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今の障害の具合は、障害者手帳1級・要介護4の状態だ。ほぼひとりじゃ日常生活を送れない。ふだん家で過ごしてことが入院してみて、環境の変化で「あれもできない」「これもひとりじゃムリ」なことばっかりだ。今まで、車椅子のフットレストを外して短距離なら移動できたが、脚がつっぱって前に進まないのには困った。パソコンテーブルにひとりで移動することが困難になり、長時間車椅子に座ると足の血行が悪くなり、家族のメールか看護婦さんへの伝言をパソコンに打ち込むだけで疲れてしまう。疲れたらナースコールでベッドに直行な日々を送っている。ブログ更新もままならず、入院中のこと書くつもりでいたが、家に帰ってからゆっくり書くつもりだ。
2008年01月09日
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今、入院している。今年4月に2週間の入院以来2回目だ。ここ、体調悪化のスピードに対処した入院でレスバイトを兼ねて4週間を予定している。しばらくブログ更新しておらず、久しぶりだ。文字入力ができにくくなったが、一般入力で操作でしている。時間がいっぱいあるので指先トレーニングに最適だ。耳鼻咽喉科を受診して、飲み込みは大丈夫と先生に言われ胃ろうの心配は去ったみたいだ。今週はMRIの撮影。さて、悪化していないことを祈る。
2007年12月24日
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ひとりでできることが限られて行く中で、後で後悔することが無いよう今競馬に夢中だ。パソコンでネット投票できる(お金も必要)うちに、高配当にありつこうって訳だ。南関東4競馬場では平日毎日どこかで開催されるので、土日の中央競馬開催と合わせて一週間競馬漬けの日々を過ごしている。チョっと纏まった保険手数料が入ったので、競馬資金として少し流用させてもらった。7月末に高配当レースを当てて、昨日まで一進一退を繰り返している。固く人気馬を狙うか、穴馬の高配当を狙うか迷いながら馬券を買い続けている。動きが悪い手で予想紙をシワクチャにしながら、瞬きが少なくてしみる目で中継放送を見ている。車椅子とベッドの往復も苦も無くこなし、人間には楽しみの努力はおしまないのが良く判る。夢中になると病人を忘れる。今日、当たりますように!!
2007年08月16日
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病状が進行したのか、パソコンのワンタッチ・ワンタッチの動きが鈍く、何回か更新日記を途中で諦めてしまった。入力方法を模索したが、キーを押す力が衰えたわけじゃ無く、コントロールの問題と、長時間車椅子に固定して座る疲労を解決すればまだワードが使える。指は、震えは無いので「緊張」でこわばった左手中指で慎重にキーを押す。両手操作・シフトキーの同時操作が厄介だ。姿勢が右に傾いて左手操作するので、を押すとき重心がフラットになり体を支えられなくなり、不安定になりキータッチをミスする。ベッドと車椅子の乗り移りも重労働で、一度臥すと起き上がり車椅子移動まで見守りヘルプが必要なことが最近多くなったが、机のパソコンに車椅子に座って操作できることが良いリハビリと思い、ブログを続ける努力をしよう。保険だが、「こくみん共済」の入院給付金が支給された。ライフプランナーとしてあるまじき行為だが、背に腹は変えられない。あらゆる手を使ってたくましく生きなきゃ/(o^。^o)/。
2007年07月19日
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Wケア・マネージャーへ症状ですが、就寝して目覚めると痙性麻痺で足が伸びず、伸ばすと「つっぱり」が強くでます。「テルネリン」を2錠服用し(3回)、「ダントリウム」も3回/日増量して様子をみていますが、痙性感はとれません。 手・足先の冷え・動作悪は相変わらずですが、気温が上がって症状は軽くなっています。「テルネリン」を服用すると「ねむけ」がでますが、他の薬はないので効用があるのかな? と思ってしまいます。 構音障害で、口の締まりが悪く「よだれ」をよく溢すようになりました。就寝中、開いてしまうのか乾燥で目覚め、水分補充で補っています。対処法はありませんか? 6/27にT医大・担当医で久しぶりに受診します。薬はM総合病院で処方されていますので断りますが、その前にH先生の往診を受けておきたいので6/21に頼みます。メール内容をH先生にお伝え下さい。
2007年06月19日
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コ○スン問題が話題になっているが、私の利用している在宅介護サービス会社(業者)は東京では中堅どころの規模で、ケア・マネ(同級生)の指定業者だ。ケア・マネを頼んだとき、その業者と付き合いも浅く「聞いてみる」何度も言っていた彼は、先日入院した総合病院の部長で偉くなったものだ。利用者の業者への不満は多く、私の場合メールで業者担当・ケア・マネと使い分けてクレームを入れる。小言のときは私から、大事のときは彼から言ってもらっている。東京の場合、業者選択は利用者有利と思うので、「業者換えるぞ!」を殺し文句に小言を言う。換える業者は、コ○スンを指していたので今は比較にならない。どう事態は解決するだろうか(´.`;)。介護保険の等級アップに伴い、週に6日/午前と午後に来てもらうスケジュールにしたが、延べ12回の訪問派遣に8人のヘルパーが代わり、どう見ても尋常じゃない気がする。新しいヘルパーに作業を伝えるのに、業者は担当が同行してヘルプする。その担当が不慣れじゃ話にならない。退院後、どうも調子が良くない。手先の利き、冷えが悪く「テルネリン」を再度投薬し出した。立位バランスも悪く、移動誘導にも身体が反応しない。構音障害から「ホッペ」が硬くなりコップから飲めなくなった。安心して日常を過ごせるヘルパーさんに付いてもらいたい。
2007年06月14日
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旧友が見舞いに来てくれた。アリコジャパンの営業の頃の先輩と後輩二人で、入院給付金の請求書類を届けに来てくれた。何年ぶりだろう? 前の見舞いは「しゃべる」ことが苦に無く出来たころで、3年ぶりだろうか。「容姿は前々変わらないから安心したよ」その言葉が嬉しかった。アリコジャパンの保険は、発病前から入っている医療保険で、「高度障害保険金」を貰った時残しておいた保険だ。最高730日連続入院でも下りるので、「高度障害保険金」なら入院日額の100倍なので取って置いて今も続けている。最近の医療保険は、1入院60日(通算730日)のもあり保険選びも大変だ。取って置いた保険がまだある。発病後加入した全労済の「こくみん共済」で、告知義務違反を犯して加入した保険だ。もう4年は経つだろう。大事なお知らせ-しおりには、「2年以上有効に継続された場合はその限りでは無い」と書かれている。今回、合わせて請求する。今回の入院給付金で、書類請求まではメールを使って自分でやった。妻も「あなたの専門だから」と動こうとしない。まだ頼ってくれる人がいる。責任ある仕事が出来ることが嬉しい。
2007年06月05日
