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前回が文化の日、今回は勤労感謝の日。別に狙ってそうしていたわけではないがそうなった。11月の始まりだなと思っていたら、気がつきゃもう数日で終わってしまう状態になっているが、前半はちょっとだけ休みをもらって行方をくらました。別に大層なことではないのだが、京都に戻っておかんを連れて温泉旅行を決め込んだ。本当は2人で行くこともできたのだが…10年目の結婚記念日だったので…クマイチが「おかんがいるとおもしろい(ということは私とだけじゃもはやおもしろくないのか)」と言ったのでおかん連れと相成った。私は旅館では、温泉入浴中と食事中以外は限りなく寝てばかりで、骨休みっちゃー骨休みだが、ホントにだらだらと過ごしただけの一泊旅行になった。さて、そのプチ休暇から戻って数日後、私は出張していた。(笑)2004年の3月から6週間訪れていたアジアのかの地に向かっていた。本当は忙しいので、こんな時期の出張はカンベンしてほしかったのだが、大事な客先の課長がかの地にお出ましになるとのことで、うちの社長である山村さんから「ついて行って世話してきてくれ」と。断れない。山村さんは非常にヒラけたビジネスのやり方の人なのだが、なぜかこういう時だけえらく日本的で、客先の偉い方の露払いをやってこいと絶対に言うのだ。客先の課長の出張の件を聞いた時、何か目の前を黄信号がよぎった気がしていたが「ちゃと、行け」。ビンゴ。行ったら行ったで、それなりにウチの会社にメリットがないわけではないので行ってきて、昨日帰ってきた。久々のかの地の他、12年ぶりにバンコクにも寄った。行けば用事はある。が、自分のいろんな予定もあるし日本を長いこと空けておくわけにもいかず、たった一泊しかできなくて、12年ぶりのバンコクの成長振りに目を見張る時間もなかった。来年はぜひ本当にしっかり休みを取ってクマイチとアジア巡りをしたいぞ。明日は暦の上ではまだ祭日なのだが、そろそろ会社に行って残務処理に勤しまなければ。放っておいた仕事は異臭を放って腐り始めている頃だろうか。(爆)
2008年11月23日
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はぁ~~~、久々に日本の連休♪というものを味わえる4日間だ。・・・と思いきや、そうは問屋が卸さない。(爆)4日間のうち、2日間は出社だ。なにせ日頃の雑務がそれでもたまっている。できたら私を会社に一人で置いておいてほしい。(それなら捗る)しかし、スタッフの勤務のスケジュールの関係で、年中無休で深夜も誰かがいる仕事のため、人がいないところでゆっくり自分の仕事を考えたりプランを立てたりということが望めない職場なのだ。私がいると、かっなっらっずっ声はかけられてしまう。「クライアントに出しておく報告書のこの部分が書いていても自分で自信がない」とか「こんなふうに電話で即答を求められていて困っている」とか、そりゃ確かにその場に上司がいたら聞くのがいちばん速いと私でも思うに違いない。私でもそう思うだろうと思うと、ホンネはそう思っても「今日は他のことでは声はかけないでね」とか「今日は私はいないものと思ってね」とは言えないし、ひとめちらっと見たその内容で気になるところがあると、自分のものは中断。そっちが気になる。知らなかったら知らないで通り過ぎるものがほとんどだろうし、だいいち出勤しなかったら見なくていい問題もいろいろある。しょうがない・・・その上、この連休中に業者を呼んで会社の中で大幅な模様替えが予定されている。その件の担当者は私が全幅の信頼を置いている中島さんなのだが、中島さんは管理職にも関わらず連休返上で全力投球する人だし、何よりうちの部署にも関わることでもあるので、お手伝いかたがた陣中見舞いもしておかないといけない。いずれにしても電話がかかってくる立場であれば、連休に期待をかけて逃避行するわけにもいかない。今の楽しみは5月後半の1泊旅行だ。おかんとの軋轢も乗り越えたので、仕切り直しでクマイチとおかんと3人で旅行。一旦、京都に帰ってからおかんを連れて出かける分、余分な出費は嵩むが、たまには命の洗濯は必要だ。ということで連休は静かに、穏便に(笑)過ごしたいものだ。
2008年05月03日
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自分のページの本体を見ないままにこれを書き出しているのだが、確か2003年の4月28日にここを初めて開設したのじゃないかなぁ。この1年くらいはどんどん書けなくなってきて、去年の8月だか9月だかは帰国前の忙しさにかまけてぜんぜん書ける日がなかった。日本に戻ってきたら戻ってきたで、なんやかやと楽しく忙しく、やっぱり書けない。仕事場ではすでにウォーミングアップが終わり、2月頃から本格的に走り始めてしまったが最後、家と職場はめちゃくちゃ近いのに(近いから、だからでもあるのだが)1週間の労働時間が80時間くらいにもなると、家に帰ったらもうごはんもいらんと思うくらいの疲弊。・・・食べますが。(爆)今の職場は24時間誰かがいる。夜になると夜勤の当番たちが出勤してくるわけで、彼らとは出勤時に顔を合わせるだけではなくて朝の彼らの退勤時にも(イヤでも)顔を合わせる日を3日に2回は送っていて、さすがにあちらも呆れているし、夫婦仲も心配されている。そのわりになぜか体は元気なのだ。つい2~3日前も、さすがにやりかけの仕事はもう家に帰ってからやろうと思い、12時頃に会社を出て家に着いたが、メールで家に送っておいたつもりのやりかけ仕事のファイルは送ったつもりが送れていなくて脱力感満点。しかたなく覚えていた部分を掘り起こし思い出ししながら、いちから資料を作ったら朝の6時半だったが、45分ほど寝て、起きて、普通に会社に行った。さて、1ヶ月ちょっとのことをダイジェスト的に書くと、いろいろあった。*母とは和解した・・・というか、3月末に父の一周忌があり、京都に戻った時にはお互いに普通だった。どんな人にもそう言われるだろうが親子とは、母娘とは、やっぱり、やっぱり、そういうものだったということで収めていいのだろうか。よしとしておこう。*その時に初めて、弟の次の嫁さんという人に会った。いい子だった。前の嫁さんよりも若い(弟とは年齢も2桁違いになる)が、よく気がついてしかもさりげない子だと思った。何よりびっくりしたのが、弟の顔の相がまったく変わっていたことだ。私はあんなに穏やかな弟の顔を今までに見たことがない。弟はいつもどこか神経質で、一瞬で切れそうな部分を私より持っていたし、その割りにいつも臆病で何かから逃げている雰囲気があったのだが、人生の半分近くになって本物の伴侶・理解者を見つけたのだと思った。よかった。*部下が急死した。こちらが倒れそうなくらいショックだった。これはまあ私や職場のみんなにしかわからないことではあるが、決して過労死などではない。病気だったのだが、その進行が驚異的に速かったのだ。なのに本人に自覚症状がまったく出なくて、気づいた時には「あと数週間」の宣告だった。亡くなった今、そう言うのでは決してなく、退院してきた時にはムリをさせないように固定勤務をさせ、数ヶ月経ったら私の片腕になってもらう算段をしていた人材だった。=====ここをやめようかな、という気持ちに少しなった。でも、だいたいがケチくさい性格だからか、自分のものに執着の強い性格だからか、ここをやめてページも消して・・・というのはもったいないなと思った。だからといって、このままずーっと廃墟のように動かないものを置いておくのもイヤだなと思った。そうだ。決して本質的・抜本的な改革でもなんでもない単に姑息な手段かもしれないが、タイトルとバックのデザインでも変えてみようと思った。お風呂にはいりながらタイトルを考えた。「ちゃと」というHNは自分で結構気に入っているので、まずこれを変える気はない。「ちゃと・まっしぐら」というのも、特に理由もなくつけたが、これにも愛着はある。自分の言いたいことは変えないぞ~という気持ちがあった。が、もしも変えるならばマイナーチェンジ程度(笑)でも構わないし、なんとなく語感的には「ちゃと・ま」までは残したいと感じている。(爆)いくつか候補を考えてみた。○ちゃと・まっし(「ぐら」を取っただけ。語感がちょっとカワイい気もする)○ちゃと・まっしぶ(Massiveなのである)○ちゃと・まっしも(今度はイタリア語で男性の名前だが、それダレ?)○ちゃと・まーしちょっくな(次は韓国語で「とてもおいしい」)○ちゃと・まったり(うーん、これはちょっと私の感じではないぞ)なかなかうまくいかない。そこでまたまた続きを考える。○ちゃと・まっさお(うん、綱渡りで毎日過ごしているイメージにはぴったりだ)○ちゃと・まっくらけ(これも間違ってはいない)○ちゃと・まってんか(意味不明)○ちゃと・まんぐーす(コブラよりマングースのほうがかわいい)○ちゃと・まっぴら(・・・無言)なんでもいいから書け、という声がどこかから聞こえる。
2008年04月28日
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今日はもう家に帰ってきて(そんなに遅い時間ではなかったと思うが)ご飯を食べたらもう眠くてネムクテ畳の上でぼてんと寝てしまいましたんよ。一度寝ぼけながら起きて、慌ててお風呂にはいったのですが、明日も明後日もいろいろと山積みの日になるのでもう寝ちゃいます。え~~~、とか言わないで下さい。(爆)コタエはまたいずれ。
2008年03月04日
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昨日、書き忘れていたうれしいことがあった。えへへ。これがいちばんうれしいことかも。がんばっていたご褒美かも。来月、カ・ノ・ジョが東京にやってくる!詳細はまた後日^^
2008年03月03日
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昨日、久々にまた日記を書いてみて、それも、1ヶ月前なら気に病みすぎて書けなかった同じ話だけれども、やっと少し冷静になれて書いてみたら、いつもいろんな温かいコメントを下さる皆さんから「そういうこともあるよ」と教えてもらって、なんだ、そうだったのかと素直に思った。そういう事態もアリだということに今頃やっと気がついて、自分一人でぐるぐるしていたところからやっと脱出できた気がした。皆さん、本当にありがとう。ともすると、いつもの書き手といつもの読み手では、お互いに相手の手の内もわかる。こんな時の書き込み・やり取りをぜんぜん知らない他人が見ると、コメント自体が予定調和だと思われても仕方ないのかもしれない。でも、それでもわざわざ忘れずにのぞきに来て下さり、何の得にもならないこんなものを読むだけでなく何か書いてやろうとされる皆さんの数分、そこに潜む気持ちの温かさに触れると泣きたくなった。そして泣きたいくらいうれしいことは、実は今日、2つもあった。さて私はご多分にもれず出勤していた。とりあえず今、人不足なのだ。いろんな経過を書き出せばそれだけで何日もかかりそうなので多少、端折るが、かつて今の部署を束ねていた金田さんは、最終的に私と交代になり、4月に他国の現地法人の役員で転出することになった。(私が決めたとか蹴落とした、なんてことではなく、すべては社長である山村さんが決めたことだ)しかし、私が今の本部に初出勤した日にはまだ40名いたスタッフのうち、すでに5人が減ってしまっている。希望での転勤が1人、介護のための休職者1人、そして燃え尽きて辞めた人が3人・・・山村さんはことあるごとに私を呼び「金田さんではあかんていうことやねん。以前より丸くなったとは言え、金田さんは結構みんなにきっついこと言うからな。要するにみんなが萎縮して疲弊してしまった結果がこれなんや」と言った。確かに私自身が金田さん、苦手だったし。金田さんは業界は私より長いので、以前から頃から時々何かを相談することはあったが、回答にキレがないというか、答え自体が何か判じ物みたいでわけがわからなかったりして「ソレ、ホントにアドバイス?」と思ったりもした。それに、関西弁で言えばちょっと「イケズ」なところが金田さんにはあり、どちらかというとストレートでないと治まらない私とうまくいくはずがなかった。先日、とうとう辞令が発表されたもので私が次のリーダーになったので、これまではじっと黙って我慢していたが、毎日少しずつ、スタッフに声をかけるようにしてきた。それもただ声をかけるのではなく、スタッフの仕事をできるだけ減らす方向で。これまでに思い切り圧迫されているからか、私が見たら「そんなこと、やらなくていいのに」ということをみんな驚くほど、いちいち拾い上げてまでやっていることに気づいた。本当に余裕がある時にやれれば二重丸だけど、やらなくても問題にならないことはとりあえずやらなくていいよ、と声をかけ始めた。まだ今は同じ場所にいる金田さんにしたら、私があれもこれも切り捨てたり、みんながうなっているような珍妙な仕事の報告書を「それは私がちくっと客先に書いておくからいいよ」と引き取ったりしているのはきっと歓迎できないことに違いない。でも、これまで、ろくに教えてもいないのに「アナタくらいならそれくらいできて当たり前」などと勝手にハードルを設定するのはおかしいだろう。そんな調子でやってみて、失敗すれば怒られるだけでここまできていたスタッフが辞めたくなってもおかしくはない。私だって今はまだ全部のことを覚えきったとはとても言えないが、とにかくみんなと同じところに降りて同じ勤務体制で仕事を分け合うところで種を2ヶ月蒔いてきた。すると今日、3人から別々の時に言われた。「ちゃとさんが来てから、これまではみんな個々に『こう考えるのかな』『これはこうかな』と思いながら探り探りやってきたものが減りました」「質問し易くなったってみんなが言ってます。前は思い切って質問したのに、答えがよくわからないし、勘違いして失敗したら『説明したよね』って怒られてホントにイヤだったんですけど、今は聞いたら答えがすぐ出てくるし、すごく助かってます」「ちゃとさん、いかにも『いいよ、コレでやってみて。ダメだったら私がなんとかするから』って、すぱっと決めてもらえるし、なんか安心してやれる感じです」今日も思わぬ残業になったのだが、ちょっと手が空いた時にそんな話がスタッフから出て、ちょっとテレながら「そんなこと言ったって何も出ません」と言うしかなかったが、うれしかった・・・家に帰り、今日も今日とて「ラーメンに行くか」と支度をしていた時に携帯がなり、見ると会社からだったのでうへーと思ったら、今は自宅にいるスタッフの1人から「ちゃとさんの携帯番号を知りたい」と言ってきたので教えて構わないかという質問。「いいよ」と答えたが内心は心配でいっぱい。そのスタッフ、岩国さんはちょっと特殊な出勤のしかたで契約しているスタッフなので、私自身も物理的に顔を合わせることが極めて少ない。だから、今、電話してくるってどういう話なんだろうと不安になった。彼女は、自分に与えられたことは比較的しっかりやるが、文句も多いし突飛なことをよく言うし、他のスタッフも岩国さんの強烈さには手を焼きつつも、イヤな仕事を人に押し付けたりするずるさはないので、過激な発言にみんながあきらめて目をつぶってしまっている・・・そういうタイプのスタッフだ。先日から岩国さんも会社を辞めたい~、辞めたい~と豪語しているのを知っていたが、岩国さんの場合は辞めないだろうとみんなは思っていたのだが、なんでも自分の勢いだけで仕事を進めるタイプの彼女はきっと私のことが苦手だろうし、今度ばかりは私が上に来たことで本当に辞めてしまうんじゃないかと思っていた。で、その岩国さんからほどなく電話があった。「あのさー」といきなりタメ口だ。(彼女のほうがもちろん年下)「ちゃとさんさー、アナタ大変でしょ。だからね、しばらくの間もしも出勤の出づらで困って自分が余分に出勤しようと思うくらいなら私に言ってよ。出られる時だったら大サービスして私が出るからさ。ちゃとさんさー、他に仕事あんでしょ?大変だよね、まったく」私はもう彼女の突然まくしたてるような言い方にびっくりしつつ、彼女から出るとは予想だにしなかったオファーに詰まりまくってしまった。思わず私も「ええ~、岩国さんったらホントにいいのー?気持ちはうれしいけど、岩国さんだってもともとの出づらは決まっているわけだから、そこにプラスして出るなんて無理して考えないでいいよー」と言ったが「いーのいーの、へーきへーき。じゃ出る日が決まったらメールしといてね」がちゃ。なんだかじーんとした。岩国さんからの電話は予想外だった。実は今朝、出勤した際に、岩国さんがそろそろ帰る頃だったので「お疲れ様でーす」と型通りの挨拶はしたのだが、彼女からちょっとアレとかコレとかのリクエストをずけずけ言われた一幕があったので、ちょっとだけ鼻白んでいたのだった。でも、それに対しても私は特に機嫌悪く答えたりしなかったし「なるほどね、じゃあそれも一度考えてみるね。なにせまだ初めてのことばっかりで手際も悪いんで、ごめんなさい」と言ったのだが、彼女は何か言い過ぎたと思って夜に電話してきたのだろうか。それはどちらでもいいのだが、彼女の、いっぷう乱暴とも思える口調で協力するよ、なんて電話がいきなりかかってきたら、感激しないのは人間じゃない。そう思いながら、明日もやるかーという気になっている。単純なものだ。
2008年03月02日
