Nonsense Story

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風鈴 2




風鈴 2




「多聞院? わたしは聞いたことないけど。あなた知らないの?」
「うん。多聞院自体は日本各地にあるけど、この辺りにはないはずだよ」
 生まれてから結婚するまで、ずっとこの地で育った旦那が ( ) うのだから間違いないだろう。
 聞けば彼女は、その多聞院というところで人と待ち合わせをしているということだった。一度だけだが、行ったこともあると云う。だから迷うとは思わなくて・・・・・・と彼女は 項垂 ( うなだ ) れた。
 わたしは旦那と顔を見合わせた。途方に暮れる客人の ( なり ) は、どう見ても、人と会うというより農作業に行く時のそれのようである。
「この前の道を左に行った先に交番があるから、そこで訊いてみたら?」
 わたしの提案に彼女は ( かお ) を上げると、そうしますと云って玄関を出た。わたし達も一緒に道まで出て、交番の場所を説明する。何度も頭を下げてから去っていく彼女の後姿を見送っていると、急に空が光った。
 その閃光は ( ) を開けていられないほど鋭く、見る間に視界が白一色になった。建物も彼女の後姿も、空や地面までもが全て、白く溶けて一つになろうとしているかのようだ。
 その後には風が来た。ものすごい強風で立っていられない。しゃがみこんで傍らの旦那にしがみつく。縁側の軒先で、風鈴が狂ったように啼いている。
肌に突き刺さるような突風が止んで、そっと睛を開けると、道路の反対側に老人が ( ) っていた。色褪せたキャップを目深に被っている。
 女性の姿はすでになかった。
 わたしの傍らで、旦那が身じろぎした。
「あなたは広島で会った・・・・・・」
 彼の ( ) は、こちらへ歩いてくる老人を見ている。
 老人はわたし達の傍まで来ると、キャップを取って一礼した。
「風鈴を交換に参りました」
 そう ( ) って上げた ( かお ) は、少し歪んでいた。表情が歪んでいるのではない。おでこから左眼下にかけての皮膚が、微妙にずれて見えるのだ。左眼の焦点も合っていない。見えていないのかもしれない。
「わざわざ広島から? どうして?」
 旦那は目を剥いた。
「不良品じゃけぇです。あれには吊るし糸に金具がついとらんかったけぇ、音がせんかったでしょう」
「え? でも、さっきしてましたよ。聞えませんでしたか?」
「ええ。じゃけど、もうせんはずです。あれは今日の朝しか鳴らん」
 わたしは怪しく思いながらも縁側に向かった。軒先からおろして風鈴の中を確認する。老人の云うとおり金具はなく、糸と短冊だけが虚しく垂れていた。
 しかし、物を見ても、旦那はにわかには信じられなかったようだ。
「だけど、おれが ( ) った時にも鳴ってたじゃないですか。さっきの風で飛んだのかも」
「短冊はついたままなのに?」
「あ・・・・・・」
 短冊を掬うように左手に乗せ、旦那は絶句した。彼が右手に乗せていた小さな梵鐘に、老人が手をかける。
「あの時、あんたには聞えたかもしらんが、わしには聞えんかった」
「どうしてそんなものを売ったんです」
「あんたには音が聞えたようじゃったけぇ。毎年、八月六日の朝に、この風鈴を吊るしとる ( ところ ) が多聞院になるんですわ。なるいうか、あの人が多聞院じゃと思うてやって来るんじゃね。どういうわけか、この風鈴のある処だけが、あの日のあの 場処 ( ばしょ ) になるみたいで。彼女は毎年、この風鈴のある処へ現れる。でも、風鈴さえありゃあ何処でもええいうわけじゃのうて、この風鈴の音が聞える人の処じゃないと 不可 ( いけ ) んのんです。それも一人につき一回だけで。こんな話、信じられんじゃろうけど」
 老人は風鈴を自分の手に取り、愛おしそうに撫でた。
「さっきのあの人は、 ( とし ) の離れたわしの 従姉 ( いとこ ) じゃったんです。六十余年前の今日、午前八時に多聞院で、あの比治山の坂の根で待ち合わせをしとったんじゃけど、わしは遅れて・・・・・・。逢えんまま、従姉はあれで死にました。他の身内も全部おらんなって、わしだけがこの齢まで生き残ってしもうた」
 老人は、あんたを利用したようで申し訳なかったと云い、作業着のポケットから千円札とガラス製の風鈴を出した。青い朝顔が描かれている。旦那が最初に購おうとしたもののようだった。旦那は朝顔の風鈴だけ受け取り、千円札については丁重に断った。
「でも、どうして風鈴のある場処が多聞院てところに・・・・・・」
 わたしが呟くと、老人は微笑んで ( くび ) を傾げた。
「さぁねぇ。こんな形のせいかねぇ。あの時、梵鐘は供出でなかったんじゃけどね」
「比治山の多聞院といえば、平和の鐘があるんでしたね。きっと、彼女が以前行った時には、まだあったんでしょう」
 旦那の言葉に、老人はそうかもしれんですと ( うなず ) いて、キャップを被った。
「せめてあの時、ちゃんと逢えとれば・・・・・・」
 そう呟いて肩を震わせる老人を見て、わたしは彼女を引き止めれば良かったと後悔した。信じ難い話ではあるが、たとえばあれが過去の人だったとするなら、あの閃光も爆風のような突風も、全ては過去の残像ということになるだろう。それならば、あの爆風が過ぎ去るまでうちの中に引き止めていれば、あるいは彼女は助かっていたかもしれない。
 後悔が ( かお ) に出ていたのか、老人はわたしの方へ向き直って ( ) った。
「奥さん、ご自分を責めんとってください。わしはひと目見れただけで十分じゃけぇ。それに、どうやっても過去は変えられん。だからこそ、繰り返しちゃあ 不可 ( いけ ) んのです」
 その言葉を潮に、老人は踵を返した。キャップを被り直し、空を見上げる。
今日も暑くなりそうじゃなぁ。
 そう云って翳した老人の手のひらで、何かがきらりと光ったように見えた。
「あの、手に何か雲母のようなものが・・・・・・」
 追いかけようとしたわたしの肩を、旦那が掴んだ。何故だと見上げると、ゆるゆるとかぶりを振る。けれど、老人の耳には既に届いてしまっていたらしく、彼はこちらを振り返って云った。
「硝子です。あの時の爆風で張り付いて、その後の熱で皮膚と同化してしもうたらしくてね。取れんのですわ。ああ、安心してください。あんたがたの ( からだ ) に影響はないですけぇ。さっきの放射線も爆風も、ただの残像に過ぎん」
 老人は顔の右側だけでにっこりと 微笑 ( わら ) うと、キャップの ( つば ) を深く下げ、今度こそ行ってしまった。


 台所に戻ると、点けっぱなしにしていたテレビが天気予報を流していた。老人の言葉どおり、今日も暑くなるそうである。
「この前の広島出張ってね、 ( かた ) ( ) をしてる人の取材だったんだよ。その人も身体に硝子が張り付いててね。おれは仕事でその写真を撮らせてもらったんだけど、なんか、泣きたくなった」
 旦那は云って、テレビを消した。
「だから平和記念式典を見てたんだね」


 しばらくして、姑がすっきりとした貌で起きてきた。微熱も下がり、その日のうちに咳も治まった。
 姑の夏風邪は、旦那を呼ぶためにあの風鈴が仕掛けたことだったのかもしれないと思うのは、考え過ぎだろうか。








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