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森の声

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2019.07.22
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カテゴリ: カテゴリ未分類
今朝MSNのニュースを見ていたら、以下のようなタイトルの記事がありました。

「ゲームをする子は集中力が高い 禁止ではなく時間制限が重要」

で、
 加えて2017年に朝日小学生新聞が行った調査では、「ゲームOK」の家の子供の方が集中力が高く、勉強と遊びの切り替えも早いという結果になっている。特に、親と一緒にゲームをする子は、成績のいい子が多いという結果は目を引く。

こういうことが書かれており、最後に

「ゲーム禁止」はもはや“過去の教育方針”とさえいえる状況になっている。

と締めくくっています。

この記事から読み取れるのは、「勉強や成績に影響がなければ問題ない」「成績がよいなら大歓迎」的な感覚です。

つまり、「成績」のことしか関心がないのです。

子どもの「人間としての成長」や「なんのために学ぶのか」「教育はなんのために存在しているのか」という発想が全く消えてしまっているのです。

そして、多くのお母さん達の意識もこの記事を書いた人と同じです。
小学生のお母さんからの相談の大部分は、「宿題をやらない」「勉強をしない」「忘れ物が多い」「ゲームを止めない」「言うことを聞かない」などと言ったようなことばかりです。



逆に言うと、ちゃんと勉強をして、成績も良くて、忘れ物もしなければ、他の時間はゲームばかりやっていてもなんの問題も感じないということです。

みんな「どう学校の期待通りに子どもを育てるのか」ということにしか関心がないのです。

「学校という価値観」の中だけで世界が閉じてしまっているのです。

でも子どもはやがて学校を卒業していきます。
「学校という価値観」が通用しない世界に出て行き、そこで生きなければなりません。

これは例外がありません。

だから、それまでに「学校の外の世界で生きていくための能力」を身につけなければならないのですが、学校の教育目標自体が学校内部だけで完結してしまっているので、「学校で学んだこと」の大部分が学校の外の世界では役に立たないのです。

社会に出て役に立つのは、「授業で学んだこと」ではなく、「休み時間に子どもたち同士で遊んだ体験」ぐらいなものです。
実際、多くの子どもたちが、友達と遊べる休み時間のために学校に行っています。

勉強は、やらないと親や先生に叱られるからやっているだけです。

どう考えたってこれって変でしょ。でも、それを「変」だとは感じない人が大部分になってしまっているのです。

本来は、学校は子どもが「社会で生きていくための能力」「自分の人生を自分のものとして生きる能力」を育てる場であるはずです。



でも実際には、学校では社会で生きて行くこととは無関係なことばかり教え、成績で競争させることで「子どもと子どものつながり」を阻害し、競争意識ばかりを煽り立て、評価を気にする意識を植え付け、「言われたことだけを覚え、言われたことだけを考え、言われた通りに行動する訓練」ばかりをしています。

家庭でも、学校が求めてくることばかりを子どもに押しつけ、学校の手先のような状態になってしまっています。

そして、社会で生きていくときに必要になる、「自分の頭で考え、自分の感覚で感じ、自分の意思と責任と判断で行動する能力」は育てるどころか、むしろ「邪魔なもの」として否定されています。


この選挙期間中、若者達に「選挙に行こう」と呼びかけているポスターや記事を多く見かけましたが、学校で「自分の頭で考え、自分の感覚で感じ、自分の意思と責任と判断で行動する能力」を否定しておきながら、「選挙に関心を持って下さい」「投票に行って下さい」と求めるのは、全くのナンセンスです。

選挙はまさしく、「自分の頭で考え、自分の感覚で感じ、自分の意思と責任と判断で行動する能力」の結果であるべきだからです。そうでないと、マスコミに操作された情報だけで投票してしまいます。

民主主義は、本来「自分の頭で考え、自分の感覚で感じ、自分の意思と責任と判断で行動する能力」によって支えられているのです。


日本の学校では「正解」を押しつけそれを覚えるように求めていますが、民主主義というものが生まれた欧米の学校では、「正解」がないディベイトや、様々な表現活動が大切にされているのもそのためです。

「自分の頭で考え、自分の感覚で感じ、自分の意思と責任と判断で行動する能力」を失った人たちが行うのは「衆愚政治」と呼ばれるものです。

「自分の頭で考え、自分の感覚で感じ、自分の意思と責任と判断で行動する能力」を失った子は、人間関係を作るのが苦手です。

試行錯誤したり、色々工夫するのも苦手です。



最初の記事で「ゲームをやっている子は集中力が高い」ということが書かれていますが、それは裏を返せば、「ゲームをやっている子は、やるように言われた指示に従うことが出来る」という事でもあります。

「やるように言われたこと」に従うとストレスが溜まります。でも、そのストレスをゲームで発散できる子は、「やるように言われたこと」に従うことが出来るのです。

それだけのことです。

それは本当の意味での集中力ではありません。機械は24時間働くことが出来ますが、それは集中力とは無関係ですよね。

ゲームも放っておけばいつまでもやっていますが、それも集中力とは無関係です。「集中しているから続けている」のではなく、単に「止められないから続けている」だけだからです。

それは「中毒」と同じ現象です。タバコを止められない人も集中して吸っているわけではありませんよね。

私は、自由な造形や遊びの場で子どもたちと関わっていますが、ゲームばかりやっている子ほど、そういう自由な場では何をしたらいいのか分からず途方に暮れてしまいます。作ること、遊ぶこと、工夫することを楽しめないのですぐに飽きます。

集中してやれば楽しくなるのですが、集中力が育っていないのでその集中も出来ません。

それに対して、「本当の集中」では、それ自体が喜びなので、別の場でストレス発散などする必要がありません。

勉強が大好きな子は勉強に集中する事が出来ます。「ゲーム」のような娯楽でストレス発散する必要がありません。だから「たまには勉強しないでゲームでもやったら」ということもあり得るわけです。

皆さんだって大好きなことをしているときには、それ自体がストレス発散ですから、他にストレス発散の場を必要としないですよね。

記事の中に書いてある
「ゲームOK」の家の子供の方が集中力が高い

というのは、裏を返せば「ゲームでストレス発散しないと集中力が低下する」ということでもあります。

それはタバコ中毒の人がタバコを吸っていないと集中できないのと似ています。

ゲームをするから集中力が育っている訳ではありません。でも、その勘違いをしている人が非常に多いのです。

それだけのことです。だまされないで下さい。





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Last updated  2019.07.22 09:09:45
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