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またまた長らくご無沙汰となってしまいました。いろいろあって、とても日記を書くなんていう気力はないし時間もない。この1ヶ月半くらいの不在には、大きく分けて理由は2つ。まず前半3週間くらいの主な理由。あまり詳細には書けないが、実家の母といろいろあった。私の気持ちが生涯で初めて母から離れてしまった。毎日毎日考え込んでいて、今だから少しだけここに書いてみる気になれたものの、ちょうど最後の日記の日付になっている1月19日(だったっけ)以降、2月にはいってしばらく経つまで、夜中に急に目が覚めて泣けて・・・という、自分でもかつて想像のつかなかった精神的打撃があった。母と急に何かがあった、というのでもなかったが、私がイギリスから帰ってきてから、何度か私は母の独りよがりな発言や態度を受け止めきれないと思うようになった。もともと母は謝らない人ではあった。私はこう見えて、意外とさっさと謝ることにこだわりがない人間であり、対立というか緊迫の場面になると、私と母はだいたい1)私が早々に折れるか 2)母が私の説得力に負けるか(謝るのではなく納得してしまう)のどちらかで解決できてきたと思う。しかし、私がイギリスから戻ってきた後、しばらく実家にいた頃と正月に帰省した時と、そしてその後の電話で、私は完全に切れた。(今、世間でよく言われるところのキレた、というものではなくて、実際に気持ちの中に張られていた糸が切れた、という感じだ)去年の4月に父が亡くなってから、母の意固地さというか「世の中の物事はこれがこうあるべき」という、純粋さゆえに余分に偏り過ぎた考え方・「そういうこともある」というような選択肢を考慮に入れない母の言動がひどくなり過ぎた。父が存命中は、父自身が母の歯止めになってきた部分があったと思うが、それがなくなったことが一つの理由だろう。それともう一つの理由。私がやっと近くに帰ってきたことを喜ぶ気持ちが高じたものがそういう形で出てきたのかもしれない。それは、赤ちゃんの頃から育ててきた結果、大きく育ってしまった動物が、遊びたいばかりに手加減なく行動した勢いで人間に怪我をさせてしまうような感じに近いかもしれない。それまでは私からは3日にあげず電話して、体調はどうか、買ってほしいようなものがあるか、何か聞いてほしいような愚痴があるかを聞いてきていた。ロンドンにいた時は私が土曜か日曜に、最低週1回は電話していたが、今は母からも電話はかかってくるし、下手すると2日に1回は電話し合うようになっていた。しかし、その日、私は母との電話の話の途中にその電話を切り、以降、一度も電話しなかった。(母も私が怒って切ったことはわかっていたようでかかってこなかった)その後、考えに考えたあげく、私は母に手紙を書いた。どんなことが、何が、どのくらいおかしいと私が思うか、どこを直してほしいと思うか、切々と書いた。「私のこの手紙を読んで、もしもそれでも自分が間違っていない、私が何にそんな怒っているのかわからない、謝る必要はないし謝る理由がわからないと思うなら、それでもいい。しかし、そういうことなら私はもう一生、京都にも帰らなければ電話もしない。そちらが謝る気持ちがあって電話でもしてくるなら着信拒否まではしない」その手紙を書いた時もつらかったが、郵送してからもつらかった。私の手紙を読んで母がどう思うだろう。父がいなくなった今、以前からあまり頼っていなかった弟ではなく私がこんな手紙を送ったことでやけを起こして自殺でもしたらどうしよう、と思った。その手紙から3~4日して母から電話があったが、謝りの言葉を出すでもなく父の法事の予定を伝えてきた。私は普通に受け答えしていたが、あまり話の接ぎ穂もなく、母は母で、しばらく体調が悪かったというようなことを言い、これまでより短く電話が終わった。その後も母から2回電話があったが、私のほうからは用がないので私からはかけていない。(これまでは用がなくてもかけていたのだ)母があの時いったいどういうつもりで電話してきたのかはよくわからない。私が手紙に書いた最低限として、電話したことが折れたという意味だ、として電話だけしてきたのか、小島よしおではないが「そんなの関係ねぇ」で言いたいことだけは言うつもりで電話してきたのか。でも、もしも私がその立場だったら、やっぱり電話した勢いを借りて絶対謝るのにな、とは思う。「そこまで怒っているとは思わなかった、そんなつもりはなかったが悪かった」と一言言ってほしいとは思って、今でも気持ちの中に澱のようなものは確かに残っている。私と母は、もう前のようには戻らないだろうということをずっとあれから感じている。そういうことを考えている最中に、好むと好まざるとに関わらず、私は35人の部署の長になった。とにかく全員がいつ、何をやっているのか、各人にべったり張り付いて公平に見たり、自分自身が覚えたりするために、毎日の勤務時間が最長で1日16時間になったことも、夜勤の二晩連続も引き受け、末端のスタッフと一緒に相談しながら事案を進めたこともあった。家に帰ってもクマイチと十分に話す機会もなかなかなかったり、会社を出る頃にお腹が空いても、もうどこのラーメン屋も開いていないような時間だったり。そのおかげで、こちらのほうは少しずつ芽が出始めていて「旗だけ振る上司でもなさそうだ」「相談するのに敷居が低そうだ」というようなことを言ってくれている人もいるようなことを聞く。いろいろなことが落ち着くのにもう少しかかりそうだ。今年は一度どこかアジアに旅行してみたいという気はあるが、そんな日が来るだろうか。
2008年03月01日
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あらら、ちょっと気を抜くと3日分くらいはすぐに日記が抜けちゃうのね。(汗)4月に父が亡くなったので新年の祝詞は控えますが今年もどうぞよろしくお願いします。*****年末の3~4日が日記も書けないほど忙しかったのかというと決してそうではない。ちょっとだらだら気分が過ぎた結果、なーんとなく年末の慌しさというのもこの部屋の中では無縁だけだったというだけだ。なんせ今年は喪中でもあり、いくら私たち自身は東京に越してきたと言えど、正月を祝うようなことは最初から何もするつもりはなかった。勝手に書いていいんだかどうかわからないが、30日の日曜にlalameansさんと3人でちょっとした忘年会を実施。実は私たちが居を構えた場所はlalameansさんのお宅からほど近い(らしい)。お宅がはっきりどちら、ということは知らないが、なんとなーくご近所だということはわかっていて、落ち着いたら連絡しなきゃと思っている間にずるずるそれが延びていたら、12月のいつだったか、近くの本屋をうろうろしている時にばったり会った。(笑)この辺のどこかで出会うのは時間の問題だとは思っていたが、やっぱり、という感じで、その日はちょっとお茶だけ飲んで別れたが、一度仕切り直してということになって、久々に年末ゆっくりと居酒屋で料理をいろいろつつきながら近況報告という時間を過ごせたのだった。年末のイベントらしいものも会社の忘年会を除けば他にも別になく、寒いと出かけるのがキライで無精な我々は、怠惰に12月後半を送ってしまった。しかしそうはいうものの、やはり私にとっては10年ぶりの日本での年越しだし、クマイチに至っては年越しは実に29年ぶりになるのだ。年末の長時間ドラマで「吉原炎上」も「忠臣蔵(これは再放送?でも主役のはずの稲森いずみがヘタでびっくりした。もうちょっと上手な役者を使ってほしかった)」も見たし、みかんこそ買わなかったが、もうだーれも楽しみになどしていないらしい紅白歌合戦も見たし(とりあえず日本の音楽シーンは知りたかった)何もお正月らしいことはしていないとは言え、それなりに楽しいなとは思っている。そういえば、私が最初に勤めていた会社を退職したのは1997年12月27日のことだったはずだが、あれからちょうど10年経ったんだなとこの間しみじみ考えていた。あのまま辞めなかったら私はたぶん今でもまだあそこにいたんだろうなと思ったりする。当時はまだまだ「女性は3年くらい勤めたら結婚退職」みたいな風潮の中にあって、現に同期も3年~5年くらいで辞めていて、女性で10年以上残っていたのは私以外にもう1人だけ。その1人は今もまだ勤続しているようだが、その後入社した後輩たちの中で5歳以上年下の人たちになると、なんと今に至って15年以上勤続していたりする女性も多くなっていて、世の趨勢を感じるというものだ。ついでに言えば、私が結婚した当時は、35歳での初婚だと「晩婚です」というプリフィクスがついた気がしたが、今は35歳での結婚なんて目立ちもしないどころか、40代での初婚だってなんら珍しい時代ではなくなってしまったのだ。脈絡のない話の羅列になってしまっているが、私にとって大事なことをもう一つ。日本に戻ってきて3ヶ月が過ぎてしまったが、今さらながらに父を失ったことが残念に思われる。毎日、それこそテレビからでも雑誌からでも、ここには考えないといけない日本の諸事がたくさんあるのを感じるわけだが「このことについてどう思うか?」という、そういう諸事について私にとって最初に叩く玄関の戸であった父がこの世にいないことの喪失感は大きい。だからといって、私がもう1年早く帰国していたら違っていたのか、間に合ったと思えたのかというと、そう単純なことではない気がする。*****とかって、いったい何が書きたいんだか・・・ということで明日は仕事。それが済んだら帰郷の予定。今年もよろしくお願いします。
2008年01月01日
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恥ずかしながら、この三連休はどの日にも「午前中」が存在しなかった我らであった。(爆)最初の休みの日は雨模様だったのでどこへも特に出かけないことにしたが、夜に近所のラーメン屋につけめん大を食べに行ったが、辛みそにしたら最後、めちゃくちゃ辛くて、量的にはおっけーだったのに辛さに脱落しそうになった。こんなことで脱落していると後々お腹が空いて眠れなくなりそうだったので、時間はかかったが全部食べ切った。(注.東京に来てからのラーメン生活云々についてはまた日をあらためて書きたいと思うが今日は省略)真ん中の日も出かけようかなぁ、どないしよっかなぁと思っているうちに、外はどうせ寒いんだろうなぁと思って家でだらだら。しかしどうしても買いたいものが夕方に出てきて、前の大通りを渡ったところにあるスーパーに出かけたのだが、いくつもあるキャッシャーがなんと長蛇の列!おまけに、出掛けに1万円札を折り畳んで大きめの小銭入れに入れて出てきたつもりが、なんとはいっていたのは1000円札じゃん・・・1万円持ってきたつもりで、ついでにあれも、これも、とちょっと物色していたところ、拍子抜け。結局、このところホットでよく飲んでいるコレ(外に出た第一目的がコレだったので)ミツカン バーモントはちみつりんご酢ダイエット 500mlを980円で買っただけ・・・とほほ。と、ここまで下書きが残っていたからそれを使うが、次の3日目・・・の行動について続きを書こうと思ったら、もう遅すぎて何をやっていたか思い出せなくなった。が、いずれにしても午前中がなかったこと、基本的に家に引きこもっていたことは間違いない。ちゃんちゃん。
2007年12月24日
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いつまでも10年かそこらぶりに帰国した感想ばっかりというのも読むほうにはどうでもいいことなのかもしれないのだが、これまでサボっていたこともあって、しばらくの間はシツコくこれでいこうと思っている。最近、自分で感じているちょっとした得意技・・・言い方を変えれば、自分で「案外こういうことがうまくなった」と思うこととして、何かを見直すということがうまくなった気がする。だいたい、好きだと思う人やモノよりもキライな人やモノのほうが多いタイプだ。いや、実際には数の比較としてはそうではないのかもしれないが、キライとかイヤとかのようにネガティヴに感じる事物というものは得てして目立つ。好きだったり気に入ったりして自分の中にすっと浸透してくるものよりも、拒絶したくなる・嫌悪感を感じるもののインパクトのほうがもともと大きいのだと思う。それがこのところ、日本に戻ってきてテレビでいろんなタレントや俳優を見て、昔ははっきりキライ・イヤ、と思っていた人に対する印象が激減していることに気づく。感じ方や感想が変わってきた理由にはもちろん2つあって、自分側のほうの変化と相手側の変化と両方があるのだろうが、とにかく受け入れの間口がかなり広がった実感がある。自分がもともとキライ・イヤ・好きではなかった、という人で、さすがにここでは書きにくいと思う名前は結構あるが(爆)まあそんなに影響ないかと勝手に判断して名前を出すと、例えば羽野晶紀。**ファンの皆様、ごめんなさい**だいたい昔、最初に見た時に一発でイヤ~~~っと思ったのが彼女。わけわからんキャラクターやし芝居が上手なのかどうなのかよくわからないしノーテンキな声としゃべり方がとにかくイヤで、とにかくテレビに出てくると直視したくない一人だった。狂言師の和泉元彌と結婚すると知った時にはさすがに、あんなおかんがいる中でこんな子がやっていけるんかとも思ったが(とは言え別に自分に関係あるわけではないが)このところの別居や芸能界の復帰の芸能ニュースなんかを見ていたら「オーラの泉」に出ていた。そういう意味ではちょっとホットな人かなと思ったので久しぶりに彼女が出てきて、どんなことを話すのかを見ていたら、ごく素直に「苦労したんだろうなぁ」」とただ思ったのである。そりゃそうだわなぁ~。私なんか住む場所こそ変えたけれども、言ってみればクマイチと2人で自分たちが思う通りの気楽さで生活している中、彼女は好きでそうしたとは言え、あんな世界に飛び込んだわけだし「跡取り」てな言葉を平気で使う場所で気兼ねしながら暮らしてきたのだ。華やかでいいこともあったかもしれないが、なかなか人には言えない苦労の中で、あんなぱっぱらぱーみたいに見えていた彼女がここまでやってきたかと思うと「アンタも苦労したんやなぁ」と、なんだか同じ京都人のよしみで声をかけてあげたいような気になったのだ。でも、年齢の割りには老けていないキレイな顔をしていたし(あの顔も昔はイヤだったのに、昨夜はそう思った)「まあ、やるならやるでアンタもがんばりやー」と思いながらテレビを見終わった。羽野晶紀だけではない。先日書いた加山雄三だってそうだ。どうでもいい側の人だったはずなのに、非常にストレートに、やっぱりこの人ってホンマの意味で品のいい人やったんかなーと思ったり。それ以外にも、そりゃもうこんなところでアイツキライと書けば総スカン喰らうのは間違いない、そういうミュージシャンが何人かいるのだが、そのうちのある一人を見ていて思わず「やっぱりこの人、今でもキライやけど才能あるんよな」と言うと、クマイチから「好き嫌いと才能は本来は別なんだよ」と諭されたりしていて。いや、それはわかっていたけど、キライさが先にたって才能があることを認めたくなかった相手というのもいたのだよ。今さらなのだが、中学の同級生と20歳過ぎて会った時に「ちゃとなぁ、手のひらにな、好きなモンとキライなモンに分けて好きなモンだけ乗せたらちょっとしか乗らへんねんけどな、もしも、なんとか受け容れられるモンと絶対に受け容れられへんモンとに分けたら結構たくさん乗るモンあるねんで」と言われたことを思い出す。ヤツがあの時点でわかっていたことが私にもわかるまで、こんな長い歳月が必要だったということかもしれない。
2007年12月22日
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いやー、ホントにもうちゃんと書かなあかんわ~~~(汗)別にどこのどなたに読んでもらいたいから、というようなことではなくて自分自身のためだと思う。やっぱりイギリスを引き払ってきて日本に移ってきて、この3ヶ月弱の経験というのは(もちろん固有のものではなって他人サマにはまったく関係はないっちゃーないのだが)大事なものだったと思う。それなりにいろいろと揺れる考えに毎日翻弄されてきたとも思う。今後は年を取っていくだけ、という不安のようなものももちろんあるし、子供もいない私たちのことだから、これからの夫婦のこととか、そしてはたまた最終的には自分一人だけになるとしたらどうしていくのかとか。そういう、何か形にならないまま心の中で騒ぐだけのような空気の揺れみたいなものの動きを文章にしてもよかった。が、しなかった。それ以外に、毎日の生活を占める新しい職場でのこと。これはもう、本当は、本気になって書こうと思えば1日に日記3つから7つくらいは書けたかもというくらい、そりゃまあよくここまで毎日いろいろあるなというような日々なのだが、1つ何かに的を絞って日記を書くのはかえって難しい状況。一つどれかを書こうと思うと、それが必ず他の件に連動していたりして、書くことを考えただけでぐったりしてしまうほどだったので、実はこのところ家に帰るとメールも見ない、PCも触らないという日が結構続いていたのだ。ま、ぐだぐだと言い訳はやめよう。書かなかったものを追いかけても仕方がないし。できたらもう一回、淡々とやり直してみるしかないかな。*****さて、さっきまでテレビでちらちらかかっていたNHKのプレミアム10。加山雄三。実は、昔から知っていた加山雄三は私にとってはどーでもいい人の代表みたいな人だった。キライというわけではないし、もちろん好きというわけでもない。なんというかこう、欠点がないというか難癖つけようのない、ただサワヤカさが売りのおっちゃんみたいな存在だった。だいたい昔から、あまりにも人畜無害な人は私は苦手だ。私の中でそういう位置づけにいるのがこの加山雄三と、長島茂雄だ。この2人を非難する・嫌っている、という人もあんまりいなさそうで、なんとなくその健康さ加減が苦手に思えてしまうのだ。久々に見る加山雄三、ちょっと年とったよなと思いつつ横目てテレビをチラ見していたら、彼も御年70歳だそうで、この年齢で新しいアルバムを出す(え?もう出した?そこまで一生懸命は見なかった)らしい。それも今どうも日本で流行っているらしいカバーとかではなくて、いわゆるマジ新しいアルバムなのだそうだ。ふと見ると谷村新司も出ていて、何やらこのアルバムのために詞を書いて加山雄三にプレゼントしたらしいのだが、そのうちの1曲を加山雄三はスタジオで歌った。うまいなぁ・・・そう思った。第一の本業は歌手ではないし、昔から時々、加山雄三の歌というのは聴いたことがあったが、うまいと思わなかったというか思いたくなかった。(笑)しかし、今夜のその番組の最後に聴いた加山雄三の歌はその年なりの声の枯れ方は感じられたが、その中にも本当に素直な伸びやかなうまさというものを自然に感じたのだ。もしかすると、本当にこの人はいい人なのかもしれない、とさえ思ってしまった。
2007年12月21日
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なかなか本調子で復活しにくいな~。休みグセがいっぱいついてしまったので(笑)ちょっとしんどいなと思うとパスしてしまう・・・いや、これも違ってはいないのだが、本当は自分の中ではネタがあり過ぎて、その日はどこを着地点にしたいのかがわからなくなるというのが隠れた理由かもしれない。一日のうちの大半が勤務先での時間になるので(やっぱり)どうしても話はそちらに行ってしまう。ロンドンにいた頃も中の身内の話もお客の話も毎日何かネタはだいたいあった。が、今ははっきりいってネタ候補はあるのだが、いかんせん書きにくいことも増えていたし、ベースになるものの数が格段に多い。家に帰ってクマイチに「あのなー、今日なー」と話し始めるのだが、佳境にはいる前に話をやめることが多くなった。「やっぱり、やめとくわ~」という途中やめだ。クマイチはもちろん「言いかけたんだから」というが、あまりにも話が長いと、彼の聞き方から集中力が乾燥していくのがこちらにもわかる。一日にあまりにいろいろなことが起こり過ぎて、その問題の背景が長かったり複雑過ぎるとか、一日に起きたトラブル同士が絡み合いをどんなふうに説明していいかわからなくなるとか、とにかく相方に説明しようとしている間にイヤになるのだから日記に書くだけの気力は当然出てこない。(爆)今のところは一日会社にいて、帰ってくるとグッタリなのだが、ともかく原因は人疲れだと思う。もうしばらく調子が出るまでには時間がかかりそうだが、インフルエンザの予防注射もしたし、先週やっと荷物も着いたし(泣)ぼちぼちやっていきます。
