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私は、このページに書き込んで良いものか?悩みました。
パソコンの前に座り、このページを開いては閉じ、悩み。
又開いては、悩み、そして閉じ、又悩み、開いてはみるが、どうしても書けず閉じてしまう。
こんなことを数日間くりかえし、やっと書いてみることに決めました。
いつも、フザケテいる私が本当に真面目に書きました。真剣に書いているが故に文章が支離滅裂になっているのが自分でもよく判りますが、お付合い下さい。
じつは、7日の早朝というか夜中3:00時位(実際にはよく判らない)に私の甥っ子が死にました。
風呂場で手首を切っての自殺です、家人が寝静まったのを見計らって湯船の中で手首を切ったそうです。
遺書は奥さん宛と子供2人それぞれに宛てた3通が残されていました。
甥っ子は昭和31年生まれの49歳、昔で言えば働き盛り会社にとっては一番の要のポストにあるべき人材のはずでした、が、今は少し違うようです。彼が言うには、一番必要のない年齢の管理職らしいです。
と言うのも、彼は大学を卒業後、当時伸び盛りの企業。
今のIT企業の様に合併、吸収しあい肥大化していく途上の大手小売業。
当時の最大手スーパーマーケットチェーン(ダイエーではない)に入社し、出店、出店を繰り返し急成長を遂げていく企業に身を置き1日15~6時間働くのはあたりまえ、1ヶ月の休みは2~3日休みがとれれば有難い、という仕事を真面目に真剣にこなしたお陰か?28歳という若さで新店の店長を任され。
30歳で伴侶をめとり女子2名の子供にも恵まれ。
すべてが順調でした。
しかし、会社は国の政策か銀行の思惑か一夜にして倒産(当時大変騒がれた)、会社更生法の適用を受け店舗の縮小をしつつ全社員で頑張った。
再生に加わったイオンの(あえて実名をだす)ド汚いやり方にも屈せず。
なぜイオン(旧ジャスコ)の実名をあえてだすかと言うと私は以前よりイオンのやり口の汚さには呆れていた一人だから書かせていただきました。
その中で一番腹立たしいのは、ジャスコの創業者である二木一家の処遇である。事実上乗っ取ったのは岡田氏であるのは明白である。
その話は後にまわすとして。
話をもどし。
その間、給料は手取りで10万円を切る月もあったという、よく耐え、頑張ったかいがあり去年ようやく会社は更生したというのに、なぜ今になって・・・・・・・・
残念です。
そんな会社・・・・・。
必要がないと、されたのならサッサと辞めてしまえばイイだけなのに・・・・・
何故、何がこの行動を起させたのか?
残念です・・・・・。
辛いとき、シンドイときに真面目に頑張った人間を平気で切り捨てられる神経の持ち主が日本を支えているとしたら日本に未来は無いと私は思う。
今まで、夜も寝ずに、血のションベン流して頑張ってきた人間が今の日本を創ったんだ。
海外に大きな顔をして、ノービザで出入りできるのも、今の経済水準に押し上げた人間がいるからだ。
兎に角、私は悲しいんだ・・・・・・。
残念なのだ・・・・・。
こんなお爺より先に逝きやがって。