざる蕎麦だぁ~これを楽しみ♪に歩いてきたのに…売り切れ・準備中E~。><。まだ、のど自慢♪の放送が聞こえてくるよ~ちょっと、売り切れるのが早すぎだよぅ、ヘコタレ… ~明智鉄道 岩村駅~ 気を取り直して、プラプラ坂を下ると、ほどなくして駅に突き当たる。城下はお散歩には程よい広さ。折り返して、又 坂を登りながら食べ物屋を探す。しょぼくれていたら、地元のおばさんが薦めてくれたお店♪ ♪かんから屋♪ み~っけた! ~かんから屋~ こじんまりとしていて普通の民家の佇まい見落としてしまいそう…だけど、知られたお店なんですよ。 ~かんころ餅 一皿 450円~ 店内に入ると自宅みたいで、昭和の匂いがする^^名物のお餅は一皿に5個。こしあん2個、黒ゴマ粉2個、黄粉1個。小さめのお餅だけど、柔らかくて粉がこれでもかぁ~!!と掛かっていてお皿までペロ^^ペロ^^したくなる~それから、さっぱりと志のだうどんもたべて、ご馳走様でした。 ~商屋 勝川家~ 通りの中ほどにある市の指定文化財、旧勝川家。江戸末期から材木やお米を扱う商屋、屋号は「松屋」中庭には米蔵が並び年間3千俵のお米を取り扱っていた。幕末にはその財力をもって藩の財政を支えた。 ~蔵が続く~ 表通りから入っていくと奥には中庭が続き、蔵が並ぶ。そのさらに奥が あのお蕎麦屋さん。 ~女中部屋への階段~ 主屋は江戸後期の建物と思われ、部分的に復元されている。二階の各部屋に上がる階段がそれぞれにあり、これは女中部屋に上がる階段。狭い所を上がると暗い質素な大部屋があった。 離れは昭和初期の建築で岩村には珍しい書院風の建物。離れの内装の一部や土蔵には明治へと時代がかわった頃の城の払い下げの建物や材料が使われている。いい柱使ってますね~ ~離れ 娘の部屋~ 敷地の中程にあるこの可愛らしいチョッと洋風の建物は大正時代に建てられた お嬢さん の部屋。岩村出身の大工さんを 東京から呼び寄せて建てたという。 ~二階 ♪愛さんさんと~ このかわいい部屋は三方を窓に囲まれて光がたっぷり差し込む。・・・夏、昼は暑い?冬、夜は寒い?・・・ この部屋や離れの窓ガラスは今では手に入らないモノ・・・のようで横から見ると一枚一枚波をうって味がある。(見学無料)~綾錦 栗きんとんに蒸し羊羹~ 坂をも少し上がると ♪松浦軒♪ あった^^あった^^試食が出来て お茶も頂け、トイレや椅子もあり・・・新しい店内は賑わっている ^^*商売上手~ 200有余年前、岩村藩医 神谷雲澤 が長崎で蘭学を学んだ時に、カステーラの作り方を学び、御用菓子司の松浦家に伝授する。1本1本焼き上げる古風な味のカステラも美味しいけど、今日は 秋らしく栗きんとんの棹菓子にする~☆~ ~おかみさんの会~ 通りを歩いて目を引いたのが、あちらこちらの軒下の紺のれん。左端が白抜きされていて、それぞれに女性の名前が手書きで書いてある。 なんだろう・・・ 地元御婦人たちの会のようで、会員宅はのれんを下げて、風鈴を吊るしお花を飾っているお宅もある。 紺のれんが秋の風に揺れて、山あいの静かな町に色を添えている。
September 24, 2011
コメント(14)
遍路の足慣らし目的で登った岐阜城から城歩きが面白い。「週間朝日」に載っていた城特集「岩村城」に魅せられてまだ陽射しの強~い暑い日に行ってきました。 ~岩村城~岐阜県 恵那市 岩村町にある中世の城跡本丸が諸藩の居城中で最も高い標高717M日本三大山城のひとつ別名「霧ヶ城」 「女城主」の悲話が残る ~藤坂の剣~一の門までの三百米の石畳。平時は城下が一望できるが戦になると門を構え柵をめぐらし、坂の途中に初門を初め何ヶ所も陣を作り、容易に進めない。30℃以上ある暑い中、木陰に入ると涼しげ♪歩きやすいしこの調子なら行けそう^^な気がする。 ~お殿茶室~ 明治6年の廃城令でお城は解体されて石垣のみとなる藩主邸は明治14年 全焼その跡地に昭和47年岩村町歴史資料館が建つ。