猫屋工房の猫yan、勝手気侭な独白

猫屋工房の猫yan、勝手気侭な独白

■猫yanの思考回路

コラム・dada猫の思考回路 は、勝手気侭に林住期に想う「dada猫の独白」の頁です。

■dada猫の思考回路
■好きな文章
「僕は精神が好きだ」   大杉 栄    (1918年 2月)

 僕は精神が好きだ。しかしその精神が理論化されるとたいがいはいやになる。
 理論化という行程の間に、多くは社会的現実との調和、事大的妥協があるからだ。まやかしがあるからだ。
 精神そのままの思想はまれだ。精神そのままの行為はなおさらまれだ。

 この意味から僕は文壇諸君のぼんやりした民本主義や人道主義が好きだ。少なくともかわいい。
しかし法律学者や政治学者の民本呼ばわりや人道呼ばわりは大嫌いだ。聞いただけでも虫ずが走る。
 社会主義も大嫌いだ。無政府主義もどうかすると少々いやになる。
 僕の一番好きなのは人間の盲目的行為だ。精神そのままの爆発だ。

 思想に自由あれ。しかしまた行為にも自由あれ。そしてさらにはまた動機にも自由あれ。

大杉 栄 (おおすぎ さかえ)1885.1.17~1923.09.16 文学者、思想家。「自立した個人の絶対的自由」を求める徹底した個人主義者及び社会主義者として知られる。関東大震災の際、憲兵隊にとらえられ、虐殺された。

最初に大杉栄の文章を上載してみました。
dada猫が好きな文章です。
この時代にこのような文章を綴ると言う表現行為をする事は、矢張り命がけであり、それでも尚表現する人間の精神の尊さを感じるのです。
結果、大杉栄は国家権力により虐殺されてしまうのですが、今この文章が残っている事が救いでもあります。

■突然dada猫が   このような書込みをはじめたかと言えば、矢張り 「イラク」 の件がきっかけではありますが、ただそれだけではなく、それに伴う様々な意見に国論が二分化されている事が、興味ある事実としてあるからなのです。
自衛隊派遣・人質事件の賛否・自己責任等、日本の国が今回は不思議な盛り上り方をしていますので、HPの中でdada猫の所感を書込みしてみようと思いました。

■アメリカに占領されて・・・ 
 日本人は自ら革命をおこして現在があるのでは無くてアメリカに破れて占領され「民主主義」なる物を与えられた訳です。これは簡単ではあったが中身がついてこなかったのが日本の民主主義であります。アメリカによりそのシステムを与えられ、その範疇の中での自由主義、資本主義ゴッコをしていたのに過ぎないようにさえ思えます。
実際の所、その後の日本は強大な官僚機構と自民党の単独支配により、最も社会主義的、共産主義的な国を作り上げて来たのです。
不思議な事に東西の冷戦構造が壊れ、日本ではバブルが弾けて、21世紀になってみると社会党はすでに無く、共産党は過去の遺物と化して、某新興宗教の政治部と同じく、似非評論家集団になっています。
まさに「おわらいぐさ」であります。
ブッシュはフセインが嫌いで、フセインを拘束したのだから、もうアメリカは気が済んでよいのです。後は一刻も早くイラク人に自らの手で「自由」に国家を構築してもらう事が重大な事なのです。
これ以上アメリカが何かをイラクでしようとしても、それは「おわらいぐさ」なのですから。(2004.Apr.27)

■アメリカの覇権主義の光と陰  オリンピックは「参加する事に意義がある」等と言っていた時代は過ぎて、国対抗の覇権争いの様相を呈してから久しい。アメリカとメダルの数で競っていたソ連や東独は今は無く、アメリカの一番は変えようがない状態である。
金メダリストはアメリカンドリームを叶えて一躍ヒーローともてはやされる。ミッキーマウスもスパイダーマンもなんでもヒーローの国である。戦争で死んだ兵士もヒーロー化されると正に命がけである。
そんな光の部分があれば、必ず陰の部分もある。勝者があれば必ず敗者がある、数で言えば圧倒的に敗者の方が多いのが世の常である。戦争に行った人はヒーローにならない方が賢明だと思ってしまう。
世界の各国が集まって・・・と言うのに「国連」と言う団体があるが、こちらのルールは破りっぱなしで、地球温暖化についても無視に近い状態の国。これもアメリカである。何とも悪太郎の我侭親爺となって更年期を迎えた国のような気がする。
むかし「ジャイアンツ」と言う映画を見てロック・ハドソンの演ずるビック・ベネディクトにアメリカの親爺の姿を見て感動したものだが、今のその国はジェット・リンクの最後に近いようであると見えてしまいます。(2004.Apr.29)

