Nonsense Story

Nonsense Story

夢現 1




夢現 1




 目覚まし時計の音で目が醒めた。時計のスイッチを押すために布団から出した右手が、あっという間に冷たくなる。モスグリーンのカーテンが、光を ( はら ) んでライトグリーンに染まっている。わたしはのろのろとベットから起き出すと、隣の部屋へと続く襖を開けた。昨夜母が用意した、わたしの振袖が 衣紋 ( えもん ) に掛けてある。裾の辺りには御所車が停まっており、濃い桃色の地に舞い散る桜の花びらが、薄暗い室の中でも華やいだ雰囲気を放っている。畳の上には、 畳紙 ( たとうし ) の中に収められたままの帯と、飾り襟や帯揚げが並んでいる。
 わたしは襖を閉めると、壁に掛けた素っ気ないカレンダーに眼を向け、ため息を吐いた。一月八日。今日は、わたしの見合いの日である。

 とても、長い夢を見ていたように思う。

 夢の中では、わたしは疾うに見合いを済ませ、結婚までしていた。相手は、穏やかだが少々風変わりな男性である。わたしは彼の不可解な言動に戸惑いつつも、それなりに楽しい毎日を過ごしていた。 ( ちち ) は既に亡く、 ( はは ) とも別居の気楽な二人暮らしである。とはいえ、姑は決して ( けむ ) たい存在ではなく、わたしを大変可愛がってくれるので、わたしはよく、彼女の家を訪れていた。


 朝食を摂り、髪のセットや化粧を済ませると、母に着付けをしてもらう。親を伴わない略式の見合いなので、仲人さんには軽装で良いと云われているのだが、振袖など滅多に着る機会がないからと、母に ( ) められた。たしかに、最近は友人や親戚の結婚式にも洋装で出ることがほとんどだ。このままでは減価償却できないと母が危惧するのは、当然のことであるかもしれない。わたしも機会があれば着ておきたいと思っていたので、無理に抵抗することはしなかった。
 折角だからと、母が銀地の帯を畳紙から出してくる。最初にこの振袖に合わせて作った帯である。しかし、成人式直前に、これでは地味過ぎるからと、呉服屋さんが金地の帯を持って来た。向こうは交換という 心算 ( つもり ) だった様子なのだが、母がこの銀地の帯を気に入っていた為、両方 ( ) うことになった次第である。
 成人式の時と同じ、四つ組みの帯締めを締めてもらって完了である。薄桃色と藍白のグラデーションが、金地の帯よりもこちらの帯に良く映えると、母が喜んだ。この帯締めは、昔近所に住んでいた 小母 ( おば ) さんの手製で、厄除けの糸で組んである。
 数えの十八、十九、二十は女の厄年だからね。成人式には、厄払いにこれを着けて行きなさい。
「おっ、馬子にも衣装」
 袋雀が完成したところで、室の前を通りかかった弟が、野次を飛ばして行く。小突いてやろうと足を踏み出したら、姿見越しに、母に睨まれた。
「お見合いにはぴったりの帯締めね」
 等身大の姿身に映るわたしを見て、母が満足そうに腰に手を当てる。これを着けて見合いに臨めば、厄の付いている相手には当たらないだろうと、彼女は思っているようだった。