ちょこっと見学して、ここの無料Pを利用さぁ~行こう岩村の標高が高いから、本丸は直ぐそこ。 整備された石畳が続く・・・ 城壁はかつての面影が残る石積で苔が生して味がある。土岐門があった辺りは石段も古いままだ。<土岐門>は徳祥寺の山門、<不明門>は妙法寺の山門本丸の一部は城下の<勝川家>に移築されて建物は何も残っていない…石垣のみ。 ~土岐門跡~この辺りは修復されてないのか石段がかなり古い。カメラの露出を調節しているので、明るい写真もあるが林の中は薄暗い。(この年になってデジカメの露出機能がわかったんだヾ(´ε`*)ゝ エヘヘ) 蒸し暑くて結構汗が流れるさっきから顔や体がチクチクするのは何故だろう・・・汗のせい?木アレルギー?痒いんだけど><。 なんと、やぶ蚊にまとわりつかれていた。歩くのが遅いし写真を撮るのに立ち止まってばかりいるからいい獲物だ。だから、涼しくなってからでよかったのに・・・ブツブツ@ ~大手門跡~足元はかなり歩きやすくなる この山城がなかなか落ちなかった理由の一つに、水に恵まれていたことが上げられる ~龍神の井~ ~霧ヶ井戸~「霧ヶ城」と呼ばれるもとになった井戸。敵が急襲した時、城に秘蔵してある蛇骨をこの井戸へ投げ入れると、たちまち霧が立ち込めて城を覆い隠したという伝説が残る。水は今も絶えることなく湧き出している。 ~本丸近し~ 道を挟んで井戸の反対側には八幡宮があった。今は小さなお社と無人の社務所?のような建物があり、多分そこに行く為だろう・・・@@・・・本丸の反対側にある管理棟から、車道が続き電線が引かれている。 「週間朝日」に載っていた風雅な写真もこの辺りから撮ったもの。よく見ると電柱が、電線も沢山・・・せめて木と同じ茶色の電柱だったらなぁ~^^;汗 石垣を近くで見るとこんな感じ、段々畑みたい。陽射しが強くてじりじりと焼けてきます。本丸跡は広い台地にベンチが置いてあり、チラホラと人の姿があるのみいい景色 北側に恵那の町も見下ろせます。 ~本丸跡~ 天正元年、武田信玄に仕えた秋山信友が、城主遠山景任を亡くした未亡人、修理夫人(信長の叔母)が織田信長の五男御坊丸を養子として守っていた岩村城を攻撃した。 「結婚して無事に城を明渡し、御坊丸を養子として家督を譲ることとしてはどうか」城がなかなか陥落しない為、秋山は密使を送りひそかに夫人を説得する。夫人も最後まで城を守ることが出来ないと悟り、この提案を承諾した。(家臣や領民を守ることの引き換えに政略結婚の道を選んだ) ~昇龍の井戸~ 信友は信長の叔母と結婚した事を信玄に嫌われるのを恐れ、御坊丸を甲府に人質として送ってしまう。時に御坊丸七歳。これを聞いた 信長はひどく怒るが、その頃武田の勢いが強く、かつ近畿攻略に追われていたので、信長は、岩村城を秋山に奪われたのを無念とし、ひそかに岩村城の奪還の期をうかがった。 天正3年、<長篠の戦>に武田勝頼の軍が敗戦したことにより、武田と織田の勢力の均衡が逆転。信長はその年6月、岩村城を攻略すべく嫡子信忠を大将とする軍勢を岩村城攻略に送り込んだ。 ~管理棟~信忠の大軍は数日間激しく攻め立てるが、岩村城兵も命を惜しまず防戦し、容易に攻略はできず、信忠は戦法を変更し持久戦をとった。6月から10月まで約4ヶ月、さすがに城の糧が乏しくなり、兵卒も疲れをみせはじめ、応援も無くなり、ついに岩村城は陥落。 ~兵どもの夢の址~信長は、秋山信友をはじめ修理夫人(御坊丸を人質としたことを憎まれていた)らを命はとらないと約束して城外に出すが、逆磔(さかさはりつけ)にして殺した。この時夫人は、声をあげて泣き悲しみ、「我れ女の弱さの為にかくなりしも、現在の叔母をかかる非道の処置をなすはかならずや因果の報いを受けん」と絶叫しつつ果てたという。 織田信長が本能寺で殺されるのはその七年後のこと。 ~お昼寝 時を超えて~「女城主の悲話」を知って歩いてみたかった城址。カリスマ性のある信長の残虐性。お城再建の寄付金箱が控えめに設置されていたけれどこの城址はこのままに、そっとここにあってほしい。
