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Nonsense Story
5
ポケットの秘密 5
昇降口に人影はなかった。ガランとした空間に、規則正しく並ぶ下駄箱。その向こうには、扉も何もなく、外の世界が広がっている。校舎の中のような外のような、曖昧で不思議な空間。
中学の時、私にとって下駄箱は宝箱だった。どの箱から宝を持ち出そうかとドキドキしていた。こんな人気のない放課後は特に。
今、この学校では靴の紛失が続出している。もちろん、私が盗んでいるわけではない。
誰かが盗んで闇のルートで売りさばいているという噂だったけど、外部の侵入者を防ぐような対策はなされていない。教師が見張りに立っているということもなかった。私の通っていた中学校では、クラス総出で無くなった人の靴を探していたというのに。義務教育ではないからなのかもしれない。
「どうしたの? ひょっとして靴盗まれちゃった?」
自分の下駄箱の前でぼんやりしていた私を、幼馴染が覗き込んできた。
「ううん、ちゃんとあった。ちょっと宇宙行ってたの」
私は彼女におどけて見せた。
本当は、今靴を盗んでいる人も、あの時の私と同じ気持ちなんだろうかと考えていた。でも、そんなことは言えない。
彼女とはずっと一緒だった。幼稚園から高校までずっと。だけど、そんな彼女でさえ、本当の私を知らない。
「もう、しっかり者に見えて、時々そうなるんだから。宇宙と交信するのはほどほどにしてよ」
「ごめんごめん」
「それにしても赤松さん、本当に彼とは何でもないのかなあ」
「え?」
急に話が変わった上、とんでもない人の話題になって心臓が飛び出しそうになる。
「昨日、トイレの衝立の上から覗いてた彼。中学同じだったの知らない? 私も去年の球技大会まで同じ高校だったって気付かなかったけど」
もちろん知っていた。私がこの高校を志望した理由は彼だったのだから。でも彼女には、私もそれまで知らなかったと答えた。
「びっくりよねー。あんな所から覗いてるんだもん」
幼馴染は体を折り曲げるようにして笑っている。私も同意して、昇降口から外へ続く短い階段を降りた。
あの時は驚いたなんてものではなかった。息が止まるかと思った。それは、衝立の上にさらし首のように人の顔が乗っていたせいだけではない。その顔が見知ったものだったから。
私があの時衝立の上に見たもの。それは、中学の焼却炉の前でカッターを拾い上げた時に見た、あの顔だった。
去年の秋に行われた球技大会で、彼はサッカーに出場した。そして、見事に味方のゴールにシュートしてしまい、一躍有名人になった。
それからサッカー部や陸上部に勧誘されるようになり、何故かそれを拒んで学校中を逃げ回っている。その逃げる姿を見て初めて、私は本当に彼の足が速かったことを知った。
「私、中学の時、実はちょっといいなって思ってたの」
幼馴染は少し恥ずかしそうに打ち明けてきた。何故今頃そんな話をするのだろう、と思う反面、自分が動揺していることに気付く。
「えー? 全然知らなかった。何で今まで言ってくれなかったの? 協力したのに」
私は彼女の背中をバシンと叩いた。必要以上に興奮した振りをしてしまう。ちょっとわざとらしかったかもしれない。
「ごめーん。だって、本当にちょっとだったんだもん。中学卒業する頃には忘れてたし。でも、去年の球技大会で同じ学校にいたんだって知ってから、また気になり始めたっていうか・・・・・・。だけど、年明けくらいから赤松さんと噂になったじゃない? だからなんとなく言い出せなくて・・・・・・」
「どうして?」
「こんなこと言っちゃ悪いけど、赤松さんて、ちょっととっつきにくいっていうか、暗い感じじゃない。そういう人と仲良い人を好きだっていうのも、なんか、ね」
彼女は気まずそうに顔をしかめた。
「そういえばあの時、女子とは喋らないのに男子とは仲良くできるのかって言われてたね、彼女」
私は思い出して言った。
赤松さんと彼の噂は私も気になっていた。だからこそ昨日、彼女を助けるような真似をしたのかもしれない。
「そうそう、援助交際の噂もあったし。あの頃は、まさか一緒にお昼ご飯を食べる日が来るとは思ってもみなかったけど」
幼馴染はちらっと舌を出した。
「暗い感じは否めないけど、援助交際するような感じの子じゃなかったね」
「でも、どうしてあんな噂のあった子と仲良くしてるのかな、彼。優しいところあるから、ほっとけないのかな」
彼女は、彼と暗い雰囲気の女の子が不釣合いだと思っているようだった。
『どうして』という幼馴染の言葉に、同類という単語が脳裏をかすめた。
かつていじめられっ子だった彼の心が、赤松さんという、過去の自分に似た存在を放っておけないのかもしれない。