2007年11月27日
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帰国してから、何度目かの週末になった。今、これを書いている住まいは、とりあえず当面はここに住もうと思って決めたマンションなのだが、ここに来るまでも自分たちにとっては結構大変だった。ロンドンの自宅にあった荷物はかなり処分した。持って帰りたいような家具はなかったし、あっちの電化製品はいずれにしても使えないし、太って着られなくなった服は人にあげたりチャリティに出したりもしたが、どうしても持ち帰りたい本や雑誌やDVDやCD、体型の変化に影響を受けなかった服も結構あって、そういうものは荷造りして送ったが、船便なのですぐに手元には届かない。(来週やっと届くことになったが)この2ヶ月弱の間、スーツケース2つとボストンバッグ3つを持ってあちこちを移動。ロンドンを出てきたのは9月の末。あっちから出した船便の荷物が届くまでに7~8週間かかると言われていて、その合い間を利用して住むところを探す予定だったので、それ自体が見込み違いではなかったが、いやぁ急激に寒くなってきたので困る。この2ヶ月の季節の移り変わりの時期、なんとか船便の荷物が着く前にそういう変わり目をカバーして着回せる服や雑貨や小物(船便が着けばその中にあるのに、新しいものを今、買うのは避けたかった)は自分たちで持ち運ぶしかないと思って「あれもこれも」と苦渋の決断で加えてしまった結果、思っていたよりも持ち歩くモノが多くなってしまったのだ。だから、居場所が数週間ごとに変わるたびにカバンの中を整理してはタクシーで動くしかなかったのだが、タクシーに荷物を乗せるだけで気が引けるほど重かった・・・とにかく住むところが決まってからはヤドカリ生活に一応終止符を打てたのはよかったが、なにせ日本の賃貸ってところには何も生活家電がないので、わかってはいたけれどもあらためてビックリ。イギリスだとそれが賃貸であろうと間借りであろうと、とりあえず服だけ持ってきたら住める程度の家電は(古くても)ついているし、その上、イギリスには「最初からそんなものないよ」というものがむしろ多いので、なければないで生活はなんとかなる。それとどこにでもあるヒーターね。これがありがたい。イギリスの家の中で、寒くてしかたがないということは案外なくて、トイレやバスルームの中もヒーターがついていて、ボイラーさえ壊れていなければ暖房はばっちりなのだ。そして我々はここしばらくの間で電気屋に行ったり通販のカタログを取り寄せて必需を物色していた。とにかく足りないものばかりだから、その中でも、無いと困る度合いが大きいものから買っていたら、ずっと暖かかったので暖房器具が後回しになっていた。(電気がいいのかガスがいいのかもわからなかったし、だいいち比較検討する時間がなかったし)昨日・今日で急に寒くなってきて、これ以上はムリという夫婦間合意に至り、やっとファンヒーターを一つ注文したのが昨夜。遅いぞ・・・こんなに寒がりのくせに。そんなこんなでがんばって日本暮らしに突入しています。肝心の仕事のほうもすでに本部に初出勤してから数週間経ちますが、まあそういう話もおいおい。
2007年11月18日
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自分でもあきらめの悪い性格なのだなぁとつくづく思う。やり残したことや行き残した場所もいっぱいあるような気がしてきた。日本を出た時、どんなことを考えていたかなぁと思い起こしてみるのだが、あんまりはっきり覚えていない。だいいち、あの時はもともと3年で帰るつもりだったし、自分がそれ以上いたいと思っても自分のビザが3年しかなかった。出発する前日にインフルエンザにかかってしまい、方法がないので医者に行って「明日イギリスに行く」と言ったら「明日はやめたほうがいいですよ」と言われたが、当時、決まっていた勤務先から支給された航空券だったから勝手に変更はできなかったし、自分の責任ではなかったがビザが取れるのに時間がかかったので、勤務先のほうも「やっと来る~」という感じだったようなので出発日をずらすことはできなかった。出発の当日の朝も、両親はかろうじて京都駅までは来てくれたが、前日(そのインフルエンザだった日)にちょっと父とコゼリアイの場面があったので、京都駅で特急のはるかに乗る時も私は「ほな、な」と言っただけで、両親も「はいはい」とか言って、あっさり別れてしまったし。それまでの日本の同僚ともいったんお別れ、という気持ちはあったが、最終的に日本に帰ってくるという気持ちがあったので、日本にさえいたら、またどこかで会える、と思っていた。しかし、問題はこっちで知り合った人たちだ。もちろん今後、イギリスに来る機会がないということのほうが考え難いし、いつか来ると思う。うちの会社のみんななんか「3ヶ月くらいで戻ってくると思います」とか、好きなことを言っている。まあ会社関係は別として、もしかすると、こっちで知り合って結構な影響を受けた人なのに、ひょっとしたらもう一生会えない人がいるかもしれない、と思う気持ちにものすごく不安になる。本当は日本で一度別れてきた人たちだって同じなのだ。ホームグラウンドであるという場所の錯覚のためだけに「また会える」と思っているだけで、実際にはどこかに引っ越して連絡が取れない、これからももうずっと取れないかもしれない、という人はきっといるはずなのだが・・・私はまだいいと思う。クマイチの気持ちを考える。私の3倍近くの年数を過ごした彼が、私なんかよりも前から付き合いの始まっていたこちらの人たちと、一時的に接点が切れることはどうなのか、と思ってしまう。彼は何も言わない。私が一人で落ち着かなくておろおろしている。
2007年09月18日
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やっと仕事中が終わって、ただいま夜の10時過ぎ。これから帰ろうとしてクマイチに電話したら「危ないから待っていなさい、迎えに行くから」と。でもなぁ、彼を待つとなると今から1時間かかるし、これ以上もう仕事はしたくないし、運動会場のように広い社内のこっちの隅っこで私は一人でこんなものを書いている。反対側のほうではイギリス人のチームが2~3人しゃべっている声が聞こえるが、どうも仕事ではなさそう、ヒマそう。今週1週間でやったことは書き切れないほどたくさんあった。会社では仕事をしながら、それも自分の課題もあるのに研修は延々と続くし(私がここにいる間中、そんなもの絶対に終わりやしない。ここにいたらいる時間だけ教えることは山のようにあるわけで、どこで時間切れになるかというだけの問題だ)その合間に、仕事ではないが日本に居を移すための諸手続きのようなこともやらなければいけないし、関係先(引越の業者とか)から電話もかかってくるし死にそー。そうこうしていると、本社の中でも比較的懇意にしている人たちから「待ってます」「気をつけて」というメールも来るし、せっかくだから返事も書くし・・・でも、マジで休みたい。明日も明後日も、間近に迫ったその日に向かって作業を続ける。容赦のない日々が過ぎていく。
2007年09月15日
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こう言うと、たいてい相手のファーストリアクションは「笑う」「ぷっと噴き出す」というものだが、あえて言おう。私の性格は「人見知り」「繊細」「神経質」「気が小さい」である。あまり言いたくないので言わないが、どうしても説明する場面になると、まるでウケを狙っているのかと思われるのでソンをしていると自分ではマジで思っている。先日から、後任のひとみさんという人が来てくれていて、日々いろいろなことを私について勉強してもらっている。実はこのひとみさんと最初に顔を合わせて目が合った瞬間(つまり面接直前)私は「この人とは友達にはなれないだろう」と直感的に思った。その後の面接がよかったし、恐らく今回の後任の候補者の中での人選は、よほどもっといい人が出てこない限りはひとみさんで決まりだなというのは結構早い段階で心の中で決まっていた。面接で探しているのはあくまでも後任の責任者であって友達ではない。最終的にこの人選は非常に正しかったと思っているし、彼女はいろいろなことを早く吸収する能力も、教えてもらったことをもう一度自分の引き出しに整理する能力も十分にある人だし、恐らくほかのみんなもこの人選には納得していると思う。人見知りが強くて神経質な私は、研修で彼女と一対一でいろいろなことをやっている間、とにかく私がわかっているだけのことを教えようとスゴイ努力をしている最中だ。彼女もそれを十分わかって、がんばってついてきてくれているのだが、とにかく私は一緒に作業をしている間に力を入れるあまり、それ以外の時間で彼女と接する気には絶対になれないのだ。この度合いが本当に極端だと自分でも思う。彼女と私は、他のスタッフとは違って電車も同方向なのである。しかし、一日の研修時間が終わった後、私は彼女とは絶対に一緒に帰らない。「帰ろうか」とは気軽に声をかけられない。あれだけ一日、自分の羽をむしるように(爆)持っているものを伝え切った後、電車の中で話をしながら一緒に帰る余力はもう私には残っていない。もちろん、これがみつこさんだったら一緒に帰ることに何の抵抗もないし、みつこさんと私とは過去に紆余曲折がありながら今もつながっている大事な関係だし、仕事仲間であることとは別に親友だ。ひとみさんに対しては、定時になって「じゃ、今日はここまで。お疲れ様でした」と言うと、その後、私は別に今日しなくてもいい仕事を引っ張り出してきてひとしきり突入してみたりする。私だって早く帰りたいのはやまやまであるが、帰りの電車の中はどうしても一人になりたいし、そのためには余分な仕事を一つ二つやってもいいという逆説的な境地にさえなってしまう。うだうだ会社の延長で仕事の話をしながら帰りたくないし、では仕事の話じゃなくて個人的な話ならできるかというとそれもちょっと・・・。なんとなくこれまで聞いている彼女の話からは、彼女のご主人は結構わがままっぽい人だなという感じがする。人の亭主なんかどんな人でも私に関係のないことではあるが、わがままな人の話を聞くのが私は嫌いなのだ。その上、ひとみさんはなんとなくそういうご主人のわがままっぷりもなんのそので、目を細めてさらに甘やかしているという感じに見えてしかたがないし、どうも趣味・趣向も私やクマイチの路線とは共通する部分もなさそうだ。私が彼女を後任に選んだのも、今だけちょっと密に一緒に過ごせば、しばらくしたら東西に離れるということがわかっていたからだろうと今、思うわけで、もしも一緒に同じ場所でやっていく人を選ぶとなると、違う人にしていたかも、というところはある。ひとみさんは(新米ではあるが)資質としてはリーダータイプだということは残るみんなにもすぐわかったようだし、それ自体は正解だったが個人的感情としては、誰にも言えないところで疑問が残る、というびみょーな展開になっている。(こういう日記だから書けるのであって、後は誰にも言えないではないか)こう言っちゃなんだが、今日やっぱり彼女とは個人的には友達になれないと思うような小さな出来事があった。これはその時にいたみつこさんもまさこちゃんも気づいていなかったと思う。ちょうど今、休暇中のゆみさんの机にひとみさんを座らせて研修していた時に、私がちょっと緊急の電話でしばらく時間を取っていた後に彼女の近くに戻ると、彼女が不要な紙にホコリを乗せ、まさにそれを捨てようとしていて「ほら、きたなーい、マウスの裏を掃除したらホコリだらけ」と私にそれを見せながら言ったのだ。この一瞬、私はこの人とは友達になれないと思ってしまった。うちの業務上、人の机を使って仕事をするというか、日によって場所の違う机で仕事をすることが出てくるので、私は、みつこさん・ゆみさん・ゆきちゃんの定位置に時々座ることがある。やはり人によって机の上の管理のしかたが違っていて、仕事はきちっとやるわりに、あまり机の上のホコリやお菓子の屑を気にしていないのがみつこさんなのがいつも意外だ。掃除・整理嫌いを公言してはばからない私が、みつこさんの机の上のちょっと汚いところは気になってしかたがないのだが、私はそこに座る日は、絶対に誰も見ていない時にいつもみつこさんの机をささっと掃除してしまう。ゆみさんの机に座る時は、机よりも椅子。家で飼っているネコの毛がいっぱいついていて、ネコ好きの私でもちょっとアレな量なので(よくほっておくなと思うが)できるだけ浅く座り、誰もいない一瞬を狙ってガムテープで取れるだけ毛を取ってすばやく捨てたりしてしまう。マウスだと、これは誰のマウスでもそうだし、昔からあるボールのついたマウスでも光学式マウスでも、ある一定の期間にどうしても裏のゴムの部分にホコリが溜まることがある。しかし、私はマウスの動きが悪いなと思ったらくるっとひっくり返してホコリを拭き取るだけで、いちいちその元の持ち主に「マウスの裏が汚いよ」とも言わなければ「会社の椅子だからもう少しネコの毛は取ったほうがいいよ」とも言わない。いや、本当はそういうことは言えばいいのかもしれない。しかし、仕事そのものの中身と違って、それぞれの人が「自分としては気になってしかたがない」コトや「そんなこと気になりますか」というコトの基準というものはかなり違うし、そこをわざわざ口に出して指摘することは私はしないタイプなのだ、いい悪いではなくて単に口に出すタイプではないのだみつこさんの机が汚れていれば、そこをその時に使っている私がちょっとキレイに拭いておいたらいいかと思うし、まあ、ゆみさんのネコの毛大量付着椅子はみつこさんの机よりはちょっと問題が大きいとは思うが(椅子は会社のものだから)こういうことって、人から言われないと気づかない事実であろう半面、人に指摘されることでそれがいつまでもしこりになる人もいると思う。ちなみに私なら同じことは言われたくないなと思う。(だから、この掃除・整理嫌いで見栄張りなの私は、他人から見えるところだけは神経質にきれいにしてしまう)指摘されることで、恥をかかされたというのとはちょっと違うけれども、何か触れられたくない部分に触れられたような気持ちになるだろう。もともと自分が気をつけていたらいいことだったけれども気づかなくてとか、気づいてはいたけどまあいいやって思っていたようなことだと。だから、ゆみさんの使っているマウスをひっくり返して顔をしかめながらホコリを取って「ほら、掃除したんですよ、汚かったし」と私にそう言ったひとみさんの言葉で、日頃から自分の基準でぼーっと内在・潜在していたデリカシーという分水嶺にはっきりフォーカスが当たったように感じられた。ホコリを見せられ「汚いですよね」と言われた私は、ちょっと一瞬、答えようがなくなり「ああ、そうですか」となんともずれた言葉しか出てこなかった。こういう感覚が説明無しに理解してもらえる人と、どうしてこういうことが気になるかわからない人、という差は私にとっては、自分で想像している以上に大きいのではないかという気がした。
2007年09月06日
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日常で結構あることだとは思うのだが、こういうことはないだろうか。前から歩いてくる人とかち合いそうな雰囲気になり、その人を見て注意しながら右によけるとその人もこっちを見ながら右に(その人からすると左に)よけ、左によけるとその人も左に(その人からすると右に)よけ、というのが1.5往復くらい続き・・・最終的に眼を逸らすと、眼を逸らしたこと自体が功を奏するのか、こっちも相手も難なきすれ違いに成功する、というような経験。だから何?というお話ですけれども。<遡及日記>のどまるさんのコメントにちょっと頭の中に豆電球がついたので書いてみた。http://plaza.rakuten.co.jp/musicmatters/diary/200708290000/
2007年08月31日
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このところ、ちょっと疲れ気味。週末はやってくるが、いろいろと片付けものがあったり、もうそうそう買い物もできなくなるかと思うとセール期間の勢いを借りてまた買い物に行ったりしてしまって、この土日も決してゆっくり休めなかった。とはいえ、そういうアレな過ごし方も自分たちの都合でそうなっているのだから他に文句の持っていきようがない。仕事の上では、先月から来てくれている新人のまさこちゃんは、ちょうど夏の忙しさのピークを迎えているこの時期に、貴重な戦力となりつつある状態。人ひとりが育っていくのを見るのは、確かに人間相手なのでしんどいのはしんどいが喜びもひとしおと言える。が、肝心なのは来週。来週には私の後任となる人が来ることになっている。せっかく一人、なんとか世間に放り出したかと思うと、また今度は同じことを違うタイプで違うバックグラウンドの人に対して始めなければならない。以前、研修を専門で担当していたひろみさんの苦労がうかがえる。思えば彼女は、こっちが採用した人間に対して、初日にいろいろカウンセリングをして研修プランを決めていた。いや、内容は大筋は決まっているのだが、関連職種の経験がある人だと端折る内容も出てくるし、その人のタイプによって「マニュアルをとにかく最初から最後まで読まないと次の段階に進めない人」と「マニュアルを全部読み切らなくても、今読んでいるそのページの知識だけでできることに取り掛かってやってみたい人」といろいろある。必ずしもどちらがいいか悪いかではなく、研修をするなら、ある程度はその人にあったタイプの形に順応させないと、教えているほうもしんどいし、教わっている人も余計混乱する。私自身は決して教えることは下手ではないと思うが、なにぶんにもそれ以外の業務の種類も多過ぎて、なかなか教えることに気持ちを100%集中しにくい環境におかれている。もしもこういう仕事を専任でやらせてくれるならもっとやれると思うのだが限界はある。(以前から総務専任にさせてくれないか、IT担当にしてくれないか、教育専任にしてくれないか、力仕事担当にしてくれないか等、いろいろ打診してみたが、ことごとく一笑に付されて終わった)公私共に辛抱のしどころの時期である。この間、新聞に出ていた俳優ジェフ・ブリッジズ(大好き!)のインタビューに目が留まった。彼はいわゆるその年代の俳優の中で「もっとも過小評価を受けている一人」とも言われていて、本人もそれはわかっているらしい。その彼に対してインタビュアーが「でも、自分の俳優人生を惜しみなく楽しんでいますよね」と質問すると彼は「母がこう言ったんだ。『Remember, don't take it too seriously.(いい?そんなに重く捉え過ぎなさんな)』そして妻が言うんだ。『Remember to have fun.(楽しまなきゃ)』僕たちはこういうのをよく忘れるよね。なんでも物事を深く真剣に捉え過ぎるあまり、どんな場面でも本当はあるはずの喜びだとか楽しさみたいなことを見落としちゃうことをね」自分もちょっと忘れてきていると思う。かつては「とにかく自分がやっていることをおもしろいと思えない人が『仕事がおもしろくない』『学校がおもしろくない』と『おもしろくない中身』を自分から他の物事に転嫁してしまうんだと、強い意思で思えていた。それが今は自分の力量に対しての不安だとか(誰も周りはそんなことは言っていないはずなのに自分でどんどん自分を不安にしている)日本に帰ってからの生活リセット等でがんじがらめになっているのだが、ある種、自分で自分を縛り上げているところがあるのだろう。これについて、例えばいつ、どんな形で脱出できるかというのは自分では予測できない上に楽観視していないだけに困るのだが、ジェフ・ブリッジズ曰く「Don't take it too seriously」なのだと思う。これまでに他人からも実際、よくそう言われてきた。が、生まれ持った性分はそう簡単に抜けないという現実もあり、なかなか調整していくのは難しいなと苦笑したりするのである。