September 19, 2011
コメント(16)
天高く、真っ青に澄んだ空。夏の名残、蝉が逃げる様子もなく強い陽射しに照らされています。破れた羽根が切ないです。 ~問題 A 初級~ 夏の花も色あせてきました。もぅ、花はないかなぁ・・・散歩をしていると、いろんなかわいい実が付いています。みのりの秋ですね^^ みどりの実はいずれ茶色から黒くなり・・・油を採ります。都はるみの唄にもありますね ♪~葉っぱですぐ解っちゃうかな。 ~問題 B 上級~ 公園に並んでいる高い木、テッペンに何やら実が見えるけど・・・高すぎてこれ以上のUPは私のカメラでは無理。秋が深まると葉っぱが紅くなって、その木立はカナダみたいです。何の木だろう? ~問題 おまけ~ 初夏に花が咲いた時に登場しました。今からもっと!もっと!深いいい色に変わってきます。‘湖山’さん、お解かりですね。 ~問題 C 中級~ 剪定が下手で、花や実がいまひとつだったけど今年はプリプリ♪したいい色の実が付きました。大きさは飴玉くらい、南の島のフルーツにも見えますね。 ~名月~ 実りの秋に感謝して、お月様にお供えです。梨に無花果 薩摩芋、そしてお団子。田舎では中にあんこを入れた丸いお団子を15個飾りますがこの辺りではういろう風のお団子。初めて見た時は‘‘)驚きましたが、涙の形は、実は里芋の形。茶色は皮付きの里芋、白は皮を剥いた里芋。ピンクは?子どもには大人気の色です。もうすぐ、お月様が高く登ったらベランダから下ろしていただきます^^ そちらの窓からも きれいな月が見えますか?
September 12, 2011
コメント(14)
二十四節気の「白露」が過ぎて、月もだんだん丸みをおびて十五夜はもうすぐ。昼間の陽射しは刺すように痛いけれど、もう入道雲は見あたらない・・・朝晩はスッカリ涼しくなって、窓を開けて寝ていると寒くて目覚めるこの頃。夜明け前は草木に露が降りているのでしょうか?オ~ブンの熱が気にならなくなってきたので、また焼き菓子を再開しました。 【混ぜるだけ、チーズケーキ】しっとり(ノ∀`)・゚・ <材料> ポイントは、初めに全部計量して、後はドンドンまぜるだけ~ 15cmの丸型1個分 ・クリームチーズ 200g ・生クリーム 100cc ・砂糖 70g ・レモン汁 大さじ1 ・たまご 1個 ・薄力粉 大さじ2 ・片栗粉 大さじ1 ・好みのクッキー 40g (手に入り易い森永マリーにしました) ・無塩マーガリン 20g ・牛乳 少々簡単です^^ <作り方> 1) 材料を計量して準備しておく。クリームチーズ、卵は室温に戻しておく。2) 型に合わせてオーブン用ペーパーを切る。3) 砕いたクッキーにレンジで溶かしたバターを混ぜる。粘土^^*位の型さになる様に牛乳を少し加えて調節する。型にクッキー生地を押える様に敷く。4) ボウルにクリームチーズを入れて泡だて器で混ぜる。砂糖を加えて又混ぜる。レモン汁も加えて又また混ぜる。6) 割りほぐした、タマゴを加えてよく混ぜる。7) 生クリームを加えて又混ぜる。8) 小麦粉+片栗粉 合わせて振るっておいたものも混ぜ合わせる。 なかなか~9) クッキー生地を敷いた焼型にクリーム生地を流し込み、170℃のオーブンで40~50分焼く。10) 焼上がって荒熱が取れたらラップをかけて冷蔵庫で3時間以上冷やす。 今回は長野土産の<あんずジャム>を加えてみました。ジャム30gを(8)の後の生地に加えて混ぜ、焼き上がりに上面にも塗ります。 焼きたてを はふ♪はふ♪ しながら食べるのも美味しいけど、次の日までよ~く冷やすとしっとり固まって濃厚な味わいになります^^チョッとういろう風(笑)、これもまた美味しい。
