神流川周辺の「神」地名 の記事を書いた後「神」が気になったままだったのでまた少し調べてみた。
おぢさんがこの「神」を気にするのは、大量の銅剣が出土した荒神谷遺跡周辺の神庭(かんば)、西谷(さいだに)やそこから約3.4Kmに所在し大量の銅鐸が出土した加茂岩倉遺跡のように神関係地名の集中はやはり過去の信仰を物語っている可能性が高いと考えるからだ。 荒神谷遺跡周辺には上記以外にも怪しい地名があったと思うが今回はそちらが目的ではない。
まずは前回「神」の最有力候補として挙げた「神流川」について調べる。
かんながわ 神流川
髪長川(廻国雑記)・賀美野川(川越記)などとも書く。県西北部の利根川水系の川。流長71Km。川名の由来は,カンナ=鉄穴 かんな の意で,砂鉄の採集地に与えられた名であるという(日本の地名)。また,伝承によると,日本武尊が上流で弟橘姫の遺髪を流したので,髪流川と呼ばれるようになったという。
『 角川日本地名大事典11埼玉県 』
上記解説で分かったのは現在は神流川(かんながわ)と呼ばれているが、賀美野川と表記されていたということだ。神無月(かんなづき)は(かみなづき)であり「神の月」の意であるといわれることから考えると神流川(かんながわ)が(かみのがわ)であり「神の川」と考えるのは全く当然のように思われるが障害がある。
上代特殊仮名遣い を意識すると「神」が加微・加未・可尾などでカミ(乙)であるのに対して、「上」「髪」などは可美・賀美でカミ(甲)であるので「賀美」は「神」ではないということになる。
しかし「賀美」の表記は私の知るところでは延喜式(927年成立)に郡名として現われるのが初見である。。上代特殊仮名遣いは9世紀にはほとんど失われたので上代特殊仮名遣いは「賀美=神」解釈の妨げにはならないだろう。ということで神流川は「神の川」だと結論付けたくなるがそうもいかない。
(←これは誤りだった。実際は『続日本後紀』(869)が初見。2015/7/18追記)
上記解説の「カンナ=鉄穴」であり砂鉄の採集地だったという説も有力だ。神流川近くにある金鑚神社を紹介した「 金鑚神社(
神社ぶらり寺社めぐり)
」のページによれば(かなさな)の語源は砂鉄を意味する「金砂(カナスナ)」であり、神流川周辺では良質な砂鉄が採れたと伝えられているということだ。
しかし、もともとの呼び名が「カンナ」であったとすれば「賀美野川」の表記は不自然であるし、なぜ「神流」の字を当てたのかも不明だ。
どちらが、正しいのかご存知の方がいれば教えていただきたい。
前回、神流川周辺の「神」地名を 地図 上で示したが、もう一つ「神保原」という「神」地名が近くにあることに気付いた。
じんぼはら 神保原<上里町>
「かみほはら」ともいった(合併史)。県北西端,利根川支流烏川右岸の沖積低地・洪積台地に位置する。
〔近代〕神保原村 明治22年~昭和29年の自治体名。はじめ賀美郡,明治29年からは児玉郡に所属。石神村・忍保村・八町河原村が合併して成立。
『 角川日本地名大事典11埼玉県 』
どうやら石神村の「神」と忍保村の「保」と八町河原村の「原」を取って「神保原」みたいですね。ということで石神村が「神」地名仲間入りです。
また気が向いたら調べたいと思います。
竹沼(藤岡エリア)古墳前期土器編年 2020.02.11
鏑川上中流域古墳前期土器編年(暫定版)… 2019.10.26
鞘戸原Ⅰ・鞘戸原Ⅱ(中高瀬観音山エリア)… 2019.08.11
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