なせばなる、かも。

なせばなる、かも。

Halloween・Cat 2 前編



 俺の名前は高井忠信。本来は人間だ。1年前のハロウィンの夜、出張先のコンドミニアムで小さな死神と出会い、姿をネコに変えられてしまった。

 当時は驚きと戸惑いに満ちた日々を送っていた俺も、今ではすっかりネコ業が板についてきた。飼い主として名乗りを上げてくれたサムは良い奴だし、仕事仲間のマージーも申し分ない。それに、マージーは俺がネコの姿になってグレンという名前で存在していることを知る、唯一の人間なのだ。
サムは、本来は俺やマージーが勤務する会社の警備を担当する外注スタッフなのだが、半年ぐらい前から探偵業を副業にするようになった。もちろん、俺がその一翼を担うことを計算に入れているようだが。
S&U社の社長に就任したマージーも、前の会社乗っ取り未遂事件でのサムの働きを知っているので協力的で、時々は仕事を取り次いで来てくれたりするのだ。


 社内で開発された新商品の発売が開始されて一段落したある日、マージーから探偵業の依頼を受けた。マージーのプライベートな親友、マリアの夫に異変が起こったというのだ。
マリアは学生時代からの恋愛を成就させて結婚。幸せな家庭を大切にしながら仕事をしている女性で、独身のマージーはマリアのことを、女性としての幸せを実像にしたような女性と羨んでいたほどだった。
その夫が、最近落ち着かないという。サムはさっそくオフィスにマリアを招き、その詳細を聞き出した。

 実直でおだやかなロイドは最高のパートナーなのだと、ソファに座るなりマリアはきっぱりと言い放った。お互いを干渉しすぎず、高めあい、尊敬し合っていると胸を張って言える間柄だったのだそうだ。
ところが、最近ロイドは何をするにも上の空で、マリアの顔を正面からみることすらしなくなったという。それにかかってくる電話のことばかり気にしているとも。

 他にマリアが気づいたことといえば、ロイドにはめずらしく、車のボディーをどこかで少しこすっているようだったということと、見慣れないスカーフをクローゼットに仕舞い込んでいることぐらいだった。

 サムはすっかり浮気だと決め込んで、俺に向かって肩を上げてみせていたが、俺はどうも釈然としない。とりあえず数日間張り込んで、ロイドの様子を伺うことになった。

「グレン、マリアさんには悪いが、これは浮気だよな。お前たちネコの世界にもそういう問題はあるのか?」

 冗談じゃない。俺は元々人間だったんだ。そんなネコの世界なんて知りたくも無かった。しかしサムは、マリアが帰ってしまったのをいいことに、いやらしい視線を送ってきて俺をげんなりさせた。

「実直なロイドが浮気するだろうか? それより車の傷が気にならないか?」

 俺が肉球でキーボードを叩き終わる前に、サムは軽く笑い飛ばした。

「そこからなにか大きな事件が起こってるとでもいうのか? そんなドラマみたいなことがそう度々起こるわけないよ。浮気だよ。見慣れないスカーフが決定的な証拠さ。マリアさんは今まで夫婦仲がよかったから、この事実を受け入れられないんだよ」

 大きな手のひらで俺の頭をがしゃがしゃっと撫でると、サムは笑いながら言い放った。

「いや、ここは慎重に行こう」

 俺がそうパソコンに打ち出しても、もうそこにサムの姿はなかった。

う~ん、こういうとき、言葉がしゃべれないというのは不便だ。

俺はすぐさま電源を切って、自分のコーナーにある携帯用のリュックを運び出した。これはサムが特別に注文して作らせた俺専用の小型ノートパソコンの携帯リュックだ。背中に乗せてベルトの輪をくぐれば、後は紐を引いて体に密着させるようになっている。階下でサムの声がした。急がなくては。

 サムの車が到着したのはランチタイムでにぎわうビジネス街のレストランの駐車場。ロイドはいつもこのレストランで昼食を摂っているらしい。
車の中で待機していると、まもなくロイドが仕事仲間となにやら話し合いながらやってきた。いよいよかと思っていると、急に隣に駐車していた漆黒の高級車が動き出した。


「ん? ロイドの隣に車が留まったぞ。え、車に乗るのか?」

 サムが驚いている間に、ロイドは黒い車に乗ると、どこかに行ってしまった。さっきまでの熱心なディスカッションとは明らかに違う苦しげな表情を浮かべて、それでも抵抗することなくすんなりと車に乗り込んだロイド。どこに向かったのだろう。
 俺はすぐさまサムに尾行するよう促した。

 車はビジネス街の環状線をぐるぐると何周も回り、1時前になってロイドが勤務する会社の前に停車した。
当然ロイドはそこで車を降り、無表情はままビルの中に入っていった。

 サムはそのままさっきのレストランに向かい、車を止めるとレストランの中に入っていった。もちろん俺はネコなのでレストランには基本的に入ることはできない。サムの上着のうちポケットに納まり様子を伺うことにした。