September 10, 2011
コメント(11)
いつもお盆を過ぎから始める散歩を、やっと再開しました。今年はなんか腰が重くて台風が去った、昨日久しぶりの青空と涼しい風に誘われて歩きはじめました。 ~5日(月)16:00~ まずは足慣らしで寺社コ~ス村々の神社やお寺をまわり、ついでに^^;じじ様のお墓にも寄る短いコ~ス 夕方なのに薄暗く、三重の方から次々と雲が流れてきます。ラジオのニュースで「温帯低気圧になった」と流れてきます。や~っと@@です、長かった。紀伊半島の方角が明るくなってきました。 ~おかえり~ 下校する小学生たちが来ました。傘をトントンしたり振り回したり・・・^^オバハン、ダイエットで歩いてるな~と思われるのが恥ずかしくなって人気のない田んぼコ~スに方向転換。 ~ジャンボタニシ~ 田んぼの脇で草に卵を産み付けているタニシ発見。このなんとも言えないピンク色に凄まじい生命力を感じる。ゾゾ気(冷汗;) 食用にと九州の養殖業者が輸入したが、日本人には歓迎されず失敗。用水路へ逃げ出したタニシが九州から凄い勢力で繁殖を広げていった。あちらこちらで見るグロイ卵は水が苦手。 産卵は夜になると水から這い上り草木や川壁に産み付ける。この卵を水にこすり落とすと死滅するらしい。 ~5日 16:30~ 台風が去ったら早速産卵ですか・・・強いねぇ。 テクテクと田んぼ道を歩く。凄い風がふいてくるけど、久しぶりの青空に気持ちが軽い♪~紀伊半島の方がだいぶ明るくなってきた。早く救済活動が進むように明日もあさっても・・・晴れますように。 PS:今日6日は雲ひとつ無いピーカンのいい天気です♪
September 6, 2011
コメント(8)
突然、台風の風や雨が強烈にやってきます。朝から室戸岬や足摺岬の海の中継を流しています。四国大変~この中をお遍路している方いるのかなぁ・・・いるね。 ★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜ 飼っていたインコが逃げて行ってから2年餌がたっぷり残ってしまいまいた。一茶みたいにスズメに餌付けしてみようかな~ 何代目のスズメになるでしょう同じスズメの様で年に何回か子どもが生まれて世代交代している。この春には3匹の子スズメが生まれて親スズメが連れてきました。朝、洗濯を干しにベランダに出た時に手を叩いて合図します^^「おいで~ご飯だよ~」 学習♪夏は陽の出が早いから私が起きる前から催促ぴぃ~ぴぃ~チュンチュン賑やかです。(餌は朝1回だけ。後は自分で取る様に。) ~なかなか 7月~ インコの餌はとうになくなって賞味期限の切れたカンパンを砕いてあげてます。なんと!10年も切れていたぁ~義母のカンパン。餌台は息子が5年生の時に作ったもの、使い道がありました^^;親スズメがここは安全な場所と教え、食べ方を教え・・・子どもはどんどん大きくなって夏に巣立っていきました。 ところが1匹だけいつまでも食べにきます。どうも足が不自由でお尻が下に付いて動きが悪く、太っていて運動神経も鈍いのです。親が懸命に餌の食べ方と巣への戻り方を教えます。何度もなんども・・根気がある ~末っ子スズメ 8月~ 末っ子は甘えて「ぴぃ~ぴぃ~」と鳴くばかりで親にたよってばかりです。そんなに大きな声で泣いたらカラスや猫に狙われるよ。スズメは意外と警戒心が強くて、見られている気配を感じると近寄らない。 最近になってやっと、末っ子スズメはひとりで餌を食べに来ようになりました。 我が家のみんなが親鳥の子育てに感心した夏でした。また、人の親が子育てを放棄するニュースむなしい。
September 3, 2011
コメント(16)
