全2457件 (2457件中 1-50件目)
22日から26日までの石垣ダイビング旅行をキャンセルして、ぽっかり空いた5日間。22日の火曜日は、いつものように孫のお迎えをすることに。イー君は、月2回、幼稚園でロボット教室と言う習い事をしている。色々な形のレゴのようなブロックや棒やタイヤなどを組み合わせて、モーターなどを使って、動くロボットを作っていく。先月は、はしごを登っていくロボットを作っていた。年中さんから習いだして、1年半。幼稚園でも高度な作品を作るんだなあと感心した。4時にロボット教室が終わるので、2時40分頃ダンナと一緒に家を出て、途中ジャパンと言うお店で買い物をして、幼稚園へ。駐車場に車を停めて、ダンナが一人で幼稚園の中に入ってイー君を迎えに行き、私は車の中でDuolingoをしながら待っていた。ダンナとイー君が戻ってきたのが4時10分頃。駐車場から車を出そうとすると、ガタガタガタと変な音。ダンナに見てもらうと、右の前のタイヤがパンクしていた。え~、こんなパンク見たことないんだけど。最近は予備タイヤを積んでないし、タイヤはパンクしても空気はあまり減らないと思っていた。イー君を連れて帰るのが遅くなるのでまず娘に連絡。「JAF呼んだら?」と言うので、JAFにも連絡。幼稚園の駐車場なので、場所もすぐ連絡できた。でもパンク対応のできる車でないといけないので、到着に50分ほどかかると言うこと。待つ間、側溝の網の部分にとんがったものが無いか見たけれど、そりゃあ幼稚園の敷地内だし、危険なものは何もない。車の免許を取って47年。車のパンクを経験したことが無い。LAFも長年入っているけれど、自分の車の調子が悪くて、呼んだことが一度もない。タイヤは、今年の5月に4本とも変えたところだし、車検も9月23日にしている。1時間後、暗くなってやっとJAFの車が来た。ジャッキでタイヤを上げて、ホイールをはずし、スプレーをかけていると、タイヤの溝の中に、ブクブク泡の出るところが見つかった。とんがったドライバーのようなもので穴を大きくし、その中に細長いゴムのような紐に接着剤を付けて押し込み、飛び出たところを切って修理終了。どこかでビスを踏んで、移動してきて駐車している間に空気が抜けたのか、以前どこかで刺さったビスが、外れて空気が抜けたか、こんなパンクはよくあると言うことだった。JAFの会員なので、無料で修理してくれた。娘が幼稚園に連絡してくれていたので、帰宅する先生や園長さんが声をかけてくれたりしたけれど、6時半ごろ、無事イー君を家に送り届けることができた。ほっとしたけれど、私がずっと思っていたのは、普通なら石垣へ出発する日だったと言うこと。早朝5時前にOさんとKさんを迎えに行って、高速を通って関空の駐車場に車を置いていく予定だった。途中でパンクに気付いて、みんなが飛行機に乗れなくなっても困るし、空気が漏れたまま高速道路を走ったら、タイヤがバーストして事故になったり、ハンドルを取られてガードレールにぶつかっていたかもしれない。考えたらゾッとする。台風のおかげで、大事故から回避できたのかもしれない。今回のパンクがわかったのも、幼稚園の駐車場と言う、停めていても迷惑のかからない場所だったし、JAFへの連絡もしやすかった。本当にラッキーだと思った。土曜日のハングル講座でこの話をすると、「本当に運のいい人ですよね」と言われた。本当に私って運がいいなあと思うことが多い。今日は10月30日でハロウィンの日。金曜日にネイルを予約しているので変えるけれど、今はハロウィンネイル。指が曲がりすぎてわかりにくいけれど、親指の爪に描かれているのは、金色のカボチャ。
2024.10.30
コメント(10)
24日(木)朝9時にOさんを迎えに行って、その後Kさんを迎えに行って、和歌山へ。グランドメルキュールみなべへは、高速を通って行ったら、2時間20分ぐらい。でも、途中で寄りたいところがあったので、地道で。国道26号線はバイパスができて、和歌山が近くなった。最初に行ったのは、海南市にある自然博物館。孫たちを連れて何度か行ったことがあるので、65才以上は無料だと言うことを知っていた。入ると巨大水槽があって、エイやサメ、タイやクエなどいろいろな魚が泳いでした。ガラスに顔を近づけると、まるで海の中。ナンヨウハギも泳いでいた。ナンヨウハギは「ファイティングニモ」の中で、ドリーと呼ばれていて、ウェットスーツが同じ色の私は、ダイビングではドリーちゃんと呼ばれていた。Oさんはオーちゃん、Kさんはタエちゃん。懐かしいなあ。これは、水族館で撮った写真。上左から時計回りに、エイ、フグ、ウツボ、チンアナゴ。そこから湯浅へ。醤油発祥の地。お昼は、去年できたばかりの湯浅米醤で。軽くおにぎりとお味噌汁。その後、古い街並みをちょっと歩いて、ホテルへ。3時過ぎにチェックインして、部屋に荷物を置いてラウンジに行ったら、いつの間にかお客さんがいっぱい。おつまみを摘まみながら、ワインとビール、椅子に座っておしゃべりをしながら、そのまま夕食。そこでもビール。お酒を飲む人には嬉しいホテル。お酒を飲めないタエちゃんは、ワイン数口で酔ってしまって、夕飯をあまり食べられなかった。お風呂に入ってから、またラウンジでお酒をちょっと飲んだ。寝る前に、オーちゃんが腰と背中を「おさすり」してくれた。気持ちのいいマッサージ。翌日は起きてすぐに朝風呂。私は、朝、身体のあちこちがこわばって思うように動けないけど、お風呂に入ると復活する。このホテルは、朝食も盛りだくさん。夕食をあまり食べられなかったタエちゃんは、朝ごはんはガッツリ。11時チェックアウトなので、ゆっくり過ごすことができた。帰りは、まず「ヒノミサキ」へ。正式には、紀伊日ノ御埼灯台と言うらしい。そこから、白崎海岸へ。ここは、日本のエーゲ海と言われているらしい。ずっと手すりが付いていたので、展望台へ。360度、こんな白い岩と海。空が曇ってきて、海の色も青くなかったのが残念。そこから高速に乗って、地元に帰って来たのは3時ごろ。そこから遅い昼食を食べて、送っていった。石垣にも灯台があるそうで、行けなかったけれど石垣ダイビングの気分を味わえるなかなかいい旅行だった。ところで、もし行ってたら、着いた日、夕方の便で波照間島には行けたけれど、翌日からずっと波照間航路は一日中欠航。24日頃からは、台風21号も発生してずっと波も高い。多分大阪にも戻ってこられなかったかも。その上、旅行に行く日、22日には、もっと驚くことが。行けなくなってラッキー。私ってやっぱり運がいいと思ってしまった。眠いので、また明日、書けるかな?
2024.10.29
コメント(6)
今日から石垣に行く予定だったけれど、中止して家にいる。昨日の朝早く、一緒に行くOさんから電話。「大変、台風発生している」それで急遽、OさんKさんと3人で喫茶店に集合した。昨日の朝の時点では、まだ南の海に発生した熱帯低気圧。(今朝、台風に替わった)テレビの天気予報では何も言って無いけれど、Youtubeでは沖縄の南の方の先島諸島では影響が出ていると言う。Oさんがダイビングショップに連絡したら、今日明日は大丈夫だろうけれど、予定していた24.25日くらいは波が高かったら船が出せないだろうと言うこと。それで、今ならキャンセル料はなし。22日、23日は波照間島に行く予定だったけれど、21日は乗る予定だった11時45分の船は欠航している。23日以降の運行状況は、当日に判断するそう。この分だと波照間に行けるかどうかわからないし、行っても帰れるかどうかわからない。その上、石垣に行っても、台風の進路によっては、土曜日に大阪に帰ってこられるかどうかも不安。と言うことで、今回の旅行は中止することにした。波照間のホテルは、全然電話が繋がらず焦ったけれど、30分ほどしてようやく繋がり、キャンセルできた。船が欠航しそうなので、キャンセル料は無料。船の予約もキャンセルOK。23日から3泊する予定だった石垣のホテルは、2日前で最初の一日分だけ20%のキャンセル料発生。大変だったのが、飛行機。Peachの変更OKのバリューピーチと言うプランに入っていたので、最初6月に予約していたのを10月に変更していた。今回また変更しようとすると、そのプランがあるのは10月26日まで。運賃タイプが変わるらしく、新しいチケットを取って、今の予約番号と新しい予約番号2つで申請すると、古い方をキャンセルできるらしい。そのままでキャンセルすると、戻ってくるのはポイントで、そのポイントは6か月以内に使わないといけないらしい。4月までだとダイビングには行けないので、新しいチケットを取って変更申請することに。新しいチケネットで予約できるのは2月まで。それで2月の安い時期のチケットを予約したけれど、それをまたダイビングのできる5.6月頃に変更しないといけない。と言う風に、出発前日にバタバタと手続きを済ませて、やっとホッ。一週間予定を入れずに空けていたので、せっかくだからどこかへ行きたいねえ。と言うことで、グランドメルキュールホテルを一泊予約して、3人で泊まることにした。今日台風の進路を見ると西側によっている。波照間観光やマリンスポーツをしなければ、石垣旅行は大丈夫そう。
2024.10.22
コメント(8)
またまた開いてしまった。最近、何故か忙しくて、パソコンも開けないことが多い。ひとつは体の調子。右の股関節と腰の調子が悪い。右肩と手首の調子も今一つ。ベッドで寝ると、朝、腰が痛くて階段を下りるのが苦痛なので、最近は居間のマッサージチェアで寝ている。マッサージしながら寝て、朝起きてすぐも15分マッサージして正常に歩ける感じ。こんなことしてたら体に良くないだろうけれど、寒くなってお布団で寝たくなるまでちょっとこうしていたい。いろんなことをするのに、時間がかかっている。家事も手抜きしているなあと思う。今日は予定が無かったので、久しぶりに2階のベッドで寝たら、やっぱり痛くてマッサージして、お風呂に入って温めて、活動できるまで1時間以上かかってしまった。先週の金曜日(11日)は、奈良の足首のお医者さんの診察日。2007年に足首の固定術をしたけれど、14年経っても動きは順調。石垣へダイビングの予定をしていたけれど、股関節が痛いからやめると言うと、「せっかく行くのにもったいない。水の中やからいける、いける。」と言う。でも、この先生、私の肩や手首のこと知らないしなあ。石垣へは、友だちと3人で行くけれど、最初の二日間は波照間島の観光。3、4日目がダイビングで5日目に帰る予定をしていた。3日目のダイビングの日、私は一緒に船に乗船して、一日一緒に過ごし、4日目は一人でのんびり過ごす予定。船に乗って、はしごの様子なども見て、来年の春、股関節の痛みが無ければ潜ることにしようと思っている。12.13日は秋祭り。私の住んでいる大阪南部ではだんじり。2日間、ダンナは交通整理のために朝早くから夜遅くまで出ていた。12日はイー君の子守り、13日は幼稚園の運動会で、朝ごはんと夕飯でだんじりが休憩をしている時間を狙って、車で娘の家に行った。年長さんのイー君は、リレーでも競技でも大活躍。きれいにそろった鼓笛隊が素晴らしく感動。でも、この幼稚園の全員の中で4月2日生まれのイー君は、一番お兄ちゃんなんだけど。運動会が終わって、食事に行ったショッピングモールの中のジョーシンでdocomoのアハモの乗換を勧めていた。今まで20ギガだったのが30ギガになって、海外でもそのまま使えると言う。その上今なら、iPhone15が2年間は月1円。オンライン契約でなく、設定もしてくれると言う。海外へ行く度にSIMを購入している娘は、アハモに変えると言う。私は、今までワイモバイル。3ギガで、電話カケホーダイで2000円ぐらいだった。それが数か月前から、月末になるとギガ不足。0.5ギガ550円で毎月買い足していた。ところが今月は、月初めからどんどん減っていって、10日でもう残り0.7ギガ。石垣も行くし、足らないなあと、1100円払って15ギガのプランに変更予約したところだった。それで迷っていたけれど、娘に「変更したら?良くなかったら、またワイモバイルに戻ったらいいやん。」と勧められて、私も契約することに。iPhone15に替わって一週間。30ギガもあるので、外でも気にせず使っているけれど、1ギガも減っていない。やっぱり前のiPhone11の調子が悪かったのかな?新しい携帯は画像も綺麗で気持ちがいい。カケホーダイがなくなったので、長電話をしないように気を付けないと。翌日の14日は祝日で、久しぶりに夕食に家族が揃った。9月24日に誕生日だった三男坊の要望で、焼肉。場所はお肉が美味しい有名な昌久園。評判通りすごく美味しかった。すぐ横にマクドナルドがあったので、みんなでデザートを食べたりして解散した。ちなみに関西ではマクド。発音は音程で言うとドミド。スターバックスはスタバ、ミスタードーナッツはミスドで、USJはユニバ、で皆同じ発音。他にもあるかなあ。いろいろ書いて長くなるので、これからは時々携帯からブログを書こうかな。
2024.10.21
コメント(6)
わあ、もう10月。9月は一回もブログを書かずに過ぎてしまった。過去のブログは、私の日記替わりで、参考にすることが多いのになあ。8月の末から9月にあったこと・あべのハルカスの広重展の後半も行った。・8月24・25日は、娘に有馬温泉のエクシブに連れてもらった。・9月15日はイー君のヴァイオリンの発表会。 1・2分程度の「アレグロ」と言う短い曲だけど、堂々と挨拶してハナマル。 イー君はお受験にも合格して、無事エルちゃんと一緒の学校に行けることに。・わが市が発行しているポイントカードで、上限1万円、30%還元のキャンペーン実施中。 プリウスの車検をオートバックスでして、ダンナの分は上限達成。 私は、友だちとランチしたり、服を買ったり、いろいろ使ってる。・8月の観劇の「マグノリアの花たち」10月は「夜の訪問者」 どちらも昔の映画であるので、U-next とAmazonプライムで事前鑑賞。 Netflxで観たのは「地面師たち」と「極悪女王」どちらも面白かった。 いろいろあった唐田えりかだけれど、素晴らしく株を上げたなあ。 と忙しく過ごしているけれど、ここ1か月ほどずっと股関節が痛い。 激痛ではないけれど、運転していてもシクシク痛い。 靴や靴下が履きにくくて、横に寝ていても痛い。 冷房の冷たさも、股関節に沁みる。 レントゲンを見ると、骨頭の上の隙間がほぼなくなっている。 手術は以前から勧められているけれど、脊椎も歪んでいるので、 股関節を正常に戻すと、脊椎の痛みが確実に出てきそう。 それで騙し騙し何年も過ごしている。 右足首も骨がくっついているし、肩も炎症があるし、 手首も骨が当たって炎症を起こしているし、悪いところだらけ。 でも、点滴治療で、進行も抑えられているみたい。 今月石垣にダイビングに行く予定をしている。 ずっとどうしようか悩んでいたけれど、今日ダイビングはしないことに決めた。 石垣は初めてなので、ダイビングはしないけれど、楽しんで来ようと思っている。
2024.10.03
コメント(21)
バンコクの日記を長々と書いていたけれど、いろいろあったので他のことも書いておこう。バンコクから帰ってきた翌日、プールでダイビングレッスンの後、Kさんと夕食。Kさんにもお誕生日招待葉書が来ていたので、一か月遅れだけれど二人でお祝いディナー。阪南洋風食堂クウクウは、私にとっては唯一、顔が利くお店。月に2回の習字の後、習字の友だちと、いつもクウクウでお昼を食べてからプールへ行く。もう何年も続いていて、いつも同じメニュー(魚貝フライランチ、1300円)を頼むので、「いつもの」でわかる。お昼もリーズナブルだけど、この日は、ポタージュスープ、前菜盛り合わせ(上右)主菜は魚貝のグリル(下左)デザート盛り合わせ(下右)、お誕生日クーポンの値引きもあって、3550円。その上、夕方5時半からの開店なのに、プールの終わる時間に合わせて5時前に開けてくれた。美味しいし、大好きなお店だ。7月24日は、いつもはハングルの日だけれど、先生が午前中用事が重なったので、午後からハングルのみんなで、木曽路で食事会。食事会の参加者は、3人休んで、みんなで9人。2500円ぐらいのミニ会席。ハングルもこの講座に入って9年ぐらい。スポーツクラブは25年ぐらい通っているし、習字の講座も15年ぐらいで、2番目に古い。我ながら、何でも長続きしていると思う。習字講座の先生ともハングル講座の先生とも仲が良くて、授業を終わってから一緒にランチをしたりする。ハングル講座の同年代の仲間と先生と、4人でランチに行ったのは、この数日前。上にぎりランチには、ミニのきつねうどんが付いて、1300円。きくと言う最近知ったこのお店は、習字の先生に教えてもらったところ。安くて美味しくて気に入って、いろんな人に教えている。7月28日の日曜日には、ダイビング仲間のKさんとあべのハルカスで待ち合わせをして、あべのハルカス美術館で、広重の版画展を観てきた。広重と言えば永谷園のお茶漬けについていた東海道五十三次が有名だけれど、作品はまだまだいっぱいあって、海外に出ていっている。それを集めたのが今回の作品展。作品展の案内チラシ写真撮影可能のところの作品をちょっと撮ってきた。(下)上左・木曽海道六拾九次之内 高崎上中・木曽海道六拾九次之内 洗馬上右・木曽海道六拾九次之内 贄川(にえかわ)木曽海道六拾九次って初めて聞いた。そもそも木曽って山の中だと思っていたのに、海道だし。所有者は、ジョルジェ・レスコヴィッチと言う人。展示されているほとんどの作品が、この人だった。写真も無かったこの時代に、精密な描写と綺麗な色使い。風景画以外にも、美人画、役者絵、動植物の絵と多彩な作品。北斎も多用していたけれど、ベロ藍と呼ばれる藍色がきれい。作品が多いので、途中で作品を入れ替えて、8月6日から後半がまた始まっているので、今月中にまた観に行くつもり。展覧会を観てから、14階の花外楼と言うお店でランチ。逢坂(4400円)その後、買い物をしてお茶して、満足な一日だった。
2024.08.14
コメント(8)
