ぬるま湯雑記帳

巻之六

女子寮騒動顛末 をんなのそのさわぎのあれこれ
ふくすけ 巻之六 現世繁忙而茶畑別 うつしよはせわしなけれどちゃばたけはべつ

 入間に流れている時間は、下界とは異なる。何をそんなに生き急ぐのか、すべてが早くて速い。

 朝食開始時間と起床時間は寮生にとって同じ意味を持つ。七時。決して早い時間ではないのだが、高校の三年間NHKの連ドラと共に起き、連ドラの終了と共に家を飛び出していた私にとって、これは早朝に値する。寝トボけたまま食堂に行っても、暫くは目は半開きだし、口はほどけず、生ける屍状態。私だけかと思っていたが、周りにも死体がごろごろしていた。これでまた、どんぶりいっぱいのっぺりしたご飯では(パン食とご飯の日が交互にあった)、屍(わたし)は飲み下すのも容易ではなく、お茶と汁物とで無理やり流し込む。

 朝食後の食当(*)や掃除当番が無かったらシメたもので、顔を洗い、歯を磨き、足りない睡眠時間を補う為に再度ベッドに潜り込む。これを称して「二度寝」という。とにかく、七時半までに食事を受け取らないと「配給」が打ち切られてしまう。さらに「食事終了時間を十分以上過ぎた場合は、各自で食器を洗ってください」とのお達し。それだったら一番に食べに行って、さっさと戻って寝たほうが賢明なのだ。なにより二度寝は気持ちいい。…この「魔の誘惑」によって、寮生の遅刻は引き起こされる。遅刻ならまだ可愛いもので、気がついたら昼だったとか、そのテの悲劇は年に何度か私や友人を襲った。英語の小テストをすっぽかし、Cを食らった苦い記憶もいまとなっては懐かしい(?)。

 お風呂は四時から入ることができた。ピカピカのお湯に浸かりたいなら、この時間に限る。四限が終わるのが四時十分。荷物を部屋に置いて直行することもあった。何もしなくてもお風呂が沸いているのは、なかなか嬉しいことである。入浴時間は十時半まで、一見太っ腹だが、八時から九時までのオイシイ時間が舎監の入浴時間に充てられていたし、三百人余という寮生の数を考えると、太っ腹どころではない。浴場は常にサバイバルの場であった。浴場のみならず、事あるごとに繰り広げられたオンナの‘静かな’戦いの模様は、いずれ述べるところとする。

 世の中がまだまだこれからの五時半に夕食が始まる。配給の混雑を嫌う気の早い部屋(食事は原則として部屋ごとで食べることになっていた)は、二十五分頃から食堂に集まりだす。幼稚園の時でさえ、夕飯はこれ程早くなかった。何が悲しくてこんな時間から箸と湯のみを握りしめ、欠食児童よろしく配給場所に並ばにゃならんのだ。
 食べ終わっても六時前、生き急いだ反動がこの後どっと押し寄せる。夜が異常に長いのだ。この結果、九時を過ぎた時分からおなかが空きだす。ここの悲劇は、金があっても買いにいく店がないことである。大学の売店も五時には閉まる。最も近いコンビニは自転車でも十分そこそこ、茶畑のなか一本伸びたバス道の果てに位置する。昼間の明るい時でさえも行くのをためらうその店に、自転車の貸出も終わる夕方以降、誰が行けるというのだ。勿論、舎監も許可しない。タクシーも数人で乗るように言い渡されているくらいなのに、夜の一人歩きなんぞはもってのほかなのである。

 のどかで淋しいこの道は、暴走族の憩いの場でもあり、実は物騒このうえない。従って食料調達は下界に降り立った時にどかっとする事になる。食料が豊富にある部屋を「お菓子部屋」という。運悪く食料がきれていて、あまりのひもじさに倒れそうになった時など、出かけていって恵んでもらう。日頃から近所付き合いが大切なのだ。

 門限十時、そのくせ最寄駅からの最終スクールバスは八時、十一時にはラウンジ(テレビの部屋)が閉まり、電話ボックスのあるロビーの電気も落とされて、暗闇の中電話の順番待ちをする。時計とにらめっこの一日がこうしてフェイドアウトしていくのである。噫。(続く)
(*)食当:食事当番。食後の食器洗い等を指す


1997年7月1日発行 佐々木ジャーナル第17号より(一部変更) 千曲川薫


うー、ある意味では過激…。関東って、絶対山国より都会だと思っていたので、「都会って一部分なんだなあ」としみじみ思ったことでありました。つらくはなかったけど全てが不便でした。



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