私は 中部地方以東の各地の鏡、土器、古墳の様相を見ていくことにより
ヤマト襲来の
実像に迫ろう
としているのだが、各地方の状況を詳しく調べる前に大まかに状況を見ておきたいと思った。
やや古く年代観など修正が必要な部分もあるが、石野博信 『邪馬台国の考古学』
(2001)
という本に各地の様相がコンパクトにまとめられている。鏡・古墳・土器を元に倭の実像を描く内容で邪馬台国の時代の概況を知るのに最適だ。
本書では鏡の制作年代ではなく埋納・廃棄年代が三世紀中葉と考えられる鏡に検討を加えている。箸墓古墳がA.D.250年頃とする 歴博の年代観
が正しければ本書で言う三世紀中葉は2,30年繰り上がって三世紀前半寄りになると思われる。
当時埋納・廃棄された鏡の分布図が示されている。この図だけで確定的なことは何もいえないのだが、よく見ていくと非常に興味深い。
p.46
上の図で鏡が分布している範囲が倭国の領域であり、分布しない地域が狗奴国の候補と本書では推測している。必ずしもそうはいえないと思うが、銅鏡が分布する地域(筑豊、丹但、瀬戸内、大阪湾岸)と銅鏡が分布しない地域(九州中・南部、出雲、土佐、紀伊南部、熊野、濃尾伊勢以東)がかなりはっきりと分かれることは何を物語っているのか興味深い。
また、鏡種についても本書で指摘するように分布にはっきり地域差が現れている。
北部九州から瀬戸内北岸・大阪湾岸に及ぶ地域は、一・二世紀以来の伝統的鏡群を保有するのに対し、四国北部と大和・山城は四世紀に継続する新式鏡群を選択した地域である。p.52
上の文では触れていないが九州の奴国、伊都国と比定される地域付近でも神獣鏡系の鏡がわずかながら分布していることは神武東征、邪馬台国東遷説と絡めて興味深い。
竹沼(藤岡エリア)古墳前期土器編年 2020.02.11
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