~2011・夏 リニアなう~ リニア線建設を耳にしたのはいつだろう・・・多分20余年前。反対派と賛成派がしょっちゅう議論していた。 大月にリニア実験線が出来たのが10余年前。ふる里でも土地買収が始まりだした。それでもみんな思ってた。ホントに工事するのかなぁ・・・ するのだ。準備は着々と工事は確実に土の下で進んでいたんだ。ニュースでどの路線にするか、駅はどこにつくるか話題になっていた。春、山に行った時急ピッチで進んでいる工事現場に驚いた。冬にあったかなぁ~? あたしの育ったところです。山が削られクレーンが並び、空の青と田畑の緑を切るような工事現場。風景に馴染まない。 中央道とリニアが通るふる里はインターやPAも出来ず、リニアの駅はもっと西になる予定。隣町は開発されていくけどここはほとんど変わらない。桃と葡萄畑がひろがるのんびりとした扇状地。 次に来る時はどの位工事がすすんでいるのかな?では、又。
August 26, 2011
コメント(11)
笛吹市の国道や県道沿いには沢山のぶどう園が並んで色んなぶどうや桃を販売しています。プレハブの小屋では観光客が腰を降ろして試食しながら品定め。都会のお店のそれと比べてそ~安いわけではないけど^^;朝採れピチピチ、新鮮で実が締まっている。 ~袋の中身は♪なんだろな~ このぶどう園、多分以前は観光農園だったはず。でも、休憩所を食堂に替えて大繁盛♪看板も出てないしま・さ・か このぶどう棚の奥に店が有るとは思うまい。くちコミでこんなに満員になるなんて@@「えっ!こんな田舎の大広間みたいなところ・・・?」弟よ~安くあげようなんて思ってるだろ(疑) ところがどっこい!料理は旨い♪ 素朴な娘さん達は黙々とよく働く♪気持ちがゆるくなって、落ち着くなぁ~都会からのお客さんはまず来ないホントの山梨の雰囲気を味わえるところ。 ~デラウェアと藤稔~ さてさて、これが藤稔ふじ=富士山 てっきり山梨生まれと思ったら神奈川県藤沢市の青木さんが30年前に交配に成功した葡萄。巨峰の1.5倍、一粒20gほどある大粒で種も無くて食べ応え充分。あっさりした甘さで贈り物に好まれている葡萄^^そりゃぁ~箱を開けてこの葡萄がドヤ顔で出てきたら絶句!続いて、歓喜!即、摂取! この藤稔は弟の友人が作った製品。お友だち価格で安くしていただきました~5箱GET(^^♪ お土産は野菜や果物ざっくざく♪母の作った茄子・キュウリ・にんにく・じゃが芋・玉葱・・・我が家は農家ではないので、ご近所の農家さんが「桃ぶどうちゃんにやって~」とB級品の桃やぶどうを持ってきてくれる。これまたザックザク♪みんなぁ~わるいじゃんね~、ご馳走さんです、ペコリ。♪^^感謝^^♪
August 21, 2011
コメント(13)
河口湖の湖畔河口湖大橋のふもとの <北原ミュージアム>に寄り道 某TV局の<なんでも鑑定団>に出ている<おもちゃの鑑定>をする方北原照久さんが40年に渡って集めた おもちゃ等のコレクションが展示されています。 木立中の小さな白い建物に入ると昭和の懐かしいモノが所狭しと並んでいます。 ~富士山と河口湖を中心にびっしり~ 1FはDISNEYなど子どもをテーマにした部屋や音楽に関する部屋・・・ レコードEP版が壁一面に飾ってありました。小学生の頃にヒットした曲♪もある。さすがに陳列されるだけあって保存状態がきれいです。 ~覚えてる?~ 2Fはロボット・車・船などのBOYSコレクションやセルロイドの人形やおかしのおまけなどのGIRLSコレクション明治・大正・昭和の広告ポスターなどマニアが見たら さぞ手に入れたくなるような小物が並んでいます。 1F~2Fへの階段には高橋信雄氏が一年かけて直接白い壁に描いた壁画。 「グラフィティ」 そうそう^^ 左端の金魚持ってました~ 小さい頃にオバサンに頂いたそうで10才の頃までお風呂にありました。湯船の底で手を離すと「ピヨーン」と上に飛び出てきました。だんだん錆び付いて、穴があき・・・ 生誕60周年のペコちゃん左上の古いペコちゃんはリアルと言うか、なんだか可愛くない。 