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介護保険の再認定結果が昨日通知されてきた。「要介護4」だった。今回の入院を境に、訪問介護のスケジュールを増やして家族、本人の負担を減らし、介護保険の超過するであろう自己負担分を補うため、等級変更を入院中に申請していた。「要介護4」は、利用料金の助成が306,000円(1割自己負担)/月で、変更した「訪問介護スケジュール表」のヘルパーさん派遣も利用枠に収まり、ギリギリの時間でやって貰っている所を時間延長もできそうだ。ケア・マネの作成したスケジュール表の提出を調査員に求められたが、生憎、故障中のパソコンのファイルにあり、変更前のスケジュール表しかなかった。ケア・マネの指示で「食事介助」、「口腔衛生介助」、「入浴介助」、「トイレ介助」の書かれた業者が作成したスケジュール表を貼り出しておいたので、調査員はそれを見て、他の介護保険利用状況を妻に訊ねていた。実際の動作が見たいというので、妻に介助されてトイレを済ませた。介護認定が厳しくなっていると聞く。その中で「要介護4」は、本人だけ「そこまでひどくないだろ?」と思っていて、チョッとショックだった。あと残っているのは最重障の「要介護5」だから。
2007年05月31日
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今回の入院で気になることがひとつ。前から不整脈がたまに起こり、深く呼吸ができず息苦しくなるときがあるが、「心筋梗塞」の前兆が確認できた。心電図と胸部エコーに異常を示す値があったのだろう。担当医は胸部エコーの画像を見せ、「心筋の動きに影響が」と説明された。治療を施すほどではなく薬もでなかったが、車椅子生活になって4年に入る。運動などで心臓に負荷をかけられず、呼吸が弱まっているので心臓に悪影響があるのだろう。心臓にもリハビリをかけないと衰えるということか。“検査結果をあれこれ考える”、神経内科の患者の陥る症状がでているようだ。もっと楽しいことを考えよう。今週末は競馬の「ダービー」。爆笑問題の「田中」が793万の配当を当てて話題になったが、100万でも当てて「ドラクエ」をやる専用機器を豪華に設置すること考えるか。
2007年05月25日
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今回の入院では、ケア・マネの属するM総合病院で“嚥下症状の検査・改善”を主に、血液・脳MRI・咽頭部内視・心電図・咽頭胸部エコー検査などを受けた。同時に理学療法・作業療法のリハビリを受け、毎日を忙しく過ごした。検査結果だが、MRI画像から小脳萎縮はあまり進んでおらず一安心したが、大脳萎縮は進んでいて脳全体の萎縮を見ていくタイプだそうだ。確かに「多系統萎縮症」は、8割はOPCAで残りの2割は脳萎縮症候群で、パーキンソン病や他の病名から移行する場合が多いはずである。この入院を期に「ドーパミン剤(L-ドーパ)」、「テルネリン」の投与を止めた。震えの症状がまったく出ずにいるので、L-ドーパを入院前から減らし入院中に完全に止めた。こわばり症状に「ダンドリウム」を服用しているが、テルネリンは筋肉を軟らかくするのでダンドリウムだけで抑えられるか診ている。夕方、気温が下がると、こわばりが増し冷え・動きが悪くなるが、季節が暖かくなってきたので耐えることができる。薬が減ったことは嚥下症状にも喜ばしいことで、飲み込む力はあるが水を飲むことが今一なので楽になった。日常生活を戻すのに時間がかかった感があり、パソコンの故障が今回一番痛かった。
2007年05月22日
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4/13(金)からM総合病院で、嚥下障害程度を診てもらうため検査入院をする。平衡機能がどれだけ悪くなっているのか、構音障害の回復も期待して、・機能回復具合 ・日常生活の範囲 ・介助のある運動 をリハビリ実施してもらう。障害が重くなり妻への負担が日を追って増えて、レスバイトの意味を含め、発病して初めての入院だ。ベッドに手すりをつけてもらい、起き上がり・車椅子への乗り移りができそうで、環境が変わっても車椅子に座って日常を過ごせそうだ。パソコンも持ち込み可にしてもらった。インターネットに繋がるか分からないが、意思伝達にワードは使えるので、マウス操作できるスペースを確保したい。自宅療養と違いあれこれ戸惑うが、自分の身体をよく知る意味で、この入院を生かしたい。「リハビリ時間を多くして退屈させない入院生活にする」と、昨日ケア・マネからメールが届いた。汗をかき、あちこち体が悲鳴をあげるだろう。自分の体を信じて、入院生活をこなしてきたい。
2007年04月12日
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妻とケンカをした。介助する立場と受ける立場が前面で衝突して、修復できなくなった。お互いを思いやる気持ちは変わらないのだが、受ける立場の僕が相手の立場を考えない指示・行動をしてしまい、妻が困惑してキレたみたいだ。確かに障害が重くなり、妻への負担が日を追って増えている。ヘルパーさんの訪問頻度を増やす、レスバイトの意味を含めた検査入院、こうなる前に事前対策は考えていたが、お互いの感情がはじけたのは病気になって初めてだろう。僕は自分のことでいっぱいになり、妻の意思・行動に無頓着で、受ける立場が優先されると思い、住宅改修、介助内容、了解を得ないで勝手に推し進め、後の事なんか考えても見なかった。嚥下障害・排尿障害が“寒の戻り”で悪化し、入院・介助強化をひとりで立ち回れなくなった時、妻へのバトンタッチでは後に残された介助する立場の者はたまったものでは無い。妻との関係を修復するには、お互いの理解と、時間が必要だろう。ちょうどM総合病院で検査入院を考えてところで、すぐケア・マネにメールを打ち、直にも入院を打診した。発病以来、入院経験が無く不安はあるが、古い殻に閉じこもっていては進展は無い。自分を見詰め直すのに良い機会だろう。
2007年04月09日
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日常過ごすのに、平日は妻が勤めているのでひとりになることが多い。末っ子がアルバイトで夜勤のときは、日中寝ていることがあるが当てにならない。ひとりでトイレ、食事をこなすことがあるが、トイレ移動の際、幾度転倒し、家族の手を借りて介助してもらったか分からない。昨日、転倒防止策として、トイレのドアの裏表を換えてドアノブの位置(左右)を変えた。合わせてドアノブも回すやつから手すりタイプに変えた。手の動きが悪くなり回せなくなったからで、車椅子に座った状態でドアを開けることができるので、手すりに掴まり(手すりも増やし)トイレに入りやすく、ひとりで済ませられるように改造した。トイレの照明も感知式にして、スイッチ動作も省けるようにして、転倒の原因だった体の移動動作を減らせるようにした。工事が終了し、リハビリの先生についてもらって動作をしてみるが、しっくり行かない。理論上はスムーズに行くはずだが、本人にはドアの開閉が逆になったことで、左右の動きが逆になり、重心の掛け方、体を支え方が今までと違い、スムーズに行かなかった。先生も「動きが馴染んでないからで、慣れますから」とフォローを入れていた。夜、妻が帰宅し、ひとりでトイレ動作がやってみるが、その前に息子がトイレ使い、事情を知らない息子はトイレのスイッチを切ってしまい、その後なのでスイッチを入れる動作から始めることになった。トイレスイッチの位置は変えておらず、前の動作でスイッチを入れ、その姿勢からトイレに入ろうとしたから、左右逆転で動作が旨く行かず、すくみ足もでて、ひとりで入れなかった。妻に介助してもらい用を済ませたが、慣れるまで介助が必要なんて思ってもみなかった。