2007年08月14日
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両方とも45分進めておいてあるベッドサイドテーブルの2つの目覚まし時計の1つめが今朝、びゃーんと鳴った時「あーん、うるさい。土曜やからもうちょっと寝るで~」と、反抗的な気分で舌打ちをしながら目覚ましのベルを止めた。んもー、せっかくの惰眠を中断されていまいましい気持ちでベッドの中でへの字口になっていたら程なく、今日が金曜だったことに程なく気づいた。・・・くそっ。という出だしを一日中引きずったような金曜だった。おやすみなさい。
2007年08月10日
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舎路人さんが「しばらく更新がないなと思ったら『はい、日本に着きました~』って言いそう」てなコメントを下さったので、この2日ほど日記を書かないハメになって、やっぱりそうなのか、などとどなたかから思われたらどうしようとドキドキしたが、動いていません。ちゃんといます、毎日働いています。で、別に家も片付いていません。うちのクマイチにまで「ちゃとちゃんがどっしり構えているからホントにそれでいいのかって思っちゃうんだよねー」と呆れられている始末。信用のない妻ですみません。でも、私も自分が自分でスゴく心配です。まあ、それはおいといて(これがイカンな)・・・この2日ほどは別に書くことがあるようなないようなで、夜はへたり込んでテレビを見ていた。が、実はもうこの数週間ほどの間、クマイチも私もかなり疲れているのか、テレビで9時から2時間程度の映画をやるよーという場合、2人ともが最後まで見る例が極めて少なくなっている。気がついたら、だいたい1人がぐーすか寝ている、10時頃には。なので2人でその映画についての論議を闘わせられるはずもなく、映画が終わって2人とも意識が戻った時には「最後まで観た?」「ううん・・・」「やっぱり」という、一連の情けなくて哀愁漂う会話が交わされるのみ。一昨日の夜も、ジョニー・デップが出ていた「シークレット・ウインドウ」(2004)という、スティーヴン・キング原作のちょっとしたホラーもの(?)の映画をやっていたのだが、結構な佳境にはいってしまってから2人とも仲良くテレビの前で寝入ってしまい、最後どうなったのかがぜんぜんわからない。めちゃくちゃおもしろいかというと微妙なラインの作品だったが(強烈におもしろかったらさすがに寝ないでしょう)かといって、一応あそこまで観たんだから、やっぱりどんなんでも結末は知りたいなという程度の映画(→寝ておいて、かなりのわがまま)ではあった。そりゃまー、インターネットで探せば結末を教えてくれるサイトもあるかもだが、せっかくだしなぁ、もう一回ちゃんと観たいなとは思う。ま、今週はちょっとあまり大きな動きをしないでゆっくりやっていこう。今週末はおそらくみつこさん夫妻とダブルデート。
2007年08月08日
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いやー、とうとうやってきました。なんちゃって程度なのですが、ナツビヨリ。今日は上が25度くらいで、明日が27度、明後日が28度との予想。たぶん今年はもうこれが最初で最後の「なんちゃって」夏に違いなさそうだが、私は今日も半袖のスキッパーに綿のジャンパー、そしてサブバッグの中に薄手のカーディガン持参。暑くもないのに冷房がとたんにきつくなるビルの中のことも考えると、ホント半袖いっちょうで出歩けません。今週はいろいろと心に突き刺さるような(いや、決して傷つけられたというわけではないが、それなりにぐさっと考えさせられた)メールが複数の人から来て、本当はそういうこともちょっと書いてみたかったのだが、明日も仕事なのでまた今度、考えがまとまれば。おやすみなさい。
2007年08月04日
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は?誰がって?ワタシが、です。私のよくないところだという自覚はあるが、かといって直そうと思っていないところがもっと始末に負えない。わかっているが変えられない。これだから四十過ぎたオバハンは困る、なんて言われるかもしれない。で、気にしているのかというとぜんぜん気にしていない。(爆)ちょっと前の話になるが、クマイチの会社の同僚で、私も比較的仲良くしている木村くんがクマイチに「『ドリームガールズ』のレンタルDVDを借りに行ったのに全部貸し出し中だった」と言っていたらしいと聞いた。その時、私はまだ毎日、ヒマさえあればこのDVDを観ていたので、クマイチもさすがに「ちゃとが買って持っている」とも「貸してあげようか」とも言えない状態だったのだが、その話を聞いた私は「レンタル屋と同じで、もしも一週間でよかったら貸してあげたら?」とクマイチにオファー。「えっ?いいの?」とクマイチが言うので「木村くんが観るんだったら感想も聞きたいし」と私は言った。ちょうど週末だったので、週明けの月曜にクマイチは木村くんにそれを伝え、DVDを貸した。この木村くんというのがまた、結構アンテナの張り方が私たち夫婦に似ているとは言え、少々気取り屋なところがある。クマイチはDVDを渡しながら「ちゃとが、木村くんの感想を聞きたいって言ってたよ」」と言うと木村くんは、DVDを借りたお礼を述べつつ「ちゃとさんにレポート3枚渡しますよ。まあ、この週末はちょうど用事も予定もないんでゆっくり見ますから」とクマイチに言ったそう。・・・一瞬の無言の後。ごるぁ~~~(本気では怒ってない)観たいなら観たいと言え~~週末に用事か予定があったら観られへんのか~と、自分の心の声を聞いたが、次の瞬間に気を取り直した。「キミの性格上、どんなにがっつきたい場面であってもできるだけクールに、時には興味なさげに振舞っているね。しかし本当は心の中で情熱を燃えたぎらせているのを私は知っているのだよ」ふっと伏し目がちに片頬だけで笑う私。彼はクールさを取り繕ってああ言ったものの、絶対にDVDを貸したその日に観ているよ。そして翌日、絶対にもうDVDを観たに違いない木村くんの感想をクマイチに間接的に求める。「ねーねー、どうだった?木村くん、観たって?」「いや、なんにも言ってなかったけど」「あっそう・・・」さらに翌日「ねーねー、なんか言ってた?木村くん?」「いや、なんか今日はボクも忙しかったしさ、彼と別に話してないんだよ」「ふぅ~ん」またまた翌日「どうだったー?木村くん?」クマイチはそれには答えず、しげしげと私の顔を見た。「ちゃと、あのさー・・・木村くんはね、週末に観るって言ったんだよ。わかる?しうまつ」「うーん、でもさー絶対すぐ観ると思ったんだけど・・・観ないか?ふつう?」かすかに抵抗する私にダメ押しするかのようにクマイチは向き直り「あのね・・・DVD借りたからって、その日に絶対に観ないと治まらないっていう性格ってさ・・・ちゃとだけ、だよ・・・」がっがーんホンマですか~~~?私だけ???いや、絶対そんなことないでしょうよ。確かに私はDVDを借りたら、それが人からであろうとレンタル屋からであろうと、それが一週間レンタルであろうと、その日に観ないと治まらないのは確かだ。だけど私の驚きはひとえに「みんなはそうではないのか?!」というところにある。木村くんに貸したその「ドリームガールズ」のDVD、簡単な感想とともに返ってきた。(悲)その後、会社でこの「ドリームガールズ」の話になり、それから「ラヴ・ソングができるまで」もはまったのでDVDを買ったという話になり、ゆみさんとゆきちゃんがそれぞれ観たい~と言ってきたので会社に持って行った。2人の間で「じゃあ私が先にこっち」「じゃあ後で交換しよう」と盛り上がっていた。貸した日だけはね・・・それからすでに10日。ゆみさんもゆきちゃんもなーんにも言ってこない。(爆)誤解のないように言っておきたいのだが、私は別に感想を強要したいという気持ちにかられているのではない。観たいといって借りたDVDをそのまま何日も、借りただけで観ないで置いておく(それなりの理由があっても、だ)という行為が自分の辞書にないという手前勝手な理由でただ驚いているだけだ。時々、ゆみさんやゆきちゃんや、みつこさんまでもが「アレ、よかったよ」とか言って勧めてくれるものもあるのだが、なにせヘンクツな性格のため、そう言われても興味がないものを借りたり誘ってもらったりはしないことに決めている。先日もゆきちゃんからみんなに「コレコレこういうバンドのライヴがあるけれども行きませんか」とお誘いがあったが、ほぼ即答で断った。(笑)ぜんぜんそのバンドや周辺を知らなかったし、知りたいという気持ちがなかった。つくづく愛想がなくて申し訳ないが、だいたいあんまり付き合いでアレをする、コレをする、という習慣がないので。もちろん「興味がない」と言って断ったわけではないが、悪いがちっとも心が動かされなかった。知らないものを食わず嫌いで断ることでソンしている部分も確かにあるとは思う。が、そんなに関心を持ってもいないのに無理やり経験してみて、結果「なーんだ」と思うのがちょっとイヤ、というところがある。反対に、すっごく興味があったのに、いざ経験したら完璧な肩透かしだったということもあるだろうが、こっちのほうは自分の興味が先行した結果なのだから、悔しいが仕方がない。だからDVDでもCDでも、自分が借りたいと思うものでなければ、貸してあげると言われても私は借りないし、もちろん買わないし。相手が貸してくれようとしているから借りる、ということは絶対しないかわりに、ひとたび自分が借りたいというものはその日にすぐ観るし、聴く。別にそこでこだわりどうこう、というつもりはないのだが「ちゃとだけだよ、そんなの」と呆れ顔でクマイチに言われて、なんだか考え込んだのであった。
2007年07月19日
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この日曜に、初めてモノを捨て始めた。遅い、のである。とにかく整理する・掃除する、という行為に対しての私の(クマイチも同罪だが)エンジンは完璧に錆び付いてしまっているというか、働かないに等しいのだが、そうも言っていられない。(この際だから書いておこうと思うが、実際にいつ帰国するかという期日はここでは書かない。その日に帰れなかったらいい笑い者だし、あながちそれが可能性のない話ではない)とりあえず服のたぐいは少しずつゴミ袋に入れて(いやいや、服は新しかったり洗濯してあったり、というものばかりですよ、入れ物がゴミ袋だというだけで)リサイクル・チャリティに出す準備をする。恐ろしいもので、ほとんどしていなかったベルトなど、さすがに使わなかっただけあって回らなくなっているものも複数あった。(爆・・・すごいな)それ以外に、まあサイズは大丈夫なデザインだけど年齢的にも、これはもう日本じゃ着ないでしょうと思うものとか、まだまだ使えるけどだからといって持ち帰る荷物にするには決め手にかけるカバンなど。そしてクマイチはクマイチでビデオ類の片付け。ご存知の方もあるかもしれないが、イギリスのビデオは日本のNTSC方式とは違いPAL方式なので、日本のビデオデッキじゃ見られない。うちで今ここで使っているデッキは2つあって、2つとも日本のビデオももちろんこっちのビデオも見られるマルチ方式のやつなのだが、すでに時代がビデオを要求していないし、どうしても残しておきたいビデオもいくつかあるが、それが日本で普通に見られるようにするための手間暇をどうしてくれよう、という気がする。クマイチは「1つ、こっちのデッキを持って帰るか?」とも言っているが、果たしてビデオデッキだけの問題だったっけ?テレビも対応していなければいけないんじゃなかったっけ?ああ、もうわからない、そんなややこしいことは私に聞かんといて。もったいない話だが、過去にテレビから録ったビデオもあれば買ったビデオもあったのに、ちょこちょこ同じもののDVDも買ったりしてきていたため、そうなるとビデオは不要ということになるのだが、不経済極まりない。(嘆息)そのうちにクマイチは、音楽の機材を知り合いに譲ろうと思ってちょっと電話を始めたら、帰国の話から始まるもので、私がせっせと作業をしている間、彼は思わぬ長電話をしていた。まだ始まったばかりなのに気が遠くなるような作業である。
2007年07月16日
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日本に上陸した台風では最強との新聞記事を読み、特に九州・四国地方の各地域の被害が心配になっている。その地区にお住まいの皆さん、どうぞできる限り注意なさって下さいませ。取り急ぎ。
2007年07月13日
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一日休みを取って、業者がやっている「引越しセミナー」なるものにに行ってきた。はっきり言ってあまり時間がないのだが、運の悪いことに仕事も忙しい。普通の駐在員の家なら、ご主人は仕事でも奥さんがそういう段取りをするのだろうが、うちの場合は今、私も忙しけりゃクマイチも忙しい。こうなったら多少高くついても、自分たちで荷造りしないで業者でぜーんぶやってもらうように考えようかという気がしてきた。別にそこの業者に決めたわけではないが、とりあえず最初、何から考えていいかすらわからなかったので一度そういうところに行ってみなければと思ったのだ。まあ、参考になること、たいして参考にならないこと(イギリスを引き上げる時には食器類だとかアンティークの家具だとかを買って持って帰りたい人も多いし、そういうものでなくてもちょっと高価な買い物を帰国免税でしていこうという人も多いのでそういう手続きの説明もあったが、私たちはそういうものにまったく興味もないし、要はCD類・本・服を持って帰れたらいい)・・・いろいろあった。それが終わり、クマイチに電話してお昼を一緒に食べることにした。折りしもロンドンはセール真っ最中なのだが天気が悪く、いつ降り出すかわからない空模様だったので、たいしてうろうろもせずに家に帰った。考えたくないが考えないといけないことが目の前に山積みだ。
2007年07月10日
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気がついたら日記ともご無沙汰になってしまっているのだが、まあ毎日とりあえず来るもの来るものにぶち当たり、時々すかしたりして(笑)、等しく万人に与えられた時間を過ごしている現状。今、実際にどんな毎日を送っているかというのは詳しく書くわけにはちょっといかないのだが(これが書けることであれば、それなりにネタではあるのだが、時間もないことで)とにかく会社には日に11時間くらいいる。が、家に帰ったら帰ったで、3日に1度くらいは副社長のリチャードから自宅に電話がある。(注.彼はイギリスよりも時差の遅れたアメリカの某都市に普段いるため、私が家に帰った頃くらいしか彼の手も空かないし、後任の人選の件他、話の中にはこちらの他のスタッフに聞かれたくない話もあるため、夜に自宅で電話を受けるしか方法がない)合計すると、とにかく1日のうちの16時間くらいは仕事関連の件に費やされてしまっている。おかげで、自分自身の帰国の段取りのようなことを始める時間がまだ物理的にまったくない。もともとそういうことを考えること自体、できたら避けたい不精な性格であることも手伝って余計にそういうことに見て見ぬフリをしてしまっているが、後で困るのは自分だ。だが本当に今はもう「忙殺」という言葉の意味を体で知り尽くしているような毎日で、日記を読むとか書くとか、そういうことに時間がかけられない上に精神的にも余裕がなさ過ぎて、普段なら気がつくようなことにも気が回らないというていたらくだ。その上、帰国することを知った友達から、会える時間が取れないかとお声がかかる。それ自体はうれしいような複雑なような、で、これはこれでむげにできないと思うものの、作業時間がその分、減っていくし。一日、目が腐るほど寝てみたい。今度そんな日が来るのはいつのことになるだろう。
2007年07月01日
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ロンドンにいる時は、今の夏時間だと午後4時に日本は日付が変わる。でも、夜になってその日の日付の日記を書くのなら、それでもイギリスじゃまだ日付は変わっていないんだから日付通りに書けばいいのに、その時点で「もう翌日分を書ける設定」になっているもので、どうしても翌日の日付を追うように書いてしまうことが多い。しかし日本にいると、もちろんその時間通りに日付が変わるし、やはり11日にあったことだったら夜中の0時になって12日の日記を書ける設定になっても、やはり12日の枠に日記を書く気には100%なれないのは当たり前だ。ロンドンと日本とをあまり頻繁に行ったり来たりしていると、こうして日記を書くにも時間のズレとかちょっとした混乱がどうしても生じてくるのを感じるし、おまけに今日なんかは午前中に、アホみたいに3つも書いたものでネタがない。明日は、この間日本からロンドンに戻ってきた私を追いかけてくるようなスケジュールで、日本から名誉会長と、この人のビジネスパートナーがロンドンにやってくる。泊まっているはずのホテルに3度も電話したが部屋には不在。困ったな。70過ぎても一人で出張作ってアフリカに行っちゃう人だから別に私がアテンドしてあげなくてもロンドンくらいなんてことないおっちゃんなのだが、せっかくだから付き合ってあげたいのに、その打ち合わせがなかなかできない。仕方ないので明日の朝8時半くらいになったらもう一度電話してみよう。ということで今夜はもう寝ます。
2007年06月10日