バンコク最終日、帰国便はバンコク23時59分のタイ航空便。ホテルのチェックアウトの時間をレイトチェックアウトにお願いして、16時までにしてもらった。朝食は、レストランのバイキング。この日も大好きなナンプラープリックをかけて、タイ料理を堪能した。荷物などを整理してから、又アイコンサイアムまで出かけることにした。ホテルの前の道に泊まっているトゥクトゥクを見て、子どもたちがまた乗って行きたいと言う。娘がエルちゃんに、値段いくらか聞いて、安くしてって頼んでと言った。エルちゃんが「How much to the ICONSIAM?」と聞くと指を3本立てながら「300バーツ」という返事。エルちゃんは、恥ずかしそうに「Please discount」と言うと、頷いて200バーツにまけてくれた。2日前は、夕方の混んでる時間帯だったので高かったけれど、午前中の渋滞の無い時間帯なので安くしてもらえたみたいだ。英検ジュニアのゴールドに合格しているエルちゃん。交渉できて嬉しかったみたい。車が少ないので、トゥクトゥクはかなりのスピード。風を受けて気持ち良かった。アイコンサイアムは、2日前とは違った場所に到着した。インフォメーションでパスポートを見せたら割引チケットをもらった。アイコンサイアムの中を見て回ると、内装もとってもおしゃれ。(左)真ん中が吹き抜けになっているので、下を覗くと、小さなお店もかわいい。(右上)右下は、トイレ。タイの伝統的な作業をしている写真の両横に、男女別を表わす金属の飾り。中に入ると、モノトーンでスタイリッシュな洗面台と扉が並んでいた。トイレはウォシュレットだった。アイコンサイアムの中には、高島屋が入っていて、高島屋の店内に入ると、日本にいるのと同じような雰囲気。地下へ行くと、北海道どさんこプラザもあった。食料品売り場も日本のメーカーのものがたくさん売られていた。でも、一角にはタイのお菓子のコーナーも。グリコの会社がタイにもあって、プリッツがトムヤンクン味のようなタイ料理味になっていたりして面白いので、おみやげにたくさん買った。レジに持って行くと、お菓子一つ一つにTAKASIMAYAのテープを貼っていくので時間がかかった。シールでブランドイメージを上げているんだろうな。バラマキみやげであげたけれど、今残っている分。お昼は、高島屋の地下のフードコートで。娘たちはお好み焼き。私はうな丼弁当を買って食べた。値段は、日本と変わらない感じ。アイコンサイアムからの帰りはGrabタクシーで。買ってきた、マンゴーを部屋で食べてからチェックアウト。でも、飛行機の時間まではまだまだ。空港までのタクシーが来る時間も19時半なので、それまでラウンジで過ごした。5時からのカクテルタイムに夕食もいただいて、ホテルを後にした。スワンナプーム空港について出国手続きを終わったのは、21時前。ラウンジで過ごすことにしたけれど、娘が持っているのは2人で入れるスターアライアンスのカードとプライオリティーカード。私が持っているのは、楽天プレミアム付帯のプライオリティーカード。タイ航空はスターアライアンスでプライオリティーカードでも入れるけれど、それでは3人しか入れない。スワンナプーム空港は、プライオリティーカードで入れるラウンジが多くて、調べてみたらオマーン航空のラウンジが、カード所有者と7才以下の子どもが無料で入れるのがわかったので、私とイー君はそこに入ることにした。娘とエルちゃんは、タイ航空のラウンジに。イー君と一緒にラウンジに入って、イー君はiPadを観たりして過ごしていたけれど、時間も遅くなってきてうとうとしだした。洗面所で歯磨きをして、椅子に寝かそうとしたら、ラウンジの受付にいた女性が、「ベッドがあるので使ってください」と、携帯の翻訳画面を見せてくれた。ラウンジの端の椅子の横にカーテンがあって、そこにベッドがあった。イー君は横になるとすぐに寝てしまった。私は、カーテンを挟んだ横の椅子に座って過ごした。11時過ぎになって、娘が迎えに来てゲートに移動した。エルちゃんもラウンジで寝ていたそうだけど、飛行機に乗るまでは自分で歩いてくれた。イー君は、カートにお尻をのせて抱っこされていたけれど、飛行機に乗る時は自分で歩いて。帰りの飛行機も、窓側の席と通路側の席を取っていたら、真ん中に誰も来なかった。飛行機に乗ると、エルちゃんはすぐに寝てしまった。夜中近く、横の4席が空いていたので、私はそこの肘置きを上げて、1時間ぐらい横になって寝た。関空には、朝の7時30分着。時差があるので、飛行時間は5時間半。朝食が出たけれど、写真も撮ってないし、何が出たか、記憶がない。エルちゃんは、寝ていて食べてないし、私もあまり食欲がなかった。関空で娘たちと別れて、9時ごろ家に帰ってゆっくり休んだ。今までタイに行ったのは、30年ぐらい前の年末にバンコク、アユタヤ、スコタイ、チェンマイとタイを周遊したのが1回目。その数年後にアンコールワットに行くのに、タイから入ってベトナムから帰ったのが2回目。それはどちらも友だちと。またその数年後に、姉とバンコク・アユタヤを旅行したのが3回目。そしてその数年後、ダンナとアンコールワットに行くのに、タイを経由したのが4回目。今回、帰ってきてからタイのことを友だちに話すと、お腹を壊した人がいたことや、トイレを流すのにひしゃくで水を流したことなど、ちょっと貧しかった時代のことが話題になる。タイの発展がすごいよと写真を見せると、みんなびっくりしていた。でも、今も昔も皆親切で、笑顔が素敵で楽しかった思い出が多い。エルちゃんも、イー君もすごく楽しかったみたいで、また行きたいと言う。今まではツアーだったけれど、今回のような旅行なら、友だちとでも個人旅行ができそうだ。来年ぐらいに、また行くかもしれないな。
2024.08.11
コメント(6)
3日目の朝も、爽やかに目覚めた。みんなが起きてから、朝食に。この日は、ちらし寿司などもあったので、日本食も食べた。朝食後、今日はどこへ行こうか話し合った。娘は、ピンクの象の像を見に行きたかったようだけれど、タクシーでも2時間ぐらいかかる。 (ツアーHPより)ピンクガネーシャと言われるこの像は、夢をかなえてくれると、人気があるらしい。私は、それまでタイに4回行ってるけれど、行ったことが無い。調べてみたら、「夢をかなえるゾウ」の小説(2007年)からドラマ化されたりして人気が出てきたみたいだ。バンコクにも有名な寺院があるし、そちらに行くことにした。ワットポーやワットアルン、ワットプラケオという有名な3大寺院がある。以前旅行した時は、エメラルド寺院と言ってたけれど、ワット・プラケオと名前が変わったみたい。3つも行くのは、私も大変なので、涅槃仏で有名なワットポーだけ行くことにした。Grabで、ワットポーまでは183バーツ。入場料は大人300バーツぐらいだったと思う。敷地の中には右上のような塔がたくさん建っていた。きれいな模様のタイルを、モザイクのように貼っている塔で、とてもきれい。一番奥の建物に、涅槃像があった。建物の中へは、靴を脱いで緑の袋に入れて持って歩く。涅槃像を顔から見たところ。(右上)真ん中は足の方から見たところ。(HPより)全長約46m、高さ約15m、特に足の裏が螺鈿細工できれいのに、人が多くてこんな写真は全然撮れなかった。涅槃像の後ろには108つの壺があって、20バーツで交換したコインを入れていくと煩悩を捨て去ることができると言われているけれど、孫たちには、ただこの経験が、思い出に残ればいいな。(下左)私も、昔コインを入れた記憶が残っている。(下右)の銅鑼も、何か意味があったような。ワットポーでは、タイ式マッサージをしてくれるところがあるらしい。川を挟んで、ワットアルンがよく見えるカフェがあると言うので、ワットポーを出てから、チャオプラヤー川の方に少し歩いていった。カフェの2階席からは、ワットアルンがよく見えた。朝食をたくさん食べたので、ここでは飲み物と春巻きで昼食。このカフェでは、日本から来ていた人に出会った。女性二人連れで、一人はバンコク在住だそう。タイ旅行中は、欧米人が多くて日本人はあまり見かけなかった。アンティークな家具があって、素敵なカフェだった。ホテルまでの帰りは、船で帰ることに。カフェを出て少し歩くとボート乗り場があった。ボートにはいろんな種類があって、対岸へ行くボート、川上へ行くボート、川下へ行くボート、船着き場とボートの種類の表示(上右)があって、その色のチケットを買う。ここでは全く娘にお任せ。オレンジボートで、6つ目の船着き場で降りると言うことだった。船の運賃は、100円ぐらいでかなり安かったと思う。船が来ると、桟橋(下左)を下りて乗り込んだ。船の中は満員だったけれど、子ども二人と私が杖をついているので座らせてくれた。船が進んでいくと、川岸までは3.40mぐらい。「船が沈んだら、川岸まで泳いでね。」と言うと、あまりにも水が濁っているからか、エルちゃんの表情が固まった。ホテル近くの船着き場について、そこからホテルまでは約15分。一番気温の高い時なので、日陰を選んで歩いた。「タクシー呼ぶ?」と娘が聞くけれど、15分くらいは歩けないとと思って頑張った。ホテルについて、すぐラウンジで冷たい飲み物を飲んでから、プールに入った。「川で船が沈んだ時は、イー君は、おばあちゃんが後ろから顎を抱えるから、バタバタしたらあかんよ」とか言ってたので、イー君を抱えて泳ぐ練習をしたり、みんなで浮く練習をしたり。以前は、子どもを抱えて泳げたんだけど、浮いているだけで精いっぱい。自分の力を過信したら駄目だなあ。プールサイドで、チェアベッドに寝転んでいたら、風が気持ちいい。飲み物を頼んで、iPhoneを見ながらのんびり。シャワーを浴びてから、カクテルタイムのラウンジへ。娘が頼んでいたモヒートが美味しそうなので私も頼んだ。爽やかで、2杯も頼んだ。夕食後、ホテルの斜め前にあるスパに行った。娘はタイ式マッサージ(400バーツ)、私はアロマオイルを使ったボディマッサージ(600バーツ)をお願いした。1時間で二人で約4500円。ホテル内のスパは高いけれど、町スパはお手頃。エルちゃんとイー君は、横でiPadを観ていた。娘はすごく気持ちが良かったらしい。私はちょっと軽すぎるなあと思ったけれど、途中もう少し強くと言ったら強すぎて、また軽くしてもらった。そばのコンビニに寄ってから帰って来た。そんな風に、3日目も過ぎていった。
2024.08.05
コメント(4)
一人遅く寝たけれど、早く目が覚めた。朝からお風呂に入ってさっぱりした頃に、みんな起きてきて、朝食は、ラウンジではなく、レストランの方に行くことにした。広くて、人も多いけれど、料理の種類も多い。その中で見つけたナンプラープリック。下の写真の赤い♡の調味液。これをサラダやチャーハンなどにかけて食べるのが好き。この後で、マンゴーのパンや、スイカやドラゴンフルーツなど果物もいっぱい食べた。食後、バンコクにできたアイコンサイアムと言う商業施設の中に、大きな子どもの遊び場があるそうなので、みんなで出かけることにした。Grabというアプリを始めて使ってみた。日本語表示なので使いやすい、現在地のホテルから、行き先にアイコンサイアムを入れると、地図上に付近にいるタクシーが表示される。一番近いタクシーの値段が出てくるので、それを申し込むと、タクシーのナンバーが表示され、地図上の位置と到着時刻が出てくる。アイコンサイアムまでは172バーツ。(約750円)20分ぐらいで到着した。入ったところは、タイ雑貨やタイの食べ物などが売っているところ。奥の方には川が流れてボートもあって、水上マーケットのような雰囲気になっていた。(上左)レザーに飾りを付けて刻印してくれるところがあり、パパとおじいちゃんのおみやげに。エルちゃんとイー君のパスポートケースも作ってもらった。(上右)次に行ったのは、ハーバーランドという室内の遊び場。(下左右)料金は子ども660バーツ(約2800円)大人200バーツ(約850円)60才以上は無料。滑り止めの付いた専用の靴下に履き替えて中に入ると、滑り台だけでも傾斜が急な物からそりに乗って滑るものから、ウォータースライダーのようにくるくる回って下りてくるものからいろいろある。きれいだし、スタッフも多くて安心できる場所。カフェコーナーもあるので、私は座って見学。飲み物やお菓子は日本の物もあったけれど、それほど高くなかった。2時間ぐらい遊んでから、昼食にすることにした。6階にはいろんなレストランがあって、日本から出店している店も多かった。天井から水が落ちて、文字が浮かび上がるのが間近で見られるタイ料理のお店に入った。空心菜のソテーやシーフードのチャーハン、蟹の足や海老のフライなど、茸のスープはトムヤンクンみたいに酸っぱいスープだったけれど、とても美味しかった。ビールやジュースも頼んで、ここは私がカードで支払った。4013バーツで請求額は18188円とここはちょっと高め。娘がタイバーツを持っていたので、両替しなかったけれど、レートは4.5倍になっていた。2階には、ルイ・ヴィトンやシャネル、エルメスなどのブランドのお店がたくさん入っていたので、そんなお店も覗いてからホテルに戻ることに。子どもたちがトゥクトゥクに乗りたいと言うので、娘が値段交渉。ホテルまで500バーツと言う。高いというと、渋滞で赤く表示された地図を見せて、タクシーだったら時間がかかるけれど、トゥクトゥクだったら速く行けると言うので、乗って行くことに決めた。バイクに荷台を付けたような三輪車だけれど、車と車の間をすり抜けて、渋滞の道も停まることなく速い速い。ぶつかりそうでヒヤヒヤするけれど、車もトゥクトゥクが来るとスピードを落とす。風を切って走るので、気持ちが良かった。空港からのタクシーが渋滞で時間がかかったけれど、トゥクトゥクはとっても速かった。ホテルでは、昼食が遅かったのでラウンジでの夕食は軽めに。その後、みんなでプールに入った。夜景を見ながらのプールは気持ちがいい。イー君も足が付かなくてもかなり泳げるようになったので、私は一人で泳いだ。1時間ほど過ごしてから、部屋に戻ってエルちゃんと一緒にシャワーを浴びた。かなり歩いて疲れたので、この日はみんな早く寝た。
2024.08.02
コメント(6)
バンコクのスワンナプーム空港に着いて、すぐにモバイル通信を旅行のために入れたeSIMの方に変えた。出国手続きは、とてもスムーズ。スーツケースもすぐに受け取ることができた。頼んでくれていたホテルまでの送迎の車も、空港到着ロビーの3番と4番出口の間と連絡が来ていて、係の人がネームプレートを出してくれていた。スーツケースを3個積んで、ホテルへ出発すると、左側に空港の外観が見えてきた。丸い羽根がいくつも並んだような近代的な外観で、関空に似ているような気がした。ホテルまで行く途中で、だんだん車が混んできて、普通は30分ぐらいで着くそうだけれど、なかなか進まない。近代的なビルも多いけれど、その間には昔からあるような、古い壊れそうな家も並んでいた。高床になっているのが見えて、川の近くに建てられた家は、雨期には増水するからだろうなあと思った。1時間ぐらいでマリオット ザ スリウォンに着いた。娘がクラブアクセスの部屋を頼んでくれていたけれど、マリオットボンヴォイの会員なので、すごくいい部屋にランクアップしてくれていた。2ベッドルームにリビングにダイニング、洗濯機もあるのが嬉しい。テーブルの上にビールとお菓子もプレゼントされていた。5時半からカクテルタイムなので、早速クラブルームへ。クラブルームからの眺めは最高。お酒も、お料理も、デザートも、果物もいろいろ用意されていた。私は、タイ料理が大好き。ナンプラープリックと言うナンプラー(魚醤)を主とした調味液に生の唐辛子を刻んで入れた調味料が好きで、どんな料理にかけても私好みになるんだけれど、この日はそれが無かったのがちょっと残念。でも、美味しいお料理が多くて満足。ビールやスパーリングワインなど、お酒もかなり飲んだ。食後、ホテルの中を探検。18階には、ジムやインフィニティープールがあった。私も孫たちも、プールが大好き。翌日からが楽しみになった。屋上には、ルーフトップバーがあって、生演奏もしていた。夜景がきれいだったけれど、他に子どもはいなかったので、すぐに下りてきた。私はエルちゃんとツインのベッドで寝ることにした。ツインのベッドルームの横には洗面所とシャワールーム、ダブルベッドルームの横には、洗面所とお風呂があった。エルちゃんとイー君がお風呂に入って、私はシャワーを浴びた。お風呂から出たら、エルちゃんとイー君はすぐに寝てしまった。まだ9時前だけれど、日本時間では10時を回っている。朝が早かったらしく、娘もすぐに寝てしまった。私は、用意してくれていたビールを飲みながら、Duolinngoをしてゆっくり眠りについた。
2024.07.31
コメント(6)
今回の旅行は、私は何も準備しないで娘任せ。孫の休みに合わせて、始めプーケットへ行こうかと言っていたけれど、飛行機のつながりが悪くて、バンコクで乗り継ぎのために3時間ぐらい過ごさないといけない。それだったら、プーケットへ行くのを止めて、バンコクで過ごそうということに。バンコクに最後に行ったのは、ダンナと一緒に行った約20年前。こんなに都会になっていると思わなかったし、リゾート気分で過ごせるホテルがいっぱいあるということを知らなかった。バンコクへ行くことが決まって、youtubeを観たら、素敵なホテルがいっぱいで嬉しくなった。タイ航空のチケットは、だいぶ前に取ってくれていた。タイで使うeSIMも買ってくれていた。マリオットグループの中で口コミの高い、ザ スリウォンを予約してくれた。空港送迎も予約してくれていた。eSIMや空港送迎はKlookというサイトからだと思う。私は、Youtubeを見て、東南アジアではUberよりもGrobという配車アプリの方が使われているようなので、事前にダウンロードしておいた。関空発は11時20分の飛行機。出国手続きが混むかもしれないので、お互いに車で9時集合。でもタイ航空のチケットカウンターは、思ったよりも空いていて、出国手続きもスムーズ。案の定私は、金属探知機が鳴ったので、足首と膝の手術跡を見せた。搭乗ゲートまでちょっと遠かった。杖をついて歩いていたけれど、自動運転の車椅子を見つけた孫たちが、これに乗ったら?と言う。人や物を避けて目的地まで行ってくれる優れものだけれど、速度がかなり遅いので、途中で降りた。すると、人を乗せていない車椅子が、自分で元の場所に戻っていた。賢いなあ。ANAラウンジが、搭乗ゲートのそばにあった。私の持っているプライオリティーカードはANAラウンジに入れるようになったけれど午前11時から。娘の持っているカードが,ANAラウンジに二人入ることができる。エルちゃんとイー君はジュースを買ってもらって、椅子に座って待っていてくれるそうなので、私と娘と二人でANAラウンジに入った。ビールを飲んで、ほっと一息。エルちゃんとイー君は、iPadに映画やyoutubeなどいろいろダウンロードしてきたらしい。海外へよく旅行する家族なので、二人とも旅慣れている。iPadでLINEも繋がっているので、娘が時々やり取りをしていた。11時前に飛行機に乗り込んだ。窓際にエルちゃん、一つ座席を空けて、通路側に私は座席を取っていた。娘とイー君も同様に。間に人が座ったら困るなと思ったけれど、空席のままでホッ。機内食は、魚料理を頼んだ。サラダとわらび餅が付いていた。数時間後に、どら焼きも配ってくれた。映画を観ようと思ったけれど、日本の映画がほとんどない。外国の映画も字幕は英語科中国語かタイ語。懐かしい「サウンド・オブ・ミュージック」があったので、中国語字幕で観た。そんな風に過ごしている間に、バンコクに無事到着。現地時間2時30分。2時間の時差なので、約5時間。思ったよりかなり早い。雨期だと聞いて心配していたけれど、いい天気だった。
