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ふと思ったのだけれど、旧約聖書などに書かれている神による天地創造や、人間の創造の物語を、そのまま信じることがどうしていけないのだろう?ビッグ・バン説や進化論は、確かに意識のレベルに於いては真理かもしれない。だが、無意識のレベルに於いては、それらは信憑性を持ち得ない。結局は、意識の側に立てば、ビッグ・バン説と進化論を採るべきとなるし、無意識の側に立てば、神による天地創造や人間創造の説を採るべきとなるのではないか。一方のみを真とし、他方を偽とするのは、偏った態度といってよいだろう。何度も言うように、人間は意識の側面を持つと同時に無意識の側面をも持っている。ならば、正々堂々と、神による天地創造、人間創造の説を信じて良いのではないか。そんなことをふと思った。
2011/06/21
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日本語で、マネーとゴールドが同じ「金」だというのは紛らわしいね。この紛らわしさは、日本人のマネー信仰に一役買っているのかも。気になって money の語源を調べてみた。OED によると、"the name of a goddess (in classical times regarded as identical with Juno), in whose temple at Rome money was coined."「ある女神(古代ローマ時代にはジュノーと同一視された)の名前。ローマにあったこの女神の神殿で、貨幣が鋳造されていた。」というわけで、money と gold には特に言語上の関係はないようだ。紙幣や卑金属製の硬貨、ましてやデータ上の数字に、「金」の文字を使うのは最早相応しくないのでは。「お金」のことは、これからは意識的に「通貨」などと呼ぶようにした方がよいかも知れない。
2011/06/20
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ふと思ったので、ちょっとシミュレーションしてみた。何故国の借金がここまで膨らんだのか?それだけ貸す人がいたから。それは誰?主として銀行(郵貯含む)預金者。と云うことは、やっぱり、銀行に預金することは、国債発行を支援することになるね。金持ちは、ある程度以上の銀行預金は控えるべきかも。
2011/06/18
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日本人には前の戦争についての責任がある、これは当時生きていた日本人だけではなく、戦後生まれの日本人にも云え、今の日本人の若者にも云えることである。とまあこんな議論がある。村上春樹さんも以前からこのことを言っており、それを読んで私は、確かにそんな気もするけれど、どうも今ひとつ納得が出来ないでいた。当時生まれてもいなかった私にどうして責任があるのか?そして尖閣の事件があり、民主党政権は「船長」を解放し、私は悔し涙を流した。この時に私の中に生まれた気持ちが、国と民族の名誉を守る為ならば命なんて惜しくない、奴隷の平和を選ぶよりは戦って死にたい、という気持ちだ。そして前の戦争に思いを馳せた。当時、戦争に参加したり、戦争に賛成した人達もまた、同じ気持ちだったのではないか、と。そうして遅ればせながら前の戦争について勉強を始めてみて分かったことは、どうやら戦後生まれの日本人の戦争責任云々の話以前に、そもそも日本に戦争責任なんてものがないらしいと云うことだ。以前は日本には戦争責任があるということが大前提としてあり、その責任を戦後世代が負わなければならないのかどうか、負わなければならないのだとすれば一体いつまで負わなければならないのか、と云う点が私の関心事だった。だが、その大前提が一気に崩れてしまった。反日勢力の巧みな議論のすり替えにまんまと騙されていたらしい。喩えてみれば、魚の足は2本か4本かと云う議論をしていたようなものだ。反日勢力が、「魚の足は4本じゃないか! 認めなさい!」と云う。この時、彼らは魚に足があることを無言の内に大前提としている。お人好しな日本人は、この巧みな手口に引っかかって、魚に足があると云う前提を受け容れてしまう。そして、「いや4本じゃなくて、2本じゃないかなあ」などと反論する。喩えは上手くないが、このような議論のすり替えは、この問題だけでなく、他の様々な問題でも利用されている。日本人のお人好しは、ある意味美徳ではあるが、この文脈に於いては重大な欠点であり、犯罪的であるとすら云いたい気がする。ちなみに、歴史の縦軸と横軸における民族の連続性、また、その構成員の相互依存性については、私も積極的に認めたいと思っている。よって、仮に日本に戦争責任があったのだとすれば、その責任の一端を戦後世代も引き受けなければならないと考えたことだろう。
2011/06/14
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そういえば、前述の演説の中で村上春樹さんが「叡智を結集して」云々と語っていた。別の演説の中で、オバマ大統領もまた「叡智を結集しよう」と語っていた。だが、叡智なるものは結集するものではない。三人寄れば文殊の知恵と云うように、3人位までならば、あるいは叡智を結集して相乗効果が見込めるかも知れない。しかし、叡智というものは、基本的には叡智ある人がただ一人で発揮するものである。4人以上の叡智が集まれば、それらの叡智は、集まれば集まるほどに、薄められ、薄められ、薄められ、薄められ、薄められして、結局最後に残るのは最大公約数としての愚鈍のみとなる。「多ければ多いほどよい」と云うのは、まったく思慮浅薄の考えである。
2011/06/13
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村上春樹さんの「原発批判」演説をYoutubeで見たが、聴いていてどうもしっくり来なかった。中学生か高校生の作文程度の内容しか無く、綺麗に話を纏めているだけで、説得力が感じられず、聴いていて白けてしまった。春樹さんの歴史認識、日本理解、世界認識には不十分なところが大分多いようだ。「世界共通の価値観を作れたら素晴らしい」みたいなことを言ったり、「我々は世界市民だ」みたいなことを言ったりもしていたが、この様な考えは私の考えとは相容れない。現在日本が経験している原子力災害について、私達日本人の全てが加害者であるという意識を持つことが大切だ、というのは、その通りであり、私も同意する。だが、その加害というのが如何なる意味に於いてであるのか、と云う点について、春樹さんの考えと私の考えには大きなずれがあるように感じる。春樹さんは、「効率追求」の過ちに全てを還元したいようだが、これには同意できない。問題はそのような単純なものではなく、もっともっと根深く複雑なものである、と云うのが私の認識である。また、広島の「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」の言葉を「素晴らしい言葉です」などとも言っていた。春樹さんは小学生だか中学生だかの頃に中央公論社の『日本の歴史』シリーズを繰り返し読んでいたそうだから、その東京裁判史観が体に刷り込まれてしまっているのかも知れない。春樹さんの悪口を言うのは本意ではないし、また、事は単純ではないから、今回の件についてはこれで止めておくことにする。
2011/06/11
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日本語で物を読んだり書いたり考えたりするのに、日本語のボキャブラリの充実が必要であるのと同じように、イメージや象徴で物を考えたり感じたり掴んだり説明したりするのには、イメージと象徴のボキャブラリの充実が大切である。言葉が理性や思考の道具であるとすれば、イメージや象徴は体や無意識の道具である。世界認識や人間関係のために言葉が大切であるのと同じように、それらのためにはイメージや象徴も大切である。なんとなれば、人間は意識の動物であると同時に無意識の動物でもあるからである。イメージと象徴のボキャブラリの宝庫と云えば、もちろん神話であり宗教であり民話であり伝説である。イメージも象徴もあちらこちらに転がっているものではあるが、本源的なものは全てこれらの領域に備わっていると考えてよいだろう。言葉の素養や教育も勿論大切ではあるが、それと同時に、イメージと象徴の素養や教育も大切である。
2011/06/10
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反戦的内容。兵隊の扱いが如何に不当であったのかの描写に力点が置かれている。嫌々乍らに戦争に参加している兵隊ばかりが描かれており、またその描き方もふざけていて、兵隊に対する敬意が感じられない。本作品の舞台となっている戦いは、確かに無意味な戦いであったのかもしれない。其れに就いては他書を当たって確認しなければならないが、本作品に於いて、この戦いが如何様に無意味であったのかは充分に描かれておらず、あたかも大東亜戦争自体が無意味であったかのように読むことも可能。このあたりに、作品としての不十分さを感じた。水木氏は自身が兵隊として参加した経験があり、それが故に、大東亜戦争の全体を客観的に眺めることが出来ない部分があるのだろう。よって、水木氏を責めることはしない。懸念されるのは、本書を読む読者が、この作品で描かれていることを、そのまま大東亜戦争全体に拡大して解釈してしまうことである。本書を読んで、水木氏の大東亜戦争に対する立場が分かったし、また、作家として上記のような未熟度を持っていることも分かったので、今後水木氏の戦記物はあまり読みたい気がしない。
2011/06/09
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隣に住む難聴独居老人が一日中大音量でテレビを見ているので、私はほぼ一日中耳栓をしながら暮らしている。そんな私は在宅労働者でほぼ一日中家にいる。また、この老人は、夜中にベランダの洗濯機を回すことがよくあるので、寝る時も毎日耳栓をつけて寝ている。耳栓だけでは不十分な時は、耳栓の上から防音マフを装着する。で、気になったのが、こんな暮らしをしていて、耳に悪影響が生じないのかということ。検索してみると、どうも悪影響はないらしい。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1317499333この知恵袋の質問、閲覧数:493お役立ち度に5人が「役に立つ」と評価。朋あり、遠方にて悩む。悪影響がないのは良いが、勿論何らかの影響はある。妙に耳の聞こえが良くなったような気がする。大音量で音楽を流している店などに行くと、音楽が耳に響いて痛い。我が愛用の防音マフは、H540A-411。耳栓はここでお得に購入。サイズや装着感は耳栓毎に異なるため、その時々に応じて適切な耳栓を選択する。一番強力なのは、MOLDEX CAMO PLUGS(モールデックス カモ プラグ)。しかし、これは長時間つけていると圧迫感が強すぎて耳が痛くなるので、他の耳栓では音を防ぎきれない時に最後の手段として使用している。普段は次の二つを主に愛用している。MOLDEX SPARK PLUGS(モールデックス スパークプラグ)E-A-R Classic Soft(イヤー クラシック ソフト)前者の方が強力。だが、その分圧迫感は強い。後者はそこらの薬局などで売られているものと同じだが、これが意外に優れもの。小さめのサイズであるため、子供や女性にもお勧め出来る。
2011/06/09
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http://www.youtube.com/watch?v=Jz4wolsUgFU&feature=youtube_gdataこれ、まさにその通り。左翼系の本はやたら置いてあるのに保守系の本は非常に少ない。例えば、保守系の雑誌『Will』はかなり売れている雑誌なのに、京都市の図書館はどの館にも置いてない。このような思想統制が、日本社会の様々な領域で隠密に行われている。
2011/06/01
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以前図書館で借りて読んで大変感銘を受けた本。もう一度読み直したいと思い、今度はちゃんと購入して読んでみた。改めて良書だと思った。お奨めしたい人:今の世の中はおかしいと感じて居る人。或いは、何かおかしいと薄々感じ始めて居る人。「右翼とか左翼とかって一体何なの?」と云う人。「保守主義って何?」と思って居る人。日本の保守主義に就いて考えたい人。等々。講演の記録であり、とにかく読み易く分かり易いので、政治や思想の知識は全く無いと云う人にもお薦め出来る。本書を読むと、どうして保守主義、或いは保守的態度しか、正しい選択肢として残されて居ないのかが、分かり易く理解出来る。自由主義に染まって居る人であれば、本書を読んでもそれを理解出来ないかも知れない。しかし、今後世界が今以上に酷い状態になった時に、本書の主張の正しさに合点が行く事になるだろう。
2011/05/23
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【眼前百事】TPP書籍とAmazon在庫の怪、国益本は日本の書店で[桜H23/5/20] やっぱりアマゾンで本を買っちゃ駄目だね。因みに、書店に行って本の展示具合をよおく見ると、愛国的書店と反日的書店の本の並べ方の違いがはっきりと分かる。
2011/05/20
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【頑張れ日本】東日本大震災、現地取材レポート~仙台・石巻市[桜H23/5/17]http://www.youtube.com/watch?v=AXDuWRu1n5Q被災者の方々の自衛隊に対する尊敬と感謝の気持ちが胸を打つ。NHKや民放は、こういうのをちゃんと報道しているのだろうか?
