旧い映画を楽しむ。なでしこの棲家

旧い映画を楽しむ。なでしこの棲家

1.≪香華≫2.≪野菊の如き君なりき≫


  木下恵介監督作品
1.≪香華≫
2.≪野菊のごとき君なりき≫


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1・≪香華≫

母と娘は時として女対女になることがある.
娘がものを買うと自分も欲しがる.
そのとき母親は母という立場を忘れ女になっていることがある。

旧家の一人娘は、わがままというより
自分勝手で 母や娘朋子のことも
どう思っているのか、母と娘を置いて再婚していく。

朋子からすると祖母は母の仕打ちに頭を狂わせ
淋しく死んでいく。
再婚相手のところに引き取られた友子はやがて静岡の
女郎屋へ売られていく。

そこで朋子は芸者として芸をみっちり仕込まれていく。
この女郎屋で 男に捨てられ
花魁としてデビューした母と再会するが
親娘の名乗りをあげることは許されなかった。

東京で朋子は売れっ子の一流芸者になったころ、
ある軍人と恋に落ちる。
本気がいけないと店の姉さんにも反対されるが、
将来を誓った友子は芸者を辞めるため御前と呼ばれる
懐の大きな男性の妾となる。そして男を待つ.

そして母を引き取る状況になるが、根がお嬢さんの母は
おもしろおかしく生きるのが好きな女性で
苦労をしてきた友子とは相性が悪く一緒にいればつい
がみがみと母を叱る。

だが母という人は周りの目を気にしたり
世間の常識が通る人ではない。

が、自分に正直に心のままに生きた人だ。

6年たって
朋子の恋人は別れを告げに来る。
朋子が旦那を取ったことはその世界のことゆえ咎めぬが
母の生活のダラしなさを理由に1方的に別れていく.
その人はすでに別の人と結婚している。

母は相変わらず自分中心の生活で、朋子は御前にもらった
大きな料亭を経営している。

母は朋子の着物を引っ張り出しては派手な着物を勝手に着て
朋子に説教されてもシラ‐ッとしている。

朋子は母にがみがみ言っても根はやさしい性格だから母を
放っては置けない性格だ。


母は又、結婚したいと男を連れてくる。
生家で小作人をしていた7つ年下の男だ。
朋子は年を考えろと説教する。
何回も何回も何回も結婚して!(笑ってしまった)

”あんた焼餅やいてんにゃろ”とシラーッとしている.
感覚が違う親子はあいま見えるはずがない.

戦争を挟み友子は食べ物屋を始め頑張りぬく。
終戦. あの恋人が戦犯として処刑と決まった.
逢いに行った友子は恋人の真の姿を見る。
母は 戦後すぐに小作人の男と一緒になるべく去っていった。

またお店を大きく成功させた朋子。
母が又帰ってきた.
面白くないと言って。

朋子も年をとり、母を見送ることになる。
この二人の親娘の一生の物語である。

どうだろう?
若いときに観たこの母親には無性に腹が立って、仕方がなかった。
朋子といえば苦労し
結婚も出来ずに頑張るだけの人生だったが
あの母は自分の思うままわがままでと腹が立ったものだ。

しかし、こうして今改めてみると、
周りを気にせず、自分のせいで貧乏になったとしても
別に苦でもなかった。
思えば生まれたままの娘がそのまま大人になったような人で
男に捨てられても捨てても苦しむわけでもなく、
流れるままの人生。
可愛いと思える様になった。

反対に一途な朋子が思いがとげられないぶん、
母に当り散らすヒステリーに映ってきたのだ。
そう、スカーレット.オハラの生命力、たくましさはある.
が、男縁はない。
この二人の対比が非常に面白い。
最後の最後まで男に尽くす。
一途に。
物の道理を道理としてまっすぐ向き合う朋子.
娘にすがって生きるが天真爛漫な母。
岡田茉莉子の代表作となった.
乙羽信子ものんびりとした道徳とは全くかけ離れたところで
生きる母を好演している。

そして母はどの男の墓に入るかで
やりあうシーンが何回も出るが、
旧いしきたりや風習を極端に嫌った母が現代的に見え、
娘は伝統やしきたりにこだわる。

ラスト これも有吉佐和子の伝えたかったものを
この二人の会話ですこぶる面白く見せてもらった.