懐かしいお菓子の箱もあって忘れていた記憶がもどってくるようだ。 ペコちゃんのモデルは誰だろう? 検索してみると不明とか、モデルはいないとか、石原都知事(?)とか・・・はっきりしない。 25年前職場で聞いた話<不二家の方が6歳の姪をモデルにした>その女の子は40位のおばさんで系列の職場で働いている上司その方には会えなかったけど・・・今70歳くらい、ペコおばぁちゃんは元気かなぁ~?~強面のペコちゃん~ 故郷をはなれて20余年富士五湖周辺もリゾート地っぽくなってきた。都会からの人がお洒落な店を開いたり小さな美術館ができたり 便利な道ができたり でも’70~’80年代の清里のようにはならないでほしい。
August 18, 2011
コメント(6)
お盆は田舎に帰りました。この夏の晴天と震災の影響で桃やぶどうが高騰、農家は出荷で大忙しでした。お盆は市場もお休み、町がホッと一息つく時です。 我が町と河口湖を結ぶトンネルが完成して峠を簡単に越えれるようになりました。 下界では時々雲が流れる暑い日だけど、やっぱり~富士山はなかなか姿を見せません。夏の富士は雪がないので稜線がはっきりしないし、すぐ雲がかかります。多分雨が降っている・・・ ~御坂峠より~夏山登山を楽しみに、遠くから沢山の人がやってくるのになんか申し訳ない。南アルプスや八ヶ岳も雲がかかる日が多いのです。 河口湖の東湖畔は主要道路が狭くて混雑しますが西湖畔の大石地区は静かでのんびりしています。 水上スキーをしたり、バス釣をしたり、芝生に腰を下ろしたりそれぞれに楽しんでいる。 巨峰アイスをなめながら、ボーっと湖を眺めていました。甲府盆地より5℃は低い郡内地方。カラリとした涼しい風が吹いてきます。
August 17, 2011
コメント(14)
空が夕焼に染まる頃庭先でご先祖の迎え火を焚きました。お寺さんの「棚経」は仏様が帰ってくる前、3時頃に済んでしまったけど^^;檀家の数が多くて、遠くの檀家もあって、お坊さん3人で廻ってもてんてこ舞い。我が家にいらした若坊さん、今日は30件廻るとか・・・汗だらだら~ ~ペンタス~ (安くてよく咲く、あたしみたい?) 今年のスイカは甘いパート先の先輩の旦那さんの作品、3個も頂きました。よく実っていて早く食べるほうが美味しいからママ友2人におっそ分け。とても喜んで頂けて^^ 物々交換もして^^ 完熟 ◎ 甘すぎ~ この辺りには<7日盆>というのがあって・・・本来のお盆の前にお墓参りをします。6日にはお墓の掃除を済ませて7日の朝に△に切ったスイカを供えしてお参りします。近くにある霊園には200~300のお墓があって 墓石の前にズラ=ッと真っ赤なスイカが並ぶのです。夏の朝日が照りつける中、何百個ものスイカ・スイカ・スイカ・・・ちょっと、綺麗。ちょっと、怖い。 ~金魚草 と レトニア(別名 夏スミレ、パンダすみれ)~ 以前は各家庭でスイカを片付けて飾りっぱなしの腐りだしたのは管理組合の方が片付けていました。最近は、シルバー人材センターからの高齢者さんがトレーを準備してくれて一つづつお皿に載せてます。昼前には片付けて、トレーを洗って来年用に保管します。頭が下がります、ペコリ。 窓から今夜の月が見えますか? 澄んでいてきれいですね。震災で亡くなった方がたの御霊は家族の元へ還れたでしょうか。どうか、安らかに。
August 13, 2011
コメント(10)
