くずもちBLOG

世界遺産がたくさん・沖縄

勝連城
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勝連(かつれん)城跡は、美しい沖縄の海を眺めるにはいずれも素晴らしい所にある。 丘陵にがっしりと石組みされた城壁。海から90メートルはあると思われる位置に 城の跡地はあるのだ。私は、あまり大したことないと思っていたのですが 景色をみて、考えが変わった。息をのむような海の青が印象的。  琉球の歴史の中にあって15世紀の人物「護佐丸(ごさまる)」と「阿麻和利(あまわり)」は本島中部に位置する城に関係が深い。  北山討伐で活躍した護佐丸が築城した座喜味城。切石で組んだアーチ型の石門が美しい。後に護佐丸は中城城に移り三の郭や裏門を築造し築城家としても名を駆せた。 勝連城跡 組踊り「二童敵討(にどうてきうち)」  太平洋に突き出した勝連半島にある勝連城は、海外貿易で栄え中部の新興勢力となった阿麻和利が城主であった。 お互いに有能な城主であった二人が宿敵として語られるのは、同時代を生きた二人の相反する忠誠心によるのだろう。阿麻和利は時の首里王府・尚泰久王を脅かす存在であり、王は王女・百度踏揚(ももとふみあがり)を阿麻和利の嫁におくり、王の忠臣であった護佐丸を首里城と勝連城の間にある中城城に配し、阿麻和利を哨戒したと伝えられている。しかし、1458年に起こった「護佐丸・阿麻和利の変」は、忠臣・護佐丸が王府に謀反するという阿麻和利の謀略によって、忠誠を誓った首里の軍によって護佐丸が討伐されるという争乱であった。古城を舞台に壮絶なドラマが生まれていたとも言え、歴史もののロマンに心をかき立てる。  この物語は史実とも伝説とも読みがたいが、のちには琉球の総合芸術として完成された組踊にも影響を与えている。護佐丸・阿麻和利の変は組踊の傑作と知られる「二童敵討(にどうてきうち)」のモチーフになり、阿麻和利の謀略によって討伐された護佐丸の仇を討った二人の子らが描かれている。中国・清から来琉した徐葆光の「中山伝信録」には「鶴亀二児復仇故事」と記されている。  現在はどの城も城壁を残すのみ。まさに強者どもの夢の跡の感が漂う。史実や伝説はその時々の創作活動に大きく影響を与えた。沖縄では、地元の祭りや遠足などのほか芝居公演の舞台などとしても利用されている。城はその場にあり続け、訪れる者に、歴史のロマンを魅せ続けると共に、若い人々感性に刺激を与える場として生き続けている。(ぐすく紀行より) 私はこの勝連城跡地が世界遺産だと知ったのは、旅行から帰ってきてからだった。うわ、困った人。 このお城に住んで毎日のように海を見ていた阿麻和利が なんとなくうらやましく思った私。 でも、海はいつも穏やかではないよね。嵐の時もあるでしょう。 私が思うに海が見えるお城でナンバーワンの景色ではないでしょうか?
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