2024.07.27
コメント(4)
忘れないうちにタイのことを書かなくちゃ。タイへ行くのは5回目。最後に行ってから、20年ぐらいたっている。驚いたのが、おしゃれな高層ビルがいっぱいの都会になっていたこと。これはホテルのラウンジからの景色。地震の心配がないからか、子どもがブロックを積んだみたいな、面白い形のビルもある。やっぱりタイは「微笑みの国」両手を合わせて「サワディーカー」と笑顔で迎えてくれる。気持ちの良かった、タイのバンコクのことを書いていきます。
2024.07.25
コメント(6)
6月29日、岡寺、飛鳥寺の次に行ったのは、橘寺。聖徳太子の生まれたところと言われ、境内の中に飛鳥時代の二面石という石造物がある。以前、医大に診察に来た時に、奈良に住むAさんに連れてきてもらったことがある。彼岸花が満開で、境内では芙蓉の花も咲いていた。その時の日記に、二面石の写真も載っていた。境内を回った後、あまりにも暑いので日陰で涼んでいたけれど、早めにお昼を食べに行くことにした。昼食は、石舞台のそばの夢市茶屋で。駐車場がなかなかわからず、行ったり来たりしたけれど、有料駐車場の横から入れるようになっていた。夢市茶屋に入る人は、無料。時間が早かったので、大きなテーブルで、素麵と柿の葉寿司のセットを、みんなで一緒に食べることができた。三輪素麺と柿の葉寿司の地元だし、ちょうど良かった。車を置いて、石舞台を見学した。石舞台と、この後行った高松塚古墳のことも以前のブログで詳しく書いている。医大に通っている時、石舞台へは何度も行った。Aさんと行って、いろいろ教えてもらったし、母とも行った。この時は、ダンナと一緒に診察した後、明日香を見学している。石舞台では、ボランティアで解説してくれる人がいて、いろいろ説明してくれた。石舞台は蘇我馬子の墓と考えられているけれど、この地の近くに曽我氏に関係するものが多く、これだけの大きな石を運んで墓を作れるのは、相当な権力がある証拠。蘇我馬子しか考えられないそうだ。でも、聞いている間、暑くて暑くて。石舞台の中に入ったら涼しくて、ほっとした。その後、高松塚へ行く途中、棚田を見てから行こうと思ったのに、私は道を間違えてきれいな棚田を見れずじまいで申し訳ないことをした。高松塚古墳へ行って、駐車場に車を置いて歩きだしたけれど、ちょっと最後まで歩くには、私は足が心配。何度も行ってるし、私はパスすることにして、駐車場の車の中で待つことにした。キトラ古墳や壷阪寺などまだまだ見どころはいっぱいあるけれど、帰りの電車の時間もあるので、橿原神宮駅の近くに戻ることに。ガストで冷たいものを食べてから、駅に送った。グランドメルキュール奈良橿原のホテル費用は、ヤフートラベルのキャンペーンでPeypey還元があって、その分を引いて、二人で21330円という驚く安さ。ダンナの友だちのMさんは、支払いをするときまで一人分の金額だと思っていたそう。壷阪寺も西国三十三カ所の札所だし、季節を変えてまた来てもいいかなと思った。今回の旅行では、みんなで一緒に話す時間が多かった。男性陣とMさんの奥さんは高校の同級生で、高3の頃ダンナはMさんの家に入り浸りだったそう。その頃から、受験勉強そっちのけで二人で碁をしだして、一緒に浪人時代を過ごしたそうだ。私も、最近中学や高校の友だちと会って話すと楽しいけれど、ダンナも友だちと一緒にいると楽しそうだ。
2024.07.15
コメント(9)
6月28日、29日、敦賀に住む夫の友人たち夫婦と一緒に6人で、奈良橿原を旅行してきた。28日の朝9時過ぎに、私の運転するプリウスと、ダンナの運転するNボックスの2台で、奈良に向かって出発。敦賀からの4人は、9時過ぎに敦賀をサンダーバードで出発。京都で近鉄線特急に乗り換えて、11時27分に橿原神宮前駅に到着予定。私たちは、1時間ぐらい早く着いたので、近くのCOCOSで休憩してから、駅へ迎えに行った。ダンナの車に男性陣、私の車に女性陣が乗って、予約していたひだまりcafe飛鳥へ。ペンションの1階がcafeになっていて、医大に通っていた頃、連れて行ってもらってとっても気に行ったカフェ。そこで、飛鳥で見学するところの予定を話し合った。下見ではキトラ古墳→高松塚古墳→亀石→橘寺→岡寺→石舞台と計画を立てていたけれど、お昼過ぎから雨がポツポツ。予報では、雨が激しくなりそうなので、翌日行く予定をしていた、飛鳥資料館に先に行くことにした。資料館では、飛鳥の歴史の説明と共に、飛鳥に点在する石造物の実物大のモニュメントなども見ることができてる。雨が小降りになったところで、岡寺に向かった。西国三十三カ所の7番札所で、御朱印を集めている人がいる。岡寺の駐車場までの細い道を上っていくと、雨がどんどん激しくなった。駐車場で、小降りになるのを待ったけれど、とても車の外に出られそうにないので、ホテルに行くことにした。3時にチェックインして、ラウンジで過ごし、お風呂に入ってから、5時半に夕食レストランに集合した。お酒もいっぱい飲む人たちなので、飲み放題は大満足。2時間ぐらい、食べて飲んで、その後ロビーのソファーに座っておしゃべり。9時になって、ラウンジに入れるようになったので、またお酒を飲んで、10時ごろ各部屋に解散した。翌29日は、朝から快晴。7時に朝食を取った後、チェックアウトは11時だけれど、8時半に出発することにした。最初に行ったのは、岡寺。ちょうどアジサイの時期で、色んなとことにアジサイの鉢が置かれていた。朝早かったので、ゆっくり見て、御朱印ももらうことができたけれど、9時半ごろになると団体客がいっぱい来始めた。次に向かったのは、飛鳥寺。飛鳥大仏の説明を聞いた。中途半端だけれど、今日はここまでで一回アップしよう。7月6日から10日までタイのバンコクに行ってきた。バンコクに行くのは、4回目、20年ぶりぐらいかなあ。あまりにも近代的で立派な建物が多くて、驚いた。そのことを書きたいので、この続きも早く書かないと。
2024.07.13
コメント(4)
6月28・29日に、敦賀のダンナの友人夫婦二組と、6人で旅行に行ってきた。コロナ前は、毎年のように一緒に行ってたけれど、コロナで中断。3月に、やっと日帰りで京都へ出かけた。もうそろそろ、泊まりで行こうということになり、今回は私たちの当番。京都も奈良も神戸も大阪も、どこも外国人がいっぱいで、ホテルの値段も高い。どこにしようかなと、youtubeを見ていたら、グランドメルキュールホテルに泊まった映像がいくつか出てきた。フランスのホテルグループで、今年の4月に、全国に20カ所オープンしたらしい。ラウンジが使えて、お酒飲み放題のオールインクルーシブ。お酒が好きな人が多いので魅力的。どこにあるのか調べてみたら、和歌山や滋賀、淡路島、そして奈良の橿原がある。奈良の橿原は、医大へ通っていた頃によく行ったし、見所もたくさんある。多分外国人は少ないだろうと、ここに泊まることを決めた。youtubeでヤフートラベルでキャンペーンをしていると言ってたので、他の旅行サイトと比べてみたら、ペイペイ還元があってめちゃ安い。それで、事前に自分たちだけで泊まって、下見もしてくることにした。下見をしたのは、5月の24・25日。ベッドも大きいし、部屋も広い。(左上)ラウンジを使えるのは(15時~17時、20時~22時)ビールやお酒、ソフトドリンク自由で、グミやプリッツ、奈良のせんべいなどのおやつもある。(右上)大浴場もあって、お風呂の横にラウンジもある。夜8時ごろ行ったら、甘酒をくれた。洗面台にコーセーの高級ブランド、雪肌精が置いてあった。(左下)夕食のバイキング。お造りやしゃぶしゃぶ、お寿司などの和食に、オマールえびのグラタン、ムール貝の入ったパエリア、麻婆豆腐など、洋、中、韓食と種類が豊富。ビールやワインも飲み放題。デザートや果物もいっぱい。(右下)とこんな写真をLINEで送って紹介した。下見の時に、私はあかすりと、リンパマッサージもしてもらって満足。下見の時はお天気が良かったので、明日香村の見どころをほぼ回って、場所を確認した。と。ここまで書いたけれど、本番の28・29日のことはまた今度。明後日から、ちょっと旅行に行くけど、書けるかしら。
2024.07.04
コメント(2)
昨日、ご近所さんとの食事会があった。私が今の家に住みだした頃から40年以上、年2回ずっと続いてきた食事会も、2020年の2月を最後に、コロナ禍で止まってしまっていた。この食事会のことは、今まで何度も書いてきている。隣組の食事会 2019年2月18日隣組の食事会 2013年1月20日昔のブログを読むと懐かしい。昭和55年、私が27才の時から参加していると書いてある。今日の参加者は5人。私の車、一台で近くのごちそう村というところに行ってランチ。(HPより)いつも10人ぐらい集まっていた食事会だけれど、2019年のブログに出てくるお隣のKさんは、圧迫骨折で入院中。そしてみんなのまとめ役で、お母さんのような存在だったUさんは、施設に入ったまま去年亡くなった。今日参加した中で一番の年上は、87才のTさん。まだまだ元気で、介護申請もしていないそう。この間体調が悪くなったときがあって、一人暮らしなので介護申請しておいた方がいいねと言う話になった。そのTさん、満州で育って、お父さんはシベリアに抑留されていて、日本へ帰って来たのは終戦後から5年経ってからだったそうだ。連絡が無くて心配したと言っていた。いつも元気で明るいTさんだけれど、こんな話を初めて聞いた。やっと再開したご近所の食事会。みんなが元気になるので続けないと。半年後の係を引き受けることにことにした。6月7日は、私の誕生日で、翌日の8日は、ダンナの誕生日だった。私は、71才になった。でも、自分で70才を超えているという気が全くしない。お化粧を落とした顔は老けたなあと思うけれど、服装の好みは若い方。大阪のおばちゃんの代名詞のように言われるヒョウ柄の服などは着たことが無い。ダイビング仲間のKさんは、6月4日が誕生日。よく行くクウクウというレストランから、お誕生日の割引葉書が来ていたので、6月6日の木曜日の夜、プールのレッスンが終わってから、誕生日ディナーを食べに行って、二人でお祝い。誕生日には、娘や孫たちからおめでとうのLINEが届いた。6月8日の土曜日は、午前中ハングルの講座に行って、終わってからダンナと二人でかに道楽へ。蟹が大好きな二人なので、ちょっと豪華なランチ。ダンナは76才になった。喜寿かな?昔は数え年でお祝いしたけれど、最近は満年齢が多いのかな?ダンナにも孫たちからお祝いLINEが来たけれど、息子からは何もなし。3月30日の結婚記念日の夜も、二人でかに道楽へ食べに来たけれど、来年は金婚式もあるし、喜寿のお祝いもしてもらおうかと話していた。火曜日、ダンナと一緒に幼稚園でロボット教室に入っているイー君を迎えに行ってから、娘の家へ。火曜日は、エルちゃんのピアノとバレエと習い事が続くので、その間イー君と過ごす。この日は、家でちらしずしを作って持って行っていた。夕食後、娘がダンナに封筒を渡した。「誕生日と父の日と喜寿おめでとう」と金一封でダンナは大喜び。お母さんは、旅行に連れて行ってあげるからということでお預け。来月、娘とエルちゃんとイー君と4人でタイへ行く予定。どんな楽しい旅行をさせてくれるのかな?楽しみ。
2024.06.16
コメント(8)
わあ、ずいぶん長く開いてしまった。クイズを出しておきながら、答えを書いておかないと。小学校の卒業文集で「将来○○になりたい」と書いたら、先生に書き直しなさいと言われた。〇〇は何を書いたのかという質問に、ダンナは「天皇」だろうと言い、私もそれしかないと思った。おもちゃの修理隊の時に、彼に聞いたら違うという。「神様」と書いたんだそう。新興宗教とかもあるし、書き直させたんだろうと言う。なんかぴんと来なくって、残念。おもちゃの修理隊では、18日の土曜日に、古民家を利用して行われた親子マルシェに、出張ボランティアで参加した。地域の色んなサークルが、SNSで繋がり、こういう企画をしているらしい。ハンドメイドの雑貨などを売るブースや紙芝居、保護猫活動や子ども食堂の試食、火起こしや竹細工の体験、紙芝居など、親子で楽しめるいろいろな企画があった。市が違うので知られていないからか、午前中は全く誰も来なくて暇だったけれど、午後から壊れたおもちゃを持ってくる人が増えてきて、何個かのおもちゃは入院(持って帰って修理)することになった。19日の日曜日、ダンナと一緒に「碁盤斬り」の映画を観てきた。役者人の演技が上手いし、ストーリーもわかりやすい、映像も綺麗だし、日本アカデミー賞のいろいろな部門にノミネートされるんだろうなと思う。久しぶりにつよぽん(草彅剛)がいろいろな番組に出てきて、話が面白い。SMAPの中では、なかなか役をもらえなかった遅咲きの役者だけれど、つかこうへい、タモリ、高倉健、大杉蓮といろんな人から認められて応援されていた。どんどんいい役者になるなあ。「碁盤斬り」は囲碁を知っていたらもっと楽しめるようで、囲碁好きのダンナは真剣に見ていた。映画の中の囲碁を対戦している時に、ダンナが「石の下や」と横から言うので何かな?と思っていたら、映画の中でも「石の下」という言葉が出てきた。意図的に相手に石を取らせて自分が勝つ展開に持って行く手法らしい。エンドロールの中には、日本棋院や有名な棋士の名前も載っていたらしい。5月23・24日は、奈良の橿原のホテルに泊まって、周辺の飛鳥を巡ってきた。これは、来月の下見。このことは、また今度書くことにしよう。
2024.05.30
コメント(8)
今年のゴールデンウイークは、車の点検と友だちや家族との食事で過ごした。4日の土曜日、中学高校の友だちの、J君とIちゃんと3人で飲みに行こうかと約束して、夜6時にお店を予約していた。飲むのでダンナに送り迎えしてもらうけれど、お店はIちゃんの家から近い。土曜日の朝、近いけれど迎えに行こうか?とIちゃんにLINEを入れたら、「ごめーん、日にちを間違えて蒜山に来てしまってる」という返事。え~と思ったけれど、当日だし、友だちと言っても男性と二人で飲みに行くのはなあと思って、ダンナも誘って3人で行くことにした。同窓会やおもちゃの修理隊で、昔から飲みに行ったりしたときはダンナに迎えに来てもらっているので、J君とダンナは、顔なじみではある。食事をするのは初めてだけれど、美味しいお料理とお酒(ダンナはノンアルコールのビールだけれど)で思いのほか話が弾んだ。和モード千代松のお料理子どもの頃の話や、中学校、高校時代の話も、私の友だちのことも割と知っているので、ダンナも面白がって聞いていた。その中でのJ君の話。J君の家は、小学校の目の前で、チャイムが鳴ってからでも行ける距離。夏休みになったら花壇の水やりを頼まれたり、やんちゃだけれど割とかわいがられていたらしい。6年生の時の担任は、S先生。私が勤めていた頃は国語の指導で有名な人だった。その先生がもっと若い頃の話。卒業文集に、「将来○○になりたい」と言う作文を書いたけれど、一人だけ先生に書き直せと言われたらしい。「え~なんて書いたの?詐欺師?大臣?」とか聞いても首を振る。ダンナが絶対当てると言って、何文字かヒントだけ聞いた。〇〇は漢字2文字で、ひらがなだと4文字、濁点は無し。ダンナは、帰ってきてから小学生用の国語辞典を見たりしながら考えて、3日後、わかったと教えてくれた。あ~それなら書き直させるかもと納得。わかりますか?土曜日、おもちゃの修理隊の時に、本人に答え合わせをするけれど、ダンナの出した回答はまたあとで。
2024.05.09
コメント(6)
もう明日が待っている [ 鈴木 おさむ ]最近は、小説などの読み物は図書館で借りる頃が多く、本屋で買うのは旅行雑誌と週刊誌ぐらいだった。放送作家の鈴木おさむが、3月31日で放送作家を引退し、SMAPの本を出すと知ったのは3月の初め頃。これまでも、SMAPのことを小説に書いて、文芸春秋に発表してきていたし、「20160118」と題してSMAPの悪夢の一日のことを、文芸春秋の2023年1月号に書いた小説も図書館で読んだ。もうSMAPのファンでは無いし、もういいかなと思っていたけれど、発売されるとやっぱり読んでみたい。スマスマが始まった1996年から、10年ほどは本当にSMAPが大好きだった。彼らからどれだけ勇気や元気をもらったことか。2016年12月26日のスマスマ最終回まで、ほぼ全てを見ている私はやっぱり楽しめるだろうなと思って本を買った。第1章は、SMAPとの出会いから森君の脱退のことなど。スマスマが始まってすぐで、リーダーが涙で送ったのを覚えている。読んでいて泣けた。そんなことからも注目したグループだった。第2章は、SMAPがどんどん大きくなって、リーダーが紅白の司会者に。第3章は、2000年のタクヤの結婚。実は私は、コンサート開始直後に、タクヤが一人で出てきて結婚報告をしたのを、実際に東京ドームで見ている。前日の夜、スポーツ新聞にすっぱ抜かれて、取材に応じて結婚すると言った。この本によると、結婚は決まっていて、コンサートが全て終わった後、発表するつもりだったらしい。突然記事が出て、「男らしくない」とすぐに会見するようにイイジマさんが勧めたと言う。あー私は20年以上も誤解していた。タクヤは結婚するつもりなんてなかったのに、Sさんに嵌められた。とずっと思ってた。SMAPファンは、そう思ってた人が多いと思う。だから、Sさんとイイジマさんとは仲が悪いだろうと思っていたし、SMAP解散も影でSさんが動いたんだろうと常に悪者扱いしていた。本当にごめんなさいだ。これを知れただけでも、この本を読んで良かったと思った。と、SMAPファン以外には何のことかさっぱりわからないと思うので、ここで止めとこう。長い間、本当に楽しめたSMAP×SMAPという番組も、本人たちの努力だけでなく、番組を作っているスタッフたちの緻密な計算と努力の賜物だったというのがわかった。公開処刑、葬式と言われた、「20160118」の放送から、一直線に解散に向かって進んでいった。事務所を出て「新しい地図」に移ったシンゴとツヨシとゴローチャンは、テレビの地上波から消え、放送倫理に違反しているのではないかとも言われた。ここ数年、芸能界が大きく変化している。J事務所は解体し、歌舞伎の世界やT塚、お笑いの事務所もどんどん問題点が明らかになってきている。アイドルがお笑い、バラエティーに進出し、国民的歌手と言われるまで大きく変わっていったSMAPだけれど、あの痛い終わり方も、芸能界を変えていくきっかけになったのかもしれない。