■憲法記念日 5月3日 日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する日らしい、かなり怪しい日。
「憲法」についての議論がある。護憲だの改憲だのと騒がしい。
ただもうどうしようもない解釈ばかりされる今の憲法は、よした方が良いとは思う。
第一条から撤廃すべきである。天皇は国民統合の象徴等という所からインチキである。
総理大臣は靖国を参拝し、政権与党には新興宗教団体。軍隊を海外に派兵して戦争である。
それらに反対している訳ではない、人なのだから個人の自由なのである。
ただ気に入らないのは、 内心気付いているのに恍けている精神である。
それらの精神の卑屈さにいらだちを感じる。

そう言った精神の持ち主が、改憲したら恐ろしい事になるだろう。
倫理の組立てがおかしい政治家が、勝手な解釈を通して現在がある。文面を素直に解釈すれば、まだまだ立派な憲法だとは思うのだが、これまで精神と日本語をねじ曲げてしまったらどうしようもない・・・ 5月3日(月)日記より

■精神の健全さは・・・
60年程昔に唯一アメリカが占領した国で、とりあえず有難がられている国があります。
自由と民主主義を与えられ60年後には奇々怪々なニュースが溢れている妖しい国家の事です。
その国では表面では自由と民主主義を標榜しておりますが、モラルの低下した政治家たちが憲法をねじ曲げた解釈をして、軍隊をイラクに派兵しております。

アメリカ占領政策は、その国独自の連綿と続いている宗教感や文化を踏みにじる傾向があり、「まっとうな精神」を持つイラク国民の、自己のアイデンティティをも否定される事にひとしい「虐待行為」等は、到底素直に受け入れられる事の出来ないのが「信条」であると思うのです。
フセイン政権は確かに独裁政権であったにせよ、その政権が崩壊した後に、より悪烈な「アメリカに支配された」と感じる事は、イラクの人々の自然な考えではないのでしょうか。

反発するのが当然だと思んばかる事ができずに、ベトナムでの失敗を繰返そうとしております。
妖しい国家も占領軍の一部です。
また「民度」を低下させてしまいました。

お仕着せの自由と民主主義よりも、彼等は流血の無い平和がもたらされれば、人間の尊厳を重視し、育んだ文化の中で生きる道を選ぶのではないのかと思うのですが・・・。

イラクの占領がおきてから、なぜか昔の意識が覚醒された自分を感じます。 大杉栄の文章が鮮やかです。5月16日

■ディベート[debate]
ディベート (debate)と言う言葉は、最近よく聞く言葉です。
辞書検索をしてみると[1] 討論.討議.〈現〉[2] 源平式討論.ある課題について,肯定・否定の2組に分かれて行う討論会.〈現〉とあります。
源平式討論となると、どちらかが滅亡するまで行う討論なのかと物騒にも感じるのだけれども、討論・議論・問答・・・と言った行為が日本人は下手になっているような気がします。
禅宗などにある問答もそうですが、dada猫は若い頃から様々な議論を交わす事により「知」の発達があり、その中から生まれる「恵」が人間の知恵(智慧)となると思っているのです。
昨今の風潮は協調的な物事の進め方が多く(俗に政治は妥協だ等と言う族がいるが)このままでは「日本人は知恵遅れ」になりそうだと思うのです。
同じように感じている人達が、ディベートと言う横文字を流行らしているのならブームにでもしたいくらいなのですが・・・。11月12日の日記より

■優劣のかなたに (「にゃんの博物館 http://www.geocities.jp/kikisyoko/」2005年05月19日より引用) 2005年05月20日 [ 徘徊雑記 ]

2005年05月19日
これは、
4月17日に98歳で亡くなられた
私の尊敬する国語教育者の大村はまさんの最後の詩です。

「優劣のかなたに」
優か劣か
そんなことが話題になる、
そんなすきまない
つきつめた姿。
持てるものを
持たせられたものを
出し切り、生かし切っている、
そんな姿こそ。
優か劣か
自分はいわゆるできる子なのか
出来ない子なのか
そんなことを
今日も子どもも
しばし忘れて、
学びひたり教えひたっている、 そんな世界を見つめてきた。
学びひたり
教えひたる、
それは 優劣のかなた。
ほんとうに 持っているもの
授かっているものを出し切って、
打ち込んで学ぶ。
優劣を論じ合い
気にしあう世界ではない、
優劣を忘れて
ひたすらな心で ひたすらに励む。
今は できるできないを
気にしすぎて、
持っているものが
出し切れていないのではないか。
授かっているものが
生かし切れていないのではないか。
成績をつけなければ、
合格者をきめなければ、
それはそうだとしても、
それだけの世界。
教師も子どもも
優劣のなかで
あえいでいる。
学びひたり
教えひたろう
優劣のかなたで。


 この詩は新聞に載った詩なので、
読んだ人も多いとは思うけれども、
「教えること」を生業としているにゃんちゃんには
とても、とても、心に響きます。
もうすぐ、中間テストです。
もう一度、読み直し、
なにが大事なのか、
もう一度、しっかり確認し、
テストに臨みたいと思います。