2007年03月29日
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久々に、T大学病院に行った。陽気も良くなり、1月はサボったので今回は前向きに受診した。道すがら桜の木を探したが、小学校の校庭や街路樹で見つけたが、1分咲きぐらいで、満開は週末ってとこで、ちょっと残念だった。担当医と会うのは3ヶ月ぶりだったが、随分会っていなかった気がしてちょっと新鮮だった。いつものように、手、指の動き、目の動き、身体の反射をチェックして、クスリを処方してもらい、次回の予約を取るときに「4月から勤務医変更で月曜は新しい先生になる」といきなり言われた。担当医は「水曜なら終日勤める」そうで即答に困った。ヘルパーさんは、あれこれスケジュールを考えてくれたが、水曜は、入浴、リハビリ日で、移動することは困難であると咄嗟に判断して、2ヵ月後の月曜、同じ時間で予約した。担当医に好意はあるがM総合病院の往診もあり、治せる病気なら真剣に悩むが、設備と最先端医療がそこにはある程度と考え、受診を断ち切らないよう予約だけは取って置こうと、わずか数秒で判断した。そのことを伝えるのに数分要したが。これから派遣医療、介護スケジュールを、ケア・マネと相談しようと思っていたところで思わぬ変更があった。えてして物事はそうゆうもので、Aを変えればBが、Bを変えればCが、Cを変えればAがと廻るものである。昔の自分なら変化に対応できたが、今の自分にはきつい。できるだけ変化しないようスケジュールを組みたいものである。
2007年03月26日
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NHK教育で、認知症に関連する疾患が先週再放送されていたが、脳のメカニズムを再認識させられた。僕の疾患した「線条体黒質変性症」は、その症状が出現する可能性があるので興味深かった。中脳の黒質と呼ばれる部分や、大脳の脳基底核とよばれる部分の神経細胞が変性して、レヴィー小体ができ認知症になる場合(レヴィー小体病認知症)、大脳皮質のβアミロイドの沈着による老人斑出現(アルツハイマー型認知症)、脳血管性の認知症などだが、僕の場合はレヴィー小体病認知症になる可能性がある。痴呆・認知症を題材にした映画が昨年も数多く上映されたが、先日も深田恭子主演の「私の頭の中の消しゴム」が放送された。韓国の同題の映画のリメイクだが、若年性アルツハイマー病の悲劇を描いたドラマで、“精神の死”を考えさせられた。どんな努力しても「なる」ものはなるので、運を天に任せるしか無いようである。今日できることに感謝し、やる努力を惜しまず、やった感動に生きる幸せを感じよう。ホームページのFlashの画像チェンジを“桜”に換えましたので見て下さいね。
2007年03月21日
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眠れない!寒の戻りで今晩は冷え込んでいる。いつもの羽毛布団と戦いながら寝てはみるが右足首から先、右手首から先がどうにも温まらない。誘眠剤も使ってはいるが全身こわばって、これじゃ金縛りだ。息も深く入らず酸欠のコイ状態で2時間ガマンしたが、乾燥の給水で起き、車椅子に移動した。眠くなるまでブログ編集。最近、睡眠は旨く行っていて体調も良く、このまま冬を乗りきるつもりでいたが桜前線が北上する間に、寒の戻りが何回かあるはず。風邪、肺炎になったら入院だろう。インフルエンザ、花粉を家に持ち込ませない気を配り汗ばむ季節まで体調を維持することに全精力を注いでいる。あと少しだ。風邪、花粉症にならないよう祈るだけだ。
2007年03月12日
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多系統萎縮症(MSA)の3つの型の特徴は、小脳性運動失調症,パーキンソン病症状,自律神経症状と言われています。パーキンソン病症状は、代表的なものとして以下の4つがあります。【振戦】は「ふるえ」のことです。最初は片方の上肢に発症することが多く、その後、発症した同じ側の下肢、反対側の上肢、下肢と進むことが多い、とされています。【筋固縮】とは、筋肉が固くなり、リラックスできないという症状です。【無動、寡動】とは、動作が緩慢になり俊敏な動きができなくなり、何をするにものろのろと時間がかかるような症状を言います。【姿勢反射障害】とは、体が傾いたときに元どおりバランスをとることができなくなる症状です。解説を冒頭に載せてしまいましたが、私の疾患した「線条体黒質変性症」は、【振戦】「ふるえ」がでにくいのが大きい特徴のようです。こわばった時の指先の小さいふるえはありますが、動作に影響のある手・足のふるえはでていません。詳しいことは分かりませんが、日常生活を送る上で、食事、移動、余暇(パソコンやDVD動作)をなんとかひとりでこなすことができているので助かります。他の3つの症状は大分進行して、スプーンですくう、バランス維持、指先が利かない、等で、今できることが、できなくなるのが心配です。
2007年03月01日
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M総合病院の往診を受けた。今回は、1週間前の頭部ケガのときに撮った、CTスキャナーのフイルムを持ってきてもらって、自宅の居間で照明に透かしながら見た。画像は小さかったが、自分の脳を間近で見た感じで、迫力があった。最近、脳の具合をチェックしていなかったので、ケガのとき傷部だけ見させてもらったが、改めて担当医といっしょに細かく見さてもらった。ケア・マネ、理学療法士、そしてセカンドオピニオン医師がひとつの医療機関で往診できる、利点を生かす受診ができたと満足している。長く大学病院に通ったが(今も通っているが)、在宅医療型はこの病気には合っているし、これからもっと増えてくるだろう。脳の具合は、左脳の萎縮はあまり変わりなく、現状維持が保てているように見えたが、小脳の萎縮が進んだようで、担当医も「小脳が一番萎縮している」と言っていた。全体の肉付きは良い方で、進行具合は良好と見た。担当医も「新しいMRIを病院で買ったからこんど撮ってみるといい」、「奥さんも自宅療養が大変なときは検査入院させてのんびりすれば」と、旨く病院を使うアドバイスを受け、大学病院と使い分けを考えさせられた。
2007年02月21日
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昨日は早朝から大忙しだった。7:00に起床し、車椅子に乗り移り、すかさずトイレへ。用を済まし、てすりに掴まり車椅子に戻るその時に事故は起きた。トイレのドアを閉めるときに、片手掴まりで、身体を起立姿勢維持をしなくてはいけない動作があり、その時にバランスを崩し、しりもちをつく感じで倒れたが、頭の後頭部やや左上を洗面所入り口の5cmの段差角にぶつけ出血し、血痕が飛び散った。その状況は、妻がすぐ救急車を呼んだのも見て分かった。傷の痛みは差ほどでもなかったが、出血とぶつけた部位が悪く、毛布を掛けてもらい救急車を待った。妻は、ケア・マネと連絡を取り、M総合病院に運送先を確認し、到着した救急隊にそのことを告げた。救急隊も、ケガの確認、事故の確認、運送先の確認をし、M総合病院に搬送した。今、こうして自宅で、ブログの記事を編集できるほどケガも軽くて、一大事に至らなかったが、打ち所が悪かったらと思うと「ゾッと」する。転倒防止策と安全面強化をしなくては!!