 店内には、さっきロイドと一緒に会社を出てきた連中が、まだ食後のコーヒーを飲みながらあれこれと書類を見比べている。うまいぐあいにその隣の席に座り込んで、サムはコーヒーを注文し、おもむろに俺の背中からノートパソコンを引っ張り出した。

「じゃあ、私が先に会場に行って商品を受け取る準備をしておくから、エリックとトニーが展示用のサンプルを運んできてよ。ロイドが当日展示会場にいけないんなら、それしか方法はないじゃない?」

 長い髪をキリッと1つにまとめた理知的な顔立ちの女性がそう言った。連れの男たちはそれぞれ納得した様子で頷いている。

「でも、どうしてロイドは急に来られなくなったんだろう。今度の展示会に参加しようって言い出したのはあいつなのに」
「エリック、そんな風に悪く言わないであげてよ。なんだか困った事情が起きたみたいよ。さっき声をかけた人たちも、言葉遣いこそ丁寧だったけど、なんだか危険な感じの人たちだったじゃない?」

 横で聞いていたトニーも会話に加わった。

「サラの言うとおりだよ。僕、このまえちょっと小耳に挟んだんだけど、今度の展示会での評判がよければロイドには新しいブランドのチーフプロデューサーのイスが待っているけど、インナー部門の連中もその新しいブランドを狙ってるらしいって言ううわさなんだ」

 その話にエリックは身を乗り出した。

「おい、ちょっと待ってよ。インナー部門っていえばキールが仕切ってる部門じゃないか。あいつが絡んでるってことは、正々堂々ってことはありえないんじゃないのか?ロイドは大丈夫なんだろうか」

 三人はしばらく押し黙っていたが、ふいにトニーが立ち上がった。

「考え込んでても仕方がないよ。ロイドが会場にいなくても、あいつの作品の方向性は僕らが一番知っているんだし、しっかりとそれを補ってやればいいじゃないか。サラ、君も一人だけで会場に入るのは危険かもしれないよ。大変だけど、三人で荷物を運んで一緒にディスプレイしよう」
「そうね。考えてみればロイドが出て来れなくても私たちにだってできるわ。充分気をつけてがんばりましょう」

 三人はそのまま書類を抱えて会社に帰っていった。
 サムは彼らを見送ったあと、席を立ち車に戻ってきた。

「なあ、どう思う? 随分うさんくさい話になってるようだなぁ」

 浮気現場を押さえようとひそかに楽しみにしていたサムは、少なからず戸惑っていた。

「だから言っただろ。サム、早くここを出よう。なんだかいやな感じがするんだ」

 俺はサムを急かして車を出してもらった。どこからかいやな視線を感じていたのだ。
車がレストランの駐車場を出る瞬間、レストランの角の席から出窓に身を乗り出してこちらをみつめている少女と目が合った。まっすぐなブロンズを胸の当たりまでたらし愛らしい清楚なワンピースに身を包んだその少女は明らかにこの車を見つめている。いや、俺を見ていた、氷のような冷たい視線で。


 サムの家に帰る前に、ロイドの車の状態を確認しに行った。
穏かなロイヤルブルーの乗用車の側面、低い位置にかすかなへこみとこすれた後があった。ひき逃げでもやったのかと思っていたのだが、それは違うようだった。
このへこみ方なら、駐車中になにかがぶつかったぐらいだろう。

 サムの家に着くと、クレアがあたたかいミルクを差し出してくれた。

「おかえりなさい。グレン。 温かいミルクをどうぞ。あら、なんだか浮かない顔ねぇ。どうかしたの?」

 クレアはそっと俺の頭をなでながら言った。まったくクレアの勘のよさには頭がさがる。

サムの部屋に戻って犯罪者リストを検索した。サムが警備関係の仕事をしてくれているお陰で警察からの情報提供が受けられたのだ。
黙々とチェックしていると、さっき漆黒の高級車に乗っていた男をみつけることができた。ショーン・シモン、当たり屋のコーディネイターだ。
そうか、やっぱり車がらみだったか。

画面を進めていると、突然犯罪者リストには不似合いな顔が現れた。まだ幼さの残る顔は今日レストランで見たあの少女のものに間違いなかった。
リサ・アイスマン、16歳。スリ、恐喝、売春補助、数えたらきりがない。いやな奴に目を付けられたもんだ。この少女もロイドのこととかかわっているのだろうか。

 俺はサムが部屋に戻ってくるのを待って、ショーンとリサのことを話した。サムはリサについてはあまり気乗りしないようすだったが、ショーンに関しては引っかかるものがあるようだった。

