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もう以前に書いたかもしれませんが、ここ10年で食をテーマにしたマンガって増加の一途を辿っているようですね。マンガのジャンルでは、近頃、異世界転生ものなんてのが大いに隆盛を誇っているところですが、そのサブジャンルとしても食が恋愛やバトルなんかと同等の価値観をもってテーマとなっていたりします。そのさらに枝分かれしたところに居酒屋だったり喫茶店だったりが食を披露する場所として特化されたりもしますが、居酒屋をメインに据えた作品としては未だ滝田ゆう氏を超える作品は出現していないように思います。喫茶店に関しては、ぼくを満足させてくれるような作品は今のところ出現していないと思われ、比較的近作のはしゃ氏著『さめない街の喫茶店』などもそうですが、居酒屋マンガと同様に舞台となるお店で提供される料理(時にはカクテルなどのお酒である場合もあるけれど)を巡る人々の交流を描くといったものが多いようです。 ならばその食というものを徹底してニッチな方向で描いたもののほうが興味深いのでありまして、ぽんとごたんだ著『桐谷さん ちょっそれ食うんすか!?』などは悪食、いやここは穏当にヘンな食材を調理して食べるというだけの内容でありますが、実に楽しく読ませてもらっています。ここで取り上げられる数々のヘンな食材については、実作に当たってもらうのがよろしいかと思いますが、現実のイベントとしてスピンオフされるなど、非常に愉快に思えるのです。そのイベント情報はすでに終了していますが、今後、コロナ禍が終息した折には開催されるであろうと期待しています。<a href="https://natalie.mu/comic/news/250792">「カエルやグソクムシ食べるグルメ作「桐谷さんちょっそれ食うんすか!?」が飲食店とコラボ」</a>期間:2017年10月16日(月)~11月30日(木)「獣肉酒家 米とサーカス」キンツル(豚の男性器)炒め 1,980円、カエルと野草のスープ 1,680円、ボイルザリガニ 950円、カラスの真っ黒煮込み 1,980円「新宿肉区 パンとサーカス」オオグソクムシのチリソース和え 1,980円、トドのルイベ 1,000円、フグの卵巣マヨパスタ 1,000円、フライドカラス 3,800円 ぼくは、現代人の食への欲望が衰えつつあるなどと悲観的に感じていたから、比較的未知なる味覚への好奇心を絶やさず維持していきたいと思っているものにとっては、誠に心強くて連載が継続することを期待してやまぬところであります。ちなみに蛇食は、比較的ポピュラーであると思えるのですが、第6巻でジャパンスネークセンターが取り上げられていたのは、食のニッチさとは別に楽しめました。というのもこれまた以前報告させていただきましたが、同施設のお隣にある三日月村にお邪魔した際に無念なことに時間が取れずこちらを訪れる暇がなかったから、こうしてじっくりとこちらの現況を読むことができたのは情報としてありがたかったのです。まあ、行きたい気分をさらに昂じさせられ、自由に出掛けられぬ現状がもどかしくもあるのですが。といった訳で、ここで取り上げられた食材はネットでカチッとクリックして入手できるようなものではなさそうなので、当面は我慢することにします。ってセミやらその幼虫など昆虫食の数々は、実行可能じゃないかとの指摘はあえて無視することにします。桐谷さん ちょっそれ食うんすか!? 6【電子書籍】[ ぽんとごたんだ ]
2021/08/19
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近頃、料理やらレシピやらばかり取り上げて、ちっとも酒場巡りブログとは思えぬ様相を呈してしまっているけれど、こんな状況下で無理矢理継続するようなものでもないと割り切ってしまいました。ってかレシピブログも悪くないなあなんて思っているけれど、家呑みしていると写真を撮るのも面倒だし、それ以上に調理過程でいちいち作業手順を撮影するのは相当面倒な作業でありますから、ぼくには料理ブログの運営は難しそうです。というか世の中のレシピやレシピを紹介したサイトには不満が多いのです。写真がないと作れないわけでもないだろうに、やたらと写真が多いのが邪魔臭いのです。余程特殊な手法を用いたり、でなければ完成写真だけで十分であります。写真が多いレシピは完成に至るまでのステップが多いように感じられ、むしろ実際に作ってみようという意欲を削ぐように思うのです。ぼくがちゃんとレシピを参照して料理するようになったきっかけのお一人に川津幸子氏がおられるのですが、この方の「100文字レシピ」シリーズはほとんどが完成写真のみで構成されていて、実にコンパクトにまとまっています。また、世に出回る多くのレシピ本などでは、手順説明がやたらめったら長すぎると思うのです。これはきっと親切のつもりなのだろうけどレシピ本を開きながらその手順を参照しつつ料理するのは結構手間に感じるものです。写真のみならず手順説明の文書も極力短いのが正解ではないか。少なくとも長い文章は調理手順も面倒に思えて気分が萎えるのです。それに約XX分とか曖昧記述もどうかと思うのだ。もしかするときっちりタイマーを使って時間を図る人もいるかもしれませんが、大抵は経験値だったり観察することで頃合いは見切れるはずです。大体において食材の重さは一緒でも経常次第で火の通り加減など変わるはずだからある程度大雑把で要は足りるのであります。あと、これは是非とも考慮いただきたいのですが、調理時間の表記も実用性に欠ける気がするのです。漬け置きする場合などは、所要時間に受け置き時間が含まないことが多いみたいですが、オーブンで焼いてる時間や煮る時間などを所要時間には含めなくていいんじゃないかと思うのです。知りたいのは実質的な労働時間なのです。これは例えば玉ねぎのみじん切りをするにしても当然に個人的なスキルが反映してくるのは分かるけれど、そこら辺は標準的なスキルの人が調理した場合を仮定した時間で事足りそうです。とまあ、色々といいたいことはあるけれど、近頃は書店のレシピコーナーを眺めるのが楽しく思えるのでした。
2021/08/17
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「歌乃茶屋」 大島「とりてつ」 新島「どさん子 新島店」 新島「PUB クロンボ」 新島「テス」 三宅島「アリラン」 八丈島「Bar R」 八丈島「宝来軒」 八丈島「富士久 厨」 八丈島「鈴屋食堂」 佐久島
2021/08/15
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断捨離がブームになって久しいですが、そもそも断捨離という思想がブームとなるのは、どこかしら宗教じみているように感じられます。断捨離の考えの即物的なところは嫌いじゃないけれど、教義的な側面はどうも疑念を抱いてしまうのです。提唱者の何とかさんはテレビ番組なんかで見ると至極真っ当で常識的な人のように思えるのですが、書籍なんかの文章は精神主義的な面が強調されちょっと胡散臭いのです。まあ、詳しくは知りませんがヨガのインストラクターなんかをなさっていたかなさっているらしいので、教え方がそういう傾向になるのかもしれません。なので、この人の文章は読みたくないけれど、BSで放映している断捨離番組は楽しく拝見しています。ゴミ屋敷一歩手前の家がじわじわと快適な環境へと変貌していくのを見るのは存外楽しいものです。特に趣味のコレクションの処分がテーマとなる場合の依頼主たちの葛藤ぶりを眺めているのは愉快で、これを眺めつつ酒を呑んだりするのですが、なかなか酒の肴になる番組だと思っています。さて、かくいうぼくも断捨離という言葉が恐らく提唱される以前に、大々的な断捨離、いやあれは断捨離などという崇高な振る舞いというよりは、単に本当に頻用するもののみを残してそれ以外のほとんどを処分したのであります。それこそ当時、夢でベッドで寝っている己の姿が見えて、このベッドなる代物の無駄に大きいことが気になってしまい、目覚めるや深夜であるにも関わらず近隣の方の迷惑など考えすらせずに燃やせるゴミとして出せるほどに徹底的にベッドを解体・廃棄したのでした。その後、しばらくは部屋にはちゃぶ台すらなく、カラーボックス1台と小さなテレビのみ残されることになったのです。身軽に人生を送ることに憧れを抱いていたそのなれの果てということですが、当時はアパートの一室はシャワーを浴びて寝るだけの場所となっていたからそこまで過激なことができたんでしょうが、今はそこまでするつもりはないけれど、依然として身軽であることを希求する自分があるのです。将来一人で生きるなら3畳の居間兼寝室にシャワー室、トイレ、キッチンがあれば十分に思えるのです。世間ではミニマリストなんて気取った呼び方があるらしいけれど、まあそういった人生を送るのも悪くないなあなどと時折夢想するのでした。
2021/08/15
