旧い映画を楽しむ。なでしこの棲家

旧い映画を楽しむ。なでしこの棲家

≪山猫≫



   ≪山猫≫


、ヴイスコンテイ第2夜です.
今日はヴイスコンテイによって、演技開眼した?
バート.ランカスター.
アラン.ドロン、≪刑事≫によって鮮烈なデビューをした
クラウデイア.カルデイナーレの競演です。

まず、ヴイスコンテイーのカラーとは.
一言でいってリアリズムの巨人である。
だから怖い。本人自身が貴族の出身であるから
この山猫も非常にリアルに描かれている。

そしていかな俳優もヴイスコンテイの手にかかると
それまでのイメージとがらりと変わってしまうという魔法の
手を持っている。

ダーク.ボガード、ランカスターは、ヴイスコンテイと出遭って
役者になったといっても過言ではない。

  ≪山猫≫、

 ストーリー

 シシリーに300年の家系を持つランカスター扮する
公爵がいます。

かつて、シシリーの王家といわれた名門貴族。
その家の紋章が”山猫”なんですね。

年老いてなお豪華な生活をしているが生活は苦しい。
持っていた土地を次々と手放し、いわゆる売り食いをしている
状態である。

貴族が、だんだんと身の皮をはがれ、没落していっている
時代に入った頃のことです。

公爵は、自分の子供は、みんな嫁いでしまって、男の子は
いません.
だから、甥のタンクレデイという子を可愛がっています.
この甥にアラン.ドロンが扮しています。

ある時、この土地に革命、戦争などが起きました.
昔は、イタリアには統一の為の戦いがしょっちゅうありまして
ここの家族もどこかへ疎開しなくてはなりませんでした。

それで彼は田舎の別荘へ行ったんです。

その田舎でも豪華な、派手な生活をします.
それとうらはらにだんだんこの公爵の淋しい姿がだんだん
鮮やかに浮き上がってきます。

すべて売り食いの生活なのに豪華な晩餐会を開きます。
当然たくさんの人々が集ってきます。

そこへ土地の農夫上がりのおじいさんが末の美しい娘を
連れてやってきます。

それがクラウデイア.カルデイナーレです.
タンクレデイは彼女に一目ぼれしますが、
公爵はそういう下賎のものと口を利いてはいけないと言います。
上下関係を重んじる昔かたぎの人なのですね。

しかし、彼が売り食いをしているその土地を買ってくれているのは
他でもないこのおじいさんなのですね。

いままではそういう農夫上がりの人などそのような
晩餐会に出席など出きるものではなかった.

プライドがプライドの意味をなさなくなった公爵の淋しさなのですね。
それだけではなくいろんなことに昔のような威厳が通じなくなった寂しさはどうしようもないのデす.

こうやって自分たち貴族の時代が終わっていく、
没落していく時代の流れをリアルに描くというお話です。

晩餐会が終わって、明けの明星が出てくる頃、
公爵はただ一人、表へ出て散歩をするところでこの映画は終わっています。
いかにもヴイスコンテイタッチです.

貴族という、ヴイスコンテイ自身の生まれた家に対しても皮肉っているのですね。
どうしようもない、働いてお金を売ることを知らない人たち。
しかしそれをどうのこうのと批判しているのではなく、
ありのままを描いているだけなのですが、
そのありのままを演出するのに徹底したエネルギーを噴出する
力強さがヴイスコンテイそのものである。

以前、邦画の吉村公三郎による≪安城家の舞踏会≫という物語を
紹介しましたが、同じような没落貴族の話でした。

この映画で安城家の当主、滝沢修が成りあがった運転手に
金を工面してもらうという恥辱に耐えられず、
ピストル自殺をし様として娘原 節子が咄嗟にピストルを
足で蹴って父を慰め、
舞踏会の終わった淋しい広い応接間で
親娘タンゴを踊るラストが哀しくまた、
心に残ったのと同じ感動が伝わってきました。

貴族のプライドなど成り上がりの金持ちの前では
なんの意味もなさない.また成りあがりにしてみれば
そんなプライドも金で買えるというわけだ。

つまらないといえばそうだが、
あの時代に生きる人たちからすれば一番大事なものなのだろう。
昨日紹介した夏の嵐にしても
この山猫にしても
ヴイスコンテイの映画の画面の重厚さには圧倒されます。

昨日の夏の嵐のラストの刑場での処刑前後のシーンは
んんん!
綺麗とも感じるのだ。ひとりひとりの兵士が松明を
持って列を組む。バックの画面のブルーとあいまって幻想的で
さえあった.

アメリカ映画、フランス映画にはない重厚さである。
独特なんですね。

さて、明日の一作、何を取り上げましょうかねえ.




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