「旦那様、お客様がお見えですが」

 クレアがちょっと戸惑った様子で声をかけてきた。サムと一緒に階下に下りてみると、そこには鼻息を荒くしたロイド本人が立っていた。

「なにをかぎまわっているんだ! 僕のことを調べているのはどうしてなんだ!」

 サムの姿を見つけると、ロイドはすぐさますたすたとサムに歩み寄り、その胸倉をつかんで叫んだ。

「おいおい、そんなこと急に言われても困るよ。まずは落ち着いて事情を話してくれないか」

 サムは胸倉をつかまれたまま穏かに言うと、奥のソファへロイドを誘った。

 ロイドは少し落ち着きを取り戻し、悪かったといって勧められたソファに腰掛けた。すかさずクレアが薫り高いコーヒーを持ってやってきた。もちろん俺へのミルクも忘れない。

「すまない。ある人物から君たちが僕のことを調べて回っていると忠告されたもので…」

 ロイドはバツが悪い様子でうなだれたままそう言った。

「いや、気にしないでください。俺たちが調べ物をしていたのは事実だし、それがロイドさんの近くで起こっていることについてであることも事実です。もうしわけないが、それ以上のことを話すかどうかは依頼人の許可をもらってからになりますが」

 サムは襟元を整えて穏かに言った。

「これは依頼と関係のない私の意見なのですが。ロイドさんがいまかかわっている連中は癖が悪いですよ。どういういきさつでかかわることになってしまったのかは知りませんが、早く手を切ることをお勧めします」

 ロイドは大きくため息をつくと、辛そうに言った。

「連中って、どういうことですか? まぁ、確かに、できることならすぐにでも縁を切りたい人物はいます。だけど、どうすることもできないのです」
「もしよかったら、私たちにお話ください。力になりますよ。私たちが知りたいのは奴らの最近の動向なんです。こちらにとっても情報が得られるわけですから、とても助かります」

 サムはちらりとこちらをみて目配せすると、さも心配そうにそういった。

 ロイドは戸惑った表情でしばらく考えてから、決心したようにサムに向きなおした。

「やっぱり聞いてください。実は…」


 ロイドの話は俺のいやな予感を的中させるものだった。いや、少しは外れているものもあったが、大筋で的中だった。

ロイドは展示会場の視察に出掛けた帰り、道路を横断しようとした老婆に接触してしまったらしいという。そして、一緒に居合わせたその老婆の息子夫婦から脅迫されているというのだ。

「普段から安全運転には自信があったんですが、あの日は自分の昇進がかかった展示会の下見だったので、気持ちが高揚していてまったくおばあさんの存在には気づいていませんでした。
息子さんがおばあさんをかかりつけの病院に運んでくれましたが、おばあさんの命を助けることはできませんでした。私は何度もそのおばあさんのご自宅に謝りに行きました。しかし、慰謝料は受け取ってくださったものの、息子さん夫婦やそこのお嬢さんにまで恨まれてしまって…。おばあちゃんの命を奪っておきながら、平然と仕事をしているなんて許せない。勤め先にこの事故のことを言いふらしてやると脅されて、もうどうしていいか分からなくなっているのです」

 俺はサムのズボンのすそを引っ張ってするどく鳴いた。これはサムとの合図で、話があるからこっちにこいという俺の意思を伝えるものだ。

「なんだよ、ミルクのお変わりかい? ロイドさん、ちょっと待っててくださいね」

 サムはそういうと俺を抱き上げて部屋を出た。俺はすぐさまキーボードを叩いた。

「サム、ロイドにショーンやリサの顔を見てもらって確認してくれ。それから、ロイドが接触したのが本当におばあさんだったのかどうかもな」

 サムは了解したと短く答え、すぐにパソコンを抱えてロイドの前に戻ってきた。

「ちょっとこれを見てもらえますか?」

 サムが画面にショーンとリサの顔写真を映し出すと、ロイドはひどく驚いたように画面にしがみついた。

「どうしてこの人たちの写真を持っているのですか。こちらがその息子さんで、そのとなりにいるのがお孫さんなんです」
「彼らは犯罪者リストに載っている人物ですよ。ロイドさん、1つ質問なんですが、あなたが接触したのは本当におばあさんだったのですか?」

 ロイドは質問の意味を理解するのに少し時間を要した。

「そういわれてみれば、おばあさんが倒れたとき息子さんがすぐさま助け起こして自分の車に乗せてしまったので、おばあさんだったのかどうか、どれほどの怪我をなさったのかを確かめる暇はありませんでした。ただ、息子さんの奥さんが、おばあさんが死にそうだとひどく混乱した様子で泣き叫んでいたので、こちらもパニックに陥ってしまって…」

「息子さんの奥さんはどんな人でした?」

「そうですねぇ。車の窓越しだったのでよく見えませんでしたが、すこしぼさぼさした巻き毛の赤毛の女性でした」
「そちらも調べてみましょう」

 サムは画面を動かしてそれらしい人物を探し出したが、サムが見つけ出す前に、ロイドが叫んだ。

「この人です! この人に間違いありません。今思い出したんですが、目の下にひどいクマがあったのと、頬骨が浮き出ているのとで、彼らの生活状況が気になっていたのです」
「ロゼッタ・マイヤー。やっぱり犯罪者リストに載っていましたね。詐欺の前歴があります」