幼馴染は、一年の時は私達と違うクラスだったので、あの地味ないじめのことは知らないのかもしれなかった。彼女の中の彼は、光の中にしかいないように思える。
「あ。噂をすれば」
駐輪場に続く舗装された道を歩いていると、幼馴染が立ち止まった。彼女の視線の先には、赤松さんと彼の姿があった。
私は足が浮き立つような感覚と、胃が縮こまるような感覚を同時に味わった。
土の地面に埋まっている石を自転車のタイヤが踏んでしまい、車体がガッタンと派手な音を立てる。駅への近道は田んぼのあぜ道だと教えてくれたのは、例のデコボココンビだった。
ぼくは彼女達と同じ電車通学なのだが、駅から学校までは自転車を利用している。その為、普段は舗装された道を通っているのだが、その区間を徒歩で通っている彼女達に引っ張られるようにして、舗装されていない土道を歩くハメになっていた。
「こちらは杉本瑞葉さんで、こちらが田口加奈子さん」
赤松がそれぞれを手で示しながら、ぼくに二人を紹介した。それによると、背の高い方が杉本瑞葉、低い方が田口加奈子であるらしい。
「それで、こちらは・・・・・・」
「あ、彼の紹介はいいよ。知ってるから。私達、同じ中学出身なのよ」
赤松が、今度はぼくを二人に紹介しようとした時、田口加奈子がそれを制した。
ぼくは自転車を押して歩きながら、思わず、げっ、と口にしてしまった。
「げっとは何よ。覚えてないの? 同じクラスになったこともあるのに」
田口が不満をあらわにした。唇を尖らせてぼくを睨んでいる。
「そうだっけ?」
「私はその時隣のクラスだったわ」
杉本まで、笑顔でやんわり抗議してきた。
「覚えてない」
ぼくは正直に答えた。こんな美人を忘れるなんて、という二人の自称美人の言葉は聞こえないことにする。
杉本は美人の部類に入る顔立ちをしているが、田口は百歩譲って『かわいい』だ。それでも、赤松より垢抜けはしているのだが。
ぼくは背中に冷たい汗が流れるのを感じていた。ぼくが通っていた中学からこの高校へは、ほとんど進学した者はいないと思っていたのに。しかも、かつてのクラスメートがいるとは。志望校を選択する時、男子の分しか気にしていなかったのが仇になったらしい。
「靴の盗難があったことも覚えてない?」
そんなに昔を思い出させたいのか、杉本瑞葉が古い話を持ち出してきた。
「ああ、そういえば中学の時もあったな」
中学校で靴の盗難が相次いだのは、ぼく達が三年の時だった。クラスメートの一人が被害に遭い、たまたま居合わせたぼくは、靴の捜索に借り出されたこともあった。
「なんで靴なんか盗むのかしら」
杉本の呟きに、田口が答えた。
「どっかに売ってるって聞いたけど」
「同じ犯人だと思う? 中学の時と」
「え? 俺達と同じ中学だった人間がここに来てて、またやってるって思ってんの?」
田口へ向けられた質問だったのかもしれないが、ぼくが反射的に反応してしまった。すると杉本は、今度は明らかにぼくへ向けて質問を返してきた。
「分からないけど、あなたはどう思う?」
「違うんじゃないかな。あの時は月に一回から二回くらいだったけど、今は週に三回くらい発生してるし。中学の時の犯人は、もっと慎重だったと思う」
「今の人は慎重じゃないかもしれないけど捕まってないわ」
杉本はやけに突っかかってくる。
水の張られた田んぼの中を、黒くて長い物体がスルスルと進んでいく。たぶん蛇だろう。ここで蛇がいると言ったら、三人は大騒ぎになるかもしれない。
ぼくは、何故この二人も一緒に帰っているのだろうと事の成り行きに疑問を感じながら、彼女の方を見ずに言った。
「俺、あの時、犯人見たんだよな」
「え?」
声を上げたのは赤松だった。今まで話を聞いていないのかと思うほど静かだったのは、きっと話に入ってこられなかったからだろう。しかし、話にどう入ればいいのかという戸惑いに驚きが勝ったらしい。
「見てどうしたの?」
「どうもしてない」
「捕まえたりは・・・・・・」
「しなかった」
「どうして?」
「面倒だったから」
赤松が質問攻撃をやめると、全員が沈黙した。それでも、彼女達が「信じられない」と非難の声を上げているのが聞こえるような気がした。
「でも、彼女は違うと思うな」
「彼女?」
しばらくの沈黙の後、ぼくの口をついて出た言葉に、再び赤松が反応した。ぼくは淡々と続けた。
「うん。顔も覚えてないし名前も分からないけど、俺が見た中学の犯人は女子だったんだ」
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つづく
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