Nonsense Story

Nonsense Story

15





ポケットの秘密 15




 八月の半ばに、私と母は叔父の家へと住まいを移した。九州の家は、今まで住んでいた所よりも五度くらい気温が高く感じられた。
 あれから引っ越すまで、私は幼馴染といろんな思い出を作った。
 高校生の身分でお金もないので、特別な旅行とかはできなかったけれど、一緒に買い物をしたりプリクラを撮ったりした。お揃いの手鏡や色違いのキャミソールを買った。メールもするけど手紙も書こうと言って、レターセットも買った。海は行けなかったけど、プールには行った。お互いの家に泊まって、明け方まで話し込んだりもした。
「瑞葉も好きだったんでしょ? 彼のこと」
 私の部屋にあった中学の修学旅行の写真を覗き込むようにして、彼女が言った。部屋にクーラーをがんがんに効かせて、私は毛布にくるまっていた。
「え?」
 もう夜中の三時半を過ぎていて、私は欠伸をかみ殺しながら訊き返した。
「本当はね、瑞葉が彼を目で追ってるの、知ってたの。だから瑞葉にはずっと、彼が気になるって言えなかった。この前、トイレの所で彼を責めてたから、もう好きじゃなくなったのかなって思って言ったけど、やっぱり靴のことは、彼にだけは知られたくないんじゃないかと思って余計なことしちゃった。あの時はごめんね」
「余計なことなんて・・・・・・。そうね、好きだったのかもしれない」
「やっぱり! 瑞葉ならいけるよ! 頑張って!」
 嬉しそうに興奮する加奈子を、私はやんわり制した。
「ううん、だめ。私も失恋しちゃったの」

 期末試験も終わりに近づいたある日、私は昇降口に一人でいた彼を見付けて声をかけた。
「私って怖いかな?」
「は?」
 何を言い出すんだ、こいつは。彼の顔にはそう書かれていた。
 あの薄暗い教室で、私たちはお互いの傷を抉り合っただけかもしれない。でも、私には奇妙な達成感があった。あの時のことを思い出してもらえたから。
 彼は私が思っていたような人ではなかった。それでも、私が靴を切っていたことを思い出しても、彼の態度が変わることだけはなかった。
 だからこそ、彼にこんなことを訊く気になったのかもしれない。
「加奈子も赤松さんも私がやってたことを知ってたのに、誰も直接言ってはこなかったもの」
「赤松と田口があんたに指摘できなかったのは、あんたに嫌われたくなかったからだと思うけど」
 それは分かっていた。幼馴染がそう言っていたから。
 でも、私はそんなに人を嫌いそうに見えたのだろうか。そう訊くと、彼は珍しいものでも見るように、私を見た。その目は、そんなことも分からないのか、と言っているようだった。
「自信がなかったんじゃない? 自分は嫌われないっていう」
「それって、あなたは私に嫌われてもいいって思ってたってこと? それとも自信があったってこと?」
「さぁ?」
 彼は首をすくめた。どうでもいいとでも言うように。
 その姿を見て、私は悟った。私のした事を知っても彼の態度が変わらないのは、私という人間に全く興味がないからだということを。
 彼は中学一年の時、私を羨んでいたと言っていた。だけど、それはあくまで昔のこと。
「でも、今度からはあいつらも直接言うんじゃないかな。少なくとも田口は。それは嫌われてもいいって思うようになったからじゃなくて、何を言っても嫌われることはないだろうっていう自信からね」
 あんたも本当は分かってるんだろう? そう言って、彼は欠伸をした。
 あの時、私は静かに失恋したのかもしれない。

 少し前のことを思い出して沈黙した私に、幼馴染はかけるべき言葉を探しているようだった。逡巡した結果、彼女は次のように言った。
「そっかぁ。残念。瑞葉ならいけると思ったのに・・・・・・。でも、いっか。彼、思ったより性格悪そうだし」
「そうそう。私よりタチ悪いわよ、あれは」
 それから彼の変なところを挙げ連ねて、私達は笑った。
 隣の部屋で寝ていた兄が、ドンっと壁を叩いてきた。私と加奈子は顔を見合わせると、舌を出して首をすくめた。



 私のポケットには、小さな手鏡が入っている。
 ごくごく普通の、何処にでも売っている、キティちゃんの手鏡。
 ひとつだけ特徴を挙げるとすれば、それにはシールが貼ってあるということくらい。幼馴染と一緒に撮った、小さなプリクラ。まだ日焼けしていないので、『ずーっと仲良し』と書いた文字もはっきりしている。
「今日からここがきみの教室だよ」
 白いドアの前に立って、眼鏡を掛けた若い男性教諭が言った。
 私は真新しい夏の制服のポケットに手を入れて、硬くずっしりとした物体に触れる。すると、ふっと心が嬉しくなる。
 たとえこのプリクラが色褪せても、ただポケットにこの手鏡が入っているということが、私を元気付けてくれる。
 いつかもっと気の合う人と巡り合い、一番の仲良しではなくなる日が来るかもしれない。だけど、私達はお互いに、きっと最初に見付けた宝物。
 私には加奈子がいる。世界で初めて、本当の私を判ろうとしてくれた親友が。


-終わり-



あとがき



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