旧い映画を楽しむ。なでしこの棲家

旧い映画を楽しむ。なでしこの棲家

永遠の恋人.笠 智衆!



わたしにはずーっと昔からの恋人がいる.
その人の名は≪笠智衆≫である.

若い時の老け役も年を重ねてからの笠さんも全て全て好.き.
どこがって聞かれても、どうしてって聞かれても
全てが好き、なんでもいいから好きとしか答えられない。

20歳で映画界入りをするまで、
熊本のお寺に生まれた彼は父の跡を継いで
僧侶になるはずであった.
が、彼はそれを嫌い不遇の時代を10年以上もじっと耐え
映画俳優を目指した。

≪若人の夢≫と言う作品で小津監督と運命的な出遭いをしてから
主演、脇役を含めて小津作品の殆どに出演している。

≪父ありき≫という作品では20歳で、老け役をしている.
小学生の時に観た≪東京物語≫や、≪麦秋≫≪晩春≫
≪秋刀魚の味≫と言う小津の最後の作品までほとんどが
父親役であった。
が、その頃のわたしには祖父に似た人でしかなかった。
20代になって、再度名画座などで、
一連の小津作品を観なおした時..恋の虜..になってしまった.

智衆と言う名からも分かるようにお坊さんの名ですね.
その血筋から来るとでも言うのでしょうか.
おっとりとした、口数の少ない、自我をあまり表面に出さない
が、頑固、可愛い、校長先生のようでもあり、
その上なにか洗練された居ずまい.

素敵の一言です.

晩年になるまで、あまり、彼の名はとり沙汰されるほど
頻繁に出ることはなかったはずだ。

≪姿三四郎≫で、世に出たあの藤田進といつも
一緒に人の口に上る、抜けないあの独特の熊本なまり.

それがかえって、彼の高潔で、朴訥と言った人柄をいっそう
強く我々に与えた.

その彼を日本中の老若男女が知るところとなったのが
あの≪寅さん≫のーー御前様ーーというはまり役である.

あの御前様はすこぶる可愛くて、ついて行きたくなってしまった。

小津映画と言うのはあの頃は一部の人しか観ていなかった。
彼小津が世に認められるようになったのはずーっと
後だ。
そのころの映画フアンは東映のチャンバラ映画に熱中していた.

運良く(本当にそう思う)、わたしは父のおかげで、
小津の魅力を子供のころから、教えられていたので、
チャンバラも松竹大船映画(小津を代表とした)も
東宝映画も偏ることなく観ている。
日活映画だけはなぜかお留守番でした.

あまりあのころは好きでなかったせいもある。

おかげで、ずーっと笠さんとお付き合いが出来たもの.

映画のなかの笠さんと現実の笠さんがオーバーラップして、
勝手にイメージを作ってしまった。
が、極端には外れていないと思う。

彼に惚れたのは数々の映画の中の名シーンがあるから。
≪彼岸花≫では、旧友3人との同窓会で
詩吟を朗々と詠うシーン。

≪晩春≫では、娘の原節子が、嫁ぐと決まり、京都旅行をし、
宿の布団の中であの例のとつとつとした語り口で独り立ちする
娘に結婚のことを話して聞かせるシーン。

≪秋刀魚の味≫では、東野栄治郎の元担任が、同窓会の席で
「鱧」をはじめて食べたというシーンで、皆が雑言を吐くが
笠さんは、彼を訪ね これまた、とつとつと語り合う。

≪東京物語≫仁観る、尾道の岸壁で十姉妹のように
並んだ老夫婦が漂わす無常感溢れるあの背中!

大根役者だと言う声は若い頃いくらも聞いた

違う!  あのなまり、あの朴訥さ、温かさが 作品の求める
  ≪絵≫の中心人物なのだ。
絶品の名シーンをいくつも作った人である。

口に出して心を語るわけでもなく
ただ、にこにこと柔和で、凛としたあの姿勢。

歳を経てからの笠さんを拝見するにつけ、
あれほど、謙虚で教養の溢れた日本の老人をさわやかに
(わたしには魅.力.的.に写るが)
演じた役者さんは彼だけだと思うのである。

前にも書いたと思いますが、鎌倉に住んでらした笠さんは
朝の散歩に出られる前に
可愛い奥様ーーはなさんーーが点てられる一服の
お抹茶を頂いてからお出かけになる。

このこともあって、わたしのお茶修行は
続いているのかもしれない。
それほど、彼の存在は、わたしの生き方にも
強い影響を与えてくれた。


だから、わたしの恋人は今も笠さん一人 胸の中に熱く
生きているのです。♪



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