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「千代本」 美唄「よいとまけ」 岩見沢「西谷食堂」 岩見沢「鳥勢」 岩見沢「浜っ子亭」 岩見沢「萬珍閣」 岩見沢「食事処 アカギ」 高砂「中華料理 みやぎ」 石神井公園「金龍軒」 石神井公園「焼鳥 めだか」 東伏見
2021/08/11
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先般、普段使いのPCがオシャカになったことを書きましたが、それに少し関連したことを呟いてみることにします。とかく現在進行形の興味というものは、かけがいのないもののように思い込んでしまうものです。特にマニア気質の強い人というのはー他人事のように語ってみせてはいるけれど,ぼくなどもそこに分類されそうですー、より思い込みは激しいと思われます。小学生の頃には、切手だったり、酒蓋だったりと実体のある物のコレクションに向かったりもしたものですが、幸いにも興味の対象が物そのものとなることはその後ほとんどありませんでした。まあ、本に関しては数千冊保有したこともありましたが、ある時点でピタリと購入することをやめてからというもの物理的なボリュームのある所有物は残さなくなったのです。では、コレクター癖という悪癖が消え去ったかというと残念ながらそうは問屋は降ろさないのです。もともとは生涯に亘って何度ととなく繰り返して見続けたいと思っている映画以外はDVDなりを持たないと決めていたのですが、そんな願望はいつしか忘れ去り際限のない所有欲求に背中を押されることになりました。もはや看過し難い量のDVDがコレクションされることになりましたが、これはメディアの寿命によりいずれは破棄することがかなうかもしれません。本にしてもしばらくは図書館での駆り出しをメインに据えていたのですが、うっかりするうちに図書館ではさほど所蔵していないマンガから離れてしまっているうちにマンガはいつしか以前とは隔世の感を覚えるほどに高度な読み物へと進化していました。必然、図書館では役不足になります。そこで手を出したのが電子書籍というわけで、これも物理量は劇的に増加することがないという特性上、知らず知らずのうちに相当量を所蔵することになったのです。オリジナルと複製について語るつもりはありませんが、言えることはオリジナルの書籍の場合はそれなりの量になれば処分を検討せざるを得なくなるもので、そうなると少しだって現金化したほうがマシということで古書店に売り払うといった余地があります。それに対して、電子データだと残せるだけ残してしまって、本当に必要なものが分からなくなりますし、何より物理的な手応えがないから大事なものもうっかり削除したりすることも起こりえます。まあ、いずれにせよ、興味の対象は流転するのが常でありますし、未来永劫に残しておくべき重要なものはそうそうあると思えないし、何より命など儚く短いのだからコレクションに躍起になるのは貧乏暇なしの庶民には過ぎたる贅沢なんでしょうね。
2021/08/11
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いったい何度繰り返したら懲りるのだろうか。またもやPCが故障してしまいました。故障の原因は定かではありませんが、OSが立ち上がる以前の問題らしくよくは分かりませんが、マザーボードが焼き切れたような取り付く島もないような状態で、ただ内臓ファンのみがけたたましく鳴り響くばかりとなったのです。ネットワークインフラの急速な普及とネットワークサービスの汎用化と拡充によって、大事なデータはストレージに保存するのが一般化していますが、それでも日頃から頻繁に更新作業を行うようなデータファイルはかなり肥大化しているし、一時的なメモ書き程度もいちいちストレージに保存するのが面倒だからとどうしてもローカルのディスクに保存してしまうのでした。そんなこともあり、酒場関連だけでも未整理の全国の酒場の情報やこのブログ用文章の断片なども随分消失してしまいました。まあ、整理済みの重要なデータについては、たまたまある程度の更新タイミングでバックアップを取っておいたから良かったものの全てが消え去ってしまったらその喪失感は相当なものであるはずです。というのもかつて、相当な労力を費やして映画のデータベースを作成し、そこには自身の鑑賞日や劇場などの記録なども追記してあったから当時そのデータを保存していたPCが破損した際には深い喪失感に見舞われたものです。でもですね、当初こそ酷いダメージに打ちひしがれましたが、思いがけぬほどに呆気なく立ち直ってしまったのです。今も壊れたPCのHDDだかSSDだかの中にはそれなりの金銭を払いさえすれば復旧可能なデータが眠っていると思われますが、もう少しほとぼりが冷める頃にはまあいいかと思えるようになると思うのです。思い返してもはっきり思い出せないようなデータなんてものはさほど重要ではないはずですから。
2021/08/08
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このところ眠くて眠くて仕方ありません。数年前から睡眠の質の低下が著しく、特に冬場になると一度は眠りにつくものの深夜に目覚めてしまい、以降はまんじりともせず長く辛い夜を過ごすなんてことが日常化してしまうのです。これがなかなかに辛いのです。早期リタイアでもして、出勤のことを考えないで済むのであればいくらかは事態の深刻さは軽減するかもしれませんが、それにしたって眠りたい時間に眠れないというのは辛いものです。話は少し逸れますが、幼少期には、ナポレオンに憧れました。彼は1日3時間の睡眠しか取らなかったとジュブナイルの伝記には記されていたからです。でもこれにはからくりがあって実はやはり短時間睡眠の偉人として知られるエジソン同様に昼寝の習慣があったというから拍子抜けであります。科学的にはサンディエゴの高校生が264時間の不眠記録を樹立したとのことでありますが、これは眠れないのではなく眠らなかったわけでぼくの憧憬の対象とはなりえぬのです。ベトナムには「眠らない男」が存在するようで、38年間眠らなかったとのことでありますが、それをさほど苦にすることもなさそうなので、実に羨むべき体質であります。最近は飲酒後に30分程度は眠れるようになったと語っているらしく、憧れるのはぼくばかりでないはずです。しかし、ニュースなんかで報道されるように日本人は睡眠時間が短く、世界でも指折りの眠らない国民らしいからぼくの悩みなどはまだまだ軽度であるようなのだと思うことで気を紛らわすことにします。
2021/08/04
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「山来軒」 朝霞「酒処 串焼き 富士山」 朝霞「珍来」 赤平「あらしやま」 赤平「やまどり」 赤平「静のや/一福」 滝川「焼肉の店 ふく鳥」 滝川「食堂 高田屋」 滝川「喜多八食堂」 砂川「焼鳥 よしや」 美唄
2021/08/03
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突然ですが、ぼくは人混みが苦手です。日本でも指折りの繁華街に住んでいながらそんな弱音を漏らすのは、みっともない。みっとも話だと思うけれど、休みの日などに駅の方に向かって人の群れが行き交っているのを見ると吐き気すら感じるのであります。いちいち吐き気を感じるならば人気のない田舎にでも引っ越したらどうかという意見には一考の余地があることは認めます。しかし、人の多く集まる場所というのは、便利な場所だったら有名なスポットがあるというのが慣わしでありますし、それを捨てる位なら吐き気位は甘んじて甘受することも厭わぬのです。もとより吐き気を感じるのには慣れっこだし、実際問題その吐き気の主因となるのが人いきれのせいなのか前夜の酒の影響なのか判然とせぬから、黙ってしばらく我慢さえすれば済んでしまうのです。そんなだから名酒場と呼ばれるような店に伺うのには気合が必要となります。名酒場もまた有名スポットの一つであるから、そういうお店に行くのなら極力空いている曜日や時間帯を選ぶことになります。とまあ、そんなに人込みがいやなら無理に居酒屋などに出向かずとも呑むことだったら出来るだろうに。と落としどころを見いだせずにダラダラ書き継いでしまいましたが、実のところ、未だにオチが見つからないので唐突ではありますが、本日のボヤキはここまでということで。
2021/07/27
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「当福屋」 東門前「お食事味のGI」 大師橋「やきとり 桂」 矢向「中華 蘭蘭」 新川崎「昇楽」 向河原「ふくちゃん」 祐天寺「角乃屋」 越生「蔵王飯店」 鶴ヶ島「居酒屋 とん源」 霞ヶ関「中華 一番」 新座
2021/07/20