以上「にゃんの博物館 http://www.geocities.jp/kikisyoko/」より勝手に引用させて戴きました。
  通常であればトラックバックですが、できなかったので、そのまんま引用させてもらいました。
 ブログの徘徊をしていると「胸襟に触れる」出合いが時としてあります。
 今夜、大村はまさんの最後の詩に触れたのは、それにあたりますね。 (ニヤリ)
 繰返し読む愉しさを満喫させて戴きます。
Last updated 2005年05月21日 16時52分29秒
■こだわり・・・小泉首相・靖国参拝
 人の「こだわり」と言うものは面白いものである。
 個性とは他の人とは違う部分が他から見て、その人の特徴だったこだわりの現れなのだろう。

 そういった意味ではdada猫も相当に「個性的」ではあると、他からは言われるのだが・・・
 しかしそれが先頭に立って総選挙に大勝した党の総裁、内閣総理大臣となると国民に認められた個性と言う事になるのではないだろうか。

 小泉総理は靖国参拝をする事は確実視されていて靖国に詣でた。
 憲法20条第三項に対する、大阪高裁の違憲判決にもかかわらずに靖国を訪れる事。
 参拝の形式等に気づかいはあるにせよ国の首相のこだわり、個性の表現である事はたしかである。

 ある意味で靖国参拝は、筋が通った行為である。
 この頑固者振りが人気のもとなのだろうし、このような変人ぶりはdada猫は好きである。

 ちなみにdada猫は靖国神社に行った事はあるが参拝はしない。そもそも嫌いであるし、その宗教性自体が怪しいものであると思っている。
 これはdada猫の信ずる所から為せる個性である。 2005年10月17日 日記)

■アイデンティティー[identity]・・・小泉首相・靖国参拝/其の弐
アイデンティティー[identity] をInfoseekで調べてみると・・・
[1] 【心】 自我同一性,自己同一性,主体性.自己の連続性,自分が自分であることを感得しうること.〈現〉
★1969年に米国の精神分析学者エリクソン[E. H. E. Erikson]が提唱した概念.
[2] 独自性.個性.集団・組織・民族などへの帰属意識.〈現〉
[3] 特定の人物であること.身元.正体.〈現〉とある。

 学生の頃の会話によく出て来た言葉である。
 岩手訛の標準語でしゃべる彫刻の講師が、ハイニッカの麦茶割りを呑みながら「君たちの作品には あいでんてぃてぃ を感じないんだよ! 」と批評された事を思い出した。
 事分達も呑みながら喧喧諤諤の口論!
 バイトと思索と制作と議論と読書、そんな事の繰返しの日々がありました。
 ん?・・・今もあまり変わらないか~

 そこで小泉首相の靖国神社参拝を解析してみると、毎度繰返される小泉発言「 戦没者の慰霊 と、 不戦への決意を新たにする という信念を貫いたものであります。」といつも言っている。
 それこそが総理大臣小泉純一郎のアイデンティティなのである。

 それによって見えるどうでも良い部分は、
 壱.本殿への参拝・・・今回一般参拝者と同じ「拝殿」での参拝。
 弐.玉串料奉納・・・右のズボンのポケットからコインを取り出して賽銭箱へ投げ入れる。
 参.二礼二拍手・・・拝殿の前で一礼したあと、賽銭をおさめて手を合わせて1分間近く拝み、再び一礼して参拝を終えた。
 四.服 装・・・ダークグレーのスーツに白いワイシャツ、水色のネクタイ姿だった。
 これらの行為によって靖国神社の云う処の儀礼を完全に無視している。
 結果「どうでもよい部分」は 靖国神社の宗教的存在 なのである。

 それによって 「靖国参拝、支持が上回る 共同通信緊急世論調査」 (共同通信)
 小泉純一郎首相の靖国神社参拝について共同通信社が17、18両日に実施した全国緊急電話世論調査によると、「参拝してよかった」が48・1%だったのに対し「参拝すべきではなかった」が45・8%と、参拝支持が不支持をわずかに上回った。前回9月調査では「今年は見送るべきだ」(53・0%)が「今年も参拝すべきだ」(37・7%)を上回っていたが、賛否が逆転した。

 戦後60年、敗戦国と云う事で国のアイデンティティーと言うか、国家への基本的帰属意識を持つ事を封印して、アイデンティティーが欠落したままにいるのが現在の日本人なのでは無いのだろうか。
 その蓄積の現れが投票率の低下や納税率の低下。ニート問題や若年層の凶悪犯罪を産んで来ているようである。
 これから年寄りと言われる団塊の世代は、敬老に値すべき世代では無く「ダメオヤジ」と「オバタリアン」の世代なのである。
 まずはじめにあるべき国家国民の意識の各人への浸透が無く今日がある以上、小泉首相の靖国参拝を期に何かしらの自問自答をしなくてはいけないのではと想うdada猫であります。  2005年10月18日 日記

(以下は後日上載予定)


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