旧い映画を楽しむ。なでしこの棲家

旧い映画を楽しむ。なでしこの棲家

豊田四郎監督の1≪雁≫2≪ボク東奇談≫


   豊田四郎監督作品
1.≪雁≫
2.≪ボク東奇談≫

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1.≪雁≫


紺縮(こんちち゛み)の単衣物に、黒繻子と茶献上との腹合わせの帯を締めて
、細い左の手に手拭やら石鹸箱やら、糠袋やら海綿やらを、
細かに編んだ竹の篭に入れたのをだるげに持って、右の手を
格子にかけたまま振りかえった女の姿が、岡田には何の印象も
与えなかった。
しかし結いたての銀杏返しの鬢(びん)が蝉の羽のように
薄いのと、鼻の高い、細長い、やや寂しい顔が、どこの加減か
額から頬にかけて少し平たいような感じをさせるのが目にとまった。

岡田という東大の医科の学生で秀才の誉れ高く、その彼が毎日
散歩をする道のひとつ無縁坂にほど近い寂しい家の前を
通りかかった時にふと目を止めた女性の印象を
綴った森 鴎外の≪雁≫の文章の1節である。
美しく繊細な文章ですね。
一体にハイカラな鴎外の文体は大好きです!

これだけの文章を今から紹介する映画ではほんの1分にも
満たない時間で撮っている。

小説ではこの岡田という学生の下宿の隣部屋にいる学生の
想いで話として書かれている。

が映画≪雁≫ではこの描写にあるお玉という女性を
前面に出したストーリー展開である。

大人の女性にはまだ早く、少女と見るにはもう遅い
が、まだ初恋も知らぬうぶな女性が
貧しさゆえ、父の生活を見るために
金貸しの妾となる。

がこの話しも、金貸しの妻は死んでいないと聞かされ
ゆくゆくは妻になれるからという人の紹介で
承諾したものだったが、
与えられた家の隣に住む仕立物とその弟子を取る女性と、
家に付けられたお手伝いのウメのほかには
仲良くしてくれるものもないという
半ば騙されて妾になったお玉という女性の
毎日家の前を通る学生さんへの初恋とも言える思慕のお話である。

どうにか男から離れて独立したい羽ばたきたいと願い
内緒でお隣で仕立物を習うお玉。

充分なお手当てを与えているのに習い事をするお玉を不信がる
金貸しもまた家に帰れば髪を振り乱し女性の影も薄れ、
悋気を焼く妻の存在でいき場のない哀れな男であった
がそれは男のエゴというものであろう。

お玉が学生に思いを寄せているのを金貸しは知っていたが、
学生が、
ドイツの医学博士からの招きで洋行するのを知って、
どうせ一時のことと見てみぬ振りをしていた。

洋行するという学生もまた、自分には自分の道があり、
お玉にはお玉の生活があるからと、お玉に興味を抱いただけで、
それ以上踏み込むことはなく、お玉の片思いといってしまえば
それだけのものであった。

どうにもならない身の上。
分かってはいても自分の置かれた状況が嫌で堪らない。
それを口にするお玉ではなかったが洋行するという学生が港へ発つ日
下宿屋まで出向くが学生は、みんなの祝福を受けて発つところで
遠くから見送ることしか出来ないお玉であった。

家の近くの池に浮く雁は心無い学生の投げた石によって、
打ち殺される。

この雁は女お玉の象徴であり、飛び立とうとしたお玉が、
打ち砕かれたことを顕わす。

しかし学生たちはこの死んだ雁をみなで食べてしまう。
つまり学生にとっての雁はただの食用になる鳥に過ぎない。

お玉の胸のうちなど知る由もない。
雁の象徴は飛び立とうとして挫折した時代の弱者であろう。

とすると人間は結局、それぞれの敷かれたレールを歩み、
自分  一人 一人の運命 人生を
歩むしかないということであろうか?