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マルコ・フェレ―リ『最後の晩餐』(仏=伊, 1973)をご存知でしょうか。カンヌ国際映画祭で上映された際には、スタッフ一同に対し観客から怒号が飛び交ったことで知られる曰く付きの作品です。パリの屋敷に料理人のウーゴ(ウーゴ・トニャッツィ)、役者のミシェル(ミシェル・ピコリ)、乳母コン裁判官のフィリップ(フィリップ・ノワレ)、パイロットのマルチェロ(マルチェロ・マストロヤンニ)の4人が集まって、酒池肉林の宴に明け暮れるというモチーフを聞いただけならば、なんとも羨ましく妬ましい物語が展開されるのでありますが、実際にこの映画に接するとそうそう呑気ではないことが知れるのであります。4人は一人また一人とこの甘美でありながら過酷極まりない時間を過ごし呆気なく死を迎えるのでありますが、彼らの愚行に愛情をもって応え続けたのは女教師アンドレア(アンドレア・フェレオル)だったのでした。 マルコ・フェレーリという監督は、まだまだ日本における紹介が遅れているように思われますが、誤解を覚悟して明け透けにまとめると社会風刺とか文明・歴史批判といった深遠ならざるブラックコメディ的な作風を得意とした人とひとまずは総括できると思うのです。比較的日本で鑑賞しやすい作品では、マルチェロ・マストロヤンニとカトリーヌ・ドヌーヴという大スター共演の『ひきしお』(1970)がSM的なモチーフを打ち出しているけれど、晩年に近い『町でいちばんの美女 ありきたりな狂気の物語』(1981)、『ピエラ 愛の遍歴』(1983)まで来るとすでにフェレーリの過激さは息を潜めてしまうように思えるのです。それでも2001年にフィルムセンターで開催された「イタリア映画回顧展」では、そのものズバリのタイトルをもつ『猿女』(1964)や強迫観念に取りつかれた男の物語『男と5つの風船』(1968)などにも機会さえ逃さねば触れることもできます。この監督が優れているかどうかの個人的な回答をまだ得られてはいないのですが、少なくとも『最後の晩餐』は面白いということです。 ところで、肝心なのはこの映画では、大スターたちがみな徹頭徹尾呑み食いしているということです。実は改めて見返してみたら食ったりやったりしている方が印象が強くて、それほど酒を呑んでいるようには思えなかったのです。いやまあ食ったりやったりする片手には大体グラスやカップが握られていて、思い出したように口元にそれを運んでいるのですが、彼らの欲望は酒よりも遥かに食に偏っているように思えたのでした。なので、この映画をとっておきの酒呑み映画としてお示しせんとする目論見はあえなく費えることになるのでした。新品北米版Blu-ray!【最後の晩餐】 La Grande Bouffe [Blu-ray/DVD]!<マルコ・フェレーリ監督作品>
2021/07/13
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「のみ処 清水」 北戸田「民謡居酒屋 べに笠」 戸田「寿司善」 戸田「中華料理 紅蘭」 戸田「みね食堂」 戸田「三幸 支店」 戸田「たかぎ山」 鶴見「居酒屋 かねイシ」 鶴見市場「小料理 いしづき」 鶴見市場「華扇」 鶴見市場
2021/07/11
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酒を呑みまくる映画の第3弾は、ノ・ヨンソク『昼間から呑む』(2009)です。これまた「酒を呑みまくる」といったキーワードで検索すると頻出する映画であります。ちっとも聞いたことのない映画ですが、タイトルの緩さからも少し期待が持てそうです。韓国を訪れたことはありませんが、二世代前位までの韓国映画は相当数を見ているし、ドラマは全く見ていませんが紀行番組なんかでそれなりに韓国の文化やら人物などに触れてきてはいるから、酒にだらしないということで国際的な定評のあるらしき日本人を遥かに凌駕するだらしのなさの持ち主が相当数存在することを知っています(ちなみにジャ・ジャンクーの映画を信じるなら中国人はさらにそれを上回るほどの酷い呑み方の人もいるようです)。大体、あの流しマッコリはどういうことか。卓上の溝に白濁した液体が流れていて、そいつを椀で自由に掬って呑むなど思いもよらぬのであります。衛生面で問題とはならないのだろうか。というか現在の新型コロナまん延の最中、あのようなアミューズメント酒場が存在したことは悪夢として存在を抹消されてしまったんではなかろうか。それにしても一度経験してみたかったなあ。 ともあれ、ノ・ヨンソクなる長編映画デビュー(短編習作もあるのだろうか)となる新人監督のこの作品は、1千万ウォンで製作されたそうで、現在のレートでは大体1円=10ウォンのようだから1百万円ということで、なるほどそれは超低予算であります。徴兵から戻り妹と同じ名を持つ女にフラれた青年が仲間たちと傷心、いや慰安旅行に出掛けるも仲間はおらず一人旅することになったその道中を描いたロードムービー(のようなもの)です。途中、酒と女に翻弄される様が笑えない程度にユーモラスに描かれていて、映画としての出来云々はともかくとして好感が持てる作品ではありました。それにしても監督は何をしたくてこの映画を企画したんだろう。当人のインタビューなど探してみたところで、若者や青春とは云々だからそのありのままの姿を韓国の地方の風景を交えて描いてみたかったとか何とかが語られるのだろうから、あえて読まずに済ませることにします。描かれた内容を見る限りでは、とにかく全編に渡って酒(眞露)をやたら呑み続けるわけで、眞露の製造元にスポンサーとなってもらばもう少しは見栄えのする映画となったかもしれませんが、ケチ臭こさがこの映画の武器となっているのであり、拙い演出や撮影はこの作品を辛うじて映画であることの証しとすることに寄与したように思えます。冒頭の居酒屋、田舎町の食堂、港の食堂などに飲食店が登場しますが、何気なくてちっともフォトジェニックでないところには好みです。いやまあ未知なる韓国の呑み屋は大概がこんな感じなだけなんでしょうか。まあ、大体において企業が敢えてこの映画に出資するとも思えぬのですが。 といったことで、ほとんど何も語ってはいないけれど、韓国のどこかのちっとも見栄えしない風景がとてもいいし、主人公はじめ出演者の冴えないけれど、奇妙に共感するところがあります。この主人公ほどだらしなくないとしてもぼくの若い頃を見ているような親近感すら抱きました。韓国と日本は、現在の国の関係を眺めると相互に嫌悪感を抱くことになるのはさもありなんというところですが、人対人の関係はもしかすると他国の人々よりも分かり合うことが容易なのかもしれません。などと余計なことを書くとあらぬ誤解を招きかねぬので、これに留めますが、この映画に関してはボケっと酒でも呑みつつ眺めるには悪くない映画だと思いましたので、ご興味のある方はぜひご覧ください。昼間から呑む [ ソン・サムドン ]
2021/07/08
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「中華料理 金華楼」 橋本「きのはなや」 相模原「居酒屋 かどふく」 南橋本「埼玉や」 南与野「大むら」 与野本町「おかずや」 与野本町「富士屋」 与野本町「三ッ木屋食堂」 与野本町「居酒屋 一休」 与野本町「白鍬軒」 与野本町
2021/07/06
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「かっぱ屋 上石神井店」 上石神井「鳥銀」 秩父「つのはず食堂」 秩父「竜来」 秩父「松龍苑」 北高崎「上州ホルモン」 北高崎「観堂食堂」 前橋「麻葉」 中央前橋「おしどり食堂」 中央前橋「松葉屋」 中央前橋
2021/07/04
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とにかく映画全編に亘って呑みまくる作品がないか。そう思って記憶を辿ってみるのだけれど、どうもそれに相応しい作品が思い起こすことができないのです。そんな時こそネットで検索してみようと、早速調べてみると、やはりいるんですねえ。そんなしょうもない事を調べる人が。いくつかのまとめサイトにタイトルが挙がっているのですが、知ってる作品に関しては、それ程に呑みまくるという印象はありません。でも知らぬ作品が散見されました。その一本が先般の『荒野の千鳥足』で、大概のサイトではこれが筆頭に上がっていました。でも他にも重複して採択率の高い作品があります。ならば最近ヒマで自由になる時間もそこそこあるので、早速見てみようと思い立つのでした。 そんな一本がエドガー・ライト監督による『ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!』(2013)でありました。この監督、全く未知の映画監督でありますが、『ショーン・オブ・ザ・デッド』なるSFアクションコメディなんかで英国ではそれなりの人気がある人のようです。製作された大英帝国といえばパブ文化が良く知られています。他国の文化を折衷を伴いながらもすんなり受け入れる日本においても本場を模したパブがじわじわと勢力を拡大しています。