2011/05/18
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尖閣の一件以来、食べ物から着る物から、極力日本製を買う様にして居るが、日本製の着る物を見付けるのは非常に難しい。服屋だと、Men's Bigi、United Arrows、Takeo Kikuchi の三つが、割と日本製を見付けやすい。といっても選択肢は相当限られる訳だが。2chにこんなスレがある。日本製にこだわり続けるブランドを応援するスレ 2ここにある様な書き込みを見て居ると「おお同志よ!」と云う気分になる。お店に行って、「日本製の●●探して居るんですけれど」とお店の人に言うと、どうして日本製に拘るのかと怪訝な顔をされる事がある。と云うよりも殆どがそうだ。変な人が来たなと内心思って居るのだろう。まあ斯うやって怪訝な顔をされながらも言い続けて行けば、その内、日本製である事がセールスポイントになり得るのだと云う事に気づいてくれるのではないかと思ったりもする。だが、それにはもっともっと同志が増えないといけないだろう。
2011/05/17
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あんまりちゃんと憶えて居ないけど、この前BBCか何かのニュースで、オバマ大統領が、移民は米国経済に良い影響をもたらして居ると熱弁して居るのを聞いた。内容はと云えば大体こんな感じ。「グーグルを見て! ヤフーを見て! イーベイを見て! みんな移民達が始めた企業じゃないか!」とまあこんな調子の演説だった(記憶はかなり曖昧で適当)。挙げられた企業の名前に愕然とした。なーんにも手で触れる物を作って居ない会社ばかり。まあインテルも挙げて居た様な気もするが。そして、こんな演説に喝采を送るアメリカの聴衆達。(後で関連記事発見。)アメリカの現状はよくは知らないが、アメリカに未来がないと思える最大の理由は、移民。所謂WASP(アングロサクソン系白人新教徒)のアメリカならば、復活への可能性も残されて居るかも知れないが、遠からぬ将来にスパニッシュ系を中心とした新移民達が人口の大半を占める様になると云われて居るのを聞くと、アメリカの復活には何の望みも抱けない。アメリカは別に好きではないけれど、正直なんとか頑張ってくれないかなと思って居るのだが・・・。
2011/05/17
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1951年の3月頃、ユングは、ドイツの非武装中立に就いての文章の寄稿を依頼された。この依頼に対する断りの手紙の中で、ユングは、ドイツの非武装中立の提案に就いて、次の様な考えを述べて居る。------(以下、抄訳で、必ずしも正確な訳ではない。適宜読み易い様に修正した。ただし、趣旨は曲げて居ない積もり。)ドイツの非武装と云う様な考えは、居眠り中の国に於いてしか起こり得ない夢の様なものである。この夢は、自国の事を無害で平和を愛する国だと考えて居るが実は極めて戦争好きな国が見る夢である。この世界は無秩序で、狡猾さと力のみが意味を持っている。この様な世界に於いて、もし人が、非武装のまま生き長らえる事が可能であると考えるならば、その人は夢を見て居るに過ぎない。ドイツ人が、自分たちの国が今再武装する時であると意識的に考える様になればなる程、それは平和にとって好ましい事である。武装しながらにして中立である事が可能である。しかし、非武装中立は、本能の崩壊の骨頂である様に私には思われる。武装する事は確かに一つの悪であるが、武装しない事は更に大きな悪である。物の分かった者であれば、この小さい方の悪を以て節度よく満足するだろう。非武装中立を企む事は、神に対する思い上がりである。願わくば、この事をはっきりと意識して、小さい方の悪で以て満足して頂きたい。「非武装中立を!」などとの考えは悪魔の誘惑であり、そこには、大見得切りで恰好をつけたいか、自己陶酔に浸りたいかの意図しかない。------
2011/05/17
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日本のメディアで既に取り上げられて居るのかどうか知らないが、「SlutWalk」なる運動が、カナダ、アメリカ、イギリスなどで行われて居るらしい。https://secure.wikimedia.org/wikipedia/en/wiki/SlutWalk発端は、カナダのトロントの警察官が、「女性は、レイプの被害に遭わない様に、slut(身持ちの悪い女、売春婦)みたいな恰好をするのは避けるべきだ」と云う様な発言をした事らしい。この発言に反発して始まった運動で、女性が「自由な」服装をする事の権利を主張して居る。この運動の代表者らしき女性が、BBCで自分たちの主張を述べて居るのを聞いたが、典型的な過激自由主義者の議論であり、いつもの事ながら、呆れ返って仕舞った。人間の本能を無視して、人間の意志の力を過大評価する。この「SlutWalk」の様な主張は、過激自由主義者たちがいつも犯して居る、hubris(神々に対する思い上がり)の一例である様に私には思われる。Fear God!(神を畏れよ!)。この非常にシンプルな一言をみんなが思い出せば、どれほど増しな世の中になる事だろう。
2011/05/17
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『人間の建設』小林秀雄・岡潔(新潮文庫)より抜粋。---------------------------小林: 僕ら日本人は、何でも分かる様な気で居ますが、実は分からないと云う事を、この頃強く感じるのですよ。自分に分かるものは、実に少ないものではないかと思って居ます。岡: 小林さんにお分かりになるのは、日本的なものだと思います。小林: この頃そう感じて来ました。岡: それでよいのだと思います。仕方がないと云う事ではなく、それでいいのだと思います。外国のものはあるところから先はどうしても分からないものがあります。小林: 同感はするが、そう云う事がありますね。だいいちキリスト教と云うものが私には分からないのです。(98-99)---------------------------------------------小林: 僕はこの頃西洋人の事が段々分からなくなって来たのです。岡: 何か細胞の一つ一つが皆違って居るのだと云う気がしますね。小林: そう云う事がこの頃ようやく分かって来た。僕らの受けた教育は一種西洋的なものだったし、若い頃の自分の好みもそう云う風でしたから、西洋を分かった積もりで居た事が多いのです。それが段々と反省されて来ました。分かる事が少ない、実に少ないと云う傾向に進むものですね。(116)----------------------本書は、昭和40年(1965年)10月の『新潮』に掲載された対談。この時、小林秀雄はおよそ63歳。日本人には、西洋人も西洋の文化も本当の意味で理解する事が出来ない。この事を、最近になって私も感じ始めて来て居たのだが、小林秀雄も同じ感覚を持って居た様だ。哲学にせよ、文学にせよ、その他芸術にせよ、およそ西洋のものを日本人が理解したり鑑賞したり味わったりする事には限界がある。この事はよくよく肝に銘じておいた方がよい。この国際化の時代に、西洋のものを学ぶ事には意義がある。不可欠なものだとも云える。しかし、その学びは、日本と云う土壌に根っこを生やした自分にとって、真の滋養となる様な学びにはならない。
2011/05/01
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http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-4224.html武田さんが酷い云われようだ。武田さんの仰っている事が正しいかどうかは私には判断出来ないが、私は武田さんの真心は信じる。なにより武田さんは軸足がしっかりしているし、この様な批判を恐れずに毅然と己の信じるところを発言し続ける武田さんは立派だと思う。物の考え方は人それぞれ違う訳だから、武田さんのアドバイスに従うかどうかは各自が判断すればよい。武田さんはご自身のスタンスをはっきりと明示されている訳だから、このスタンスを念頭に置いて各自が判断すればよい。武田さんの仰っている事が正しいかどうかに関係なく、私は、武田さんの言論活動には深く感謝している。武田さんのHPはこちら。http://takedanet.com/
2011/04/27
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なぜ政府は現場が活動しやすいように手を打たないのかhttp://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5869ああ、もう最低だ。
2011/04/15
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1959年の、ユングのインタビューより抜粋Jung: ... Ochwiay Biano also thought that the whites were crazy since they maintained that they thought with their heads, whereas it was well known that only crazy people did that. This assertion by the chief of the Pueblos so surprised me that I asked him how he thought. He answered that he naturally thought with his heart. And that is how the ancient Greeks also thought. Interviewer: Do you believe that white people think with their heads? Jung: No. They think only with their tongues. They think only with words, with words which today have replaced the Logos. (C. G. Jung Speaking 400)ユング: (前略)Ochwiay Biano (プエブロ・インディアンの首長の名前)は次の様に言いました。「頭を使って物を考えていると主張するなんて、白人達は頭が狂っている。頭を使って物を考えるのは頭の狂った人間だけだと云う事は周知の事実なのに。」彼のこの言葉に私は余りに驚かされたので、「では、あなたはどうやって考えるのですか?」と訊ねました。すると彼は、「そりゃ当然、心(心臓)を使ってに決まっているじゃないか」と答えました。そしてこれは古代ギリシア人達も同じで、彼らも心(心臓)を使って物を考えていたのです。インタビュア: では、あなたは、白人達は頭を使って物を考えていると思いますか?ユング: いいえ、思いません。白人達は舌を使っているだけです。言葉だけで考えているのです。かつてのロゴスは今や失われ、もはや言葉だけになって仕舞いました。-----------------民主党の連中がしゃべっているのを聞くと、上のユングの言葉をよく思い出す。そして、『不思議の国のアリス』の女王様よろしく、"Off with your head!" と叫びたくなる。まあ、ユングに言わせれば、頭すら使っていないと云う事になるのだが。頭では何でも考えられるし、口では何でも言える。斯くして人はそれぞれ色々な事を言うわけであるが、誰の言う事を信用すればよいかと云うと、その一つの有力な判断基準は、言葉に善しき心がこもっているかどうかと云う事ではないかと思っている。勿論、何をもって「善しき心」とみなすかを判断するにはセンスが必要になる訳だが。
