Nonsense Story

Nonsense Story





きみのこと 2


「こんな所に楽器屋があったんだ。チヅコ良かったね」
「ほんと助かったぁ。今日リード2本もダメにしちゃって最悪って思ったけど、案外ツイてるかもね」
 三人は同じように白い半袖の開襟シャツにチェックのスカートという出で立ちだった。スカートがフジコちゃんのと同じなので、きっと彼女と同じ学校の子達だろう。どうやら、チヅコと呼ばれた娘がクラリネットのリードを買いたかったらしい。
 智樹はショーケースから言われたリードを出して、会計を済ませた。しかし、三人はまだ帰る様子もない。
「他に何か?」
 フジコちゃんの様子が気になって、三人を帰るように促そうと智樹が言うと、
「ここに、ポスターを貼らせてもらえませんか?」と、チヅコが言った。
 彼女達の所属している吹奏楽部の定期演奏会が近々あるらしい。その宣伝ポスターを置いてもらえないかと言うのだ。そういうことは今までにも何度かあったので、智樹は快諾した。
「良かったら、おにいさんも聴きに来てください。この子、今度の演奏会でソロがあるんですよ」
 チヅコが右隣の娘の肩を叩きながら言う。
「へぇ、すごいね」
 智樹が言うと、肩をたたかれた娘は少し恥ずかしそうに首をすくめた。
「でも、代役なんです。ソロを吹くはずだった子がいなくなったから」
「その子、五月に事故に遭ったんです。トラックと。おかげで演奏会も延期になっちゃって」
 チヅコが少し迷惑そうに補足する。すると、今まで黙っていたチヅコの左隣の少女が口を開いた。
「本当に事故だったのかな?」
 下を向いたままボソッと発せられた言葉だったが、みんなが注目した。
「事故じゃないなら、あんたは何だと思うのよ?」
 チヅコの右隣の娘が身を乗り出すようにして訊く。その言葉には、心なしか挑戦的な響きがあった。
「自殺、とか・・・・。あの子、いじめられてるって思ってたみたいだし・・・・」
 左側の少女は相変わらず下を向いたまま、ぼそぼそと答えた。すると、急にチヅコが笑い出した。
「きゃははははは。あんなのが、いじめなんて言えるわけないじゃない。あたし達は、話したくなかったから黙ってただけ。いじめって言うのは、こっそり物をかくしたり壊したりするようなことを言うのよ。例えば、リードとかね」
 チヅコは今買ったリードを振りながら言った。
「それ、去年やってたじゃない」
と、右隣の娘。
「あの子、全然気付いてなかったけどね。あんな鈍感な子が、シカトくらいでいじめだなんて思うわけないって。って言うか、いじめてないしぃ。あれは事故よ。不幸な、ね」
 チヅコは悪びれた様子もなく言い放った。
 左側の少女は下を向いたまま黙りこくっていたが、よく見るとくやしそうに唇を噛みしめていた。
 智樹は胃がムカムカしてくるのを感じた。よほど嫌な顔をしていたのか、女子高生達はハッとしたように、「じゃあ、後でポスター持って来ますから」と言うと、そそくさと踵を返した。
 しかし出入り口のドアまで行った所で、チヅコの左側にいた少女が一人だけ立ち止まり、振り返った。
 智樹が彼女の顔を見たのは、今日はこれが最初だった。彼女はこの店に来てから、ずっと下を向いていたからだ。しかし、あくまで今日は、だった。
 三ヶ月ほど前まで見慣れていた顔が、そこにはあった。
「智樹さんですよね?」
「千晶ちゃん?」
 少女は頷いた。
「どうしてこんな所に? 県外で一人暮らししてるって聞きましたけど」
 怪訝な顔で、千晶は言った。
「会社が盆休みでね。一日だけバイト復帰してるんだ。千晶ちゃんは知らなかったっけ。俺、学生ん時ずっとここでバイトしてたの」
 千晶は一瞬、驚いた顔をした。智樹はそんなに自分と楽器屋とは不釣合いなものなのかと考え込んでしまった。たしかに智樹が演奏できる楽器など義務教育で習ったリコーダーくらいのものだ。しかしバイトとはいえ、三年間もここで働いていたというのに。
「お姉ちゃんに会いには来ないんですか?」