この映画は、高校卒業時に試みながらも頓挫したひと晩で12軒をハシゴするという目論見にアラフォーになったおっさん5人がリベンジするという物語でありまして、途中、宇宙人侵略という異物めいた物語が展開されつつも、主人公のおっさんだけは12軒目のパブ、ワールズ・エンド"The World's End"に目掛けて呑み続けるのでした。本来であればこういう出鱈目というか荒唐無稽さは嫌いじゃないんだけれど、単なる酒場巡り映画であることを期待していたものだから物語が急展開する便所の件以降はどっちらけてしまうのでした。パブも登場するおっさんたちが語るようにチェーン化したような雰囲気のないものでオオバコのサロンみたいなムードもちっとも乗れなかったなあ。学生の頃に見た『ウェイクアップ!ネッド』かなあ、アイルランドの田舎町の暗くて窮屈な侘しさこそがぼくにとってのパブのあるべき姿なのです。といった訳で酒場については、ラストシーンへと移行する際のちょっとした趣向だけは実際にあったら楽しいだろうなあと思ったけれど、それ以外はちっとも魅力が感じられなかったのです。酒の呑み方にしても酔っ払っても助平もしくは暴力的になるばかりでこの面子と一緒に呑みたいとは少しも思えなかったから、もはやどうしようもないとしか言えぬのでした。この映画の感想に、見終えてすぐにビールが呑みたくなったとあちこちで書かれていたけれど、ホントかねえ。ワールズ・エンド/酔っぱらいが世界を救う! [DVD]
2021/07/04
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この酔っ払い映画はまさにそんな砂漠地帯の町を舞台に描かれます。故郷であるシドニーへの帰還を願う小学校教師を主人公に、長期休暇で一時帰郷する途中の町であるヤバでビール漬けにされた挙句、ギャンブルにカンガルー狩りと狂乱の一週間を過ごすことになるといったところが大雑把なあらすじとなっています。ネット上の批評ではアメリカンニューシネマの影響下にあるといったような記述が目立ちましたが、果たしてそれは当たっているかとなるとぼくには疑問です。むしろコッチェフの演出がそれなりにきっちりと編集を前提に撮られているように感じました(その割に冒頭からグラスに呑み残したビールが切り替えされたのちには空になるなどの杜撰さは随所にありますが)。ストーリーにしたところで、若者が人生を憂いていたところに大酒呑んで酔っ払うことで、不安感や快楽が増進され暴発してしまっただけではないか。スコセッシの『アフター・アワーズ』は本作の焼き直しのように思えるのです。 ところで、酔っ払いということになると確かにこの映画に登場する人々は、常にビール時々ウィスキーを呑んでいるけれど、凄まじいというほどの無茶ぶりには思えませんでしたねえ。むしろ警官役で出演したチップス・ラファティが撮影中に実際にビールを呑みまくっていたそうで、25パイントを呑み干した日もあったとのことでこれには驚かされます。ちなみにパイントという単位でありますが、アメリカのUSパイントは473ml、イギリスのUKパイントは568mlとのことですが、オーストラリアではどうなのか。以下のサイトに詳細な解説があります。 <a href="https://chiyogaminote.com/beer-size-in-australia/">PINT, SCHOONERとは? オーストラリアのビールのサイズ</a> うむうむ,なるほど。イギリス連邦加盟国であるオーストラリアはUKパイントを採用しているようです。でも舞台となるブンダニヤバ"Bundanyabba"という町は多分架空の町と思われますが、ブロークンヒルをモデルとしているのだろうと思うのです。ちなみに主人公の勤務するTiboondaは、恐らくTibooburraを想定しているようですが、ここに列車は通っていないようです。ともかく主人公はヤバ=ブロークンヒルにやって来たという推測が当たっていれば話が変わってきます。先のページにアデレードでは1パイントが450mlとなるようなのです。ブロークンヒルが同州のシドニーより近距離にあるアデレードの文化圏にあることを考えると、ロケーション中に呑んだビールのグラスは450mlであったということになります。同じ25パイントでも14.25Lから11.25Lに減少します。それでもまあ多ことは多いけど呑めなくはなさそうです。ところが、当のラファティさん、撮影終了直後に亡くなられたそうです。この映画で呑み過ぎたのが原因でなければいいのですが。 ちなみに、新宿シネマカリテで<a href="https://rooftop.cc/news/2014/09/10175755.php">>「つい魔が差した! 9月27日公開の『荒野の千鳥足』、初日にビール飲み放題決定!!」</a>なんてイベントも開催されたのですね。現場も映画以上に凄まじい惨状を呈したんじゃなかろうかと不安になります。 でも、これならもっと凄まじい映画がすぐさま思い出されます。次回はこれを見直して、記憶に誤りがなければまた報告することにします。
2021/06/29
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「盛楽」 川間「ふじのや」 萩山「かまくら」 小平「猿狗楽」 花小金井「中華料理 しまむら」 花小金井「ダルマ矢」 花小金井「大村庵」 田無「水村屋」 中野新橋「北京」 新中野「福芳」 落合
2021/06/27
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ようやく『荒野の千鳥足』を見ることができました。1971年に製作され、同年のカンヌ国際映画祭に出品され、世界各地でも上映されたもののその後、ネガとプリントが行方不明になったといういわくつきの作品であります。プリントは2004年になってようやく発見されたそうです。復元処理を済ませたこのプリントは、2009年になってマーチン・スコセッシの推薦で再びカンヌ国際映画祭で上映されることになりました。日本でも2014年に劇場初公開されたそうですが、すでに映画から一線を引いていたぼくは、すっかり見逃していたのでした。というか無理を晒すことを覚悟して告白すると、そもそもこの映画を全く知らなかったのです。この映画を知ったのは、恥ずかしながら酔っ払いの映画をネットで調べていたらやけにヒットしたからなのです。 それだけならわざわざ見てみようと思わなかったかもしれません。なにせ監督が、よく知られるところのスタローン主演の『ランボー』をはじめ、『おかしな泥棒 ディック&ジェーン』『料理長殿、ご用心』『ノース・ダラス40』『地獄の7人』など深夜枠の映画番組における常連作品でも知られるテッド・コッチェフだったからさして興味がわかなくても不思議ではないはず。この人なんとベルリン国際映画祭金熊賞を受賞しているのですよね。映画祭の受賞などほとんどアテにならぬことの証左でもあります。でもスコセッシが本作を、すっごい不穏な映画であるけれど、皮膚の内側に潜り込むような衝撃があるといったような抑えられぬ興奮を伴った賛辞を送っていたことを知ったからです。誤解されるといけないのでお断わりしておくとぼくは必ずしも映画作家としてのスコセッシがそれほどの人とは思っていません(なぜか『救命士』だけは嫌いになれないけれど)。 ともあれ、この映画がかくも悪名高い酔っ払い映画として喧伝されるに至った所以をしかと確かめねばならぬということで、某ネットレンタルにて旧作が50円となったタイミングで借りてみることにしたのです。早速再生してみるとおお、冒頭にオーストラリアのフィルムアーカイブが保存しているのですね。原作者も舞台もオーストラリアですが、監督のコッチェフはカナダ人、役者のドナルド・プレザンス、ゲイリー・ボンドはイギリス人とオーストラリア人のチップス・ラファティが出演しているもののオーストラリア映画と見做すのには抵抗があります。 そういえばそもそもオーストラリア映画の歴史について、ぼくはほとんど知らないのであります。というわけでいつも通りWikipediaの知識を頼ることにします。なんとメルボルンには1891年から1910年まで世界初の映画スタジオと言われることもあるライムライト・デパートメント(The Limelight Department)が存在したのですね。1910年代は世界最大級の映画産業を誇ったようです。これが衰退した理由の記述もありますが、なかなか興味深い内容です。佐和田敬司(著)『オーストラリア映画史―映し出された社会・文化・文学』が無声映画時代を含め詳細が綴られているようだから機会があれば読んでみるつもりです。さて、実際にぼくがオーストラリア映画を知ったのは、ピーター・ウィアー『ピクニックatハンギング・ロック 』(1975)、ジョージ・ミラー『マッドマックス』(1979)、ピーター・フェイマン『クロコダイル・ダンディー』(1986)位のもので、いずれも必ずしも出来が良くはないけれど、確かにオーストラリアの映画であると納得させられるものでした。まるで無声映画時代の記憶などなかったかのような初めて映画を製作したような粗削りな感覚があったように思います。また、同地の砂漠地帯であるアウトバックの色調がフィルムに染み渡っているような感じもします。 ここでとんでもなく長くなりそうなので、つづきは次回へ持ち越します。