2011/04/14
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http://www.youtube.com/watch?v=3WZ060V_NAo&playnext=1&list=PLFA65C9D87F9F7300スイスと云う国には良い印象を持って居たのだが、やはり明るい面ばかりではないようだ。とは云え、近くに強大な悪がある中、自国を守る為には、時には悪事を働かなければならない事がある、と云うのはよく分かる。なので、道義的判断は難しいところ。スイスが中立国のふりをしながら陰でナチスドイツを支援して居たと云う事は知らなかった。これが真実だとすれば、丁度、支那事変に於いて、アメリカやイギリスが日本に対して行って居た事と同じ事になる。又、スイスがユダヤ人の財産を没収したのだとすれば、それは、大東亜戦争後に日本に対して支那や朝鮮が為した事と似て居る事になる。だからどうだと云う事はないが、ともあれ、真実を知っておく事は悪い事ではない。
2011/04/13
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被災地への救援物資の支給、もうすっかりましになっていると思っていたけれど、相変わらず酷い状況のよう。宮崎の口蹄疫の時と同じ事が、今度は人間に対して行われている。民主党政権、こりゃ業務上過失致死罪に問われねばならないのではないか。日本ユニセフ協会が詐欺的集団であると云うことは前から言われているようだが、日本赤十字社は、あれだけ募金を集めているのにも関わらず、まだ一銭も分配していないらしい(数日前の情報)。メジャーな募金先がこの体たらく。というか、必要な支援を無駄に吸い取っているという意味では、負の働きを為しているとも云えるのではないか。その陰で、草の根の人達が必死になって頑張っているのが現状。http://www.geocities.jp/s_yamagiwa2003/http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=61526283http://www.ud-web.com/shinsai/
2011/04/13
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政府もマスメディアも、食料品等の買い置きを戒めて居る様であるが、これをいつ迄続けるつもりなのだろうか。それらの物資が、緊急に必要として居る人々に優先して供給される様にされなければならないのは当然ではある。しかし、遠からぬ将来に、更なる自然災害や、安全保障上の、又、経済的な大混乱が訪れる予兆が現前としてある現状にあっては、その一方で、国民に食料や生活物資等の買い置きを勧めると云う対策も取られなければならないはずである。燃料や食料等の国の備蓄量を高める、又、海外から大量に食料を緊急に輸入する、等の対策が為されなければならないはずである。私が寡聞にして知らないだけなのかも知れないが、現在の民主党政府はその様な対策を取っても居なければ、考慮してすら居ないのではないだろうか。民主党政府に限った事ではないが、所謂リベラル派の極端に居る人達には、人情、想像力、責任感が極度に欠けて居る様に思われる。彼らの様な人違が、各国や世界で大きな影響力を及ぼして居ると云う様な状況は、一刻も早く正されなければならない。とは云え、その様な事など起こり得ないだろう。悲観していても仕方がないので、とりあえず備蓄に就いての具体論を述べる。収納スペースに余裕のある世帯では、最低でも1年分、出来れば2年分ぐらいの食料や生活用品を備蓄しておく。収納スペースに余裕がない世帯では、出来る範囲内で備蓄をしておく。最低でも1週間分は。出来れば2週間分。勿論、収納スペースに応じて、3ヶ月分、半年分など、多ければ多いに越したことはない。国や自治体は、その規模に応じて、余裕をもって備蓄をしておく。以上の様な事がこの震災の前に為されて居れば、今の様な物資の混乱は起こらなかったであろう。物資の供給上の現在の混乱が収束すれば、国民は、一刻も早く食料や生活用品の備蓄に取り組むべきである。又、政府としては、その収束が可及的速やかに行われる様に対策を取るべきである。そして、収束すれば、国民に向けて「備蓄始め!」の掛け声を漸進的に始めるべきである。もはや、備えの要らない平和な時代も飽食の時代も終わったのだと云う事を認識して、以上の様な備蓄が、良識ある国民の義務であると広く認識される様になる事が望ましいと思われる。
2011/04/13
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先般紹介した千葉県による隠蔽には誤解があったようだ。上水道中の放射性物質の異常値が認められた翌日かその次の日には、県民に事実が一応公開されていたとの事らしい。ただ、その公開が十分なものだったのかどうかにはまだ疑問が残る。という事で、以上訂正しておきます。原発 緊急情報(41改) 千葉の水道汚染と発表http://takedanet.com/2011/03/41_8b29.html
2011/03/31
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非常に参考になるので、ご関心のある方は是非。福島原発に何が起きているのか 武田邦彦 2011.3.30 http://www.youtube.com/watch?v=DtHqQVaapSs&feature=mfu_in_order&list=UL
2011/03/30
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武田邦彦氏同様、私が信頼している言論人の一人である青山繁晴氏は、放射能汚染について、武田氏よりも楽観的な見方をされているようです。アンカー 2011.03.30-1:http://www.youtube.com/watch?v=qWQaJ3aFo7Yhttp://www.youtube.com/watch?v=U_YdooQDs6shttp://www.youtube.com/watch?v=MwTNyDlE6yM青山氏お薦めのHP:国立がん研究センターhttp://www.ncc.go.jp/jp/日本核医学会 http://www.jsnm.org/以上、バランスを取るために紹介しておきます。ついでながら、青山氏がコメンテーターを務める水曜日「アンカー」は、関西ローカルのニュース番組であり、関東地方では放送されていない様です。この番組は、私が習慣的に観ている二つのテレビ番組の内の一つであり、情報統制された日本のメディア空間の中の風穴的存在であると考えます。放送日中かその翌日には必ずyoutubeでどなたかが録画をアップロードしてくれていますので、是非習慣的にご覧になる事をお薦めします。次のブログでアップロード情報が定期的に提供されています。青山繁晴氏のファンサイト・淡交 ブログhttp://blogs.yahoo.co.jp/tankou_2008こういったサイトをRSSリーダーに登録しておくと便利です。
2011/03/30
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千葉県が上水道の規制値越え放射能汚染を隠蔽していたらしい。http://takedanet.com/2011/03/41_19d9.html放射性ヨウ素131が370ベクレル(毎キログラム。以下略)検出されたという。これは、成人向けの規制値である300ベクレルを大幅に越えている。乳児向けの規制値は100ベクレル。参考:http://www.metro.tokyo.jp/SUB/EQ2011/water_qa.htm#q01http://okwave.jp/qa/q6614924.html武田邦彦氏は「政府から圧力がかかったのだろう」と推測するが、尖閣の件から推し量るに充分にあり得そうな事である。政府も自治体もマスメディアも信用ならないと云う事実が歴然としている今、我々は、自己防衛の体勢を自ら早急に整えなければならない。文部科学省は一応日々のデータを公表しているようだ。ただし、情報がきちんと整理されておらず見ずらい。(おまけに、こういう情報が公開されている事は、国民に広く周知されるべきだと思うのだが、きちんとなされているのだろうか?)以下、参考になりそうなページを挙げます。参考ページの抽出は適当ですので、より参考になるページが他にあるかも知れません。東北地方太平洋沖地震関連情報http://www.mext.go.jp/a_menu/saigaijohou/index.htm文部科学省による東北地方太平洋沖地震関連情報のポータル的ページか?上水(蛇口水)、定時降下物のモニタリング http://www.mext.go.jp/a_menu/saigaijohou/syousai/1303956.htm各都道府県の上水の検査結果が公表されている。都道府県別環境放射水準調査結果http://www.mext.go.jp/a_menu/saigaijohou/syousai/1303723.htmhttp://eq.sakura.ne.jp/「上水(蛇口水)のモニタリング(PDF)」というところで、日々の水道水検査結果(1日2回)が発表されている。以上、取り急ぎ。
2011/03/30
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電凸!支那野菜と韓国の水が日本へ緊急輸出!・豚100頭が突然死した上海市奉賢区の検疫局は日本へ緊急輸出のキャベツを特別扱いで検査を速やかに通した・口蹄疫生き埋め死骸で地下水汚染の韓国から日本コカが水100万ケース緊急輸入http://mp-j.jp/free_9_28.html皆さん、中国産キャベツと、韓国産水には、どうかご注意を。この調子だと、しばらくは、外食も出来なければ、弁当や総菜等、出来合いの食品も食べられませんね。日本政府も日本のマスメディアも、基本的に反日、親中、親朝鮮ですので、彼らから発せられる情報だけに頼っていれば道を誤ります。これまでは、直接的に生命と健康が危険に晒される事は無かった訳ですが、事ここに及んでは、生命と健康が直接的な危険に晒されている訳ですから、細心の注意が必要です。大手新聞だと、産経新聞が一番信頼出来るでしょう。ただし、産経は親米であり、必ずしも日本人の利益、日本の国益を最重視していると云う訳ではありません。この震災を機会に、反日マスメディアを一網打尽しなければなりません。それから、日本の教育、特に歴史教育の歪みを正さなければなりません。原発情報については、武田邦彦氏の一連の発言が信頼出来ると私は考えます。http://takedanet.com/2011/03/41_70dc.html政府やマスメディアから発せられる情報は、あくまでも事実の確認のみの参考とするべきであって、他は無視した方がよいでしょう。ちなみに、国営放送であるNHKも、反日親中ですので、くれぐれも騙されない様にご注意下さい。テレビだと、やはり、チャンネル桜が信頼出来ます。youtubeやニコニコ動画でも一部配信されていますので、チェックされるとよいと思います。http://www.youtube.com/user/SakuraSoTV保守系ブログでは、標題記事のブログ「正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現」が、有益な情報をコンスタントに発してくれています。他、代表的な保守系ブログのリストはこちらです。http://mp-j.jp/free_9_28.html
