[ZULU RAND]~その7~


今日はズールーランドに行き、その近くにあるラリーさんの実家に行く予定だ。ホントはラリーさんだけ体調のすぐれないお母さんをお見舞いに行く予定だったのだが、ズールーランドより普通の暮らしのほうが興味あったので、「実家に僕も行ってもいい?」と言ったら全員でラリーさんの家に行く事になったのだった。
朝食後、すぐに出かける。僕は運転をかって出た。まず、車で20分ぐらいのところにあるゲートウェイというショッピングセンターに行く。なぜここに来たのかは知らないが先導されてついていった。ゲートウェイは大きかった。おみやげ屋やスポーツショップ、レストランや映画館まであらゆる店があるが、安くない。Tシャツは\2000くらい。ナイキなどの輸入品は日本で買うのと同じくらい。ダチョウの卵にきれいな装飾や彫り物をしてあるおみやげにいたっては\8000を超えるのもある。う~む、確かに食べ物や酒は安い。しかしその他はあんまり日本と変わらない気がする。日本製の電化製品に至ってはほぼ倍なのだ。ぐるっと一回りしたあと、ラリーさんのお母さんにプレゼント用に花束を買い、ラリーさんの実家に行く事にした。
約3時間、休憩無しで一気に走った。途中の光景は北海道の田舎町みたいに、畑が見渡す限り続くところが多かった。しかもハイウェイを歩いている人もいる。確かに、道路はこれ以外無いのかもしれない。しかし、どこにも家はないのだ。畑と道路だけ。一体どこから来たのだろう。

ズールーランドとは、民族館みたいなものだそうだ。明治村のようにかつての暮らしを再現しているらしい。今、ズールーの人たちは普通に服を着て生活しているが、かつては裸で暮らしていた。部族の踊りや儀式みたいなのが見られるのかもしれない。でも、観光客が来ると、服を脱ぎ出し準備するらしい。おもしろそうだ、ぜひ見てみたい・・・しかし、今回はラリーさんの家に来るまでに時間をかけすぎて、時間が無くなった。残念である。ズールーランドに行く機会のある方は、ぜひ感想を頂きたい。

ラリーさんの家はズールー人がたくさん住む集落にあった。お兄さんのシアンダが僕らを出迎えてくれた。横にはピカピカのVWが置いてある。『新車ですか?』と聞くと「No, that’s already two weeks old」と笑った。お母さんは黒い喪服のようなものを着て出てきた。昨年秋に、ラリーさんのお父さんは亡くなった。一年間は喪に服し黒い服を着るのだそうだ。やはりあまり体調が優れないのか、元気がないようだ。でも花束を渡すとにっこりと笑った。
ラリーさんは「歓迎のバーベキューをシマス。これから買い物に行きマショウ」と僕らを誘った。ここの集落にあるスーパーマーケットには、意外にもホワイトもいた。だが、客の9割以上はズールーだろう。やはり東洋人は珍しいのか、露骨にジロジロ見られる時もある。そんな時は目を見て「サワボーナ!」(こんにちは)と言うと、「ンジャーニ」(あいさつの返事)と返してくれる。あいさつをすれば好奇心、敵対心みたいな視線は送ってこない。最初は(油断すると襲われるかもと)ぴりぴり警戒していたが、慣れればそんなに危なく感じない。でっかいハム、4Lのアイスクリーム、刺激的な匂いのする量り売りの香辛料売り場、見た事のない野菜など日本とは違う生活感が面白かった。

ハム、でかっ!
ラリーさんの家に着くと弟が近所の友達と炭を起こしはじめ、僕らは庭でビール飲みはじめた。そこへ長男のファンファンが現れた。『お前達が来る事は、弟から聞いてたぜ。どうだい、この国は?』と早口で言った(ような気がする。)僕らがほとんど英語が出来ないので、彼の言っていることがあまり理解できない。ラリーさんに「スラング禁止でゆっくり話すように言ってよ」とお願いした。ファンファンは『I love you, babyって日本語でなんて言うんだ?』と聞いてきた。「愛してるよ」と教えたが、なんだか面白かった。僕はラリーさんに「こんにちは」と「ありがとう」のズールー語を最初に教わった。「愛してる」なんて言葉を教えてもらう事は少しも思いつかなかった。
ズールー(南ア?)は学校教育そのものが英語だから学校に通っている子は英語が当り前に出来る。彼らにはなぜ日本人が英語が出来ないか理解できない。『日本人は学校で英語を習わないのか?』の質問には『一生懸命勉強したんだけどねぇ』と濁した。
弟達が、網にのらないくらいの大量のチキンを焼きはじめた。いいにおいがあたりを漂う。僕らは昼飯を食べていない。時間はもう3時を過ぎていた。やっと食べ物にありつける、みんなそう思っていたはずだ。しばらくして、気がつくとチキンはなく、網の上にはステーキがのっていた。「あれ?チキンは?」「家の中デス。」 ここでのバーベキューとは網の上で焼けたものから自分で取っていくスタイルではなく、ちゃんと皿に盛って家の中で食べるスタイルだったのだ。どおりでそんなすみっこで焼いていたのね。
近所のガキンチョ達と
「出来マシタ。皆さん食べマショウ」と言われたのは4時すぎだった。最初にお母さんとお父さん代りのいとこで感謝の言葉と歌があった。テーブルにはチキンやステーキのほかにサラダとマッシュポテトがある。それを自分の皿に取って食べる。マッシュポテトは食べてみると何か違う。あまり味がない。ラリーさんに聞くとライスパウダーを練ったものらしい。「おいしいデショウ?僕好きデス」と言うので、「うん、まあまあね」と答えておいた。食後には、皆で記念撮影をした。ラリーさんがやけにはしゃいでいた。よっぽどうれしかったのだろう。なんだかこっちまでうれしくなった。
夕日がほとんど沈んだ頃、僕らは帰る事にした。お母さんに「僕のアフリカのお母さん、お元気で。また会いましょう」と言ったらとても嬉しそうに抱きしめてくれた。シアンダは外に出て『また来いよ』と手を振った。

帰りのハイウェイは真っ暗だった。行きで見た「畑だけ広がる何もないところ」らしい。空を見上げるとびっくりするくらいの満天の星空。どれがどの星かもわからない。こんなに星が見えたのは初めての経験だろう。天の川がどこまでも続き、無数の星が夜空を彩っていた。
「南半球だから南十字星が見られたんじゃない?」と聞かれたらこう答えよう。
「うん。見たよ・・・多分ね。」
シアンダと子供たち


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