2021/06/27
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もし愚劣な政府の愚劣な政策により、日本から居酒屋が姿を消し去った暗澹たる未来を思い描いたりします。近頃のぼくはとても夢見が良くて、しかもその夢の内容も覚醒時に想像をたくましく思い描くよりもずっと克明かつ具体的でありまして、とにかく臨場感がすごいのです。さらにその内容が悪夢とは正対するようなそれが現実の出来事であったなら我が人生に悔いなしに違いないようなものであるから、つまり非常な多幸感に浸りきってしまいまして、普段とは真逆の理由で目覚めるのが辛いのであります。しかし覚醒時にはどうしても暗い未来ばかりを想像してしまうのでありまして、暗澹たる未来に我が身を据えてみた場合、やけに具体的な思考や行動を思い描くことになるのであります。居酒屋が日本から消え去る未来っていうのは実は至極容易に想像することは可能です。厄介なのは、そんな世の中で生きていくことを余儀なくされた自身の生活の変化や心身に及ぼす影響なんかだったりします。居酒屋が存在しない、さらには外食産業全般で酒類の販売がなくなったとしたなら、ぼくが外食する機会は激減することでしょう。というか、やむなく小腹を満たす、もしくは時間調整だったり時間潰し以外に存在意義はなくなるはずです。酒あってこその外食費であるからもしかしたら貯金が貯まってそれはそれでいい事かもしれませんが、夜を持て余すことになりそうです。職場と自宅との往復だけの人生となった時、果たして仕事に対するモチベーションを維持し続けることが、可能なのだろうか。宅呑みばかりで外食費がいらなくなったなら早期退職でもして、のんべんだらりと過ごしていけるんじゃなかろうか。でもそうなったら確実に寿命を縮める結果となるだろうなあ。とまあ、どこまでも堂々巡りの憂鬱な未来しか思い浮かばないのでした。
2021/06/20
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「炎」 越谷「天田屋」 運河「正華楼」 野田市「ゆたか食堂 上花輪店」 野田市「あさひや食堂」 野田市「酒処 髙橋」 野田市「大雅楼」 野田市「ひふみ食堂」 野田市「和風レストラン とん平」 野田市「お食事処 宮」 清水公園
2021/06/17
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「玄海」 小川町「喜久屋」 八潮「居酒屋 紫」 八潮「鳥越」 八潮「天仁」 八潮「鳥芳」 吉川「小料理 さち」 越谷レイクタウン「村壱番」 越谷レイクタウン「忍」 三郷「しっぽ」 江戸川台
2021/06/15
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「みかさ食堂」 雀宮「東京飯店」 的場「中福楼」 笠幡「五月」 武蔵高萩「居酒屋 まき」 武蔵高萩「くろちゃん」 高麗川「たつ吉」 毛呂「美晴食堂」 毛呂「居酒屋 鈴」 東毛呂「やきとり せっちゃん」 明覚
2021/06/13
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こんな時は真っ直ぐ帰宅して、さっさと風呂でも浴びてゆっくりと宅呑みすればいいんだけれど、そうはしません。では、何をするのか。帰宅前に通勤経路にある酒場を巡回するのであります。暗く静まり返った呑み屋街などを眺めるのは、店の方には申し訳ないけれどめったに見られぬ光景でもあり好奇心をそそられるということは正直に告白しておくべきでしょう。これが見慣れた光景にもなり兼ねない現況を鑑みると迂闊な発言とも取られかねぬけれどどうかご勘弁を頂きたいのです。休業を余儀なくされた酒場を眺めて心が痛む気持ちは確かにあるし、店の方たちの窮状も想像に難くはありません。まん延防止措置発出下の時短営業などものでもないかのような災厄に違いないのです。そして、普段なら客たるぼくもその辛さを共有する点では同類であると思っています。ところで、そうして巡回していて目に入るのが、要請を聞かずに営業を続けるお店です。当初は、多くの店主が耐え忍んでいるのに、一部の店舗に客が押し寄せ我が世の春を謳歌することに不快感を覚えました。好きでもない酒場が余り我慢もせずやった者勝ちとなっているのに、どうして真っ当な酒場は営業自粛を受け入れられるものだろう。そう思わずにおれぬのです。当然感染の危険性は増大するはずでもあります。だから、強硬に営業を強行する酒場には身勝手だという思いがありました。実のところ、その対応ぶりを眺めて、宣言解除後、二度と行くまいと態度を決めている店もあります。でも、今現在、ぼくの気持ちは変わりつつあります。営業している店も逆境や非難を覚悟の上で継続する以上、積極的に応援まではしなくとも心の底では共感を持って眺めています。営業を続ける店は大概の場合、非常に混み合っています。こういう従前よりも混雑しているお店に対してはせめて客数を制限するなどの配慮を求めたいところですが、例えば、徹底的に強気な商売を続ける新興の酒場チェーンにはご留意頂けると偏見や反感は多少なりとも緩和すると思うのです。町を眺めながら各店の対応を眺めつつ、その葛藤や苦悩を想像するのは意味のある行動だと思っています。貼り紙では酒の提供はしないと書きつつどう見ても店内の客がビールを呑んでいたり、仕舞われた暖簾の内側で酔客が嬌声を発していたり、余りにも空気の読めない開き直った態度は理解されにくいものです。酒の販売はできないけれどサービスするというお店もあったりと創意工夫があって、しかも感染防止への配慮がなされた酒場には解除後にも通おうと思ったりします。
2021/06/10
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この文章がアップされる頃には、果たして3度目の緊急事態宣言は解除されているのだろうか。これを書いているのは宣言下の真っ只中でありまして、アップされたとしてこの文章を改めて読み返してみることはまずないに違いないけれど、都内近郊で酒類を取扱う飲食店が営業自粛を求められているこの時期をいかにして乗り切った(ている)かを忘れぬように書き留めておくことにしたのです。というのは体の良いこじつけに過ぎず、ここで言いたいことは要請を突き付けられた町の現在を知ることに興味があるということなのです。新型コロナに感染するのは嫌だし、もし感染したら怯えることになるのは想像に難くないけれど、今のところはその真の恐怖を他人事としか捉え切れていまいというのが本音のところです。むしろ恐れるとしたら、うっかり呑みに行った姿をテレビだったり―これは同意なしならモザイクが掛かるからそう懸念はしないけれど―、SNSにアップされて、公のものとなることにあります。それを撮影した人に悪意で罠に嵌めてやろうなどという意図がなくとも衆目に晒される可能性があるから気を付けようにも徹底するのは困難です。往年の大女優が掛けるようなサングラスにマスクで顔面を覆えば正体は明らかになりにくくはなるだろうけれど、むしろ悪目立ちすることは目に見えています。なので、潔くここは真っ直ぐ帰宅するに限るのであります。って、だから何なのだ、ってツッコミたくなるお気持ちは当然のこと。本題はこれからなのですが、長くなったのでつづきは次回。
2021/06/08
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今更、飲酒をやめようとは思ってはいないけれど、酒での失敗や過ちは数限りなく犯してきました。振り返ってみても、酒を呑むことがもたらした喜びと比較して、後悔だったり反省だったりがどれほど勝っていることか。というか過去に遡ってみても酔いから醒めてみて喜悦に暮れたことなど皆無であるんです。そりゃまあ昨夜は愉快だったねえとあいさつがてらに感想を述べあうこともなくはないけれど、それはほとんど社交辞令みたいなものです。酔いが醒めるということは、狂熱的な恋愛なんかと同様にひとたび結ばれてしまうと途端にかつての狂おしいまでの感情は消え失せてしまうもののようです。当然、呑んでる最中はとても楽しかったり、時には嬉しかったりもする訳ですが、それだって時には激しい憤りに変わったり、耐え難い悲嘆に暮れたりする場合もあるわけで、それはアルコールがもたらす苛烈な効果に過ぎぬのかもしれません。したたかに酔った朝に目覚めてなんともいえぬ倦怠や憂鬱、虚無などを覚えるのは感情の発露の残滓の惨めさに耐え難い嫌悪を感じるからかもしれません。だからこそ夜の到来を心待ちにしてしまうのでしょうか。だとしたら負の感情の連鎖を断ち切らぬ限り、ぼくはこのままアル中なりアルコール依存症への道を突き進むことになる、いやもうすでになっているのかもしれません。それは好ましくないなあ。今晩からは感情が昂るまでは呑まないようにしよう。