2011/03/29
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武田邦彦氏が福島原発について見解を出されました。参考になると思いますので紹介します。尚、武田邦彦氏のホームページも要チェックかと思います。http://takedanet.com/> 今回の東北地方太平洋沖地震で被災されたみなさまに、心より> お見舞い申し上げます。> > 福島第1原子力発電所の状況に関して、レギュラー番組『現代の> コペルニクス』でもおなじみの化学者、武田邦彦先生の見解を> 音声解説にて緊急配信します。> > 原子力の専門家であり、内閣府原子力委員会と原子力安全委員会> の専門委員も務める武田先生による、政府発表に基づいた見解です。> > 我々が注目すべき点、起こすべき行動の指針にしていただければ> 幸いです。> > ■武田邦彦教授より<原発緊急提言01 >「はじめに~水素爆発」> └→ http://www.youtube.com/watch?v=xcREr-h7Co0> > ■武田邦彦教授より<原発緊急提言02 >「核爆発」> └→ http://www.youtube.com/watch?v=-V3RE2tCM1o> > ■武田邦彦教授より<原発緊急提言03 >「被爆を避けるには」> └→ http://www.youtube.com/watch?v=zt2jllHZiZY> > ■武田邦彦教授より<原発緊急提言04 >「地震で倒れる!?」> └→ http://www.youtube.com/watch?v=zI3cRg3Mgjc> > ■武田邦彦教授より<原発緊急提言05 >「逃げるなら」> └→ http://www.youtube.com/watch?v=BCuYG6-UKoA> > ☆ 緊急ニコニコ生放送決定! ☆> > 武田邦彦先生による上記緊急提言を、> 明日緊急ネット生放送決定!> 3月15日(火)21:00~ニコニコ生放送します。> > ■「武田邦彦出演【緊急生放送】福島原発に何がおきているのか?」> 詳細はこちら> └→ http://live.nicovideo.jp/gate/lv43242160>
2011/03/14
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日本よ、今...闘論!倒論!討論!2011【TPP問題と日本の行方】http://www.youtube.com/watch?v=gE_Bqxr0RsAhttp://www.youtube.com/watch?v=8P23rTqvGgkhttp://www.youtube.com/watch?v=TU1nEPkcIMA3時間と長いが、全体を通して非常に充実した内容。TPPは断固阻止せねばならぬ。
2011/02/28
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農協がTPP反対の署名活動をやっているらしい。下のページにアクセスして、署名用紙を印刷して、署名して、FAXするだけでこの運動に参加出来ます。http://www.zenchu-ja.or.jp/tpp/index.htmlTPPの本質について大手マスコミは殆ど報道していない様ですが、日本がTPPに参加することになれば、日本の安全保障も、経済も、国民生活も、ガタガタになってしまうでしょう。日本の社会が取り返しのつかない位に変質してしまい、いわば実質的に日本人の祖国が失われる事になってしまいます。ネット上にはTPPについての本質に迫った情報が既に充分にあります。TPPについて、大手マスコミから与えられる情報をしか得ていない方は、是非ネットなどで調べてみて下さい。エドマンド・バーク(Edmund Burke)の言葉を二つ紹介します。1."All that is necessary for evil to succeed is for good men to do nothing."(「悪が成就するのに必要な事は一つだけである。即ち、善人達が何もしないと云う事である。」 )2."When bad men combine, the good must associate; else they will fall, one by one, an unpitied sacrifice in a contemptible struggle."(「悪人等が協同すれば、善人等は連合しなければなりません。この闘いは全く忌まわしいものですが、連合しなければ、善人等は一人又一人と傷つき倒れ、しかも誰からも憐れまれもしないと云う事になります。」)好むと好まざるとに関係なく、世の中には悪い人間が跋扈しております。善人が懐手をして安穏として居れば、世の中は悪人達の手によってどんどん悪い物にされて行きます。TPPについての参考情報:西部邁ゼミナール 2010年12月18日放送http://www.youtube.com/watch?v=JcQnZ4ioiGo&feature=relatedそのダイジェスト版http://www.youtube.com/watch?v=RlyluxDfjMoチャンネル桜の討論会http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-10771031578.htmlTPP反対シンポジウムhttp://www.youtube.com/watch?v=NQZiOUTBjbM&feature=relatedTPP アメリカの本当の狙い (1) http://www.youtube.com/watch?v=XD-nv0sfbxQ&feature=relatedTPP アメリカの本当の狙い (2)http://www.youtube.com/watch?v=KwoGAtMfbUg&feature=relatedTPP アメリカの本当の狙い (3)http://www.youtube.com/watch?v=Lq37d8FbZyI&feature=related
2011/02/19
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これは何度も繰り返して言い続けなければならない事の様に思える。昨日か今日、TPP反対シンポジウムが行われた。チャンネル桜から正式な録画がそのうち提供される様だが、観客が撮影したらしきビデオがYoutubeに早速アップされていた。登壇者の熱い話がエキサイティングである。TPP締結に至れば、ほぼ全ての日本人が深刻な被害を蒙ることになる。草の根で啓蒙活動を展開せねばならぬ。全部で11本ある内の1本目のビデオへのリンクhttp://www.youtube.com/watch?v=NQZiOUTBjbM&feature=related
2011/01/31
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最近になって「海ゆかば」と云う軍歌がある事を知った。それ以来、この歌が妙に気に入って仕舞い、よく口ずさんで居る。ウィキペディアの解説によると、1937年に作曲され放送された。更に、ウィキペディアの解説から、この歌のポイントを三つ抜粋する。1.出征兵士を送る歌として愛好された。2.ラジオ放送の戦果発表(大本営発表)が玉砕を伝える際に必ず冒頭曲として流された。3.敗戦までのあいだ、盛んに愛唱され、「第二国歌」「準国歌」とまで呼ばれた。歌詞は、万葉集所収の大伴家持の長歌から採られて居る。海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね)山行かば 草生(くさむ)す屍大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめかへりみはせじウィキペディアにある現代語訳は以下の通りである。「海を行けば、水に漬かった屍となり、山を行けば、草の生す屍となって、大君のお足元にこそ死のう。後ろを振り返る事はしない」又ネット上で次の英訳を発見した。If I go away to sea,I shall return a corpse awash;If duty calls me to the mountain,A verdant sward shall be my pall.Thus for the sake of the Emperor,I will not die peacefully at home.どちらの訳に於いても、1行目2行目の「屍」は自分の屍を指して居る。この解釈によれば、この歌は正に戦意高揚の為に打って付けの歌だと云う事になる。だが、歌詞の原文を読む限りでは、この屍が自分の屍であると言い切る事は出来ない様に感じる。又、大伴家持の長歌を何度か読んでみたが、この長歌の文脈においても、屍が自分の屍を指して居ると断定する事は出来ない様に思われる。私は日本の古文に精通して居る訳ではないので、自分の解釈に自信がある訳ではないが、私の感覚に従うならば、「海ゆかば」の歌詞の大意は以下の通りである。海に行けば、水に浸かった屍がある。山に行けば、草の生えた屍がある。(どうせ人はいつか死ぬものなのだから、同じ死ぬのならば)大君の側で死にたい未練は残すまい個人的には、私の解釈の方が心に響くのであるが、大東亜戦争でこの歌のこころを胸に散華した英霊の事を思えば、上述の解釈の方を定説とすべきと云う気もする。この事実は余りに重いものであり、この事実を前にしては原文の意や原文の文脈等は二の次にしたくなる。英霊を忘るべからず。英霊に感謝。<軍歌・準国歌>海行かばhttp://www.youtube.com/watch?v=PfBebI2oFp4海ゆかばhttp://www.youtube.com/watch?v=cPkAPiJqwlg海ゆかば http://www.youtube.com/watch?v=0vuQRrQ7nvc海ゆかば ~神風特別攻撃隊~http://www.youtube.com/watch?v=kUMq6MHVjuM長渕剛 - Close Your Eyes (貴重映像を収録) http://www.youtube.com/watch?v=haQJ1cJIVA4
2011/01/22
