Nonsense Story

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秘薬 2




秘薬 2




 彼は一瞬腰を浮かせたが、また ( すわ ) りなおした。あの青年に報せようと思ったのだが、あれは知っているような気がする。知っていても認められないのだろう。ここは一度、好きなようにさせてやってから説得しようと ( ) めた。
 それからどれくらい待っただろうか。青年が帰ってきた。手に赤い薬包紙を握っている。薬を服ませるから少し出ていてくれと ( ) われて、彼は通路へ出た。
 カーテンの隙間から、ほんのりと光が漏れている。あまり車内に光が入らないように外を覗いてみると、一面銀世界だった。やはり雪が降っていたのだ。今はもう止んで、太陽が顔を見せつつある。空は夜明けというより夕暮れのような茜色に染まり、雪に覆われた山々は、淡い紫色に輝いている。
 幻想的な光景に ( ) を奪われていると、背後のカーテンが開いて、インパネスの青年が出てきた。
「ありがとうございます。あなたのおかげで、妹も元気になりました」
 晴々とした表情で頭を下げられ、彼は困惑した。あの娘が元気になどなれるはずがない。
 しかし、青年に導かれて再び寝台の方へ戻ると、あの娘が睛を開け、寝台に腰掛けていた。やはり小袖の下には袴を穿いている。色のなかった頬にはほんのりと朱がさしており、青年に礼を云うように促されると、娘はぺこりと頭を下げた。
「あんやと」
 小鳥の囀りのような声だった。
 いいえと応じながらも、信じられない心持ちでいると、青年が赤い薬包紙を差し出してきた。
「これは、紫雪と云って、加賀に伝わる万能薬です。少し多く作れましたから、お礼にお持ちください。根付の代わりと云ってはなんですが」
 彼は薬包紙を受け取ると、もう一度用を足してから自分の寝台に戻った。先ほどよりも外が暗くなったように感じる。時計を確認してみると、まだ夜明けには程遠い時刻だった。


「それで、わたしの根付がこれに化けたのね」
 彼は、土産の加賀福と一緒に、 ( くだん ) の赤い薬包紙をわたしに ( ) れた。
「まぁ、そういうことかな」
「あなた、一杯喰わされたのよ。その二人、本当は兄妹なんかじゃなくて、駆け落ち中の恋人同士か何かだったんじゃないの? きっと資金がなくて金目の物を探してたのよ」
「たしかにあの二人は兄妹というより恋人同士に見えたけど、駆け落ちの資金調達に詐欺をしたとは思えないけどな。あんな千円かそこらの根付じゃあ、質草にもならないだろ」
 他に無くなっているものもないと ( ) う。どうやら彼は二人を信じたいようだった。
 まぁ、彼の云い分も一理ある。わたしは薬包紙を開けてみた。きらきらした薄紫の粒が入っている。舌でつつくと、懐かしい味がした。
「その娘さんの具合が本当に悪かったのなら、彼女はきっと低血糖だったのね」
「なんで分かるの?」
「だってこれ、金平糖だもの」


 いくら万能薬だと説明されたとは云え、金平糖だと判っていて持って行く旦那も旦那なら、 ( ) ませる ( はは ) も姑である。しかし、思い起こしてみれば、結婚前に貰った怪しい土産を、後生大事に薬箱に ( しま ) っていたわたしもわたしだった。人のことを云えた立場ではない。


 翌日、手土産に旦那の掘ってきた浅蜊を持って姑の家を訪れた。猫は至極元気そうに見える。以前は皮膚に浮いていた腫瘍も、それを引っ掻いて自壊していた痕も、きれいに消えている。
 猫が吐き出したのは、金の梟だった。もとはキーホルダーにでも付いていたのか、頭部に鎖を通すような穴が付いている。猫が飲み込むには少々大きすぎる気がした。動物病院の医師も、これを飲み込んでいたのかと驚嘆していたが、特に猫の体に問題はないという見解だった。
 しかし、レントゲン写真には大いに問題が有った。転移の恐れがあるから摘出手術もできないと云われていた病巣が、どこにも見あたらなくなっていたのである。
 もちろん完治しているならそれに越したことはない。あの金平糖に薬効などあるなわけがないから、姑の漢方治療が効いたのだろう。けれど、そのことを知らない医師は、しきりに ( くび ) を傾げていた。
 念の為にと採血されて帰途に着く。血液検査の結果は、姑の家に電話で連絡してもらうことにした。
 病院に連れて行かれたのがよほど屈辱だったらしく、 ( はは ) の家に帰り着くなり、猫は押入れに入ってふて寝してしまった。縁側なら皐月の長閑な日差しが降り注いでくるのに、無理矢理病院に連れて行ったわたしの ( かお ) が見えてしまうので、出てきたくないようだ。  姑は、猫が回復に向かっているようだと聞いて喜んでいる。わたしは彼女が出してくれた干菓子を摘まんでいて、ふと昨日からの疑問を思い出した。姑は、何故金平糖を猫に ( ) ませたのだろう。
 姑の答えは、名前に惹かれたからだというものだった。
 紫雪とは、金沢に実在した薬の名前なのだそうだ。実物は散剤であったらしい。紫雪は本当に万能薬と評判で、徳川家康が病床に伏していた孫の家光に ( ) ませたところ、病がたちどころに治ったという話も残っているという。現在は、もう製造されていない。
「竹久夢二の小説に秘薬紫雪というのがあるのだけど、その話では、死んだ恋人に口うつしで紫雪を服ませると、恋人が生き返るの」
 姑は十代の娘のように、頬を紅潮させ、 ( たの ) しそうに話す。
 その小説の舞台が金沢の湯涌温泉だと聞き、わたしはちょっと合点がいった。
 あの兄妹の話は、旦那の夢だったのだろう。出張先のどこかで、彼はその竹久夢二の小説を見たか聞きかじったかして、知らず知らずのうちに感銘を受けていたのだ。それが夢に出てきた。だから、兄妹はどこか恋人同士のように見えたのだろう。
「それでね、その薬の原料には、金が使われていたの。こんな少量の金箔じゃなくて、百両もの黄金がね」
 姑はわたしの向かいに座ると、テーブルの上にあった金色の梟を、ちょんと弾いた。


 晩方になって、旦那が姑の家へやって来た。彼は今日、仕事だったのだ。来た早々、姑の拵えた浅蜊の味噌汁を美味そうに啜る。しかも、あっという間に平らげて、いそいそとおかわりを注ぎにいく。あれでは誰の為に持ってきたのか分からない。
 彼は何杯目かの味噌汁を飲み干すと、テーブルに置いていた金の梟に気がついた。
「これ、おれが金沢出張の時に ( ) った根付と同じやつだ。ほら、あの金平糖と交換した。福を招く金福郎。誰か金沢に行ったの?」
 姑とわたしは顔を見合わせた。


 血液検査の結果、猫が完治していたと姑から電話があったのは、それから四日後のことだった。
 全快祝いに、また浅蜊を持って行こうかと思っている。







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