存生記

存生記

2011年03月12日
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地震が起きたとき、池袋のカフェの地下のフロアでパソコンを操作していた。ニュージーランドの地震の映像が目に浮かび、嫌な予感がした。好運にもビルは持ちこたえた。隣の席のおじさんが「こういう時はトイレに隠れるといいんだよ。頑丈だから」と話しかけてきた。建築関係の人だろうか。とはいえトイレには逃げたくない。

一階に上がるとすでに店内はもぬけのカラだ。店員も客を誘導する余裕はなかったとみえる。路上には所在なげなたくさんの人が立ちつくしている。

ここから長い一日が始まる。このときはまさか帰宅するのにこんなに苦労するとは思わなかった。別のカフェに入り、ケーキセットをたのむ。死ぬ前にうまいものを食べておこうというわけでもないが、こんなときにはケチる気分にはならない。電車が動き出しても混んでいるだろうから、時間をつぶそうと思い、パソコンを取り出して翻訳を続ける。店内はすでに電車が止まって帰れなくなった人が困っていた。ケータイは通じないが、店内には固定電話があるので列ができていた。

この店もそうだが、どこも地震のせいで早めに切り上げたいようだ。カフェを出てから、ネットカフェにも行ってみたが臨時休業でどうにもならない。自然とあちこち歩き回るはめになった。バスやタクシーの乗り場は、長蛇の列で並ぶ気になれない。人の流れに押されるので、立ち止まって考えることができず、気が付くとずいぶんと歩いていた。

体力を消耗するばかりなので、ファミレスに逃げ込む。階段には列ができていたが名前を記入して辛抱強く待つ。ここに朝五時までいることができた。というか、そうするより方法がなかった。ビジネスホテルも怪しげなラブホテルも満室だった。立大に避難する手もあったが、寒かったら困るのでファミレスを選択した。とにかく寒さがつらいのだ。

喫煙席しか空いておらず煙草の煙に耐える。なぜか周囲はほとんど女性だった。隣のマダム二人組は、腹がすわっていて東京大空襲のときの思い出話に花を咲かせている。親に連れられて日比谷公園に逃げたそうである。しゃべっていると落ち着くのか、二人は朝まで話し続けていた。

午前三時近くになると、寝ようとする人も増えてくる。隣の女子大生は椅子に横たわって完全に寝る体制である。ところが三人組のおばちゃんの笑い声が強烈で、ときどき「うっせんだーよ」「静かにしろよ」と寝言のようにうめいている。

地下鉄が動き出したのはありがたいが、地下鉄だけで帰れるわけではない。閉店だというので外に出るしかなく、地下鉄を乗り継いで家の近くの駅に移動する。朝六時に着くと、電車は七時過ぎに出る予定だというので、寒いホームでぶるぶる震えながら一時間待つ。タクシーはつかまらない。ファミレスもネットカフェも閉まっている。寒いところで待つしかなく、電車はいっこうに復旧する気配がない。構内の定食屋でたぬきソバを食べて暖をとりながら寒さをしのぐ。構内のコンビニで使い捨てカイロを探したがなかった。朝九時近くになってようやく電車が出発した。

すでに構内のモニターでテレビのニュースを流していて、今回の地震がいかに大災害であるかはわかっていた。超徐行運転で進む車窓からはいつもの景色が見えた。小学校の校庭では子供達が遊んでいて、民家のベランダでは布団を干している人がいる。







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最終更新日  2011年03月12日 14時16分25秒


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