2007年02月14日
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身体障害者手帳の等級変更で1級になった。等級表に書かれている障害の目安には達していなかったが複合で認定された。昨年に、ケア・マネの属する総合病院に往診で診察を受けた際、「複合でいけるんじゃないかな。」とアドバイスを受け、障害診断書を書いてもらい、昨年の11月に申請したが、今年1月末に受理通知が届いた。身体障害者手帳の等級程度だが、今回は上肢と下肢の状態を2級状態の箇所、3級状態の箇所を細かく証明してもらい、複合で1級に昇格するようにサジ加減をしてもらったようだ。さて、1級になったが、「追加助成はなんだろう?」と調べてみても“チンプンカンプン”。皆さんに聞いてみようかと。
2007年02月08日
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今年は、暖冬で東京は真冬日が一度も記録してないようだ。そのせいで雪が降らない。観測史上最も遅かったのは2/10日らしい。この分でいくと新記録が出そうで、身体を動かし難いMSA患者にとって暖冬はありがたい。寝具で去年に羽毛布団を買い換えたが、羽毛の量が多くて、毛布の上に掛けると、暖かすぎて寝汗を掻いてしまい、寝苦しく、暖冬とマンション暮らしで、今年は羽毛布団1枚で寝ている。その羽毛布団と毎日格闘している。パラマウント介護ベッド(3モーター式)を使っているが、寝るとき起きるときに闘いは始まる。大概は妻に掛けてもらうが、トイレや寝付けないでひとりで起きるとき、羽毛布団を剥ぐのに一苦労している。その羽毛布団は膨らみすぎで、空気を抜かないと4つ折にできない代物で、剥ぐのにモーターで背を起こして半分折って脱出するか、起こさないで足で蹴って剥いで脱出するかどちらかである。用を済ましてまた寝るのに、羽毛布団を掛けるのにまた一苦労。ベッドの手すりに掴まり、動きの良い左手で布団の縁を掴み、足で定位置に置くようコントロールして掛けるが、旨く掛けられないときは妻にヘルプする。去年の苦労した記憶が無いので、寝起きの身体の動きが悪くなっているのだろう。来年の冬を思うと、(>_
2007年02月04日
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1月の大学病院の診察を、12月同様にまたサボってしまった。ヘルパーさんに行って貰い、処方箋を出してもらい、クスリ取りになってしまった。ヘルパーさんが「担当医も呆れている」と帰宅してからのコメントを頂きアセッテいる。いくらM総合病院で往診受けらるようになったからって、第1主治医の診察を2ヶ月すっぽかすのはマズイと思われ、「3月は首輪をつけてでも連れて来ます」とヘルパーさんがフォローを入れてくれたらしい。ヘルパー派遣業者も、別件もあり担当者が駆けつけ「やっぱり1時間半じゃ終わらないか」と嘆いていた。患者が行かない病院介護は、区分が別で時間も最大1時間半で、ケア・マネと相談して遣り繰りするが、今後も続くようなら「自費」も覚悟して!!と言われてしまった。3月は首輪でもつけて行かなきゃダメなようである。(´・⊇・`)
2007年01月30日
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昨日、M総合病院のH先生で、MSAの訪問診療を受けた。妻は、5,10日で会社優先して立ち会え無かったが、先生と1対1でコミュニケートした。前以って、今の状態、気になること、質問等をPCのワードにおとして、それを見ながら説明と、追加質問をキーボードに打ち込んで会話した。大学病院ではできない受診で、かしこまる必要も無く、素直に質問できた。主だった質問は2つで、投与してない薬があることと,上唇のつっぱり、2点だった。血圧を下げる「レニベース」を止めてから3ヶ月目に入るが、薬は大学病院で今も出してもらっています。自分で、血圧の経過を調べていて、止めても異常は無く、逆に副作用を起こした「咳」がだいぶ治まってきていると報告すると、「中止しましょう」と言ってもらった。血圧・脈はこの冬も良好で、いい感じである。上唇のつっぱりだが、構音障害からくるもので、話すことが激減して口径の筋肉が衰えたせいだろうと言うことで、顔の筋肉も含め日常動かす努力をするように言われ、改めてリハビリの大切さを実感した。来週は大学病院の診察予約が来る。
2007年01月26日
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競馬をインターネットでやり始めて、4年目になります。もともと妻が好きで、インターネット投票会員(昔は抽選で会員登録なかなか選ばれなかった)だった妻のパット(PAT)を借りて、馬券を購入していたのですが、私も申し込んでいた投票会員に選ばれ、JRAのI-PATと南関東4競馬場のSPAT4で馬券を買うことが出来るようになりました。南関東4競馬場も冬の時期は、だいたい10:50から1R、16:20が最終レースの出走時刻なので、TBSの「冬のソナタ」を見終わった後開始する感じで、途中、入浴介助など訪問サービスで中断はありますが、16:00前後までやって、フジTVの「優しい時間」を見るのが平日の日課になっています。去年の暮れ、イーバンク銀行の口座を開設して、そちらでも競馬投票が出来るようになり、今は併用して、馬券を購入しています。日曜の万馬券を当てたのも併用効果があったからで、次回、からくりを書きます。
2007年01月22日
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もともとギャンブル狂だった私が、この病気に疾患して歩行困難になり、大好きなパチンコが出来なくなってから始めた競馬ですが、今年も元旦から欠かさず馬券を買い続けています。馬券はインターネットを使い、週末は中央競馬(JRA)で、平日は南関東4競馬場※1で、レースは衛星放送で中継して楽しんでいます。中央競馬は関東、関西、中京、九州、東北、北海道、各地で開催され、今週は東京・中山、京都、小倉の3会場で同時開催されています。1会場で1日12レース組まれていますので、ダブラ無いよう10分おきに出走させて、今日ですと、小倉9:50、中山10:00、京都10:10が第1Rで、最終は京都16:20の第12Rで終了します。結果はまたあとで報告します。※1南関東4競馬場とは、浦和競馬場、船橋競馬場、大井競馬場、川崎競馬場の1都3県の競馬場のことをいいます。4つの競馬場は南関東競馬サークルとして、同一ルールの下に競走を体系化して、競走馬、騎手の相互交流を行っています。SPAT4(南関東4競馬場電話投票)は南関東4競馬場が共同で運営しています。
2007年01月21日
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今日は、朝6時に目覚めた。何日ぶりだろう。すぐ寝入れて、連続して6時間以上熟眠できたのは。昨晩は、フジテレビで夜9時からの2時間ドラマ「壊れた脳生存する知」を見終わって、すぐ、睡眠導入剤を飲んで、トイレを済まして、膝のシップを換えてもらって就寝したが、いつもはすぐ寝付けないか、寝付いても3時間ぐらいで一度目がさめてしまう。しかたなく、睡魔が襲うまでパソコンをあけブログ廻りをする。こんな日々を新年から送ってきたが、今日は違う。頭がスッキリしてすこぶる体調が良い。今日の朝、東京は今年の最低気温をマークしているだろうが、寒さが気にならない。サァ、中央競馬(東京・中山競馬)のレース予想をしなっくっちゃ。「お~い、おかあさんスポニチ取って!」(〃^¬^〃)
2007年01月20日