2024.04.29
コメント(8)
昨日は、元同僚たちとの集まり。コロナの前は、毎月集まっていた私の2番目の職場の同僚たち。去年の夏ごろから、また再開した。いつもは6人だけど、昨日は一人欠席。一人は遅れて来ることになっていた。午前10時過ぎに、Tさんのお宅へ集合。Tさんの家は庭が広くて、車を何台も停められるので、いつも集合場所になってしまう。11時過ぎに、予約していたバラッキーノというイタリアンのお店へ。ランチは、アンティパスト(前菜)・ピッツアorパスタ・ドリンク・ドルチェ(デザート)で、1925円+税左上がドリンクと前菜。私はグレープフルーツジュースを頼んだけど、ジンジャエールを頼んだ人は瓶で来て、辛口と甘口があった。ピッツアは、マルゲリータ(右上)と海老やマッシュルームの入ったクリーム味の物。(中左)パスタは自家製ソーセージのトマトソースパスタ(中右)と真鯛のオイルパスタ(下左)そしてデザート。どれもとても美味しかった。魚貝のピッツアなどは、値段が高かったので別料金になるのかなと思ったら同じ金額。とても流行っていて、駐車場が狭いので、諦めて帰る車があったけれどランチはとってもお得。またリピート確定だな。食べ終わってから、又Tさんのお宅で、一人加わって、5人でお茶とおしゃべり。1人、先月アフリカ旅行をしてきた人がいて、写真を見せてもらったり話を聞いた。クラブツーリズムの8日間のツアーで、約80万円+1人部屋料金で約90万円。クラブツーリズムのツアーは一人旅の人も多かったそうだ。サファリで、ゾウやキリンを間近に見たり、クルーズしたり、南十字星も見えたという。ビクトリアの滝で濡れて、風邪をひいたのか咳が出だして、持って行ってた咳止めなどの薬を飲んで、ずっとマスクをしていたそう。帰ってきてから、一応コロナの検査薬で調べたら陽性でびっくりしたという。コロナは、まだまだ身近にあるみたいだ。1人の人は、家族の転居で北海道に行っていた。先日、函館山の夜景の写真をLINEで送ってくれて、両親と北海道に行った時のことを懐かしく思い出したけれど、五稜郭の桜が満開だという。そして私の韓国の話。いいなあ。アフリカに北海道。アフリカは、もう行けそうにないけど。それから、奈加美神社へみんなで藤の見学。ニュースになっていると教えてもらって、これは、先週木曜日に下見してきたときの写真。この時より、しおれているものもあったけれど、今が見ごろの藤も。あまり知られていなかったけれど、種類もいろいろあって見ごたえがある。アジサイの鉢も多くて、アジサイの時期もまた来ようとみんなで話した。
2024.04.25
コメント(4)
20日の金曜日は、足首の診察日だった。6か月ごとに、足首の診察で奈良県の生駒にある病院へ通っている。私は、2006年に足首の固定術を奈良の大学病院で受けたけれど、調子が良くなく、2007年に同じ病院で再手術を受けた。再手術の時の主治医がK先生。私の受けた内視鏡による固定術は、日本で始まったばかりの手術で、多分再手術した私が初めての成功例。その後、私が再手術してもらった方法が、足関節固定術として広まって行っている。固定術が何年持つか、経過観察も兼ねているのかもしれないが、17年経った今も半年ごとにレントゲンを撮って、診察をしてくれている。K先生は、7年ほど前に東京オリンピックの強化ドクターを兼ねて、早稲田のスポーツ医学の教授となり、月に何度か奈良に帰ってくる。今では、日本のスポーツ医学のドクターの中ではトップクラスで、日本足の外科学会の理事もされているすごい先生だ。この病院には、大学病院とも連携しているスポーツ関節経センターが作られていて、診察はそこで。色々なスポーツチームの専属ドクターになっているので、部屋の中はこんな感じスポーツ選手のサインや写真がいっぱいで、有名な選手も多そうだ。一昨日は、両足首のレントゲンを撮ってから診察してもらった。3月に転んで左足首が真っ黒いあざが出てて、まだ浮腫んでいるけれど、骨には異常がない。右の足首も、変形していて軟骨が無くなってきているけれど、半年前と比べたら症状はあまり進んでいないらしい。左膝を手術する前は、行く度に症状が進んでいたので、左足でしっかり歩けているからだろうということ。「ダイビングの計画があって、4年間してないんだけど、行けますかねえ」と聞くと、「行ける行ける、大丈夫」という返事。いつもK先生は、私がチャレンジしようと思うことに後押しをしてくれる。でも、ダイビングの一番の不安は、足じゃなくて手首と肩なんだけど・・・そして、又半年後、11月の診察の予約をして終わった。診察が終わってから、いつも行くオランダ屋でランチ。その後、生駒の近鉄百貨店で買い物して高速に乗った。今、阪神高速湾岸線は4月16日から26日まで工事中で通行止めになっているので、行く時は阪和自動車道を通って行った。でも、いろんなところで渋滞が起こって、時間がかかった。帰りも、同じように帰ろうと思ったのに、堺でナビが出口に出てくださいとばかり指示が出る。この先落下物注意というのも出たので、仕方なく堺で降りたら、ナビが湾岸の方に行かそうとする。「いやいやそこへ行ったら、通行禁止でしょ」とナビに文句を言って、違う道で帰って来たけど、どこも渋滞でかなり時間がかかった。でも、阪和自動車道で落下物による通行止めなんて言うニュースは出てないし、ナビを信用しないで、そのまま高速で帰ってきた方が良かったなあと思った。
2024.04.21
コメント(36)
4月14日の日曜日、エルちゃんの習っているピアノ教室の、スプリングコンサートがあった。スプリングコンサートは、2年ぶり。前回のスプリングコンサートは、こちら。去年は、ピティナ・ピアノステップという試験を受けた。3年前にも受けて、そのことはブログに書いたのに、ブログに書いた去年のことは、合格したのに書くのを忘れていた。スプリングコンサートは、3つの教室合同で行われている。先生と、先生が子供の頃から教えて、現在ピアノ講師として生徒を教えている方、それと先生の娘さん。先生の娘さんは声楽家で、自宅で歌の指導をされている。それでスプリングコンサートは、ピアノだけでなく歌やほかの楽器の演奏などもあって、すごく楽しいコンサートになっている。コンサートは3部構成で、1部でエルちゃんが弾いたのは「パリの休日」という曲。華やかで軽やかなワルツだ。最後近くに、ウインドチャイムのような流れる音があって、すごくきれいに弾いていたので、上手くなったなあと感心した。2部で、娘と二人で連弾で弾いたのは「A French Waltz」という曲。後ろのスクリーンに、映し出されたのはエッフェル塔とメリーゴーランドに乗るエルちゃん。2017年に一緒にフランスへ行った時の写真だ。優しくて、心地いいワルツのリズムと共に、楽しかった思い出も蘇ってきた。長いことピアノから遠ざかっていた娘が、最近はピアノをよく弾いている。親子で連弾できるっていいなあと思う。娘もピアノを習っていて良かったと思っているだろうし、私も、娘にピアノを習わせて良かったなあと思う。娘たち以外に、習っている姉妹3人でピアノを弾いたり、お母さんのピアノで歌を歌ったり、お母さん(バイオリン)と娘さん3人、(クラリネット・ピアノ・フルートとヴォーカル)で、手紙~拝啓15の君へ~の歌と演奏があったり、和やかな雰囲気のファミリーコンサートが続いた。私と同年輩の人も何人かいた。2年前は、ちょっと練習が足らないかな?と思えた人が、見違えるほど上達している。すごく練習したんだろうなあ。うちのピアノは、退職してからほとんど弾いていなくて、処分した方がいいかなと迷っているけれど、ちょっとまた弾いてみたいなあと思ってしまった。1部の終わりでは、先生の教え子の講師の先生の演奏で「トッカティーナ」の素晴らしい演奏。2部の終わりでは、先生の伴奏で、声楽家の娘さんの歌で、シュトラウスの「春の夢」の歌を聴いた。素晴らしい演奏や歌声を聴けて、とっても素敵なコンサートだった。ちなみに、去年の10月、エルちゃんが、ピティナ・ピアノステップで弾いたのは、「チムチムチェリー」と「ビビデバビデブ」記録しておいた方がいいな。
2024.04.18
コメント(6)
3月31日の日曜日に、あべのハルカスで会ったのは、大学時代の友だち。3月の中頃、留守電に入っていて、懐かしくて電話をかけた。年賀状に、携帯の番号を書いていたのを見つけて、連絡をくれたそうだ。それで、ハルカスの中の英國屋という喫茶店で待ち合わせ。11時開店で、お店の前で開くのを待っていたら、見覚えのある顔。卒業して以来なので、実に50年ぶり。彼女は、小学校に勤め、定年退職した後、1年母親の介護をして、その後大学の講師として勤めていた。そして、今年の3月退職したそうだ。私は、足を悪くして早く辞めたので、もうちょっと弱っていると思ったのか、思った以上に元気やなあと驚いていた。私たちは、大学の美術部で一緒で、彼女が部長、私が副部長をしていた。部室に入り浸って、勉強のことは思い出せないのに、部室でのことはよく思いだす。ストーブでお餅を焼きながらおしゃべりしたり、ラーメンを作ったり。レコードを掛けながら絵を描いた懐かしい思い出。私は、大学で初めて油絵を描きだして、彼女にいろいろ教えてもらった。レコードは、井上陽水や浅川マキ、吉田拓郎など。孫が5人いると言うと、昔から子どもの世話上手かったもんなあと言う。文化祭の日に、2才の甥をベビーカーに乗せて連れて行ったことを思い出した。姉の家に病人が出て、てんやわんやだったけれど、文化祭で私は休むことができず、連れて行ったんだと思う。「どこの子?」とみんなに言われたけれど、泣き出すことも無く、あまり困ったと思わなかった。忘れてたけど、他の人には印象深かったのかもしれない。彼女がインドへ行った話を聞いた。それで、お昼は、DIWALI(ディワリ)と言うインド料理のお店へ。ビールで乾杯。昔はよく飲んだんだけど、あまり飲めなくなったみたい。美術部の顧問の先生のお宅へ行って、すごく酔っ払った思い出がある。その顧問の先生は、安倍のに住んでいたけれど、その後神戸へ引っ越しして、震災の後連絡がつかなくなったそうだ。美味しいものを食べて、美術館巡りをするのが好きだと言う。LINEを交換して、また一緒にランチして、美術鑑賞をしようと約束して別れた。彼女は地下で、パンと総菜を買って帰ったそうだけど、私は久しぶりに近鉄百貨店に来たのでしたいことがいっぱいあった。まず、11階の時計売り場に、着いてすぐに預けていた時計を取りに行った。2012年にイタリアで買ったオメガの時計は、毎日使って値打ちをとっている。最近遅れることが多いので、電池替え。地元の時計屋さんでは、どこも扱ってくれないので、いつもオメガを扱っているデパートで。でも、10年以上経って、そろそろ分解掃除をした方がいいと勧められた。それから服売り場を見て、和カフェで休憩。それから、靴売り場へ。地下からデパートに入る時、自分の足に合った靴を作りませんか?と言うようなイベント広告を見た。私は、足首も手術しているの靴にはいつも困っている。足底版を入れようと思ったら、スニーカーしかないし、ちょっとおしゃれな靴を買っても、歩いている間に足が痛くなって、後履かなくなることが多い。それで、MooV Shoesと言うお店で、左右の足の大きさを測ってもらった。オーダーメイドじゃないけれど、足に合わせて24.3cmなんていう微妙なサイズに調整してくれた。買ったのは、黒い革靴でひもで結ぶシンプルな靴。株主優待で1割引きしてもらって、4万円弱。ちょっと高い買い物だけれど、履いてみたらすごく楽。それで、履いていたスニーカーを箱に入れてもらって、履いて帰ることにした。その日から毎日履いているけれど、本当に楽。京都でいっぱい歩いても疲れなかったのは、この靴のおかげかもしれない。もう一つ買ったのは、カバン。肩にも掛けられて、リュックにもできて、杖を折りたたんでケースに入れた時に入れることができるちょっと大きめのカバンが欲しかった。見つかったけれど、色数が少なくて買ったのはオレンジ色。でも、これも京都では重宝した。肩から掛けたり、リュックにしたり、肩ひもを中に入れると手提げのようになるので、ダンナが持ってもおかしくなかった。後おみやげのカステラを買って、電車に乗って、駅までダンナに迎えに来てもらった。この日の歩数は8126歩。私って案外元気だなあと思う。それにしても、すごく久しぶりに会うと言うことが多い。一昨年の高校の同窓会でも50年ぶりに会って懐かしがった友人がいたし、去年からは中学のミニ同窓会が始まって、先日も集まったけれど、その時会った同級生とは55年ぶり。そして、今回は大学時代の友人。70才と言う年齢が、そういう気持ちにさせるのかなあ。
2024.04.13
コメント(6)
いっぷく亭を出て、光明寺の総門の前で光明寺観光後の集合時間を聞いた。(観光ガイドより)総門の向こう側には長い階段。上れるかなあと心配になった。ダンナに腕を貸してもらい、杖をつきながら階段を上って中ほどの広場まで来た。まだまだ階段は続いて、お寺は見えない。私はここで休憩しているからと、みんなに行ってもらうことにした。(上の写真)みんなを見送って、桜を見ながらひとりで休憩していたけれど、低い石があるだけで、座って休む場所がない。日差しも少し強くなってきた。ここからの階段は、段差が下の階段よりも低いので、ゆっくり上っていくことにした。(上の写真)階段を上りきると、向こうに大きなお堂が見えて、みんな中に入っているようだった。しばらくすると、バスのガイドさんが出てきて、お寺のガイドブックをくれた。西山浄土宗の総本山でこの地は、800年前、法然上人が初めてお念仏を説かれたところだと言う。建物の手前に休憩するところがあったので、そこで座って待っていた。出てきたダンナは、中がとても広くて立派だったと言っていた。他の人たちは、遊歩道の坂道を歩いて下りて行ったけれど、急な坂もあると言うので、ダンナに腕を貸してもらって、私たちは階段をまた下りて行った。次に向かったのは、京都西山の善峯寺。京都の桜の名所としてyoutubeにいっぱい出ていた。高低差のある広大な敷地に桜がいっぱいで、ドローンで撮影された景色も多かった。私はとても歩けないだろうと思っていたけれど、下見をしたMさんが、バスは上の方まで行くから大丈夫と言っていた。その通りで、善峯寺駐車場と書かれたところも過ぎて、細い道を上っていく。対向車が来ても、U字カーブがあっても、何度も切り替えしたりしながら、どんどん上の方まで上っていった。途中すごく大きな邸宅があった。以前松方弘樹が仁科明子と結婚した時に住んでいた家だと教えてくれた。どんどん進んでいって、やっと一番上の駐車場に着いた。そこから階段を上っていった。階段を上ったところにあったのが、(上の写真)の善峯寺。西国三十三所巡りの二十番札所。昔、両親が西国三十三カ所巡礼をしていたけれど、「善峯寺はしんどかった」と母親が言ったことがあるのを思い出した。私たちも20代から30代ぐらいは、掛け軸と納経帳を持ってお参りしたことがあったけれど、途中で止めてしまった。今回、20番札所と言うのを知って、「持っていく?」とダンナに聞いたけれど、もういいと言うので持って行かなかった。だけど、一緒に行ってたO夫妻は、掛け軸と納経帳とおいずるという亡くなったときに被せる白衣も2枚持ってきていた。版の上に、豪快な習字の文字を書かれた御朱印を見ると、ちょっと羨ましい気がした。上ってきた階段を上から見ると、(下の左)の写真。かなり頑張って歩いてきた。でも建物の横には、まだ上に上る階段がある。(下の右)ちょっとしんどくて、休憩するところに座って待つことにした。でも、しばらく休憩したらちょっと退屈になってきて、頑張ってこの階段も上がることにした。上ってみると、ずっと横に広がる松がある。(上の写真)両側に広がっているけれど、一本の松。遊龍の松と名付けられた樹齢600年以上の松。「日本一の松」と言われているらしい。写真に写っている5人が一緒に行った人たち。この丘の上には枝垂桜もあって、(下右)京都の町も一望できる。(下左)登ってきて良かったなあと思った。集合時間に近くなったので、駐車場に降りてきた。15人の参加者は、時間にきっちりしていて、遅れる人は誰もいない。それで予定より早く出発して、3時前に京都に戻って来た。京都駅に帰ってきてから、近くの喫茶店に入った。去年あった同窓会のことや、家族のことなど話した。新幹線の駅ができて、敦賀もかなり雰囲気が変わったそうだ。来年、又同窓会があるだろうし、その時は私たちは敦賀で泊まるだろうし、楽しみだ。これからまた、色んな所へ行く計画を立てようと話して別れた。私たちは、駅の構内でおみやげを買って、早めの夕食を食べてから帰ることにした。京都駅には長いエスカレーターがあって、10階、11階のレストラン街まで行けるようになっている。10階に、ラーメン小路問表示が見えたので、そこへ行くことにした。たくさんテンポがある中で、祇園らーめん京と言うお店に入った、私のは白みそ仕立てのラーメンで美味しかった、また長いエスカレーターを下りていって、みどりの窓口の機械で、はるかの切符を買おうと思ったら、外国人たちがいっぱいの長い列。並んでいたら、予定しているはるかには乗れそうにない。それで、はるかの切符を買わずにICOCAで改札を通って、はるかに乗った。指定席券を買わないとだめかなと思っていたけれど、自由席が横並びで空いていて助かった。京都を出ると、車掌さんが切符を調べに来たので、特急券をそこで買った。何も問題はないみたいで、特急券を2枚出してくれた。乗り換えを一回して、7時半ごろ家に帰ってきた。この日の歩数は、12556歩。この日もよく頑張った。それだけ歩いても、あまり疲れていないし、私ってかなり歩けそうと自信が出てきた。靴のおかげかな? 靴のことはまた今度。
2024.04.10
コメント(10)
