Nonsense Story

Nonsense Story


 1


 その日は、朝からすこぶる気分が悪かった。
 一昨日はクラスの連中と、昨日は親戚連中と、二日間に渡って飲みまくっていたのだ。これが本当のフツカ酔い。なんちゃって。
 今は夏休み真っ只中。これだけ気分が悪いのだから、家で寝ていればいいようなものなのに、ぼくは今、都会にいたりする。
 ぼく達の住んでいる田舎町から、電車に揺られること二時間。ぼくと友人の赤松は、はるばる大きな街まで映画を観に来ていた。
「大丈夫? だから観るのよそうって言ったのに・・・・・・」
 赤松が心配そうに、ぼくの顔を覗き込む。
「平気・・・・・・たぶん」
 ぼくは赤松から顔を逸らした。彼女に情けない顔を見られたくないというよりも、今、こいつの顔を正面から見る度胸がないのだ。恐ろしくて。
 赤松は一見、ただの真面目な女子高生だ。
 しかし、彼女は副業で作家なんてものをやっている。あっちが本業かもしれないが。とにかく、奴は中学生の時にデビューし、現在までに二冊の長編小説と一冊の短編集を出している。
 今回、その短編集に収録されていた一編が映画化されたというので、嫌がる彼女を無理矢理説得して観に来たという次第である。とてもマイナーな映画だったので、大きな街でないと上映されていなかったのだ。
 お化け屋敷と勘違いされそうな、古ぼけた薄暗い映画館からよろけるように外へ出ると、あまりの明るさに目が眩んだ。おまけにうだるような暑さで、また胃の中の物がせり上がってきそうになる。ぼくは道端へうずくまった。
 ようやく胃が治まって立ち上がると、今度は頭から潮が引くように血の気が引いていく。赤松が慌てて後ろから支えてきた。
「本当に大丈夫? 貧血? 病院行く?」
「いや、いい」
 ようやくそれだけ言って歩き出す。しかし、三歩も進まないうちに、ぼくの両手は地面にくっついていた。熱せられたアスファルトが、じりじりとぼくの手のひらを焦がす。すぐ横の車道では、そんなぼくにはお構いなしで、ひっきりなしに車が行き交っていた。
 南極の氷も一気に溶けてしまいそうな暑さなのに、ぼくは首筋に寒気を感じていた。
 作品の内容には詳しく触れないが、R15指定だったとだけいっておこう。ぼくは、赤松の頭の中がどうなっているのか、切り刻んで見てみたくなった。ここで、『頭を開いて』ではなく『切り刻んで』という表現になってしまうのは、さっき観た映画の影響だ。
 あの映画の原作者だと思うと百年の恋も覚めそうだが、あいにく赤松と知り合ってからそんなに歳月が経っていないので、彼女に対するぼくの気持ちが変わるということはなかった。
「タクシーでも捕まえてくる」
「ちょっ・・・・・・待っ・・・・・・」
 ぼくの背中をさすっていた赤松の手が離れると同時に、わっ、という短い叫び声がして、今度は硬いものが背中を打った。
「ごっ、ごめんなさいっ!」
「いや、こちらこそすみません」
 どうやら赤松が、駆け出そうとした拍子に誰かとぶつかったらしい。片手で胸を押さえ、もう一方の手で背中をさするぼくを尻目に、二人は謝罪しあっている。相手の声は、どこかで聞いたような男のものだった。
 ぼくは自分に直撃してきた物体を横目で確認した。道路に落ちた黒いナイロン製のリュックから、財布や携帯が飛び出している。赤松はかごバックを提げていたはずだから、きっとぶつかった男のものだろう。リュックから少し離れて、小さな魔法瓶が転がっていた。
 こいつのせいかと思いながら魔法瓶を拾い上げ、他の小物と一緒にリュックに押し込む。どうやら鞄の中身はほとんど外にこぼれていたようだった。
 二人は知り合いだったらしく、何やら恐縮しながら再開の挨拶を交わしている。
「お前・・・・・・」
 ぼくが地面にかがみこんだままリュックを二人の前に突き出すと、荷物の持ち主が驚いたように呟いた。
「あ、片岡・・・・・・」
 がっしりした体格。それに不釣合いな繊細で几帳面そうな顔。
 縁なし眼鏡を直しながら細い瞳でこちらを見下ろしていたのは、ぼくの去年のクラスメイトだった。