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生命保険の手数料は、普通L字型支給されて1年目(初年度コミッション)が高く、2年目以降(継続コミッション)は3~6%(年間保険料)※1入ります。今は、提携代理店と折半に手数料を分けていますが、メンテナンスをやってくれますので、何もしなくても手数料は振り込まれてきますので、差し詰め、私には生命保険手数料年金と言うところですか。※1 保険会社、保険商品に異なり、支給期間も相違あります。福利厚生の一環で、全従業員にガン終身保険を掛けるプランを、法人契約で採用してくれた中小企業の契約が礎になっています。従業員の入れ替えで、新規加入もありますし、A社のガン保険は含み資産効果が高く、継続コミッションも9年間支給と長期間手数料が入ってくるので、国家公務員で無い私が共済年金にあたる「生命保険手数料年金」を構築できたことは、“第二の人生”の余裕資金になり、競馬の資金源になっている。 ▼--▼、 Zzz
2007年01月14日
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多系統萎縮症(MSA)に疾患して、7年目に入りました。車椅子生活も4年目で、イチロー、松井秀樹のMLBを午前中から衛星放送で見たり、競馬中継を見てインターネットで馬券を購入したり、パソコンでゲームをしたり、ブログを書いたり読んだり、今ひとり在宅療養していても、退屈は過ぎ去ろうとしています。今の生活スタイルで日常を楽しく過ごすのに、不自由な身体で今まで、疾患した多系統萎縮症と闘うための経済的努力は精一杯やってきました。その痕跡を数日かけて“ブログの再編成”で紹介しましたが、3人の子供の父親をやり遂げられたと思っています。末っ子も学業を終え、親としての責任を終了し、後は自分の余生を楽しく送るのに、妻の収入に手を染めなくとも、現状の年金・障害者手当が支給され、保険手数料が入ってくるなら、私の頭で描いた“第二の人生”を過ごせそうです。
2007年01月12日
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以前別のブログに編集したのですが、ブログ1本化に伴い再編成しています。障害年金の他に、障害者手当を受給していますが、都道府県、地方によって格差があり、東京都は恵まれているみたいで、東京都の障害者手当は次のようになっています。(1)大田区心身障害者福祉手当【内容】対象・手当額および支給制限年齢 障害の程度 手当月額 20歳以上65歳未満 身体障害者手帳1級から2級 17,500円 ※所得基準額を超えた場合は4,500円に減額脳性まひ・進行性筋萎縮症(注釈1) 17,500円 ※所得基準額を超えた場合は4,500円に減額特殊疾病(難病)等 12,000円 ※所得基準額を超えた場合は4,500円に減額 ※重複して受取ること出来ません(2)特別障害者手当(国制度)【内容】20歳以上で、重度の障害があるため日常生活に常時特別の介護を必要とする方で、障害の程度が次のいずれかに該当する方。1.おおむね身体障害者手帳1級、2級、愛の手帳1度、2度程度の障害が重複している方2.1と同程度の重度の障害や疾病のある方手当額 月額26,440円(平成18年4月現在)支給制限 下記に該当する場合には支給されません。1.施設に入所しているとき。2.病院、診療所に継続して3ヶ月を超えて入院しているとき。また、本人および扶養義務者の前年分の所得が基準額をこえる時には、支給が停止されます。障害者本人及び配偶者、扶養義務者いずれかの所得が限度額を超えた場合は支給停止。障害者本人が公的年金等を受給している場合、当該給付額は所得に算入されます。 (3)東京都重度心身障害者手当(都制度)【内容】心身に次のいずれかの障害がある方。1.重度の知的障害で、特に著しい問題行動などのため、介護人が常に目を離せず、特別な配慮をする必要がある方。2.重度の知的障害と重度の身体障害の重複をしている方。3.重度の肢体不自由者で、両上肢、両下肢とも機能が失われ、かつ、座っていることが困難な障害のある方。65歳以上の方は新規の申請はできません。障害の判定 障害の判定は手帳の所持とは別に東京都心身障害者福祉センターで行います。手当額 月額60,000円支給制限 下記のいずれかに該当する場合には支給されません(資格喪失)。1.施設に入所している場合。2.病院、診療所に継続して3か月を超えて入院している場合。3.本人または扶養義務者の所得が基準額を超えた場合。
2007年01月11日
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以前別のブログに編集したのですが、ブログ1本化に伴い再編成しています。年金の裁定請求重要書類に、障害程度を決定するのに用いる「身体障害者診断書・意見書」があり、担当医に書いてもらうのですが、記入される程度のさじ加減で認定の可否が決まると言っても過言で無いでしょう。そのときのコピーがありましたので参考にして下さい。 1,障害名・・・体幹機能障害2,原因となった疾患・・・多系統萎縮症3,疾病発生年月日・・・平成11年10月頃4,参考になる経過・現症・・・小書症などのパーキンソン症状が出現し増悪していた。L-dopa剤の効果も限られており独歩が不可能となってきている。2004年になり小脳症状、錐体路症状が加わり頭部MRI上、大脳、小脳、脳幹の萎縮がみられるようになった。5,総合所見・・・筋固縮、無動が前景になっているが、他に腱反射亢進、前頭葉症状、眼振、注視障害がみられる。独歩が不可能となっており、立ち上がることも困難である。身体障害者福祉法第15条第3項の意見障害程度等級についての参考意見2級相当 体幹2級肢体不自由の状況及び所見(○自立 △半介護 ×全介護又は不能)寝返りをする・・・○ 座る(支え) 足を投げ出して・・・× 正座、あぐら、横座り・・・△いすに腰掛ける・・・×座位又は臥位より立ち上がる・・・×家の中の移動・・・×二階まで階段を上がって下る・・・×屋外を移動する・・・×公共の乗り物を利用する・・・×(はしで)食事をする・・・△コップで水を飲む・・・△ シャツを着て脱ぐ・・・△ズボンをはいて脱ぐ・・・△ブラシで歯を磨く・・・右×タオルを絞る・・・△顔を洗いタオルでふく・・・△歩行能力及び起立位の状況(1)歩行能力(補装具なしで):不能(2)起立位保持(補装具なしで):不能裁定請求結果は「1級」に認定されました。2級の支給額の1.2倍です。肢体不自由の状況及び所見で、“座る(支え) 足を投げ出して・・・× ”だったことが大きかったと思います。あと、知人だった共産党区議会議員のKさんも同席してもらい、車椅子を押してもらった協力もあったような気がします。私を支えてくれる皆さんに感謝です。
2007年01月10日
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以前別のブログに編集したのですが、ブログ1本化に伴い再編成しています。私が、障害年金の受給を意識しだしたのは平成16年の春頃だった。社会保険の「傷病手当金」が満了するのに合わせて、設立した会社の役員報酬を貰いだしてからすぐの誕生日に、国民年金(障害基礎年金) ・厚生年金保険(障害厚生年金)の受給用件を調べてみた。