 ロイドは体の力が抜け落ちたようにソファに座ると、天井を見上げてああっとため息をついた。やっと嵌められていたことに気がついたのだ。

「お聞きしてもいいですか? ロイドさん、あなたはその事故の時、なにか落し物を拾いませんでしたか?」

「落し物? ええ、その事故のときおばあさんが落とされたものらしいスカーフがありましたので、それは拾いました。今は家のクローゼットに置いたままです。後で謝りにいくとき渡そうと思っていたのですが、いつも門前払いで部屋には入れてもらったことがなくて。そうか、彼らが詐欺師だったなら、家に入れてもらえないのもうなづける。」

 サムは納得顔で俺を振り向くと、今後のことについてロイドと相談し始めた。俺は興味なさそうな態度でキッチンに向かうと、クレアにミルクのお変わりをねだることにした。


「ほら、グレン。今日はおいしいおやつがあるわよ。斜めお向かいに先週越してこられたご家族もネコを飼ってらっしゃるんですって。仲良くしてあげてね」

 カリカリのネコスナックをトレイに入れながら、クレアはまるで母親のように俺に諭した。俺はさっそくそのネコスナックを楽しむと、さっさと窓辺に陣取った。春の日差しがぽかぽかと俺の背中を暖めてくれるこの窓辺は、最近の俺のお気に入りの場所になっている。

 斜め向かいのネコか。どんなやつだろう。気が合う奴だったらいいのだが、ネコというやつはそれぞれ個性的でなかなか犬のように馴染もうとはしないのがやっかいだ。
ちらりと見上げると、斜め向かいの2階の窓辺に手入れの行き届いたきれいなシャムネコが座っていた。俺の視線に気づいたのか、小首をかしげて俺の方を見下ろしている。パッと見た瞬間に、俺は2年前に失踪した大物女優のエリザベス・クリスを思い出した。優雅で、気品に満ちた感じが良く似ていた。俺は、ネコ流の挨拶でゆるくしっぽをふり、声を出さずににゃあと口をあけた。だがそのシャムネコは、ふっと視線を下ろしただけでけだるそうに横を向いてあくびをすると、さっさとその場を立ち去った。
 なんだ、随分愛想のないネコだな。新入りなら新入りらしくもうちょっと可愛いそぶりでも見せればいいものを。そんな気分のまま自分もサムの下に戻った。ロイドが帰るところだったのだ。

「ありがとうございました。お蔭様で、やっと自分を取り戻すことができそうです」

 照れくさそうに頭を下げながら言うと、ロイドは帰っていった。きっと展示会に力を入れなおすために会社に戻ったのだろう。

「グレン、やっぱりお前の見込んだとおりだったな。ロイドはこのまましばらくはおとなしくしておいてくれるそうだ。俺たちが動かぬ証拠をつかむまではね。その後のことは奥さんと相談して決めるそうだ。まあ、仕事はこのまま続けるだろうけどね」

 自室にもどったサムが、俺を抱き上げて報告してくれた。

「では、どこから始める? ショーンはプロだからなかなか尻尾をつかませてはくれないだろうから、あのリサって子から探ってみるかい?」

 俺が画面に打ちこんでいる横からサムは頷いていた。

「うん、やっぱりそれしかなさそうだな。まずは家庭訪問と行きますか」

 サムはすぐさま上着を取り出して車庫に向かった。俺も携帯バッグにパソコンを入れると、すぐにその後を追いかけた。
第1章


 リサ・アイスマンの家は高級住宅地の中にあった。サムはひゅーっとおどけて口笛をふいていた。

「飛んでもない豪邸が並んでいるな。 家の主に会える確立は5パーセントもなさそうだ」
「だけど、使用人のほうが口は軽いじゃないか。これはラッキーと取るべきだ」

 サムは俺の打ち出した言葉を眺めると、しげしげと俺を見つめてつぶやいた。

「ほんと、お前ってネコらしくないネコだねぇ。タディとしゃべっているみたいだ。まあ、長いこと飼われていたのなら、そういうものなのかもなぁ。おっと! ここだ!」

 軽口をたたいて危うくアイスマンの家を通り過ぎるところだった。

 わざと正面の門を通り過ぎ、長い塀をすぎてから一筋曲がって車を止めると、サムはわざわざ地図をひっぱりだして広げだした。

「さて、どうする? 随分とごりっぱなお宅だが、突然現れた見知らぬ客にあれこれぺらぺらとおしゃべりするほど、この家の使用人は低俗ではなさそうだが」

 サムはときどき地図を指差しながら、下を向いてつぶやいた。ここまでくると、当然防犯用のカメラがあることは意識しておかないといけない。俺は助手席に放り投げられたサムの上着の下に隠れて、カタカタとキーボードを叩いた。

「ここの使用人が買い物に出るのを待とう。この家から離れたら、少しは警戒心も薄れるだろう。リサのクラスメートの親という設定が無難じゃないか? 少し口げんかしたようなので、とでも言って同情をかえばこっちのものだ」
「お前は人間か?」