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さて、復路に恵んでもらった(泣)ビジネスクラスのおかげで、その日の午後遅くにロンドンに到着した後、翌日の金曜とその次の土曜と連続でそのまま出勤するだけの体力は温存できたとは思う。しかし、機内でも咳がしつこかったし、実は今に到るまで本調子には戻っていない。この某航空会社から恵んでもらったビジネスクラス、この間たまたまここのHPを見ていたら、最近になって新機種を導入したとかで東京~ロンドン間もこの新機種の導入路線になっていた。お金も払わずに申し訳ない気持ちではあるが乗ってみていちばんに感じたのは、座席の横幅が狭いな、ということだった。このところの航空会社のサービス(というより機種の内装だとか座席に付随する機能みたいなものは航空会社ではなくて航空機を作っている会社によるのだろうが)ではビジネスクラスもファーストクラスもいかに水平に近いところまで倒せるか→寝そべった時のタテの長さを誇っているところがある気がするのだが、そこにだけ重点を置かれて開発が進む間に、どうもおケツの幅の収まり具合に対する配慮がおろそかになっているではないかと思った。これは非常に由々しき配慮不足と言わざるを得ない。そりゃ「アンタのサイズの問題だ」と言われれば身もフタもないのだが、私は世界標準で考えればすごく横幅が世間を凌駕しているようなサイズでは決してないし、その私が「狭い」と思えば、もっとビッグな世界の皆さんにはもっと狭いのは事実だと思う。で、タダ乗りなのに遠慮なく言わせてもらえれば今回の某社の映画のセレクションは貧弱だった。(スミマセン、ホンっトに遠慮を知りませんで)観たい(観たくなる)映画がないのよ・・・いや、1つ2つはあるのだが、全体の数がめちゃくちゃ貧弱。もしも片道12時間寝ない覚悟ができていたら、往復で全種類制覇も不可能ではない。その程度の数のものすべてが心惹かれるラインナップだ、ということは皆無に等しい。私のように普段は映画館に行かないが、どうしても飛行機に乗る回数が多いので、寝る時間を削ってでもおもしろそうなのがあれば機内では映画にかけたい人間には食い足りない。最近はエコノミークラスとビジネスクラスとの間で、選べる映画の数に差をつけない傾向になってきているし、そのことは普段はエコノミークラスに乗ることのほうがが当然多い私には非常にありがたい。ちなみに、このところ何度も乗ったKLMもエコノミークラスとビジネスクラスでの上映映画は同じだが、こっちは数が膨大だ。今の今、ヒットしているものと、いわゆるクラシックなタイトルとして普遍の人気を誇るもの、子供向きのもの、ワールドシネマ・・・今、思い出す区分でもこれくらいはあり、1つの区分に最低8つはチョイスがある。それから少し機内食に触れておくと、うーん・・・これも厳しいが、今はビジネスクラスくらいだと、びっくりするほどオイシイとかキレイだという感じではなくなってきているのだろうか。特に日系の航空会社は、宣伝文句で「ドコソコの料亭のプロデュースでこういう料理を出してみました」「お好きな時間に乗務員に声をかけて下さればお持ちします」とか呼びかけてはいるが、そういうアピールと中身は、本当は別のような気がする。数年前に行ったシンガポール航空の機内食は一応レストラン並みのクラスを保持していたし、それこそKLMの機内食も決して悪くない。そこへいくと日系の航空会社は、なんだかちょっとアッパークラスの座席を売る時のウリの方向性がひょっとするとちょっとズレてきているのではないか、と思わなくもない。しかし、今回そういうことを考える機会(言い換えれば楽天のネタか?)を与えて下さった某航空会社様のご配慮には心から感謝いたしますです、はい。単独で日本から帰ってきてロンドン・ヒースロー空港に着くと、家に帰るまでは結構つらい。やっぱり荷物があれこれあるし、それを持ち運びながら空港の中をうろうろする時にトイレに行きたくなったりすると特に。本当は出張帰りだし空港から自宅までタクシーで帰って会社にそれを請求しても構わないのだが、タクシーだとおそらく50ポンド程度の出費で、日頃の感覚からするとたか~いと思ってしまうし、それを会社に請求するのはどうしても気がひける。この際、市バス(2ポンド)に1時間40分乗りましょう。(笑)このバスにさえ乗ってしまえば、後はクマイチが最寄りのバス停に迎えに来られるタイミングになる。特急でも急行でもない、普通の各停バスに乗車中の後半の時間にクマイチから電話があり、荷物もあることと、工事が続いていて道ががたがたになっている自宅付近の道をスーツケースとともに歩かなくていいように、車で迎えに来てくれるという。「じゃ、もしも車で来てくれるんだったら、そのままDVDレンタルしに行っていい?」とクマイチに聞いた。「ええー?でも疲れてるんじゃないの?」と彼。「どうしても一緒に観たいやつがあるし」と私。クマイチは苦笑しながら「いいよ、ちゃとが大丈夫なんだったら」と言い「なんの映画?」と聞いたが「ヒミツ~」と答える。「あ、ひょっとして、アレ?」と聞かれたので「そうそう、ソレそれ」と答えた。彼はわかっていたみたいだ。私は今回の日本往復でその映画を機内ですでに3回観ており、さらにもう1回観ようという魂胆があったのだった。(爆)
2007年06月07日
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今日も慌しく買い物と野暮用と荷造り(めんどくさがりのため国内移動でも私はよく送るのだ。スーツケースを持ってJRの駅や一般の歩道を移動するのはキライだ)で過ごした。明日は東下りである。(東下り、などと書くと東の人に怒られそうだが、昔はそう言ったのだ)本当は今回、少し電話したかった友達も何人かいたが、今日くらいになるまで風邪が長引いて声が出ない状態だったので断念。今回こそはもう、カラオケに誘われようと絶対行けない体調(おもに喉の調子)なのが痛恨。明日からは日記を書いてUpしている余裕はなくなりそうで、次はおそらく週末かなぁ。お休みなさい。
2007年06月02日
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四十九日の法要を昨日終えて祭壇が取り片付けられ、父はお仏壇の中にはいった。おかんも私も今日はかなり遅い時間まで寝ていた。起きられなかった。おかんのほうはやはり気抜けしたのだろう、これまで来客も多くて張り詰めていたものが一気に緩み切ってしまったのだと思う。私は長引いている風邪の影響。まず何よりも起き抜けはぜんぜん声が出ないありさまで、少しずつでも声を出して人としゃべっているうちになんとかいつもの8割くらいの調子になるという感じ。5月の中旬くらいまでは、日本ももう暑いらしいとあちこちで聞いていたので覚悟をしてきたのだが、あにはからんや涼しい・・・今日から6月で暦の上は衣替えなのに、である。思えば3月に2回帰り、4月に1回帰り、そして今回と、とにかく帰ってくる前は「さすが日本で、かなり気温も高くなっている」と聞いていたにもかかわらず、帰るたびに異様に気温が低くて調子が狂ってしまう。弟は今日の午前中に実家を離れていった。弟は一昨日の夜中に四国を車で出発し、昨日の朝の法要前に実家に着いたので、実家での滞在は24時間程度。相変わらず変わったヤツである。どこが、と言い出せばキリがないし、まあ最近の弟にもいろいろとあるので一概にここに書ける話でもないので省略。ただ一つ言えることは、私の考えるところのものの常識というものと彼のそれとは、非常に大きく違うということ。ここでついに、久しぶりに私と弟とにおかんが落とした爆笑爆弾。(いや、今ここで書いても別におもしろくもなんともないかもしれないが、私たちはもう呼吸困難を起こしそうになった)弟が言うには、最近、携帯電話を新しく買ったそうなのだが、その携帯電話には顔を認証して使用制限を加える機能が搭載されているらしい。弟「そやけどな、これがかえって厄介でな、ワシの顔を認識しよらへんねん。わははは・・・」私(つられて)「わははは・・・」と2人で笑っていた。当然、私と弟のツボはそんな認証機能、役立たずだったはずで、わざわざ言及せずとも私と弟とはまず間違いなく同じ意味合いで笑っていた(と思われる)その一瞬、その話に積極的に参加しているとは知らなかったおかんの背後からのひとこと。「なんで?人相が悪いからか?」私と弟は0.2秒くらい固まる。すばやくおかんの顔を見たら完璧な真顔だった。どう考えてもウケ狙いとは思えないおかんのリターンエースに私と弟は大爆笑。2人とも身を二つ折りにしてひーはーと、出ない声を振り絞って笑い、私は咳き込み弟は涙を流して「おかん、なんでそういう発想がすぐ出てくるねん?」と弱々しく反撃。うちのおかんのリアクションは本当に怖い。自分の言葉の及ぼす影響をほとんど考えていない人の発言は極限知らずだ。夕刻になってから、そのおかんと一緒に百貨店に出かけた。おかんはおかんの用があり、私は私で百貨店以外の場所に用があったのだが、帰りは待ち合わせして帰ろうということになり、おかんに(使わないから)ちっとも覚えない携帯電話(→父の危篤の時に弟が買ってやった)の使い方をおさらいさせつつ、四条河原町の交差点で「ええか?用事が終わってココまで来たら私に電話するんやで」と言っておき、私は自分の用事を済ませてから元カレのやっている珈琲店に足を運んで、しばらくマスターと話していた。20分ほどしたらおかんから着信あり。「今な、○×(そこの珈琲店)にいるけど、来る?」と言うと「行くわ」と言う。おっ、今日はやる気やなと思ったが「道、わからへん」とのたまうおかん。・・・アンタ、京都市民になって何年経つねん。荷物を置いたまま、おかんを迎えに行った。実はうちのおかんは先日から「一度、○×のマスターと話がしたい」と時々言っていた。私の元上司でもあったそのマスターは、私が社会に出たての頃のまっとうな人間の指針でもあったし、おかんもそのことをよく知っていた。おかんはとにかく、父の入院時以来ずっと、いろんな話を誰かに聞いてほしがっていた。それも特に父の死後。しかし、話す内容と、話す相手と自分の距離感をいろいろ模索していると、結構その相手探しも難しかったのだと思う。私(特に私、だ)やクマイチや弟という近い身内にあれやこれやと話すこともあったが、おかんの話に賛同しようと若干否定(とか軌道修正)しようと、とにかく近過ぎる間柄では逆に消化し切れないものをおかんはいろいろ貯めていたようだ。かといって、親戚や知人だと今度はちょっと身構え過ぎて、そう率直には話せないというアラートもあったようだ。そういう中で、そこの○×のマスターは、うち一家のことを結構よく知っていて、世間の常識もその年齢なりに弁えていて、しかし、だからといって今、別にこちらが客であるという以上の深い付き合いはないし・・・おかんにとっては、利害関係もないが何か「この人だったら聞いてくれるだろうか」という気持ちがこの間から無性にあった。道の途中までおかんを迎えに行き、○×まで一緒に連れて来る。マスターとおかんは久しぶりの挨拶をしていた。最後に会って5年かそこらはご無沙汰のようだったが私もはっきりとは知らない。おかんは一人で出かけないし、ここに最後に来たのがいつであったとしても、たぶん父と一緒だったのだと思う。私のほうはもうあまりしゃべらないようにしていると、おかんがマスターにぽつぽつと父のことを話し出す。マスターのほうもお父さんが亡くなって去年13回忌を勤めたそうで、今はかなり高齢になられたお母さんが、マスターのお姉さんと2人暮らし。そういう背景にもなんとなくおかんは共通点を自分なりに感じていたのかもしれないのだろう。マスター自身、商売柄もあってこういう年代の人の繰り言に慣れているので、2人で会話が成り立っていた。(しばらく他のお客も切れていたし、2人で放っておいても大丈夫そうだったので途中で私はその間にひとっ走り買い物に出かけた)結局、おかんを連れてきてから1時間半くらいはいただろうか。おかんが「長いこと勝手なことばっかりしゃべってすんまへんどした・・・私らが長居してへんかったらちょっとは気も体も休まったかもしれんのに・・・」と言うとマスターは「またいつでもしゃべりに来て下さい」と。マスターはお店の外まで私たちを送り出してくれて再度おかんに言った。「あのー、ここの道だけちゃんと覚えといてもろて(笑)忘れんうちに来て下さいよ」おかんに「前からマスターと話したいて言うてたけど、今日くらいにしといてよかったやろ。もっと前やったら、話しながら泣いたりしてたんちゃうか」と言ってみた。「そやなぁ、やっぱり今日くらいでよかったんかなぁ」とぼそっと答えるおかん。おかんにも、そういう世代も職業も来し方も違う友達があっていいと思う。おかんも、一日一日、自分の残った人生を自分流に生きていくべきなのだ。
2007年06月01日
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いやー、今日もほんっとに天気は悪かった。悪いままで一日終わっていく。なんと今、空港から帰ってきたところだ。え?明日の出発なのにどうして今、空港へ?と聞かれそうだが、実はスーツケースを空港に預けに行ったのだった。明日は早出出勤にしてあり、仕事が終わってから空港に向かうのだが、11月に同じパターンで帰国する時(この時はクマイチはすでに日本に発っており、私一人が荷物を持って朝、家を出て、仕事が終わってから空港に移動するという超セルフサービス)帰省が長いために荷物がものすごく多くてとんでもなく大変だった上に、この時もやはり出発前にいろいろ大変だったためにその日の体調はよくなかったイヤな思い出が消えない。今回クマイチはここにいることはいるが、彼は彼で仕事もあるので帰省するのは私一人。そこでクマイチに最初、がんばって早く荷造りしてしまうから、今日のうちに会社まで車でスーツケースを運んでくれないか頼んでみたところ「どうせ往復にかかる時間は会社に行くのと空港に行くのとそんなに変わらないんだから、いっそのこと空港に持っていってしまえばいいんだよ」と。そっかーぁ!うーん、荷造り~出発、というパニック圏に突入すると、そんなところにも気づかぬちゃと一匹・・・今回の風邪は結構長引いていて、今日の回復状況はだいたい8割5分程度。まだまだ咳と痰が残っているので体力をなかなか温存し切れる状態に戻らない。発熱と頭痛が出てきた金曜から土曜にかけてほどもうひどくはないが、そうでなくても得意でない荷造りになかなか取り掛かれず。最後の最後はもうヤケになってしまい(笑)「このへんでいいや」てなもんでスーツケースを閉め、車に乗り込んだのは19時半。いやー、それでもまだ明るいですから、はい。車の中には、この間買ったNe-Yoのアルバム「Because of You」と、ちょっとそれと聴き比べたかった2000年のALEX BOYEのアルバム「No Limits」、そして山下達郎の「ARTISAN」を持ち込んで。そして帰宅。これから少しだけ手荷物の整理をして、明日はいつも通り5時半起き。機内で寝て、完全に風邪を治したいところだがなぁ・・・ということで明日の今頃は機中の人となっております。その予定です。
2007年05月29日
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調子が悪いのは喉だけだ(それでも相当イライラ感も募る)と思っていたら、全身状況も後退してきて、ついに金曜の午後は早退した。会社でPCの画面を見ていても、なんとなくゆらゆらしてきて気分が悪くなってきた。その日はそんなに忙しくなかったので、後の3人にゴメンと謝りつつ、特急に乗ってすぐに家に帰った。前夜もそうだったのだが、寝ている間に体が温まり、ある瞬間に咳が出てしまうとしばらくそれが続く。次に眠れるまでにまたちょっと時間がかかる、ということが3度ほどあったので熟睡した気がしなかった。会社を出る前にクマイチに電話して「今日はもう帰る」と言ったから彼もビックリだ。彼が「今日は休んだら?」と言ってもだいたい言うことを聞かない人間が自分で早退する、というのはかなりなのだろうと彼は思い、夕方にはまた新しい薬を買って家に帰ってきた。家に帰った私はチキンラーメンを食べ(なぜか帰りの電車の中で「帰ったらチキンラーメンや」と思い込んでしまっていた)残っていたシロップ状の薬・・・これが最後・・・を飲んでベッドにはいった。本末転倒なのだが、土曜は出勤当番に当たっていて、どうしても出なければいけないと思ったので金曜は早退してしまうことに決めたのだ。金曜は早退しても他のメンバーがいるが、もしも土曜に私が休んだら(こんな近くなって他のメンバーに代わりに出てくれとは言いづらい。それにこっちは月曜も祭日だから、みんなの3連休に差し障る)夜間と休日の引き受け部隊に土曜の昼間もお願いしないといけなくなる。それはしたくなかった。こっちは月曜も祭日である以上、土曜までの仕事はその日に自分たちのチームでなんとかしておかないと、火曜に出勤した時の仕事の残り方に影響する。土曜の朝、5時半に起きて出勤準備。クマイチはリビングルームで寝ていて、私が起きると自分も起きて着替え始めた。私を列車に乗せず車で私を送っていく気満々だったようだが、私は他に郵便局に行ってもらいたい用があったので、自分はいつも通り電車で行けるし、家でゆっくりしていて郵便局にだけ行ってきてほしいと彼に頼む。彼はうちの会社の近くにも郵便局は絶対あるはずだから送っていくと言ってきかないが、私がこんな不調の時に彼が共倒れしたらもっと困るので、私が出かけたら寝直すように言って一人で家を出た。幸いなことにあんまりややこしい用件で手を煩わされることなく出勤当番終了。しかし、クマイチが新たに買ってきてくれた別にシロップ状の薬(薬局でまた相談して買ってきたらしいが、テレビのCMでも見たことがあるやつだ)を飲んで家を出たら、会社に着いた頃、やたら心臓がどんどんしていてちょっと心配になった。家に帰って新しいそのシロップをよくよく見ていると、なんのことはない。かなりアルコールがはいっていた。(爆)火曜に日本に帰ることを考えると本当は一度はその前にお医者さんに行ったほうがいいような気はしてくるが、すでに連休に突入しているし、この時点で開いているのは緊急外来しかないし・・・今日もおとなしく家で休んでいるしかないのだが、肩が詰まってきた気がする。すでに何度かサロ○パスのお世話になっているので肩の皮膚もいい加減ひりひりしてきた。しかたない。やっぱり荷造りはもう少し先だ。
2007年05月26日