 片岡は、誰とも群れようとしない奴だった。いつも本ばかり読んでいて、ほとんどにこりともしない彼は、クラスの中ではちょっと変わった奴として認知されていた。暗いというわけではない。どこか人を超越したような、周りを小馬鹿にしたような、そんな雰囲気が彼にはあったのだ。
 ぼくはといえば、その頃はサッカー部のお祭男とツルんでおり、自他共に認める活字嫌いだったので、片岡との接点は皆無に等しかった。
 しかし、いつしかぼく達は、自分達が同じような種類の人間であると認識するようになる。
 二人とも、高校生なら当たり前に興味を持つような事柄に無関心だったのだ。学校行事や他人に興味がない。進んで友人を作る気がない。流行を追わない(疎いとも言う)。普通の人なら涙を流すようなことにも、ほとんど無感動である。などなど。
 とにかく二人とも自分勝手な生き物で、そのことで他人にとやかく言われようと、気にするようなかわいらしい人間ではなかったということだ。
 ただ、ぼくは来る者は拒まなかったし、それなりにクラスの連中とも付き合っていたが、片岡は違った。全身全霊をかけて人を拒絶しているようなところがあった。本人に確認したわけではないので、実際のところ彼がどう思っていたのかは分からない。
 でも、そういう雰囲気はなんとなく伝わるもので、誰も彼に話しかけようとはしなかった。
 だから片岡が話しかけてきた時、ぼくは少なからず驚いた。
 高校に入学して最初のクラス行事であるキャンプの班決めの時だった。好きな班に入る為、ジャンケンだのくじ引きだのと盛り上がっている連中を横目に教室の壁にもたれかかっていたら、すぐそこの席でのん気に本をめくっていた彼が、ぼくに向かって口を開いた。
「参加しないのか?」
「そっちこそ」
 見た目はどうだったか分からないが、ぼくの返事に驚きは含まれていなかったと思う。片岡は縁なし眼鏡を人差し指で押し上げながらこう言った。
「誰と同じ班になっても、キャンプに興味が持てないことに変わりはないからな」
 キャンプといえば、学生にとっては一大イベントだ。一緒の班になる人間によって、行事の楽しさが倍増もすれば半減もする。楽しい夜になるかどうかや、うまい飯にありつけるかどうかの分かれ目でもある。
 普通ならおおいに変わってくると思うのだろうが、ぼくは片岡と全く同意見だった。
「仲間」
 ぼくはなんとなく右手を出し、彼もなんとなくそれに応えた。
 それからぼく達は、時々言葉を交わすようになった。クラスの連中は、彼と話すぼくを変わり者だと思っているようだった。
 クラスも性別も違い、暗い奴として定評のあった赤松と話すようになった時には、もっと変人扱いされたけれど。
 飄々と毒舌をふるう片岡は結構おもしろく、正直ぼくは、いつも一緒にいたお調子者よりも、この男の方が自分と気が合うかもしれないと思っていた。きっと人間の温度の高さが似ていたからだろう。少しだけぼくの方が高いかもしれないが、深い付き合いでもないので、本当のところは分からない。
 ちなみに、赤松と気が合うと思ったことはない。たぶん向こうも同じだろう。

