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2016/06/10
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 津島佑子の『快楽の本棚』(中公新書)を読んだ。自らの読書・文学体験を通じて、文学というものの快楽を論じた快著だ。なるほどそんな文学が、文学者がとか、なるほどあの本はこうも読めるのかなどなど、納得させられることが多かった。

 その中にこんな箇所があった。

 「社会というものがあれば、それを支配して、利益をひとり占めしている人たちはかならず、現状の秩序を守ろうとする。そして、自分たちの立場が危なくなるような事実を、その人たちはあの手この手で隠そうとする。「秘密」を作りはじめるのだ。昔のキリスト教会もその典型だったし、日本の近代も天皇制を守るために、それを疑いたくなるような要素は秘密にしてしまった。
 そこで、文学が登場する。
 その社会を独善的に支配する考えを挑発したり、あざ笑ったり、あるいは、空想の翼をひろげて、より「現実」の世界を描こうとする。詩と違って、小説という分野が特に、このような役目を担って発展してきた。」

 なるほどと納得する。安倍政権が秘密保護法に固執したのも、あれこれの真実を隠し、あるいは事実をねつ造するのも、権力を有する人たちの利益ということからだ。

 文学というものを世界に広げてみてみれば、その作品故に、圧迫され、犠牲になった人たちは多い。日本にも、誠実に文学者としての役割を果たそうとしてきた人たちはいる。

 もっとも、百田某をはじめとして、とても文学とは言えない作品ではあるのだが、権力に奉仕する連中がいるも事実なのだが。






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Last updated  2016/06/10 02:46:15 PM


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