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昨日は一日カシコくおとなしくしていたのだが、やっぱりすぐには軽快しない。体がすごくしんどいとかではなく、今日も問題はほとんど喉だけ。喉だけとは言うもののこれも存外苦しいものだ。会社にものど飴2種類(1種類だと飽きる)とビタミンC入りのミネラルウォーターを持っていったのだが、のど飴を舐めているうちに、のど飴特有の甘さというか貼り付くような感覚が喉からはがれなくなる。今週の火曜、仕事が済んでから夜の便で日本に向かうことになった。その週は京都にいて、次の週に東京。実家に帰って、それから仕事、という途中スイッチパターンはこの2年半ほどの間、何度かこなしたのだが、これが結構不便で・・・(嘆息)会社のほうはよかれと思って出張を人の帰省とくっつけてくれるが、仕事が混じると仕事用の服と靴がまったく余分な荷物になるし、実家近辺で食料品などを買い込むと、それを持ってえっちらおっちら東京に移動し、そして成田に移動するというのも本当に厄介だからどうしても買い控えることになってしまう。私などは別に中一日とか中二日あればこっちと2往復したって構わないのだが、人によっては飛行機が嫌いな人もいるからなぁ。仕事がかなり押せ押せ状態なので、今も宿題をちょこちょこやっている途中。でもなぁ、ここであんまりムリしてしまって後の日程に差し障るほうがもっと怖いから、いい加減にキリのいいところでやめて寝ることにしよう。
2007年05月24日
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今日は休んでイマス。体調が悪かったからではなくて、用があったので最初から休みを取っていたのだが、やはりあまりの体調の悪さに結局、一日休養することにした。クマイチが朝、家を出る時に「出かけたら離婚だからな」と言われたので、思わず「おう、やるならやってみーや」と偉そうに言ってみたが、今週・来週とこの先のことを考えると、今日外出して明日以降倒れていたら、これは確かに高得点でアホ印がつく行動だ。約束していた先に電話で断りを入れたのだが、はっきり言って、この声がすべてを語るというひどさである。昨夜は喉越しが悪いのであまり食欲がなかったが、その後どんどん喉の不快感アップ。10時までにベッドにはいったのだが、何かやっぱり寝苦しく、朝方だと思って起きてリビングルームにいったら(ベッドの隣りがカラだったので、クマはいったい朝方まで何をしているのかといらつき気味で)クマはPCの画面をずーっと凝視していて、私が斜め方向から部屋にはいったのにも気づかず。ぐぁ~と手を振ってアピールしたら初めて彼が「おぉ~~~、びっくりしたで~~~~」と言った。「なにしてんの、こんな朝方に」と言ってミニコンポについている時計を見たら、なんとまだ夜中の12時過ぎだった。喉は絶不調。但し、とりあえず起きたついでに熱をはかってみたが平熱。体もしんどいわけではないので、朝起きたら準備して予定通り出かけることにしていたが、朝になり、迷いに迷って中止。とりあえず水分とビタミンCとのど飴の三点セットを横に置いている。そしてまた昨夜飲んだ風邪薬のシロップを飲む。ついてない・・・
2007年05月22日
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やっぱり年を取るごとに、気持ちにさっさと整理がつけられないという現象が多くなってきたように思う。以前なら、その日にあったことをさっとその日の日記に書けたような気がするが、今はなんとなくすぐに消化して文字にし切れない感覚があり、しばらくの間は心の中でその時の出来事が、臭気と気泡を放つガスのように沈殿しているのも腹立たしい。1月の末から2月の頭にかけて、私は会社ですこぶるイヤな思いをしていた。その時には少しだけそんなようなことを書いたが詳しくは書いていない。会社の本部にある某部署の人間(1人ではなく少数だが複数)に後ろから刺される・・・いや、頭の真上から殴られた、と言うほうが近い。とにかく突然イヤな思いをさせられた。うちの会社の経営者である山村さんからはずっと日本に戻って本部に加わってほしいと言われてきていて、それをいつにするか考えている間に父の病気のこともあったので、ロンドンと日本を短期で行き来することはあっても、引き上げるために動くとなるとなかなか時期が読めない、そんな時に打ちのめされた。そのことが原因で2月以降、会社を辞めようかなと考えていた。急に引き倒されて泥を舐めさせてくれやがった人たちに対してケツをまくることは、やろうと思えばできただろうが、そのことで何かがすごく解決するとも思えなかった。その人たちとぶつかる闘争心以前に「こんなふうに私のことを捉えている人間が少なくともその人数いるということは、私が本部に行くことをおもしろいとは思わない人はその数以上にいるということ」と思った。山村さんがいくら私に来てほしいと思っても、私が実際に仕事をしていく上では接点は山村さん一人ではなく、それ以外の人たちのほうが当然多くなる。そういう中で私がもめる火種になるというのは会社のためにならないのではないか。そう思った。2月の後半に山村さんから「今後の予定を聞かせてほしい」とメールが来ていたが、そのトラブルのショックは思いのほか深く、私は実は返事をほったらかしてしまった。3月の初旬に1週間帰省が迫っていたので、両親にちょっと話を聞いてもらって、それから決めたいと思ったからだ。この際、会社を辞めようかとも思うといえば両親はどう言うだろう、と。私がこの年齢で日本に帰った時、もしも選ばなければ、ホントに選ばなければ働ける職場はどこかにないことはないのかもしれないが、決して甘くないということはわかる。一方、少なくとも今の会社の本部でならポジションは約束されているが、くだんの謀略のショックは思ったより大きく、自分がそれに拘泥したままで今の会社の本部で力を尽くせるとは思えなくなってきた。では、現状維持でロンドン支部にいるのはダメなのかも考えたが、ダメだった。それならいっそのこと、ロンドンにしろ日本にしろ今の会社とは縁を切り、いちから仕事を探すほうがいい。イギリスであれば仕事は絶対に見つかるし、場合によったら本当に法律の勉強をしてもいいかもしれない。が、それはどこまでいっても日本に帰らずにイギリスにいたら選択肢はいくつかあるという話。日本に帰ることを考えるなら、今の会社と縁を切ってしまえば、その先の生活の見通しは非常に厳しい。まあ、自分たちの勝手で海外で暮らすということのツケというのはこういうものだ。自分たちのことだけなら自分たちでオトシマエをつけるしかないが、苦労と心配をかけた両親に「やっぱりちょっと日本に帰るのは保留」とは今から言い難い。うちの両親は「早く帰ってこい」とか「いつ帰ってくるのか」というようなことは一度も口にしたことがない(もちろん2人の間では話しているだろうが私には。一度も)この3月の初旬の帰省時、両親に「こんなことがあった」と話した。早く本部に来られないかと言っている今の会社を辞めることも視野に入れて、そうなるとイギリスに残るということも視野に入れて、いろいろ迷っていること。ずーっと話を聞いていた父は「そら、会社勤めについてはワシはようわからんから、どうするのが正解や、とはよう言わんなぁ。結局はクマイっちゃんと2人で決めるしかないやろ。ほなワシらが日本に今、帰ってこいて言うたところで必ずそれで2人が身の立つように生活できるちう責任は持てんしなぁ」と言った。「ただ、ようわからんなりにも景気の加減を見てると今年あたりはここしばらくに比べたら、ちょーっとマシかもしれんひうような話みたいやな」と。余計に迷ってしまった。とにかくロンドンに戻ったら、一度、山村さんと腹を割って話すしかないと思っていた。山村さんに引き止めてもらいたいとか好条件を出してもらいたいとかいう駆け引きではなくて、自分の今の迷いは話すしかないと思ったのだ。そうこうしているうちに、父が危篤とのことで3週間も再び京都に帰り、ロンドンに一旦戻ったら次の1週間で父が他界。会社がどうだとか何とか具体的に考える余裕も時間もなくなってしまっていた。長くなりそうなので今日はここまで。
2007年05月18日
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昨日のことだったが、某国で強盗に遭ってケガをしたといってある女性から電話があった。正確にはこの電話はウチの誰かが取ったものではなくて、夜間に電話を転送している課のスタッフが取ったものだった。そのスタッフのほうで必要な手続きを案内したのだが、やはりこういう強襲というものはショックが大きい。その女性は朝になってからまた電話してきて、その時はみつこさんが応対したのだが、こういう場合にみつこさんのように安心感を持たせてくれる人と話すと、相手はそのうち堰を切ったようにあれもこれも話してくる。みつこさんとしては、相手の話の中でうちの作業に関わる部分はわずかでも、相手を読みながら「はいっ、終わり」と切ってしまっていい場面か、もう少し聞いてあげたほうがいい場面かを必ず判断する。(また、彼女はその判断がうまい)この時は後者を選び、電話は40分近くになってしまったようだった。現地に着いたばかりでそうそう観光もしないうちにこういうひどい目に遭ったことは本当にお気の毒、しかし、せっかく日本からやってきたのだから、これから注意しながら気を取り直してできるだけ楽しんで下さいね、等とみつこさんは締め括っていた。その後、みつこさんがその人の話からインターネットでキーワード検索していたところ、その被害者の女性、卯月さん(仮名)が自分の主宰するHPを持ち(こういうタダの日記じゃなくて)ちょっと芸能人なみの活動・宣伝・人脈作りをしている人だということがわかってきた。少なくとも地元じゃ相当ぶいぶい言わせている感じだ。そのHPを私も見てみたが、そのレイアウトといい、中身といい、いろんな意味でお金もかかっていると見たし、まあ私たち凡人とははっきりと一線を画している人なんだなと思った。HP上で見る卯月さんの活動は多岐に渡っていて・・・まあ、あんまり詳しく書くのはやめよう・・・多岐に渡って・・・いるのだが取り止めがない、というか、最終的に何がやりたいのかよくわからない、という感想に至ってきた。実際に、著名な芸能人・タレントとも交流がある(一緒に撮った写真つき)し、地元で主宰されるイベントの司会なども引き受けるかたわら、某県に買ったおうち(これがまあ瀟洒且つそこそこ大きい?)で、ご主人と一緒に自然派のお食事や特製ケーキを振舞って芸能人・タレントもお友達として集まってくるパーティーを開催したり、なのだそうだ。へぇ~、なんだかエラい華々しい人なんだね、とみんなで話しているうちに、経歴のページを発見。ナニナニのイメージキャラクター(ナニナニは知っているがアンタは知らんぞ)だとかコレコレの元キャンペーンガールだとか、みんな知っているような知らないような何かをいろいろやっていたらしく、おまけに80年代に一世を風靡した男性歌手主演のドラマにも出演した、となっている。(ちなみにウチの4人はそのどれもぜんぜん知らなかった)しかし、さすがにここまでくると私・わたし・ワタシが臭い始めるね、という話になってきた。そのHPから「マイ・フォト」みたいなページに飛んでいったのだが、ここでの写真がすごかった・・・どこかに旅行に行って観光地でピースサインしている、みたいな写真は1枚もない。全部で30枚くらいはあったんじゃないかと思うが、全部プロの写真、であった。それだけなら「ふーん」でよかった。このくらいまで来ると、自信過剰もなかなかすごいが、それらの写真の中には上半身裸になって胸を両手で隠して横たわっている姿を頭方向から足方向に向かって撮った(つまりお腹から下半身にかけての部分は写真の向こう側になっているから見えない)写真なんかもある。普通、こんな写真、撮るかなぁ・・・?そのHPはもともと、はっきりどこのダレソレと宣伝しているHPなのだ。いつ・どこで・何をやっています、てなことを宣伝し、自宅の住所も電話番号も本名も身長もスリーサイズも、そして足のサイズまで書かれていて(生年月日とか年齢はナシ)自分の経歴も、そしてご主人の経歴や写真までぜーんぶ出しているHPの中の1つにこんな写真を入れて私・わたし・ワタシを紹介しているのである。ついにゆみさんが衝撃の発見をした。「あっ!こ、これ、ちょっと・・・こんなん、いいんでしょうか?」そこには卯月さんが上半身裸の上に男物か何かのシャツをふわっとひっかけているだけの写真があった。つくづく自信のある人なんだなと思ったが、ゆみさんが「いや、そうじゃないんです」と言って、その写真を拡大した。「やっぱり・・・」とゆみさん。何がやっぱりかと思っていると、画面を凝視していたゆみさんの右人差し指が写真のある一点で止まった。「ちくび・・・です」左の乳首が羽織っていたシャツの端すれすれのところでにょきっと出ていた。透けてみえているのではなくて現物が出ていた。あれは絶対わざと出している出し方だ。(爆)ひえええぇぇ~出します?普通?乳首・・・?こんなの出してもなんにも言わないご主人ってどういう人?そりゃね、ひところ(というか今も、かもしれないけど)「若い間に自分のヌード写真を」みたいなのはあったと思うし、それは別にやりたい人がやればいいので否定はしない。それから、AV女優だったらそれが武器だから脱ぐのが仕事だろうとも思う。でもなぁ、この卯月さん、基本的には普通の人じゃないの?なんかエラく中途半端なポジションの人だけど。芸能人?・・・まで行ってない。芸能人希望?・・・かもしれない。なんでもいいけど、ここまでして「(乳首を含めた)ワタシをもっと知って」ほしいのだろうか。突き詰めれば、それもこれも人それぞれの価値観でしかないと思うのだが、どうにもこうにも「ワタシガ(ワタシハ、じゃなくて)ウヅキデス」満載のキモチワルいHPだった。だけど自分がわかっていないだけで私のこういうページだって十分キモチワルいかも、だ。(爆)自己顕示欲、という意味においては何も変わらないのかもしれない。自戒の念でいっぱいだ。(乳首は出してないが。世の中の迷惑ということくらいはまだ考えているのだ)
2007年05月17日
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誕生日だったんです。(笑)いや、そりゃもうこの年になったらめでたくもなんともない。誰かから祝ってほしいというような気持ちもなければ、もうこの年から、先の目標もあったもんじゃないし、なんせ去年の6月に父が入院してからは、なかなか気が休まらなかった。そのうちに仕事の中でも結構な七転八倒があったりして(まだその最中なのだが)わりとしんどい一年だった。で、アレなことに、そのしんどい一年が今年これからもまだ続きそうなのだ。ぼちぼち小出しにしていくことになるが、やはり今年中の日本への帰国はもうほぼ本決まり。これまでは、会社のほうが私に「いつ頃になりそう?」という打診をしてくれていたが、会社の中でもいろいろ動きがあって、具体的に「帰ってきて下さい」という話になった。相変わらず考えることは多い。まあ、それは私に限ったことではなく、人間が65億いれば、65億人分の悩みや思惑や野望があるというもの。ただ、できたらこの一年はもう少し前向きな気持ちでいる時間を長くしたいのだが。
2007年05月08日
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このところバタバタしていたが、よく見てみると28日でこの日記を始めてまる4年が経過した。結構マメに書き続けてきた最初の頃に比べると、去年の夏頃からは「毎日書く」という行為がなかなかしんどくなってきたし、たびたびロンドンと日本を往復せざるを得ないような状況が続き、精神的な息切れ感から、前ほどきちっと毎日何か書くということはできなくなった。そういう意味では決して皆勤賞とは言えないが、かといって開店休業状態というわけでもないので、自分なりにはよくやったと思ってもバチは当たらないのだろう。***本当は父について(父が他界したことだけではなく)書きたいこともいろいろある。それに、父そのもののことではなくて、3月からこっち通算で5週間以上も実家にいた間にあったような細かい出来事はまさしくこういうブツブツひとりごと日記の好材料だっただろう。が、その時にはそういう作業に回せる気力も余裕もなかった。ある意味ではもったいないことをした、と考えるのは、こういうサイト中毒者の常なのかもしれない。父がこの世を去ってしまった今、気がつくと、この間まで日ごとに気になっていた眼筋の痙攣がすっかりなくなってしまっている。とても複雑な気持ちではあるが、気持ちのどこかに、父が楽になったことが私を楽にしてくれたのかもしれないと思う部分もある今日。1時間ほど電話で話した母も、この間よりはしっかりしているように思った。
2007年04月29日
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とりあえず明日(24日)の昼の便でロンドンに戻り、翌日から出勤することにしていますが・・・いろいろなことがありますね、人の生き死にというものは。以前、自宅から葬儀を出したというのは30年前の祖父以来のことで私はまだその時は子供だったし。3年前はクマイチの両親を相次いで見送ったとはいうものの、やはり実家と義理の家族とでは場所も違えば風習も違うし、今回は実家だからこそ逆に相手に甘え過ぎたり、母や親戚の直截的な感情に不必要に触れざるを得なかったり(要するに地雷を踏んだり踏まれたり)私も疲弊して心無い言葉を口にしたり。今回は、父を見送った後の気持ちの動きや、それでもやらなければならないこととの兼ね合いから、母・私・クマイチと三者三様のベクトルがあり、かなり疲れています。母がすぐに「こんなんだったら自分もすぐに後を追いかけたほうがまし」みたいなことを言うたびにケンカですわ。はっきりいって、いろんな手続きでここまで頭を抱えて時間を取られて、これがまたもう一回続くなんてゴメンだ。それを避けるためだけにも、母には、しばらく意気消沈していたとしても追い追い自分自身の生活を取り戻してもらいたいと思う。私もいつまでもそばにいられるわけではないし、いたとしてもくだらないことで母娘は(性格が似ているだけに)ケンカになりやすい。今はとにかく一人になって休みたい・・・
2007年04月23日
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さて、突然だが明日から一週間、実家に帰ることになった。昨日今日決まったというわけではないが、なぜか書きそびれていたというか、わざわざ書くような機会もなかった。クマイチは一人で留守番。今、いろいろ考えないといけないことがあるし、人生の懸案になっている問題もあるし、決してお楽しみ帰省というわけではなく、いろいろとさざなみのような不安が今、満ち潮で押し寄せてきている感覚がある。昨夜、会社から帰ってからクマイチと2人でスーパーに出かけ、母から頼まれていたものをいくつか買い出しに行ったが、だいたいこの一週間かなりムリをしていたのと、クマイチが先週、結構ひどい風邪をひいていたので(彼はほぼ完治)今度は私がやばくなってきた。スーパーの中を回っている間に鼻がぐすぐすし始め、今、この帰省直前に風邪は困ると思い(この冬は風邪とはほとんど縁がなかった)薬を買った。が、ちょうどこの間、こちらのサプリメント屋(笑)でセールがあり、ビタミンC1000、りんご酢錠剤(これがまた臭いっ、瓶を空けた瞬間、酸っぱい匂いでげほげほした)、にんにくタブレット、カルシウム+マグネシウム+亜鉛・・・というようなやつを買ったもので、さっそくすべての瓶を開けて全部飲んだ。朝になったらほぼ治まっていて、会社ではいつも通りの体調だった(喜)ということで、これからご飯を食べたら恒例の大ニガテ、荷造りに突入(爆)明朝は7時頃の自宅出発か。それでは皆様、よい週末を。