この映画はやるせなくも哀れではあるが、
鴎外の学生から見たひとつの想い出をひとりの女性の
生きる意識を自覚するという視点に上手く
転換させて観客の視覚に入りやすく作り変えた、
良い映画である。

こういう役をやらせて天下一品の高峰秀子が美しい。
空を渡る雁の描写もモノクロの画面が哀しい。

何かを得るには何かを犠牲にせねばならぬこともあり、
何もかもが手に入るとは限らない。
どこを妥協してどこを得るか人には定めもあり、
ままならぬものである。

製作  大映  1953年度
監督  豊田四郎
原作  森 鴎外
音楽  團 伊久磨
出演  高峰秀子/芥川比呂志/東野英治郎/宇野重吉 

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2.≪ボク東奇談≫

女性を探し続けて余りある。
だけど、特殊な女性に
スポットをあて、その世界を描いている作家ーー永井荷風。

ここに武田泰淳が50代の時に書いた文章の中の数行を書き出してみる。

結婚によって安定できなかった女、
家庭によって守られていない女、
主婦としての地位を確立できなかった女、
一人の男の愛情だけに付き合っていられなかった女、
世のいわゆる”倫理”を無視しているような女、
安全な社会的な立場を築くことに失敗した女、
立ち止まっていられないで流れ行くことを喜んだ女、
男をないがしろにする女、
男からないがしろにされる女、
そういう女性を荷風は追い続けたーーーとある。


つまり時代の変化につれていろんな新しい女性のタイプが
出てくるわけだが、
その女性達を次ぎから次ぎへと描き出した荷風。

しかし突き詰めるとそのおびただしい数の女性達の探求にもかかわらず、
荷風の作品に登場する女性達は、
すこぶる限られたタイプの女性達に過ぎないかもしれない、

あまり沢山読んだわけではないが、
この種の女性ばかりが登場しているように思われる。

≪ボク東綺譚≫ーーー どうしてもーボクーの字が出ません!
永井荷風は東京の街を散策するのが好きな人で知られている。
この作品もたまたま散歩にでてで通り雨のなかで出遭った
女とのことを散歩の途中のひとつの話しとして書いている。
隅田川の東つまりボク東のどぶの匂いのする
やぶ蚊の舞う汚い家に住む娼妓との出遭い。

小説では彼の豊かな東京の街の風俗、風景の知識を散りばめている。
一緒に散歩をしている気分になる、
街に詳しくはないけど、小説等で知ったその懐かしい風景。
荷風自身の随想みたいなものだ。

通り雨であったそのお雪という女性をクローズUP させて
創られたのが、映画ーーボク東綺談 ーー

荷風に代わる男性は学者のようである、
家では新興宗教に凝っているヒステリーの妻と、
娼妓ではあるが優しく活発で苦労を表に出さず健気なお雪
その狭間でぐずぐずする男、この3人の話しとして
撮られている。

筋はまー別として
私にとっての原作の醍醐味はその東京散歩にあると思っている。
落語に夢中になり、歌舞伎に浸り、そのハイカラなファッション、
グルメぶり、コーヒー好き、そのライフスタイルは憧れである。

その文章の中に出てくる地名を地図を広げて確認して楽しんだ。
その雰囲気さえ映画で楽しめれば良いと思った。

小説の中のほんの一部を、女と男と妻との話しにクローズアップし、
明治のボク東のどぶ臭い中で
いい方は変だが凛とした娼妓の生き方を、その雰囲気たっぷりに
見せてくれた。

荷風の作品はその江戸の、また新東京の匂いを感じる小説として
わたしは好きである。
そして自身が女性好きであったから探求は続いたのだろうし、
冒頭に書き出したさまざまなタイプの女性を手を変え、品を変えて
作品に登場させるのであろうが、
タイプはいろいろでも その日陰の立場の女性に焦点を充てることに
偏っていることも確かであろう。

そして面白いのは、
こういうはかない運命の女性、けなげで尽くす昔で言う良い女に
寄り添う男はどうしてこう優柔不断で、ほんと煮え切らないのか。

だからヒロインが美しく素敵で同情もする。

良い男に会いたいなら、こういう映画を見ても逢えない。
こういう映画でなく男の世界を描いた映画に良い男はいる。
やはり三船敏郎が終生演じたような男の中の男に会うことだ。

話しを元に戻して、
でありましてーー映画ーボク東綺談ーーは
その情緒で見て欲しい作品です。

リメイクもされたようですが、ポルノまがいのような作品に
仕上がったようで
そう言う内容のものとは無縁の小説であることを、
きちんと申し上げておきます。

この映画、山本富士子と芥川比呂志、新珠三千代の3人の共演の
作品でれっきとした女性文芸作品にしあがっていますぞ。

浅丘ルリ子主演の舞台劇も見ましたが
富士子さんのしっとりとした情緒には到底及びませんでした。

映画同様、永井荷風の世界もぜひご覧あれ!


製作  大映  1960年度作
監督  豊田四郎
出演  山本富士子/芥川比呂志/新珠三千代/
淡路恵子








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