2021/06/06
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「万福亭」 間々田「喜楽」 間々田「居酒屋 夢」 間々田「番館坂」 小田林「呑み喰い処 藤也」 小山「食堂 みなづき」 小山「大衆食堂 若樹」 小山「焼鳥 田舎」 石橋「石島食堂」 石橋「みかさ食堂」 雀宮
2021/05/29
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「小菊」 久喜「居酒屋 とんぼ」 東鷲宮「たぬき」 鷲宮「大三元」 古河「みどり」 古河「居酒屋 夏子」 古河「東一」 古河「鳥よし」 古河「マスダ食堂」 古河「みやちゃん」 野木
2021/05/27
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「焼鳥 えみ」 北鴻巣「中国料理 金鶏」 北鴻巣「居酒屋 てまり」 桶川「一福」 上尾「やきとり 大将」 上尾「中国料理 大吉」 鉄道博物館「小山屋」 大宮公園「食事処 きっちん なおい」 土呂「車屋」 白岡「万六屋」 白岡
2021/05/25
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「石井フライ店」 熊谷「若竹食堂」 熊谷「ふじや」 熊谷「ごばん」 熊谷「うどん 天狗屋」 熊谷「奉天」 熊谷「蘇州」 熊谷「居酒屋 千」 吹上「梅や」 吹上「あさひ飯店」 北鴻巣
2021/05/23
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「大衆食堂 田島屋」 深谷「居酒屋 八甲田」 藤原「みちくさ」 藤原「むさし屋食堂」 籠原「三姉妹」 石原「どんぐり」 熊谷「中華 山川」 熊谷「さつき」 熊谷「和ちゃん」 熊谷「大衆食堂 百万石」 熊谷
2021/05/22
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「16時間断食」ないしは「8時間ダイエット」のつづきです。かつて1日1食を苦も無くこなしていたのだから、1日2食なら楽勝と軽い気持ちで始めた訳ですが、実際やってみるとそれなりの我慢が必要であることが分かってきました。勤務先の休憩時間は大雑把に決められてはいるけれど、会議などでスケジュールを抑えておかねばならないような場合以外は比較的柔軟に取得できます。また、さほど残業が多い業種でもないから、このダイエットのルールから逸脱することもなく無理なく夜の活動を継続できています。だから仕事のある日についてはさしたる問題はないのです。むしろ辛抱を要求されるのは、日曜日や祝日です。特に先般のGWは、ちょっと辛かったなあ。緊急事態宣言で不要不急の外出を控えよとのことでありましたから、愚直にも1度買い物に出た以外は外出自粛を遵守したこともあり、町に出歩いて気を紛らすこともできなかったのです。出掛けても呑めぬのなら家でグダグダしていた方がいいと思っていたのですが、生活のリズムを崩したくないぼくとしては、朝6時の起床は変えたくなかったのです。そこから午後2時頃までは、結構長いですよお。単に1日2食であれば遅めの朝食、いわゆるブランチにすればさほど苦には感じないでしょうし、仕事をしていたら多少なりとも緊張感があって気も紛れるというものです。しかし、家にいると余程熱中するような趣味でもない限りは、8時間も食べずに過ごすのは案外厄介なことなのです。職場には当たり前には食べ物がないというのも大きいかもしれないなあ。家だとちょいと摘める食品があれこれとありますから。 ところで、何度も書きましたが、このダイエット法は「16時間断食」ないしは「8時間ダイエット」と呼ばれているようです。ぼく個人としては、前者に取り組んでいるつもりでいます。後者や別な呼ばれ方である「16:8ダイエット」は、楽しくないのです。前者の場合は、夕食=晩酌の終了時刻が遅くなればその分、翌日の昼食を繰り下げるなりいっそのこと抜いてしまえばいいのですが、後者の場合、例えばある日の昼食を午後2時に取ったとすると夜の10時には飲食のタイムリミットとなります。タイムリミットが呑んでる最中になってしまっては、詰まらないからそれじゃあ長続きさせるのは困難に思えるのです。1日24時間というのが「16:8」に分ける理由なのでしょうが、16時間のみ断食状態に身を置くという条件であれば夜遅くまで呑んでしまったとしても翌日の我慢で精算できるということになります。これはあくまでも我流なので、このダイエットメソッドに沿っていないのかもしれませんが、まあ効果がみられる以上は我流を通したいと思っています。もし真似ようという方がおられるなら自己責任にてお試しください。まあ、このダイエットって、多くの人にとっては1日3食だったのを1日2食にするというだけのことだから、摂取カロリーも概ね減少するという点で痩せてちっとも不思議じゃないだろうという至極ごもっともな意見もあるから、無理するのはアホ臭い気もしなくはないのですけど。
2021/05/22
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「居酒屋 、(テン)」 本庄「もりた食堂」 本庄「みさお」 本庄「みんみん」 本庄「濱庄」 本庄「焼肉飯店」 本庄「中華 喜楽」 籠原「居酒屋 大都会」 籠原「とみちゃん」 本庄「居酒屋 どんたく」 深谷
2021/05/20
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さて、「16時間断食」ないしは「8時間ダイエット」を始めて1カ月半でありますが、このダイエットの方法や注意点などはネット上に多くの情報があるから繰り返すことはしません。ここでは、実際にぼくが取り組んでみてのその感想などを記すことにします。 まず、世に数多存在するダイエット方法のうち、この方法を採用するに至った理由を述べておきます。それは人生最初のダイエットが1日1食だったことが影響しています。1日1食を成り立たせていたのは、このダイエットを実行していた頃はまだまだ若かったから、1度に大量の食事を摂取できたことが根本にあったのだろうと考えています。年を取るにつれ一時に摂取できる栄養量が減少し、最近は高齢者が1日3食を取るという状況が分かるようになりつつあったのです。若い頃、老人たちがいい年をして食事を律儀に3度食べることを不快とすら感じていたけれど、3度に分けてでないと一日に必要な栄養を摂取できないとなれば話は別です。それでも今のぼくであればちょっと我慢すれば1日を2食で乗り切ることもそう大変ではないと思ったのが、このダイエット法に注目したきっかけであります。朝食を諦めさえすれば、昼食、夕食は食べられるのだから充分実行可能と考えたのです。ぼくにとっては、朝食というものに対する優先順位はかなり低い位置にあるのです。といったところで、長くなったのでつづきは次回―どこまで引っ張るつもりだと苛立つ方もいらっしゃるでしょうが、次回にて終了となるので堪忍してください―。
2021/05/20
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「光徳」 桐生「高沢食堂」 岩宿「食事処 あざみ」 岩宿「かしわ屋」 阿佐美「日進食堂 本店」 伊勢崎「赤城食堂」 新伊勢崎「味良久」 本庄「鍵屋」 本庄「扶桑園」 本庄「テッポ屋」 本庄
2021/05/18
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ぬか漬け効果も過去のものとなり、以前以上に塩分摂取には気を使わなければならぬ年齢になってしまったからには、ぬか漬に依存することは避けねばなるまい。と減量対策に手をこまねいていた期間がいささか長かったようです。年に1Kg程度という緩やかな上昇であったのが、危機感を醸成するに至らなかった要因となりました。気付けは第2派の際に急激な右肩上がりに状況が激化した時の危険水域に達していたのです。これはいかんぞ、どうしたものかと思い悩む猶予など残されていません。極力樂チンで食事や飲酒制限の少ないダイエットはないものかと早速にネット情報に飛び付くのでありました。まさに格好のダイエット法がありました。それが「16時間断食」だったり、「8時間ダイエット」とも呼ばれるダイエット法なのでした。今まさにその実行中であるため、その効果のほどを正確な数値データとして提示することはできないのが残念ですが、一定の成果が出ていることは間違いないようです。目に見える効果としてはきつかった衣類に余裕が出てきたこと程度ですが、しばらく面識のなかった知人から一回り痩せたんじゃないかと言われたことはその成果の現れと考えて良さそうだし、大いに励みになったのでした。現在開始して1カ月半程度に過ぎぬ訳で慌てて結論に飛び付くのは禁物ですが、モチベーションを切らさぬのがダイエットの秘訣、いや最低条件だから気長に続ける所存であります。といったところで、次回はごくたどのように16時間ダイエットを実行しているかを具体的に書きたいと思います。
