「自分の名前を忘れてしまうと帰れなくなってしまう」 千と千尋の神隠し
「名前を言ってはいけないあの人」 ハリーポッター
「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
みだりにその名を唱える者を主は罰せずには
おかれない」
出エジプト記20章7節
千と千尋の神隠しでは主人公千尋は契約書を書く際に自分の名前「荻野千尋」を間違えて書くことにより湯婆婆に完全に支配されることを免れています。古代人の名前に対する考え方も映画の世界と同じでした。
古代エジプト人は人間の霊魂は「レン(名前)」、「バー(魂)」、「カー(精霊)」、「シュト(影)」、「イブ(心臓)」から成ると考え、名前が話される限り生き続けると信じていました。
北極圏で暮らすイヌイット達には前世紀においても名前と霊魂が密接な物と考えていた多数の報告があります。
名前が存在と一体であるという考え方は世界中に見られます。名前と存在が分かちがたく結びついているから、名前を口にする事によってその者を呼び寄せたり支配することができると信じられていました。
そのために聖書の神の名は軽々しく口にすることは許されませんし。キリストは神の御名によって奇跡を起こす事ができます。また、エクソシストは悪魔の本当の名前を知らなければ仕事に取り掛かることができません。
名前と存在が深く結びついていると考えていたのは私たち日本人も同じで、一昔前まで武士は本当の名前である諱(いみな)と、普段使用するための字(あざな)を持っていて、諱を呼ぶことはひどく無礼な事とされていました。こうした実名を避ける習俗を 実名敬避俗 といいます。この習俗はおそらく日本人が日本人として成立するよりも前から受け継がれてきたものでしょう。
萬葉の時代、男性が女性に名を聞くということは、愛の告白であり。女性が名を明かすということはその愛を受け入れるということを意味しました。 萬葉集の巻一の冒頭の歌 は大泊瀬幼武尊(おおはつせわかたけるのみこと)の歌ですが、その中で尊は女性に名前を聞いています。そして自分がまず名乗っています。
参考図書
『 名前と社会
』
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