 サムは呆れたようすで言った。そして、しばらく地図をみていて納得した様子でまた地図をたたみ、運転を再開してつぶやくように言った。

「この先に自家焙煎のコーヒー専門店がある。隣には紅茶の専門店もあるからそっちにでも行ってみるか」

 賢明だろう。ついでだからそちらでうまいコーヒーでも飲んでいきたいぐらいだ。


「なあ。ついでだからちょっとうまいコーヒーでも飲んでいくか? ゲージに入れよ。ホットミルクぐらいごちそうするよ」

 サムも同じことを考えていたようだ。俺はおとなしくゲージの中に納まると、薫り高いコーヒーの館に移動した。


 ラッキーなことに店の主人は大変なネコ好きで、ゲージを持って入ってきたサムを快く窓際の席に通してくれた。そして、サムの注文と一緒に俺用のホットミルクとネコスナックまで用意してくれた。

「ネコ君、もしよかったらうちのコーヒーを入れてあげようか?」

 店の主人がたっぷりのコーヒーが入ったガラスの器を見せて声をかけてきた。もちろん俺はご機嫌でニャーと鳴いてみせた。店の主人はとても楽しげに笑うと、ホットミルクにほんの少し極上のキリマンジャロを入れてくれた。

「うちのネコもコーヒー好きでね。飼い主に似るらしいですよ」

 サムは納得した様子で、答えていた。

「なるほどね。こいつの本当の飼い主も大変なコーヒー通なんですよ。明日からはクレアにカフェオレを作ってもらおうな」

 後半をゲージに向かって言ったので、俺はご機嫌でのどを鳴らした。

 カランっと明るい音がなって、店の客が入ってきた。二十歳前の華奢な女性で、こぎれいなメイド服を着ていたが、どうも最近メイド勤めを始めたばかりなのか、弱りきった様子で店の主人に声をかけた。

「あのぉ。アイスマン家のご主人様からキリマンジャロとブラジルとハワイコナを生豆で分けていただくように言われたのですが」

 店の主人はアイスマンと聞いて眉をひそめた。

「ああ、いつもの奴ですね。あなたはアイスマン家のメイドさんですか? 最近お見かけしませんが、ジョンソンさんやメアリーさんはお元気ですか?」
「あ、あの。昨日から勤め始めたメイドのアンです。メアリーさんは、昨日お嬢様に解雇されてしまいました。ジョンソンさんはその事で揉め事に巻き込まれて、お怪我をなさって自宅療養中です。はぁ。初日から大変な事件がたて続きに起こって、私はもうどうしていいのか分からなくなっているのです。あのお宅は以前からあんな風なのですか?」

 アンは今にも泣き出しそうな表情で店の主人に尋ねた。

「そうでしたか。アイスマンさんはご自身の力でここまでの富を得てこられたお方ですから、プライドもお高いのでしょう。しかし、お嬢さんは愛らしくて子供らしい方だったのですがねぇ。
やはりお母様がお亡くなりになって、変わってしまわれたのでしょうかねぇ。
メアリーさんはリサ様の家庭教師として来られたそうですが、生活面でのお作法もきちんとご指導なさっていて、奥様がお元気な頃は、よくメアリーさんのことを褒めていらしたものです」

 店の主人の話を聞いて、一層アンは落ち込んだ。それをみた店の主人は急いでそんなアンを励ました。

「まあまあ、そんなにしょげないで。お嬢様はきっと反抗期に入られたのでしょう。だけど、お嬢さんはほんとは気持ちのお優しい方なんです。
そばにいて寂しさを少しでも拭ってあげられたら、お嬢様もきっと元のような明るいお嬢様に戻っていかれるでしょうから」
「ありがとうございます。お嬢様に信頼してもらえるようにがんばってみます」

 アンはコーヒー豆を受け取ると、とぼとぼとアイスマン家に向かって歩きだした。サムはゆっくりと立ち上がると、店の主人に礼を言ってさっそうと店を後にした。
店の前の道路を少し行って曲がったところでアンに追いついた。サムはすぐさまアンのすぐ横に車を着けると、自ら車を降りてアンの前に立って頭を下げた。


「アイスマン家にお仕えの方ですか? リサさんのことで少しお話をお聞かせいただきたいのですが」

 アンはすぐさま周りを確かめ、誰にも見られていないと分かると急いで車に飛び乗った。

「うちの娘がリサさんと揉め事を起こしているらしくて、どうやって二人の仲を修復させようかと困っているのです。少し協力してくださいませんか」

 アンはさっきのコーヒー専門店の主人に励まされたばかりで、リサを元に戻すためならと快く承諾した。


「まったくサムには驚かされるよ。まさかあんなところでアンを買収するとはね」

 サムの自室に戻って、俺はどうどうとキーボードを打てる環境を得ると、すぐさま言いたかった一言を打ち込んだ。

「はっはっは。なかなかやるだろ? うまい具合にコーヒー店の店長が励ましてくれたもんだからね。これはいいって思ったんだよ」

 サムがご機嫌で話していると、部屋のドアがノックされた。

「ご主人様、コーヒーをお持ちしました。このコーヒー、随分と上等なんでしょうねぇ。コーヒーを入れているだけでうっとりしてしまいましたわ。ほほほ。はい、グレンにはこちらね」