「どうした? 気分悪いのか?」
 自分を見止めてもなかなか立ち上がろうとしないぼくを、片岡が覗き込んできた。
「もともと二日酔いだったのに、さっきの映画のせいでよけい気分悪くなっちゃったみたいで」
 コンクリートと離れられないでいるぼくの代わりに、赤松が説明する。今にも泣き出しそうな声だ。
「二日酔いなら、これでも飲むか?」
 片岡は、ぼくの前にさっきの魔法瓶を差し出してきた。
「さんきゅ・・・・・・。用意いいな、お前」
 なんとか言葉を発して水筒を受け取る。蓋をコップ代わりにして中の液体を注ぐと、手がひんやりとしてきて気持ち良かった。
「ジュースとか水とか買うの、金が勿体ない気がしてな。たまたま冷蔵庫にあったものを入れて来た」
 ぼくは、ふーん、と言いながら一口飲んだ。そして次の瞬間、その液体を思い切りよく噴き出した。
「何これ? お茶じゃないじゃん」
 てっきりお茶だと思って口にしたのに、舌が感知したのは甘い中にもほろ苦さのある何かのジュースの味だった。
「グレープフルーツジュース。誰がお茶だと言った?」
 片岡は呆れ顔だ。確かに誰も言ってないけど、普通水筒に入れて持ち歩くのって、お茶じゃないのか。
「要は体内のアルコールが薄まればいいんだから、文句言わずに飲め」
 有無を言わさない片岡の態度に、ぼくは仕方なくジュースをがぶ飲みした。飲んだそばから汗が噴き出してくるようで、今度は別の意味で気持ちの悪さを感じる。
「ひょっとしてデート?」
 おろおろしながらぼくをハンカチで仰いでいる赤松を見て、片岡が言った。
「デートなら、冷蔵庫からホルマリン漬けが出てくるような映画は選ばない」
 魔法瓶の水筒を返しながらぼくが答えると、赤松が身を縮めた。
「ごめんなさい」
「別に謝ることないけど」
「でも、赤松さんが書いたものだから選んだんだろう?」
 片岡は、赤松の副業を知る数少ない人間の一人でもある。そしてぼくは、彼も密かに赤松に気があるのではないかと睨んでいる。こいつも赤松の書いたものが放映されているから、わざわざここまで足を運んでいたんだろう。
 ぼくは首をすくめて頷いた。
「そ。まさか猟奇物書いてたとはね。青春文学系かと思ってたけど」
 ぼくの手元にある赤松の本は、読んではいないがグロい話ではなさそうだった。
「ごめんなさい・・・・・・」
「謝ることないよ、赤松さん。こいつが臆病なだけだから」
「今日のは二日酔いのせいだ」
 映画館からいくらも離れていない場所でそんなやりとりをしていると、救急車のサイレンが聞こえてきた。音はどんどんこちらに近づいてきて、なんと映画館の前で停まった。
 ぼくは再び冷や汗が噴き出すのを感じた。
「赤松、まさかお前、救急車を・・・・・・」
「呼んでないよ。わたしは携帯持ってないし、ずっときみと一緒にいたんだから、呼ぶ暇なんてなかったよ」
 考えてみればそうだ。吐きそうなぼくを見て、タクシーより救急車を呼んでしまったのかと思ったが、赤松は駆け出そうとしてすぐに片岡にぶつかったのだから、救急車を呼ぶなんてことが出来るはずがなかった。
 しかし、呼ぶ暇がなかったということは・・・・・・。
「暇があったら呼んでたってこと?」
 赤松は大真面目に頷いた。勘弁してくれ。
 そうこうしている間に、救急車からはばらばらと人が降りてきて、映画館内へ消えていった。少ししてから担架もそれに続く。そして、その現場に引き寄せられるように、近くにいた人達が集まっていった。
 磁石に引き付けられる金属のような群衆を見て、赤松が青ざめた。
「どうしよう・・・・・・。まさか、さっきの映画を観て倒れちゃったんじゃ・・・・・・」
「まさか。そんなことないって」
「だって、現にきみは吐きそうになったじゃない」
「だから、あれは二日酔いで・・・・・・」
「二日酔いでグロいものを観たから、よけい気分が悪くなったんでしょう。今運ばれていく人だって、もとから体調が悪かったのが、あれのせいで悪化したのかもしれない」
 もともとあまり血色の良くない赤松の顔が、蒼白になっている。二日酔いのぼくよりも、ずっと病人みたいだ。
「そうだとしても、赤松さんのせいじゃないよ。気分が悪いのに、こんな映画を観に来る人が悪いんだから。当人の自業自得だ」
 片岡が、チラッとぼくを見ながら、赤松を励ます。どうせ自業自得だよ、悪かったな。
 その後、片岡が近くで除いていた野次馬から、三十から四十代くらいの女性がトイレで倒れていたという情報を仕入れてきて、その場を離れることになった。
 まだ街をぶらつくという片岡と別れてその街の駅に着いた時も、赤松の表情は暗かった。この世の終わりのようにうなだれて、鉛でも引きずっているかのような歩き方をしている。もともと顔を上げてチャキチャキ歩くという人間ではないので、傍目にはあまり変わりないようにも思えるが、帰るまでに二回トイレに行って、二回とも荷物を中に置き去りにして取りに戻るという失態をやらかした。
 陽光に輝く夏の街を、自縛霊のような生き物を連れて、ぼくは歩いた。その光景は、きっとものすごく異様だったに違いない。病人が死神を引き摺って歩いているように見えたんじゃないだろうか。
 歩いている間、赤松は当然のこと、ぼくもほとんど喋らなかった。今の赤松に何を言っても、右の耳から左の耳へと通り抜けていくだけのような気がしたからだ。いや、通り抜けるどころか、跳ね返って入りもしないかもしれない。どのみち言うべき言葉なんて、ぼくには思い浮かばなかった。
 帰りの電車内では、ぼくはずっと目を瞑っていた。ここのところ寝不足だったが、寝ていたわけではない。隣に座る赤松があまりにも不安定だったため、ぼくが寝ているうちに消えてしまうような気がして、見てもいられない代わりに、恐怖で眠ることもできなかったのだ。赤松は、今にもずぶずぶと電車の椅子に埋まっていきそうだった。
 電車が赤松の降りる駅に着く寸前になって、ぼくはやっと重い口を開けた。
「来週の登校日までこっちにいるんだろ? それまでにかき氷でも食いに行こう。英語の宿題も見せてほしいし」
 赤松の実家はぼく達の通う高校から離れている為、彼女はふだん、学校に近い祖父母の家で生活している。しかし今は夏休みなので、赤松は昨日まで実家に帰っていたのだ。
「うん。ありがとう」
 ぼくの意図が分かったのか、赤松は素直に微笑んだ。


つづく



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