5日の金曜日、ダンナの敦賀の友だち二組の夫婦と、6人で京都一日観光をした。その人たちとは、2015年から、神戸・岡山・金沢・小豆島・白浜、そして2019年に名古屋と、年1・2回のペースで一泊二日の旅行を楽しんでいたけれど、コロナ禍で中断してしまった。ダンナのクラス会が去年敦賀であったけれど、町内の大事な会議と重なって行けず、今回は4年半ぶりの再会。3日ぐらい前に、急遽決まって観光メニューは、おこしバスの春の味覚「白子たけのこ」と桜と青もみじの名所コースというプラン。所要時間は約5時間半で、料金は12600円。9時半京都駅で待ち合わせで、はるかで京都まで。京都で降りて見たら、キティーちゃんが可愛い。改札口のところで奥さん二人と出会った。男性二人はチケットを買いに行ってくれていた。京都駅烏丸口を9時50分に出発。運転手さんとガイドさん、参加者は15名で、日本人ばかりだった。まず初めに行くのは伏見にある城南宮。東寺を横に見ながら南下した。東寺の五重塔の横にも桜の木が満開。夜はライトアップされるそうだ。城南宮に着いたのは10時過ぎ。平安京に都が遷った時に、国の安泰と都の守護を願って建てられた城南宮は、四季折々の花の庭がある。源氏物語に描かれた花もたくさんあるそうだ。上の左の写真は春の山。ミツバツツジかな?上の右の写真は、室町の庭の枝垂れ桜。ここには藤棚もあって、5月ぐらいに来たら、満開の藤棚を見られそう。城南宮で一番たくさん見たのは椿。何十種類もの色とりどりの椿が見事だった。下の写真は藪椿。小高い丘に何本も植えられている。驚いたのは、落ちている椿が皆きれいで、こちらを向いていること。椿は、木の枝でだんだん茶色くなって落ちるけれど、茶色い花弁はひとつもない。花弁は自然に落ちたのではなくこちらを向けて置いたのだろう。すごく丁寧に、手入れされているのがわかった。10時55分集合で、次に向かったのは長岡京の光明寺、その横にあるいっぷく亭で昼食。上の左から時計回りで、名物 胡麻豆腐・山葵 煮物 竹の子の土佐煮・さくら麩・青味・胡麻クリーム造り 朝ほり竹の子小鉢 竹の子のしぐれ煮・丹波黒豆・竹の子木の芽和え・クルミの土佐和え蒸物 若竹の昆布締め・黒毛和牛竹の子ご飯・香の物後できたのが、竹の子のてんぷらとしお吸い物食後のお菓子は、竹の子が混じった餡の入ったお饅頭。どの料理も、竹の子が柔らかくてみずみずしくて、とっても美味しかった。食後、横の光明寺へ向かった。眠くなってきたので、今日はここまで。
2024.04.08
コメント(8)
日曜日には、卒業式以来会っていなかった大学時代の友人と、50年ぶりに再会。今週の金曜日には、敦賀のダンナの友人たちと、3組の夫婦6人で、4年半ぶりに京都の日帰り旅行をする。書きたいことがいっぱいあるのになあ。孫たちとの韓国旅行のことを終わらせないと。3月11日(月)旅行の最終日。私はいつものように6時ごろ起きて、洗面も着替えも済ませて、朝ごはん食べに行こうと言ってるのに、孫たち二人はだらだら。長男は、マクドへ行きたいとか言うし、次男は眠そうだし、だんだん腹が立ってきた。それで、20000ウォンずつ渡して、「おばあちゃんは違うところで食べてくるよ」と言って、外へ出た。ホテルのすぐそばにお粥の店があるのでそこに入って、アワビのお粥を食べた。お店の1階は常連客でいっぱいだったけれど、案内された2階は私一人。アワビがいっぱい入ってて、風味は良かったけれど、ちょっと硬かった。これは15000ウォン。1人でさっと食べて、横の両替屋さんに行ったら、レートが良くなっている。100ドル札を両替したら、133800ウォン。円安が進んだろうな。株価も下がっているかもしれないなと思った。部屋に戻ってきたら、次男坊はまだベッドの中。あまり食欲が無いらしい。しばらくすると、長男が帰ってきて、マクドナルドとコンビニに行ってきたらいい。娘から連絡が来て、お昼は評判のいいビビンバのお店へ行こうと言う。休憩した後、荷物を片付けて、11時半ごろにチェックアウトして、タクシーでソウルタワーのふもとにあるモッミョサンバンというお店に向かった。娘たちは、ホテルから近かったので、歩いてやってきた。新しいきれいなお店で、ミシュランにも掲載されたそうだ。すぐにお客さんがいっぱいになった。ユッケビビンバが有名だそうだ。わかりにくいけれど、上の右のビビンバ。ユッケが別の入れ物に入ってきて、他の野菜と一緒にご飯に混ぜ合わせて食べる。私は、朝お粥を食べて時間がたっていないので、娘と半分分けした。ユッケは臭みも無くて食べやすかった。具材がこんな風に別の皿に盛られてきて、自分でのせて食べるビビンバも珍しいなと思った。食べ終わってから、娘がウーバータクシーを呼んでくれたので、私と長男と次男、そしてエルちゃんの4人で金浦空港のロッテマートまで行くことにした。娘は、ホテルに戻ってチェックアウトして、イー君と一緒に地下鉄と電車で金浦空港まで来た。ロッテマートでスーツケースを預けると、長男と次男とエルちゃんは、ちょっと他のところを見てくると言って、外国にいると思えないくらい自由に動き回っていた。娘たちが来て、一緒にお土産を買って、空港の方に向かった。荷物を預けてチェックインしてから、私は一人でプライオリティーカードで入れるカルラウンジに入らせてもらった。iPhoneの充電が切れかけているのが気になって仕方なかった。娘はエルちゃんとANAラウンジへ。イー君は、長男と次男に頼んだ。飛行機の中では、イー君と一緒に座った。5才だけれど、海外旅行経験の多いイー君は、自分専用のヘッドホンを付けて、iPadでダウンロードした映画やyoutubeを観ていた。機内食は、帰りもあまり良くなかったけれど、一人でしっかり食べていた。関空に着くと、エルちゃんがちょっとしんどそうなので、ビジットジャパンのアプリを入れてる娘とエルちゃんとイー君は、荷物をとると先に帰ってもらった。私たちは、申告書を見せて通過。ターミナルビルの外に出ると、息子と三男坊が迎えに来ていてさよならした。そして、一人で駐車場に向かおうとして、転んでしまった。この日の歩数は、14237歩。メチャメチャ疲れていた。そして3日間、いつもiPhoneの充電が切れそうで、私が寝たベッドのそばにコンセントが無いのが不満だった。これからは、モバイルバッテリーを持っておかないと。
2024.04.04
コメント(8)
タクシーで行ったのは、東大門の現代シティアウトレット。コロナの前に、年に何度かソウルに行った。その度に泊まっていたのが、現代アウトレットの上にあるホテルスカイパーク・キングスタウン東大門。地下2階から9階まではデパートのようになっていて、その上がホテル。何階に何があるかよくわかっているので、あまり歩かなくて済む。コロナの前は、ソウル駅からホテルの無料シャトルバスが出ていて、インチョン空港から特急列車に乗ってくると、あまり歩かなくてもホテルの前まで行けてとっても便利だった。シャトルバスは、ソウル駅から途中で明洞のスカイグループのホテルにも寄っていたので、今回もそのバスを利用できるかなと思ってスカイパークホテルにしたのに、現在はシャトルバスは運航していないそう。1階から9階まで、みんなでエスカレーターで一度見てから、8階の子ども用品のところで解散して個別に行動。娘とエルちゃんとイー君は、手作りコーナーで何か作っていた。私は、ちょっと長男たちと地下とか見に行ったけれど、途中から喫茶コーナーでコーヒーを飲んで休憩。長男は、日本の漫画の韓国語版があったと買って喜んでいた。孫たちは服を買いたいと言っていたけれど、ここはブランドの服が多くて値段も高すぎたみたい。夕方になって、食事は地下2階のフードコーナーで。トッポキやキンパプ、ラーメンやサンドイッチなど、いろんなものを選んできて、みんなで食べた。長男が、「お風呂屋さんとかないん」という。次男も携帯の充電がしたいと言うので、地下にあったダイソーで充電器を買って、そしてシャンプーやリンスも買ってスパレックスに行くことにした。近くのグッドモーニングビルの地下3階にあるチムジルバンで、あかすりやマッサージをしてもらったことがある。スパレックスの入場料は、一人15000ウォン。小学生も同じ金額で、イー君だけが5才で8000ウォン。でも、5才の男の子は女の人と一緒にお風呂には入れない。長男と次男にイー君を任せて、私たちは女性コーナーへ。靴箱から男女別になっていて、そこからロッカールームへ。女性はオレンジ色、男性は青色の上下の服を着て、チムジルバンは男女一緒のコーナーになる。上のような休憩室がたくさんある。床はオンドルで暖かい。長男と次男は、空いた部屋のコンセントを使って、まず携帯に充電していた。下の写真はサウナ室。室内温度の違うこんなサウナが10個ぐらいある。織物を敷いただけの部屋でところどころに竹の枕が置いていたりする。その上に寝転んだり座ったりして過ごす。以前は、いつもこのサウナ室に入って、後でマッサージをしてもらったり、あかすりをしてもらったりしたけれど、今の私は一度座ったり寝転んだりすると、膝をつくととても痛いので、立ち上がれない。それで、今回はずっと休憩室に置かれたマッサージチェアに座って過ごした。イー君はお兄ちゃんたちに懐いて、お兄ちゃんたち後にいつもくっついて歩いていた。最後に男女別に分かれて、大きなお風呂に入って髪も洗ってさっぱりして、玄関で待ち合わせた。もう午後9時を回っていたので、娘とエルちゃんとイー君は、ウーバーでタクシーを呼んでホテルに帰っていった。長男と次男が、服を欲しがっていたのに全く買えていなかったので、近くのミリオレへ。昔からあるファッションビルで、夜中まで営業している。女性服、男性服、子供服、カバン、アクセサリーなど、いろんなものがひしめき合って売られている。日本から買い付けに行くバイヤーさんも多く、問屋価格でかなり安い。私は、どこか喫茶店で休憩しようと思ったけれど、以前はこのビルの中にあったのに、つぶれてしまったのかない。孫たちに、ちょっと見てくるように言ったら、長男から電話。いいのがいっぱいあると言う。1階にいると言うと、「45000ウォンのトレーナーを37000ウォンしかないと言うと負けてくれた」と喜んでいた。ウォンがもっと欲しいそうだけれど、ミリオレの入り口の両替所は円のレートが悪い。私は100ドル札を持っていたので、それで両替したら、120000ウォン。1ドル100円の時にウォンだと1000ウォンという時代を知っているので、ドルの方が得した気分、長男と次男に40000ドルずつあげて、私は、どこか休憩するところを探すことにした。ミリオレの外に出ると、屋台と化粧品のお店ばかり目に着く。喫茶店が大きな道を挟んだ向こうにあるけれど、そこまで行く元気がない。化粧品店のシートパックが今までで一番安いのに、それを買って歩く元気がない。屋台で買って石の上に座っていることいるけれど、高すぎて座れない。しんどくてしんどくて、一階のエスカレーターの横のお店で、カットソーを1枚買ったら、椅子を出して座らせてくれた。そして、携帯の充電もさせてくれてホッ。11時を過ぎた頃に、やっと二人がエスカレーターを下りてきた。そこからタクシーでホテルに帰ってきて、私はぐったり。この日の私の歩数は、17962歩。歩きすぎだ。孫たちは、かっこいいトレーナーを2枚ずつ買っていた。1枚40000ウォンで買ったそうだけど、ネットで見ると8万円しているらしい。「バッチもんや」「こんなん持って帰ったら没収されるかも」とか騒いでいたけれど、私はすぐ寝てしまった。
2024.03.31
コメント(10)
私は、いつものように6時過ぎに目が覚めたけれど、孫たちは全然起きない。「朝ごはん食べに行こうよ~」とやっと起きて出発したのが、9時ごろ。ホテルのそばには、韓国料理のお店やお粥のお店がある。「お粥美味しいよ」と言っても興味なさそう。歩いているうちに、ビルの2階で食事をしている人が見えて、きれいそうなので入ることにした。電力公社の2階で、TWOSOMEと言うお店のようだ。ほとんどのパンが6000~8000ウォンぐらいで、コーヒーやコーラなどは無料でついてくる。でも、写真のストロベリーガーデンフラッペは、6500ウォン。そばに、スターバックスのお店があって、長男はそこにも入りたいと言うので、私だけ先に帰ってきた。11時ごろに娘から連絡があって、明洞の中のお店で待ち合わせ。ヨメのTちゃんから頼まれた化粧品なども買いたいので、オリーブヤングでお買い物。私は、欲しかったリップがあったので買った。関空で転んで、唇が切れたので、そのリップがとても役立っている。長男は、トッポッキを食べたいと希望。次男は、ヤンニョムチキンを食べたいと希望。それでヤンニョムチキンの一番人気のBHCというお店へ行ったら、長い行列。それで2番人気のBBQと言うお店へ。<ヤンニョムチキンもいろんな種類があって、美味しかった。ここは娘が払ってくれた。トッポッキはナンデモンの方に行ったら、お店がたくさんあるので行こうと思ったけれど。途中の道には出店がいっぱい出て、すごい人。次男は、ちょっとアレルギーもあって、人混みは苦手みたい。日曜日で閉まっているお店も多そうなので、トンデモンの方に行こうと言うことになった。広い道の方に行ったところに見つけたのが、ソウル商店と言う喫茶店。歩き疲れて、「ちょっと休憩させて」と言って、みんなで入ることにした。いろいろ飲み物を注文したら、お菓子の他にいちごも付けてくれて、とっても親切。私は手前の五味茶を注文。飲み物は、みんな5000ウォン。いいお店だったのに、HPを見つけられなくて残念。食べ終わってから、トンデモンのヒュンダイアウトレットまでタクシーで行った。
2024.03.26
コメント(6)
土曜日、ハングル講座の日だった。ハングル講座は、第2と第4の土曜日で、前回は韓国へ行ってて休んでいた。教室に着いて「韓国はどうでしたか?」と聞かれて、言ったのが、한국에서, 많이 걸어서 너무 피곤했어요.ハングゲソ マニ コロソ ノム ピゴネッソヨ。韓国で、たくさん 歩いて すごく 疲れました。그래서 돌아오는데 간사이공항에서 넘어졌어요.クレソ トラオヌンデ カンサイコンハンエソ ノモジョッソヨ。それで 帰ってくるとき 関西空港で 転びました。 (合ってるかな?)実は、関空で孫たちと別れた後、スーツケースとカバンを持って駐車場に行く時、スーツケースが段差でガタっとなった拍子に転んでしまった。膝と口を打って、唇が切れて血が出た。直後は大したことが無いと思ったけれど、車を運転する頃は左の膝を曲げるのも痛かった。膝に人工関節が入っているので、骨が折れてたら大変で、次の日病院に行ってレントゲンを撮ってもらった。でも骨には異常が無くてホッとした。レントゲンを撮ってもらったときは、左の膝が大きく黒ずんでいただけだったのに、日がたつにつれて、黒ずんでいるところがどんどん増えていってる。多分内出血して血が下がって行ってるんだろうけど、足首も真っ黒。自分では触らなければ痛みは無いし、平気なんだけど、プールでもみんなびっくりしている。人工関節が入っている骨が折れたら、再手術が大変だそうで、今日行ったリウマチの先生も、リハビリの先生も、折れて無くて良かったねえと言っていた。ハングル講座では、誰かが旅行したりすると、韓国語で質問しあう。・いつ行ってきたんですか?・誰と言ったんですか?・ホテルはどこですか?・何が一番おいしかったですか?・明洞のほかに、どこに行きましたか?など、知らない単語や表現は先生に教えてもらいながら学習する。話したいことがいろいろあると、ほとんどが日本語になってしまうけど、持って行ったお土産を食べながら、和やかな雰囲気で学習している。この教室に来てから、もう7.8年経つのかな?ハングル講座は楽しいんだけれど、韓国語を聴いてもすぐに理解できない自分が情けない。Iさんは、来月、また韓国に行って1か月ぐらい過ごすそうだ。彼女がいる間に、また行ってこようかしら。それより、早く孫たちとの韓国旅行の続きを書かないとね。
2024.03.26
コメント(6)
娘たちの泊まっているホテルのそばに、カンジャンケジャンのお店があると言うので夕食をそこですることに決めて、孫たちと出発した。途中で、孫二人は、1万円を88000ウォンぐらいで両替した。明洞の中心街は、夜になると出店がいっぱい出てきて楽しい。周りのお店も、化粧品のお店、若い子に人気のありそうな服や靴、アクセサリーのお店などがいっぱい。中心の通りは華やかできれいで、有名なブランドもたくさんある。韓流スターの大きな看板がかかっているお店も多くて、孫たちは興味津々だ。でも、私は、二人に付いていくので精いっぱい。お店を覗く余裕もない。連絡をもらったお店は、サボイホテルの2階ですぐわかった。もうすぐ着くと連絡を入れたら、娘が待っていてくれていた。オダリチブ明洞と言うお店で、ネットの評価が高い。カンジャンケジャンを2人前と熟成牛肉、熟成豚肉、エビなどのセット、私と娘はビール、孫たちはジンジャエールを頼んだところで、「ソフトドリンク人数分各1杯無料」と言うクーポンを見つけてみんなおかわり。マッコリも頼めると言うので、私と娘はマッコリ。お店は満員だけれど、スタッフも多くお肉を焼いて食べやすいように切ってくれた。カンジャンケジャンはすごく美味しくて、甲羅にご飯を入れて食べたいくらい。おかずも多いし、チゲや韓国風茶わん蒸しのケランチムも二人分ずつ出てきた。料金は、170000ウォンぐらい?娘が支払いをしてくれた。人数が多いのに日本円では20000円していないからカンジャンケジャンにしては安い。帰り、2階から下りようとするとずらっと階段にお客さんが並んでいて、建物の外まで続いていて、やっぱり人気店。早く入って良かった。食後、ちょっと散策。食べ物の出店がいろいろ出ていた。長男とエルちゃん、イー君は右下のフルーツを買った。いちごを一粒食べさせてもらった。周りを薄い飴でくるんでいるけれど、フルーツが大きくてみずみずしい。次男はジャガイモのトルネード。揚げてからチーズを振りかけている。どちらも5000ウォン。男性グループの大きな写真が飾ってあるお店があった。長男の好きなグループだそうだ。長男と次男は、いろんなお店を覗いて帰りたいようなので、ここで私と別行動。娘たちのホテルが近いので、私はそっちに寄ることにした。娘たちのホテルは、ルメリディアン明洞。新しいホテルですごくきれい。マリオット系列で、出張の多いムコがいつも利用しているのでアップグレードしてくれたらしい。屋上にはプールもあるそうだ。ラウンジでビールとコーヒーを飲んで、娘にウーバーでタクシーを呼んでもらってホテルに帰ってきた。二人とも帰ってきていて、順番にお風呂に入っていた。出かける前にお風呂に入る時の注意(カーテンを浴槽の中に入れること、シャワーはカーテンの方に向けないこと、トイレと一緒なので床を濡らしたら、自分のバスタオルで拭いておくこと)と言っておいたら、とてもきれいに使っている。次男は疲れたのか、すぐ寝てしまった。最後に私もシャワーを浴びて、髪を乾かしたら疲れていたので、すぐ眠ることができた。この日の歩数は12376歩。
2024.03.20
コメント(8)