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民主党が推進しようとし、大手マスメディアもこぞって賛成して居る TPP であるが、これは日本人の生活に壊滅的な被害を及ぼす危険性が高い。政治家も官僚もマスメディアも財界も、何もかもが信用出来ない今、良識ある国民が草の根から正しい世論を形成する様に努め、国の政治を正しい方向に持って行く様にしなければならない。その為には、あらゆる真実の隠蔽工作に抗して、多くの国民が真実を知って正しい判断が出来る様になる事が大事である。TPP に関しては以下のビデオが参考になる。西部邁ゼミナール 2010年12月18日放送http://www.youtube.com/watch?v=JcQnZ4ioiGo&feature=relatedそのダイジェスト版http://www.youtube.com/watch?v=RlyluxDfjMoなお、このページにリンクがあるチャンネル桜の討論会も長いが参考になる。http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-10771031578.htmlチャンネル桜の討論会を見て思ったのは、大手新聞界で唯一の良心かと思って居た産経新聞ですら全く信用ならないと云う事である。最初のリンク先のビデオの最後で西部邁が言う次の発言を、国民はよくよく肝に銘じなければならない。「ほんとにねえ、視聴者の皆さん、少しはあれですよ、お考えください。この世の新聞その他のねえ、或いは地上波のテレビに出て居る話は、殆どあれですから、ブルシットですから。お願いします。」
2011/01/17
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反日プロパガンダは前の大戦中も世界で広く行われて居たし、戦後から現在に至る迄も盛んに行われて居る。そしてこれに対して、日本は常に無防備であり、対処しようとはして来なかったし、それは現在も変わらない。反日プロパガンダによって、日本が蒙って居る不利益には計り知れないものがある。現実主義的な損得勘定からすれば、この現状は何とか克服しなければならないものである。ただ、日本人の心情としては、それらに一々反論するのも馬鹿らしいし、誤解するなら勝手にしておけと、投げ槍になりたい気持ちがある。下らない嘘に一々むきになって反論するのは美しくなく大人げない。それは日本人の美意識に反する事である。そうやってわざわざ自分たちを貶める様な事をしたくないと云う気持ちは多くの日本人が共有するものだろう。何と云っても悪いのは反日プロパガンダをやる側なのである。そうは云っても、反日プロパガンダによって日本が蒙って居る不利益には無視し難いものがある。日本の政治家や官僚、ジャーナリスト等は、自ら泥をかぶってでも対策を講じる責任があるだろう。ただ、日本の一般国民迄もが泥をかぶると云う様な事はしたくないと云う思いがある。一般国民が心がけるべき事は、まず第一には、自分自身が反日プロパガンダに惑わされない様に注意して、真実を知ろうと努める事。そして第二には、同胞である日本人に対して、反日プロパガンダに惑わされない様に、正しい認識を持つ様にと誘う事であろう。日本の現状を鑑みるに、テレビや新聞等のマスメディアは云わずもがな、更には書店迄もが反日プロパガンダを応援する側に立って居る。反日プロパガンダに惑わされない様にする為には、猜疑心を持ちつつ、自らの判断で信頼のおける情報源を見いだし、そしてそこから学習すると云う姿勢を持たなければならない。日本国内に於いてすら、正しい知識を得る為には猜疑心を持たなければならないと云う現状は、嘆かわしいと云う他ない。この一点を取ってみても、反日プロパガンダと云うものは誠に忌々しいものである。反・反日プロパガンダ本として、次の一書は大変面白く、参考になった。現在ハードカバー版しか販売されて居ない様であるが、文庫化され広く読まれる事が望まれる。『日本よ、「歴史力」を磨け --「現代史」の呪縛を解く』櫻井よしこ編 文藝春秋
2011/01/09
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「子宮頸がん予防ワクチン」が極めて危険な代物であると云う事は、ネットの情報を通じて薄々とは知って居たが、このビデオを見てその具体的な問題点がより判然と分かる様になった。このワクチンの危険性の最たるものは、ワクチンを接種する事によって、妊娠出来ない体になって仕舞う危険性があると云う事である。常識的な感覚からすれば、そのような危険性があるワクチンの接種を推奨すると云う事は考えられない事なのであるが、このビデオによると、現在の民主党政権は、数百万人規模で日本の女子中学生にこのワクチンの接種を行おうとして居る様である。このような事を許してはならないと云う事は説く迄もない。又、民主党政権を批判する事も今更繰り返すつもりは無い。この件を受けて私たちが学ばなければならないもう一つの大切な事は、お上を信用してはならないと云う事である。そして又、この様な大問題を殆ど報じない日本の大マスコミを、良識ある日本国民が一致団結して断固拒否するべき時が来て居ると云う事である。古代ローマの政治家である大カトーは、演説の締めくくりには、脈絡と関係なくとも、必ず次の一言を付け加えたと云う。「ともあれ、カルタゴは滅ぶべきであると考える次第である」今や良識ある日本人は、この大カトーぐらいの勢いで、次の事を言い続ける必要がある様な気がする。「ともあれ、日本の大マスコミは滅ぶべきであると考える次第である」日本は民主主義国家であり、間接的にではあれ、有権者一人一人の判断によって国の政治が為されて居る。そして、今の政治家は、自分の頭で勉強したり考えたりして正しい政治判断をする事を放棄し、国民世論に従って政治を行うと云うような状況である。政治家がこの体たらくである以上、今や、良識があり少しでも時間的な余裕がある日本国民が出来るだけ多く、自ら正しい情報を集めて正しい判断を持つ様に努める事が大切である。この複雑化した社会においては、そのような事を国民一人一人に求める事は酷な事であるから、本当であれば矢張り政治家がしっかり責任を持って政治を行ってくれる事が望ましいのではあるが、そんな事を云っても最早始まらない。この事に就いては又改めて論じたいと思っては居るが、このような現在の政治状況を考えると、社会を極めて複雑化するグローバル社会と云うものは避けるべきものであったと云う気がしてならない。社会が複雑化すればする程、有権者が正しい判断をする事がより難しくなり、その結果政治がより悪いものになってゆく。この問題は、民主主義の問題、国民のメディアリテラシの問題等、様々な問題と関連して居るのだが、それらに就いて一々ここで論じる事も出来ないので、それは又の機会に譲る。兎に角、「子宮頸がん予防ワクチン」の接種の問題点を、国民に広く周知させる事が大切である。そうなればあの無責任で悪辣極まりない民主党政権ですら、これを止めざるを得なくなるであろう。
2011/01/08
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「NHK 解体の歌」なるものを発見した。「NHK 解体の歌」非常に面白いのでお勧めです。3番の歌詞に「一億火の玉 払わんぞ」とあるのは、軍歌「進め一億火の玉だ」を踏まえて居るのだろう。「進め一億火の玉だ」1「進め一億火の玉だ」2その軍歌中の次の一節、見たか知ったか底力堪え堪えた一億の堪忍袋の緒が切れたと云う部分は、正に今の日本人の心境を表して居るとも云える。とは云え、これは勿論、意識の高い愛国日本人に限られる事ではあるが。今こそ、愛国日本人は一致団結して、上の様な思いを、中国共産党、並びにNHKを始めとした中共御用宣伝機関や、中共に通じた政治家や言論人に伝えるべき時だろう。それにしても、この「NHK 解体の歌」の様な悪の糾弾の形には、日本人の逞しさと愛らしさが感じられて気持ちよい。天晴れ。
2010/12/21
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1/4【討論!】今日のウイグルは明日の台湾、明後日の日本[H21/7/17]2/4【討論!】今日のウイグルは明日の台湾、明後日の日本[H21/7/17]3/4【討論!】今日のウイグルは明日の台湾、明後日の日本[H21/7/17]4/4【討論!】今日のウイグルは明日の台湾、明後日の日本[H21/7/17]上のビデオを観た。チベットやウイグルに於いて、中国共産党による虐殺や同化政策が進行中であると云う事に就いては、ある程度のことは知って居たが、本ビデオを観てより詳しい現状を知って、やるせない気持ちになって居る。この様な非道な行いが現在行われて居る事に対して、世界各国が碌に非難の声を挙げて居ない事や、私自身がその様な事が恰も起こって居ないかの様に日々生活すると云う事に対して、これは人の倫に反する事ではないかと云う思いがする。また、そう云う綺麗事は抜きにしても、今後、中国の国力がますます高まって行く事を許し、又、中国人の日本への移民を引き続き許し続け、日本が今迄以上に中国共産党の影響下に置かれると云う事になれば、行き着く果ては、このビデオの標題の通り、今現在チベットやウイグルで行われて居る様な事が日本人に対して行われると云う事になるだろう。そしてこれは、推測の話ではなく、上の様な事態になれば、ほぼ確実に起こる事であると云う事が、このビデオを見ると切実に感じられる。最近「お国の為」と云う事をどの様に正当化出来るのかと云う事に就いて考えて居たのだが、今や、お国の為に頑張ると云う事が、責任感ある国民の勤めであると云う事が、はっきりと認識出来る様になった気がする。自分の財産や生命が守られるのは、中国の様な非道な国に対抗してくれる「国」があるが為である。国なくしては、自分の生命も財産も守る事が出来ない。そして今現在、中国と云う自分の命と財産を脅かす巨大な組織が地上に存在すると云う現実があり、これに対抗する為には、自分の属する日本と云う国がそれに対抗し得るだけの強大な力を持っていなければならない。こう云う事を考えるならば、国を守り、国の為に頑張ると云う事は、机上の空論的な理想論では全くなく、正に現実の要請なのであると云う事がわかる。それから、世界に与える中国の悪影響は、何もウイグルやモンゴル自治区やチベットや台湾や日本やその他アジアの周辺国に及ぶばかりでなく、全世界にその悪影響は及ぶと考えるのか妥当だろう。この中国の脅威に就いて世界に警告を与えるのに、日本人程その任に相応しい民族は居ないのではないだろうか。日本人は、地政学的にも中国と云う国の事をよく知る事が出来る立場にあり、又、民族的にも言語的にも日本人は中国に近い。そして、教育水準が高く、英語を学ぶ環境が整って居ると云う事情もある。こう云う事を考え合わせるならば、世界に対して良い影響を与え、一定の貢献をする為に、日本人は、中国の事をよりよく理解し、研究し、そしてそれを世界に伝えると云う任務を、自分達の責任と考えるべき立場にあると云えるのではないだろうか。
2010/12/20