障 害 基 礎 年 金 / 障 害 程 度 等 級 表■1級1 両眼の視力の和が0.04以下のもの2 両耳の聴力レベルが100デシベル以上のもの3 両上肢の機能に著しい障害を有するもの4 両上肢のすべての指を欠くもの5 両上肢のすべての指の機能に著しい障害を有するもの6 両下肢の機能に著しい障害を有するもの7 両下肢を足関節以上で欠くもの8 体幹の機能に座っていることができない程度又は立ち上がることができない程度の障害を有するもの9 前各号に掲げるもののほか、身体の機能の障害又は長期にわたる安静を必要とする病状が前各号と同程度以上と認められる状態であって、日常生活の用 を弁ずることを不能ならしめる程度のもの10 精神の障害であって、前各号と同程度以上と認められる程度のもの11 身体の機能の障害若しくは病状又は精神の障害が重複する場合であって、その状態が前各号と同程度以上と認められる程度のもの■2級1 両眼の視力の和が0.05以上0.08以下のもの2 両耳の聴力レベルが90デシベル以上のもの3 平衡機能に著しい障害を有するもの4 そしゃくの機能を欠くもの5 音声又は言語機能に著しい障害を有するもの6 両上肢のおや指及び人差指又は中指を欠くもの7 両上肢のおや指及び人差指又は中指の機能に著しい障害を有するもの8 一上肢の機能に著しい障害を有するもの9 一上肢のすべての指を欠くもの10 一上肢のすべての指の機能に著しい障害を有するもの11 両下肢のすべての指を欠くもの12 一下肢の機能に著しい障害を有するもの13 一下肢を足関節以上で欠くもの14 体幹の機能に歩くことができない程度の障害を有するもの15 前各号に掲げるもののほか、身体の機能の障害又は長期にわたる安静を必要とする病状が前各号と同程度以上と認められる状態であって、日常生活が著しい制限を受けるか、又は日常生活に著しい制限を加えることを必要とする程度のもの16 精神の障害であって、前各号と同程度以上と認められる程度のもの17 身体の機能の障害若しくは病状又は精神の障害が重複する場合であって、その状態が前各号と同程度以上と認められる程度のものその時点で私の障害は、歩行できず車椅子だったので2級の14に該当していて、障害認定日:「初めて医師の診療を受けたときから、 1年6ヵ月経過したとき(その間に治った場合は治ったとき)に障害の状態にあるか、または65歳に達するまでの間に障害の状態となったとき」は過ぎていたが、事後請求できるので受給要件は満たしていた。厚生年金の障害年金は、初診日から1年6ヶ月経過後の障害の程度で決定しますが、その時は該当しなくても、治らなく引き続き疾患の場合は「事後重症」で裁定請求できます。私の場合、在職中に、健康保険から傷病手当金を受給していましたので、受給満了する平成16年4月以降に、また、多系統萎縮症の診断日からもちょうど1年6ヶ月経過に当たるので5月に「事後重症」で裁定請求をしました。
2007年01月09日
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以前別のブログに編集したのですが、ブログ1本化に伴い再編成しています。平成15年10月に設立した「有限会社ふるらいふ」は、保険会社に属さない中立の立場に位置できるよう代理店契約は保険会社と結ばず、「経営コンサルティング」と「資産運用」を中心に議事にして、保険会社と顧客の「中立」立場にポジションし両方に意見の言える「独立性」を色濃くしました。保険代理店2社と業務協定を結び、社員を出向させ保険募集人登録させて、取り扱い保険会社十数社の「ブローカー的代理店」を、保険料コスト落とすレンタキャプティブ・自家保険の取り組みから、キャプティブ誘致まで斡旋できる会社を目指しました。病気のほうは待ってくれませんでした。平衡機能が悪化して「起立姿勢維持」できなくなり、完全な車椅子生活に陥っていました。「貧血」も目立ち始め循環器異常を示す「不整脈」もでるようになり、顧客との交渉は社員を介護ヘルパーにみたて、商用ヘルパーも臨時に使ったりもしました。顧客も同情からか支援してくださる中小企業のオーナーが増え、保険契約高も大幅増が見込まれました。「傷病手当金」が満了したのに替わって、「役員報酬」を頂くようにしました。同時に「障害年金」の支給も決定し、多系統萎縮症とともに生きる収入を確保した“第二の人生”へ航海しました。
2007年01月08日
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以前別のブログに編集したのですが、ブログ1本化に伴い再編成しています。会社を創るときターニングポイントがあったのを思い出します。勤務先を退職したとき、離職票A、Bを発行してもらったのですが、離職日が6ヶ月早まっていて、雇用主から「出社できなくなった日に日付を合わした」と説明され、半期納付の雇用保険料をケチッタのが見え見えで、「そこまでするか」と勤務先に対して、敵対心が益々大きくなりました。結局、社会保険の退職日に合わせることが出来ましたが、離職票A、Bの訂正は「会社を創るか」、「職業安定所で就職困難者手当て申請するか」の二者選択には大きかった。普通、会社を退職すると失業認定を受けて、次の就職まで雇用保険の基本手当が受給でき、受給日数・受給額は、加入期間、年齢によって違いはあります。本人の病気やケガ、妊娠、出産・育児、親族等の看護・介護等のために退職後引き続き30日以上職業に就くことができない状態の場合、受給期間の満了日を延長することができます。これによって、本来の受給期間(1年)に職業に就くことができない状態の日数(最大3年間)を延長させることが可能となります。トラブルになった「離職票A・B」ですが、失業に使うか、起業することに使うか悩みました。1:失業認定して、受給期間の満了日を延長する2:会社設立の「最低資本金の特例」を受ける1:は、多系統萎縮症患者が再就職できるかどうかですが、答えはNOでした。思案したのは、傷病手当金受給の満了する期日まで受給延長して、その段階で身体の障害程度によって「障害者等の就職困難者基本手当」が受けられれば、45歳以上は給付日数が360日あり、引続き社会保障が受けられ生活費のベースが確保できる構想でした。2:は、その当時産業活性化の一環として、起業し易くする為、資本金を5年猶予できる特例が認められ、設立時1円以上の資本金を積めば「会社登記(登記代は別)」でき、5年の間に資本金を積み上げれば良く、簡単に会社が作ることができました。失業を捨て起業することを意味しました。そして私は2:を選びました。病気によって限られた命なら、「もう一花咲かそう」、「第二の人生やることやって後悔しない」と強く意識しました。
2007年01月07日
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以前別のブログに編集したのですが、ブログ1本化に伴い再編成しています。平成15年4月に傷病手当金を受けながら退職したので、引き続き傷病手当金は受給でき、以後の請求は被保険者請求になりました。今までは、会社が受取って被保険者(従業員)に支払って(療養手当等)いましたが、傷病手当金の第一請求人は被保険者で、受取人も原則被保険者だというのが判り、退職後も働けない期間を、自己申告で3か月分纏めて請求しました。傷病手当金支払いまで一月半ほど掛かりましたが、後は定期的に3か月毎に請求し1年6ヶ月(通算)受取ることができました。そこには担当医の「就労不適格」の証明が必要でしたが。「有限会社ふるらいふ」の最初の従業員は妻でした。後はMさんでスタートしました。多系統萎縮症とともに生きるのに、社会保障の助成だけではとても足りません。かといって共稼ぎの妻にオンブされるには情け無いので、会社退職後の傷病手当金受給残12ヶ月の間に、勤めていたころの顧客にメールを送ったり、車椅子姿で会いに行ったり1年間無償活動に精を出しました。そこには、動かなくなる身体でも収入を得られる知恵と、“限られた人生男たるもの一度は社長をやってみたい”夢があっての起業でした。
2007年01月06日
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以前別のブログに編集したのですが、ブログ1本化に伴い再編成しています。平成14年の夏を過ぎた頃、平衡機能低下、右側のこわばりから病状は進行していました。労働は当然保険営業には支障をきたし、外回りが辛くなりました。雇用主との交渉も日を追う毎に増えて、進退を賭け最終調整に入りました。1) 社会保険(傷病手当金)の適用を受ける2) 業務協定を結び、引き続き保険部門の業務を引き継ぐ3) 手数料(収入)はすべて折半、雇用費・経費は負担雇用主は「1年毎の見直し」を付け加え雇用内容を見直しました。雇用6年の間に顧客は様変わりして、僕のキャリアも磨かれ、ある意味保険部門の支配下は僕に置かれ、会社は要望を飲まざるを得なかったと思います。半年待たず、私は半分歩行困難になっていて、MSAと判った翌日(H14/10/2)に出社が出来ず長期療養に入りました。「言語障害」の症状は余り目立たず、顧客との応対は携帯電話で、情報の交流は自宅のパソコンで、あとは外商する身体があれば業務を引き継ぐことが可能でした。新しい年になり、雇用主に正式に解雇を通告され決別しました。業務協定も反故にされ「障害者」として“生き抜く”道を歩み始めました。友人の紹介でMさんを紹介してもらい、同い歳もあってか直ぐ打ち解け、パートナーになって保険代理店業務を開始しました。自宅の一室を事務所に改造して「有限会社ふるらいふ」を興しました。