分けのわからぬお位牌がいっぱい出来て
仏壇の中身をめぐって親娘が揉める場面が秀逸だ。
墓だの、仏壇だのしきたりが朋子をさえぎる。
母と子のあり方は、それぞれであるが、人間最後に
思うことはみんな似たようなものかもしれない。

私はこの母親に軍配を上げたい!

 製作 松竹  1960年度
 監督 木下恵介
 原作 有吉佐和子
 出演 岡田茉莉子/乙羽信子/田中絹代/加藤 剛
      杉村春子  

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2≪野菊のごとき君なりき≫


皆様の初恋はどんなものだったのでしょう?
淡い片思い、それとも初恋が続いてゴールイン?

初恋、信州の自然を描いて
感動を呼んだ作品≪野菊の如き君なりき≫

伊藤左千夫原作の≪野菊の墓≫の映画化である.
農民の、それも中農というかその生活を見事に書き上げた.
そして、本家、分家の問題に細かく触れた牧歌的名作を
木下監督がこれも抒情豊かに哀切を誘う
名作に仕上げた作品である。

今年の最後はこの作品で締めることにします.

時代は明冶、一人の老人が少年の頃を思い出す.
少女との結ばれなかった恋をふるさと信州へ
戻ってきてからの回想シーンから始まる。

この描写 何て言うんでしょうね.
回想シーンの画面が白い丸い囲みというか、まるでそう
昔の記念写真のような撮り方.
独特の撮り方をしている。

これが遠い過去の辛い思い出をよりいっそう切なくし
観るものを物語へと引き込む効果を上げている。

一言で言えば
旧家の本家と分家の従姉弟同士が愛し合い、
その純愛が周囲の旧い因習に依って引き裂かれ
その事が原因で少女は病に倒れ、この世を去る。

もう帰って来ない過去を今は変わってしまった信州の山河と
重ね見ながら追憶に浸るかつての少年ーーその老人ーー笠 智衆

この映画一本で永遠に映画女優史に残る人となった
ーー有田紀子ーー15歳ーー高校生の彼女は今で言う
アイドル的な子であったのだろうが
素朴で純粋無垢なその顔形、雰囲気
いじらしくもあり、とにかく可愛かった。

哀れで哀れで切なかった.
この作品もリバイバルか何かで観たので、
この年齢よりもずっと年上になってからの鑑賞だ.

それでも感情移入して泣けて泣けてそのころはまだ
私も純情さが残っていたのでありましょう。

彼女は演技というより地で、ありのままのそのままの
少女がその世界にすんなりと入ったと言った方が適切であろう.

まさに野に咲く一輪の素朴な花だ。
あの頃は今と違って手の届かない雲の上の女優ばかりの時代
ーーそのあたりの女の子はいなかったから
かえって新鮮だったかもしれない.

このあと彼女は何作かの作品に出演していたようだが、
史に残るようなものでもなく、これ一作で消えたようなものだ.
が、そのフアンは多いはずだし、これだけ鮮烈な印象を
残したことは素晴らしい。

今は失われてしまった美しい山や川や空
何度も書いているがやはり木下監督は原作に劣らぬ
素晴らしい自然描写、人間描写を突き詰めている。

まだ青春時代の出口にいた時にこの作品を観ることが出来た
幸せを感ぜずにはいられない.

映画イコール青春なんだよね.

だから若いときにどれだけ良い映画を観るか
小説は筋は漠然と思い出せるが、また作家の感覚も残り、
知らないうちに身とはなっているが、
映画は画面、そうシーンと一緒にそれに付随したもろもろを
引きつれて思い出させるなにかがあり、
絶対に忘れない場面がある.

だから、いつも青春していられるのが映画だと思う。
映画に筋を求めるのではなく、
その心や謳いあげられている詩というか、シンフォニーのような
感覚をキャッチするものだと思う。

作品をけなすことはあまり好きではありません.
作った方たちはプロであり、素人のわたしがけなすと言うことは
長い期間 一所懸命に作られた作品をたかだか
2時間ほどみて、たかだか何行かの文賞でけなすことは
冒涜だとも思え、例外は別として出きるだけ良い部分を
紹介したいと思います。

後で観られてなんだと思われるかも知れませんが
その時はわたしの感性が
その程度だと思って諦めて下さいませね.



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