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水嶋ヒロと云う人の書いた小説のアマゾンでのユーザレビューに対する検閲がアマゾンによって大胆に行われて居るらしい。このページの口コミ欄に検閲に就いての情報がいろいろある。アマゾンでのレビューは私も何度か書いた事があり、その検閲システムに就いての疑問は私も感じて居た。だが、サイトの性質を考えるならば、やはり何らかの検閲は必要である様に思われる。とは云えその検閲には公正さが求められるのだが、本の販売店であるアマゾンにその公正さを求めるのは酷と云うものだろう。酷だとは云え、やはり不公正な検閲体制に対しては疑問を抱かざるを得ないし反発も覚える。ある人がユーザレビューを削除された事に就いてアマゾンに問い合わせをしたところ、次の様な回答が返ってきたそうだ。「該当のカスタマーレビューを掲載後、複数の第三者による「報告」が一定数に達したことを受け、非掲載とするのが妥当であるとシステム上で判断したため、非掲載とさせていただきました。確認したところ、このレビューはガイドラインに反する内容のため、誠に申し訳ありませんが、非掲載とさせていただきますので、ご了承ください。」又、他の人は次の様にも書いて居る。「アマゾンのレビューって外部の圧力を避けるため、自主的に絶対NGワードを入れてる気がする。」私も同感である。私の経験上、レビューを書いて投稿したら即時にサイトに掲載される場合もあれば、数日間掲載が留保される場合もある。後者の場合は、恐らく何らかの NG ワードに引っ掛かっており、アマゾンの検閲者が内容をチェックして問題がない事を確認してから掲載されると云う仕組みになって居るのだろう。いずれにせよ、自分が書いた文章を検閲されると云う事はあまり心地のよいものではないし、又、情報操作と云うものに対しては強い拒否感を覚える。アマゾンはこれ迄何年もの間利用してきたが、日本で税金を納める事を拒否して居ると云う事を知ってから、又、このユーザレビューの検閲に就いて知ってから、アマゾンの利用はなるべく控えるべきだと考える様になって居る。商品の配達の迅速性と云う点に於いては、アマゾンは最高レベルに達して居ると思われるが、割引率等に於いては、もっと優れたネット書店が他に幾つかある。アマゾンの日本法人は、社長が日本人ではなかったり、又、情報開示が十分でなかったりと、どことなく後暗い所が感じられる。日本で税金を納める事を拒否して居ると云う一点だけでも、心ある日本人であるならば、なるべくアマゾンでの買い物は避けるべき様に思う。世の中を良くする為には一人一人の国民が高い道徳心を以て行動する事が必要であり、買い物をする際にも、ただ単に便利であるだとか安いだとかと云った基準だけで、どこで買うのかを決めるのではなく、道徳的な判断をも購入行為に反映させるべきだろう。このページに主なネット書店の一覧とその特徴が掲載されて居る。
2010/12/18
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「ぼやきくっくり」さんと云う方のブログをちょっと前からGoogle Readerに登録して読ませて頂いて居るのですが、最新のエントリが最高に面白いので紹介します。笑っちゃ駄目な事なのだけれど、それにしてもよく出来ています。それにしても、こんな政党が未だにそこそこの支持率を得て居る事を思うと、愕然としますね。
2010/12/18
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保守的である事と保守主義を奉じる事とは明確に区別する必要がある。何何主義と云う様に主義を奉じて仕舞えば、それはもはや保守的である事の範疇から外れる事になって仕舞う。保守的である人は、頭のみを使って物事を考えるのではなく、自分の現実、自分の体、肉体の部分をきちんと理解、認識し、それらを大切にすると云う態度を持って居る人の事である。リベラル派は頭と舌とを使って考え、保守派は頭と心とを使って考える、と図式化する事も出来るだろう。一人の人間を一本の花に喩えてみよう。花の部分は人の頭の部分であり、茎の部分と根っこの部分は、人の体、肉体の部分である。リベラル派の人達は、自分が茎の部分と根っこの部分を持って居ると云う事、つまり、茎と根っことがあるが故に自分が存在し得て居るのだと云う事を忘れて居る。一方、保守派の人達は、自分には茎の部分と根っこの部分とがあり、それらがあるが故に自分が存在し得て居るのだと云う事をよく理解し認識して居る。そして、その事に感謝し、それらを大切にしようとして居る。この二つの態度を比較して、どちらの態度がより人間的であり適切であるのかは自明の事であろう。謂わばリベラル派の人達は恩知らずであり、保守的な人達は感謝の心を持って居る。一般的にリベラル派の人達には人に対する思いやりが欠けて居る様に見える事には、この事が関係して居るのかも知れない。又、花は、自分一人、自分一本だけでは、心地よく存在し得ない。自分の周りに同類の仲間が存在し、それらの中で生きる事によって初めて、心地よく暮らせるのである。日本人の場合であれば勿論同類の花とは同じ日本人の事であり、一人の日本人は、周りに同じ日本人が居る事によって、心地よく暮らせて居るのである。そしてこの日本人が集まった集合体が、日本国と云う国である。上で述べた様な現実を理解し認識して居れば、日本人が日本と云う国を愛すると云う事は、肉体の現実に根差した当然の事であり、又、それを怠る事は忘恩の沙汰であるとも云える事が分かるだろう。愛国心と云えば、何か自己陶酔的なものと思われがちな所もあるのかも知れないが、それは現実を認識して居ないからである。凡そ現実を認識し、感謝の気持ちを持って居る人であるならば、自分の国を愛し自分の民族を思う事は至極当然の事なのである。ただここでもう一つ考慮しなければならないのは、現在において、自分の民族的なアイデンティティを明確に持たない人々が、無視出来ない数存在すると云う事である。そう云った人達がリベラリズムに走るのも又、彼らの肉体の現実から云えば当然の事と云えるのかも知れない。この事に就いては、保守派の人達も十分に考えを致さなければならないだろう。ただ私が思うに、リベラリズムが余りに蔓延すると、それは世界の平和と人類の幸福にとって良い影響をもたらさないだろうと思われる。現在は、国際化の進んだ社会であり、異民族間の交流も当たり前の事となって居る。しかしこれは科学技術が発展したが故に起こり得て居る事であり、謂わば人工的な現象であるに過ぎない。これは或いは問題発言と云われるかも知れないが、異民族間で婚姻を結び子供を産む事に就いて、人類は、子供の為にも世界の平和と秩序維持の為にも、もっと慎重にならなければならないのではないかと云う気が最近よくして居る。
2010/12/15
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かなり面白かったので紹介します。民放テレビにどっぶり浸かっている方々は、最初は、右翼番組っぽい印象を受けて仕舞うかも知れませんが、観続けていれば、討論参加者達が現実主義の観点から真剣に日本の事を考えている方々だと云うことが分かると思います。司会者の水島氏は強面のイメージでしたが、これを観てこの方は人情のある正統保守の方だなと分かりました。「チャンネル桜」はこれまでは遠巻きに眺めるだけで、腰を据えて真剣に観たことはなかったのですが、これからはじっくり観る様にしていきたいと思います。チャンネル桜がこんなに素晴らしいチャンネルだと云う事にこれまで気づいていなかった。正に不明を恥じるべしだ。皆さんも是非どうぞ。1/4【討論!】緊迫する東アジア軍事情勢!どうする日本[桜H22/12/4]2/4【討論!】緊迫する東アジア軍事情勢!どうする日本[桜H22/12/4]3/4【討論!】緊迫する東アジア軍事情勢!どうする日本[桜H22/12/4]4/4【討論!】緊迫する東アジア軍事情勢!どうする日本[桜H22/12/4]
2010/12/14
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現在日本が置かれて居る防衛産業の状況に就いて説明されて居る。又、防衛関係の企業を訪ね、その現場がどの様な状況で在るのかがレポートされて居る。又、これからの日本の防衛産業のあるべき姿に就いて考察され、そのまとめが最後の方に「まとめ」として書かれて居る。本書によると、日本の防衛産業は現在危機的な状況にある様である。その原因として、まずは、国防予算の削減が続いて居ると云う事もあるが、その根本にあるのは、日本の政治家が防衛産業を守ると云う事に就いて十分な責任意識を持っておらず、十分な対策、措置を講じて居ないと云う事である。現在、日本の防衛産業が辛うじて守られて居るのは、現場で働く人達の愛国心、国を守りたいと云う心意気によってである。とは云え、彼らにも生活と云うものがあり、経営的に持ち堪えられなくなれば、勿論廃業等の道を採らざるを得なくなって仕舞う。そして防衛関連の技術と云うものは、機械化によって成り立つものばかりではなく、各技術者の技術に依るところも大きい。つまり、優秀な技術者が居なくなって仕舞ったり、技術が鈍って仕舞ったり、新しい技術者の養成が止まって仕舞ったりすれば、そこで我が国の防衛産業に致命的な欠陥が生じて仕舞う事になるのである。こう云った事態を避ける為には、政治家が国策として防衛産業を守る為の措置を講じなければならない。だが、日本の政治家の現状を鑑みるに、その様な措置が講じられる事に就いては懐疑的にならざるを得ない。政治家ではない者がこの課題に取り組む方法としては、やはり各人がこの防衛産業の実情をよく知る事だろう。そう云う人が増えれば、防衛産業に就いての危機意識が日本国民共有の問題意識へと育って行く事になるだろうし、更にはそれが政治家に迄広がり、政治家が然るべき対策を講じる事にも繋がって行くだろう。又、日本国民を守る為に、自分を犠牲にして迄も頑張って下さって居る防衛産業の従事者の方々には頭が下がる思いがする。彼らの頑張りや気持ち、心意気に報いる為にも、私たち責任感ある日本国民は一生懸命に生きなければならないのではないだろうか。彼らに報いる為には、彼らの犠牲や頑張り、気持ちに値する人間に、日本国民はならなければならない。だが現状を鑑みるに、現在の日本国民は彼らの犠牲や頑張り、心意気に値するだけのもので在るか心許無い気がする。繰り返しになるが、日本国民一人一人がこう云った防衛産業の現状に就いてよく考える事が、この苦境を乗り越える為に必要な事である。其れを促す力ともなる本書の意義は小さくない。先にも書いたが、日本の防衛産業の現状の問題点、又、然るべき未来図に就いては、本書の最後にコンパクトに纏められて居る。具体例に就いて読む時間的余裕のない人は、この章だけでも読むとよいだろう。
2010/12/13
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最近、リベラルと云う事に対して強い疑問を感じており、保守的である事を奉じると云う事の大切さを強く感じる様になって居る。だが、保守的である事を奉じる事をどの様に正当化するのかと云う事に就いての答えはすぐには出て来ない。先程ベッドの中寝ぼけ頭で思いついたのは、保守的である事を奉じる際に一番大事な根本事は「まごころ」と云う事ではないかと云う事だ。又、日本的な義理人情と云う美意識、そして責任感、又、ユングが言うところの「個性化」と云うものを、私が考える「保守的である事」の根本に加えてもよいのではないだろうか。「保守的である事」と云うものは、基本的には思想や主義と云ったものではなく、もっと自然で肉体的なものとして考えたい。保守的であるためには、保守的である事を奉ずる者が皆押し並べて斯くあるべしと云った様なものではなく、人それぞれに自分にあったやり方、在り方があってよいものなのではないだろうか。喩えて云うなれば、リベラルが「頭」とするならば保守は「体」である。そして、「体」と云うものは人それぞれに違うものであって、そう云ったそれぞれに違う「体」を持った各人には、各人それぞれに相応しい在り方があるはずである。勿論、上述した様な私の「保守的である事」の定義も又、絶対的なものではなく、あくまでも私にとっての定義に過ぎないと考えるべきだろう。次に具体例を以て考えてみよう。例えば、保守主義を奉じる者の中には、旧字体や旧仮名遣いを用いる事を保守派の必要条件と考える者も居る様である。しかし、その様な書法を用いる事に違和感を覚える者は何も無理してそうする事はないのではないだろうか。又、保守的である事には、自分自身にとっての「歴史」と云うものを重んじる事も必要だろう。例えば日本人であれば、日本の歴史、そして日本の文化と云うものに就いて造詣を深めると云う事だ。何故と云えば、各人は何も突発的に発生したものではなく、歴史と云うものの上に発生したものであるからである。私たちが今在る様な形で在るのは、祖先の築き上げてきた歴史のお陰であり、これが我々の「体」の現実である。保守的であると云う事は、この現実をきちんと認める事を必要とするだろう。更に加えて云うなれば、日本人の物の考え方、美意識と云ったものは、日本の歴史の中で築かれて行き固定化されて来たものである。それ故、日本人的物の考え方、美意識を有する者であって且つ保守的である事を奉じる者は、日本の歴史や文化に就いてより深く学ぶ必要があるわけである。日本の歴史や文化に就いての知識が未だ十分でない者であって且つ保守的である事を奉じる者は、絶えず日本の文化、歴史の勉強を続けるべきだろう。そして、続けて行く中で、自分自身がそれに合わせて次第に変化して行く。そうやって変化して行った結果、上記した様な日本語の書法を採用する事が、自分にとって相応しいと感じる様になったのであれば、その時に初めてそれを採用すればよい。相応しいと感じる様になる前に教条的に無理やりにそう云った書法を採用する事は、保守的な在り方とは云えないのではないだろうか。寝ぼけ頭の中私は上の様な事を考えた。