久しぶりに名古屋へお出かけお盆のお供え物や田舎への手土産を買いに 。それから、正確な温度湿度計を買いに。 夏休みだから電車は空いている。窓に広がる田んぼこのところの晴天ですくすく伸び始めました。誰かさんのブログでは南は もう、稲刈りが始まってました。 ~見てる分には涼しげ~ デパートは超~満員。人の波(^^;外は36℃地下1階も熱気ムンムンムーンです。洋菓子にしようか♪和菓子にしようか♪一廻りあれも美味しそう♪これも美味しそう♪二廻りいざ!並んで注文すると、現品売り切れ・・・3.000円台が売れ筋でほしい物が買えなくて、三廻り。 ~ふわふわ~あ~疲れた。赤福で【赤福氷】を食べて帰ろう。5年ぶりだから諦めない そぅ~は待たないだろう 言い聞かせて並ぶこと 40分太い足が杭になるかと思った。 抹茶そのものの味と色掘り下げていくと赤福餅の白玉が2個と こし餡が出てきます。今日は暑いせいか溶けていくのが早いような・・・ 甘みも増してるような・・・お抹茶も飲めそうなお皿と湯飲み、変わらないっていいなぁ。お茶は温かいほうじ茶なんですよ。そこが又いいですね。 ゆらりゆられて帰ります。ZZZ・・・
August 11, 2011
コメント(7)
時々モーニングに行くようになったのは、子どもが学校に入って自分の時間が持てるようになってからです。ここ10年位かと。仕事のない日はそう家にも居たくなくて^^*かといって、遠い実家にも行けず、旧友にも会えず・・・気分転換するのにいい場所です。ポイントはチョッと離れた隠れ家的なお店。 ~モーニング サービス~ 間口の狭いこのお店の小さな庭には あんずの木 があって足元には小花が咲いてます。一階はテーブル席とカウンター二階は和室で静かな空間、大きな窓からは梢が見えます。今は茂った葉の間からチラチラ差し込む光が素敵。狭そうでも100席位あります。(そこまで大入りにはならないけど^^) ~アフタヌーン サービス~ ここはお客さんにカップを選んでくれます。お客の雰囲気(服の感じ?)や若旦那のセンスで決めるのかなぁ~希望すれば好みのカップでも飲めます。とある日のカップ2客から・・・想像してください*^^*こんな感じのわたしです。 モーニングはサンドイッチとバタートーストの2種類から選びその日のスープとゼリーが付きます。野菜が多く薄い味付けでヘルシー。 午後1時を過ぎるとおやつが付きます。シホンケーキは抹茶・チョコ・プレーンが日替わりです。ふわっふわ~でなんとも幸せ♪ここで本をよみながら過ごしていると、自分らしさが戻ってきます。 こんな日は アイスコーヒー でしょうか。~凄い 暑さ お見舞いもうしあげます~
August 9, 2011
コメント(12)
台風の後、やっと夏らしく晴れたので、梅の天日干しをしました。ふる里の梅は ほら、コンビニのおにぎりやお弁当の白米の真ん中にのっている硬いタイプ 甲州カリカリ梅です。いかにカリカリ漬けるかが腕の見せ所でした。この辺りは紀州梅みたいに、中~大型の梅を柔らか~く漬けます。今年は田舎から大型梅が届いたので、チャレンジしてみました。♪お初です♪ 母上に聞いたり、PCで検索して、その通り忠実に・・・(^^)**紫蘇が良かったのか、とってもいい色に漬かりました。土用に入ってから涼しい日が続いてので、待ってましたよ~お日様。朝、ベランダにザルを出して一つずつ並べます、丁寧に、風がよく通るようにお昼になったら裏返し。ひとつ手にしては、優しくモミモミ。美味しくな~れと、又モミモミ・・・ ~なんだか、いとおしい様な~ 日の暮れには一人前の梅干しになっていました。半分は干したまま、 あと半分は色が抜けちゃったので 再び梅酢の中へ入れました。 (元の木阿弥かなぁ^^*) 朝からお出かけの母上が戻ってきたので成果をみせると 「梅はもまないよ」・・・へ?^^ 母上から聞いたと思っていたけど、パート先の先輩から聞いたのかなぁ~ 翌日先輩に成果を話して、モミモミの話をすると 「さぁ~ね~我が家はしないけど」・・・?^^ あれ? 何処かできいたんだけどもしかしたら~【干し柿】と勘違いした? (><) 大丈夫、きっと柔らかい美味しい梅になってる。すっぱ。
August 5, 2011
コメント(9)
全536件 (536件中 401-450件目)