2007年01月05日
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何とか掴まり立ちしても右膝が耐えられるようになってきた。たまにカクンとなることがあるが、力が入るようになって起立姿勢は保てるようになった。ひねる動作はまだのようで、股関節は鈍い痛みでトイレに座るときチョット緊張する。右膝は「青あざ」もひいてきているが、ひねり/のばしすると強い痛みがある。今日から妻も仕事で、ヘルパーさんが入浴介助で付くが、トイレはひとり行動はダメと妻に釘を刺されているので、紙パンツを濡らすしかなさそうだ。シッカリ治癒するまでガマンガマン。(*^-^*)>"
2007年01月04日
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ベッドから起き上がるとき、両足を車椅子に乗せベッドの柵に掴まり肘をテコにして起き上がるが、12/29日に、右足が車椅子に残ったまんま床についた左足がすべり床に尻餅をつき、右足が車椅子に宙吊りになる格好になり(-_~-)、強引に引き抜いたので、股関節・膝のまわりの筋を痛めた。(*。′口`。*)たまたま運悪く、家人はもぬけの殻で1時間強居間でマグロのように横たわって、救出されのを待っていた。唯、隣の部屋の壁時計のコツコツ音を聞きながら、時の流れるのを待った。( 」´O`)」大晦日、元旦は病院も休みだろうから、ロキソニンを服用して1/2日まで経過を待った。M総合病院の急患外来にケア・マネが診てもらえるよう手配し、その間、折り曲げる方はだいぶ良くなってきたが、伸ばすと膝、大腿筋に痛みがあり、立つと股関節・膝がつっぱり、力が入りにくい状態だった。1/2日、家族初詣が、病院詣でになってしまった。骨には異常が無く、膝のひねり痕が残り、シップとロキソニンをおみやげにもらった。~(×ω×)~今年1年、幸先良い? 始まった感じだ。
2007年01月02日
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明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いします。
2006年12月31日
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みのもんたの「おもいっきりテレビ」で、クリスマスの東京タワーを生中継していた。今年は、東京タワーにまつわる映画、ドラマが放送された。病気直前の勤務先が、東京/元麻布で9Fの事務所の窓から東京タワーが大きくみえていた。夜、事務所の照明を消すと、ライトアップされたタワーが綺麗に浮かび上がり、上下するエレベーターが動くのをただボンヤリ見上げることが好きだった。通勤で地下鉄「東銀座」から乗換えて「神谷町」に出ていたが、発病し歩行が困難になり始めた頃、リハビリの一環で「東銀座」の一つ手前「大門」で下車し、徒歩で事務所に行く朝の通勤コースに変えてみた。増上寺に沿って坂を上ると東京タワーが正面にそびえ、タワーを左手に見ながら杖をつきつき、坂を上ったことを覚えている。真下から見上げると、さすがに高く、バランスを崩し転倒しそうだった。しばらく続けたが、坂の歩行は危険で中止することが多くなり、また元の通勤コースに戻った。東京タワーに昇ったことは1度も無い。勤めていた頃は、毎日見ていた東京タワーがなつかしく思えてくる。きっと映画の母親みたいに、死ぬまで東京タワーに昇ることは無いだろう。
2006年12月25日
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痰の吸引器が来た。フランスベッドの「ミニックS/ミニックW」で、MMC-1400Wが形式みたいだ。妻が「買取りにするのだけど、機種の選択、操作の方法など一時レンタルにして、勝手の良い機種なら買取りにしましょ」とケア・マネのアドバイスもあってレンタルで設置した。往診時の操作指導で担当医が実際にやってもらったが、想像したより意外とあっさりできる。「管を差し込んで手前に引きながら吸引」とアドバイスを受けながら、「それでもうまくいかないときは、こう鼻から管を差し込み吸引」なんと、喉に管が届いて、痰を根こそぎ吸引しているではないか。胃カメラを飲む半分の苦痛ぐらい想像したが、軽い「ウゲッ」はあったがこれなら大丈夫そうだ。「自分ひとりで操作できるようなら尚いいのだけれど」先生は言うけど、機械の設置、操作、あまり自信が無い。幸いのことに、手のふるえは無いの(線条体黒質変性症の特徴※)だからできそうな気もするが。※「線条体黒質変性症」はパーキンソン病と極めて類似するが、初発症状を振戦とするものはパーキンソン病では50~70%とされるが、本症では約1割で、全経過を通じても振戦を認める症例は4割程度と少ない。
2006年12月23日
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このところの冷え込みで、手足に循環する血流がすこぶる悪い。東京に暮らしていても、夕方になると手足が冷えてベッドに潜り込んでしまう。再度起き上がると、頭への血流が変わるのだろうか、貧血気味で調子が悪い。こんな一日を送りながら、今年も残すところ2週間を切った。病気になって、「悔いのない一日を送ろう」と心がけているが、ふんぎりが悪く整然としない。パソコンで地方競馬を楽しんでも、事業化の夢はつぼんでいるし、病気のメッセージをwebで発信することも中途半端な気がする。パソコンの有効活用でインターネット、ファイル、html、ブログ等を整理したくて、yahooでドメインをつくりウェブホスティングも契約した。年内に整理して、新しい年にはホームページ、ブログも一新して、楽しめるようにしたい。
2006年12月21日
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ケア・マネから夕方電話がかかってきた。「送ったメールの返事が返ってこないんだけど」妻に催促されてメールを開くがナイ。ピィ~ンときて、msnホットメールにアクセスするとありました。普段は使用していないmsnホットメールに何故?兎に角メールの中身を見ると往診の件12月は14日(木) 午前10時頃予定しております。もし、吸引機間に合わなかったら 次の木曜の同じ時間にします。ご都合悪ければ連絡下さい。往診は基本的に木曜日になります。吸引機の件フランスベッドに依頼しようと思ったのですが、レンタルだと月4620円と初回に買い取り部品が5460円かかります。同じものを購入すると61900円(少しまけてくれると思うので)1年で元が取れてしまいます。チューブ等の消耗品はどちらでもかかります。 お返事下さい。2件着ていた。往診は期日切れ、(痰)吸引は相談が発注になっていた。高校の同級生だから、グチの一つも入れてやりたかったが、21日の午前中に吸引機を持って担当医と往診に来てくれることになった。さて、往診の2回目何が起こるやら。追伸メールアドレスの所在をしっかりしなければ。Wケア・マネ、部長昇格おめでとう。
2006年12月17日
