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こんにちは。
今日はきのうの話の続きです・・・
私が昔活動していたママサークルの仲間 ノン子 (仮名)さんは、私が育児雑誌プチタンファンの読者ページで仲間募集の記事を読んで応募してきた一人でした。
当時は携帯電話やパソコンも普及してない時代だったので、簡単に同じ立場の人と友達になるのは難しく雑誌を通じて知り合いになるというのが多かったと思います。
彼女は私が元住んでいた場所の近くに住んでいました。しかもウチの長男と同じ幼稚園に彼女のお子さんも通っていたのですがスクールバスに乗る場所が違っていたのでこのサークル活動を始めるまで知り合いではありませんでした。
その彼女には既に二人の男の子がいて、回覧ノートを回しているうちに第3子を妊娠。回覧ノートNo.2には妊娠中の彼女のコメントが書かれてました。


《回覧ノートより》
6.23着 ○○ノン子 こと ノンノンです。
△△さんと同じく私もただ今6ヶ月。
10月末の予定日ですがいつもおくれるので今回もまた11月3日に生みたいと思っていますが...
私は今までになく ひどいつわりで ひどい時は寝込むほど。 母にSOSして子供達の食事の世話をたのみました... (後半省略)
ノン子さんの書いた文を見ると、この時点では胃癌の症状である胃の不快感と体調の悪さはつわりが重いからと判断してしまっている事に気づきます。誰だって、まさか妊娠中に胃癌になるとは思いませんからノン子さんも周りのご家族も気付かなかったのだと思います。
そして、年が明け平成元年の春号の会報誌にはノン子さんの記事が...
《会報誌春号》
・・・ノン子さんの通夜で・・・
(冒頭省略)
...私が挨拶したところ、ノン子さんのご主人様だけでなく、ご両親さままでもが「いつも楽しみにしていました。ありがとうございます。」といって下さいました。私はもう何も言えませんでした。返す言葉もなくただ泣いているばかりでした。
今まで、家が近いからいつでも会えると思いながらなかなか会えずにいたのです。
そして初めてノン子さんのお顔を拝見するのがノン子さんの遺影になるなんて...
ノン子さんは昨年、出産後どうしても体調が快復しないので病院へ行ったところ胃癌を発見されたらしいのです。それも、もったとしても後3ヶ月でしょうと家族に宣告があったそうです。
ノン子さんのお父さんは知り合いのお医者さんがいる病院へ入院させたくて連れて行ったそうですが、そこの先生は子供達が小さいので少しでも長くお母さんと一緒にいられる時間を作ってあげる為に家に帰るよう勧め、ノン子さんは自宅で療養なさっていたそうです。
ノン子さんが亡くなった後、真ん中のお子さんが(当時3歳4ヶ月)お母さんの顔にかかった白い布を何度もとって『お母さん、早く起きてよ~。どうして寝てるの...』と言って、そばから離れなかったそうです。
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ノン子さんは昨年10月30日に生まれたばかりの子を含め3人の子供達を残して、この世を旅立っていかれました。
ノン子さんはどんなにか心残りだった事でしょう。
癌はどんな立場の人にも容赦なく襲いかかるのですね...
彼女は最後まで癌だと知らせられないままだったようですが、毎日続く痛みや投薬で少しは気が付いていたかも知れません。
ノン子さんが亡くなる前年の暮れに私宛てに1通の手紙をくれていました。
内容は10月30日に三男を出産した報告から始まっていて、その後はノン子さんのご長男とウチ(まる子)の長男とは同じ歳だから来春入学の小学校では宜しくと書いてありました。
そして体調の事も...
《ノン子さんの手紙より》
・・・第3子は、よく寝てくれてよい子。 母乳だけで頑張っていますが、私の方が疲れのためか、食欲がなくなり胃が痛くて病院通いしてます。 そのため、おっぱいも出なくなってきました。 やはり3人だと生活が大変ですヨ。
幸い母が手伝ってくれているので たすかっていますが...
ご協力できる事があれば お手伝いしたいと思っています。
では よいお年をお迎え下さい。
ノン子 こと のんのん
ノン子さんはこの時点では疲れて食欲が無いのだと思っているんです。
乳児の子育ての時期と重ならなければもっと早く受診したでしょうに...
自分の体が辛いのにお手伝いしたいとも言ってくれて...
なんでこんなにいい人が早く逝かなきゃないのか分かりません。
運命は残酷ですね...
《会報誌より》
2月11日生まれの彼女は平成元年の誕生日を迎えずに
2月10日 たった31歳の若さで亡くなられました...
子供達がどんなに甘えたくても、もう二度と戻ってきてはくれないのです。
皆さんどうか健康にだけは気をつかって下さい。
誰よりも、子供達の為に...
ノン子さん安らかにお眠り下さい...
この後、回覧ノートを回すのも会報誌を作るのも意欲がなくなってしまったまる子はしばらく暗い日々を過ごしました。
今思えば、ノン子さんの事で辛くてもサークルは続けるべきだった...
他の仲間にはとても申し訳ない事をしたなとつくづく思います。
このブログを読んでいる方の中には当時一緒に活動をしていた方はいないかも知れませんがこの場を借りて謝りたいです。本当にごめんなさい。
当時のみんなの思いが詰まった回覧ノートや会報誌は私にとってとても大切な宝物になりましたから今後も大事に保管していきます。
それにしてもノン子さんは本当に心残りだった事でしょう...
生まれたばかりの乳飲み子を含む幼い我が子達を残して逝かなければならなかったのですから...
みなさん、がん検診は是非受けて下さいね。
ご自分の為にも、そして愛するご家族の為にも...
by まる子
※長文と抜粋文で分かりにくくて失礼しました。