3月9日土曜日、11時30分関空発、金浦空港行きのアシアナ航空。入港審査は、パスポートの画面と顔認証、指紋認証でそのまま通過できて、出国のスタンプは無かった。搭乗は1番ゲートだったけれど、ウイングシャトルには乗らずに済んだ。ANAラウンジがプライオリティーカードが使えることになったけれど、使えるのは午前11時から。搭乗ゲートに11時集合だったので、結局私は使えず。娘のカードは2人入れるので、お腹が空いていた次男と娘で入った。飛行機に乗ったら、窓側がいいと言っていた長男はすぐ寝てしまった。飛行機の中で出た機内食はチキンと焼きそば。コチュジャン付き。飲み物は、コーラかジュース、そしてお水。機内食こんな少なかったっけ。2時間ぐらいで金浦空港に着いて、ちょっと手持ちのウォンが少なかったので、私だけ1万円を両替した。1万円で84500ウォン。空港はレートが悪いから孫たちには後で両替するように言った。そこから空港鉄道のある方へ歩いて行った。でもかなり遠い。孫たちには1万ウォンずつ渡して、自分で切符を買って乗るように言った。私は持っていたTマネーカードで。途中で、横を通ったカートが乗りなさいと言ってくれた。みんなのスーツケースをのせて、長男と次男以外をのせてくれた。空港鉄道で、ホンデイックまで。そこから、地下鉄2号線に乗り換えて、ウルチロイックで下車。そこからホテルへは歩いて5分くらい。娘たちのホテルも5分くらいだけれど別方向で、また夕方待ち合わせすることにして別れた。私と長男と次男が泊まったのは、ホテルスカイパークセントラル明洞。9階のトリプルルームで、こんな部屋。手前に小さいデスクがあるけれど、そこと洗面所にコンセントがあるだけで、コンセントが少ない。真ん中のベッドをずらすとコンセントがあったので、手前のベッドに次男、真ん中のベッドに長男が寝ることに。私は窓側のベッドに寝たけれど、寝る時に携帯をそばに置くと、充電できなくて困った。2人がすぐ外に探検に行ったので、私は充電しながら休憩。この時点でもう歩数は8000歩近く歩いていて、しんどかった。帰ってきた孫たちは、レートのいい両替所を見つけたと言っていた。切符を買った残りのウォンで、コンビニでパンも買ってきた。明洞は初めてでも動きやすそうだ。物おじせずに、海外でも歩き回って欲しいと思っていたので、嬉しくなった。
2024.03.18
コメント(8)
3月9日〈土)から11日(月)まで、ソウルに行ってきた。1月29日19才の誕生日の長男と、3月13日17才誕生日の次男へのプレゼントに、パスポートを作ってあげたのが2月。勤めだした長男が3月までに有休をとってと言われたのと、公立高校の入試が3月8日で、直後5日間は学校に来るのは禁止で、クラブも無いと言うので、この日に決めた。最初3人で行こうと思っていたけれど、3月11日はエルちゃん小学校の卒業式でお休み。私は足に不安があるし、娘とエルちゃん、イー君も一緒に行くことにした。長男と次男にとっては初めての海外旅行で、機内食なども体験させてあげたいと思ったのと、行き帰りの時間がちょうどいいので、選んだのはアシアナの、関空と金浦空港の往復の飛行機。コロナ前は、トンデモンのホテルスカイパークキングストンに泊まることが多かったけれど、若い子には明洞の方がいいだろうと、ホテルスカイパークセントラル明洞を選んだ。アシアナは、スカイスキャナで最安値で、一人44443円。スカイパークセントラルは、トリプルの部屋で、Trip.comでクーポンなどを利用して、68%割引で、最安値の50708円。最安値を選んだけれど、コロナ前はいつも5万円以内だったので、かなり値段が上がっている。孫たちに持ち物などの連絡をして、3人で海外旅行のoffの保険に入り、娘がKlookと言うサイトで、eSIMを人数分申し込んでくれて準備万端だった。ところが3日前からエルちゃんの熱が出て、娘たちが行けるかどうかわからなくなった。翌日も熱が出ていた。行けたら他のホテルをとってもいいし、とキャンセル料が発生する前に、娘たちの部屋を解約。飛行機は、前日午後5時までのキャンセルだったら、一人15000円の支払いで済むと言う。前日になって、やっと熱が下がったので、そのままにした。娘たちが行けなかったら3人で行こうと、前日に娘のところへ行って、航空機のeチケットやホテルのバウチャー、eSIMの使い方を聞いて、孫たちのQRコードをもらってきた。当日の朝、「熱も下がって行けるよ、明洞のホテルも取ったよ。」と娘から連絡が入ってほっ。私は、空港に車で行って、KIXカードの再発行手続き。このカードがあると、駐車場がとても安くなる。9時からだけどすごく混むので8時40分ぐらいに着いて、1番をキープ。そこに電車で長男と次男がやってきて、娘たちが付いたのが、再発行の終わったころ。11時半の飛行機だったので、ちょうど2時間前にアシアナカウンターでチェックインして、スーツケースを預けた。
2024.03.15
コメント(4)
昨日は、孫の家に。イー君は、最近幼稚園で、月2回ロボット教室と言うのに入っていて、ブロックなどを組み立てて、モーターで動かしたりしている。4時ごろ幼稚園にダンナと迎えに行って、帰ってから、娘がエルちゃんとイー君を連れてプールへ。その間、私は食事の準備をしていた。昨日はちらし寿司とお吸い物。ちらし寿司は、途中まで家で作って持って行った。プールから帰ってきて、エルちゃんとイー君が、上に海老、いくら、卵焼き、きぬさや、鯛でんぶ、カニカマなどをのせて飾り付けをしてくれた。3月3日に行けないので、早めのひな祭りのお祝い。イー君が「明かりをつけましょぼんぼりに~」と歌いだしたけれど、3番4番の歌詞が途中でわからなくなって、「アレクサ、おひな祭りの歌をかけて」と聞きながら歌った。甘酒も飲んで、ひし餅も食べて、お雛まつりの気分。今日は、ほぼ月1で集まってる元同僚との集まりでランチとおしゃべり。コロナ明けの去年の夏ごろから再開して、昨日はパスタランチ。これは、2番目の測場の同僚のグループ。明日はの木曜日はプールでダイビングレッスンの後、プールの友だちと食事の予定。明後日の金曜日は、プールでアクアビクスを受けた後、その友だちと桜珈琲でランチして、その後、ネイルをしてもらいに行く予定。土曜日は、午前中はおもちゃの修理隊。その後一緒にボランティアをしている高校の同級生4人でランチの予定。日曜も高校の別の友だちとランチの予定。次の月曜日は、リハビリと診察の予定。と今週はランチの予定が多すぎるかな?来週末は、息子のところの長男と次男を連れて韓国旅行の予定。私の体力が今一つなので、娘も一緒に行ってもらうことにした。もちろんエルちゃん、イー君も一緒。そろそろ準備をしないとなあ。身体の方は、一応元気なんだけど、朝起きたら腰が痛いし、パソコンを打っていたら肩と背中が痛い。手首の調子も悪いし、杖をつかないと長くは歩けない。この調子でいつまで旅行に行けるかしらと思うこともある。韓国語は、Duolingoが、今日で800日連続記録を達成。昨年末の60%オフと言うときに約7000円を課金して、スーパーのメンバーになった。CMが無いのは嬉しいけれど、2年以上毎日練習しているのに、韓国語が身につかない。全然韓国語脳にならない。韓国ドラマを観ても、日本語字幕を追いかけている。
2024.02.29
コメント(8)
土曜日、4年ぶりに元同僚のおうちカフェで、昔の仲間が集まった。約50年前、私が初めて勤めた職場の同僚たちだ。お料理を作ってくれるFさんのほかに、集まったのは5人。Fさんのお宅では、和室に置かれたテーブルでお食事をいただくけれど、部屋に入ってまず目についたのは大きな屏風に書かれた般若心経。Fさんが書いたそうだ。私も習字は書くけれど、こんな大作を作ろうと思ったら、毎日の練習も大変だ。何でもできる人だなあと改めて感心。早速、Fさんが作ってくれたコース料理をいただくことに。1.ジンジャーのウエルカムティー2.ドライイチジクのチーズのせ、オイルサーディンを紫蘇で巻いて上はドライトマト3.野菜のグラタン(レンコン、ブロッコリー、さつまいも、カボチャ、ニンジンなど野菜がたっぷり)4.ブロッコリーのスープ5.メインの魚料理は、サゴシのパン粉焼き。6.野菜の和え物2種 左は春菊と大豆 右は蕪のアンチョビ入りサラダ7.黒豆のご飯そして8.デザート3種 オレンジのぜりー寄せ チョコレートブラウニー さつまいもの甘煮9.コーヒーほとんどが自宅で作った朝採りの野菜。ドライフルーツなどは自分で作っているそうだ。いろんなお料理の作り方を教えてくれるのも楽しい。そして久しぶりに楽しいおしゃべり。夫を亡くした人、夫を介護している人、そして自分の病気を持っている人4年の間にみんないろいろあった。その時のことや手続きのことなど。このメンバーは、私が一番年下で、他はみんな団塊の世代。昔からいろんなことを話したり、相談したりしてきた。日記に一番最初に書いた頃は、みんなで泊まりに行っていた。団塊の世代の集まりFさんが自宅カフェを始めたので、行きだしたのが10年前友人宅のカフェランチ数か月に一度、どんなおもてなしをしてくれるのが楽しみだった。桜を見ながらおうちカフェへFさんが癌になって、中断したけれどやっと始まったと思ったら、今度はコロナで中断。これが2020年の一月の時。久々のおうちカフェ癌を経験しているけれど、Fさんはシャンソンや習字を習い、読み聞かせのボランティアもして、そして畑仕事もとパワフルだ。毎朝、朝日を見て深呼吸して、お礼を言うそうだ。一昨年の暮れ、だんなさんを亡くしたYさんは、来月南アフリカの旅行に参加するそうだ。彼女のだんなさんは若年性アルツハイマーで、10年以上介護をしてきた。仕事を辞めて、すぐに介護ヘルパーの資格を取り、3年ほどヘルパーとしても働いた。その経験が、とても役に立ったそうだ。私は、素敵な先輩たちに恵まれたなあと思う。これからまた、数か月ごとに集まる予定で、楽しみだ。
2024.02.19
コメント(10)
「새해 복 많이 받으세요」(セヘボンマニパドゥセヨ)1月13日の土曜日、この言葉で、今年最初のハングル講座が始まった。「セヘボンマニパドゥセヨ」の意味は、새해(セヘ 新しい年) 복(ポン 福) 많이(マニ たくさん) 받으세요(パデュセヨ 受けてください)と言う意味。そして、「オレド チャル プッタカムニダ」 (今年もよろしくお願いします)と挨拶した。講座の最初は、やはり地震の話や飛行機事故の話、そして韓国の人気俳優イ・ソンギュンさんが亡くなったことなど。そして、お正月の講座でいつもするのがユンノリ。ユンノリは、韓国のすごろくで、お正月によく行われるゲーム。写真を撮り忘れたので、これは3年前ぐらいの写真。これは私が持っているユンノリの道具。日本のすごろくは、サイコロとコマと盤だけれど、サイコロの代わりがユッと言われる4本の木の棒。これを広げた布の上に投げて、表の数で(1~4)全部裏になれば(5)でコマを進める。2チームに分かれて、4つの駒をスタート(上の写真では緑のところ)から進め、4つの駒全部がゴールした方が勝ち。盤の角(青)と真ん中(赤)のところにちょうど止まったら、近道ができる。自分の駒と同じところに止まったら、次から一緒に進めたり、相手が止まったら、ふりだしに戻ったり、大逆転することも多くとても面白い。ユンノリは、運とチームワークと知恵の勝負。この日は、先生と8人の参加者で4人ずつのチームに分け、2回勝負。1回目は私たちのチームが勝ったけれど、2回目は最後にふりだしに戻されて負けてしまった。全部裏や全部表になる場合はもう1回投げることができるけれど、相手チームに何度も投げる人がいて、そんな人は今年幸運が訪れる人なんだそう。ちなみに私の持っているユンノリのゲームセットには、2000wの表示があって、先生がびっくりしていた。2017年の3月に、ハングルの友だちと韓国に行った時、ロッテマートの中のダイソーで買ったものだと思う。2000ウォンは約200円。メルカリなどで、これと同じものが売っているけれど、1700円ぐらいするそうだ。数か月前、エルちゃんとイー君がうちに泊まりに来た時に、ユンノリがあるのを思い出して教えてあげた。最初は教えながら、エルちゃん対イー君でして、次は、二人対私でしたら、最後に大逆転されて私が負けて、大もりあがり。今週末も子守りをする予定だけれど、ユンノリをしようかな。
2024.01.17
コメント(8)
金曜日の夜、久しぶりに家族で食事。場所は、道とん掘と言うお好み焼き屋さんで、現地集合。私とダンナは、久しぶりに、明太もちチーズのもんじゃ焼き。そして、私はビール。息子は長男と三男と一緒に車で、高2の次男は原付の免許を取ったそうでバイクでやってきて、モダン焼きやら焼きそばやら広島焼きやらいろいろと。ヨメのTちゃんが自転車で遅れてきたけれど、すぐ食べられるようにちゃんと焼いてあげていた。長男に運転してもらえるので、息子もビールを飲んでいた。2枚目を焼いたり、デザートを頼んだりしている時に、娘とエルちゃん、イー君も来た。別に夕食の約束があったので、それが終わってから来たけれど、デザートを頼んで一緒に。その日の午前中に、娘が美容師のTちゃんにカラーリングをしてもらっていて、場所と時間を聞いていたそうだ。去年の4月から、製薬会社に勤めている長男が、お正月、エルちゃんとイー君にお年玉をくれた。職場の雰囲気もいいらしく、仕事も楽しいそうだ。正社員なので、有休を3月末までに取ってくださいと言われているらしい。クリスマスもお年玉ももういらないと言っていたので、あげていないけれど、1月29日の誕生日のプレゼントはあげたいと思っている。それで、提案しているのがパスポートを作ること。以前は、高校生ぐらいになったら海外に連れて行ってあげたいなあと思っていたけれど、彼の高校の3年間はコロナの3年間。高校の先生の顔を、卒業式で初めて見たと言っていた。彼は高校を卒業したら就職すると決めたけれど、大学に行ったら、いつでも旅行に行けるのにもったいないなあと思った。次男坊の誕生日は3月13日。未成年なので、5年間のパスポートしか作られないけど、それをプレゼントにしようと思っている。二人一緒に連れて行って、二人で行動すれば不安も無いだろう。航空券やホテル代も高くなってるし、まだいいんと違うんと息子は言うけれど。私の体力がいつまで持つか心配なので、一回は連れて行ってあげたい。言葉なんて完璧でなくてもいいから、世界を見ることができるんだと言うことを知って欲しい。安いチケットで、安いホテルの旅行でも、若い時は楽しめる。自信が付いたら、自分たちでいっぱい行けるだろう。まずは、3月末までかゴールデンウイークにどこかに行きたいと思っている。息子たちの家族を見ていると、5人仲がいいなあとよく思う。3人の息子たちは、みんなすごく優しい子に育っている、孫たちは、息子と話すのが大好きみたいで、息子もいつも楽しそうだ。コロナ禍で会うことが少なくなっていたけれど、娘がTちゃんの美容院に行ってるので、孫たちの情報もいっぱい入ってくる。みんなが仲良くしているのが嬉しいなあ。
2024.01.15
コメント(6)
昨日から、プリウスを修理に出した。バンパーが割れてしまっている。事の起こりは、先月14日の演劇鑑賞会の日のこと。劇の始まるのは、18時25分からで、ダンナと一緒に4時前に家を出て、二人のメンバーを迎えに行って、軽く夕食を食べてから行くことにしている。その日は、観劇の会場の近くの丸亀製麺に行くことにした。これは、グーグルアースからとったものだけれど、この丸亀製麺は角地に合って、私は左の上の車のように左下に向かって走っているところだった。夕方の5時前で、薄暗くなりかけていた。時間も早くて、右の写真のように駐車場には全く車は無かった。角地にあるコンビニなどで、どこからでも入れるお店があるけれど、そんな気がした。ちょうど交差点の曲がり角に車が止まっていた。私は左の指示器を出して、ちょっと渋滞していたので、ゆっくり走っていた。その時、交差点に停まっていた車が、ちょっとバックしてくれたので、私は丸亀製麺の入り口に入りやすいようにバックしてくれたんだと思って、そこから入ったら、ガガガガガッと大きな音がした。何か落ちてたんだろうか、と思って後で見たら車止め。プリウスは、何か近づいたらピーピー音がするし、ストップがかかって急停止するけれど、車止めは低すぎて、何も反応しなかった。夕方だったからか、4人ともそこに車止めがあると気づかなかったし、フェンスするかロープ張るか何かしとくべきやわ、と一緒に乗っていたIさんが怒っていた。私はちょっとショックで、いっぺんで食欲がなくなった。みんな急いで夕食を食べて、劇の会場に行くまでもガタガタ音がしていた。暗くなって見えにくいけれど、バンパーに傷がついて、何かが垂れている感じだった。帰りの車の中で、Iさんが、「私がいろいろしゃべってたからやわ。修理代、4分の1出すわ」と言うけれど、「車の修理代って高いから、そんなことは言わない方がいいよ。」と言った。車に乗らない人なので、修理代は、1万円か2万円で済むと思ってたみたい。「20万円ぐらいかかると思うけど、保険に入ってるから心配しなくていいよ。」と言うと驚いていた。交差点の車が下がってくれたのは、入り口を開けてくれたと勘違いしたけれど、ウインカー出しているし、左折してくると思ったからだろうな。私の思い込みの失敗だ。翌日、入っている保険の会社に電話した。私は、一番保険料の安い20等級だけれど、保険を使えば3等級ダウンになり、3年間保険が高くなる。業者に見積もりを出してもらって、15万円以上だと保険を使った方が得だけれど、それ以下なら使わない方が得かもしれないと、丁寧に教えてくれた。ビッグモーターの不正請求などがあったからだろう。トヨタで車を見てもらうと、前のバンパーの交換と、車の下に保護カバーがついていたのが外れてしまっているので、地面に擦って音が鳴っているのだと言う。保護カバーは、その場で外してくれたけれど、修理費用はバンパーだけで約16万円。保護カバーをつけるとトータルで約23万円。それで保険を使って、ちゃんと直してもらうことにした。修理期間が約10日かかるけれど、年末で休みになるので、1月10日に予約を入れた。実は去年の3月、ダンナの車の1年点検に出した時、後ろがへこんでいるのを近所の人に指摘されて、見て欲しいと言ったら、何も聞かずに修理されていて、保険で全額出ますからと言うけれど、3等級ダウンになった。ビッグモーターの不正がニュースになった時、ダンナの車の修理も一緒なんじゃないかと思った。その時のダンナの車の保険は、車の購入と同時に、学校共済の保険からディーラーで変えてもらったので、損保ジャパンの充実した保険だった。ダンナが17等級に下がってしまったので、保険の更新の時、私の車もダンナの車も、ネットで調べて、セゾングループの大人の自動車保険と言うのに変えた。ネットだと、いろいろカスタマイズできてかなり安い。私のプリウスは、ダンナも娘もよく乗るので、補償は充実させたけれど、削れるところはいろいろ削った。自分がどんな風にカスタマイズしたのか忘れてしまっていたけれど、事故時の免責費用5万円にして、代車費用をつけていなかった。そして、ダンナの車は、誰も乗ることは無いので、運転手限定にしていた。それで、今回自己負担が5万円必要だし、代車が貸してもらえない。約10日間の修理期間中、私は車が無いのでダンナの車に乗せてもらう。ハングル講座は、自宅から10分以内と近いので送り迎えしてもらうけれど、プールは30分ぐらいかかるので、しばらく休むつもり。リウマチの病院は、自宅から1時間と遠いけれど、点滴は伸ばせないので、ダンナに一緒に行ってもらわないといけない。任意保険に、やっぱり代車費用は付けておいた方がいいなと反省している。しばらく家にいるので片づけを頑張ろうと思っていたけれど、今日はyoutubeを観たり、ネットフリックスで韓国ドラマを観たりして過ごしてしまった。これも反省。