 クレアが笑いながら俺のトレイにホットミルクを流しいれた。しかし俺はそれだけでは満足しない。さっきサムと約束したんだから。すばやくテーブルに上がると、コーヒーポットに前足を掛けて甘えるようにニャアと鳴いて見せた。

「まあ、グレンにもこのコーヒーのおいしさがわかるの?ほんとに賢い子ねぇ」
「さっきコーヒー専門店でカフェオレをごちそうになって、すっかりコーヒー好きになったらしいんだ。次回からはカフェオレにしてやってくれるかい?」

 サムが楽しそうに言うと、クレアも快諾してくれた。よしっ!これでうまいコーヒーが飲める!喜んでいると、ふと視線を感じて窓を見上げた、斜め向かいのシャムネコだ。ふん、またしても俺を小ばかにするつもりか。お前になど興味がないことをしっかり分からせてやる。俺はすぐに視線をはずし、自分の毛並みを整えた。
窓辺におかれた小さなミラーから俺の背後にいるシャムネコの様子がみてとれた。俺がしらんぷりを決め込んだのを確認すると、ぷいとそっぽを向き、どこかに行ってしまった。

 翌日はサムも本業に出掛け、俺は遅い朝食の後、いつもの公園に向かった。手芸屋のネコ、チェックは公園内のイスにいたが、すでにぐっすりと眠り込んでいたので声をかけずに通り過ぎた。今日は新緑が美しい花壇のそばに陣取るとするか。
俺は日の当たる暖かいベンチを見つけると、そこにゆっくりと体を横たえた。土曜日の朝ということもあって少しは人もいるが、それでもまだまだ静かなものだ。見上げると春霞の空に新緑がまぶしい。
今週は本業と探偵稼業で忙殺されたのでここに来るのは久しぶりだが、いつきても穏かな気持ちにさせてくれるこの公園は、俺の憩いの場所だ。

「ねえ。貴方、人間でしょ?」

 俺はうとうとし始めていた頭を覚醒させるのに手間取って、その言葉が天から降ってきたように感じた。

「どこ見てるのよ。私は目の前にいるわよ」

 やっと目が覚めて、目の前のシャムネコに気がついた。足音も気配もすっかり消していたのだろう。いつ近づいてきたのか俺にはまったくわからなかった。

「君は?」
「私はケイト。人間よ。二年前のハロウィンの夜、見たこともない小さな死神が突然訪ねて来て、気がついたらこんな姿になっていたわ」

 ケイトはいつのまにか俺の隣に座って、まっすぐに公園中央になる噴水を見つめたまま語った。二年前のハロウィンか。俺と同じ境遇の人間が他にもいたとは驚いた。俺は突然現れたシャムネコの次の言葉を待った。


「よぉ!グレンじゃねぇか! 久しぶりだなぁ」

 さっき熟睡していたチェックが目を覚ましてやってきた。

「へぇ。お前さん、ちょっと見ないと思ったら、ちゃっかりこんな彼女を作ってたのかい。うらやましいねぇ、若い奴は」

 チェックはさっそくケイトを品定めした。ケイトは汚らわしいものでも見るように一瞥をくれてやると、さっさと公園から出て行ってしまった。

「待てよ、姉ちゃん。邪魔するつもりはないよ」

 チェックはケイトの後姿に叫んだが、ケイトは振り向くこともなく公園の出口まで行くと、ちらりと俺に視線を送って自宅のほうに向かって行った。

「おいおい、勝手に決めつけないでくれ。あいつはうちの斜め向かいに引っ越してきた新入りだよ。今始めて挨拶されたばかりさ」

 チェックはその答えがさも不満そうに首を横にふった。

「だめじゃねえか。時は春。まさにネコの恋はまっさかりのシーズンなんだぜ」

 すっかり年老いたチェックには縁のない話のようだが、まさにそれは俺にとっても大問題だった。なんとか気持ちをそらすようにしないと、どうも意識がそっちの方に向いてしまうのだ。あと2,3日もすれば忘れてしまえるのに。

「ははは。確かにそうだが、俺はこれでも理想が高いんでね。相手はじっくり選ばせてもらうよ」

 俺は、まるで気にしていないような素振りでそう言うと、かるくしっぽを振って見せた。だが、長年ネコ人生を歩んできたチェックにはやせ我慢に映ったのだろう。軽く首を横に振って哀れむように笑った。

「そうそう。お前さんが来ない間に、この公園におもしろい常連ができたんだぜ。まあ、ネコじゃないんだがね。興味があるなら明日の昼過ぎにここに来るといい。人間の世界にもいろんな奴がいるんだな」