2021/05/18
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ぬか漬けの効果は、驚くべきものがありました。食事開始時にオードブルやサラダ代わりに定期的に食べるようになって3カ月程度で10Kg、その後もじわりじわりと体重減少は続き、1年半程度で20Kg以上の減量に成功したのです。ならば今でもぬか漬けを食べ続けているのかというとそうもいかず、今では田端の立呑み屋でたまに食べる程度となりました。つまり食べ過ぎて飽きてしまったのですね。それと塩分摂取量が気になる年頃になってきましたから、毎日たっぷりと食べていてはそれはそれで問題が多いという訳です。痩せる過程で身体に生じた変化の最たるものは、生まれつきお腹は弱い割に便秘がちなぼくが、一日に数度大量の排泄が見られたことです。ぬか漬けに含まれる乳酸菌などの微生物が体内で大暴れしてぼくの堆積した脂肪を猛然と食い尽くし、それがそのまま体外に押し出されているようだったのです。排出物を確認すると、これは痩せるのは当然だなあと思えるだけの結果に繋がったのであります。話を戻しますが、嬉しいことにぬか漬けを控えてしまっても痩せた状態が数年に亘って継続したことです。多くのダイエットがそれを中断した途端に当初より太りやすく体質が変化して、もとよりずっと太ってしまう、いわゆるリバウンド状態がしばらく訪れなかったのです。当時は羨ましがる知人たちに対して、ぼくはもう今後太らない体質となったのだよと吹聴したものです。しかしそんな幸運は長くは続かず、しばらくするとじわりじわりと体重が増えだしたのですが、その増え方は遅々としておりまあこの先、食も落ちて安定するだろうと安易に考えていたのでした。でもその考えは甘かったようで、人生における過体重の第3波に見舞われることになるのは、若い頃と変わらず呑み(食は明らかに落ちてきましたが)続けてきたから、やはり必然的であったのです。
2021/05/16
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「大安」 西桐生「一二屋」 西桐生「和英」 西桐生「二三」 西桐生「志多美屋 支店」 西桐生「友奴」 桐生「居酒屋 くいしんぼう」 桐生「大学寿司」 桐生「末広ラーメン」 桐生「菊屋食堂」 桐生
2021/05/15
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ともったいぶったというよりは、引き延ばし工作であることが見え見えの所業をいつまでも続けるわけには参りません。人生2度目のダイエットに晴れて採用された食品はぬか漬けだったのでした。ぬか漬けには元々とても興味があったのです。というのもぬか漬けには目がなかったからという他愛ない理由でありまして、酒場では好んで注文したものです。でもいかにも割高な気がして頼むのに躊躇する場合があったから、ならばさっさと自分で漬ければ安上がりであろうという考えが芽生えるのも当然のことなのです。だけれど、どうにも手出しできなかったのには理由があります。それは身近に少なからずいるぬか漬け職人たちが語るところによれば、夏場にほったらかしにすると数日経たぬうちに表面がカビに覆われるというのです。夏場にしか比較的長期の休みがとりにくい、つまりは旅行しにくくなるのは困ったことだなあと思い込んでしまったのでした。でも思い起こすと彼ら職人たちは、時折旅行に出掛けていたではないか。犬とか猫などのペットのような苦労はどうもしていないはずなのです。そこで調べてみると、ぬか床の表面にガーゼを被せて冷蔵庫で寝かしてしまうことができるようなのです。何だよ、そんな簡単なことだったのか。という訳でホーロー製で収納性に優れる直方体型のぬか床容器セットを早速購入したのです。ぬか床はすぐに美味しいぬか漬けが食べたいから、近所の今はなきベラボウに旨いぬか漬けを出してくれた居酒屋から譲ってもらう段取りとしました。早速持ち帰り着けてみたけれど、どうも漬かり具合が今ひとつといった試行錯誤の末にようやく満足いくようになった頃―開始して3か月後位だっただろうか―には、人生至上マックスに達していた体重は10Kg近い減少を遂げていたのでありました。冷蔵庫用ホーローぬか漬け容器 水取器付 WT YH-805 多分これを買ったと思います。
2021/05/15
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「一善食堂」 石鳥谷「もっきりや」 花巻「夜来香」 花巻「竹駒」 花巻「叶や食堂」 花巻「やすふじ食堂」 花巻「みな食堂」 花巻「かっぱ飯店」 花巻「キッチンフライパン じゃぐ」 花巻「ます屋」 花巻
2021/05/13
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では、いかなるダイエット方法によってぼくが劇的な変化を勝ち取ったかについて、お話させていただきましょう。前回書きましたが1度目のダイエットは、本来の目的がダイエットではなく食費の転用をきっかけとしていましたから、その相乗効果もあって、うまくいったようなものです。仕事を始めて小金を持つようになると、安食堂での昼食代位はなんとか捻出もできるのでありまして、せっかくのスマートな体型も年を追うごとに肥大化を余儀なくされたのです。ぼくの太り方はお腹だけがポッコリと出る訳ではなくて、チョコレートフォンデュを浴びるかのように全身が一斉に膨れ上がるのでした。ポッコリお腹だと衣類だけ買い替えれば足りるけれど、ぼくのような太り方は靴も入らなくなるし、帽子も被れなくなるから物入りで困ってしまうのです。ということで、デブ化の第2派に見舞われたぼくは、何を参照するでもなく、今時のアホっぽい評論家が好んで用いるところの言い方では何らエビデンスなしに、とある食材を食事の始めに必ず食べるようにしたのであります。そうそう田端の立呑み屋に頻繁に通うようになったのもほぼいつだってその食品があったからなのです。空調設備が扇風機だけのその酒場に夏場に余り通わなかったのは、熱暑に耐え兼ねたからではけしてなくて、その時期はその肴の提供が少なくなるからなのだと申し上げておきます。とかだらだら書いているうちに紙幅が尽きてしまいました。続きはまたも次回へと順延となるのでした。
2021/05/13
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ぼくは生まれた頃はぽっちゃりとした可愛らしいお子様だったのであります。しかし、小学生の高学年になる頃には可愛くないぽっちゃりと成り果ててしまい、何とかしなくてはと思ったのかなあ、ダイエットを決意したのであります。なかなか思い通りに痩せることができず悩んでいた頃、ちょうど引っ越しやら親の単身赴任やらが重なったのです。その土地は昼食は弁当だったり、学食や購買でパンを買うなど、つまりは給食がなかったのでありますが、これはぼくにとっては僥倖であったのです。その頃には映画を見ることが習慣化し始めていたこともあり、毎週末にもらえる昼食代はもれなく映画館の入場料金に充てられることになったのです。趣味を充実させると同時にランチ抜きのダイエットを余儀なくされることになったからです。結果、高校を卒業する頃には標準体よりもやや細身となり、それはより趣味へと傾倒した大学時代も維持されることとなったのであります。しかし、就職後持ちつけぬ大金(でもないけれど)を手に入れてしまい、ぼくは着実に体重を増加させることになったのでありました。わが人生におけるもっとも肥大化した状況は就職後、10年程で到来したのです。何をきっかけにしてそれではいかんと思ったのか、今となってはしかと思い出せぬのでありますが、その後、一念発起してダイエットに励むことになるのでした。結果は思った以上に早期に現れました。半年後にはほぼ標準体重まで落とすことに成功し、その後もゆっくりとしたペースで体重減少が確認されました。一体どうやってそれほどまでのダイエットに成功できたのか、気になる方も少なくないでしょうが、この続きは次回へと引っ張るのでありました。
2021/05/11