2024.01.11
コメント(4)
娘の家族は、海外へ旅行に行き、息子のところの孫たちとは12月30日に一緒に過ごして、お年玉も渡した。それで、夫婦二人だけのお正月。31日に、いつものようにお正月リースを飾った。一番下の扇子の飾りは、ハングル講座の仲間からもらったもの。今年も年賀状をLINEで送ることにした。LINEの繋がっていない人には年賀状を送るのだけれど、結局大みそかまで作る気になれず、今年は年賀状が来た人にだけ送ることにした。年賀状は、紅白を見ながら。何枚か印刷しておこうと思ったら、筆ぐるめのサポートが終わっていて、印刷できなくて焦った。ネットを見ながら、修復した。元日の朝、この年賀状をLINEで送った。来た年賀状に返事を書いて、ダンナと一緒に郵便局に持って行き、喫茶店でケーキセットを食べて、戻ってきて、LINEに返事を書いて、さあブログで新年のあいさつをしようかと思った時、グラグラグラと細かいけれど、いやに長い揺れが続いた。東北の時と同じような揺れで、とんでもない災害が起こっていると感じた。どんどん暗くなってくるし、停電してるし、火災も起こっているし、とてもおめでとうと言う気分ではなくなった。翌日からわかってきたのは、大きな被害。今も、余震は続いているし、連絡の取れない人もいるし、支援が届いていない場所もある。どうか一人でも多くの人が助かって、支援が届いて、早く安心して眠れますようにと願わずにいられない。今日(4日)は初プール。みんな「大変な年明けやなあ」と、おめでとうは言いにくい雰囲気。「今年もよろしくお願いします」と、挨拶しあった。今日は、ダイビングレッスンがあった。プールの開始は今日からで、水が冷たかった。そんなわけで、私も、今年もよろしくお願いします。もうちょっと、頻繁に書こうと思います。書きたいこといっぱいあるんです。
2024.01.05
コメント(8)
14日の木曜日に演劇鑑賞会で観たのは、青年劇場の「星をかすめる風」感想を提出するので、ブログも書いておこう。<ものがたり>終戦間際の福岡刑務所。看守の杉山が何者かに殺され、若い看守、渡辺は杉山を殺した犯人捜しを命じられる。聴取を進めていた渡辺は、日本名「平沼東柱」こと「尹東柱(ユン・ドンジュ)」という若い詩人が関係していると確信する。はたして、この人物は何者なのか?杉山を殺したのは一体誰なのか?事実を明らかにした渡辺の前に、意外な真実が待っていた…。「星をかすめる風」と尹東柱1945年2月16日、尹東柱(ユン・ドンジュ/逮捕時は同志社大学の留学生)は治安維持法違反により逮捕、収監されていた福岡刑務所で27歳の生涯を閉じた。民族が解放されるわずか半年前のことであった。特高警察による押収を免れた2冊の詩作ノートに遺された詩が日本語、英語をはじめ複数の言語に翻訳され世界で多くの人々に読まれている。時代の価値観に惑わされず、普遍の価値を求め、言葉の持つ力を信じて詩を書き続けた尹東柱の詩は、清冽な抒情性とともに常に自由な輝きを失わず、時をこえ国境をこえて異郷の人々の心にも届く。福岡刑務所獄中での最後の日々を韓国の作家イ・ジョンミョンが描いた小説『星をかすめる風』(鴨良子訳 論創社刊)を原作として、2020年に舞台「星をかすめる風」(シライケイタ脚本・演出)が青年劇場により上演されたが、この度再演される。これまで数多の上演作品を通して歴史の真の姿や人間の心の深奥に真すぐに対峙してきた青年劇場ならではのこの作品を通して、私たちは否応なしに歴史の真実と尹東柱の詩と生涯に真正面から向き合うことになるだろう。福岡刑務所での尹東柱獄死の真相は資料も少なく分からないことが多い。鉄格子の中に閉じ込められた尹東柱と外で彼を見張る看守杉山との間で、一篇の詩が昇華していく。原作はあくまでフィクションであるが、この作品に見られるように武器ではなく文化こそが真の自由への道であり、平和への大きな一歩なのだという力強いメッセージを多くの観客と共感出来ることを願う。 楊原泰子(詩人尹東柱を記念する立教の会) 青年劇場HPより1か月ほど前、鑑賞会の例会の会合でユン・ドンジュ役の矢野貴大さんから話を聞いたダンナが、ユン・ドンジュの詩集を買った。本の後ろには、詩のハングルの原詩が載っていて、韓国語を勉強している私は、観るのがとても楽しみになった。当日の席は、今回前から3列目の真ん中で、今までで一番いい席。声もよく聞こえるし、顔の表情もよくわかる。劇の冒頭から、引き込まれて行った。最初、看守の杉山が殺されたところから始まり、犯人は、チェ・チェスが自供したものの、ポケットの中にはユン・ドンジュの詩がどうもひっかかる。ユン・ドンジュは、詩や文学や芸術を愛する真面目で心優しい青年。暴力的だった杉山も、ユンの影響を受け、文学に没頭していった。チェ・チェスが脱獄するために掘っていた穴は、地下の秘密の図書館になり、囚人たちも影響されて、文学好きになっていく。杉山が、誰に、何のために殺されたのか、謎のまま前半が終わった。休憩を挟んで、後半になって、その謎がどんどん明らかになっていく。刑務所の中の囚人たちが、どんどん体調を壊していく。囚人たちの健康管理のためという名目で、九州帝大医学部の教授が、囚人たちに注射をしていたが、あまり効果はないようだ。ユン・ドンジュもその一人。最期のとき、看守の渡辺と一緒に、外へ出て、満天の星を見ながら、「星をかぞえる夜」の詩を、スクリーンには日本語の文章だけど、朝鮮語で暗唱しながら命尽きる。静かだけれど、魂を揺さぶられるような、心からの叫び、圧巻の演技で聴いていて涙が出てきた。そしてミステリーも、真実が明かされて行く。実際に、戦争中は非人道的な人体実験も行われていたのだろう。心を揺さぶられ、考えさせられる、素晴らしい劇だった。
2023.12.21
コメント(4)
週2本書くなんて言ってたのに、この体たらく。色んなことがあるんだけどなあ。コロナも落ち着いて、元同僚との食事会や、ハングルの女子会など、会合が元に戻ってきている。町内の文化祭や、習字クラブの書道展に出品したり、娘が韓国旅行に行っている間、孫を見たり、奈良のマリオットに、娘と孫と泊まったり、あたお正月休みに、思い出しながら書こうかな。その中で京都のことだけ書いておこう。京都劇場で行われている、天海祐希主演の「レイディ・マクベス」の舞台に、演劇鑑賞会で一緒のIちゃんが誘ってくれた。それで今演劇鑑賞会に入っている、S君、とKちゃん、と中学同窓生の4人で、23日の勤労感謝の日に京都へ。車は、Kちゃんが出してくれた。11時15分に迎えに来てくれて、順に他の2人を誘い、阪和自動車道から第2京阪を通って京都へ。お昼は、S君が2時半に、丸山公園のそばの鳥久というお店を予約してくれていた。京都に着いたのは1時過ぎで、食事の前に高台寺で紅葉を見る予定だったけれど、五条を過ぎて東山の方に行こうとしたところで、大渋滞。清水寺に行こうとする、たくさんの車と、道を歩く人、人、人。着物を着て歩いているのは、ほとんど外国人。その日の朝から情報番組で、京都の紅葉を見に行く外国人が全体の8割で、とても多いと話していた。上二つが、鳥久の湯豆腐料理。きれいな紅葉のお庭を見ながら、京料理を堪能。終わってから、お寺の紅葉を見たいねと言ってたけれど、人と車が多すぎて断念。京都劇場へ行ったら、ちょうど時間が間に合った。レイディ・マクベスはまた今度書こう。天海祐希に圧倒された舞台だった。京都劇場を出て、伊勢丹の駐車場へ行くまでのライトアップがきれい。(下、左)京都タワーもきれいに見えた。(下・右)あ~もう眠い。でも、一応アップしておこう。
2023.12.04
コメント(7)
11月4日の土曜日、りんくうの花火大会に行ってきた。場所は、関西空港の対岸のりんくうのビーチサイド。ダンナがチケットを2枚もらってきた。敦賀の海岸で、真上から降り注ぐ花火を見たのは、もう10年以上前。あの感動をも一度味わいたくて、行くことにした。車は混むだろうから、電車の方がいいと聞いたので、りんくうタウン駅から歩いていくことに。地図では徒歩20分となっていたけれど、私は杖をついて歩くのが遅く、倍近くかかってやっと着いた。薄暗くなって、花火の開始は6時から。びっしり1時間、音楽と共に次々打ち上げられる花火は、本当に見事。写真では迫力がないけれど、HPを見ていただけば、その美しさがちょっと伝わるかも。知り合いの人がいて、南海本線の羽倉崎駅近くに車を置いていると言うので、乗せてもらって帰ってきた。歩いたら、そっちの方がずっと近かった。携帯で見たら、その日の歩数は約9800歩。朝から、おもちゃの修理隊にも行ってたし、携帯を持たずに歩いていたので、12000歩ぐらい歩いていると思う。次の日はぐったりしてたけれど、月曜日は朝から病院のはしごで忙しく過ごした。でも、今まで悪くなかった左の股関節が痛いし、杖を持って歩いていたので、肩や手首も痛い。ちょっと無理しすぎたかなあ。もう一つ調子の悪いのが、爪のひょうそ。先月20日に、ネイルしたとき、ちょっと爪を短く切ってもらい過ぎた。今回は爪の半分だけワインカラーにしたフレンチネイル。ワインカラーが目立ちすぎて、余計爪が短く見えてしまって、これは長めの方が良かったなあとちょっと後悔した。指が曲がって、爪が傾いてしまっているので、携帯をしていてもカチカチ当たってしまう。それで短くしてほしいとお願いしたけれど、そこからばい菌が入ってしまった。左手の中指の横が腫れてて、毎晩ヨーチンで消毒して、ゲンタシン軟膏を塗って、抗生物質の薬をもらって飲んでいるのに、全然治らない。リウマチの薬って、免疫力が低下するって言うけれど、その影響かなあ。ジェルネイルをする前は、右手で爪切りが上手くできなくなって、失敗して深爪をして、ひょうそになることがよくあった。今までは、もっと早く治ったんだけどなあ。
2023.11.12
コメント(9)
アートメイクをしたこと今年の春から通っている整形外科で、アートメイクができるようになった。「肩や手が痛くて、お化粧が上手くできない方に」って、私やん。30%引きだったので、1回目したのが、9月27日。手彫りで、66000円の30%引きで46200円。自然な感じですごくきれいにしてくれて、プールで会う人たちに言ったら好評。でも、私もしてるよと言う人がすごく多い。私もプールで素顔になるからしたかったけれど、同じ思いの人は多いんだな。でも、1か月経って、だいぶ薄くなってきた。今日は2回目。同じような方法だと2年ぐらいしか持たないらしい。何度もするのは嫌だし、できれば5年以上持って欲しい。それだったら、手彫りより機械彫りの方が、深く濃く入ると言うことで、今日は機械彫りでお願いした、もう20%引き機関だったけれど、機械彫りの方が安くて、39000円が31200円。今日は、やったばかりで黒くて太い眉、イモトアヤコの太眉みたいだ。プールはしばらくお休み。出かけるときは、前髪を降ろしていこうっと。あと少ししたら、ファンデーションを塗って落ち着くと思うけど。
2023.11.02
コメント(6)
週に2回はブログをアップしたいなあとか言ってたのに、最近はパソコンも開けていなかった。色々やらなければと思うことが多いのに、椅子に座ってDuolingoを始めると、ついでに他のゲームをしてしまうし、テレビでyoutubeなんかでJ事務所問題があると、すぐ見てしまう。ちなみに今話題になっている先日の記者会見でのNG記者の中に、いつも見ている一月万札に出てくる方が2人含まれていた。前回の会見では本間さんが、社名変更のきっかけとなる質問をしたし、今回は佐藤さんが隠蔽体質を批判する、核心を突く発言をしていた。でもテレビメディアなどの忖度は、政権に対する忖度にも似ていて、気持ちが悪い。ところで、先日の7日、8日には私が住んでいる大阪南部の地域のだんじり祭りがあった。うちの町もだんじりがあって、ダンナも退職した後十数年前から、だんじり保存会に入っている。でもだんじりを曳くのではなく、だんじりが通るところに先回りして、車を停めたり通行する人に片側に寄ってもらったりする交通係。7日は、早朝から引くので5時15分集合。それで、私もダンナと一緒に4時20分に目覚ましを合わせて起きた。私は午前中は、おもちゃの修理隊へ。だんじりに出会うと、遅くなるから早めに出たら、ちょうどお宮さんに集合する時間だったからか、道はがらすき。お祭りだし、おもちゃを持ってくる人は少ないかなと思ったけど、始まってすぐにお客さんがいっぱい来て、忙しかった。高校の同級生が4人いるので、いつものようにランチして帰ってきた。ダンナが帰ってきたのは9時過ぎ。次の日も朝が早いので早く寝ようかと思ってたのに、ダンナが履いていた祭りの股引がすごく汚れている。着替えが無いのですぐに洗って、アイロンをかけて乾かして、結局寝たのが12時ごろ。8日の日曜日は、小学校2年生のエルちゃんと、幼稚園年中さんのイー君の運動会が重なっていた。うちのダンナも祭りに行かないといけないし、エルちゃんたちのパパも祭りへ行かなないといけない。それで、小学校へは娘が、幼稚園へは私が行くことになっていた。大阪では、午後から雨の予報で、どちらも種目を減らして午前中に終わる予定になった。イー君はいつもスクールバスだけれど、当日は保護者と一緒。幼稚園から離れた駐車場に止めることになっていたけれど、娘が足が悪いお婆ちゃんしか行けないからと幼稚園に連絡をしてくれていて、幼稚園の駐車場の使用許可と、敬老席の予約をしてくれていた。8日の朝は、だんじりに会ったら遅れるだろうと、5時に起きて6時に家を出発。7時前に娘の家に着いた。7時15分頃、娘とエルちゃんが先に出かけていって、私とイー君が出発したのは7時半過ぎ。車の中でイー君にどんな種目に出るのか聞いたら、かけっことパラバルーン、そして玉割りと親子の玉入れだと言う。玉入れは親子で入場して、子どもの玉割りと玉入れが終わってから、大人の玉入れだと言う。娘が、おばあちゃんは足が悪いからと、担任の先生に頼んでいると言っていた。でも、イー君は、先生と一緒より私と一緒の方がいいと言う。おばあちゃんは、座られへんから、他の人が座っている時、おばあちゃん一人立っているの嫌と違う?と聞くと、ちょっと困った表情だった。私もちょっと悩んでしまった。無理して座って、転んだりしたら、すぐに立てないし、その方がみっともないし・・・8時前に幼稚園に着いて、そこから運動会を実施する小学校の校庭まで、手を繋いで歩いて行った。事前にした抽選順に、観覧席に保護者がシートを敷いて行く。私は本部の横の敬老席の6番の席をもらってくれていた。イー君の担任の先生がいたので挨拶をして、玉入れの時どうしたらいいですか?と聞いたら、おばあちゃんと一緒に入場して、すぐ出てくれてもいいですと言うことだった。お祭りの途中で行けそうだったら、パパが来てくれるかもしれないと言うので、「開会式が始まったよ」「鼓笛隊が終わったよ」と逐一LINEを送った。年少さんの演技が終わって、「イー君のかけっこが、終わったよ、イー君は最後のグループで1位。」と送った後、娘から着いたみたいと連絡が入った。ムコのSちゃんが見えたので迎えに行って、イー君の場所を教えてあげた。パパを見たイー君の顔が、ぱっと明るくなった。ちょうど、パラバルーン(右中)の競技が始まるところで、Sちゃんは撮影場所へ。大きな丸いシートが音楽に合わせて波をうったり、山になったり、山を作って周りに座って包まって帽子になったり、大きな風船を作って、真ん中に入れた飾りを一斉に上げて、花火のようにしたり、初めて見るけれど、みんな揃っていてとっても綺麗。年長さんのリレーの後、年中さん競技は、2クラス対抗の玉割りと親子玉入れ。入場門のところに親子で並ぶけれど、お父さんが多くてお母さんは数人。最初は子どもだけで玉割りだったけれど、3分ぐらいたっても、どちらのクラスも全然割れない。最後に保護者も応援してやっと割れた。いろいろ運動をしているSちゃんの玉は強力。携帯でビデオを撮りながら、ものすごく強そうな球を2発当てたのがわかって、笑ってしまった。子どもの玉入れの後、大人の玉入れ、Sちゃんは大活躍で、イー君たちのクラスが3戦3勝。競技が終わったら、保護者に肩車やだっこ、おんぶをしてもらって退場。それでお父さんの参加者が多いのか、私じゃ肩車もだっこもおんぶもできない。親子競技が終わると、すぐにSちゃんは帰っていったけれど、来てくれて良かった~と思った。全ての競技が終わって、閉会式。クラスごとに集まって、メダルと参加証をもらって解散。歩いて幼稚園に戻って、車に乗ると、ポツポツ雨が降って来た。帰り道、充電をしながら携帯のビデオを観て、イー君は上機嫌。ジョリーパスタに二人で入った。キッズのたらこスパゲティー、コーンのミニピザ、キノコとハムのサラダ、キッズのポテト、イー君はアイスクリームも頼んで、二人で完食。家に帰ってきてから、参加賞のラクロスのおもちゃで遊びながら、エルちゃんたちの帰りを待った。そんなこんなで、とっても忙しい2日間。昨日はぐったりして一日中眠かったけど、今日もだらだらと一日を過ごしてしまった。ところで先日、二人の運動会が重なって、イー君がママに来て欲しいと泣いた。イー君は午前中で終わるけれど、エルちゃんたちは晴れていたら午後まで続いて、お昼は保護者と一緒にお弁当の時間がある。娘がエルちゃんに、お友だちのお母さんに頼んであげるから、ママはイー君のところに行ってもいい?と聞くと、エルちゃんは嫌だと言う。娘が、ママなんか、小学校の間、一回も来てもらわれへんかったんやで。と言っていた。同じ市内の小学校に勤めていたので、私もダンナも、子どもの小学校の運動会に、一度も行けていない。私も、見たいなあといつも思ったけれど、子どもたちも辛いのを我慢していたんだろうなあ。
2023.10.10
コメント(6)
朝から高校の同級生のSちゃんからLINEが来て、「夫が、昨日京都へ行って、阿闍梨餅(あじゃりもち)を買ってきたよ。渡せるとき教えてね」何年か前、Sちゃんのダンナさんに会ったことがあって、阿闍梨餅をもらったことがある。その時、私が「阿闍梨餅大好き」と言ったのを覚えてくれていたらしい。娘が独身でデパートに勤めていた頃、人気があるからと阿闍梨餅を買ってきたことがある。皮がもっちりしていて、美味しくて人気があるのがよくわかる。京都の阿闍梨餅は、大阪ではデパートにしか売ってるのを見たことが無い。デパートに行ったら探すけれど、期間限定だったり、すぐに売り切れたりで、なかなか手に入らない。「わあ~、嬉しい。今日は一日予定がないよ」今日は、10月7.8日にあるだんじり祭りの試験曳を兼ねて、「ザ・まつり」というイベントがあり、市内の8町のだんじりが、午後1時から3時半まで、駅のロータリーに集結する。ダンナも、交通整理のために朝から出かけていた。だんじりに道で出会うと、車がなかなか進めないので、1時に桜珈琲でランチして、3時までに帰ることにした。阿闍梨餅が10個。ダンナが帰ってきて1個食べたいというのであげた。私も食べたいけれどガマン。明日元同僚と4人でランチ会があるので持っていくつもり。その中の一人が実家が岡山で、行った帰りに広島の桐葉菓というお饅頭を買ってきてくれたことがある。初めて食べた時、皮がもっちりして阿闍梨餅に似てると思った。「大好きな阿闍梨餅に似ている」と言うと、何度かお土産に買ってきてくれた。でも、みんなは阿闍梨餅を食べたことが無いから、一度味わわせてあげないと。残りの5個は、火曜日娘の家に持って行こう。生協で、たまに桐葉菓が注文できることがあって、阿闍梨餅が大好きな娘は、よく似ているからと注文している。喜ぶかな?ちなみに桐葉菓はこんな感じ
2023.09.25
コメント(8)
8月24日の演劇鑑賞会は、文学座の「五十四の瞳」6月に生協で申し込んだ、劇場版「パラサイト」の演劇チケットが抽選で外れて、その台本、演出を担当している鄭義信(チョン・ウィシン)の作品だというのでとっても楽しみにしていた。ものがたり瀬戸内海に浮かぶ家島諸島のひとつ、西島。昔から採石業が唯一の産業のこの小さな島には、かつて日本人と朝鮮人が仲良く机を並べて共に学ぶ小学校があった。そしてそれは朝鮮人の親たちが作り上げた朝鮮学校だった...。時は1948年。この小学校で学び、今や中学生になった洪昌洙(ホン・チャンス)、呉萬石(オー・マンソク)、金 君子(キム・クムジャ)、そして日本人の吉田良平は怒っていた。占領軍が朝鮮学校の閉鎖を通達してきたのである。俺たちの学校がなくなってしまう!大切な教育の場を守るために大阪や兵庫で大きな反対運動が起き、ここで教鞭をとる柳仁哲(ユ・インチョル)と赴任してきたばかりの康 春花(カン・チュンファ)にも秘密にして子供たちは神戸の抗議デモに向かう...。1950年には朝鮮戦争も勃発。彼らの祖国は分断されてしまう.彼らは?学校の運命は・・・場面は、島の学校の職員室。良平が、地図でこの島の場所や、電気も水道も無い採掘だけが仕事の島であることを説明するところから始まり、場面の進行をしていく。教師のイ・ユンチョルと共に、若いカン・ユンファが赴任してくる。どうもこの二人は、いわくありげで・・・下手の奥に教室がある設定で、先生はそこに向かって、「アンニョンハセヨ」とあいさつする。そこから子どもたちの声も聞こえてくる。そこに出てくるのが、卒業したばかりのチャンスとマンソク、そして良平の悪ガキ3人。そして3人を叱りながらも、仲間になりたそうなクムジャ。この学校では、朝鮮人も日本人も一緒の教室で過ごし、仲の良いチングだ。チャンスは採石所で働く父親と二人暮らしで、良平は母親と二人暮らし。登場人物は、この8人。1948年から1965年、終戦直後から約20年の間に、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国の成立、朝鮮戦争、(南北が一つになることを夢見てマンソクは参加していった。)サンフランシスコ平和条約、北朝鮮への帰国船の出航(北での幸せな生活を夢見てユンチュル先生は渡航していった)日韓基本条約の締結など様々なことが起こる。(そして、良平は採石所で下敷きになり・・)その20年の間に、彼らは不当な差別と闘い、悩み、傷つき、別れ、でも葛藤しながらも自分らしく生きていこうとする姿が生き生きと描かれている。54の瞳は、物語の最初の学校の生徒が27名だったことから。それは、チョンファ先生のセリフの中にあった。壁面に飾られた絵にその時の全員の生徒の顔が描かれ、上に西暦が書かれていたことを、最後の方で気が付いた。でも、最後の場面では生徒二人だけの絵で4つの瞳になってしまったていた。時代や国家や戦争や大きなものに翻弄されるけれど、それでも生きていることが素晴らしい。生きることの大切さも感じられた作品だった。1965年は、私は12才で中学生。今回の演劇鑑賞会、私たちのグループの中には中学生の友だちが5人。劇とは違うけれど、53年ぶりに繋がって、こうして一緒に劇を観ていることに感慨を覚えた。
2023.08.30
コメント(8)
土曜日の昨日は、ハングル講座の日。講座の後、4年ぶりぐらいで食事会を予定していた。Kさんが急に行けなくなり、参加者は10人。場所は、味里という韓国料理のお店。左上から、チョレギサラダ、右にチャプチェ、海鮮チジミとキムチ(オイキムチ、カクテキ、白菜キムチ)、白身魚のオムレツもやしのナムル、水菜とサムギョプサル炒め、海藻の胡麻炒め、空心菜の炒め物イカと野菜ワカメの酢の物、アサリのスープ、それに白ご飯。本格的な韓国料理で、どれも美味しかった。大皿に盛られた料理をみんなで取り分けて、一人1650円。お店には、韓国食材や、お店で作られたお惣菜も売っていた。ただ、お店が広間に掘り炬燵にテーブルを置いた座席。私は、席に着くのも、席から立つのも大変で、又行きそうにないのが残念。月曜日には、先月から始まった元同僚たちとの2回目の食事会。この日は、成龍という中華のお店で、飲茶ランチ。前菜(枝豆は老酒に漬けたもの)、海老餃子とシュウマイ2種、春巻きと熱々サクサクの揚げ物、お肉の湯葉包みちまきは蓮ご飯、杏仁豆腐とお餅のようなまんじゅうちまきは、中華がゆに、デザートはマンゴープリンか杏仁豆腐。どれも美味しくて、大満足。これで1700円。11時半に予約していたけれど、月曜日なのに、行った途端に予約で満杯。最近すごく人気で入れないこともあるそう。先日、プール終わりの1時過ぎ、友だちと行って、たまたま二人席が空いていて、中華ランチを食べたけれど、後から来て、断られている人もいた。入れたのが、ラッキーだったんだろうな。とそんな食事会が続いた先週。台風のことをLINEで話していて、コロナ前は毎月集まっていた退職仲間とも、来月、久しぶりにランチをしようと決まった。やっと普通の生活に戻りつつあるけれど、ハングルの教室では、82才と最高齢だったAさんが、今年の春、亡くなった。京大の教授だった人で、英語もドイツ語もペラペラ。韓国語は、今まで知らなかった言語で興味を持ったそうだ。十数年前に初級講座が始まったそうだけれど、次の年にはAさんと、今の来ているOさん、Iさんと3人で、韓国留学をしたそうだ。Iさんは、今も年に何度か1か月近く韓国で過ごしている。今年の3月も行ってたけれど、次は9月末。向こうにいる間に、一回行ってみようかな。
2023.08.27
コメント(6)
お盆休み明けで、今日は久しぶりのプール。話題は、台風のことが多かった。みんな台風の進路はとても気になっていた。8月13日の日曜日、八丈島付近をゆっくり北上してきた台風7号は、西寄りに進路を変え、紀伊半島から大阪を直撃しそうだった。2018年9月の台風21号を思い出した。関空連絡橋にタンカーが激突し、多くの地域が停電になった台風だ。8月14日の月曜日、久しぶりに中学1年生の三男坊とダンナと3人で、お昼にお寿司を食べに行った。食事の後、三男坊はうちに来たいと言うけれど、台風が来ているし、暴風雨圏内に入ったら送るのも大変だからと、買い物を一緒にしてから送ることにした。お菓子ばかりかごに入れてる三男坊に、台風が来ているからパンやラーメンや飲み物も入れたほうがいいよと言うと、レジ袋3袋分と大量に買い込んで、マンションまで送っていった。息子の家の辺りは、2018年の台風21号の時、停電で苦労した地域もあったからか、仕事を終わってヨメのTちゃんがスーパーへ寄ると、売り切れてほとんど何もない状態だったそうで、ちょうど良かった。私たちは家に帰ってきてから、雨戸を閉め、テラスやベランダの物を、飛ばないように片づけた。最新の情報を知りたいと、youtubeのリアルタイムの台風情報を見ていた。夜中に紀伊半島に上陸して、和歌山から大阪府を通って北に向かう予想。台風の通り道の東側が風雨が強いというけれど、地図上では真上あたりを通る感じ。夜になると、携帯のアラームが何度か鳴って、土砂崩れの警戒や、老人の避難指示が出された。夜中になって、大阪府に暴風雨警報が出た。ひどくならないかなと心配しながら、夜中の1時ごろ寝たけれど、心配でうつらうつら。時々雨が強く降ることはあったけれど、一晩中それほど強い風は吹かなかったみたいだ。翌日15日の朝は、台風の近くにいるはずなのに、雨も風もほとんどない。9時ごろ、近くに住む兄に電話をかけた。「台風どうなっているんやろね」と言うと、「ちょうど台風の目の中にいるんと違うかなあ」と言っていた。その後も、時々雨が降ったり風が吹いたりする程度。そんな状態で午後まで過ぎて、午後4時14分警報が解除された。でもその少し後に、土砂降りの雨が降って、どうなってるの?と思ったりした。こんな風に大した事無くて良かったと思ったけれど、ニュースを見たら大阪市内では看板が飛んだり、木が倒れたり、強い風だったようだ。うちのすぐ近くの市でも、停電が起こってる。鳥取や京都では、橋が流されたり土砂崩れが起こったりと大きな被害が起こっていた。今日は、みんな無事台風が過ぎてほっとしたねえと言っていた。これからは、ますます台風が増えてくるだろう。年々、勢力も増していってる。大きな被害が無いことを願うばかり。前回の、にととらさんのクイズの答え1,にととらさんのペンネームは薄井逸走さん。 キーボードで「ISSO」と打つときの、キーの横に書いてあるひらがなが「にととら」2,2021年10月に「住吉大社と楠珺社を参拝」というブログがある。 買いに行ったのだが、あいにく閉まっていて買えなかったと残念そう。 この時の招き猫の数が27体。 その後、2022年の2月頃、淡路島の帰りに寄って、 12月にも中山道ワォークのついでに寄っているので、合計29体。 48体集めたら満願成就すると言われている。集めたかっただろうな。
2023.08.18
コメント(4)
にととらさんのことで、とっても後悔していることがある。2018年ごろ、ほとんどパソコンを開かなかった時期がある。3月、4月、6月、7月は、全くブログを書いていないし、5月には、4月2日に生まれたイー君のことだけだ。産前産後、娘がエルちゃんを連れて家に戻ってきていたのと、白内障や眼瞼下垂の影響で、パソコンの文字が見にくかったこともあって、他の人のブログもあまり見なかった。でもその年の5月、にととらさんは腸閉塞で入院し、大腸がんが見つかった。そしてその後の、抗がん剤の影響で辛い副作用に悩まされる。抗がん剤の副作用のことを読んで、いつ癌になったの?と読み返して初めて知った。私が病気で辛い思いをした時期に、いつも優しい言葉で励ましてくれたにととらさんに、何も言葉を掛けられなかった自分が情けなかった。その年の年末、白内障の手術をし、翌年、眼瞼下垂の手術をして、やっとパソコンを見るのも困らなくなった。にととらさんからは、多くのことを学ばせてもらった。知識が豊富で、研究熱心。疑問に思うことがあると、子どもの頃の自由研究のように、色んな実験をして真実を突き止めていく。この年になって、普通だったら新しく学ぶ機会も少ないと思うけれど、何度「初めて知りました。また一つ賢くなりました。」と思ったことか。そして、生き方。抗がん剤を拒否してからの、にととらさんの行動力はすごい。台湾を旅行し、全国の鉄印巡りをし、コレクションの整理をし、遺言を正式に預け・・・パワフルさを見習いたいと思うけれど、ちょっと終活が手際よすぎて、生き急いでいるような不安感も覚えた。にととらさんの訃報が知らされてから、今までのブログを読んだりしているけれど、終末期旅行、死ぬ週間の5つの後悔などを参考に、本当に自分の気持ちに正直に、後悔の無いよう素晴らしい人生を送ったのだろうなと思えてきた。そして、今も自由に空を飛んで、17年セミを見に、アメリカへ行き、メンフィスにもいったに違いない。にととらさん、本当に今までどうもありがとうございました。あなたの生き方をお手本に、私もこれから生きていこうと思います。ここで、にととらさんクイズ1.「にととら」の名前の由来は?2. にととらさんは、大阪の住吉神社の楠珺社でお守りの招き猫を集めていたけれど、今何個集まってる?なんて、「ありがたき定年」は、大好きなブログだったので、マニアックなクイズがいっぱい作れるだろうな。
2023.08.06
コメント(4)
2011年の2月、在中一世さんが、奥さんと息子さんを連れて日本に帰ってきたので、再びブログ仲間で会うことになった。にととらさんが、品川のホテルを取ってくれて、一日目は川崎大師にお参りして、ホテルでみんなでディナー。もうすぐ1才になるJ君の表情が可愛くて、みんな心が和んだ。翌日の朝、窓から外を見たら、線路がいっぱいのまさに鉄ちゃん、鉄子さんのための部屋。にととらさんらしいなあと思った。朝食のレストランからきれいな富士山が見えた。その後、東京タワーに上って、芝公園を散策した。にととらさんのブログに、東京タワーから見た風景のことが書かれていた。別れてから、私はtakatobaabaさんと一緒に、宝くじが当たった時の大宴会の下見を兼ねて、伊豆へ。と、その頃は、ブログ仲間との楽しい時期を過ごしていた。「党首みっけ」と、テレビで、にととらさんを見たのもその頃。関西ローカルの「やしきたかじんの、そこまで言って委員会」という番組で、税金のことを取り上げていた回だった。にととらさんを見つけたのは、すごく嬉しかったけれど、せっかくゲストとして呼んでいるのに、ゆっくり話を聞こうとしないのに腹が立った。にととらさんも不満だったかもしれないな。そのやしきたかじんも、今は亡くなってしまったけれど。でも、ブログの仲間たちと会ったのも、その時で最後。在中一世さんは、中国のネット状態が悪くなって、楽天が使えなくなった。在中一世さんは、今どうしているのかなあ。ひじかた花梨さんは、facebookを始めると、そちらに移行し、takatobaabaさんも、金の像さんも、しばらくするとブログを閉じてしまった。私も、娘が結婚し孫が産まれたりして忙しいのと、白内障や眼瞼下垂のためか、パソコンの文字を見るのがだんだんしんどくなってきた。そんな時も、にととらさんは休まずにブログを書き続け、どんどんブログのお仲間が増えていく。2015年の秋ごろ、にととらさんが100万アクセスのオフ会を企画し、お誘いを受けた。9月にエルちゃんが産まれて、ちょっと忙しかったので不参加にしたけれど、後になってすごく後悔した。その後、膝を痛めて、一人で遠出は行きにくくなったけれど、あの時なら行けたと思う。わからんtinさんや、nikさんにも会いたかったし、にととらさんのブログに集まる多くの人たちとも知り合えただろう。2006年から始めて、9年で100万アクセスだったにととらさんのブログも、数年で200万アクセス、300万アクセスとスピードを上げ、今795万アクセスを超えている。亡くなられてからも、どんどん増えているみたいだ。私も、毎日読んでいる。悔やむこともいっぱいで、いろいろ考えさせられる。
2023.07.31
コメント(4)
2010年の4月3日、在中一世さんに子どもが生まれ、出生届を出しに日本に来るという。にととらさんが祝い酒を飲むというので、私も行かせて欲しいとお願いした。上野駅で、にととらさん、在中一世さんと、ひじかた花梨さんと待ち合わせして、すぐに、浅草のにととらさんが以前書かれていた、どぜうのお店へ。行く途中に、まだ建設途中のスカイツリーが見えて、東京へ来られたのが嬉しかった。マス酒を飲みながら乾杯して、どぜう鍋をつつきながら、お互い挨拶して近況報告などを。でも、毎日毎日ブログを見ながら話をしているようなものなので、すぐに打ち解けた。そこから、満開の桜の下を、浅草寺にお参り。夕方になって、ちょっと明かりも灯りだし、ほろ酔い気分でサッポロライオンへ。サッポロライオンには、色んなビールがあって、メニューの端から注文してどんどん飲んでいった。赤いシャツがにととらさん。今見ると、にととらさんの前には2種類のビールがあるなあ。そこからまた場所を変えて、カラオケへ。お酒を飲みながら、いろんな歌を歌った。にととらさんのELVISも聴いた。いっぱい飲んで、しゃべって、笑って、踊って、歌って、歩いて、ブログ最高~と言いながら、予約していたホテルに戻って、しあわせ~な気持ちで私が寝たのは、夜中の3時頃。にととらさんは、朝帰りだったそう。次に、にととらさんに会ったのは、同じ年の5月。金の像さんが、7年に一度の諏訪の御柱祭に招待してくださった。在中一世さんはいなかったけれど、金の像さんのお宅に、にととらさん、takatobaabaさん、ひじかた花梨さん、ブログ仲間が集まった。こんな特等席で、里曳きの様子を見せてもらった。この写真はにととらさんのブログからお借りしたもの。にととらさんは、写真を撮るのも上手い。そして文章も面白い。こちらの里曳きのブログは思わず笑ってしまう。ブログ仲間が集まって、来られていない人たちの話をした。わからんtinさんは、私が2度目の手術をした2007年の秋ごろからのお付き合いで、手術を終わって歩けるようになった私に、優しいメールをくれたこと。コメントの温かさはみんなが感じていた。nikさんのブログは、御柱の少し前ぐらいから、みんなが見るようになった。さっちゃんへの愛があふれたブログで、同年代の日本の男性には珍しく、ちょっと羨ましいような恥ずかしいような、でも、続きを読みたくなるブログだった。めったに奥さんのことを書かないにととらさんだけど、nikさんを真似して、奥さんのことを書くときには「うちのさっちゃん」と書くようになった。
2023.07.30
コメント(4)
全2457件 (2457件中 1-50件目)