 チェックは思い出したのか、口角を上げてかすれた声で笑いだした。明日の午後か、念のため親父に付き合うか。


 翌日、チェックの言うとおり公園に出てきた俺は、意外な人物に遭遇した。アイスマン家のメイドをしているアンがやってきたのだ。

 アンは日の当たるベンチを見つけると、ゆっくりとため息をつきながら近づき、どっぷりと座り込んだ。自分の横に持参してきたバスケットを置き、中から水筒を探し出すと、ゆるゆるとカップに茶色の液体を入れる。公園中央の噴水の縁にいた俺にも、それがコーヒーだとすぐに分かった。
隣に座っていたチェックが、ちらっと目配せすると、さっさとアンに近づいて甘えた声を出した。アンも知っているネコを扱う様子で、チェックをすんなりと抱き上げてベンチの自分の横に座らせると、バスケットの中から小さなネコスナックを出してチェックに振舞った。

なにが面白い人間だ。結局チェックはネコスナックにたかっているだけじゃないかと、俺が後悔し始めたとき、ブツブツとアンがつぶやいているのが聞こえた。

「はぁ。私はどうなるのかしら。アイスマン家はお金持ちだからいいお仕事だって聞かされて応募したのに、とんでもない家だわ。頼りにしていたメアリーさんはクビになっちゃうし、お嬢様はちっとも家には戻ってこられないし。
ねぇ、あなたどう思う?アイスマンさんって、どっかの一流企業の部長さんらしいんだけど、すごく変な人なのよ。仕事から戻られたら、すぐさま自分のお部屋に入ってしまって、殆ど出てこないの。それに、メアリーさんに言われてたんだけど、ご主人が自宅にいらっしゃるときは静かに歩くようにですって。あと、ご主人のお部屋には近づかないようにっとも言われたわ。おかしいでしょう? 
もしかして、あのご主人って幽霊かなにかなのかもしれないわ」

 チェックは次のネコスナックほしさににゃあと鳴いていた。まったく、いい親父になっているのによくやるよ。俺はそっと公園の脇に進み、そこから遠回りでアンの座っているベンチまで回りこんで、そっとベンチの下に寝そべった。うまいコーヒーの香りが漂って、俺にはそれだけで充分に心地よかった。


「それにね。時々だけど、ピーピーって、機械みたいな音がしていることもあるの。ご主人がいないときでもよ。なにやってるのかしらねぇ。料理人のチャーリーから聞いたんだけど、あのアイスマンって人は過去には相当悪いこともしていたらしいわ。チャーリーのお父さんのお友達がアイスマンって人の部下だったらしいけど、あんまりひどいことするからって、会社を辞めたんだって。
よその会社にスパイを送り込んだり、情報を幹部に売りつけたりしたらしいわ。それに当たり屋まで使ってよその会社の人を陥れたりしていたらしいわよ。そんなことしていてお金持ちになったってだめよね。案の定、奥様は病気で亡くなったし、お嬢様は家出されてお戻りにならないし、結局あの広い屋敷に一人ぼっちよ。哀れだわ」

 アンはブツブツとチェックに話して聞かせながら、次々とネコスナックをチェックの口に入れ、自分はサンドウィッチやバナナを食べると、もう一度カップにコーヒーを注いだ。

「あら、もうネコスナックが無くなったわ。ごめんね、ネコ君。また今度の休みにも愚痴聞いてちょうだいね」

 アンのその言葉を合図に、チェックはすっとその場を離れて歩きだした。公園の脇まで来たとき、チラッと振り返って俺にだけわかるようにじゃあなと挨拶して去っていった。

「はぁ。それにしても私はどうしてあげればいいのかしら」

 アンは最後のコーヒーを飲み干したのかカップを水筒にセットして、バスケットの中身を整えるとまたとぼとぼと歩き出した。
アンにはアイスマンの家は合わないな。しかし今回だけはがんばって手伝ってもらわないといけない。よろしく頼むとしよう。


 チェックの言うおもしろい常連も確認できたので、俺はサムの家に戻る事にした。

 サムの家を目前にして、昨日出会ったケイトが表れた。

「貴方、いつもここの住人と何か仕事でもやってるの?」
「ああ、探偵業さ。今までの仕事も続けている。パソコンとデータがあれば、なんとかやりくりできる仕事なんでね。ここでは一応俺は飼い猫ってことで通ってる。俺は猫になって1年だが、人間とはパソコンで会話しているんだ。もちろん、限られた人間とだけだがな」

 ケイトは呆れたように眉をひそめた。

「猫になってまで、ワークホリックってわけ?」
「なんとでも言えばいいさ。俺は自分を必要としてくれる仕事仲間がいる限り、仕事は続けるつもりさ。君はすっかり猫の生活に馴染んでいるってわけかい?」

 俺は、どうもこのケイトという人物が気に食わなかった。初めてみたときから、こちらを見下げているというか、小ばかにしているような印象を受けてしまう。

「しょうがないでしょ。飼い主が大変な猫好きなのよ。健康管理や美容にも時間とお金を使ってくれているわ。私は猫のコンクールで優勝したこともあるの。
自分の動きが常に視線を集めているってことを意識しながら生きてきたわ。まあ、その辺りは人間の頃と同じだけど。
おかげでいろんな国を回ったわ。