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新聞の健康コラムに掲載された記事ですが、参考にしたい内容だったのでまとめてファイル保存しておいたのですが、忘れ去られていて、偶然目にすることあってアップしたい思います。大脳「片側不全麻痺」片側の感覚異常「失語症」言いたいことが話せない「記憶・学習障害」ものが覚えられない、判断に時間がかかる「情動障害」気分が不安定「性機能障害」性欲減退・感覚低下・勃起困難小脳・脳幹「複視」ものが二重に見える「運動障害」うまく歩けない「平衡障害」ふらつき・目まい「構音障害」しゃべりが不明瞭延髄「嚥下障害」ものが飲み込み難い「循環器障害」低血圧・貧血脊髄「脱力」上肢の脱力・片下肢の脱力「運動障害」手・足がつっぱる「感覚異常」全身の部位で違和感(チクチク・ピリピリ)」「排尿障害」頻尿・残尿・尿失禁「腸障害」重度の便秘寒さに血行不良を起こすのは「延髄」のようだ。心肺機能の司るのは延髄と聞く。大脳、小脳を失っても生きられると聞いた。でも延髄は生命の源で、失ったら確実に死に至る。延髄の侵食が淡いことを願う。【参考】これまで,オリーブ橋小脳萎縮症,線条体黒質変性症,シャイドレーガー症候群として分類されてきた疾患が,病理学的には,特徴的なオリゴデンドロサイト内嗜銀性封入体が観察されることから,同一の疾患であって,病変分布の濃淡(オリーブ,橋,小脳,線条体,黒質,自律神経系の変性がさまざまな分布で認められ)によって臨床像が異なってくるととらえられるようになり,これらの疾患を多系統萎縮症と総称するようになった。
2006年12月05日
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東京はこの冬一番の寒さだ。昨晩は左手が寒さでこわばって、なかなか寝付かれなかった。マンション中央の応接間に、介護用ベッドを置き就寝しているが、一番暖かい部屋でこの寒さだから、かなりの冷え込みだ。北海道の患者さんは大変と思う。でも経験値から、対感温度は慣れるのだと思う。この病気は、循環器障害から血の巡りが悪くなるので、冷寒地で慣れれば血液の循環は正常に戻り、寒さに対応すると思う。気温差が大敵だ。体内温度が急に変化するとき対応できない。末端部の血の巡りが悪く、手足の冷え、筋のこわばりが出て、頭部に至ると最悪だ。とにかく冬はキライだ。p(*`O´)
2006年12月03日
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上唇がつっぱて、糸切り歯があたり血が滲んできた。半年前から気にはしていたが、上唇の動きが悪く、構音障害が進行してきたからだろうか?上唇と歯茎に指を差し込み、揉み解すようにして対処するが衛生に配慮しているが、出血しだすと厄介になる。乾燥が原因だろうか?たぶん以前よりつっぱるようになり、上唇と歯茎のクリアランスが狭くなって、乾燥で唾液が潤わず張り付いた状態になり、口を動かすと糸切り歯の先端が上唇にあたって切れたのだろう。顔の筋肉を動かすリハビリを積極的にやらなくては。
2006年11月30日
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母の弟もALSだった。40代半ばだったので、3人の子供も就学中で大変だったろう。四半世紀前のことなので記憶も薄れがちだが、母の実家に帰省(弟は長男)すると「指先に力が入らず足はツッカケ(サンダル)がすぐ脱げちゃうんだ」と話していたのを思い出す。母から筑波医大付属病院に入院したと聞いた。原因不明の病気で(ALSかどうかも分からず)、病院も研究材料に特別な計らいをしていると聞いた。闘病やむなく弟は半年足らずで亡くなり、葬儀に主席にした僕はあることを鮮明に覚えている。田舎の火葬場なので、ゆっくり時は過ぎ、焼かれた遺骨の説明をしている時ソレハおきた。例のごとく「喉仏の骨はこうひっくり返すと仏様の姿にそっくりで」のあと「献体しました?頭蓋骨の頭がお皿のように斬られて」脳を献体したのだ。ホルマリンの満たされた硝子の器に保存されて、今もあるのだろうか。
2006年11月26日
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ALSの母が亡くなって9年目を迎える。10月に入って咳が出始め、咳き込みからふるえがでて苦しそうだった。自力で痰が切れなくなって、咳・ふるえ・痰の3つの症状が重なって、近くの町医者に運んだり、往診に来てもらっていた。T医大は遠く、緊急外来で運んでも痰の吸引で終わるケースがほとんどで、時間と労力を考えると近くの町医者で十分であった。11月のそれはふるえがきつく、土曜の午後と合間って、いつもと違う感じがして救急車の発動を依頼した。T医大に運んでもらって、緊急外来で診てもらい、肺炎で2週間の入院で診察された。入院中、担当医と接する時間が多くできて、母の今後について相談できた。とりあえず1週間経ったら大部屋にベッドを換え、その間に介護病棟の受け入れ先(別の病院)を手配する段取りになっていた。事態は急変した。明日から大部屋に移るその晩、呼吸不全を起こしたのだ。担当医が駆けつけた時には、意識は無く、機械呼吸を始めていた。それから2日後に母は息を引き取った。ALS診断後11ヶ月だった。自ら引き際を分かっていたのだろう。大部屋に移動する話のとき「家の畳を換えたしガス給湯器も換えた、家の心配はなぁ~も無い」と笑った顔がまぶたに残る。
2006年11月25日
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2003年10月1日より「シャイ・ドレーガー症候群」に「線条体黒質変性症」及び「オリーブ橋小脳萎縮症」(脊髄小脳変性症から移行)を加え、“多系統萎縮症(MSA)”と疾患名が変更されました。毎年、特定疾患医療助成手続き(難病医療券)の更新がありますが、提出書類「臨床調査個人票」で自分の病名(識別)を再確認しますが、(1) 疾患理由 (2) 臨床経過 (3) 予後 をいつも考えさせられます。私の疾病経験(6.5年)で纏めてみました。(あくまで個人的見解です)(1) 疾患理由多系統萎縮症は遺伝性の病気ではなく、未だその原因は判っておりませんが、患者さんの声(ブログや掲示板)を聞きますと、1. 家族性 2. 中毒性(アルコール性など)3. その他の要因があるようです。1.家族性ですが 親・兄弟がALSなどの神経変性疾患患者である症例が確認されています。2.中毒性(特にアルコール性)ですが 私自身が感じる理由で、神経細胞の変性に影響があったと思われます。3.その他ですが 元々発病原因が判らないのがMSAなので、原因が判明すれば治療法も出てくると思いますが、患者さんの傾向で・几帳面・神経質な人は 疾患しやすいと思っています。(2) 臨床経過発症初期から転倒傾向が強い場合、あるいは自律神経症状の強い場合、L-DOPAの有効性が低いことなどの特徴経過をたどります。初期症状から2年未満で歩行障害、2~4年で分類された病名の主症状が出現、進行は早急で、部分介護が必要な状態もこの期間からです。症状改善薬、リハビリなどで全介護状態時期は延びる傾向にあり、転倒・誤嚥事故などに注意すれば、更に延びると思います。(3) 予後これからのことですので体験談は書けませんが、多分、嚥下障害の影響で呼吸確保ができ難くなり、呼吸と嚥下を分けて対処するようになるでしょう。呼吸機能は、ALSのような人工呼吸器を施すほどの機能低下は無さそうに思われます。自然呼吸は確保され、問題は気道確保できるかどうかで、最近就寝すると咽頭に違和感があり、気道が狭まって詰まるような感があります。最大の問題は誤嚥することで、気道を詰まらせたり、肺炎を誘発したりすることです。口からの摂取がいよいよダメなら「胃ろう」を施して栄養を取るようになるでしょう。突然死も多く、予後は多種多様の経過になりますが、呼吸苦はありますが「痛み」苦は無いように思われます。
2006年11月06日
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