 千晶だと気付いた時、予想できた問いではあったが、智樹は言葉につまった。そして考えた末に、質問に質問で返した。
「高町からは何も聞いてないの?」
「聞いてるけど。智樹さんこそ、菅田さんから何か聞いてるんじゃないですか?」
 聞いていた。友人である菅田から電話があったのは、一昨日のことだ。
「聞いてるんでしょう? だったら、どうしてこんな所にいるんですか?」
 智樹の沈黙を肯定と取ったらしい千晶は、責めるように言った。
「聞いたからってどうしろって言うんだよ? 別れるって言ったのは、高町のほうなのに」
 思わず大きな声が出た。第三者にこんなことを言うつもりではなかったのに、千晶の剣幕に思わず本音が出ていた。「高町が妊娠したから寄りを戻せって?」
 最後は吐き捨てるような言い方になった。
 一昨日の菅田の言葉が、呪文のように智樹の頭の中にこだましていた。
 高町は妊娠してる。お前の子だ。
 俺の子供だからどうしろと? 俺は捨てられたんだぞ。
 口にできなかった自分の気持ちもまた、智樹の頭にこだまし、出口を探していたのだ。こんな形で表に出すことだけは避けようと思っていたのに。
 千晶は少しびびったようだった。智樹はとっさに謝ろうとしたが、千晶の方が先に謝ってきた。
「ごめんなさい。怒りたくなる気持ちも分かるけど、お姉ちゃんが別れるって言ったのは、妊娠が分かってからなんです」
「どういうこと?」
 別れ話をされたのは七月。妊娠の話を聞いたのは、一昨日のことだ。菅田は、高町のお腹の子は智樹の子供であるとは言ったが、別れた時に妊娠が分かっていたとは言わなかった。智樹はてっきり、高町は別れた後に智樹の子供を宿していることに気付き、それで途方に暮れているから連絡をしろと言われているのかと思っていた。
 しかし、妊娠が分かってから別れ話を持ち出してきたとなると、話は違う様相を呈することになる。
 智樹の中を、あらゆる想像が駆け巡った。
 彼女は自分に迷惑をかけまいとしたのだろうか。いや、自分と結婚なんてことになるのが嫌だったから、子供ができたことを黙って別れを切り出したのかもしれない。自分に話すと堕ろせなくなるから、黙っていたのかもしれない。
 思考はどんどん暗い方へと向かって行く。
 妊娠したのを黙って別れ話をしたのは、自分と別れられなくなるのが嫌だったから? その前に、本当に自分の子供なのだろうか?
「どうしてお姉ちゃんが別れるって言ったのか、あたしには分かるような気がする」
 底のない真っ暗な思考の海へ沈んでいた智樹を、千晶の言葉が現実に引き戻した。「お姉ちゃん、きっと試したかったんですよ」
「試す?」
 智樹にはわけが分からなかった。ただ、菅田も同じようなことを言っていたと、ぼんやり思い出していた。
 お前、試されたんだよ。
「高町がそう言ったの?」
「はっきりとは言わないけど・・・・」
 千晶は曖昧に頷いた。「智樹さん、就職してからずっと忙しくて、会うのはもちろん、ほとんど電話もメールもしてあげてなかったんでしょ。お姉ちゃん、不安で、智樹さんの気持ちを確かめるために、あんなこと言い出したんだと思う」
「俺の気持ちを確かめる・・・・?」
 彼女はうつむいて話していたが、智樹のつぶやきに大きく頷いて顔を上げ、真っ直ぐに瞳を向けてきた。それから、ふっと微笑んだ。
「でも、怒るってことは、智樹さんまだお姉ちゃんのこと・・・・・・」
 千晶の言葉の途中で、外から声がした。
「千晶ちゃん、何してんの? 置いてくよ」
「先に帰ってようか?」
 チヅコ達の声だった。声に苛立ちが混じっている。千晶は「しまった」という顔をして、智樹に一つ頭を下げ、慌てて出ていった。
 鈴の音に交じって、店の外の音が入ってくる。車の行き交う音。蝉の声。それら全ての音が、智樹の耳にはやたら遠くに聞こえていた。


-つづく-



© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: