なせばなる、かも。

なせばなる、かも。

Shaggy 5


 レイナが呼びに来たので、俺はミュウを寝かせたままダイニングに向かうことにした。ダイニングに入ると、さっきのパイロットが目に入った。

「やあ。さっきはありがとう」

 俺が声を掛けると、パイロットは穏やかにうなずいた。

「おまえさんがミックだな。ジェフからよく話は聞いていたよ」

 驚く俺に、シュージが説明してくれた。

「彼はジェフのお兄さんなんですよ。そして、僕の親友でもある、アンディ・ライツです」

 そうか、だからあの時一瞬ジェフが座っているように見えたんだ。納得した俺はアンディに手を差し伸べ、固い握手を交わした。

 夕食が終わると、シュージは早々にテレビをつけた。今日のことがどんな風にマスコミに説明されたのか確かめなくてはならない。ちょうどアナウンサーがニュースを読み始めるところだった。

-こんばんは。ZZZニュースの時間です。初めに、今日、港区の国際会議場で行われた先進7カ国による異星人防衛対策会議において、きわめて重要な発表がありました。解説を交えてお伝えします-

 アナウンサーは、軍の不正レンタル事件のことや異星人が実は友好的で技術提携など協力していける存在であること、また、異星人の移住問題も徐々に解決していることを淡々と語った。

-尚、この国際会議場のメインホールで軍の最高司令官グレッグ・サイモン氏が自殺しているのが見つかりました。サイモン氏は軍を組織することを最も積極的に推し進めた人物で、中近東や旧ソビエト連邦の諸国に軍のレンタルを行い、多額の謝礼金を受け取っていたのではないかと見られています。そのため、警察では氏の自殺がそれに関係するものではないかとみて、捜査を進めています。では、次のニュースです…-

「うまく解釈してくれてよかったわ」

 レイナはニュースの内容を確認してほっとした様子で言った。

 レイナによると、あのサイモンという男は軍を使って中近東などの不安定な国々に事件を起こし、それをきっかけに戦争が起きるように仕向けていたそうだ。そして、軍を派遣して莫大な金を手に入れいていた。レイナは先進国の首脳たちに手渡される書類の中に、そのサイモンの悪巧みのからくりを詳細に記した書類を忍ばせておいたようだ。
 2階でかすかな物音がした。

「ミュウが起きたのかもしれない。ちょっと見てくる」

 俺は早速ミュウのいる部屋に走った。

「ミュウ、起きたのか?」

 ドアを開けて、俺は呆然とした。ミュウがいないのだ。ベランダに面したサッシが開いていたので、俺はすぐにそこ飛び出したが、どこにも姿はなかった。サイモン氏がいなくなっても、まだ下々の連中は動いているというのか。それとも、サイモン氏さえも操っていた人物がいたのか。。。 
俺は急いでみんなにしらせた。シュージやアンディもすぐに辺りを探し回ったが、ミュウの痕跡を見つけることはできなかった。

 俺は一旦自分の部屋に戻って、弾を補充した。下駄箱の上のメリーゴーランドが、伝記に光りに反応してくるくる回っている。ミュウ、どこに行ってしまったんだ。

「落ち着け。頭を冷やして考えるんだ」

押し寄せる不安を振り払って、俺は自分に言い聞かせた。

 そうだ。俺にはまだ手がかりが一つ残っている。ジェフの店だ。シュージたちはサイモン氏の部下の身辺をあたってみると言っていた。なら、俺はジェフの店をあたってみよう。
 部屋の鍵をかけ、俺は夜の街中に飛び出した。ジェフの店は繁華街の中にある。深夜になっても人通りが途絶えることは繁華街では、細い通路すら人と車がひしめいている。渋滞する車のすぐよこをすり抜けながら歩いていると、車の中から男に声がもれ聞こえた。

「ああ、そうだ。実験の準備をしておけ。奴らがどんな血の色か確かめてやろう。ふふ。ああ、女だ。まだ若いだろう。地球人と同じ形をしている。そうだ。。。」

 俺は耳を疑った。今のはミュウのことじゃないのか。追い越し際に振り向くと、スーツ姿の男が後部座席に座って携帯電話で指示を出していた。小鼻と左耳にシルバーのピアスが光っている。あの男だ! ジェフの店にいた、あの男に間違いない。俺は急いで辺りを探し、横の路地に一台のバイクが止めてあるのを見つけた。ちょうど、ジェフの店の方角から持ち主らしき青年が帰ってきたところだった。

「すまない。緊急事態なんだ。後で返すから貸してくれ」

 俺は言うと同時にその男からヘルメットをもぎ取り、すぐにキーをまわした。

奴に気づかれないように一つ通りをずらして走った。繁華街を過ぎると、奴の車は幹線道路に流れ込んだ。しょうがない、後に続こう。3,4台見送って、できるだけ死角を選んで走った。奴の車がわき道にそれるのを確認すると、そのままやり過ごして次の角で曲がり、バイクのエンジンを切って、そっとさっきのわき道に近づいた。ピアスの男は、他の連中を連れて古ぼけたビルに向かっているところだった。男はまだ携帯電話を握ったままだった。

「ええ?そっちにもいるのか? 本当に異星人なのか? まあいい、こっちの仕事が終わったら、見せてもらう。それまでしっかり見張っていろよ。余計なことはするんじゃないぞ」

 男は電話を切ると、連れの男たちとともにビルに入っていった。1、2、。。。5人か。それに実験とやらの準備をしている仲間もいるはずだ。事態は一刻を争う状況だった。俺は奴らがビルから出てくる気配が無いのを確かめると、ポケットをまさぐった。まったく、こういうときに携帯がないのは辛い。急いで公衆電話を探し当てた。古ぼけた代物だが動いていた。俺はすぐにシュージに大体の説明をした。

「分かりました。そこにいてください。大至急向かいます」

 10分と経たないうちにシュージとレイナ、それにアンディもやってきた。アンディがビルの周りを調べ、ガラスが割られぽっかりと口をあけた窓をみつけた。

「早速入りましょうか」

 アンディに続いてビルに入ると、病院独特のにおいが充満していた。あたりは埃だからでくもの巣も張り巡らされている。どうやら閉鎖されて随分たっているようだ。

「3階にいるようですよ。さっき裏側の階段の辺りで明かりがちらついていました」

 シュージが俺に耳打ちしてきた。俺たちは慎重に3階にあがり、あたりを伺った。確かに人の気配を感じる。廊下の角からそっと覗くと、見張りの男たちが二人、タバコをふかしていた。アンディは突然飛び出して二人を蹴り倒した。すると、物音を聞きつけた部屋の中の連中が数人飛び出してきた。

 レイナがアンディを援護しながら叫んだ。

「ミック、早く中に!」

 俺とシュージが飛び込むと、部屋の中央の台の上にミュウが寝かされていた。どうやらここは手術室だったらしく、壁には棚が並び、その中には多種多様な薬品や機材が並んでいた。幸いまだ執刀には至っていなかったらしい。俺はすぐにミュウの元に駆け寄ろうとした。

「動くな!」

鋭い声が飛んだ。ピアスの男だ。手にはメスを持っている。

「彼女をどうするつもりだ!」

 俺の叫びに男は楽しそうに答えた。

「どうって、生物学的研究だよ。うまく使えそうなら人工知能を埋め込んで、労働力として使ってもいい。事が進めば、私専用の軍隊を組織することも可能だろう。近い将来、私がこの星の王として君臨するの…」

 言い終わる前に男の頭は吹き飛ばされた。

「医学は貴様のような奴のためにあるのではない」

 シュージが小さな声でしかしするどく言った。

 俺たちはミュウを救い出すと、すぐにビルを出た。ミュウは麻酔で眠らされているのか、ぐったりとして反応がなかった。心配は残るが、俺はシュージにミュウを預けて元来た道を戻った。バイクを返さねばならない。それに、もう一つ気になることもある。

 バイクを借りた場所まで戻ると、さっきの持ち主がひざを抱えて路地に座り込んでいた。
気がつかなかったがまだ少年のようだった。

「さっきはすまなかった。彼女が悪い連中に連れて行かれて、追っていたんだ」

 俺が言うと、少年はすがるようにして俺に言った。

「僕の、僕の妹も助けてください! バイトが終わるから迎えに来てほしい頼まれてここに来たんですが、貴方がバイクを乗っていくちょっと前、妹が店から出たとたん、後ろからやってきたコブラの刺青をしたいかつい男に無理やり店に引き戻されてしまったんです」

 少年は、よく見ると頬の辺りが真っ赤に腫れ上がり、助け出せなかった悔しさで目を真っ赤に泣き腫らしていた。

「どうしてあんな店で働かせたりしたんだ」

 少年の指差した先には、ジェフのいた店があった。

「だって。僕らの両親はある大事故で亡くなってしまったんです。頼れるところもないし、生活していくためにはしょうがなかったんです」
「事故? オゾン層の大崩壊のことか」

 ピアスの男が話していたもう一人の人質は、やっぱり本物の異星人だったのか。少年は一瞬驚愕していたが、俺が攻撃的でないことを確認すると素直にうなずいた。

「それなら妹は危険だ。お前はここに電話して事情を説明してくれ。俺はミックだ。俺に頼まれたと伝えてくれ」

 少年はしっかりとうなずくと、すぐに電話を探しに行った。俺はワルサーの弾を確認すると、静かに店に近づいていった。

窓越しに覗くと、店内にはコブラの男と銀縁めがねのバーテンダー、それにあごの尖ったガンマン崩れがいた。ホールの真ん中には少年の妹らしき少女が縛られて寝転がっていた。だが、ピアスの男に止められているせいか危害を加える様子はなかった。ここはシュージたちの到着を待ったほうがいいだろう。俺は少年のいた路地まで戻った。ちょうど少年が電話を終えて戻ってくるところだった。

「シュージという人に話してきました。すぐにここに来てくれるそうです」

 そういうと、ジェフの店をじっと見据えていた。

「お前。何か特別な力とか、持っているのか?」

 少年は怪訝そうに俺を見た。

「ミュウという女の子を知っているか?あいつはいろんな力を持っているんだ。ラグーン人の中でも、そういう特殊な力を持っているものだけが街に出てきていると聞いていたんだが」

 少年は目を輝かせて俺に取り付いた。

「ミュウさんを知っているんですか?! すごいなぁ。彼女は僕らラグーン人にとって天使のような存在ですよ。絶対僕たちの手で、彼女を元通りの姿に戻してあげたいんです!あ、すみません。勝手なこと言って…。僕と妹はそんな特殊なことができるわけじゃないんですが、テレパシーのようなもので連絡を取り合えるんです。それだけです」

 話をしていると、シュージたちがやってきた。

「やっぱりあのお店でしたか」
「ああ、それと…」

 俺が言いかけていると、シュージの後ろから感嘆の声が聞こえた。
「あら!あなた、ラグーンの子でしょ。もう大丈夫よ。私たちは仲間だから」

 レイナは少年をいたわるように抱きしめた。

「でもまだ妹が」

 少年はまだ心配そうに言った。ふと見ると、シュージがバズーカを持ってきていた。

「お前、妹にテレパシーで目を閉じているように伝えてくれ。それから、できるだけ息をしないようにとな」

 少年はうなずくと、すぐに目を閉じて念を送り始めた。

「じゃあ、行きましょう」

 シュージが店に向かい始めた。俺はバズーカを受け取ると、早速派手な一発をお見舞いした。店内では、おたおたした男たちの叫び声が聞こえている。しばらく様子を見ていると、ふらふらとコブラの男が外に現れた。いつぞやのお返しだ。俺は奴の顔面にこぶしをめり込ませた。ぐわあっと声を上げて、男は階段を転げ落ちた。

「おお。もう始まっているのか」

 振り向くとアンディがミュウを連れて駆けつけた。

「ミュウ!大丈夫なのか?」

 俺が声を掛けると、ミュウは黙ったまま飛びついてきた。

「見せ付けてくれるじゃねえか」

 階段を上がったところに銀縁のバーテンダーが少女を人質にとって立っていた。

「クッキー!!」

 少年が叫んだとき、ミュウが俺の肩にかけていた手を男に翳した。男はうわあっと叫びながら頭を抱えて走り出した。少女はその隙をついて少年の腕に飛び込んだ。

「お兄ちゃん、怖かったよぉ!」

 バズーカの白い粉が落ち着いてくるのを待って店を覗くと、ガンマン崩れがのんきに眠
げた。

「ジェフのお礼だ、ありがたく受け取れ」

アンディが何かをガンマン崩れの手元にそっと置いて、店を出た。

 レイナが少年たちに連絡先を教えていた。

「困ったときはいつでもここにいらっしゃい」

レイナが車に乗ると、俺たちはその場を後にした。俺たちが大通りに出た頃、店の辺りで爆発が起こった。アンディが置いてきたのは時限発火装置だったらしい。車の中で、ミュウは俺の腕をしっかりとつかんでいた。よほど怖い思いをしたのだろう。

「ミュウ。大丈夫か?」
「絶対に助けてくれると信じてたよ」

 ミュウは一層力を入れてしがみつきながら答えた。

「何も、されなかったんだな」

 俺が心配になって尋ねると、ミュウはいたずらっ子のように上目遣いで笑うと、俺の耳元で「あんなことやこんなことをされそうになったの。怖かったわ」と俺を赤面させた。


 シュージの家で祝杯のやり直しをした後、アンディが帰るのにあわせて俺たちも部屋に戻ることにした

「ミック、ミュウ。そろそろ前の家に帰りましょう。明日にも荷物をまとめておいてください」

 帰り際、シュージが声をかけた。

「ええ、もう?」

 ミュウは少し残念そうに言った。

「ミュウ、向こうに帰ってもミックと離れ離れになるわけじゃないだろ?」

 シュージに言われてミュウもしぶしぶ納得した。


 部屋に帰ると、ミューはさっさと風呂に湯を張り始めた。

「疲れただろ。今日はシャワーでさっさと汗を流して早くに休んだ方がいい」

 俺が何気なく言った言葉で、ミュウは急に落ち込んでしまった。さっさとベッドメイクを済ませると、シャワーすら浴びずにベッドにもぐりこんでしまった。

「ミュウ?」

 俺が布団の隙間から覗くと、大きな目をこちらに向けて鼻をすすった。しょうがない、ミュウの体が心配だったのだが、こんなにがっかりしたミュウを目の当たりにするのはやはり辛い。

「ミュウ。風呂が沸いたみたいだぞ。一緒に入るか」

 そう言いながら服を脱ぎ捨てて、浴室に進んだ。
 しばらくすると、ミュウが恥ずかしそうにやってきた。

「へへへ。来ちゃった」

 この前はへっちゃらな顔で一緒にはいっていたくせに、よくわからない奴だ。背中を洗いあってさっぱりすると、そのままベッドになだれ込んだ。
 今日の仕事の成功を祝って、俺たちは長いキスをした。そして、今まで抑えていたお互いの気持ちを心行くまで開放して、暑い夜を過ごした。辺りが白み始めた頃、俺はある決意をミュウに告げた。

「ミュウ、結婚しようか」

 ミュウは俺に抱きついて、ありがとうっとかすれた声で言った。

 翌日、元の家に戻ると、俺たちはシュージとレイナを広間に呼んで、結婚の報告をした。シュージは花嫁の父さながらによかったよかったとおお泣きした。レイナは、見た目が若返っているので違和感があったが、ミュウの母親らしく俺に微笑みかけて頭を下げた。

「落ち着きのない娘ですが、よろしくお願いします」

 シュージはジェフが使っていた部屋と俺の部屋との壁にドアをつけ、俺たちの為に新居を用意してくれた。

「食事は今までどおりでいいかしら?」
「ママ、これからもよろしくお願いします」

 ミュウが助かったとばかりに、うれしそうにレイナにしがみついていた。

「そうだわ!パーティーを開かないと!」

 レイナは早速台所に向かった。シュージはそれを見送ると、俺の方に寄ってきた。

「ミック。一つ相談なんですが。レイナがあんなにも子供になってしまった以上、もう秘書として働くことができません。申し訳ないが、ミックも仕事を見つけてもらえませんか?」

そうか、レイナはもう以前のままの職場に戻る状態ではなかったんだ。俺が納得してうなずくと、シュージは安堵の表情を見せた。

「大学卒業後の行動については、外国に一人旅に行っていたとでも言っておいてください。さあ、娘婿君。今日は倒れるまで飲ませますよ!」

 シュージは言い終えるころにはすっかり上機嫌になっていた。

 レイナの采配でアンディとラグーンの兄妹も来てくれた。俺たちは仲間の暖かな笑顔に囲まれて、最高の晩餐を味わった。


 会社の慰安旅行などそんなに楽しいものではないが、俺は仲間と共にある高原のコテージに来ていた。

「ミック。奥さんに連絡しなくていいのか?あんなに若くて可愛い子と結婚したら、俺なら心配で慰安旅行どころじゃないだろうな」

 スポーツジムのインストラクターとして働くようになってすぐに、ミュウと結婚した。もちろん、結婚と言ってもミュウには籍がないので、レイナが自宅で仲間を呼んでパーティ-しようと呼びかけてくれたのだ。ジムの仲間もやってきて、若いミュウをみて随分羨ましがっていたのだ。おかげでジムの同僚たちからしきりにからかわれる。今も同期で入社したジロが俺をつついていた。
 宿についたのは、もう辺りが薄暗くなった頃だった。早速露天風呂に繰り出し、背中を流しあった。

「あれ? お前たち、もう風呂に入っていたのか」

 みやげ物を物色していたリュウジが、遅れてやってきた。

「今、土産物のコーナーで面白い話を聞いたんだ。この裏の森を突き抜けたところに瑠璃色の湖があるらしいんだ。瑠璃色ってだけでも随分めずらしいんだが、そこに羽根の生えた女神が現れるっっていうんだ。まあ、いつもいるわけじゃないらしいが、運のいい奴ならお目にかかれるんじゃないか?」

 そう言って、俺の方を見た。

「べつに俺は運が言い訳じゃない」

 逃げ出そうとする俺を、なおもリュウジは追ってきた。

「何を言ってるんだ。 あんな可愛い子と結婚しておいて、運がいいんじゃなきゃどうやって手なづけたんだ」
「知るか! あいつが勝手になついてきたんだよ。先に上がるぞ」
「そんなこと言って、抜け駆けするなよ」

 俺が後ろ手に浴室のドアを閉めると、後ろからそんな声がかかってにぎやかな笑い声が響いた。
 もちろん、奴らより先に出たのにはちゃんと理由があった。今のうちにミュウに電話を入れておかないと、後でとんでもないことになってしまうからだ。
俺はそっと宿の裏口近くまでいくと、携帯を取り出した。コールを聞きながら振り返ると、ガラス越しに裏の森がもやに包まれているように見えた。そしてそんな森に向かって、暗い中をそろそろと進んでいく人影が見えた。宿の明かりがぼんやりと人影を照らす。辺りを警戒するように見回す人影がこちらを向いた。俺はすぐにしゃがみこんで視線を避けた。幸い人影はそのまま気づかなかったようだった。だが振り向いた瞬間、顔はしっかりと見てとれた。ジロだった。手には懐中電灯と奴が命より大事だと言っていたカメラを抱えていた。奴に続くものはいなかった。一人で行くのか? 俺の心配をよそに、ジロはすぐに暗闇に消えてしまった。そして、それと同時にミュウが電話に出た。

「俺だ。今、宿について露天風呂に入ったところなんだ。そっちは大丈夫か?」
「うん、大丈夫だよ。でも、いいなぁ。今度は私も連れて行ってよ」

 ミュウは膨れもせず、すねもしなかった。手ごたえがなくてちょっと寂しかったりする。

「お酒、飲みすぎないでね」
「ああ。明後日の夜にはそっちに帰るから、心細かったらレイナに来てもらうといい」
「分かったわ。じゃあ、おやすみなさい」

 慰安旅行の話が出たときあんなに膨れていたのに、随分落ち着いている。レイナに何か諭されたか。俺は電話を切るとさっさと部屋に戻った。部屋では、明日の朝、例の湖に行ってみようという話で盛り上がっていた。

 夕食の時間になって、みんなが大広間に集まった。社長はもうすっかり出来上がった状態で、挨拶もそこそこに無礼講だとビールを浴びだした。よく見ると全員が揃っているわけでもなく、女好きな連中はすでにそれなりの店に繰り出している様子だった。俺は食事も早々に切り上げて、こっそり席とたった。この時間帯でないと、ゆっくりみやげ物など選ばせてはもらえまい。冷やかされるのにも少々飽きた。
 この高原のすぐ近くの町では、ガラス細工が盛んに行われているらしく、みやげ物もガラス細工のものが多かった。キラキラとまばゆいばかりの輝きを放つガラスを見ていると、今にもミュウの歓喜の声が聞こえてきそうだ。こんなところに連れてきたら大変なことになるだろうな。
ぼんやり眺めていると、小さなピンクの花の形をしたガラス細工のイヤリングが目に留まった。あの日の、あの雨の中でミュウが抱えていた鉢に咲いていた花によく似ている。俺はそれを手に取ると回りに連中がいないのを確かめて、さっさと店員に渡した。店員は小さな袋にそれをつめるとのんびりした手つきで俺に差し出した。俺はすばやく支払いを済ませると、急いで自動販売機に行ってビールを買い込み部屋に戻った。
部屋に戻ると、もう何人もの仲間が社長の酒癖に辟易して逃げ出してきていた。

「何だ。ミックは湖に行ったんじゃなかったのか」

 リュウジが声をかけてきた。

「いいや、ビールを買いに行ってたんだよ」
「とかなんとか言ってぇ。奥さんにお土産でもかっていたんじゃないのか?」

 リュウジ、お前はするどいぜ。俺はポケットの中のイヤリングを握り締めたまま苦笑いをした。俺たちは買い込んだビールとつまみで好きなだけ騒ぐと、いつの間にか雑魚寝してしまった。

 翌朝、ゴルフ組が早朝に出て行くのを見送って、ゆっくりと朝食を摂ると、リュウジと新人のケンジ、それにシオンの3人は瑠璃色の湖を探すんだと張り切って出掛けていった。

「なんだよ。ミックも来ればいいのに」

 リュウジが残念そうに言ったが、せっかく高原に来たんだ。俺はゆっくりしたかった。

「いいさ、羽根の生えた女神はお前たち独身組に任せるよ。既婚者には目の毒だろ」

 俺が言うと、リュウジは笑いながらうなずいて出掛けていった。

 皆が出払って静かになると、俺はテラスに出て長いすに横になった。秋も深まってきたが、今日は穏かに晴れ渡って木漏れ日が心地よかった。時々リスが枝をわたっていくのが見て取れた。読みかけの本を持ってくればよかった。ここは読書には最高の場所だった。淡い後悔を感じながら、俺はうとうととねむってしまったようだ。

 ざくざくと枯葉を踏みしめる音で、俺は目を覚ました。

「よう、ジロ。朝帰りか?」

 俺はそう言って腕時計を見た。もう11時になっていた。

「みんなはどうした?」

 ジロは、何でもないようなそぶりをしていたが、明らかに疲れきった様子だった。

「ほとんどはゴルフに出掛けたよ。残りは湖を探すって、裏の森に出掛けて行った」
「裏の森……?」

 ジロの目が、彼の狼狽ぶりを語っていた。

「何かあったのか?」

 俺が水を向けてやると、ジロは考えあぐねた末、ポツリポツリと語りだした。

「俺、自然現象なんかをカメラに収めることを趣味にしててさ。瑠璃色の湖って聞いただけで、もうたまらなくなって昨日の夜のうちに出掛けて行ったんだ」

 やっぱりそうだったのか。俺はジロの言葉を待った。

「随分歩いたと思うんだが、旅の疲れもあったせいか、体はへとへとになるし湖は見つからないし、もう帰ろうと思って引き返し始めたとき、大きな楠木の根っこに引っかかってバランスを崩して倒れたんだ。ところが倒れたところには木の根っこでできた洞穴のような穴があって、俺はすっぽりとその中に落ちてしまったんだ。入り口は小さくても中は結構広くて、なんとか抜け出そうともがいたんだがどうしても出られない。それでしょうがなく昨日はそこで夜を明かす覚悟をしたんだ。だけど、しばらくじっとしていると目が慣れてきて、生き物の気配がしてきたんだ。懐中電灯は穴に落ちたとき落としてしまったからはっきり見えたわけじゃないんだが、女の子がその洞穴の隅に座り込んでいたんだ」

 ジロの目は遠くを見ていた。きっとその少女のことを思い出しているのだろう。

「それで、どうやって抜け出してきたんだ?」

 俺はさっきから気になっていたことを聞いた。

「それが…」

 ジロは迷っているようだった。そして、俺の顔をチラッと見て言った。

「ミックは2年前のラグーン人の移住の事件をどう思ってる?」
「なんだよ、藪から棒に。べつに何とも思ってないぜ」

 反対するわけ無いだろう。あの2年前の移住に関しては、地球人の誰よりも好意的に受け入れたと自負しているのだ。そうでなければラグーン人の妻など持ったりはしないだろう。どうやらジロはラグーン人の女の子と遭遇したようだ。

「たぶん、あの子はラグーン人なんだと思うんだ。背中に翼が生えていた」
「ええっ! じゃあ、あの羽根の生えた女神にあったのか?」

 俺は少なからず驚いた。いくらラグーン人が異星から来たといっても、姿は地球人と変わらない。変わっているとしたら、ラグーン星の末期に人工皮膚で移植に失敗した者だけだ! まさか、ミュウ以外にもそんな悲劇に見舞われたものがいたのか。ジロは俺の胸中など気づかないままうなずいていた。

「お腹を空かせていたんだ。部屋にあった温泉饅頭を非常食に持っていっていたから、それを二人で分け合って食べた。朝になると、女の子は俺を抱えて小さな入り口から外に出してくれたんだ。なんだか弱っている様子だったから、ここに連れてこようと思ったんだが、人間を怖がっている様子だった」
「様子だった? 口が利けないのか?」
「いや、ちゃんと言葉は通じたさ。だが、どうも記憶が無いようなんだ。名前もどこから来たのかも分からないと言っていた。俺、あの子に食事を届けてやろうと思ってるんだ。ちょっと宿の人に頼んで握り飯でも作ってもらってくるよ」
「俺、ラグーン人に知り合いがいるんだ。それに医者もな。奴らに頼んで助けてもらったほうがいいんじゃないだろうか」

 宿に向かいかけていたジロが慌てて戻ってきた。

「ラグーン人に知り合い?! それじゃあ、ぜひ助けてやってほしい」
「分かった。連絡を入れてみるよ」

 ジロは一気に足取りも軽くなって、宿に飛び込んでいった。


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