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たまたま手に取ったマンガ、『空挺ドラゴンズ』(桑原太矩作,既刊10巻)がとても面白かった。といってもぼくの好きなタイプのマンガなので、一気読みするのがもったいない、加えて読み切りの短編スタイルということもあって、まだ1冊しか読んでいません。だからこの先どういう展開が待ち受けているのか、第1巻のパターンを踏襲するのかは不明ですが、ゆっくりと読み進めようと思っています。 物語りが展開するのは、龍(おろち)と呼ばれる生物が棲息するファンタジー世界でありまして、そこを舞台に、龍を狩ってその肉を売り捌くことで生計を立てる龍捕りたちの日々を描くストーリーとなっています。野田サトルの『ゴールデンカムイ』や林田球『ドロヘドロ』などと同様に現在のマンガ界の重要なヒット要素であるレシピを備えたグルメマンガ的なところも魅力です。というか捕獲した龍を用いた料理を主人公らが調理して旨そうに食べるコマこそがこのマンガの最大の読みどころとなっています。龍の尾身ステーキサンド、極小龍の悪魔風、龍のプレステリーヌなどが紹介されています。ただ、1巻を終えた時点で述べるのは早計ですが、惜しむらくは、肉が龍になっているだけでそれが牛豚鶏に置き換わっただけに思えることです。これは龍じゃなきゃっている調理法や仕上がりの料理が登場することを期待しています。 ぼくはずっとファンタジー小説などが苦手だったのですが、ここ10年位で日本のマンガ家たちによって構築された世界観と物語の豊かさに触れ、長年の苦手意識を払拭することになりました。異世界転生ものに見られがちな現実逃避的なストーリーにすら読ませるお話もあり、これを読んでいる限り日本のマンガの将来は明るいと思うのです。 折角なので、末尾に『空挺ドラゴンズ』第2巻の酒場シーンも。
2021/05/08
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ぼくが大学生時分には、山田宏一氏が最高の作家でありました。最高に憧れ、最高に洗練され、最高に愛すべき作家だったのです。でもその存在は世間にはあまり知られていないんじゃないでしょうか。いや、ぼくが思っている以上に有名な方だったりするのかもしれません。なんて書くと謙遜を装ってみせる半面で、いかにも自分は物を知っているようで嫌な感じがするかもしれませんが、ぼくが山田氏を知っているのは、単にかつて映画好きだったからに過ぎないのであります。山田氏はいわゆるところの映画評論家なのです。だから、映画に興味がない、もしくは映画は好きだけれど映画を巡る文献など興味がないという方はそもそも知るきっかけはほとんどないはずなのです。でも、このブログを御覧になる方の多くは、酒場好きであろうかと思います。酒場好きで酒場関連の書籍にマメに目を通している方で、その文章を注意深く御覧になっていたとしたらもしかするとこの山田宏一という固有名詞に遭遇したことがあるかもしれません。この詳細については後述するとして、山田氏とはどういう方かの略歴を例によってウィキペディアから引用すると「インドネシア・ジャカルタ生まれ。東京外国語大学フランス語学科卒業。1964~1967年にパリ在住。その間「カイエ・デュ・シネマ」の同人となり、ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォーらと交友する」とあります。特筆すべきはやはりヌーベルバーグの映画作家たちとの関係でありまして、その詳細をお知りになりたい方(いや、ご存じない方もぜひ)は代表作のひとつである『友よ映画よ』を紐解いていただくのが一番です。とまあ山田氏のことを久々に思い出したのは、先日たまたま太田和彦氏の『ふらり旅 新・居酒屋百選』(BS11で放映中の居酒屋探訪番組)を見たためなのでした。テレビで見る太田氏は気取り過ぎで必ずしも好きになれないところがありますが、その文章は酒場本を執筆する方の中にあって、端正な文章と上品なユーモアで他の追随を許さぬ書籍として結実しています。太田氏と北方謙三との対談だったかと思うのですが、そこで山田宏一氏へのリスペクトが語られていたように記憶します。これはうろ覚えですが、紀行作家として宮脇俊三氏も尊敬されていたような。いずでもぼくの好きなジャンルであり、それを語る作家さんたちを結び付けるのが太田氏というのが素敵だなあなんて、それだけが語りたいだけの文章でありました。
2021/05/06
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「食堂 田舎家」 厨川「こずかた」 大釜「ふじた食堂」 仙北町「めしっこ」 仙北町「吉松食堂」 仙北町「横屋食堂」 矢幅「番屋」 紫波中央「松竹食堂」 紫波中央「酒房 はわい」 紫波中央「寿苑」 紫波中央
2021/05/04
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「鳥八」 西大宮「福寿」 中浦和「とんとん軒」 角田「中華料理店 かんの」 角田「片平食堂」 大泉「鈴乃木」 大泉「駅前食堂」 大泉「明華」 菊名「食事処 八ぜん」 菊名「琴」 青山
2021/05/01
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「お食事処 向日葵」 野上「宝来」 野上「多加」 長瀞「林鶏肉店」 逆井「手羽焼 いってんばり」 逆井「美和」 上総湊「かいこんち」 大野原「おおはた」 大野原「食処 しょっぷ」 大野原「うおたか」 秩父
2021/04/29
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最近は、こうして古い酒場などを探し求めてストリートビューを眺めるのにもちょっと飽きてきたけれど、それにしてもこれで82回目になるから通算820軒もの行きたい酒場リストが出来上がってしまった訳です。無論、この中にはいかにも閉業しているような店も少なくないし、実際そういうご指摘も頂いています。まだまだ未踏のお店が日本には各地に点々としているなあと嬉しくなる一方で、こんな状況下でなくてもそうそう足を運べるわけじゃないことについ嘆息してしまうのであります。せめて生活圏の都心からフラリと足を向けられる場所ならあと1年程度生き延びることができれば、足を運ぶこともできるのでしょうが、今現在、無理して出向くのもちょっと違うんじゃないかという気もするのです。そうして躊躇するうちにも次々にお店が閉業してしまったとしても、それを嘆いてばかりいるのは、やり切ってやめていかれる店の方たちへの失礼に当たるようにも感じられるのでした。それに、ちょっと探りを入れてみただけでこれだけの物件に行き当たるのだから、もう少し綿密にリサーチしたらこれの倍では収まらぬ程度の魅惑物件があるのだろうと推測するのです。実際に、ストリートビューでは表示できないけれど、投稿された画像を見る限りにおいて、とんでもなくカッコいいのも少なくないから実際には3倍以上はあるはずです。つまりぼく予想では、2,400軒以上はあるからそれだけでも毎晩通って6年以上は掛かる計算になります。仮に半分が閉業したとしても、3年以上掛かっても通いきれぬ程度の軒数が残るとしたら、そんなに慌てなくてもいいんじゃないかいって気にもなってくるのでした。なんていかにも屁理屈っぽいですねえ。
2021/04/27
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ということで、前回からのつづきになります。「子供の頃から料理を作ってきた」ので、料理するのにはホトホト疲れてしまっていたのです。そりゃまあ、例えば、カルディなんかで簡単に輸入食材を入手できるようになると未知の食材を試してみたいと発作的に料理に対する情熱が戻ったこともあるし、やはりタイだったりインドネシアだったり南インドだったりアジア各地のスパイス調達が容易になると再び料理に興味が湧いたりもしたけれど、それはめっきり新しいおもちゃに飛び付いてしまう幼児的な好奇心の発露に過ぎず、まさに幼児がすぐに飽きて次のおもちゃに飛び付くのと大差なかったように思うのです。残り少ない人生を料理に時間を掛けるのは、無駄な事のように感じるようになったのです。時間が無駄というだけじゃなくて、面倒で仕方なかったのです。 しかしですね、最近になって料理がちょっと楽しいと思えるようになったのです。というのが、シンプルな食材と調理法で作った料理なのに、ちゃんとした材料を使ってレシピの指示通りの手順で調理することで予想外だったり想像を遥かに超えた仕上がりになるという僥倖に恵まれたからなのです。しかもそれが立て続けにあったから驚くべきことです。本当に優れたレシピに遭遇することはぼくにとって滅多にない事なのです。今、もっとも注目しているのが樋口直哉氏という方で、服部栄養専門学校卒業という料理家でありながら、『大人ドロップ』『さよならアメリカ』などを執筆する小説家でもあります。ネットでは、料理人でありながら作家でもあることがさも珍しい事のように記されていたりしますが、ぼくには両職業は親和性があるように思えるのです。この方の食材や調理手法の考え方は、徹底して科学的かつ合理的であり、人によっては料理は理屈じゃなくて愛情だなどという反発もありそうですが、理屈抜きの愛情というのは早晩破局を招くものです。この方のレシピを参考にした料理を先日実践、実食しましたので、近日報告します。
2021/04/24
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