2010/12/13
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まだ200頁までしか読んでいないが、本書中で衝撃的なビデオが紹介されていたので紹介したい。移民を大胆に受け容れるとどのような事が起こるのかを示す例として、多くの日本人が知っておくべき事例だと思う。民主党の政策を推し進めて行けば、日本も将来はこの様になるのは明らかだ。恐らくは、オランダやドイツよりも更に酷いことになるだろう。特に、何となしに民主党を支持していると云う人に見て頂きたい。ドイツの移民問題オランダの移民問題
2010/11/16
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私は仏教的自我観に共感を覚える。万物は皆「私」であると云う考えである。仏教では、人間に限らず、動物も無生物もまた「私」であると云う事になるが、ここでは人間に限って話を進める。例えば、AさんはAさんの事を「私」であると考えており、BさんはBさんの事を「私」であると考えており、CさんはCさんの事を「私」であると考えて居る。つまり、Aさんも、Bさんも、Cさんも、皆それぞれに「私」なのである。また、AさんはAさんの痛みを自分の痛みとして感じ、BさんはBさんの悲しみを自分の悲しみとして感じ、CさんはCさんの喜びを自分の喜びとして感じる。即ち、これらは全て「私」の痛みであり、「私」の悲しみであり、「私」の喜びなのである。ならばどうしてAさんとBさんとCさんとを区別する必要があるのだろう? みんな「私」ではないのか?仏教的倫理の根本には上の様な自我観がある。更に仏教の人生観は、人生は苦の連続であると云うものである。この人生観から、人は皆共通して苦しみの宿命を背負った存在なのだから、互いに思いやり労り合いながら生きて行こうではないかと云う倫理が生まれる。英語で「思いやり」、「哀れみ」等の意味を持つ “compassion” と云う単語は、語源を遡れば「共に苦しむ事」を意味する。compassion は com- と passion とに分ける事が出来るが、前者はtogether を意味し、後者はsufferingを意味する。他人への思いやりが大切だと云われても、どうして思いやらなければならないのだと思う事もあるだろう。しかし、万人は「私」であると云う仏教的自我観に迄還らずとも、「人は皆共に苦しむ存在なのだから」と云われれば、成る程と納得出来る所があるのではないだろうか。それに引きかえ、キリスト教で大切にされて居る「隣人を愛せよ」、即ち、「愛」(agape, love, charity)と云う言葉は、どうも観念的に過ぎて押しつけがましく、しっくり来ない感じがする。閑話休題。万人は「私」であり、よって他人もまた「私」であるからと云って、他人の好き勝手を許しておいてよいと云う事にはならない。日常的意識のレベルに於いては「私」は唯この私一人であると云う事実は現前としてあり、この事を蔑ろにしてはならない。他人が過ちや不正義や悪事を働けば、必要に応じて断固として批判し、抵抗し、場合によっては罰を与える事が必要である。然もなければ人間社会の秩序も平和も維持されなくなる。仏教の人間観は、性善説よりは寧ろ性悪説に立つ様に思われる。仏教は、人間の徳に就いて語る前に悪徳に就いて語る。即ち煩悩である。人には逃れ難い煩悩が有り、放っておけばどんな悪事を働くか分からない。そこで地獄の思想なり、因果応報の観念なりが持ち出される訳である。しかし、これらは悪事に対する抑止力としてさほど有効には機能しない。だからこそ、何らかの方法により、人間同士が互いに牽制し規制し合う事が必要となり、これによって初めて人間社会の秩序と平和とを何とか維持する事が可能になるのである。さて、多くの日本人が気づいて居る様に、今現在、日本に於ける人間社会の平和が脅かされて居る。この脅威の原因を作って居る人達は例えば以下に挙げる様な人達であるが、彼らもまた実のところ「私」である事に変わりはない。1)日本の属国化を推し進めようとして居る中国共産党の幹部達。2)日中戦争が始まった暁には、無垢な一般の日本人をも虐待したり殺害したりするであろう中国の軍人達。3)中国共産党による反日教育や情報操作により反日精神を植え付けられて居る一般の中国人達。4)本年7月1日より中国にて施行された「国防動員法」により、中国共産党の声一つにて、忽ち民兵と化し、日本人に危害を加える事になるかも知れない、日本在住の中国人達。5)親中国共産党、親朝鮮の勢力に支配され、反日的偏向報道、世論誘導を行い、例えば、中国における「国防動員法」の施行の様な日本人の生命の安全に関わる重大な出来事すらも殆ど報道しない日本の大手マスコミの関係者達。6)親中国共産党、親朝鮮の勢力に支配され、日本人の命と財産と誇りとを守ろうとする意志のない民主党、社民党、共産党の議員達。7)金の亡者と成り果て、日本人の命と財産と誇りとを守ろうとする気概も責任感もない日本の財界の幹部達。8)戦後の反日的教育や、マスコミの反日的偏向報道に操られ、国家存亡の危機意識もなく、何時までも平和な日本が続くものと信じ込んだまま、反日政党を支持し、これにより他の目覚めた日本人の命と財産と誇りをも危険に晒して居る日本人有権者達。上に挙げた様な人達も皆、私と同様に「私」なのである。よって、根源的なレベルに於いては、私は、彼らを憎んだり、軽蔑したり、困った人達だと思ったりはしない。自他の区別が無いのに、憎んだり軽蔑したりする様な事は不可能なのであるから。しかし、日常的意識のレベルに於いてはそうも行かない。一端ここで一区切り置く事にする。
2010/10/17
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尖閣諸島での一件を受けて考えたこと感じたことを記録のために記しておきたい。こんな事は今まで考えた事もなかったのだが、この先もし中国と戦争が始まったら自衛隊に志願入隊して戦ってやろうと云う気持ちが沸いてきた。普段から多少は体を鍛えているのだが、今日はいつも以上に気合いを入れて体を鍛えた。およそ人と喧嘩をする事など考えもしない私ですらこの様な事を考えるのだから、恐らく他の日本男子で同じような気持ちになっている人が沢山いるに違いない。「日本人を舐めるな!日本人だってやる時はやるんだ!」と云うような勇ましい発言を耳にしては、「ほんまかなあ」とかつては怪しく思っていたのだが、今回の件があって、やっぱり日本人が本当に怒ったらとんでもない事になるかもしれないと云う気がしてきた。勿論相手が攻めて来たら応戦するのは当然の事であるが、一発始まってしまったら、互いに引くに引けなくなるなり、怒りに任せて事態がどんどんエスカレートして行ってしまったりする恐れがあるわけであるから、なんとか最初の一発が起こらないように政治がしっかりしていないといけない。越えてはならない一線を相手が越えれば、こちらも断固として応戦すると云う気構えを相手に見せておく必要がある。既に現状で、中国はその一線の一歩手前か、或いは、線に足が懸かる位にまで来ているように思うのだが、日本政府に大きな動きは見られない。日本を守るために戦ったり戦死したりするのは吝かではないのだが、今の政権の下で戦うのは気が進まない。出来ることなら、真の愛国リーダーの下で戦いたいものである。「日本を守るために」と今書いたが、と云うよりも、中国の傲慢ぶりに我慢がならず、彼らにこんな勝手な事をされて黙ってそれに甘んじるのは日本人としての誇りが許さない、と言った方が正しいかもしれない。また、偶々見つけた2chのスレッドで誰かが書いていたが、命を賭けて守るに値する「日本」と云うものが既に大分失われていると云う事も気に掛かる。それを主導した、戦後の反日教育、反日マスコミの罪の大きさに、ここでも思いを致さずにはいられない。電子辞書で遊んでいたら偶々、Patrick Henry のスピーチ中の次の一節を見つけた。It is in vain, sir, to extenuate the matter. Gentlemen may cry, "Peace! Peace!" -- but there is no peace. The war is actually begun! The next gale that sweeps from the north will bring to our ears the clash of resounding arms! Our brethren are already in the field! Why stand we here idle? What is it that gentlemen wish? What would they have? Is life so dear, or peace so sweet, as to be purchased at the price of chains and slavery? Forbid it, Almighty God! I know not what course others may take; but as for me, give me liberty, or give me death!(訳:事態を軽く見ようとするのは無駄なことです、皆さん。紳士は「平和を!平和を!」と叫ぶかも知れません。しかし、平和なんてものはないのです。戦争は実際既に始まってしまいました。次に北方から強風が吹いて来た時、その風は私達の耳に武器の鳴り響く音を運んで来るでしょう。私達の同胞は既に戦場に居るのです! どうしてここに徒らに立って居られましょう? 紳士ならこうした時何を望むでしょう? 鎖を嵌められたり奴隷に身をやつしたりしてまでも守るほどに、命は貴重なものでしょうか? 平和は喜ばしいものでしょうか? 断じてそんなことはない! 他の人がどの途を選ぶかは私には分かりません。しかし私に関して云えばこうです。我に自由を与えよ、さもなくば死を!)実は、先程触れた2chのスレッドは、尖閣の件を受けてこのスピーチを引用している人がいるかと思って検索してみた際に見つけたものだ。やはり引用している人が居て、自分だけではないのだと心強く思った。当座のところは、大事が起こる事なく中国が矛を収める事を願うしかないようだが、仮に大禍なく事が収まったとしても、それで全てが終わる訳ではない。同じような事がまた将来起こるに違いないわけだから、それにしっかり備える必要がある。日本と日本人を守ると云う責任感を強く持ち、外交や安全保障の素養に優れた政治家を選ぶ事の大切さを、国民は今回の件できちんと学び、或いは再確認し、そしてそれを忘れないようにしなければならない。また、経済力、技術力、学力、団結力などが、軍事力を含む国力を支えているのだと云うことももう一度思い出す必要があるだろう。勿論、中国製品を買えば、購入金額の内の幾ばくかは中国の軍事費に使われている事も忘れてはならない。今回自分が参戦する事を想像して思ったのは、先の太平洋戦争に参加した日本の兵士たちの気持ちだ。これまで彼らの気持ちに共感の思いを馳せる事はなかったように思うが、自分もあの当時の日本人であったならば、彼らと同じような事になっていたに違いないと云う事に気づかせられた。この件についてはまだまだ言いたい事があるのだが、やめておく。