だけど…

だけど、どうしても人間に戻るヒントを見つけることが出来ないのよ。調べ物をしたくても、そうそう自由な時間もないのよね。貴方はそのままで良いと思ってるわけ?」

 ケイトはやや神経質に眉間に皺を寄せて早口で捲くし立てた。それは、人間に戻れないことへの焦りの表れだった。

俺だって、諦めてしまったわけではない。だけど、どうすることもできないんだ。こういうときは、チャンスが訪れるのを我慢強く待つしかないのだ。

「思ってるわけないさ。だけど、今は自分に出来ることをやるしかないじゃないか。いつか人間に戻るヒントが見つかったら、ケイトにも知らせてやるよ。じゃあ、俺は仕事があるんで、失礼するよ」

 まったく、ケイトというヤツはどんな人間だったんだ。高飛車で傲慢で、ろくな女じゃないな。俺はさっさとケイトの横をすり抜けて、サムの家に入って行った。


「おかえりなさい、グレン」

 クレアが笑顔で迎えてくれたので、俺の気分もすっかりリセットされた。サムの部屋に戻ると、待ってましたとサムが迎えてくれた。

「なあ、グレン。これからちょっと出掛けたいんだが、付き合わないか」

 俺はキーボードを広げる前に、首をかしげた。サムもすっかり心得たもので、すぐさま答えて来た。

「アイスマンの屋敷だよ。ヤツの会社は健康食品の輸出入をやっているらしい。だから世界中飛び回っているらしい。さっきアンから連絡があって、今朝からアイスマンは海外に出掛けたらしいぜ。こういうときこそ、情報収集のチャンスじゃないか」

 俺はすぐさまパソコンをリュックに入れると、サムの上着に飛びついた。

 途中でちょっとしたケーキを手土産に用意して、豪邸の建ち並ぶ街中に入った。

 サムが呼び鈴を押すとアンがやってきた。アンはすぐに俺たちを屋敷の隣にある、宿舎のような建物に案内してくれた。

「ここでお待ちいただけますか。今は料理人のチャーリーさんと執事のブラウンさんしかいませんが、ブラウンさんはご主人がお留守の間、ご主人のお部屋の隣の部屋で、お仕事をなさっているのでこちらにはおいでになりません。
私より、チャーリーさんの方がお嬢様のことをよく知っていると思うので呼んで来ます」

 そう言って、ぺこりと頭を下げると、アンはすぐさま厨房があるらしい屋敷の中に入っていった。そして、ほどなく年配のまじめそうな男性を連れてきた。

「はじめまして、私は、サムと申します。娘とこちらのお嬢さんが少し揉めているようで、心配しているのですが、なにかご協力いただけると嬉しいのですが」

 サムは先に自己紹介を済ませて、右手を差し出した。

「私はチャーリーと申します。こちらでは、もう長いこと厨房を任せてもらっています」

 チャーリーは穏かな笑顔でサムの右手に答えた。

「それにしても、リサお嬢さんはどうなってしまわれたのだろうねぇ。ご友人と揉めるようなことなど、今まで無かったのだが」

 チャーリーは心底リサを心配しているようだった。

「私がこちらに仕えるようになったのは、奥様が嫁いで来られる少し前でした。そのころは、私も見習いでよくご主人さまに叱られたものでしたが、奥様がなだめてくださることも多くて、なんとかここまで勤め上げることが出来ているのです。
リサお嬢さんも、幼い頃は本当に子どもらしい愛らしいお子さんで、ご両親が仕事で海外に行かれるときは、いつも厨房に遊びにおいででした。

それが、どういうわけか1年ぐらい前からでしょうか。お嬢様の様子がおかしくなってきたのです。補導されることもしばしばで、マスコミに見つからないように、ご主人様は相当な額を使って口止めされていると聞きました」
「それなら、私、メアリーさんから聞いたことがあります」

 アンが急に思い出したように立ち上がったので、テーブルの紅茶がぐらっと揺れて、危うくやけどをしそうになった。

「ご主人様のお仕事に対して、リサ様は納得できなかったんだろうって。メアリーさんもそのことには心底心を痛めていました。
 なんでも、学校で世の中の仕事についてレポートを書いていらっしゃるとき、お父様のお仕事も取材したいって、ご主人様のお留守にお部屋に入られたのだとか」

 横で聞いていたチャーリーが首をかしげた。

「おい、ちょっと待ってくれ。じゃあ、うちのご主人様のお仕事に何か問題があったってことかい」

 その質問に、アンは答えることができなかった。

「わかりません。でも、その日を境にリサ様の様子は少しずつ変わっていったとメアリーさんから聞いています」

 これはどうやらご主人様の書斎を調べる必要がありそうだ。俺はサムに目配せして、チャーリーには適当に礼を言って部屋をでた。


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