2007年03月03日
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時期は2月で卒業旅行の時期。だから、就職する直前の大学生・短大生たちの旅行者が多いことはちょこっとこの間、書いた。添乗員付きのツアーで参加する人たちもいるし、一人で好きなところにいく人たちもいるが、なにせ比較的年齢の若い人たちが休みを取りやすい時期なのか、いろーんなところに出張っている人たちが多い。今週は、やたらと中近東とアフリカからの電話が多かった。レバノン、シリア、アラブ(ドバイ)、トルコ、エジプト、モロッコ、ナイジェリア、セネガル、ザンビア、ウガンダ、南アフリカ。(笑)女性の一人旅も多いのだが、いやー、よくそんなところに行くよ、と思うのはまあ私がそれなりに年を取って臆病になったということがいちばんの理由なのだろう。ただ、いつもギャップを感じることなのだが、場所は結構スゴいところに行きながら(とは言ってもすでにドバイやトルコ・エジプト・モロッコあたりは観光収入が国の主要産業だろうから、いっぱしの観光地だとは言える)泊まっているところがシェラトンだというのは、若干でも安心を買いたいということなのだろうか。今日もレバノンのバムドゥンから電話してきた男性。(どこ、それ?みたいな)この時期は、何か体調に問題があって電話してくる人はほぼ間違いなく下痢と嘔吐と発熱。往診を呼びたいがどう言っていいかわからない、体調の説明もうまくできるかどうかわからないし助けてほしいとのこと。一旦、彼との電話を切ってホテルと話す。流暢な英語(中東なまりはあるが達者だ)で「往診?そんなのノー・プロブレム。すぐ呼ぼうか」との返答。但し、電話回線がちょっと悪かったので「じゃあ症状とか頼みたいこととか、ちょっとFAX書いて送るね」と言ってFAXで依頼書を作ってホテルに送る。10分ほどしてから、さっき電話で話したサイードという男性に「FAX届いた?」と聞くと「ああ、もう手配したよ」「ええっ?速いなー。じゃ、それをお客に説明するから部屋につないでくれる?」「えっ?お客と話したいのか、キミは?」と言われつつお客の部屋に電話がつながり、往診の手配ができたと説明すると「ボクの部屋にももうそう言って電話がありました」と。超高速で準備完了。私がそれをやっている隣りでは、ゆみさんがトルコのカッパドキアから電話を受けていたが、またも相手は下痢と嘔吐。(笑)しかしトルコの、それもカッパドキアで、今日のホテルがまだ決まっていないバックパッカーなので往診はムリ。病院でできるだけ速く行けるところがあるかを至急探すなら、私たちから連絡しているよりも、現地の提携業者を使ったほうが速い。この提携業者がまた超高速。(爆)だいたいここは「頼む前から待ち構えてたんか」と思うような早業で毎回コトを進める。それに、今日は電話はなかったがエジプト、それからアラブのドバイ。それぞれの提携業者も速い速い・・・私たちとしては、中近東から電話がはいるたびに、一瞬緊張はするのだが、実は中近東のこういう観光やサービスや医療の従事者はだらだら対応しない。なんとなくテレビでも、何かハプニングがあったりすると、いかにもそちら系の濃い面持ちの男たちがわさわさ集まってくるようなシーンを中近東だとよく見る気がするが、およそ「人に無関心」「ニヒリズム」のまさに対極をいく、お節介焼きの人たちが揃っているのかもしれない、という気がしてくる。それに比べるとアフリカ大陸の人たちも、怠けているわけではないし、最後に結果は出してくれるのだが、必要なことが必要なタイムラインで返ってこないことが往々にしてあり「まあ、いつかはなんとかなるよ」的な状態が多いので苦笑。それらを考えると、やっぱりヨーロッパは理屈っぽい。(爆)やっていないことの言い訳が延々と返ってくるし、それを言っている間にやっちまえよと思うことも多いが、言い訳や立場の正当化が表にがんがん出てくる文化なのだろうか。そういうわけで、もちろん混雑の激しい市場なんかでスリやサギっぽい輩に会うことも少なくはないだろうが、意外や意外、困った時に結構親身になってしゃっしゃか助けてくれる「踏み込み一般人」は中近東に多そうだという結論に達した今週であった。
2007年02月17日
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つい2週間ほど前に、かーなーりー落ち込んだことが原因でとても日記を書こうと思える心境じゃなかったと書いたのだが、それからまた数日復調したのに、今また再度沈黙。今度は別に落ち込んでいるというわけではなくて(あの時のどん底の状態も目をつぶってできるだけやり過ごしてきたし)単に忙しい。1年ぶり~2年ぶり~3年ぶりの友達(それぞれのチャンネルは全部別なのに)から、なぜ今頃思い出してくれたのか(笑)メールが来るわ電話が来るわで、昨夜も思わず2時間近く話し込んだ。もともと長電話、いや、電話自体がそう好きでもないのに、一旦そういう穴にはまり込んでしまうととことん行ってしまう。メールをくれた友達のほうにも一人ずつ返事を書いているのだが、まだ追いついていない。その上、2月になると途端に卒業旅行の若い人たちが怒涛のようにヨーロッパやアフリカに流れ込んでくるのでもともと仕事に忙殺されて、家に帰ってきた頃にはあまり余力が残っていない。書きたいことがないわけではないが、それに先立つ時間が確保できない日が少々続きそうだ。
2007年02月14日
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*怪我の具合この間、いやっちうほどぶつけ&ずるずる引きずった左脚前部、足首と向こう脛の間。大きかった2箇所の傷のうち1箇所はほぼかさぶたもなくなり、どす黒く色の変色の痕だけになった。もう1つの500円玉サイズだったヒドいほうの傷。こっちはまだ多少「キズだっ」という程度には残っているが、傷の周辺が多少痒くなってきたので、あと1週間ほどすれば治るだろう。しかし、これらの擦り傷をこしらえる直前に足をがつんと電車の乗り口にぶつけている。その打ち身の部分がまだ痛くて、いまだにフタコブラクダのような凹凸がこの部分にはっきり残っているし、サイドゴアのショートブーツを履こうと思うと、分厚いタイツ+靴下+ブーツの順に周到に履かないと、履き口がちょうど当たる部分なので痛くて困る。怪我をしてから2週間過ぎてしまったのにまだこんな状態だなんて、結構ひどい怪我だったんだなぁとつくづく。*冷蔵庫冷蔵庫がおシャカになって、明日の土曜でちょうど2週間。今週の月曜に、代替の冷蔵庫を持ってくることになっていたが、来なかった。その日の朝、突然連絡があり、設置業者が「注文する商品を間違えた」のか「注文先が間違った商品を持ってきた」のか、本当はもっと他に理由があるが真相は秘密なのだか知らないが、とにかく来られないと言ってきたのだった。クマイチは朝から業者を待つために出勤を遅らせてくれていて、業者はそれも知っているのに「アイム・ソーリー」で終わらせやがる。・・・ビバ・イギリス。クマイチも業者と電話で言い合いになり、ちゃんと決着をつけて早く返事をして来いと言って電話を切ったらそれっきり。できたら業者と直接話せば速いと思って不動産屋の了解を得てそうしていたのだが、かえってスピード急低下。そのうちに、なんとか動いていた冷凍庫もダメになってしまい、その日の夜は、冷凍していた食品を使えるだけ使おうとしたが、いくら私たちでもそんなに食べられるものではない。傷みやすいミンチ肉等はあっさりあきらめて処分せざるを得なくなった。もったいないとは思うが、冷蔵庫が壊れたこと自体がアクシデントだったのだから、こんな時にケチケチして、傷んだものを食べて腹を壊していたらどうしようもない。クマイチは私と生活するようになってから、怒る・苦情する、ということを少しずつ覚えてきたので(爆)「とうとう食材もダメになってきているし、冷蔵庫が使えないから献立に制限も出てきてガマンしてるのに、いったいどうなっとんじゃ」と、また不動産屋にメールで苦情したら、やっと今日返事があって、次の月曜に配達だと。**イギリスは、土日は物事が動かない国ですから、ハイ。ホンマに来るんかいな、冷蔵庫。とにかく、今週もかなり冷え込んで雪がたくさん積もった日もあったので、傷みやすい食材はすべてキッチンの窓際に置いて窓を開け放つ。(向かい側はビルの壁で、窓もないから、ここだけは開けておいても大丈夫なのだ)おかげで全部の食材がよく冷えていた。(爆)今週はまあこんなところかな。
2007年02月10日
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今年になってから、100%毎日ではないけれども、去年の後半に比べるとほぼ毎日書き続けてきたのが急に止まったのには理由があった。ある人たちからメッタ刺しにされた。いや、実際に体に負傷したわけではなくて単なるメタファーではあるが、はっきりいって、今この年齢でこれだけ人から攻撃されると立ち直りがきき難いと思うくらい、叩きのめされた先週だった。その夜、クマイチの顔を見たら号泣するだろうと思ったけれども、なぜかそこまではいかず。私の身に起きたことをクマイチに努めて淡々と話しているうちに、ちょっとは涙もこぼれたが、それ以上にはならなかった。私が刺された「痕跡」を見せると、クマイチのほうが目を三角にして怒っていた。私自身は「今こそ『憤怒の河を渡る』」という、その河岸にいながら、結局はそこにじぃっとしゃがんで河の流れを何時間も何日も見ていただけのような気がする。これ以上ないくらい傷ついたという自覚はあったが、それ以上、激昂も反発もするだけの気力が殺がれ、静かに息をひそめて日にちを今日までやり過ごしたというのが本当のところだった。だいたい仕事でもそうなのだが、ヘンな客にひっかかったりすると、その後始末にかかる心的負担はもとの時間の三倍かかる。1)その、ヘンな客との実際の応酬にかかる最初の手間と労力(つまんない)2)そのやりとりの直後にその経過をシステムに入力するエネルギー(かんべんしてくれ)3)そしてクライアントが後からねじ込まれた時に準備できるよう、クライアント用報告書(無言)つまり、最初のやり取りだけで十分に生気を吸い取られてしまっているというのに、その追体験をあと2回もやらなければいけない時の情けなさ・トラウマ。仕事の時ならしかたないからそれはやるよ。1年前の私だったら、それぞれの過程をしぶしぶ終わらせるごとに会社の裏庭に出てタバコを2~3本吸って、苦くて白い煙を鼻からしこたま出していただろう。先週、私に起こったことはもうここで書こうとも思わないし、何よりも、書けない。それをすることで、何度もいやな思いをしたくない。物事によっては書くことそれ自体が一つのカタルシスであるのは確かだが、度を超えた追体験で自分の首をもう一度絞めようとは思わない。これまでは結構だいたいなんでも平気でここには書いてきた。あまりにも特異な話だったりすると、それが特異過ぎてどこかで読んでいる人にあれっと思われない程度に脚色したり、仮名を使うことはあっても、だいたいその時に書きたいことをそのまま書いてきたのだが、この一週間はそんなふうにはいかなかったし、これからしばらく時間が経っても「あの時は」と書けることとそうでないことがある。この1週間、暗い気持ちで時間をやり過ごしながらも、なんとか自失しないで済んだのはクマイチがいつも味方でいてくれたことと、それから、何かが伝わったかのように数年ぶりの友達数人からメールが来たり電話があったりしたことと。自分一人ではなかなかこうはいかないのだと、あらためて思い知るのだ。
2007年02月06日
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月曜のわりには静かだった今日の夕方近く。居残り組は私とみつこさん。みつこさんと2人だと、どうしても後のゆみさんやゆきさんと残っている時との気構えが違ってくる。早く言えばチカラ抜け抜けなのだ。いや、それは決して不真面目に構えているというわけではなくて、多少のことがあっても私とみつこさんがいれば片付かないことは99%ない磐石のペアだと言っていい。電話が少なかったので、みつこさんと私語。どうやらうちの弟は離婚の方向に固まったこと。お互いの親の近況・・・特にみつこさんのところは大変で、去年の11月末に緊急入院して、一時は危篤だったご主人のお母さんは一命を取り留め、病院は退院したものの爆弾を抱えている状態が続いている上に、今度は去年の年末にみつこさんの実家のお母さんが転倒して大腿骨骨折。こんな奇遇も困るのだが、みつこさんのお母さんの転倒の前日にうちの父が転倒して(爆)アキレス腱切断。で、両方とも年末から今に至るまで入院しているもので、みつこさんはとりあえずご主人のほうのお母さんのことはご主人に任せて、自分は日本にまもなく帰国。「こんな年になるといろいろあるわねぇ」と言うみつこさん。「ホントですねぇ」と私。みつこさんとご主人のジョージに、先々週末に会った。会社の新年会をパートナー同伴でぱーっとやったのだが、その後、みつこさんがこっそり「うちに寄らない」と言ってくれたので、ゆみさんやゆきちゃんとパーティ会場で別れた後、みつこさん夫婦をうちの車に乗せ、パーティ会場から車で10分のみつこさんちまで行った。すでに満腹になっているので「お茶だけ」と言いつつ、どっかり腰を下ろすと、そりゃもう止まらない。いつもの通り、ジョージ→クマイチ、ジョージ→私、みつこさん→クマイチ、みつこさん→私及びそれの全反対方向と、話がばらばらになりながらもどんどん流れていくので時間が経つのが速いはやい。話がある地点に来た時、とうとう私たちは、今年のいつかの段階で日本に帰国しようと思っている、という話をみつこさんとジョージにした。ジョージは「そうだろうと思ってたんだ」と言う。「キミたちはいつか帰るだろうってこと、それもそう遠くないだろうっていう気はなんとなくしてたんだ」もしもその話をするなら、やっぱり私もクマイチも、みつこさん夫妻には誰よりも先に話さなければと思っていた。ただ、私自身は今ちょっと仕事のことで引っかかっていることもあるし、それ以外にも最近考え始めたこともあるし、日本に帰国することを手放しで喜ぶという感じではなく、むしろ複雑な気持ちで焦りだけが積み重なってきているのがわかる。でも、みつこさんもジョージも、将来的には日本で老後を送るつもりらしく、私たち4人はこのまま一生続くだろうという確信だけはそこにいた誰もが持っていた。あれからしばらく経って、私たちの帰国のことを考えると本当に悲しくなってきたとジョージが言っているとみつこさんがぽつっと言った。しかし、ジョージは、私やクマイチがこれからまた日本でぼちぼちやりたいことを知っているし、それについてはうまくいけばいいねと本当に心から思ってくれているから、むやみに引き止めたりはしない。ただ、みつこさんがこんなことを言い始めた。「ジョージにとってはね、ちゃとさんとクマイチさんがどうして特別なのかはちゃんと理由があるのよ」みつこさんとジョージは結婚当初は日本に住んでいた。みつこさんも友達が多い人だし、ジョージはジョージで、みつこさんの友達関係や自分の仕事の関係から、気の合う友達もできたと思う。しかし、みつこさん曰く「それでも結局ね、ジョージはいろんな人と話してみたけど、やっぱり日本人の最後の砦のようなところがわからなかった、越えられなかったって言うのよね。それは言葉の問題とかそういうんじゃなくって・・・わかるかな、ちゃとさん」「例えば私たちがこっちでイギリス人と休憩室とかで普通に話していて、当たり障りのないことを話すのはいいけど、何か考え方とか生き方とか物事の捉え方とかになったりすると、相手の言ってることが感覚的に理解しきれなかったり、逆に向こうもあんまりこっちの言ってることがわかってないようなさぶーい雰囲気だったりって・・・そんな感じ?やっぱり顔も違うし、底に流れてるものが今一つ共感しづらいよね、みたいな?」聞き返した。「そうなのよ、たぶん、そういうこと、ジョージが言うのも。彼はすごく日本が好きだし、すごく日本とか日本の人を知りたいと思うのに、話を突き詰めていくうちに、なんとなくお互いが迷路でぴょこっと立ち往生して『あれっ?』みたいなのがいつもあったって言うのよね、もうそこで『ま、いっか』って。でもね、ジョージが言うには、ちゃとさんとクマイチさんと知り合っていろいろな話をするうちに、日本人の本質が見えてきたんじゃないかという気に初めてなったんだって。日本人の謎の壁が越えられる気がした、わかってきた気がするんだって。私は妻だから別として、それ以外にこれまで会ったことのある日本人で、いちばん『それが日本人だったのか』という気がすごくしたんだって、そう言ったの。だから2人が日本に帰って会えなくなるのはたとえ一時的なことでもとても寂しいんだって」みつこさんの例えというのも抽象的ではあったが、その話の内容がやっぱりジョージがそう言ったそれ自体だということがすぐわかり、私も感傷的になってしまった。ジョージはいつも私とクマイチを応援してくれている。外国人2人が縁もゆかりもない異国で税金払って、その国のシステムと闘って毎日生活していくのは本当に大変なことだと言いながら、できることがあればといつも親切にしてくれてきた。(それは私たちの勝手でやっていることだからしかたない)イギリスという国もそんなに悪いところではないのかもしれないと思い始めて、それでもまだその思いは3年ほどだろうか。そう思い始めるようになったのはみつこさんとジョージの影響が大きいが、本当はイギリスに来た頃にそんなふうに思えていたら、今頃、とりあえずイギリスはだいたいこんなところで、と結構さっぱりと踏ん切りがついたのかもしれない。現にクマイチは「イギリスはもういいよ」ときっぱり思っているそうだ。(笑)が、私はあまりにもイギリスが嫌いな期間が長すぎた。(爆)そのために、普通の人の気持ちの流れの速さよりもイギリス嫌いの期間に埋没し過ぎていたのかもしれない。で、今頃、そろそろ日本に引き上げる具体的なタスクリストに取り掛からなければいけないこんな頃になって気持ちのどこかに歯止めを感じるのである。「あの時、こうだったら」それを今、いくら考えてもしかたがない。
2007年01月30日
