仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2015.05.08
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カテゴリ: 宮城
東北開発の一大事業であった野蒜築港跡も、震災を経てかなり様相が変わっている。築港跡のさらに「跡」を訪ねました。

新市街地だった三角地域の先端に、公園や「築港跡の碑」があったはずですが、探そうにも、堤防工事の関係で立ち入りできません。おそらく津波で消失しているのではないかと思います。

三角ゾーンの中程では、測候所の碑が残っています。

150507_1125~01.jpg

碑には、 東北地方気象官署発祥之地 野蒜測候所跡  とあります。裏には

昭和四十九年三月一日 仙台管区気象台長 佐々木治 修復
と刻まれています。

ところで、やや離れて(画像の左手)、数枚の石版が平積みのように積まれています。よく見ると文字が刻んであります。
明治十一年東北地方開発の先鞭たる野蒜港建設の議興るや... とか、 石巻市中央一丁目 石工 阿部.. 

150507_1127~01.jpg

ネットで震災前の碑の画像を見比べてみるとわかりますが、数枚の石は、立碑を支える台座の石だったようです。津波でバラバラになって、おそらく立碑も倒れたのかも知れませんが、探し集めて、ここにまとめて置いたようです。

煉瓦の門柱は明治当時のものとのことですが、無事だったのでしょう。

やや離れて、石製ローラーと起功之碑、そして松の木です。ここも、復元作業があったと思われ、看板は新しいように感じられます。松は少々痛々しいです。

150507_1135~01.jpg


三角地域から浜市方面に戻るとき、気づきました。新鳴瀬川部分に残る煉瓦の橋台跡です。これもよく写真が出ていたやつですね。

150507_1142~01.jpg

一面が土色の平面世界になってしまうと、場所や位置関係がわからなくなります。看板や説明板はもちろんですが、建物や樹木があったり、川土手の緑や田畑の雰囲気なども含めて、色や三次元的質感で人間は地理を認識したり記憶することに、改めて気づかされたりします。津波被災地に共通のことです。5年目の春を迎えても、なお。

(編集長のガラケー画像の見苦しさ。ご容赦ください。)





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最終更新日  2015.05.08 10:33:43
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