 見合いは、もともと気の進まないものだった。逢ってみるだけでもと両親に懇願され、仕方なく現在住んでいる ( ところ ) から、仕事の休みを利用して帰省してきたのだ。写真や吊り書きさえ見ていない。相手もそれほど熱心なわけではないのか、こちらへの出張中の休暇を利用して出てくるということだった。相手は仕事中の閑潰しなのだと思えば、こちらも多少は気が楽になる。
 指定された駅前のホテルのロビーに行くと、相手は既に到着していた。仕事中の 所為 ( せい ) か、スーツ姿である。 ( ) われたとおりの軽装にしなくて良かったと、胸を撫で下ろす。
 藤色の着物を着た、仲人の小母さんに手招きされて、彼らの居る壁際の席に急ぐ。硝子張りなので、彼らの向こうにホテルの中庭が見えた。防音にはなっていないのか、水の音がする。獅子威しは無いが、小さな噴水があるのだ。天使のような子供が壺を担いでおり、その壺からちょろちょろと水が流れている。
 簡単にお互いを紹介してから、仲人さんは席を外した。小太りな背中が見えなくなると、わたしは急に心細くなる。初対面の相手と何を話せというのか。
「いいお天気で良かったですね」
 当たり障りのない天気の話でもしてお茶を濁そうとしたら、失敗した。 ( そら ) は冬晴れとは程遠い、曇天である。まるでわたしの心を代弁しているようだ。
 俯けていた ( かお ) を上げ、恐るおそる相手を見ると、くすりと笑っていた。失礼な御仁だ。だいたいこういう時には、男の方が気を遣って先に何か話しかけてくるものではないのか。
 少々腹立たしく思っていると、相手がやっと口を開いた。
「また、お逢いしましたね」
「は?」
 思わずまじまじと貌を見る。決して男らしいとは云えないが、まぁまぁ整った、穏やかな風情の ( ひと ) である。強烈に印象に残るような貌でもないが、そう簡単に忘れてしまうような風貌とも思えない。彼に会った憶えなど、全く無いと断言できる。だが、ここではっきりそう云ってしまうのは失礼な気がして、わたしは遠まわしに憶えがないことを伝える手段に出た。
「あの、何処かでお逢いしましたっけ?」
 相手はにっこり微笑って応える。
「ええ。夢で」
「はぁ?」
 この男は、人をおちょくってでもいるのだろうか。何しろ、出張中の閑潰しに見合いをするような人である。それくらいのことはやりかねない。
「あなたには、また逢えそうな気がしてたんですよね。でもまさか、今日の見合いの相手だとは思わなかったなぁ。写真も釣り書きも見てなかったから。それに、着物姿だったから、最初は分からなかったけど」
 彼は人の良さそうな笑みを浮かべて、熱心に話している。初対面の女性をからかうような手合いにはとても見えないが、人は外見だけでは分からないものだ。これでは見合いというよりナンパではないか。写真や釣り書きを見ていなかったのはお互い様だが。
「あれ、ひょっとして、あなたは見ていない?」
 やっとわたしの仏頂面に気づいたのか、相手はしまったという貌をした。見てると思ったんだけどなぁ。少し、悲しそうに呟く。
 わたしは不覚にも、昨夜の夢のことを思い出した。優しいが風変わりな旦那とその母親。夢にでてきた旦那と比べようとして、彼の貌をよく憶えていないことに気づく。穏やかな雰囲気は似ている気がするが、目鼻立ちが曖昧だ。それと等しく、姑の貌もはっきりと思い出せなかった。いくら長い間見ていたような気がするとはいえ、 所詮 ( しょせん ) は夢なのだから仕方がない。
「ま、そんなもんか」
 相手は意外にあっさりと、夢の話から身を引いた。諦めたように珈琲を啜って、そのまま視線を中庭に向ける。その ( ) がすっと細くなる。硝子の中で、彼とわたしの ( ) が合った。
「生きてらっしゃるんですね」
「は?」
「仲人さんがいたんだから当たり前か。でも・・・・・・参ったなぁ」
 彼は硝子から眼を逸らすと、テーブルに伏して頭を掻き毟った。「何処かで逢うとは思ってたけど、実在するとは思ってなかった。あれは過去のことかと思ってたのに・・・・・・」
 何を言っているのだ、この人は。どうやらまだ夢の話を引き摺っているらしいことは分かった。しかし、逢うとは思ったけど実在するとは思わなかったとはどういうことか。実在しない夢の人物にどうやって逢えると思っていたのだろう。
 ちょっと変わってるけど、とてもいい子だから。
 仲人さんの言葉を思い出して、わたしは 眩暈 ( めまい ) がした。見合いの席でテーブルに突っ伏す相手の、何処が『いい子』なのだだ。本気で云っているのならどうかしているとしか思えないし、からかっているのなら言語道断である。どちらにしても、共に家庭を築く相手ではない。
 身内と仲人さんの云う『いい子』ほど当てにならない言葉はないと思いながら、わたしは半ば呆れて席を立った。
「すみませんけど、急用が入ったので失礼します」
 バッグの中から鳴ってもいない携帯電話をチラつかせて、足早にロビーを抜ける。
「ちょっと待って。今は・・・・・・」
 見合い相手が必死で呼び止める声がしたが、無視した。こんなに早く、しかも話の途中で席を立つなど、失礼なことは重々承知の上だ。あの仲人さんからは、二度と見合いの紹介はないだろう。それはそれで構わない。もともと乗り気でなかったのだから、清々するくらいである。
 二重になっている自動ドアを抜けると、僅か三段の階段を駆け下りる。駅は目の前だ。駅側に渡るため、歩道から車道へ駆け出る。その時、後ろから左袖を引っ張られた。右腕が空を切り、身体が歩道に引き戻される。前に出ようとしていた足が絡まり、わたしは横倒しになった。走ってきた自転車が、急ブレーキを掛ける音がする。それと同時に、どんっと重い音がして、目の前の車道に銀色のバンが停まった。
 車体の前には、見合い相手が転がっていた。即死だった。




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