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お昼過ぎにリビングルームにはいってきながらクマイチが言った。「えーと、一つ問題」ふん?と顔を上げると彼が言う。「冷蔵庫、壊れた・・・冷凍庫のほうは大丈夫」え~~~、どうするの、それ。いや、もちろん彼の責任でもないどころか誰の責任でもないし、普通に使ってきて、とうとう冷蔵庫内の電源が切れたというか、ようは本来の用を成さなくなったというトラブルだ。とりあえずうちにあったカタログでいくらくらいするかを確かめる。買えない値段ではない。しかし、ポイントはそういう話ではない。1つ目。うちのフラットは借りているフラットだから、冷蔵庫だとか洗濯機だとかガス代やヒーターという、そういうものに問題がある場合、不動産屋に連絡して取り替えてもらう。そういう交換に対して私たちは費用は要求されない。基本的に家主負担だ。(と思う)家具付きでフラットを借りる場合は、家に普通に住むほか、そこに最初から付随している家財や家電が使える状態であることが条件で借りているわけだから、よほどはっきりと借主の落ち度で何かが壊れない限りは家主の負担で同等品と交換される。前、洗濯機が壊れた時にも不動産屋に連絡したら、それから2週間ほどで業者が来て、新しいのをはめこんでくれたが、それに対して私たちは一銭も請求されていない。もちろん私たちの使い方に落ち度がない限り、という条件だろうが、そういう意味では今回のいちばん最初にこのフラットができてから何軒のテナントが入居・退去したかは知らないが、おそらくこの冷蔵庫は寿命だったのだと思われる。その上、この冷蔵庫はこういうふうに上が冷蔵庫で下が引き出し状の冷凍庫になっているやつなのだが、なんとご丁寧なことに、その冷蔵庫+冷凍庫のさらに外側に、キッチンと同じインテリアの木のドアが張り付いているのだ。(こんなの、なくてもいいのになぁ)2つ目。今年になって不動産屋が、半年ごとのチェックで家に来たがっていて、いつだったら来ていいか連絡してほしいという手紙を受け取っていたのだが、無視している。この、半年ごとの家の中の点検が私には本当に苦痛で、実は前回(半年前)の案内も無視→とうとうフェイドアウトさせた。そこの不動産屋で点検を担当していた人が前にやめたのだが、その彼女はこちらが連絡しないと電話してくるしっかり者だったのだが、今の人たちはいいかげんな人たちらしく「点検します」という手紙を出してきたきり放っておいたら連絡がこなかったので放置しておいた。しかし、冷蔵庫を取り替えてもらうなら、不動産屋に連絡しなければいけないし「そういえば点検を」と言われるに決まっている。今頃そんなことを言うなと言われるかもしれないが、はっきりいって、いくら不動産屋とは言え、台所やリビングルームだけではなくバスルームやトイレ、ベッドルームまでくまなく見て行かれるのはイヤだ。むこうはそれを見に来るのだから余計イヤだ。もちろん第一の理由は、ものも多い上に整理・掃除が苦手だからなのだが、何度も書くが私は本当にイヤと言ったらイヤなのだ。これまで家賃を滞納したこともないし、うちは決して家の中で暴れもしなければ勝手にクギを打ったり、備品を乱暴に扱ったりもしない。(いつも言うが、私はどんなに腹が立つようなことがあっても物を投げたりドアをバタンとこれ見よがしに閉めたり、というようにモノにあたるということだけはなぜか絶対にしない。基本的にモノが壊れるということがイヤだから)そういうことで、私はとにかく誰かに家にはいってこられるのがイヤなあまり、勝手に冷蔵庫を買い換えようかと思ったほどなのだが(知らない人を家に入れるなら代償を払ってもいいと思うくらい)さっき書いたように、インテリアのドアが上下にくっついているもので、古い冷蔵庫と冷凍庫をさっさと出して新しいものを押し込んで終わり、というわけにはいかないのだ。クマイチがさっき、このままだともういずれ痛んでしまうという食料品を捨ててきたが仕方がない。そういうことで、今日は買い出しに行っても冷やせるところがないので買い物も断念。とうとう不動産屋に連絡か。気が重い。Mental Break Downになりそうだ。
2007年01月29日
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大変申し訳ありません。思うところあって日記を一つ消してしまいました。自分で気持ちに準備も覚悟もないまま、ネタの一つだと思って安易にクダラナイ日記を書いてしまいました。すでにコメントつけて下さってた皆様、ゴメンナサイ。私の勝手だと思ってどうぞお許し下さいまし。ちゃと拝
2007年01月26日
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はぁ~~~、このところご難続き。コケました。・・・とこう書くと必ず、せんせーから「オバハンはなぜかすぐコケる」とまた言われるに決まっている。はいはい、別にオバハンであることを否定するつもりはないが、今日コケたのはもう完全に不可抗力としか言いようがない。*****夜半から冷え込みが急に増し、今朝起きると、イギリスは今シーズン初の降雪・積雪の洗礼を受けていた。天気予報では夜半の気温が-3度くらい、との予想だったが、まあとにかくきっちり雪が降った。今朝は早出だったので6時45分に家を出た。靴を選んでいる時間がなかったため、しかたなくいつもの仕事用の靴を履いて家を出たら、やっぱり積雪のせいで歩きにくかったのだ。積雪といっても3cmほど。朝が早いので、まだ多くの人には踏まれていない部分が多い。こういう時、怖がりでヘタレな私は強烈にかっこ悪く且つゆっくり歩く。できるだけ腕を体からはずしてバランスをとり、ダサいペンギンのようだ。イギリスはわりと不注意な人も多く、そういう中でもいつもと同じようにすたすた大股で歩いては勢いよくすっころぶ人を何人と見てきたので、私はとにかく「雪の日は、たとえ遅刻しようと、コケないように歩くべし」を固く心に誓って行動する。こう書くと「ははぁ、ちゃとはそれでも雪の上でスッテーンと転んだんだろう」と思われるかもしれない。・・・違います。雪、が原因だったのだが、雪道で転んだのではない。とにかくペンギンウォーキング継続のまま、駅にたどり着いた。電車も実際のところ遅れていたのだが、これはまあ想像に難くない。駅に着いた途端、私は夜間の電話を捌いてくれている部署に電話し、今日は出社が遅れるかもしれないということを早い段階で連絡。そして電車のホームの、いちばん向こう端まで歩く。そこまで歩いて電車に乗ると到着駅の出口に近いから。しかしホームのいちばん向こう端は駅の屋根が切れてしまっているので、そこから先のホームには雪が積もっている。その後ろにあるあずまやのようなところで雪宿りしながら電車を待っていると、遅れてきた電車がやっと着く。雪宿りの場所から電車のドアまで3mほどだが、気を引き締める。せっかくここまで無傷で来たのに、この3mの間にコケたらアホだ。慎重に雪のホームを歩いて電車に近づくとドアが開き、一人の若いお兄ちゃんが降りてくるところ。お兄ちゃんは、電車のドア脇に縦に取り付けられた手すりのバーを握り、雪のホームに着地した瞬間につるっと滑らないように注意しながら降りた。(注.この駅のホームは、ホームと電車との間に20cmほど隙間があり、その上、ホームから電車の入り口までの高さも10cmは優にある・・・だから乳母車を載せたり降ろしたりする時も結構、乗客同士で手伝うのだ。危ないから)最後の最後に何かのはずみで滑ったら目も当てられないし、電車に乗り込んだ瞬間、ホームに残った踏ん張り足が滑ったら元も子もないので私は、降りていったお兄ちゃんも握り締めたドア脇の縦のバーをまずしっかり右手で握り、右足から電車に乗り込んだ。あっ、と思った時は遅かった。バーをしっかり握り締めていたことだけは不幸中の幸いだったが、電車の床を踏みしめたはずの右足が、そのまま前へ前へ滑って止まらず、ホームに残っている左足と前後開脚状態になってしまったのだ。右足が前に滑った原因は靴底にゲタ状にへばりついた雪。これは後で電車を降りる時になって初めて気づいたのだが、社内の座席付近は床にカーペットというかクロスが張られている。しかし、ドア付近はむき出しの床で、その床表面に幅1cm程度・深さ7mm程度に列車の進行方向とは垂直に直線の溝がついている。(わかります、この状況?)つまり電車に乗り降りする人の足の向きと同じ縦方向に溝があるため、余計に足がその方向にスライドして止まらなかったのだ。もしもその溝の刻みが乗降の足と垂直方向(電車の進行方向と平行)だったらまだ少しは足も止まりやすかったかもしれない。状況説明が長くなったが、要するに私は・バーだけは右手でしっかり掴んだ体勢で・右足を電車の床に乗せた瞬間、その右足が止まらずに前に行って体がつんのめり・ホーム上の左足を電車の上に乗せるにも右足がすべって軸にならず踏ん張れず・すでに重心が低かったため、左足の向こう脛~足首を電車のステップ角でぶつけ・バーを引き寄せて体勢を立て直す際に、ぶつけた左足前部を引きずる格好で無理やり電車に乗せたために擦り傷までこしらえほうほうのていで座席に座ったが、そりゃもう痛いのなんのって・・・言葉では表せなかった。ズボンの裾をめくってどんなになっているか見てみると、いちばん強く打ったところが腫れて盛り上がっている上に、続いてずずっと引きずってしまった部分は生々しい擦り傷であちこち皮膚がめくれ上がっている状態。こりゃ電車を降りて引き返して手当てしたほうがいいかなと痛みの中で考えるが、なにせ天気が悪過ぎる。すでに電車は出発しているから、次の停車駅に止まるのは20分後。そしてまた20分かけて戻って、駅から歩いて自宅に戻るには足は痛過ぎるし、その途中でコケたら今日はもうお休みだ。かといって、このまま会社に行ったとして、それからどうする・・・?今日は運悪く、朝一番の出社は私だけなので、もし私が帰れば2時間後にゆみさんが来るまで開店休業状態となる。とにかく次に出勤してくるゆみさんを待って、それから考えようと思い、いつもより速度が遅い電車の中で数独に興じてみるが、あまりの痛みで集中できず途中でやめた。怪我したほうの足を組んだりすると、血流のドクドク感が伝わってきて痛みが増す。辛抱に辛抱を重ね、会社に到着。今すぐ手当てできるだけのツールは会社を探せばどこかにあるだろうが、その手当てをしている時間もない。何より別珍のズボンがガードになっていたおかげで、擦り傷にはなっているが、地面にじかに触れた擦り傷ではないのでじゅくじゅくも流血もしていないから、恐らく化膿したりはしないだろうと予測。にかく持ち合わせていた鎮痛剤だけ飲む。しばらくすればざくざくした痛みは少しはひくだろう。鎮痛剤が功を奏して、だんだん内側からの響くような痛みはなくなってきた。出勤してきたゆみさんに「怪我したから今日は早く帰るね」と宣言。ゆみさん一人にして帰ってもよかったが、やっぱり痛みも少しひいてきたし仕事もあるしで、みつこさんが来てからにしようと思い直す。みつこさん、出社。これくらいの時間になると、なんとか今日一日このまま行けるかなと思い始め、そのまま急ぎの仕事を片付ける。生理痛や頭痛ではないこういう怪我の時に鎮痛剤を飲んだのは初めてだが、実によくきくなぁと思わず感心した。結局、定時まで仕事を続けて帰宅する頃には心配だった積雪もほとんど溶け切っていた。家に帰って傷口を消毒し、手当てを済ませて一段落。しっかし、今日のあの怪我は、何をどんなに気をつけていたとしても、おっさんでもおばはんでも若い子でも子供でも絶対に避け切れなかった状態だと断言できる。あの状態で無傷で体勢が立て直せる人がいるとしたら、もうそれはジャッキー・チェン以外いないと私は強く確信したのであった。痛いぞ・・・
2007年01月25日
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楽天リンクス未使用・興味なし・なにソレという方への謹告っ。要するに今回の楽天の管理画面は「リンクスをもっとがんばって使わせよう」ということのようですね。すでに詳しく書いておられる方があったので、それらの皆さんの日記を貼り付けさせてもらいましょう。私がややこしいことを書くより速くて正確な気がします。(お三方とも、他の日記もおもしろそうでした)a k i .さんMIRLINさん藤門さん畢竟、楽天側としては、他のところの不具合とか、これまでから出ているスパムTBの対策なんかは二の次・三の次、ということなんだな、と。アッタマに来たので、リンクス脱退のリンクを貼り付けておきます。そこの部分がとてもわかりにくくなっているので。自分がログインしている状態で以下のリンクにおこしやす。http://my.plaza.rakuten.co.jp/sns/?menu=deleteとにかく「そんなの知らなかった」という方、リンクスを積極的にやる気の無い方・・・ぜひご参考に。但し、これはリンクスを楽しんでおられる方に対する非難ではないのでお間違えのなきよう。無意識の間に、各個人を個人情報モレの崖っぷちに押しやっている(で、押されている当人はその状態に気づかない)やり方が気に入らない、というだけです。すでにリンクス及びその他のSNSを有効利用されている方は、ともかくその「輪の中」でご自身の情報がだだモレすることがないようにだけご注意下さいませねっ♪
2007年01月20日
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大晦日の日、会社に向かって急いでいると、横を通り過ぎた車からクラクションの音が。誰かと思うと、隣りのセクションで働いているおっちゃん、クライヴだ。「これから出勤?」とクライヴが言うので「うん」と言うと「乗ってく?」と。「いいの?」と聞くと彼は「その代わりね、途中でうちのヨメと息子とそのガールフレンドを乗せて行かないといけないから、会社に着くのがちょっと遅くなってもいいんだったら」と言う。「いいよ」と答えた。大晦日のこの日の出勤は時間の縛りがなくて、とにかく会社に一度だけ顔を出すだけでいいことになっている。このクライヴは普段からなかよくしている人なのかというと、実はぜんぜんだ。彼は以前、一列に並んで仕事しているうちのチームの向かい、厳密にはみつこさんの真向かいの席に座っていた。私も、勤務シフトの関係で時々自分の席ではなくてみつこさんの席に座らなければいけない時があるのだが、そういう時、このクライヴというおやじの貧乏ゆすりがひどくていらいらした。足でしょっちゅうタンタン、タンタン、と床を鳴らして拍子を取っているのが、床伝いにダイレクトに自分の足元に伝わってくる。一度みつこさんに「あのオヤジの貧乏ゆすり、激しいでしょ」と聞いたらみつこさんは「え、そうかな、気がつかなかった」と言っていたが、強くはないがあれだけ頻繁な貧乏ゆすりは、ひとたび気になるとずーっと気になる。そのうち、そのクライヴたちの係の中で多少席替えがあり、クライヴは2列ほど向こうの席になったので彼の貧乏ゆすりからは解放された。が、今度、私たちの前の列にどかんと座った4人のイギリス人の女どもはクライヴよりすごい存在だった。その4人の女ども、向かって左から「白雪姫に出てくる毒りんごを持ったババァ」「ものの言い方が高飛車で(客に対して)話し方がヤクザのオヤジみたいな、とにかく印象ががさつで汚らしいおばはん」「マジメに仕事はしているがきつねとねこのいやなところを合体させたような顔の無愛想な女」「彼女も仕事はマジメで、そこそこ年はいっているが、後の3人に比べるとまだちょっと女性チックなところを残しているお姉さん」(まあ、向こうは向こうで私たちのことを黄色いサル軍団とでも言っているかもしれないが)とにかくビル全体の中でいちばんがさつでうるさくて荒々しい、染色体で分類したら女だったと判断されただけの4人組が私たちの前の席を陣取ってしまい、迷惑千番。こうなると、クライヴの貧乏ゆすりくらいはかわいいものだったのである。さて、このクライヴは以前からデスク近くでは絶対に話しかけてこないのに、キッチンにお茶を入れに行ったりして、そこで出くわすと必ず話しかけてくる。どこから通ってんだ、とか、キミたちは一時的に日本から来ているのかここに住んでいるのかとか・・・後でみつこさんやゆみさんに聞くと、他の3人は話しかけられたことがないらしい。そういう前提もあってか、クライヴは出勤途中の私に同乗しないか誘ってくれたのだろう。途中で乗ってきたクライヴの妻・息子・ガールフレンドたちは、どこかの釣り場に行って、そこで何日かキャンプをしてくる予定らしい。会社に行くのには、そのまま高速道路に乗って一発で走ってくれても1時間かかるのに、クライヴはみんなを乗せた後もずーっと普通の田舎道を走っていくつもりのようだ。いくら会社には顔を出すだけでいいとは言っても、このまま下道じゃあいつ頃着くかわからないし困ったなと思っているが、クライヴは意に介さずに「どう、仕事のほうは」と聞いてくる。私は「うちの仕事のほうはまあまあかな。でもさ、席替えしてから私たちの前に座っているあの4人のBi●chたち、なんとかならないかな・・・もううるさくって、あれが邪魔で仕事がスムーズに行かないわ」と正直に愚痴をたれてみるとクライヴはハハハと笑い「あいつらねー、どうしようもないよねー」と言っている。そのうち、クライヴたちは訳知り顔に、途中のパブ近くに車を止めてすたすた降りていく。どこ行くねん、と私がいぶかしんだ様子に気づき、クライヴは「あのさ、ここのパブは昼間に出してくれるチェリーパイがおいしくてね、この辺に来るといつもここでチェリーパイを食べることにしてるんだよ」と言う。ええ~?朝っぱらからパイ食って行くのかよぉ~~~、アンタは休みでもわたしゃ今日も出勤やっちうねん、と思ったが、だからといって、こんなところから自分一人で別行動しても、駅までの道もわからないし、自宅と会社の間のどのへんに来ているのかもわからない。腹を括って、クライヴたちと行動を共にすることに決め、この「King’s Arms」というパブの入り口にほど近いテーブル席でクライヴ一家と一緒にチェリーパイを一緒に食べていくことにした。が、やっぱりそこのチェリーパイはおいしくて、わざわざ車を止めて食べにくるだけの価値があると思う。モーニングティーの時間が終わり、そろそろお店を出て車に戻る頃、クライヴの息子が急に「ちょっと胸が苦しいな」と言い始めた。「大丈夫?」と聞くと、息子はもう一度テーブルのところの椅子に座り、荒い呼吸をし始めた。これはクライヴに知らせて車に乗せるよりも救急車を呼んだほうがいい。***そう思った辺りで今朝、目が覚めた。(爆)いやぁ、さすがにリアルな夢だと自分でも驚いた。ここまでの部分で事実だった部分は、そのクライヴなるおっさんが会社にいて、最近席替えで少し遠くに移動したことと、私たちの席の前に移動してきたババァーズの傍若無人さくらい。クライヴに息子がいるのかどうかも知らないし、当然ガールフレンドの話もまったく架空なのに、突然、走っている道筋に「King’s Arms」なんて、イギリスであちこちに見かけそうな名前のパブがあり、おまけにそこで、普段どこかで注文したこともないチェリーパイが出てきて、それが評判通りにおいしかった・・・というような具体的な話が全部夢、なんて、私はいったいどうなっているのか?もちろん大晦日、31日は日曜だったから、出勤もへったくれもなかったのである。
2007年01月13日
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