2010/09/28
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ここのところ日本と世界の政治についての関心が以前に比べて高くなっており、その勉強にも多くの時間を費やすようになっているのだが、元はと云えば私は政治にそれ程関心があるわけではない。寧ろ、政治のことを考えたりするのに時間を使うことなく、自分が本当に興味があることにより多くの時間を使いたいと思っている。最近の政治への関心の高まりは、ひとえに現在の政治状況が悲惨なものであり、否応なく関心を持たざるを得ないからである。またこういう政治状況だからこそ、自分も多少は政治的発言をして社会人としての責任を果たすべきではないかと思い、幾つかの政治関連の独り言をこのブログに投稿したわけである。だが、この様なことをしても時間の無駄ではないかという思いもあり、これから自分の政治についてのスタンスをどのようなものにするべきか、立ち止まって考えてみなければならないと思っている。今後も政治的発言を続けていくべきか。それとも、それはもう止めて、自分の本当にしたいことにより多くの時間を費やすべきか。この問題について考える際のポイントを挙げる。1.自分が使える時間は有限であると云うこと。2.間違った政治は、正しい人の人生を台無しにしてしまう恐れがあると云うこと。3.社会人としての責任。アンガージュマン。4.一個人の発言は、政治を変えるのには余りに無力であると云うこと。5.一個人は、一人分の社会貢献をすれば十分だと云うこと。6.己に忠実にあることが人が最もなすべきことであると云うこと。こうしてポイントを並べて考えてみると、やはり後半の4、5、6のポイントに気持ちが行ってしまう。政治はこのまま行けば悪くなる一方であることが予想されるが、私が何か言ったところで劇的に何かが変わるわけではないだろうし、そもそも私はそれほど政治に思い入れがあるわけではない。なのでやはり、政治のことに時間を使うのは極力控えるようにするのが正解であるように思う。政治が悪くなることも、不可抗力として受け入れるしかないだろう。5のポイントについて少し説明しておく。「世のため人のためになることをしなさい」と子供に言う親は少なくないだろうし、また、「人生の生き甲斐は社会貢献である」と思っている人も少なくないだろうと思う。持ちつ持たれつの人間社会の成員として生きている以上、その恩返しとしても、世のため人のために役に立つことは大切であると思うし、この考えに私は共感する。しかし私は、特別でっかい貢献をしようなどと思う必要はないと思っている。所詮一人のちっぽけな存在であるに過ぎないのだから、自分の分をわきまえて、ただ一人分の社会貢献をすればいいと云うのが基本線であると考えている。10人分、100人分の社会貢献が出来れば素晴らしいような気もするが、そもそも、何をもって社会貢献となすのかははっきりしたことではないし、ある人が社会貢献と考えるものと別の人が社会貢献と考えるものとが対立するようなことも普通にあることだろう。なので、10人分とか100人分ぐらいならまだいいかもしれないが、100万人分だとか1億人分の社会貢献などと考えるようになれば、これは完全に自己肥大の自惚れであり、社会にとって有害である。ほんの一人分の社会貢献をするだけでいいのである。ここで6のポイントに繋がるわけであるが、その一人分の社会貢献は「真の自分自身になること」によって達成される、という考えに私は共鳴する。この様な考えを表明した人はこれまで無数に居るといってよいくらいだろう。出鱈目に例を挙げる。"Be not another, if you can be yourself." (パラケルスス)"Follow your bliss." (ジョーゼフ・キャンベル)"The greatest thing in the world is to know how to be oneself." (モンテーニュ)「汝自身を知れ」(ソクラテス)単純化して言うと、自分が何者なのかを知り、自分が本当にしたいことをせよ、本当の自分になれ、ということだ。勿論これは、何でも自分の好き勝手をしてよいと利己主義を勧めているわけではない。私は別に積極的に性善説の立場を採るわけではないが、良いことと悪いこととを見分ける能力が人間には本性的に備わっていると云う気がしている。よってそういう善悪判断を消化した各人の「自分自身」は、総じて、それを追求することによって社会に害を及ぼすといった性質のものではなく、寧ろ逆に社会を良くする方向に働くのではないかと考えている。天の配剤は正に妙なるものであり、各人様々な「自分自身」を持った人々が社会の中に上手いように配分されており、各人がそれぞれの「自分自身」であろうと努めることによって、社会は全体として上手くバランスの取れたものになるような気がするのだ。そして私自身の話に戻るが、私の「自分自身」は決して政治評論家ではない。私がやりたいことは他にある。この様に考えてくると、政治の先行きは心配ではあるが、そちらに時間を使うのは極力控えるようにして、自分の本当にしたいことに軸足をもう一度戻すべきであるように思う。そしてまたそれが、たった一人分ではあるにせよ、政治を良くする方向に作用することもあるのではないだろうか。
2010/09/04
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ジョーゼフ・キャンベルの『神話の力』は、昨年読んで非常に感銘を受けた本なのだが、最近文庫化されたようだ。この本は全体を通して非常に素晴らしい本なのだが、感銘を受けた箇所の一つを紹介したい。それは、アメリカ社会で暴力が多発している原因について説明している箇所である。キャンベルによると、アメリカで暴力が多発している大きな原因の一つに、アメリカにはエートスがないと云うことがあるらしい。「エートス」とは、「ある民族や社会集団にゆきわたっている道徳的な慣習・雰囲気」(『広辞苑』)の意である。ご存じのように、アメリカは多人種・多民族国家であり、国民間での人種的・民族的共通性が存在しない。それで現在「アメリカ人とは何か?」「アメリカとは何か?」という国家アイデンティティ、国家統合性の問題が深刻なものになっている。アメリカが、「民主主義」やら「平等主義」やらを絶対的正義として国内に向けても世界に向けても声高に叫び、他国にまでその価値観を押しつけようとして居るのは、この国家アイデンティティの不安から来る部分が大きいと思われる。こういう「イズム」に頼ることによってしか、国民の結束を維持することが出来なくなっているのである。また、キリスト教原理主義もそういった「イズム」の例に数えることが出来るだろう。それはそれとして、アメリカは訴訟国家としても有名であるが、これはエートスの不在が大きな原因であるとキャンベルは言う。アメリカ国民に共通のエートス(道徳的な慣習・雰囲気)が存在しないために、やってはいけないことを法律によって定め、そして法に従って善悪の判断を下さなければならないと云うのだ。いうなれば善悪の判断を自己に内在する道徳によって行うことが出来なくなっているのである。これは多人種・多民族社会化の当然の帰結といえるだろう。日本もこれから移民を多く受け入れて多民族社会化して行かなければならないと云う議論があるが、日本の多民族社会化が進行した場合、殆どの日本人にとって日本が今よりも住みにくい場所になることは確実と云えるだろう。法律に定めるまでもないルール、暗黙のルール、共通の価値観というものが大きく失われてしまうのだから、まずもって住み心地が悪くなるだろうし、また、意見の不一致が多くなり、暴力沙汰や裁判沙汰が増加することになるだろう。高齢化社会で人手不足になるから移民が必要になるという議論があるが、これは本当だろうか。現在の日本は高い失業率に悩まされているわけであるが、高失業率でありながら人手不足というのは矛盾しているように思われる。仮に数が足りないのであれば、元気な高齢者が働いて埋め合わせればいいわけだし、技能職が足りなくなりそうなのであれば、政治の知恵によって人材を育てればよいのではないか。また、そもそも、日本人高齢者を支えるために外国人に働いてもらって高い税金を納めてもらうと云うのもおかしな話であるように思える。日本人の高齢者と云うことは、つまりは我々日本人の親であったり祖父・祖母であったりするわけなのだから、我々日本人が自分で働いて支えるのが筋と云うものではないだろうか。(ここで、世代間格差の問題も考えなければならないことに気づくが、それを始めると話が複雑になるので、日本人内での問題に話を広げるのは控えることにする。)また、移民労働者が気持ちよく高い税金を納めてくれるかどうかも疑問である。日本に住みたいけれども、日本人高齢者を支えるために余計に税金を払うのは嫌だといって、日本人高齢者を見捨てる政治を支持するようにならないかと云う危惧がある。ましてや、高齢化問題は日本だけの問題ではなく、世界の殆どの先進国に共通の問題であり、とりわけ一人っ子政策を行っていた中国ではこの問題が大きくクローズアップされて来ていると聞く。今の民主党政権は日本人と外国人とを区別することは嫌いなようであるから、この調子だと、移民労働者と一緒に移民高齢者をどんどん受け入れるなんてこともやりかねない。見落としてはならないのは、高齢化社会は永久に続くわけではないと云うことである。今から何十年か経ち、少子化後の今の若者達や子供達の世代が高齢者になる頃には、高齢化社会は解消されているはずである。今の日本の経済力さえ維持出来れば、その間、国債の発行などで何とか乗り切れないのだろうか。いずれにせよ、失業率が0%近くになるまで下がらない間は、数字的には、移民を入れる必要などないように思えるのだが。私は政治や経済のことに詳しい訳ではないので見落としていることが沢山あるに違いないし、上の考えは誤っているかもしれない。しかし、移民政策は必然なのだと安易に考えている節が世間にはあるように感じられるし、だとすればよくよく注意しなければならない。一度入れてしまえば、後になって「やっぱり出て行ってください」は通用しないのだから。とにかくここで私が言いたいのは、「エートスを共有する日本人」という枠組みを維持することが可能であるのならば、これを維持することの大切さをより多くの日本人に自覚して欲しいと云うことである。偽預言者達に騙されてはならない。白菜は白菜畑で育て、トウモロコシはトウモロコシ畑で育て、オレンジはオレンジ畑で育て、米は田んぼで育てるのが自然の在り方ではないだろうか。違う種類のものをごちゃごちゃに一箇所で育てようとしたって無理があるし、互いにとって決して好ましいことはないように思われる。
2010/08/29
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